9j平和ミュージアムリンク集
津々浦々の150カ所余りの平和ミュージアムや戦跡のホームページへリンクを張っています。施設名をクリックしてみてください。リンク先は、公式ホームページがない場合、ニュース記事、個人ブログのことがありす。
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- 戦場体験史料館(電子版)
- 平和博物館を創る会
- 東京都復興記念館
- 第五福竜丸展示館
- 東京大空襲・戦災資料センター
- 東京藝術大学音楽学部資料室
- 杉原千畝 Senpo Museum 2022年9月閉館
- わだつみのこえ記念館
- 2・8独立宣言記念資料室
- しょうけい館
- 昭和館
- 靖国神社 遊就館
- 在日韓人歴史資料館
- 平和祈念展示資料館
- 高麗博物館
- 文化センター・アリラン
- 女たちの戦争と平和資料館 wam
- 中野区平和資料展示室
- せたがや未来の平和館
- 医学情報史料館 彰古館
- 陸軍板橋火薬製造所跡 2025.1掲載
- 国立ハンセン病資料館
- 旧日立航空機株式会社変電所 2024.12詳細追加
- PTSDの日本兵と家族の交流館
- 八王子 平和・原爆資料館
- 浅川地下壕
- 法と正義の資料館 2025.5掲載
- 自由民権資料館
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- 北九州市平和のまちミュージアム
- 北九州平和資料室 TICO PLACE
- 兵士・庶民の戦争資料館
- 少国民資料館
- 碓井平和祈念館
- 大刀洗平和記念館
- 宇佐市平和資料館
- 予科練資料館 2024年8月閉館
- 長崎原爆資料館
- 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
- 長崎人権平和資料館 2024年4月再開
- 聖コルベ記念館
- 海上自衛隊佐世保史料館
- 平和祈念館 天望庵
- 浦頭引揚記念資料館
- 無窮洞 2025.5掲載
- 水上特攻艇「震洋」展示館・特攻殉国の碑 2025.5掲載
- 片島魚雷発射試験場跡 2025.5掲載
- 末永敏事平和記念館 2025.5掲載
- 恵楓園歴史資料館
- 水俣病歴史考証館
- 水俣市立水俣病資料館
- ひみつ基地ミュージアム
- 万世特攻平和祈念館
- 知覧特攻平和会館
- 鹿屋航空基地資料館
笹の墓標展示館
北海道幌加内町
笹の墓標再生実行委員会・1991年
1935年の名雨線鉄道工事、同年に始まり、8年間続いた雨竜ダム工事に過酷な作業を強いられたタコ労働者や朝鮮人、中国人労働者を始めとし、各地の強制労働史料と遺骨発掘のあゆみを保存・展示
北鎮記念館(ほくちん)
旭川市春光町陸上自衛隊旭川駐屯地隣
陸上自衛隊広報
″北辺の脅威に対する″「北の鎮め」という館名
屯田兵や旧陸軍第七師団の資料を展示。陸上自衛隊第二師団の紹介を行っている陸上自衛隊の広報施設である。
北海道ノーモア・ヒバクシャ会館
札幌市白石区
一般社団法人北海道被爆者協会
公式Twitterアカウント
原爆に関する民間の常設ミュージアム
被爆者協会の事務所(1F)、原爆資料展示室(2F)、研修室(3F)
札幌市平和バーチャル資料館
ホームページのみ
2012年開設
●1931年の満州事変以降、日中戦争、太平洋戦争終結までの人々の暮らしや戦争に関する資料:人々の暮らし、子どもの世界、出征、戦場・軍隊生活
●さっぽろの戦跡・戦争前後のあゆみ
平取町立二風谷アイヌ文化博物館
北海道沙流郡平取(びらとり)町
平取町立・1992年開館
展示内容:衣服、食器、生業用具、運搬用具、信仰用具
”重要有形民俗文化財の指定を受けた1,121点の内、919点は平取町立二風谷アイヌ文化博物館が、202点は萱野茂二風谷アイヌ資料館が所蔵しています。町立博物館では、「アイヌ -人々のくらし」、「カムイ - 神々のロマン」、「モシリ - 大地のめぐみ」、「モレウ - 大造形の伝承」の4つのゾーンにおいて、指定資料が分類ごとに展示されています。”
長万部平和祈念館(おしゃまんべ)
北海道長万部町
医師の個人美術館を長万部町に寄贈・1983年
●高床校倉風の建物に、反戦の思いを込めた作品や心に平穏を与える美術品を展示
●前庭は彫刻の庭で、北海道出身の世界的彫刻家・本郷新氏の作品「嵐の中の母子像」「わだつみのこえ」ほか3点が展示
青森歩兵第五聯隊本部庁舎
青森市陸上自衛隊青森駐屯地内
陸上自衛隊防衛館(広報館)・1875年の遺構(1968年に復元・移築)
青森空襲を記録する会より引用
●青森歩兵第五聯隊は、明治4年弘前町に置かれた東北鎮台第二十番大隊を母体とする。
●日清日露の戦いに参加、明治35年には雪中行軍隊が八甲田山中で遭難する悲劇も生んだ。
●太平洋戦争にあっては、関東軍指揮下にあり、昭和19年8月4日第14方面軍指揮下に転属、フィリピン・ルソン島に渡った。
●戦後は、占領軍宿舎、県立青森高校教員宿舎として使用されていたが、数度にわたる火災のため、本棟だけが残った。当初13スパンあった兵舎を7スパンに切り詰めて、昭和43年11月現在地に復元・移築、陸上自衛隊広報資料館として利用されている。
土崎みなと歴史伝承館
秋田市
秋田市土崎みなと街づくり協議会・2018年
展示内容:土崎神明社祭の曳山行事(ユネスコ無形文化遺産に登録)、土崎空襲、北前船
『土崎港被爆市民会議』は日本最後の空襲「土崎空襲」を、被爆者の体験談を中心とした語り継ぎや講話会、「戦争と空襲展」などで後世に継承するために活動しているグループ。日本最後の空襲「土崎空襲」とは1945年(昭和20年)8月14日夜から翌日の8月15日未明にかけて約4時間にわたり行われた空襲のことです。
太平洋戦史館
岩手県奥州市
NPO太平洋戦史館設立・1995年
『戦史館会員による戦跡調査や未帰還兵捜索、厚労省から委託された未送還遺骨情報収集事業を通じて、1999年以降、インドネシアから1568柱の戦没者遺骨が帰還しました。』(同館ホームページ「主な活動」より)
展示内容:戦没者の遺留品(水筒、飯ごう、万年筆、認識票、軍服、銃弾) 絵画
リアス・アーク美術館
宮城県気仙沼市
気仙沼市立・1994年に地域文化創造のための博物館として開館
2013年より「東日本大震災をいかに表現するか、地域の未来の為にどう活かしていくか」というテーマの常設展示を開始
● 東日本大震災の記録と津波の災害史(1F常設展示)
2011年3月11日から約2年間に亘る独自調査記録資料(被災現場写真203点・被災物155点)、その他歴史資料等137点、資料総数約500点
● アークギャラリー(2F歴史・民俗資料/美術作品常設展)
おれたちの伝承館
福島県南相馬市
2023年
HPより引用
引用 ”「おれたちの伝承館」は、福島原発事故がもたらした現世の問いを、アートをはじめ様々な表現手段で「伝承」し、この事故を我が事と心痛める日本各地の人々と、この一二年、この地で生きることを選んだ大地の人々との「協働」に智慧と体を使い、そこから生まれる大きな「共感」をあまねく次の世代に橋渡しすることを目指します。人種、国籍、居住地、老若男女を問わず、ここに来ればみな表現者、そして伝承者。”
伝言館
福島県楢葉町
2021年・私設
HPより引用
”伝言館館長の早川篤雄・宝鏡寺第 30 世住職と副館長の安斎育郎・立命館大学名誉教授は、半世紀近く原発批判の活動で共同してきました。2018年9月、安斎が「原発悔恨・伝言の碑」の碑文を起草し、早川住職ともども、原発事故から10年目の2021年3月11日、宝鏡寺境内に連名で記念碑を建立することとしました。”
境内で学ぶ原発事故の教訓 住職が私費で「伝言館」開設(朝日新聞記事 2021.3.18)
「原発大事故、つぎも日本」ある住職の悔恨の念を伝える小さな施設 核被害の悲惨さを福島から発信し続ける意味とは(47NEWS 2023.9.29)
アウシュヴィッツ平和博物館
福島県白河市
2003年
