ビクトル・ハラ「平和に生きる権利」

「抵抗の歌」と題する中でキラパジュンを紹介したのはいつだったか。彼らに大きな影響を与え、そして彼ら、彼らだけでなく中南米の、いや世界中のミュージシャンに敬愛されたヌエバ・カンシオンの旗手、ビクトル・ハラ(1932~73年)を、これまで採りあげずにきたとは、なんたる不覚。遅きに失した感はあるが、ここで書くことにしよう。

ビクトル・ハラは多才な人である。ヌエバ・カンシオン(新しい歌)―音楽を通した社会変革運動―を牽引した代表的なフォルクローレのシンガーソングライターであることは誰もが知るところだが、彼は演劇人あるいは舞台演出家でもあった。10代後半にはパントマイム劇団に加わり、チリ大学の演劇学部を卒業した後、同大学付属演劇研究所に籍を置き、舞台演劇の演出をいくつも手がけているほか、映画やテレビ、ラジオの仕事もしている。シンガーソングライターとしての活動の方が、むしろ後になってからだ。

ビクトル・ハラの歌に込められたメッセージは、「貧しい者たちよ、立ち上がれ!」である。チリの支配層は、大地主や大企業の経営者などの富裕階級、右翼、彼らと協力関係にあった米国であるから、立ち上がる行為は必然的に、反資本主義、反帝国主義、反米主義、反貧困、反格差社会とならざるを得ない。国家権力の後ろ盾のひとつであるモービル石油と機動隊をかけて皮肉ったMovil Oil Special(モービル・オイル・スペシャル)、機動隊が空き地で暮らす貧農100人に対して機銃を乱射し、10人が死亡、残りも重傷を負った事件に抗議するPreguntas por Puerto Montt(プエルト・モントについての疑問)、麻薬など米国による文化的侵略に対する抗議を込めたQuién mató a Carmencita(カルメンシータを殺したのは誰)、警官が反政府デモの青年を射殺したことに抗議するEl alma llena de banderas(魂は旗に満たされて)など、どれも権力への抵抗歌―彼自身は革命歌と称していた―である。

僕が歌うわけは、ただ歌いたいからではなく、声がいいからでもない。僕のギターに感情と理由があるからだ。大地の心と鳩の翼をもった、聖水のような、喜びも悲しみも祝福する、ビオレータが言っていたように、春の薫りがする働くギター。僕の歌は、そこに行き着いた。金持ち連中のギターとは似て非なるもの。僕の歌は、星々に届くための足場。真実を歌いながら死んでゆく者の血管の中で脈打つとき、僕の歌は意味を持つ。虚しいおべっかや外国で得る名声でなく、大地の底までも届いてゆく革ムチの歌。すべてのものがそこへたどり着き、すべてのものがそこから始まる。勇気と共にあるとき、その歌は永遠に新しい。

これは、ビクトル・ハラが死の一ヶ月前に残したManifiestoの歌詞である。「宣言」とか「声明」を意味する言葉なので、あえて宣言文のような書き方をしてみた。党の政策表明であるマニフェストも同じなのだが、実行するつもりのない、選挙対策用の宣伝材料、打ち上げ花火と化してしまった日本では、悲しいほどに軽い響きしか持たない。しかし、このManifiesto(宣言)には、彼の音楽と向き合う姿勢、社会の中の立ち位置、そして生き様と決意が凝縮されている。

1970年、選挙に勝利した人民連合によって社会主義政権が生まれ、サルバドール・アジェンデ(1908~73年)が大統領に就任。ところが、1973年9月11日、米ニクソン政権から300億円の軍資金および7,000人のCIA工作員という圧倒的支援を受けたピノチェト将軍(1915~2006年)が、陸・海・空・警察の4軍(チリ警察は警察軍と呼ばれる軍事力を持っている)を率いてクーデターを起こし、大統領官邸であるモネダ宮を空爆。アジェンデ大統領は殺害され、政権は崩壊する。人民連合とアジェンデを支援していたビクトル・ハラは、軍に逮捕され、連行された屋内競技場のチリ・スタジアムで惨殺された。9月15日のことである。

この軍事クーデターによって、4万人が虐殺され、10万人が逮捕・拷問され、20万人以上が行方不明となった。社会主義は暴力的な革命でしか実現されないと主張していた米国にとって、選挙という民主的な手段で成立したアジェンデ政権は、まさに目の上のたんこぶだったのである。ピノチェト将軍と会談した米国務長官ヘンリー・キッシンジャー(1923年~)は、クーデターの成功を祝い、軍事独裁政権がスタート。膨大な米ドルが流れ込むことになったチリでは、富裕層と貧困層の格差が拡大し、人々の暮らしは厳しくなり、恐怖政治の中で、政権や政策に反対する活動も意見の表明も封じ込められた。日本では“反共”を掲げる政権与党の自民党がクーデターを支持し、「社会主義は…」という短絡的な思想しか持たない国民には馬耳東風であったことを付け加えておかねばなるまい。なお、裏で糸を引いていたキッシンジャーは、1973年、ノーベル平和賞を受賞している。

