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バビロン王国崩壊の「古代篇」、イエス・キリストの「ユダヤ篇」、フランスの聖バーソロミュー虐殺の「中世篇」、労働争議で失職した青年と恋人の「現代篇」が、同時進行の四つのストーリーとして展開される。今では珍しくもなんともない演出技法だが、グリフィスによる画期的な映像技法であった。時代も状況も異なる、互いに何の関連もなさそうな四つのストーリーを結びつけるのは、題名にもなっているイントレランス(不寛容)。人間の、そして人間がつくる社会の不寛容こそが、あらゆる悲劇の源である。それこそが、グリフィスのメッセージなのだろう。100年前の映像とは思えない鮮明さ。1989年には、SFXの名手リチャード・エドランドのオープニングとフルオーケストラによる音楽が付け加えられた。映画の父と呼ばれるD・W・グリフィスの代表作、無声映画の傑作というだけでなく、映画史を語る上で避けて通れない文化遺産でもある。
第二次世界大戦下、約600万人ものユダヤ人がナチスにより計画的に虐殺された“絶滅作戦”を奇跡的に生きのびたユダヤ人、加害者の元ナチス・メンバー、目撃者たる収容所周辺の村人たちによる証言だけで構成した、9時間におよぶ衝撃作である。本作には、涙を誘う感傷的な音楽も、惨状をつぶさに伝える過去の記録フィルムの一片もはさまれていない。ましてや再現ドラマやCGを駆使した図解などもない。そこにあるのは、この悲劇を体験した者だけが知りうる記憶の記録だけだ。まず見ることから始めよう。私たちは、彼らの言葉と表情からすべてを知るだろう。
第二次大戦中にナチがアウシュヴィッツ絶滅収容所でおこなった大量虐殺を告発したドキュメンタリー。モノクロ写真やニュース・フィルムに撮られた当時の生々しい映像―絨毯にするために山のよう積まれた髪の毛、没収した眼鏡や貴金属、靴、鞄、そして戦後、ブルドーザーで処理される死体の山。歴史的事実の記録であるが、過去のモノクロに、廃墟(現在は世界遺産として保存されている)現代のカラー画像が対比される、モンタージュ構成の傑作。冷徹で美しいカメラワーク、抑えたナレーションの詩的なテクスト、そして音楽。この作品を見ずして、ホロコーストを語ることはできない。
第二次世界大戦の悲劇は、ヒトラー率いるナチス・ドイツのユダヤ人大虐殺によってクライマックスを迎えた。強制収容所の「最終的解決」において、囚人はあたかも物体のごとく無造作に穴に埋められブルドーザーで処理されていく。あまりにリアルな光景を、名優オーソン・ウェルズと大女優エリザベス・テイラーが切々と語る。(商品説明から)
1939年9月1日、ドイツ海軍の戦艦シュレスヴィヒ・ホルシュタインがバルト海に面するポーランドの都市ヴェステルプラッテに対して艦砲射撃を開始。ここに第二次世界大戦の火ぶたが切られることになった。同じ日、ウワディクはワルシャワのラジオ局でショパンを演奏していた。街はあっという間に占領され、ユダヤ人はゲットーに強制移住させられるなどの迫害が始まる。家族もろとも家を追われるが、うまくゲットー内のカフェでピアノ弾きの職を得ることができたウワディク。様々な迫害に遭いながらも、どうにか生活していたのだが、やがてユダヤ人を収容所に移送する列車に一家そろって乗せられることに。列車に乗り込もうとしていたその時、彼を引き留める一人の男がいた。
戦火を生きのびた実在のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの回想録をもとに、ゲットー体験を有するロマン・ポランスキーが静かに、しかし力強く描いた感動のドラマ。第55回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞している。
ヤヌシュ・コルチャックは小児科医、教師、孤児院経営者、児童文学作家、ラジオのパーソナリティ等々、マルチタレントのユダヤ系ポーランド人である。本名、ヘンリク・ゴールドシュミット。ワルシャワに、第一次大戦で親を亡くしたユダヤ人の孤児のためのドム・シェロト、ポーランド人の孤児のためのナシュ・ドム、二つの孤児院を設立、子どもも大人と同じようにその人格が尊重されねばならないというの考えをもとに、これらを経営した。この思想は、後の子どもの権利条約に大きく影響したと考えられている。
