アフガニスタンでは
なぜタリバンは復権し得たのか
アフガニスタンの現状 - なぜタリバンは復活し得たのか -
支配者は変われども、数十年に渡り抑圧され続けてきたアフガニスタンの人々、特に女性の惨状が示されています。
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マラライ・ジョヤ
マラライ・ジョヤは祖国の平和と民主化、女性の人権のために活動し、特に女性の教育に力を注いでいます。下段の本の紹介「アフガン民衆とともに」の解説も合わせてごらんください。
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RAWA
RAWAとはアフガニスタン女性革命協会の略称です。1977年にカブールにて結成され、ソ連軍とその占領に抵抗し、女性も男性と同じ権利が認められる社会を獲得するために活動を続けています。
2004年に日本で設立された「RAWAと連帯する会」も紹介しています。
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アフガニスタンのフェミニスト団体RAWA(アフガニスタン女性革命協会)と連帯する会が招いた28歳の女性が、国会で講演しました。
— 日本平和委員会 (@japanpeacecom) June 24, 2024
「米国はアフガニスタン女性の権利向上を口実に軍事介入した。しかし米国が私たちに女性の権利を教える必要はない。私たちは知っている。社会を変える方法も知っている」→ pic.twitter.com/mWuHiZCB2s
本「アフガン民衆とともに」の紹介
1978年、アフガニスタン西部のファラー州に生まれた著者。ソ連のアフガニスタン侵攻のため、4歳から16年間をイラン、パキスタンで難民生活をおくることになった。アフガニスタンの女性人権団体RAWA(アフガニスタン女性革命協会)の運営する学校で教育を受け、後に女性に対して抑圧的なムジャヒディンと呼ばれる武装勢力やタリバン政権、アメリカの占領政策を批判。2003年、ファラー州代表としてロヤ・ジルガに参加し、軍閥を批判する演説をおこない、世界から「アフガンで最も勇敢な女性」と賞賛される。2005年、27歳で最年少国会議員に選出されるも、軍閥・原理主義批判により議員資格を剥奪され、多くの知識人が欧米に脱出する中、国内にとどまり、5度にわたる暗殺未遂を切り抜けてきた。今日にいたるまで、占領の終結、民主主義の実現、女性の解放を訴え、世界を駆けめぐっている。
2009年にオバマ米大統領がノーベル平和賞を受賞した際、ノーム・チョムスキーは「ノーベル平和賞委員会は、卓越したそして注目すべきアフガンの女性活動家マラライ・ジョヤを選ぶという、真に価値ある選択をしてもよかったはずだ」と語っている。光州人権賞(2006年)、アンナ・ポリトフスカヤ賞(2008年)などを受賞。
祖国の平和と民主化、女性の人権のために活動することを選び、大学進学を見送った彼女。だが、その教養は半端ではない。著書にベルトルト・ブレヒト、マーチン・ルーサー・キング牧師、サマド・ベフランギーらの作品を引用していることからも、それがわかる。マクシム・ゴーリキー、ジャック・ロンドン、ラングストン・ヒューズ、イランの反体制派詩人アシュラフ・デフガーニなどを読み、マハトマ・ガンジーやチェ・ゲバラの伝記に触れ、パトリス・ルムンバやビクトル・ハラの生涯に影響されたという。本書は、そんな彼女の波乱に満ちた半生を綴った自叙伝である。その中から、一部だけ紹介しておこうと思う。
“自由とは他国によってもたらされるものではない。自ら闘って勝ちとるものである。大地に種をまき、血と涙を注いで育むことによってのみ芽吹き、生長するのだ。
「真理は太陽のごとく。いったん空に昇らば、何人もこれを遮ることを得ず。また、これを隠すことを得ず」―アフガンの格言である。
ささやかとはいえ、本書が、そして私の物語が、いつも太陽の輝きとならんことを。どこであろうと、読む人たちに勇気を与えんことを。平和と正義、民主主義を求める闘いの助けとならんことを。”