*******************************
命尽きるまで歌とギターで戦い抜いた男
*******************************

ビクトル・ハラの最期はどうだったのか。ギターを弾き、歌いながら人々を励ます彼から、兵士は楽器を取り上げた。なおも手拍子をとって歌い続ける彼の両手を、二度とギターを弾けないよう、銃の台尻で砕いた。「ギターを弾いてみろ」と嘲笑う兵士に対し、ビクトル・ハラは人民連合のテーマソングであったVenseremos(ベンセレーモス)を歌う。腹を立てた兵士は、彼の顔を切り刻み、最後は34 発もの銃弾を撃ち込んで殺害したのだった。

抵抗の歌など歌ったりしなければ、あるいは殺されることなく、生き長らえたのかもしれない。しかし、彼は歌うこと、抗うことを選んだ。いつも虐げられた人々に寄り添い、彼ら・彼女らの代弁者として歌ってきたビクトル・ハラである。自分は、今、ここで歌うために生まれてきたのだ。沈黙をまもって生き延びることは、自分の存在の自己否定、自死である。そう確信したのだろう。カトリック信仰の厚いラテン・アメリカで、聖職者への道を選ぼうとしたこともある彼は、熱心なクリスチャンでもあった。

これは伝説なのかもしれない。連行されるときにギターを持って行くことが可能だったとは思えないし、当時の写真によれば、多くの者は後ろ手に縛られている。スタジアムにいた目撃者は…、ほとんどが鬼籍の中だ。しかし、彼が最期まで歌い続けたことは事実であるし、こうした伝説が語り継がれるということは、祖国の偉大なミュージシャンへの敬慕と、クーデターおよび軍事独裁への怒りがそれだけ強いということなのだろう。1990年に民政に回帰したチリ政府が、2004年、ここをビクトル・ハラ・スタジアムと改称した。そのことからも、それがうかがえる。チリを訪れたなら、このスタジアムと、彼の眠るサンティアゴ公共墓地に足を運びたいものだ。

彼が残したすばらしい曲は数多あり、まるで遺言のようなManifiesto(宣言)や労働問題をまじえた叙情味あふれるTe recuerdo amanda(アマンダの想い出)なども私は大好きなのだが、無理やり1曲だけ選び出すとすれば、やはりEl derecho de vivir en pazだろうか。直訳すると、「平和に生きる権利」。このまま邦題となっている。このようなストレートな題名を歌につけることなど、日本では、まず考えられまい。1971年に制作された同名のアルバムの1曲目が、まさにこれだ。

フランスの植民地支配に抵抗し、ようやく追い出したかと思いきや、今度は米国が入ってきて傀儡政権を打ち立てたベトナム。この歌には、インドシナ戦争からベトナム戦争へと、長きにわたる戦禍に苦しむベトナムの人々への共苦、侵略者と戦う彼らの勇気、民衆を率いるホー・チ・ミン(1890~1969年)への共感にあふれている。ベトナム人民が親しみを込めて呼ぶ「ホーおじさん」を歌詞にとりいれたのは、まさにベトナムへの連帯の意思表示に違いない。

ビクトル・ハラが天に召されて、まもなく半世紀。歴史の曲がり角には、殉教者の十字架が立っている。人類が前に進むためには、こうした犠牲が求められるのか…。

::: CD :::

ビクトル・ハラのCDは、どれも魅力的で、聴いておきたいものばかりなのだが、ここではあえてアルバムではなく、このCDブック(収録曲はアルバムEl derecho de vivir en pazと同じ)を紹介しておこう。スペイン語の歌詞とその日本語訳、楽譜(一部のみ)、解説に写真まで載っており、彼の生涯と当時のチリの状況を含め、網羅的に知るには最適だと思う。

濱田滋郎(著・訳)、『ビクトル・ハラ ―VICTOR JARA― 平和に生きる権利』、音楽センター、2008年、ISSBN 978-4-903934-12-9

::: 歌詞 :::

El derecho de vivir
poeta Ho Chi Minh,
que golpea de Vietnam
a toda la humanidad,
ningún cañón borrará
el surco de tu arrozal.
El derecho de vivir en paz.

生きる権利……
詩人ホー・チ・ミン
彼はベトナムの地から
全人類の心を打った
どんな大砲であれ消せまい
きみの稲田の畔から
平和のうちに生きる権利を

Indochina es el lugar,
más allá del ancho mar,
donde revientan la flor
con genocidio y napalm.
La luna es una explosion
que funde todo el clamor.
El derecho de vivir en paz.

インドシナがあるのは
はるか海の彼方
花々までもが砕かれる
虐殺とナパーム弾で
月さえ吹き飛ばされ
あらゆる叫びが溶け合わされる
平和のうちに生きる権利を

Tío Ho, nuestra canción
es fuego de puro amor,
es palomo palomar,
olivo del olivar,
es el canto universal
cadena que hará triunfar
el derecho de vivir en paz.

ホーおじさん われらの歌
それは澄み切った愛の炎
それは鳩、鳩小舎
オリーブ畑に茂るオリーブの木
それは世界をつなぐ歌
勝ちとるための絆
平和のうちに生きる権利を

La, la, la, la, la, la, la
La, la, la, la, la, la, la
La, la, la, la, la, la, la
La, la, la, la, la, la, la

ラララララララ
ラララララララ
ラララララララ
ラララララララ

Es el canto universal
cadena que hará triunfar,
el derecho de vivir en paz.
El derecho de vivir en paz.

