平和パネル展
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- 歴史コーナー(各パネルの解説内容)
- 浅川地下壕/湯の花トンネル銃撃パネル
- 由木の戦跡(詳細ページへのリンク文字のみ)
- 八王子空襲パネル
- 憲法コーナー(前文/方言)
- 1.山王塚の高射砲陣地
- 2.由木のゼロ戦墜落現場
- 3.沖ノ谷戸公園の防空壕
- 4.戦車道路
- 5.相模陸軍造兵廠
- 6.横田基地
- 7.多摩火薬製造所
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日清戦争から太平洋戦争までをたどる
湯の花トンネル列車銃撃
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写真: 八王子市郷土資料館所蔵
(奥住喜重氏写真提供 淵上明氏撮影 斉藤五郎氏撮影)
パネル制作:斉藤勉氏グループ
米軍は、東京など大都市にたいする空襲(くうしゅう)を行う一方、地方の中心都市にも攻撃(こうげき)目標(もくひょう)を移し、焼夷弾(しょういだん)(木造家屋を焼き払うために油などを詰(つ)めた爆弾)による爆撃を始めました。
そして、昭和20年8月2日未明に、八王子はB29爆撃機(ばくげきき)約170機による空襲を受けました。八王子が空襲を受けた理由としては、次の二点が考えられます。
1)市内外の工場で働く人や、都内から疎開(そかい)してきた人たちがいたこと。(疎開とは空襲による被害(ひがい)をさけるため、地方に避難(ひなん)することです。)
2)八王子駅が東日本における鉄道交通の要(かなめ)となる重要な駅であったこと。
焼夷弾(しょういだん)は、現在の万町(よろずちょう)と小比企町(こびきまち)の境に落とされ、その後、下長房(しもながふさ)(現(げん)長房団地内)をはじめ、市内に次々と投下されました。
この空襲は、約2時間近く続き、当時の市内の中心部の大部分が焼失(しょうしつ)する大惨事(だいさんじ)となり、約450名が亡くなり、約2.000名がけがをしました。
八王子市郷土資料館
おススメの日本の戦争の映画リスト、多摩&八王子の戦跡の本のリスト、戦争のマンガ本リスト、全国平和ミュージアムリストを自由にお持ちいただきました。
それぞれのリストの内容をリンク先にて紹介しています。各項目をクリックしてください。
多摩&八王子の戦跡の本と戦争の絵本は展示室中央に並べ、自由に手に取っていただきました。
実物を展示した戦跡の本と絵本の題名を下のリストのリンク先にて紹介しています。各項目をクリックしてください。
平和パネル展を終えて
5月以降、皆で平和パネル展開催のための相談を重ねてまいりました。10月の秋空の元、長池公園自然館の展示室で開催することができてうれしい限りです。皆さまのご協力により、内容の幅広い充実した展示会となり、好評のうちに終えることができました。ありがとうございます。
来場者は4日間で164名、その内58名の方がアンケートにご記入くださいました。来場者数は運営メンバーを加えますと178名にもなります。
アンケートの「印象に残ったコーナーはどれでしたか」という問いに対しては次のように回答いただきました。
歴史年表 23名 戦跡 27名 空襲 25名
高校生の絵画 31名 九条の会の紹介 5名 憲法コーナー 7名
ほとんどの来場者が展示物をゆっくりと閲覧なさり、互いに感想を話し合ったりしていました。高校生が描いた原爆体験の絵の前で立ち止まってじっと絵を見つめておられる姿も印象的でした。
由木地域の戦跡コーナーでは地図を見ながら「こんなところに戦跡があるなんて!」「ここはよく通る道だ。」と話しがはずみ、興味深く閲覧されている姿が見られました。八王子に空襲があったとは知らなかったという声も聞かれました。
来場者とことばをかわし、さまざまなご意見をいただきました。ゆっくり見たいからと、翌日に再び訪れる方も何人かいらっしゃいました。中学生が学校の先生に紹介されて来場したこともたいへんうれしく思います。
2023年10月 別所憲法9条の会