アンネ・フランク関連の写真・資料のほか、世界遺産アウシュヴィッツから借り受けた犠牲者の遺品・資料や記録写真などを展示
【映画紹介】
このリンク先の一覧の『SHOAH ショア』から『異端の鳥』までの15ほどの作品はすべてホロコースを描いています。
さらに、
『アンネの日記』4作品
『さよなら子供たち』
『アウシュビッツの女囚』
『ローゼンシュトラッセ』
『ライフ・イズ・ビューティフル』
『黄色い星の子供たち』
『コルベ神父の生涯 - アウシュビッツ 愛の奇跡 - 』
重監房資料館
群馬県吾妻郡草津町
厚生労働省設置・2014年開館
重監房とは国立療養所栗生楽泉園の敷地内にかつてあった、ハンセン病患者を対象とした懲罰用の建物で正式名称を「特別病室」といった。
展示内容: ハンセン病と患者の隔離政策についての解説、重監房における収監者の証言の映像やパネルによる展示、発掘調査による出土品、リアルに造られた実寸大の監房の再現展示
邑楽町平和展(毎年8月)
群馬県邑楽町
邑楽町職員労働組合・1996年より毎年
”昨年の第22回邑楽町平和展では、沖縄戦についてのパネルの展示や戦時中の食事の再現、子ども向けのアニメーション映画の上映などを行いました。また、町内の読み聞かせボランティアグループも参加し、子どもたちに戦争の悲惨さを訴える本の読み聞かせも行いました。当日は、多くの住民のかたに来場していただき、さまざまな感想を寄せていただきました。そして、以前から行っている平和への願いを込めた風船飛ばしにも、多くの反響がありました。” 上記リンク先より引用
田中正造記念館
群馬県館林市
NPO法人 足尾鉱毒事件田中正造記念館・2006年開設
”この法人は、地域の貴重な歴史遺産である足尾鉱毒事件について調査し、その真実を後世に伝える普及事業を行うとともに、公害の原点といわれる足尾鉱毒事件と田中正造について学び、公害・環境問題にこれを活かし寄与することを目的とする。” 上記リンク先より引用
桶川飛行学校平和祈念館
埼玉県桶川市
桶川市・2020年
”熊谷陸軍飛行学校桶川分教場は、1935年(昭和10年)に現在の熊谷市に開校した熊谷陸軍飛行学校の分校として1937年に設置されました。各地から集まった生徒はここで寝食をともにしながら、陸軍航空兵になるための飛行機の操縦教育を受け、その後戦地へ向かいました。”
2016年には、守衛棟、車庫棟、兵舎棟、便所棟、弾薬庫の5棟が市の文化財に指定された。
埼玉県平和資料館
埼玉ピースミュージアム(埼玉県立)
埼玉県東松山市
戦争への道(不況と満蒙開拓、2・26事件と郷土兵、戦時体制とくらし)
太平洋戦争(埼玉と軍事施設、子どもたちと戦争、埼玉県民と戦場、埼玉の空襲)
中帰連平和記念館(図書室)
埼玉県川越市
中国帰還者連絡会・2006年開設
HPより引用
引用 ”敗戦後、約60万人の日本兵が捕虜としてシベリアに抑留され、強制労働を課せられ寒さと飢えで約6万人が犠牲になりました。そのシベリア抑留者の中の969人が、5年後の1950年7月に、国境の綏芬河で今度は「戦犯」としてソ連から中国に引き渡され、その収容先が「撫順戦犯管理所」でした。一部「太原戦犯管理所」に収容され140人の戦犯はシベリアではなく、1945年8月15日以降も閻錫山らと八路軍と戦った元兵士です。”
川崎市平和館
神奈川県川崎市中原区
川崎市
「平和」をより現実的で具体的なかたちとして捉え、「平和」と「戦争」をいろいろな方法で示しながら、市民・見学者の理解を深めることを役割とする。
常設展示:拉致被害者家族支援「横田めぐみさん」コーナー、明治維新から終戦・日本国憲法の制定までを説明、マスメディアと武力紛争との関わり、環境破壊、貧困、差別について、タッチパネルを使い具体的な事例を使って説明
明治大学平和教育登戸研究所資料館
神奈川県川崎市多摩区
明治大学・2010年開館
「登戸研究所は、戦前に旧日本陸軍によって開設された研究所です。秘密戦兵器・資材を研究・開発していました(詳しい研究・開発内容は各展示室のご案内をご覧ください)。正式名称は第九陸軍技術研究所ですが、研究・開発内容を決して他に知られてはいけなかったために、「登戸研究所」と秘匿名でよばれていました。」
「登戸研究所は、アジア太平洋戦争において秘密戦の中核を担っており、軍から重要視された研究所でありましたが、終戦とともに閉鎖されました。その後、1950年代に登戸研究所跡地の一部を明治大学が購入し、現在の明治大学生田キャンパスが開設されました。 」
【映画紹介】『登戸研究所』
あーすぷらざ
神奈川県立地球市民かながわプラザ 国際平和展示室
横浜市栄区小菅ケ谷
神奈川県立・1998年
主に国際交流を目的として「あーすぷらざ」が1998年に開館し、国際平和展示室はその5階に位置する。子供向けの「国際理解展示室」、「こどもファンタジー展示室」がある。
"特別展「生と死の間で ホロコーストとユダヤ人救済の物語」2021年6月26日(土)〜8月29日(日) WEB予約制
第二次世界大戦中、ナチス・ドイツによる迫害で多くのユダヤ人が犠牲になりました。この迫害の中で、自らの命を危険に晒しながらもユダヤ人に手を差し伸べた人々がいました。外交官、農民、芸術家など、様々な社会階級の人々です。そのおかげで生き残ることができたユダヤ人もいます。本展示では12か国のヨーロッパの国々におけるユダヤ人救済の物語を紹介します。
創価学会戸田平和記念館
横浜市中区山下町
神奈川創価学会・1979年開設
戸田平和記念館はもと英国貿易商の横浜支店で「イギリス七番館」と呼ばれていた建物を利用。これまで、戦争体験者の証言による戦争展(1979年)、沖縄戦の絵展(1982年)、「アンネ・フランクとホロコースト」展(2000年)など企画展示が開催されてきた。
日吉台地下壕
神奈川県横浜市港北区
日吉台地下壕保存の会・1989年
HPより引用
日吉に来た海軍
初めて日吉に海軍が来たのは軍令部第三部で、1944年3月、慶應義塾大学日吉キャンパス第一校舎に入り、敵国情報を収集分析していた。
同年7月にサイパン島が陥落すると、日吉台国民学校も学童疎開を余儀なくされ、学校は子どもたちが出て行った後に海軍省人事局功績調査部が入り兵舎にかわった。
次いでそれまで慶應の学生が使っていた寄宿舎が連合艦隊司令部として使われ、その地下に作戦室や司令長官室などを含む連合艦隊司令部地下壕が作られ、続いて海軍省人事局・航空本部の地下壕が構築されていった。
1945年の1月になると艦政本部地下壕が掘られ、日吉の街は海軍の軍人や軍の施設を作る作業員がきて、さながら軍都の様相を呈していった。日吉の街は三度にわたる空襲の被害を受けた。
平塚市博物館
(昭和のくらしコーナー)
神奈川県平塚市
平塚市・1989年
博物館の「平塚の空襲と戦災を記録する会」では、1989年から昭和期の平塚について、特に戦時下の平塚と平塚大空襲に的を絞って調査を続けてきました。その結果、当時の平塚は第二海軍火薬廠などの大規模な軍需工場をはじめ、中小の軍需工場が多く存在した、県下でも有数の軍需工業都市であったことがわかりました。
平塚市は、昭和20年(1945)7月16日から17日の未明にかけ、米軍のB29爆撃機132 機による大規模攻撃を受けます。このとき、B29から投下された焼夷弾は41万本を超えました
ここでは戦時下の平塚と平塚空襲の実像を、市域に残る戦中・戦後の資料から紹介して、平和の尊さや平塚の近現代史を明らかにしています。
戦場体験史料館 (電子版)
東京都
戦場体験放映保存の会
2009年設立/電子版公開2012年
アジア太平洋戦争、戦場からの帰還兵は310万人。「語ってから死のう」を合言葉に応じた2500余名の兵士・軍属・民間人の戦場体験を永久保存版として録画、手記、絵画に記録し、2012年開設の電子版では約100名の体験記録で始め、その後、追加している。
電子版への収録の他に、巡回展示や戦場体験を聞く茶話会を開催している。
東京都復興記念館
東京都墨田区
公益財団法人 東京都慰霊協会