それは世界をつなぐ歌
勝ちとるための絆
平和のうちに生きる権利を
平和のうちに生きる権利を


この下の歌詞はビクトル・ハラの歌詞と別のバージョンです。

平和のうちに生きる権利
今この大地に根づいた花が
人々の心に咲いて
燃えるみどりに立つ
平和に生きる権利

友よ 耕せ 武器を埋めろ
芽生える希望 よみがえる命
我らは歌う 生きる喜び
あしたをひらく平和を
平和に生きる権利

この地に生きるすべてのもの
ひとつに歌え 世界をつなげ
揺るがぬ愛と 変わらぬ誓い
平和に生きる権利

ピアノ調メロディーをお聴きになれます。左端の横向き三角をクリックしてください。

:::  収録曲  :::

1. 平和に生きる権利
El derecho de vivir en paz

2. 窓をあけて
Abre la ventana

3. 出発
La partida

4. 農民の子
El niño yuntero

5. 広い道を通って
Vamos por ancho camoni

6. 鉱山(やま)へはもう行かない
A La Molina no voy más

7. キューバに寄せて
A Cuba

8. 丘の高みの住宅地
Las casitas del barrio alto

9. 魂は旗に満たされて(ミゲル・アンヘル・アギレーラへの讃歌)
El alma llena de banderas

10. 役立たず
Ni chichi ni limoná

11. 耕す者への祈り
Plegaria a un labrador

12. ブリガーダ・ダ・ラモーナ・パラ(人民連合青年隊の歌)
Brigade Ramona Parra

13. お聞きよ、娘さん
Oiga pues mijita

14. 機織り娘
Muchachas del telar

15. 不毛の地から
Venían del desierto

16. ポエマ〔詩〕その15
Poema 15

17. 子どもたちの踊り
Danza de los niños

※※ チリ・クーデターとその後 ※※

軍事クーデター、独裁政権による悲劇については、パトリシオ・グスマンおよびミゲル・リティンのドキュメンタリー作品を見てほしい。

・パトリシオ・グスマン、『チリの闘い』、1975~78年
・パトリシオ・グスマン、『光のノスタルジア』、2010年
・パトリシオ・グスマン、『真珠のボタン』、2015年
・パトリシオ・グスマン、『夢のアンデス』、2019年
・ミゲル・リティン、『戒厳令下チリ潜入記』、1986年

下記の映画作品もチリ・クーデターが舞台になっており、特に『11’09”01 セプテンバー11』のケン・ローチ作品は、当時の実写フィルムを使い、ドキュメンタリー的なものになっている。

・エルビオ・ソトー、『サンチャゴに雨が降る』、1975年
・コンスタンタン・コスタ=ガヴラス、『ミッシング』、1982年
・ケン・ローチ、他、『11’09”01 セプテンバー11』、2002年


(しみずたけと)

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さくらんぼの実る頃


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::: 歌詞 :::

Quand nous chanterons le temps des cerises
Et gai rossignol et merle moqueur
Seront tous en fête
Les belles auront la folie en tête
Et les amoureux du soleil au cœur
Quand nous chanterons le temps des cerises
Sifflera bien mieux le merle moqueur

さくらんぼの実る頃は
サヨナキドリも、マネツグミも
みんな浮かれ出す
美女たちはのぼせ上がり
恋人たちの心も朗らか
さくらんぼの実る頃
マネツグミも上手にさえずる

Mais il est bien court le temps des cerises
Où l’on s’en va deux cueillir en rêvant
Des pendants d’oreille…
Cerises d’amour aux robes pareilles
Tombant sous la feuille en gouttes de sang…
Mais il est bien court le temps des cerises
Pendants de corail qu’on cueille en rêvant !

けれど、さくらんぼの季節は短い
二人連れは夢見心地で
耳飾りを摘みにいく季節は
おそろいを着た恋のさくらんぼが
血の滴りのように落ちる季節は…
けれど、さくらんぼの季節は短い
夢の中で珊瑚を摘むこの季節は!

Quand vous en serez au temps des cerises
Si vous avez peur des chagrins d’amour
Évitez les belles!
Moi qui ne crains pas les peines cruelles
Je ne vivrai pas sans souffrir un jour…
Quand vous en serez au temps des cerises
Vous aurez aussi des chagrins d’amour !

さくらんぼの実る頃
恋の悩みがこわいなら
美女は避けるべし!
むごい苦しみを恐れぬ僕は
苦しみのない生き方はしない…
さくらんぼの実る頃
キミだって恋に悩むだろう!

J’aimerai toujours le temps des cerises
C’est de ce temps-là que je garde au cœur
Une plaie ouverte !
Et Dame Fortune, en m’étant offerte
Ne pourra jamais calmer ma douleur…
J’aimerai toujours le temps des cerises
Et le souvenir que je garde au cœur !

さくらんぼの実る頃が僕は好きだ
この季節、今なお疼くのは
心の中に開いた傷口!
運命の女神が微笑もうと
この傷は癒されまい…
さくらんぼの実る頃が僕は好きだ
心の中に疼く思い出とともに!