ナチスのユダヤ人政策により、1942年、ユダヤ人の子どもたちはトレブリンカ絶滅収容所に移送されることになった。著名人であったコルチャックの助命嘆願が世界から届いていたが、「自分だけが助かるわけにはいかない」と、彼の児童文学作品に登場するマチウシ一世王の旗を掲げ、子どもたちの先頭に立ってウムシュラーグ・プラッツの停車場に向かった。彼らの行進は実に堂々としたものだったという。トレブリンカの跡地には、ガス室に消えた犠牲者らの出身の町や村の名を記した石が置かれているだけだ。その中でただ一つ、人名が刻まれた碑がある。ヤヌシュ・コルチャックである。
ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダが、孤軍奮闘するコルチャックという人物とその崇高な精神を感動的に描いた作品。
オーストリアの実業家オスカー・シンドラー。彼はユダヤ人をナチスによる虐殺から救おうと、自分の工場(現在、博物館になっており見学可)の労働力にするという名目で、プワシュフ収容所長アモン・ゲートと取り引きするなど、あの手この手を駆使、1200人もの命を救うことになった。
戦後、オスカー・シンドラーは事業に失敗し、決して恵まれた後半生ではなかった。彼の功績も忘れ去られていたが、1982年、オーストラリアの作家トーマス・キニーリーのノンフィクション小説『シンドラーの箱船』が出版され、ブッカー賞を受賞。本作は、それをユダヤ系米国人のスピルバーグが映画化したものである。ホロコーストにまつわるドキュメンタリー映像を良く知る者にとっては、やや情緒的過ぎると感ずるかもしれないが、演出、美術、音楽、どれをとってもドラマとしては見事な作品になっている。
第二次大戦後のニューヨーク。作家志望の青年スティンゴが出会ったのは、アウシュヴィッツを生き延びたポーランド人女性ソフィー。彼女には誰にも語ることの出来ない過去があった。彼女とユダヤ人の恋人ネイサンの過酷な愛のドラマが、スティンゴによって語られる。メリル・ストリープが、反ユダヤ主義の環境の中でナチに人生を踏みにじられた女性を熱演。
第二次大戦下のドイツ。八歳の少年ブルーノは、ナチスの将校である父親の任務のため、住みなれたベルリンを離れ、田舎の屋敷に移り住むことに。友だちもなく、都会育ちのブルーノにとって、そこは退屈な場でしかなかった。ある日、林を抜けて有刺鉄線に囲まれたところに辿り着く。どうやら父親が行くことを禁じていた「農場」らしい。向こう側にいた縞模様の「パジャマ」を着た少年シュムエルと出会い、有刺鉄線を挟んで会話するのが二人の日課となり、友情が芽生えていくのだが…。
無邪気な少年の目を通したホロコーストの悲劇を描いたジョン・ボインの世界的ベストセラーの映画化。強制収容所を管理運営するナチス将校を父親に持つ少年が、収容所が何かを知らぬまま、偶然出会ったユダヤ人少年と鉄条網越しの友情を築いていく。感動的でもあり、衝撃的でもある、二面性を持った人間ドラマ。
カ1942年のポーランド。八歳の少年スルリックは、父親の「絶対に生きのびろ」という言葉を胸に、ただひとりでワルシャワ・ゲットー(ユダヤ人強制居住区)を脱出。ユダヤ人だと気づかれぬよう、ポーランド名ユレクを名乗り、森の中で出会った孤児の集団と行動をともにする。しかしドイツ軍に追われ、またひとりになった彼は、ついに飢えと寒さに力尽き、倒れてしまった。運良く、ひとり暮らしのヤンチック夫人に救われ、ひとりでも生きのびられるよう、ポーランド孤児としての架空の身の上話とキリスト教の作法を教え込まれるものの、そこにもゲシュタポが現われる。再び強いられる過酷な放浪…。
ゲットーからたったひとりで脱出した八歳の少年が、ナチスの執拗なユダヤ人狩りから懸命に逃げ延びる壮絶なサバイバル行。ウーリー・オルレブの、実話をもとにした児童文学『走れ、走って逃げろ』の映画化である。