関東大震災の被害、救援、復興を表す遺品や被災物、絵画、写真、図表の展示
第二次世界大戦の空襲により東京都下で亡くなった方々の遺骨を震災記念堂に合祀
記念館では東京空襲の被害・復興に向けた取り組みを伝える写真、図表などの展示
東京大空襲・戦災資料センター
東京都江東区
公益財団法人政治経済研究所の付属博物館・2002年
東京大空襲をはじめとする空襲や戦争による一般民間人の被害の実相を明らかにし、それを伝承
【映画紹介】
『火垂るの墓』
『うしろの正面だあれ』
『凧になったお母さん』
『ぼくの防空壕』
『焼跡の、お菓子の木』
『ふたつの胡桃』
杉原千畝 Senpo Museum
2022年9月30日閉館
東京都中央区八重洲
NPO杉原千畝命のビザ・2019年
杉原千畝略年譜、杉原リストなどの資料、杉原千畝の手記、命のビザが発給されたパスポート、ヤド・バシェム、イスラエル、ポーランドから贈られたメダルや勲章を展示している。
わだつみのこえ記念館
東京都文京区本郷
特定非営利活動法人 わだつみ記念館基金・1998年
アジア・太平洋戦争における日本の戦没学生を中心にあらゆる戦争犠牲者にかんする資料(遺稿・遺品などの原資料、活字・映像資料他)を収集・展示
2・8独立宣言記念資料室
東京都千代田区猿楽町
在日本韓国YMCA内・2008年開設
「2.8独立宣言」とは、第一次世界大戦後の世界秩序再編の動きに合わせ、東京の在日本韓国YMCAから朝鮮人留学生たちによって1919年2月8日に「朝鮮青年独立団」の名で発表された独立宣言文。朝鮮3・1独立運動の導火線となったことで知られる。
常設パネル展示: 2.8独立宣言の歴史
しょうけい館 戦傷病者資料館
東京都千代田区九段南
厚生労働者より受託 (財)日本傷痍軍人会・2006年
体験者が語る映像やメッセージ、作品により戦傷病者とその家族のさまざまな労苦を伝える。(戦傷病者と援護のあゆみ)
体験者の証言を基に戦場で負傷したある兵士の足跡を辿る形で戦傷病者とその家族の労苦を伝える。(戦場での受傷病と治療、野戦病院ジオラマ、内地への搬送、療養と社会復帰)
【ドキュメンタリーDVD紹介】
『しょうけい館 戦傷病者資料館』12分
昭和館
東京都千代田区九段南
厚生労働省 社会・援護局(日本遺族会が運営委託)・1999年
国民が経験した戦中、戦後の国民生活上の労苦を後世代の人々に伝えていくことを目的としている。(昭和10年頃から昭和30年頃まで)
在日韓人歴史資料館
東京都港区南麻布
2005年
HPより引用
「常設展示では1世が日本へ渡航した事情、関東大震災時の受難、強制連行と皇国臣民化教育の強要などの植民地期の歴史をはじめ、解放後の帰国と残留、民族教育のはじまり、差別撤廃と人権擁護運動、各界で活躍する人々など、植民地期から現在に至る在日の歴史と文化を紹介しています。」
平和祈念展示資料館
東京都新宿区新宿住友ビル
総務省委託・2000年開館
太平洋戦争における、兵士、戦後強制抑留者、海外からの引揚者の労苦に関する様々な実物資料、グラフィック、映像、ジオラマを展示
【映画紹介】
『葫蘆島大遣返 ~ 日本人難民105万引揚げの記録 ~』
高麗博物館
東京都新宿区大久保
認定NPO法人・2001年開館
市民がつくる日本とコリア交流の歴史博物館」。
高麗博物館ができたきっかけは、一在日コリアンの新聞投稿でした。この投稿によって多くの良心的な 日本人と在日コリアンの市民が賛同して「つくる会」ができ、活動が始まりました。現在、全国に約700人の会員が毎年、会費や寄付を下さり、その費用を中心に運営しています。
2020年の企画展示は「ハンセン病と朝鮮人 ─差別を生きぬいて─」
女たちの戦争と平和資料館
アクティブミュージアム 女たちの戦争と平和資料館
東京都新宿区西早稲田
NPO法人 女たちの戦争と平和人権基金・2005年開館
戦時性暴力、「慰安婦」問題の被害と加害を伝える日本初の資料館。日本の慰安婦問題の責任を追及するための民間抗議活動(女性国際戦犯法廷)を行った一人である元朝日新聞記者の松井やよりの遺志を継承するため、NPO法人「女たちの戦争と平和人権基金」が設立主体となり開館した。
常設展示として「女性国際戦犯法廷」の概要を説明するパネル、アジア各国の「慰安婦」被害に関する企画展、日本軍兵士の証言、今も世界で続く戦時性暴力に関するパネル等を展示している。
中野区平和資料展示室
東京都中野区新井 キリンスポーツセンター内
中野区立・1989年開設
次の5つのテーマに沿ってパネルと収蔵品を展示しています。
1.中野の空襲
2.人々の暮らし
3.中野の学童疎開
4.広島・長崎への原爆投下
5.中野区の平和への取組
せたがや未来の平和館
東京都世田谷区 世田谷公園内
世田谷区立・1995年開設
正式名称は『世田谷平和資料館』。「常設展示室では、世田谷区の平和への取り組みの紹介や、学童疎開をはじめとした太平洋戦争時の区民の生活について知ることのできる資料の展示、広島・長崎・沖縄といった太平洋戦争に関連して注目される地域についての資料の展示などを行っています。」
所蔵品
1.人々の生活を支えた代用品
2.戦時中の食事
3.戦争と教育
陸軍板橋火薬製造所跡
東京都板橋区
区の史跡記念物に登録・2018年
HPより引用
”史跡の範囲は、旧野口研究所跡・旧理化学研究所板橋分所跡・区立加賀公園が対象となる。当地は、明治4年(1871)に兵部省が板橋金沢県邸(旧加賀藩江戸下屋敷平尾邸)の一部を火薬製造の用地に求め、同9年に発足した官営工場としては日本最古の部類に属する板橋火薬製造所内にあたる。同36年には同所に陸軍火薬研究所も設置された。終戦後、跡地には学校や工場、研究所等が入所した。当地には、板橋火薬製造所時代の煉瓦造建築物の物理試験室やRC造建築物の燃焼実験室、弾薬の性能を実射し検査した弾道管、露天式発射場を形成した土塁や的となった射垜(しゃだ)などの建築物や遺構が現存しており、区は産業都市板橋の原点として位置付けている。”
国立ハンセン病資料館
東京都東村山市
厚生労働省設置・1993年
ハンセン病についての医学的知識、治療の歴史、患者・元患者に対する偏見・差別の歴史、その苦難の体験についての情報を社会に示し、ハンセン病への理解を促進する。
【映画紹介】 『あん』
旧日立航空機株式会社変電所
東京都東大和市
東大和市立・2021年
「太平洋戦争末期になると、軍需工場が集中していた多摩地域は、数多くの空襲を受けることとなります。この工場でも昭和20(1945)年の2月17日、4月19日、4月24日に受けた3回の攻撃で、工場の従業員や動員された学生、周辺の住民など100人を超える方が亡くなりました。4月24日の空襲では、工場は8割方壊滅したといわれています。
変電所も窓枠や扉などは爆風で吹き飛び、壁面には機銃掃射や爆弾の破片による無数のクレーター状の穴ができました。しかし鉄筋コンクリート製の建物本体は、致命的な損傷をうけなかったのです。」
陸軍航空機のエンジン製造工場として、現在の東京都東大和市に設置。航空機メーカーの立川飛行機(現・立飛ホールディングス)に納品していた。戦時下の増産のため、1944年4月以降、約2000人の学徒が勤労動員され、ピーク時の従業員は約1万4000人。1945年2月17日の初空襲では、約7分間の攻撃で78名が死亡。4月19日、24日の空襲を含め計111名の死者を出した。1993年まで使われた変電所の建物は市文化財に指定され、毎週水曜と日曜に公開されている。[信濃毎日新聞 2024年11月4日]
上記の記事で、この配電所に学徒動員で配属され、2月17日の空襲により16歳で亡くなった那須野寿さんの弟さんが取材を受けています。
PTSDの日本兵と家族の交流館
村山お茶飲み処
東京都武蔵村山市
個人設立・2020年
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」が運営する。
‟「PTSDの日本兵と家族の交流館」憲法第9条を体現する白旗を掲げています!”