N°17, rue de la Fontaine-au-Roiのバリケード跡にある碑

     

ジャン・バティスト・クレマンの墓(ペール・ラシェーズ墓地)

::: C D :::

1)加藤登紀子

さくらんぼの実る頃
加藤登紀子
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美しき五月のパリ
加藤登紀子
日本語ヴァージョンへリンク

2)コラ・ヴォケール
Cora Vaucaire Vol. 1

DISC 1

  1.  Le Voyage A Robinson
  2.  Un Vieux Farceur
  3.  Frede
  4.  Quand On Vous Aime Comme ça
  5.  Demons Et Merveilles
  6.  Le Tendre Et Dangereux Visage de L’amour
  7.  Noms De Rues
  8.  Les Jardins de Paris
  9.  La Grosse Dame Chante
  10.  La Complainte Des Souvenirs
  11.  Ernest Eloignez Vous !
  12.  Roses Blanches
  13.  Aux Marches Du Palais
  14.  Retour A Montmartre
  15.  Les Forains
  16.  Notre Histoire
  17.  La Complainte Des Coeurs Purs
  18.  Le Temps Des Cerises
  19.  Sans Rien Dire
  20.  Complainte De La Butte
  21.  J’aime
  22.  Margaret Vous Aime Bien

DISC 2

  1.  Ballade Des Truands
  2.  Gregory
  3.  Refrains
  4.  La Rue S’allume
  5.  Quand Les Hommes Vivront D’amour
  6.  Pauvre Rutebeuf
  7.  Les Trois Maneges
  8.  Bal Chez Temporel
  9.  Julie
  10.  L’air De Paris
  11.  Sophie
  12.  On Pense A Toi Paris
  13.  Un Petit Peu De Nous
  14.  Souper D’adieu
  15.  L’amour A Fait Le Reste
  16.  Les Amours Finissent Un Jour
  17.  Le Tourbillon
  18.  Trois Petites Notes De Musique
  19.  Il Pleut Sur Venise
  20.  Le Ruban Rose

(しみずたけと) 2021.6.7

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学生の歌声に…思い出しました。
「君が死んだ後で」、第一次羽田闘争、音楽は「あまちゃん」の大友良英、見たい。でも3時間20分もの長さ…マスクをして、閉じた空間で私にはきついです。「三島由紀夫と全共闘」の記録映画もマスクを思い、コロナがおさまってからと諦めました。

「美しき5月のパリ」というと、「さくらんぼの実る頃」の歌もなつかしく思い出されます。

J.B.Clement 作曲のシャンソンですが、パリ・コミューンの時のテーマソングでもあるとか。メロディはすなおだけれど日本語ではあちこち字余り…

加藤登紀子のでは

メロディとか載せられなくてごめんなさい。
このさくらんぼは日本のではなくて、真っ赤で多汁なあれですね。

H.S.

加藤登紀子、歌手生活55周年を記念して、55曲のLIVE映像を公開。
第2弾は「さくらんぼの実る頃」
〜1995年30thコンサート〜

ジョリー・モーム

ジョリー・モーム、『歌は何のために』のDVDでご存じの方も多いと思いますが、私の大好きなフランスのパフォーマンス集団です。味のある男たち、チャーミングな女たち、みんな歌がうまく、芸達者。鋭い、しかしウィットに富んだ権力批判、平和と人権の追求はフランスならではのもの。彼ら・彼女らの歌の多くは革命歌や反戦の歌、レジスタンス賛歌、抑圧された者や虐げられた人々への応援ソングです。“Jolie Mome”で検索すれば、YouTubeに多数の動画が見つかります。フランス語がわからなくても楽しめるものばかりです。


オープニングで歌われることが多い
La Lutte en Chantant   ― 歌で戦う
(動画は2014年)

La Lutte en Chantant

Si nous descendons la rue en chantant
Notre drapeau rouge dans le vent
C’est pas seulement qu’c’est l’printemps
Mais c’est qu’il est bien vivant.

A la bourse l’argent produit de l’argent
Et pourtant la précarité s’étend
Prenez garde, oh ! Bonnes gens
Pendant qu’il est encore temps
Prenez garde, oh ! Bonnes gens
Pendant qu’il est encore temps.

Ils construisent l’Europe des marchands
Euro-Disney-land en avant !
Des Mickeys pour les enfants
Le RMA pour les grands
Des Mickeys pour les enfants
Le RMA pour les grands

Leurs méthodes ne datent pas d’hier
Ils laissent grandir la misère
Puis ils nous préparent la guerre
Ils la disent humanitaire
Puis ils nous préparent la guerre
Encore une der des ders

Si nous descendons la rue en chantant
Notre drapeau rouge dans le vent
C’est pas seulement qu’c’est l’printemps
Mais c’est qu’il est bien vivant
C’est pas seulement qu’c’est l’printemps
Mais c’est qu’nous sommes bien vivants





今回どうしても紹介したいのが L’hymne des Femmes 「女たちよ、たちあがれ。鎖を解き放て」、1971年3月に女性解放運動(MLF)の活動家によって作成された歌です。

2019年の女子ワールドカップ・サッカー、フランス大会。6月11日のチリ対スウェーデン戦がおこなわれたレンヌFCの本拠地、ラ・ルート・デ・ロリアンでのこと。レンヌ市長の提唱で600人が歌声を響かせ、8万の観戦者が総立ちでこたえました。日本にはない光景です。

歌詞の和訳は →  こちらです。

L’hymne des Femmes

Nous qui sommes sans passé, les femmes,
Nous qui n’avons pas d’histoire
Depuis la nuit des temps, les femmes,
Nous sommes le continent noir

Refrain:
Levons-nous femmes esclaves
Et brisons nos entraves
Debout, debout, debout !