1976年のニューヨーク。ユダヤ系のハンナは戦後、ドイツから渡ってきた。今は夫と娘とごく普通の日常生活を過ごしている。ある日、死んだとばかり思っていた昔の恋人の声がテレビから流れてきたので驚いてしまう。それは戦争終結の前年のこと。政治犯のトマシュとアウシュヴィッツで出会い、二人は恋に落ちた。彼はレジスタンス活動に加わっており、収容所内を秘密裏に撮影したフィルムを持って脱走するという危険な任務が待っていた。準備が進む中、彼は周囲の反対にもかかわらず、ハンナも一緒に連れ出そうとするが…。30年後に運命の再会を果たす二人。奇跡の実話にもとづいたドラマである。
ナチス親衛隊中佐で、ユダヤ人移送の専門家(スペシャリスト)と呼ばれた男、アドルフ・アイヒマン。イスラエルの秘密警察(モサド)により、潜伏先のアルゼンチンで捕らえられ、1961年、全世界が注目する中で裁判にかけられる。20世紀最大の犯罪のひとつ、ユダヤ人絶滅作戦の共犯者として、彼は絞首刑に処せられた。エルサレムでの裁判の記録映像をもとにしたドキュメンタリー作品。
ユダヤ人哲学者のハンナ・アーレント。ホロコーストを生き延びた彼女は、エルサレムでナチスの重要戦犯であるアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴する。アイヒマンは、何百万人ものユダヤ人を収容所に移送する指揮を執った人物だが、アーレントは彼を、思考停止した凡庸な小役人、巨悪を構成する小さな歯車でしかなかったに過ぎず、さらにユダヤ人自治組織の指導者がアイヒマンに協力していたことにも言及した。それが『イェルサレムのアイヒマン』である。そのことにより、ユダヤ人社会からの激しいバッシングを浴びるのだが、彼女は思考停止を免罪し、「上の命令に従うこと」を正当化しているのではない。小心者の小さな罪が大きな悲劇をもたらすことの危険性、それを私たちの誰もが内包していることに警鐘を鳴らしているのである。アーレントの孤高の戦いを通して、波乱の人生と信念に迫る。さすがはトロッタ監督、そして主演のバルバラ・スコヴァだ。
米国エモリー大学で教鞭をとる歴史学者のデボラ・E・リップシュタットは、1996年、自著『ホロコーストの真実』の中で批判したホロコースト否定論者のデイヴィッド・アーヴィングから名誉毀損の訴えを起こされる。裁判で争うことを決めたものの、英国の法廷では、立証責任は訴えを起こされた側が負わなければならない。歴史を歪曲する荒唐無稽な主張とはいえ、それを打ち砕くのは決して容易なことではなかった。弁護団からも証言しないよう求められ、窮地に追い込まれてしまう。歴史的事実と表現の自由のせめぎ合い。そう思わせるところにこそ、否定論者のトリックの本質がある。虚偽を広めることは、表現の自由ではない。むしろ表現の自由を否定する行為である。リップシュタットの回顧録をもとにした実録法廷サスペンス。
少年はホロコーストを逃れ、一人暮らしの叔母を頼って田舎にやってきた。つかの間の安堵も、その叔母が急死。身寄りをなくした少年は、生きのびるために一人さまよう。しかし、行った先々で排除の憂き目に遭う。共同体にとって、少年は「異物」でしかなかった。目を背けたくなるような虐待…。
イェジ・コシンスキーによる同名小説の映画化。差別と暴力、少年の過酷な運命が、全編モノクロで描かれることによって冷たさを増している。
1972年9月5日未明、ミュンヘン五輪開催中、パレスチナの武装集団「黒い九月」がイスラエル選手村を襲撃し、人質11人すべてが犠牲になる悲劇が起きた。これを対し、イスラエル政府は犠牲者の数と同じ11人のパレスチナ幹部の暗殺を、諜報機関モサドに命ずる。リーダーのアヴナーは、文書偽造のハンス、車輌専門のスティーヴ、爆弾製造のロバート、事後処理を担当するカールとともに、5人の精鋭部隊は欧州各地に潜む標的を抹殺すべく、行動を開始する。
1972年のミュンヘン五輪大会で起きたパレスチナ・ゲリラによるイスラエル選手殺害事件と、その後のイスラエル暗殺部隊による報復の過程を、暗殺部隊の元メンバーの告白をもとに、スティーヴン・スピルバーグ監督がリアルかつ緊迫感のあるタッチで描く問題作。