"私たちはいかなる戦争にも反対します。私たちは銃を取りません。直ちに白旗を掲げます! 侵略には話し合い解決を求めます! 日本が二度と戦争を起こさない! 誰もが安心して暮らせる社会をめざします!”
‟中国、朝鮮半島、アジア、世界に平和と友好の虹の橋を渡します!”
八王子 平和・原爆資料館
東京で触れるヒロシマ・ナガサキ
東京都八王子市
八王子の原爆被爆者の会(八六九会)会員など市民有志設立・1997年
所蔵品:
血まみれの学生服(広島で被爆し、亡くなった当時14歳の豊嶋長生(とよしまたけお)くんの血まみれの学生服)
原爆瓦(長崎市平野町(当時 山里町117番地)にあった高谷家の母屋の瓦です。1945年8月9日の原爆で被爆しました。瓦の表面が原爆の熱線で泡立つように溶けています。お湯が沸く温度は100℃です。そして、瓦の溶ける温度はおよそ1,500℃前後とされています。あの日、人間もこの瓦と同じ温度の熱線を浴びたのです。
溶けた皿(原爆の高熱で重なったままくっついています。広島)
法と正義の資料館
東京都八王子市
中央大学・2024年
中央大学は、2024年4月1日、多摩キャンパス(東京都八王子市)「炎の塔」2階に2つの資料館(法と正義の資料館・大学史資料館)を開設しました。
「法と正義の資料館」では、法と正義、人権尊重の重要性を後世に伝えることを目的とし、法と正義の実現のために奮闘した人物や理念などを紹介します。
出征兵士の足どり(デジタル・アーカイブ)
インターネット上
東京大学大学院・2022年
”地域において、空襲などの象徴的な戦争体験以外の「地域の戦争の記憶」はどのように継承できるだろうか。”をテーマとしてプロジェクトが始動された。手始めに「出征兵士に関する記憶」を収集している。
最初のフィールドとして新潟県長岡市を選び、長岡戦災史料館の協力を仰いだ。
山梨平和ミュージアム 石橋湛山記念館
山梨県甲府市
NPO法人山梨平和ミュージアム・2007年
● 甲府空襲、甲府連隊など15年戦争に関わる資料を収集・保存・展示して、戦争の事実と実相を次世代に伝えていく。
● 平和・民権・自由主義を貫いた石橋湛山の生涯と思想を紹介する。
松代大本営地下壕
長野市松代町
長野市・1990年
松代大本営はアジア・太平洋戦争末期、現・長野市松代町の三つの山(象山・舞鶴山・皆神山)を中心に、善光寺平一帯に分散して作られた地下壕などの地下軍事施設群である。敗色濃厚だった当時、軍部は本土決戦を行うことにより連合国側に「最後の打撃」を与え、「国体護持(天皇を頂点とする国家体制の維持)」などのよりよい和平条件を得ようと考えていた。この決戦の指揮中枢を守るためのシェルターとして松代大本営の地下壕が計画された。この工事には、7000人以上といわれる朝鮮人労働者が動員され、過酷な労働を強いられた。しかし、その犠牲者などについてはほとんど明らかにされていない。
象山坑道が一般公開されている。
安茂里大本営海軍部壕
長野市安茂里(あもり)
昭和の安茂里を語り継ぐ会・2021年開設
”松代から北西に10キロほど離れた長野市安茂里小市地区。この山の中腹にも地下壕が掘られました。急斜面にぽっかり空いた穴。「大本営海軍部壕」です。”
”1945(昭和20)年の7月初め頃に着工し、100メートルほど掘った所で終戦を迎えました。幅3メートル、高さ2.5メートルほどで、入口から20メートルほどの所で崩れていますが、さらに奥に続いています。”
”安茂里村長の日記より:「(昭和20年)7月26日、横須賀海軍工廠造兵部の薗田部隊勤務の墨谷助市大尉が訪れ、分教場を宿舎として借りたいと申しこんできた。」”
駒ヶ根市登戸研究所平和資料館
長野県駒ケ根市
駒ケ根市・2024年開設
駒ヶ根市民俗資料館の一室に常設展となる『駒ヶ根市登戸研究所平和資料館』が設けられています。
太平洋戦争末期、上伊那地域に疎開してきた旧陸軍の秘密機関「登戸研究所」。
この資料館では「登戸研究所」の調査・研究をパネル掲示する他、収集した文書や冊子、研究器具を展示しています。
飯田市平和祈念館
長野県飯田市
飯田市・2022年開設
当地域の満蒙開拓の歴史を始めとした内外の「戦争の惨禍」【児童が先生に贈った千人針】【陶製の日用品】金属の代用品として陶製の生活用具が登場します。アイロン・湯たんぽ・栓抜き・ボタンなど様々な生活用具が陶器で作られました。
731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」
信濃毎日新聞デジタル 2022/8/17
戦時下の歴史継承へ、展示ガイド始まる 飯田市平和祈念館 案内人の元教諭ら「聞いた体験、伝えたい」
信濃毎日新聞デジタル 2023/4/30
満蒙開拓平和記念館
長野県阿智村
満蒙開拓に特化した唯一の博物館。開拓団の被害だけでなく、加害性をも扱っている。
【映画紹介】
『山本慈昭 望郷の鐘 満豪開拓団の落日』
『蒼い記憶 満蒙開拓と少年たち』
『葫蘆島大遣返 ~ 日本人難民105万引揚げの記録 ~』
『キクちゃんとオオカミ』
静岡平和資料センター
静岡市
静岡平和資料館をつくる会(静岡市補助)・1993年
2020:「静岡の戦争と空襲6」展
企画コーナー展示は「ものが伝える子どもの暮らしの中の戦争」期間限定
B29は多摩の中島飛行機武蔵製作所や名古屋方面への爆撃の往路帰路に静岡・清水地区に計26回爆弾投下を行った。司令官がルメイに後退したのち、作戦は街を焼き尽くす夜間焼夷空襲に転換。3/10の東京大空襲に続き7大都市を焼いた後、B29部隊は沖縄戦へ。
焼津市歴史民俗資料館
静岡県焼津市
焼津市・1985年
第五福竜丸コーナー
第五福竜丸の無線長だった故久保山愛吉氏の家族への手紙、当時の写真や行政文書、新聞記事などを展示している。また、2011年の常設展示室リニューアルに合わせ、漁業コーナーに第五福竜丸の船体模型を新たに設置している。
【映画紹介】 『第五福竜丸』
東白川村 平和祈念館
岐阜県東白川村
東白川村・1995年開設
村民が経験した戦争の記録を展示(西南戦争から太平洋戦争までの間に村から従軍した人や開拓団として満州に渡った人の品々を展示:軍服、銃弾、砲弾、軍刀、鉄兜、飛行帽のみならず、軍票、戦時中の教科書、戦地からの手紙、召集令状、日記
杉原千畝記念館(すぎはらちうね)
岐阜県八百津町人道の丘公園内
八百津町 岐阜県・2000年
ナチスドイツから逃亡してきたユダヤ人を救出するためにビザ発行を行った当時のカウナス領事館における杉原千畝による仕事を再現した様子などを展示
ピースあいち
名古屋市名東区
NPO平和のための戦争メモリアルセンター設立運営・2007年開設
展示 ● 愛知県下の空襲 ● 戦争の全体像
● 写真(中国の人たちの死、戦場での兵士の死、東京大空襲の死、沖縄の死、原爆の死)
● 戦時下のくらし ● 現代の戦争と平和
舞鶴市立赤れんが博物館
京都府舞鶴市赤れんがパーク内
2012年
赤れんが博物館の建物は明治36年(1903年)に旧舞鶴海軍の魚雷倉庫として建設された。
展示:世界と日本のれんがの歴史、舞鶴の赤れんがの建物、海軍関係の諸施設を中心に要塞や鉄道施設の紹介、原爆ドームやアウシュビッツ強制収容所で使用されたれんが
舞鶴引揚記念館
京都府舞鶴市
1988年
昭和20年(1945年)10月7日、引き揚げ第一船「雲仙丸」の入港以来13年間にわたり66万人の引揚者・復員兵が上陸。舞鶴は全国18港の引き揚げ港のひとつで、最大の引揚者数。シベリアの地で使用した防寒着、「引揚證明書」などの文書類等、1万6千点の寄贈資料のうち、約1000点を常設展示している。
舞鶴海軍記念館
京都府舞鶴市
海上自衛隊舞鶴地方隊・1964年