Asservies, humiliées, les femmes,
Achetées, vendues, violées,
Dans toutes les maisons, les femmes,
Hors du monde reléguées.

Refrain



Seules dans notre malheur, les femmes,
L’une de l’autre ignorée,
Ils nous ont divisées, les femmes,
Et de nos sœurs séparées.

Refrain

Le temps de la colère, les femmes,
Notre temps, est arrivé,
Connaissons notre force, les femmes,
Découvrons-nous des milliers !

Refrain

Reconnaissons-nous, les femmes,
Parlons-nous, regardons-nous,
Ensemble, on nous opprime, les femmes,
Ensemble, Révoltons-nous !

Refrain

ジョリー・モームの公式サイト → https://cie-joliemome.org/

< CD >

ジョリー・モームは映像の方が絶対に楽しいし、できれば生で見たいところなのだが、無いものねだりをしていてもはじまらないので、とりあえずオーディオCDを紹介する。ただ、amazonやHMV、TOWER RECORDSは扱っていないし、置いている店もない。ジョリー・モーム大好き人間はけっこういるみたいなのに、本当に残念だ。ここでは《9j音楽ライブラリー》にある6枚のアルバムとその収録曲を記しておく。

(1) Jolie Môme
(2) Rouge Horizon

1. La Lutte En Chantant
2. Chronique
3. Elluard À Riffaud
4. L’internationale
5. Solidarité
6. Extrait du “Tableau Des Merveilles” de J. Prévert, dit par Maman
7. La Semaine Sanglante
8. Marcos
9. Le Temps Des Cerises
10. Le Temps Perdu
11. 32 Heures
12. Dédicasse

1. L’insurgé
2. Exiger Un Toit
3. Paris Ma Rose
4. L’âge D’or
5. Avenu Du Dragon
6. Chacun De Vous Est Concerné
7. Chanson Dans Le Sang
8. Les Coeurs Purs
9. Le Train
10. Coeur De Docker
11. Chanson De Craonne
12. Sans La Nommer


(3) Pendant C’Temps Là…
(4) Légitime colère

1. Pendant c’temps là
2. Le drapeau rouge
3. Est-ce-ainsi que les hommes vivent
4. Monsieur William
5. Vingt ans
6. C’est le printemps
7. Appel du comité central de la Garde Nationale, le 25 mars 1871
8. La canaille
9. Air d’origine
10. Cette fois cay ets il est a nous le pouvoir
11. La Commune enfant
12. Humanisme et démocratie
13. Lettre de Y. Koita et F. Tounkara
14. Les poêtes
15 Thank you satan
16. La belle étoile
17. Quand les hommes vivront d’amour

 1. Ne te trompe pas de colère
2. Charonne
3. Mac do Mac Strike
4. Son bleu
5. A las barricadas !
6. Tout allait bien
7. Toulouse
8. Les majoritaires de la terre
9. Les feuilles mortes
10. Utile
11-12. Donner ensemble l’espoir
13. La lutte en chantant
14. Rue








(5) Basta ya
(6) Parole de mutins

1. Ya basta!
2. Si loin, si proche…
3. Manifestation pacifique
4. Le mouton noir
5. Ils arriveront quand même…
6. Adieu, le 12…
7. Partie de campagne
8. Juillet 1936
9. Comme à Ostende
10. Ça gaze
11. Sans la nommer



1. Les pirates
2. L’hymne des femmes
3. Si j’avais su
4. C’est dans la rue qu’ça s’passe
5. La crise
6. Ébullition
7. Big brother
8. Ouch ouille aïe aïe
9. Si tu vois le père noël
10. Près de chez moi
11. Son de la barricada
12. Démocratie policière
13. Les nouveaux partisans
14. Lilith

::: 収録されているアルバム :::

コミューン万歳 →(3)
歌は何のために →(4)
マクドのマック・ストライキ →(4)
路上で歌う →(4)
すべてがうまくいっていたのに! →(4)
バリケードへ!(ワルシャワ労働歌) →(4)
名前を明かさず →(2)(5)
インターナショナル →(1)
歌で戦う →(1)(4)
女性の賛歌 →(6)

DVD「歌は何のために」には上記の10曲の内の8曲が収録されています。この8曲の和訳はこちらのPDFファイルでごらんいただけます。

「沼地の兵士の歌」 記事へ

(しみずたけと)  2020.4.27  追加 2021.10.28

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Carry Greenham Home

“Carry Greenham Home”という歌をご存じだろうか。ロンドンから西に約90km、グリーナム・コモンという場所がある。1981年、ここに平和を求める女性たちのキャンプが設立された。米国のフォーク歌手、ペギー・シーガー(1935年~)が訪れ、彼女たちのために作詞作曲したのが、このCarry Greenham Homeである。

homeとは、家庭とか家、故郷のことであるから、Carry Greenham Homeを直訳すれば、「グリーナムを家庭に、故郷に運べ」となる。現地の人々の「グリーナムを返せ」という主張だけでなく、グリーナムで起きていることをあなたの家庭に伝えてほしい、あなた方の地域の問題として受けとめてほしいという、遠く離れた人々への連帯を呼びかけているのだ。この運動スローガンが、そのまま歌の題名になり、ビーバン・キドロンのドキュメンタリー(邦題『グリーナムの女たち』)にもなっている。