ポル・ポト政権下の内乱渦巻く1970年代のカンボジア。アメリカ人ジャーナリストと現地人助手の友情を軸に、当時の混乱と悲劇をみごとに描いたドラマ。原作が、後にピューリッツァ賞を受賞したシドニー・シャンバーグのノンフィクションだけあって、前半の首都プノンペンの混乱ぶりは緊迫感あふれるもの。それ以上に圧倒的なのが、強制労働に4年間従事させられ、命からがら脱出、クメール・ルージュによる凄惨な戦禍の大地を彷徨する助手ディス・プランの冒険譚である。配役のハイン・S・ニョールは医師で、本職の俳優ではなかったが、その見事な演技により、アカデミー助演男優賞及びゴールデングローブ賞助演男優賞を受賞した。ストーリーや画面に登場する割合からも、本来の主役はニョールの方だと思うのだが、映画界のアジア人蔑視のせいだと感ずるのは私だけであろうか。
カンボジアの各地に「キリング・フィールド」と呼ばれる場所が残っている。そこは多数のカンボジア人が処刑・殺害された「記憶の場所」である。
1964年、黒人差別が根強いアメリカ南部のミシシッピー州で公民権運動家が行方を絶った。現地にやって来た二人のFBI捜査官は、人種差別の壁に阻まられながも、事件の解明に乗り出す。社会派のアラン・パーカーだけあって、実話をもとに、人種問題とサスペンスあふれる捜査劇を巧みに織り混ぜ、緊張感に満ちたドラマに仕立てている。
ドイツの植民地だったルワンダ。第一次大戦後はベルギーの委任統治下に。少数派のツチを中間に据え、多数派のフツを支配するという間接統治である。1962年に独立を果たすが、二つの民族間対立は、やがて内戦状態へ。94年、ようやく和平交渉がまとまるかに見えた矢先、フツ出身の大統領が暗殺される事件が起きる。ツチの仕業だとして、フツによるツチ襲撃が発生、3ヶ月で100万人が虐殺される事態に。ベルギー系の高級ホテル、ミル・コリンで働く支配人のポールは、暗闇に妻子や近所の人たちが身を潜めているのを目にする。彼はフツだが、妻はツチ。襲撃を避けるため、ミル・コリンに避難することにした。その後、命からがら逃げのびてきた人々が続々とホテルに集まってくる…。
無策の欧米諸国や国連。被害が拡大する中、危険を顧みず、1200人もの人々をホテルに収容。持ち前の機転と交渉力で人々の命を守り抜いた一人のホテルマンを描いた、実話にもとづくドラマ。
海外青年協力隊の英語教師としてルワンダにやってきた英国人青年。赴任先は英国のカトリック教会が運営する技術専門学校だった。多数派フツと少数派ツチの間の緊張が高まり、国連治安維持軍が監視に当たっている。学校にもベルギーの国連軍兵士が駐留していた。ある日、フツ出身の大統領が乗る飛行機が撃墜され、ツチの仕業と見なす多数派のフツがツチの虐殺を始める。生徒を保護するため、国連兵士が学校を囲み、何千人という難民の避難所となっていくのだが…。
現地でBBCの記者として取材していたデヴィッド・ベルトンが、かつてこの地域を支配したヨーロッパ人が、凄惨な虐殺を目撃しながら、くい止めるために行動を起こすことも出来ず、ただ傍観するだけだった自責と悔恨を基底に原案を書き、マイケル・ケイトン=ジョーンズが映画化した問題作。
1990年代、アルジェリアの山の中の小さな村にあるカトリックの修道院。修道士たちは厳しい戒律を守りながら、質素で穏やかな共同生活をおくっていた。イスラム教圏ではあるが、地元のイスラム教徒たちとも良好な関係を築き、医療を求める住民が日々訪れる。そうした中、激しさを増す対立、周囲でもイスラム過激派集団によるテロの犠牲者が出始めるのだった。修道院では、避難すべきか、村にとどまるべきか、意見が分かれ、修道院長にも結論が出せないでいる中、フランス政府からの帰国命令が来る。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエボで、12歳の娘と暮らしながら集団セラピーに通うシングルマザー。生活は苦しく、子どもがいることを隠してナイトクラブで深夜まで働く日々が続く。ある日、父が殉教者であることを誇りにしている娘が、その父の最期がどんなであったかをたずねる。しかし、話そうとしない母。第二次大戦後、ヨーロッパで最悪の紛争となったボスニア・ヘルツェゴヴィナの内戦の傷痕に苦しむ母娘の、その再生と希望の物語を描く衝撃と感動の人間ドラマ。