海軍記念館は隊員の教育に資することを目的として、舞鶴地方総監部大講堂(旧海軍機関学校大講堂 昭和8年完成)の一部に設立され、記念品、資料等200余点が展示されている。見学可能日あり。
丹波マンガン記念館
京都市右京区
1989年開館
約3000人の朝鮮人が強制連行や募集連行によりマンガン鉱山で働いた記録。300mの坑道に徒歩で入坑できる。地質(断層、褶曲、放散虫)を学ぶ自然博物館であり、マンガンが産業にどのように利用されたかを学ぶ産業博物館でもあり、強制連行、植民地・戦争の加害の歴史により、マンガン鉱山で従事した朝鮮人や被差別部落の住民が過酷な採掘によってじん肺なった記録を遺す歴史博物館である。
立命館大学国際平和ミュージアム
京都市北区・1992年開館
● 1931年の満州事変から1945年の敗戦までに続いた15年間にわたる戦争(一五年戦争)を中心に振り返る。(15年の間に何が起こったのか。誰が兵士になり、軍隊では何がなされ、また国民はどのような生活をしていたのか。日本国民の被害と加害の両面から。)
● 20世紀に人類が経験した世界を巻き込んだ世界大戦から現代の地域紛争まで、今なお続く争いを展示
● 「無言館」/京都館「いのちの画室(アトリエ)」芸術家としての夢を戦争によって断たれた青年たちの生きた証
● 児童文学者『おこりじぞう』で知られる山口勇子さんと『ガラスのうさぎ』の作者・高木敏子さんの紹介コーナー
柳原銀行記念資料館 (やなぎはら)
京都市
京都市立・1997年開館
柳原銀行は1899年柳原町(現崇仁地区=すうじんちく) に設立され、それは同和地区内に設立された唯一の銀行であった。明治後期の洋風木造建築物であることから、1994年に京都市登録有形文化財に指定された。内部には同和地区関係の歴史、文化、生活資料を展示し、同和問題への理解と人権意識の啓発拠点とした。
ウトロ平和祈念館
京都府宇治市
宇治市・2022年4月開館
”朝鮮半島が日本の植民地となっていた時代、ウトロには飛行場建設が計画され、多くの朝鮮人が建設労働者として集められました。戦争が終わり使い捨てのように放置され、行き場のなかった朝鮮人たちは飛行場建設計画が中断したのちも厳しい貧困と差別のなかで、ウトロで暮らし続けてきました。しかしウトロの土地が民間企業に転売されたことにより、一方的に立ち退きを迫られ生活の拠点が奪われかねない事態に陥りました。ウトロの人々は生活と権利を守るために自ら立ち上がり声をあげました。
その声は、日本による加害の歴史と戦後も続く在日コリアンへの差別に心痛める多くの日本市民に支えられてきました。またその取り組みは国連からも住民たちへの差別を是正するよう勧告が出るなど、国際社会からも注目されました。”
吹田市立平和祈念資料館
大阪府吹田市
戦時中の国民生活や軍隊に関する実物資料、写真パネルのほか、生活再現展示、平和に関する図書4000冊所蔵
過去のイベント:「被爆体験記朗読会」「戦時中の動物園のお話し会、」企画展:『この世界の片隅に』~すずさんの時代の暮らし~
大阪コリアタウン歴史資料館
大阪市生野区
一般社団法人 大阪コリアタウン歴史資料館・2023年
引用 ”御幸通商店街が「大阪コリアタウン」として活気づいてきた今、私たちは次のステージに踏み出す必要があると考えました。
現在の姿が生まれてきた歴史を学ぶ場づくりです。コリアタウンの土台となった猪飼野の歴史は、日本と朝鮮半島の間に生まれたさまざまな流れが古代から積み重なり、現在の生野区での多文化共生の町づくりに結びついています。なかでも、20世紀からの歴史は、日本と朝鮮半島を含む東アジアの歴史が、ここ、生野のコリアタウンに集約されていると言っても過言ではないでしょう。
そこで、私たちは、「班家食工房」建設から20年目にあたる2023年、この地に大阪コリアタウン歴史資料館を設立することにしました。大阪コリアタウン歴史資料館に立ち寄りひとときを過ごすことで、地域に刻まれた歴史に想いを馳せ、共に生きてきた人びとの姿に出会い、誰もが未来を創り出す可能性を手にしていることに気づく、開かれた場づくりを目指していきたいと考えています。”
斉藤隆夫記念館 静思堂
兵庫県豊岡市出石町
兵庫県の日本海側に位置する出石町にある。「静思堂」は政治家 斎藤隆夫を記念して作られた。斎藤隆夫は2・26事件を受けての粛軍演説、日中戦争への対応を問う反軍演説を国会で行ったことにより、衆議院議員を除名された。建物は素朴を追求し、兵庫県緑の建築賞に選ばれている。研究会、講演会、茶会、コンサート等、文化活動に利用されている。
アンネのバラの教会
兵庫県西宮市
聖イエス会 アンネのバラの教会
アンネ・フランクの父、オットー・フランク氏との出会いがきっかけで設立された教会。アンネのバラを育てるとともに、アンネ・フランク資料館を併設する。
戦没した船と海員の資料館
神戸市中央区
全日本海員組合・2001年
常設展示: 戦後すぐに政府が発表した戦没船数は7.240隻(官・民一般汽船3.575隻、機帆船2.070隻、漁船1.595隻)であり、この資料館ではこれら戦没船の在りし日の写真を展示し、戦没船名と戦没位置の資料も示している。
長島愛生園歴史館
岡山県瀬戸内市
長島愛生園と長島愛生園入所者自治会からなる運営委員会、公益財団法人日本科学技術振興財団、ハンセンボランティアゆいの会・2003年
国立療養所長島愛生園へのリンク
ハンセン病とその歴史を学ぶ
「国立療養所長島愛生園は1930年(昭和5年)11月20日、日本初の国立療養所として誕生しました。当時ハンセン病は感染症ということはわかっていましたが有効な治療法がなかったため、国の政策として療養所への隔離が行われました。
1945年(昭和20年)頃特効薬ができ、やがて完全に治癒させることができるようになりましたが、隔離政策は1996年(平成8年)の「らい予防法」廃止まで続きました。
ハンセン病という病気は治っているにもかかわらず、入所者はすでに高齢化しており何らかの後遺症を有し社会復帰が困難な状況で、ほとんどが愛生園を「終の棲家(ついのすみか)」として生活されています。
2001年(平成13年)「ハンセン病違憲国家賠償請求訴訟」でハンセン病に対する理解は格段に向上しましたが、社会的弱者に対する偏見・差別はなお根強いものがあります。」
ホロコースト記念館
広島県福山市
1995年
●アンネ・フランクの隠れ家の部屋(日記を記した部屋)とアンネの日記の再現
●世界から贈られてきたホロコーストの遺品や芸術作品の展示
●オットー・フランク氏が「アンネの日記」出版に使用したタイプライターの展示
【映画紹介】『アンネの日記』1959年
大久野島毒ガス資料館
広島県竹原市
1988年、大久野島毒ガス被害者対策連絡協議会が建設、竹原市に寄贈 2009年より休暇村大久野島が管理
大久野島では1929年から終戦まで秘密裏に大量の毒ガス兵器が製造されていました。当時、毒ガス製造の実態を隠すため、陸軍が発行した地図においても大久野島一帯は空白地域として扱われていたことから「地図から消された島」と呼ばれるようになりました。現在では、休暇村として整備され国民の保養地となり、島内には砲台跡、発電場、毒ガス貯蔵庫等と、当時の面影は僅かしか残っていません。その歴史を風化させないという地元住民の願いがあり、毒ガス資料館が建設された。
【映画紹介】 『ひとりひとりの戦場』
大和ミュージアム 呉市海事歴史科学館
広島県呉市
呉市・2005年開館