歌を作ったペギー・シーガーは、アメリカン・フォークの父と呼ばれ、「花はどこへ行った」の作詞作曲で有名なピート・シーガー(1919~2014年)の異母妹である。反戦を歌い、公民権運動を推進する中でWe Shall Overcome(勝利を我等に)を広めた兄、後にパートナーになったユアン・マッコール(1915~89年)も、戦争や差別に反対する政治的な歌をたくさん書いていた。そうした影響もあったのだろう、ペギーは女性の問題について歌い、エコフェミニズム的な女性運動の賛歌をたくさん生み出すことになる。

合唱版はこちら

Carry Greenham Home

1.
Hand in hand, the line extends
All around the nine-mile fence,
Thirty-thousand women chant,
Bring the message home.

[Refrain]
Carry Greenham home, yes,
Nearer home and far away,
Carry Greenham home.

1.
手を取り合って
9マイルの柵を囲み
3万の女性が歌うのは
故郷に伝えたいこと

・くり返し
グリーナムを返せ
故郷から近くても、遠くても
グリーナムを返せ

2.
Singing voices, rising higher,
Weave a dove into the wire,
In our hearts a blazing fire,
Bring the message home.

[Refrain]

2.
歌声は高まり
フェンスに鳩のマークをつけ
心の中に燃え上がる
故郷に伝えたいこと

・くり返し

3.
No one asked us if we cared
If Cruise should be stationed here,
Now we’ve got them running scared,
Bring the message home.

[Refrain]

3.
私たちの心配を誰も聞こうともしない
巡航ミサイルが配備されても
追い払うだけよ それが
故郷に伝えたいこと

・くり返し

4.
Here we sit, here we stand,
Here we claim the common land;
Nuclear arms shall not command,
Bring the message home.

[Refrain]

4.
ここに座り、ここに立ち
ここはみんなの土地だから
核兵器なんかいらない それが
故郷に伝えたいこと

・くり返し

5.
Singing voices, sing again,
To the children, to the men,
From the Channel to the glens,
Bring the message home.

[Refrain]

5.
歌って、また歌って
子どもたちに、男たちに
南の海岸から北の山あいまで届ける
故郷に伝えたいこと

・くり返し

6.
Not the nightmare, not the scream,
Just the loving human dream
Of peace, the everflowing stream,
Bring the message home.

[Refrain]

6.
悪夢でも悲鳴でもなく
ただ愛すべき人類の夢
途切れることのない平和の流れこそ
故郷に伝えたいこと

・くり返し

7.
Woman tiger, woman dove,
Help to save the world we love,
Velvet fist in iron glove,
Bring the message home.

[Refrain]

7.
女は虎、女は鳩
愛する世界のために手を貸して
ビロードの拳にはめた鉄の手袋で
故郷に伝えたいこと

・くり返し


5番の“From the Channel to the glens”は、南島にあるチャンネル諸島からスコットランドの谷まで、すなわち英国津々浦々という意味なのだが、私たちにとってチャンネル諸島はなじみが薄く、どこにあるのかピンとこない人もいると思い、あえて「南の海岸から北の山あいまで」という訳にした。

 <CD>

Carry Greenham Homeはペギー・シーガーのアルバム“Period Pieces”に収録されている。

収録曲

1. I’m Gonna Be an Engineer
2. Nine-Months Blues
3. Lullabye for a Very New Baby
4. Different Tunes
5. Winnie and Sam
6. Reclaim the Night
7. Missing
8. Union Woman II
9. I Support the Boycott

10. Twenty Years
11. R.S.I
12. Different Therefore Equal
13. Turncoat
14. B-Side
15. Woman on Wheels
16. Carry Greenham Home
17. Darling Annie


グリーナム・コモンの女性平和キャンプ

グリーナム・コモン(Greenham Common)と聞いてもピンとこない人が多いと思うので、簡単に説明しておこう。第二次大戦中の1942年、ここに英国空軍の基地が作られた。飛び立ったランカスター爆撃機や米陸軍航空隊のB-17爆撃機がドイツ本土を猛爆。やがて戦争は終わり、不要になったはずなのに、基地は残された。

米ソ冷戦体制下の1970年代。ソ連のSS-20ミサイル配備に対抗して、NATO諸国もミサイル計画を進める。グリーナム・コモンに96発の核巡航ミサイルが配備されると発表されたのが1980年。そこは無人の原野ではなく、多くの人々が暮らす町である。有事に際して、最初の攻撃目標となる場所だ。

日本でも最近聞かれるようになった「敵基地攻撃能力」。攻撃する先がどういうところか、攻撃したらどうなるかに思いを馳せる人は少ないが、味方基地が攻撃された場合を思えば、想像はそれほど難しいことではない。この近くで言えば、横須賀、厚木、橫田にミサイルが飛んできたら…、被害は基地の中だけですむのか…。そういうことである。

それは被害に遭う危険だけではない。こちらが加害者になる可能性を常にはらんでいる。被害と加害は背中合わせ、必ずセットになっているものだ。北朝鮮のミサイル云々と言う人がいる。彼の国の政策を肯定するつもりはないが、彼らにしてみれば、自国に対する攻撃を阻止するための敵基地攻撃能力の整備にすぎない。それを非難するのであれば、敵基地攻撃能力の保有など、口にすべきではないことがわかる。

核ミサイルを撃ち合えば、結果は二つしかない。片方の死滅か、双方の死滅か、そのどちらかである。被害者にも加害者にもなりたくない。巡航ミサイルの配備に抗議する女性たちが集まりはじめ、いつの間にか「女性の平和キャンプ」となった。1981年のことである。被害に遭いたくなければ、加害の可能性を捨て去るしかない。女性の発想は、いつだって男性のそれより合理的であり、進歩的だ。いや、理性的かつ常識的と呼ぶべきか。

彼女らはねばり強く、非暴力を貫き、誰をも傷つけることなく、時にはフェンスをカッターで切って侵入し、月夜の明かりの下、ミサイルのサイロの上で踊ったりした。警官隊の弾圧にも耐えながら、19年にわたって続けられたねばり強い直接行動。1987年、米ソ間で「中距離核戦力条約」が署名され、核巡航ミサイルは撤去されることになるのだが、その陰にはこうした女性たちによる勇気ある運動が存在したのである。

キャンプでは、古くからあるWhich Side Are You On?(あんたはどっちの味方?)、フランス民謡フレール・ジャックの旋律で歌うWe Are Women(私たちは女)等に加え、数多くの歌が作られ、歌われた。興味があれば、“The Greenham Common Women’s Peace Camp Songbook”で検索してみたら良い。歌は、歌だけでなく音楽、いや芸術すべては、人に生きるための勇気を与えるものであるし、また、そうでなくてはならないものだ。音楽が、いかにして集団的アイデンティティの構築に寄与するものであるかを、グリーナムの女性平和キャンプは示している。

映像クリップ

ビーバン・キドロンのドキュメンタリー“Carry Greenham Home”(邦題『グリーナムの女たち』)については、本サイトの【映画の紹介】を参照してほしい。

(しみずたけと)  2021.10.15

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わたしのひとことTOKYO2020

オリンピックをめぐる二つの発言から見えること

東京オリンピック閉会から二ヶ月、パラリンピックが終わって一ヶ月が過ぎた。まだ…なのか、もう…なのか。開催か中止かであれだけ大騒ぎしたにもかかわらず、今や誰も話題にしない。あれはいったいなんだったのだろうか。検証すべきことは多々あるが、ここでは気になった二つの発言をとりあげたい。

7月28日のテレビ朝日《モーニングショー》で、アナウンサーの羽鳥慎一氏が、米国を破り金メダルを獲得したソフトボール日本代表選手に、「本当に素晴らしいプレーでした」とたたえた。

このことに対し、作家の百田尚樹氏がツイッターで、「まず最初に、『皆さんの活躍の場を奪うために、五輪開催に反対して、すいませんでした』と謝ってから、インタビューしろや。クソモーニングショー!」と批判。「『五輪反対と選手応援は別』というのが、五輪反対を唱えていたメディアやエセコメンテーターの言い分だが、こんな欺瞞はない!彼らは選手たちの活躍の場を奪う為に、なりふり構わず開催に反対してきた。メダリストを応援するなら、まず自身の発言を総括してからにせよ!」というわけである。

どこがおかしいか、もうお気づきだろう。多くの人が、新型コロナの感染拡大を危惧し、オリンピックの中止ないし延期を訴えた。それは、アスリートの活躍の場を奪うためだったのか?大会中止になれば、彼ら・彼女らの活躍の場が失われるのは、その通りだ。しかし、それは結果としてそうなったとしても、活躍させないことを目的としたものではない。

春から夏にかけ、外出の自粛が呼びかけられ、飲食店は時短営業が要請され、学校は休校になった。それは飲食店を廃業に追い込むためだったのか?子どもたちの学習機会を奪うことが目的だったのか?そうではあるまい。これらの有効性、適切な措置だったのかは議論の余地があるとしても、あくまでもコロナの感染拡大を防ぐための対策だった。オリンピック開催か否かの問題も、まさにそこにあったはずである。

こんな簡単な論理が、文筆を生業にする百田氏にわからないはずがない。私は氏の著作は『永遠の0』しか読んでいないのだが、半世紀も前からある元零戦パイロットの著書や空戦記録、たとえば坂井三郎氏の『大空のサムライ』などを上手に換骨奪胎、実にみごとに自著に取り込んでいるところなど、なかなかの知性だと感心させられてきた。モーニングショー批判が、論理の飛躍というよりは、別の事柄の無理なこじつけであり、批判を目的とした論点のすり替えであることくらい、百も承知だったはずである。

もうひとつは、「バッハ高笑い」と題した週刊誌『女性自身』の記事に対する、脳科学者の茂木健一郎氏のツイート。

オリンピック開催前のアンケートでは、「楽しみ」が16%、「始まれば楽しめそう」が31%だったが、開幕後は日本人選手のメダル・ラッシュもあり、「開催してよかった」が77%に。その結果が「バッハ高笑い」というタイトルになった。

茂木氏は、「バッハ高笑いというよりも、日本人たちはイデオロギーじゃないやわらかい心を持っているというだけのことだと思います」とし、日本人の柔軟性を強調したのである。