実物の10分の1サイズの戦艦大和の模型を展示。他に、戦艦陸奥や重巡洋艦青葉に実際に搭載されていた主砲身、戦艦金剛のイギリス・ヴィッカース社から輸入した当時のボイラーや、戦艦陸奥の錨、航空戦艦日向 (戦艦)のマストに掲揚されていた軍艦旗、零式艦上戦闘機六二型、“人間魚雷”回天10型(試作型)、特殊潜航艇「海龍」を展示の主体として、海軍兵器の実物が数多く展示されている。その他、実物の潜水調査船である「しんかい」の屋外展示など、戦後の海事史についての展示物がある。
広島平和記念資料館
広島市中区
財団法人広島平和文化センター運営(広島市出資)・1955年開館
この資料館は原爆資料館と称されることが多い。本館では、被爆者の遺品や被爆の惨状を示す写真や絵などの資料を展示し、1945年(昭和20年)8月6日に広島で何が起こったのかを伝える。東館には、核兵器の危険性や被爆前後の広島の歴史について展示しているほか、被爆者証言ビデオを自由に視聴できるコーナーがある。東館の1階の企画展示室と地下1階の特別展示室では期間限定の企画展示も行っている。
被爆者の等身大ジオラマ(通称:被爆再現人形)、被爆死した三人の動員学徒が身に付けていた制服の残骸を組み合わせて一体の人形に仕立てた「三位一体の遺品」や「黒焦げの弁当箱」など被爆死した動員学徒たちの遺品、本通の住友銀行広島支店から1971年に移設された「人影の石」がよく知られている。2013年時点の収蔵品は約2万1000点。
【映画紹介】
『ひろしま』
『原爆の子』
『さくら隊散る』
『白い町 ヒロシマ』
『いしぶみ』
『はだしのゲン』
『はだしのゲン2』
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
広島平和記念公園内
国立・2002年設置
原子爆弾死没者を追悼するために「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」に基づき、建設された。被爆者の名前・遺影の募集を行っており、開館時には4804人の被爆者の遺影が登録され、2004年8月に登録者が1万人を超えた。被爆体験記や追悼記の募集や在外被爆者の証言ビデオの作成なども行っており、2008年度までに205人分のビデオが、館内で公開されている。
【映画紹介】
『広島・昭和20年8月6日』
『夕凪の街 桜の国』
のぼり平和資料室
広島市中区
広島市立・2018年開室
”平和資料室は幟町(のぼりまち)小学校校舎の1階に開設。原爆に遭い、10年後、12歳で白血病で亡くなった同小学校生徒の禎子さんに関する資料と、昭和期の笑顔の児童や米軍が空撮した原爆投下前後の同小一帯など、戦前・戦後の様子を紹介した資料計約100点を展示する。”
袋町小学校平和資料館
広島市中区
広島市立・2002年開館
”爆心地から460メートルの位置にある広島市立袋町小学校(当時袋町尋常高等小学校)は、原爆によって大きな被害を受けました。当時、多くの児童は集団疎開や縁故疎開により被災を免れましたが、残っていた百余名の児童、そして教職員のほとんどが一瞬にして命を失いました。木造校舎はすべて倒壊・全焼し、唯一鉄筋コンクリート造だった西校舎だけが外郭のみ原型をとどめ、避難場所や救護所として、児童・教職員や地域の人々の安否を尋ねる場となりました。人々は、床に散らばるわずかなチョークで、焼けた壁に伝言を記しました。”
本川小学校平和資料館 (ほんかわ)
広島市中区
広島市立・1988年開館
” 爆心地から410mの至近距離で被爆した本川国民小学校は、強烈な爆風と高熱で火災に見舞われ、約400人の児童、10人の教職員など多くが犠牲となりました。奇跡的に助かったのはわずか2人だけでした。 校舎も残骸のみになるほど破壊されました。校舎は、鉄筋コンクリート造で比較的丈夫に造られていたため倒壊を免れました。”
加納実紀代資料室サゴリ
広島市東区
加納実紀代研究会・2023年開設
被爆者であり女性史研究者であった加納実紀代の全蔵書・研究資料を中心とした資料室。会議やイベントもできるフリースペースもあり、韓国語で「交差点」を意味するサゴリを実現している。
似島歴史資料館(にのしま)
広島市南区
似島歴史ボランティアガイドの会(広島市援助)・2021年開館
「昭和20年8月6日に投下された一発の原子爆弾によって広島の街は地獄絵図と化しました。被害者となった方々の内、似島まで搬送され、陸軍検疫所に収容された負傷者は一万有余と言われています。収容された時点で亡くなった方も多く、また応急手当の甲斐もなく次々と亡くなったために火葬する手間もなくなり、身元不明のままで多くの遺体を埋葬せざるを得ませんでした。戦後、亡くなった方々の遺骨は発掘され、広島市平和記念公園の原爆供養塔に納骨されました。発掘場所となった地は現在「慰霊の広場」となっています。」
「その「慰霊の広場」に「似島歴史資料館」整備設置事業を「似島歴史ボランティアガイドの会」が中心になって、広島市援助のもとで進行中です。資料館には似島と戦争との関わり、とりわけ原爆投下時の当時の状況やその後の遺骨発掘、その際に発掘された遺品等を展示し、来訪者の方々に原爆被害を含む似島の歴史を学んでいただき、平和の問題に意識を深めていただくものです。」
【映画紹介】 『黒い雨』 『黒い雨にうたれて』
陸奥記念館
山口県周防大島町
周防大島町・1972年旧館開館
戦艦陸奥(以下,陸奥)は、1943年(昭和18年)6月8日、連合艦隊司令部付として柱島水道(周防大島伊保田沖)警泊中に、謎の大爆発を起こし沈没。総員1471人、うち死者1121人、生存者わずか350人という大惨事に見舞われた。
戦後1947年(昭和22年)に初の引き揚げが試みられたが、海底42mでの作業は困難を極め、間もなく中止。
そして1970年(昭和45年)6月遺族や生存者らの20年越しの熱意が実り、引き揚げ作業が再会。8年間にも及ぶ作業の末、乗組員の遺骨・遺品・主砲など艦体の75%が引き揚げられた
回天記念館
山口県周南市大津島
回天顕彰会・1968年開館
旧回天(魚雷型特攻兵器)搭乗訓練員の宿舎跡に立てられた記念館
搭乗員の遺書、軍服、写真、遺書など約1,000点を展示。敷地内に回天碑、鐘楼、復元した回天模型がある。回天基地跡、魚雷見張所も近辺にある。
平和資料館・草の家
Grass Roots House
高知市
1989年
平和と教育、環境問題を考える民立民営の施設。
活動:草の家平和講座、平和・人権教育出前講座、書籍・資料出版活動、草の家所蔵資料、憲法の森
北九州平和資料室 TICO PLACE
福岡県北九州市若松区
個人開設・2023年6月再開館
展示内容:「満州帝国」旗 七三一部隊の記録 国民学校で使用されていた世界地図 日の丸の旗の寄せ書き 聖戦美術・海軍美術画集他
北九州市平和のまちミュージアム
福岡県北九州市小倉区
北九州市立・2022年(前身は北九州平和資料館)
1997年に有志の会により開設された平和資料館が2022年4月に市の資料館として生まれ変わった。
展示内容:1) 戦前の北九州 2) 戦争と市民の暮らし 3) 広がる戦争と九州 4) 終戦の混乱と戦後復興
兵士・庶民の戦争資料館
福岡県小竹町
私設資料館・1979年
武富戦争資料館は、館長である武富登巳男氏の自宅の一室を改装して作られたものだ。30平米と、スペースは非常に小さいが、軍服、寄せ書き、日の丸の旗、兵士の遺品がたくさん展示されている。館内展示数は200点ほどで、実際に手に取って確認することも可能。そのほかにも約2000点近い所蔵品がある。
少国民資料館
福岡県小竹町
1990年
長崎新聞記事 2000.8.11より ■児童の供養を
四五年三月、福岡県朝倉郡立石村(当時)にあった立石国民学校の児童三十五人が空襲で死んだ。高浪さんは隣の国民学校の六年生だった。衝撃を受けた。供養したい、という気持ちを戦後ずっと引きずった。資料館の開設は、死んだ立石国民学校の子供たちを慰霊する目的もあった。
碓井平和祈念館(うすい)
福岡嘉麻市
嘉麻市立・1996年
・近代日本が経験した戦争関連の資料約300点を一堂に展示。
・出兵や動員などに関わる文書資料、兵士の所持品、情報統制を受けた娯楽品、陶器製の代用品など。
・中でも裏地に犬の毛皮が用いられた兵士の防寒コート、陶器製の手榴弾や地雷、内地の女性が兵士に宛てた慰問文などは貴重な資料。
大刀洗平和記念館(たちあらい)
福岡県筑前町
筑前町立
太刀洗には旧陸軍が東洋一を誇った大刀洗飛行場を中心とする一大軍都が存在し、昭和20年(1945年)3月、米軍の大空襲により壊滅的な被害を受け、民間人を含め、多くが亡くなった。また、この飛行場は特攻隊の中継基地として、多くの若き特攻隊員たちの出撃を見送った場所でもある。
【映画紹介】 『月光の夏』 『ひとりひとりの戦場』
宇佐市平和資料館
大分県宇佐市
宇佐市・2013年
宇佐海軍航空隊の歴史や宇佐への空襲、宇佐から出撃した特別攻撃隊、市内の戦争遺跡について。 宇佐海軍航空隊跡 城井1号掩体壕 落下傘整備所 半地下式コンクリート造建物 爆弾池。 宇佐市平和ミュージアム(仮称)建設中
予科練資料館
大分市
私設資料館・1988年
・・・元特攻隊員の川野喜一さんは出撃の前日に終戦を迎えた。「死に損なった」と悔やみ、戦後を生きてきたが、1988年に大分市の自宅を改修して「予科練資料館」を開設。戦友や遺族から集めた特攻隊員ゆかりの品々を展示し、戦争の記憶の継承と若くして戦火に散った仲間の慰霊を続けてきた。2021年に95歳で亡くなった後、資料館の管理は長男の孝康さんに託された。父の思いを後世につなぐ…孝康さんは大きな決断をする。(NNNドキュメント、大分テレビより)
「予科練資料館」は2024年8月に閉館され、資料は「大分縣護國神社」に移管されました。
国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
長崎市平野町
2003年
「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」の第41条の規定に基づき、国が広島市に次いで長崎に設置した。死没者名簿と遺影の永久保存、手記・体験記、映像資料などの収集と公開、被爆医療や平和を中心とした国際協力に関する情報提供を主な目的としている。
死没者名簿数は2009年8月9日時点で14万9266人。2010年3月31日時点、登録された遺影は5292人、登録された原爆死没者数は6624人となっている。
長崎人権平和資料館
長崎市西坂町
市民により設立・1995年
2024年4月再開しました。
資料館のめざすもの:
この人権平和資料館は、史実に基づいて日本の加害責任を訴えようと市民の手で設立されました。政治、社会、文化の担い手は、たとえ小さく見えようとも一人ひとりの市民です。当館を訪れる一人ひとりが、加害の真実を知るとともに被害者の痛みに思いを馳せ、一日も早い戦後補償の実現と非戦の誓いのために献身すること、そして反核・反戦・反差別・平和の実現と相互の人間連帯に寄与することを願ってやみません。
聖コルベ記念館
長崎市
アウシュビッツ強制収容所で殉教し、聖人となったポーランド出身のコルベ神父は1930年に長崎に赴任し、神学校を開校。復元された「聖コルベの部屋」コルベ神父着用の祭服、典礼書、帽子、手紙を展示
【映画紹介】
『コルベ神父の生涯 - アウシュビッツ 愛の奇跡 -』
浦頭引揚記念資料館 (うらがしら)
長崎県佐世保市
佐世保市・1986年開館
太平洋戦争からの約629万人の日本人引揚者の内、1,396,468人が浦頭(うらがしら)に上陸。それら引揚者の足跡を郷土の歴史的遺産として後世に伝える。
無窮洞 (むきゅうどう)
長崎県佐世保市
佐世保市・2002年公開
”宮村国民学校(現在の佐世保市立宮小学校)の教師と児童らによって掘られた防空壕です。校長先生の発案で、1943年8月29日から1945年8月15日の終戦まで、およそ2年間にわたり堀り進められてきました。”
水上特攻艇「震洋」展示館・特攻殉国の碑
長崎県川棚町新谷郷
有志・2021年開設
”震洋は海軍唯一の水上特攻艇。全長5メートルほどのベニヤ板製の船に爆薬を積み、体当たりで敵艦を攻撃した。同郷に訓練所が設置されたことから、元隊員らでつくる「特攻殉国の碑保存会」が戦後に慰霊碑を建立。高齢化で保存会が解散した後は、同郷住民が碑の管理や毎年5月の慰霊祭運営を引き継いでいる。”
末永敏事平和記念館
長崎県南島原市
NPO法人末永敏事平和記念館・2019年公開
”末永敏事は1887年に長崎県北有馬村で生まれ、結核医学の研究に没頭した。米国で研究し論文を発表後、帰国してい医院を開業したが、卑賤主義の信念から逮捕された。彼は内村鑑三の影響で非戦思想を広め、日中戦争時には軍務を拒否したことで知られている。彼の勇気ある行動は当時の社会に大きな影響を与えた。”
恵楓園歴史資料館
熊本県合志市
国立療養所菊池恵楓園
2006年「社会交流会館」開設・2022年「恵楓園歴史資料館」として開館
歴史資料館は「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」の原告側(ハンセン病療養所入所者・退所者ら)勝訴判決がなされて以降に進められてきたハンセン病患者・回復者、またその家族らの名誉回復事業の一環として設置されました。”
水俣病歴史考証館
熊本県水俣市
財団法人水俣病センター相思社による維持管理・1988年開館
「不知火海~豊かな海と暮らし」「水俣病~チッソの犯罪」「闘い~被害者の30年」「現在~私たちの課題」の4コーナーに分かれ、写真やパネルなどを使って水俣病を考察している。
ひみつ基地ミュージアム
錦町立人吉海軍航空基地史料館
熊本県球磨郡錦町
錦町立・2018年開館
展示、ガイドツァー、外部遺構の三つの企画によりかつての海軍航空基地について知ることができます。
ひみつ基地ミュージアムのサイトより引用
「太平洋戦争末期の1943年、「人吉海軍航空基地」は、九州山地にかこまれた、海のない人吉盆地につくられました。
錦町・相良村につくられた広大な飛行場や教育施設、無数の地下施設。これらはなぜつくられ、どのような活動をしていたのか。そして、地域の人々との関わりはどうだったのか。
「山の中の海軍の町 にしき ひみつ基地ミュージアム」は、戦争末期の情勢と地元の人々の生活を肌で感じる「フィールドミュージアム」の玄関です。
当時を生きた人々の証言や、残されたものを通して、命の尊さや平和の大切さについて考えるきっかけとなることを願います。」
九州観光機構のサイトへリンクしています。写真が多数掲載されています。
山の中に海軍の町!?「錦町立人吉海軍航空基地資料館」こと「ひみつ基地 ミュージアム」へ
万世特攻平和祈念会館
鹿児島県南さつま市
南さつま市・1993年
HPより引用
”【陸軍最後の特攻基地】
昭和18年夏から19年末にかけて吹上浜に建設されたのが、陸軍最後の特攻基地「万世(ばんせい)飛行場」。この飛行場はわずか4ヶ月しか使われませんでしたが、17歳の少年飛行兵を含め200人近い特攻隊員が“祖国のため”を合言葉に、ここから沖縄の空へと飛び立っていきました。”
”...「子犬を抱いた少年兵」――。その写真は出撃前にもかかわらず、穏やかな表情で子犬を抱いた少年兵と特攻の仲間たちを撮影したものです。少年兵は群馬県桐生市出身の荒木幸雄さん。17歳で戦死し、平和祈念館には父親に宛てた遺書と遺品の懐中時計が残されています...”
知覧特攻平和会館
鹿児島県南九州市知覧町
知覧町立、2019年12月より南九州市・1987年
第二次世界大戦末期に編成された大日本帝国陸軍航空隊の特攻に関する資料を展示している。知覧は出撃基地であった。写真、遺書などの遺品約4,500点、特攻隊員の遺影1,036柱が展示されている。
戦闘機の展示:零式艦上戦闘機五二型丙(実機)、四式戦闘機「疾風」I型甲(実機)、一式戦闘機「隼」III型甲(レプリカ)
【映画紹介】
『ひとりひとりの戦場』
『TOKKO ー特攻ー』
鹿屋航空基地資料館
鹿児島県鹿屋市
海上自衛隊・1973年
鹿屋市WEBサイトより
”館内には旧日本海軍創設期から第二次大戦にいたるまでの貴重な資料のほか、「永遠の0」にも登場する「零式艦上戦闘機五二型」、特攻隊員の遺影や遺書などが展示されています。そのほかにも1階には、海上自衛隊の活動状況も紹介されています。世界で唯一する現存する「二式大型飛行艇」も必見です。”
鹿屋市WEBサイトより
”鹿屋市には、太平洋戦争時に3つの飛行場が存在し、日本で最も多くの特攻隊が出撃した歴史があります。鹿屋海軍航空基地からは908名、串良海軍航空基地からは363名の特攻隊員が出撃し、その尊い命を失いました。
現在も鹿屋市内に残る特攻隊に関する主な戦跡を、ご紹介します。”
不屈館
沖縄県那覇市
沖縄の本土復帰と平和実現のために命がけで闘った瀬長亀次郎。彼が残した資料と行動、彼を支えた沖縄の民衆の戦いを後世に伝えるべく設立された資料館。
【映画紹介】
『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』2017年
『米軍が最も恐れた男 カメジロー 不屈の生涯』2017年
沖縄陸軍病院南風原壕群20号
沖縄県南風原町(はえばるちょう)
町立・1990年
沖縄陸軍病院南風原壕とは?
沖縄陸軍病院南風原壕は、黄金森と現在の南風原町役場近くの丘に掘られた人工壕です。米軍の艦砲射撃が始まった1945(昭和20)年3月下旬から、本島南部への撤退命令が出された5月下旬まで使われました。各壕に負傷兵が運び込まれ、軍医、看護婦、衛生兵、女学生(ひめゆり学徒)らが医療活動を行いました。南風原町は、1990(平成2)年、戦争の悲惨さを伝える証として、沖縄陸軍病院南風原壕を町の文化財に指定しています。
黄金森の陸軍病院壕ジオラマなど、沖縄戦や戦後史の資料、移民や人びとの暮らしを紹介する。徒歩10分にある沖縄陸軍病院南風原壕群20号も見学できる。ここは1945年3月24日に「ひめゆり学徒」が看護補助要員として動員され、摩文仁に撤退する5月下旬まで従事した場所。
旧海軍司令部壕
沖縄県豊見城市
沖縄県立・1970年
HPより引用
”沖縄は本土防衛最後の砦として、日本の中で唯一住民を巻き込んだ地上戦が行われた場所です。日本海軍沖縄方面部隊を指揮する「海軍司令部基地」として構築されたこの壕は、激しい戦闘の末、日本海軍が組織的戦闘の終焉を迎えた場所で、ほぼ当時のまま残されている貴重な施設となっています。”
”約3,000人の将兵が昼夜5ヶ月間かけ、手掘りで掘った跡、手榴弾で自決した弾痕跡、司令長官が壁に書き残した文字など、当時の戦況を今に伝える貴重な壕で、地下20mの場所に450mの長さがあります。現在整備・公開されているのはそのうちの300mです。”
沖縄県平和祈念資料館 + 平和の礎(いしじ)
沖縄県糸満市摩文仁
設立理念(ホームページより引用):
1945年3月末、史上まれにみる激烈な戦火がこの島々に襲ってきました。 90日におよぶ鉄の暴風は、島々の山容を変え、文化遺産のほとんどを破壊し、20数万の尊い人命を奪い去りました。沖縄戦は日本に於ける唯一の県民を総動員した地上戦であり、アジア・太平洋戦争で最大規模の戦闘でありました。
沖縄戦の何よりの特徴は、軍人よりも一般住民の戦死者がはるかに上まわっていることにあり、その数は10数万におよびました。ある者は砲弾で吹き飛ばされ、ある者は追い詰められて自ら命を絶たされ、ある者は飢えとマラリアで倒れ、また、敗走する自国軍隊の犠牲にされる者もありました。私たち沖縄県民は、想像を絶する極限状態の中で戦争の不条理と残酷さを身をもって体験しました。
この戦争の体験こそ、とりもなおさず戦後沖縄の人々が、米国の軍事支配の重圧に抗しつつ、つちかってきた沖縄のこころの原点であります。
”沖縄のこころ”とは、人間の尊厳を何よりも重く見て、戦争につながる一切の行為を否定し、平和を求め、人間性の発露である文化をこよなく愛する心であります。
資料館のある平和記念公園には沖縄戦に関わる全戦没者の名前24万以上が刻名されている碑「平和の礎(いしじ)」があります。ホームページ「沖縄戦の戦争遺跡一覧」にて詳細をごらんいただけます。
「平和の礎」は、国籍や軍人・民間人の区別なく、沖縄戦で亡くなられたすべての人々の氏名を刻銘した記念碑です。 検索システムでは、その刻銘者情報を共有し、氏名の検索や詳細情報の確認が可能です。2025年6月現在、242.567名 検索はこちらから(沖縄県運営 2025年6月公開)。
関連記事:2025年6月21日: 沖縄戦「平和の礎」に名が残る戦没者、人柄やエピソード募り「生きた証しに」…参加型データベース創設へ《読売新聞ONLINE》
ひめゆり平和祈念資料館
沖縄県糸満市
沖縄戦における学徒隊の悲劇を伝える施設。ジオラマや年表、地図、フィルムによる解説のほか、語り部(学徒隊の生き残り)による生の体験談を聴くことができる。遺品、犠牲者の遺影、回想録の展示あり。
八重山平和祈念館
沖縄県石垣市
「戦争マラリア」の実相を後世に正しく伝える。
「戦争マラリア」とは、大戦末期の昭和20年(1945年)、 八重山諸島の住民がマラリアの無病地帯から有病地帯に避難を強いられたことによりマラリアに罹患し、3,600名余が犠牲となった出来事をいう。
沖縄戦の戦争遺跡一覧
沖縄県
個人運営WEBサイト
WEBページより引用 ”当サイトで、戦争遺跡(戦跡)とは、「戦争の痕跡、戦跡、戦蹟。戦争のために造られた施設や、戦争で被害を受けた建物などで、現在も遺構が残っているものまたは、慰霊のための碑」としています。
当サイトでは、沖縄戦の戦争遺跡(戦後建立された慰霊碑も含む)をブログ形式で紹介していきます。
あわせて見ていただくと、より理解が深まる書籍や映像作品も紹介しています。無料でご覧いただけるのもございますので、ぜひご覧ください。”
戦争遺跡保存全国ネットワーク
全国各地
ホームページより
”~戦争遺跡を史跡・文化財に、語り伝えよう戦争のこと~ 各地の戦争遺跡保存団体、文化財保存全国協議会、歴史教育者協議会などを中心に、団体や個人が集い、1997年に「戦争遺跡保存全国ネットワーク」が結成されました。
私たちは、戦争遺跡の調査・研究・保存運動、平和資料館、平和教育などについて情報交換をするために、「戦争遺跡資料」の刊行や「戦争遺跡保存全国シンポジウム」の開催などを続けています。
そして、「戦争遺跡から平和を学ぶ」「二度と戦争遺跡を作らせない」ことを大切にしています。
一緒に活動しましょう。 ”
公害資料館ネットワーク
全国各地
ホームページより
”公害資料館ネットワークとは:公害教育を実施している組織の交流を図ることを目的として、2013年度から環境省「地域活性化を担う環境保全活動の協働取組推進事業」(2014年度から「地域活性化に向けた協働取組の加速化事業」)を活用して、新潟県立環境と人間のふれあい館の塚田眞弘館長とあおぞら財団から、公害資料館ネットワーク結成の呼びかけを各機関・団体に行いました。そして、2013年12月7日に公害資料館ネットワークが結成されました。”