これを柔軟性というのだろうか。そういえば、戦前・戦中は「鬼畜米英」「出てこい、ニミッツ、マッカーサー 、出てくりゃ地獄へ 逆落とし」などと叫んでいたにもかかわらず、戦争に負けたとたん、ウィリス・ジープを追いかけながら「ギブ・ミー・チョコレート」を連呼した国民である。一億総玉砕を主張し、特攻隊という名の自爆テロを推進した人物が、お国のためにも、天皇のためにも、名誉のためにも死ぬことなく、戦後はアメリカ礼讃者に早変わり、総理大臣にまで登りつめたりしている。これも、イデオロギーとは無縁の“やわらかい心”のなせる技なのだろうか。

“やわらかい”という言葉には、“頑な”とか“頑固”“頑迷”とは逆の、好ましい側面を感じるものだが、それは“忘れっぽい”とか“流されやすい”と同じではなかろう。茂木氏は脳科学者なのだから、言葉を選ぶときに、その内包するモノを、もう少し細やかに意識してもらいたいところだ。

ちょっとした発言ではあっても、ふたりともオピニオンリーダーとして知られ、著名人であるから、その影響力は小さくない。百田氏の場合、いつもながらの荒い言葉遣いによるアジとは言え、安倍晋三元首相の、「一部オリパラ中止の声は反日的人物によるもの」という発言と同類である。よく考えない、流されがちな大衆をアジで誘導し、愚民が「そうだ、そうだ」「羽鳥はケシカラン」「テレ朝をブッつぶせ」となると、国民総出で戦争に突入していった戦前の世相とオーバーラップしてくる。そして、いったん始まってしまったら最後、肯定的な見方、都合の良い解釈しかできなくなってしまい、方針の転換もやめることもできなくなってしまうところも、あの頃と変わっていない。

必要かどうかの疑問が生じても中止できないダム建設、トンネル工事、リニア新幹線、原発…。中央卸売市場の豊洲移転、経営破綻まで突っ走った山一証券にも言えそうだ。この国には政策の“修正”という機能が備わっていない。あるのは、歴史修正主義という名の“思想の修正”だけである。それが恐ろしい。

(しみずたけと)  2021.10.15

“祭り”が幕を下ろしても…

どんな祭りでも、必ず終わりはやってくる。開催が一年延期されたTOKYO 2020とは、いったい何だったのだろうか。

2020年夏の五輪大会の開催地が東京に決まったのは、13年9月のIOC総会。決定に先立つプレゼンテーションで、安倍晋三首相(当時)は、原発事故の状況について「アンダー・コントロールだと保証する」と発言した。だが、増え続ける汚染水を貯蔵しきれなくなり、政府と東電の方針は海洋放出である。まさに嘘による招致で勝ちとった開催だった。

東日本大震災による仮設住宅暮らしの人がまだ残り、広大な帰還困難区域を残したままの現状に、「五輪どころではない」「復興が先だ」という反対の声も多かった。そこで生み出されたのが“復興五輪”というスローガン。「五輪によって復興に弾みをつける」「復興のために開催する」というわけである。しかし、いつのまにかしぼみ、やがて消えていった。実際、工事は被災地から五輪関係にシフト。土建業者にとっては、国立競技場の建て替えや選手村建設の方がうま味のあるビジネスだったのだから、当然の帰結である。環状二号線の延伸が絡んだ築地市場から豊洲市場への移転問題も、その一環だった。こういうのを方便と呼ぶのだろうか。最終的に“無観客”となったこともあり、国内外から被災地に足を運ぶ人もおらず、認知される機会もなくなった。“復興五輪”は名実共に雲散霧消したわけである。そういえば、豊洲市場の土壌汚染問題はどうなったのだろう。

メイン・スタジアムとなる国立競技場の建て替えに目を転じてみよう。12年11月、新・国立競技場のデザイン・コンペで、ザハ・ハディッド氏の案が採用された。二本のキール・アーチを有する独特なデザインが注目されたものの、工期の長さや総工費が問題となり、開閉式屋根の設置を五輪後に先送りしたり、8万席のうち15,000席を仮設にし、五輪後に撤去するなどのコスト削減案が提案され、予定通り15年10月の着工が確認されたのだが、その3ヶ月前になって突如、安倍首相が白紙撤回を表明。再コンペによって、大成建設・梓設計・隈研吾氏らによる案が採用され、一年遅れの16年12月に着工、19年11月に竣工した。

新国立競技場では、開閉式屋根の設置は見送られ、屋根は観客席の上部のみ。暑さ対策に問題があると指摘されたが、無観客開催となったことが幸いして、問題は起きずにすんだ。そもそも、1964年の東京五輪のメイン・スタジアムを取り壊す必要があったのか。改修による近代化は不可能だったのか。想像するに、旧国立競技場の座席数(約55,000)では足りない、もっと多くの観客を入れたい、そういう商業的理由だったのだろう。無観客により、取らぬ狸の皮算用そのものというオチである。着工が遅れ、新国立競技場は2019年9月のラグビーワールドカップには間に合わなかった。なお、建設計画がキャンセルされた翌年3月、ハディッド氏は心臓発作により急逝(享年65)。憤死だったというつもりはないが…。個人的には、氏の建築デザインは好きになれなかったが、決定した側にこそ問題がある。

夏の東京の暑さに触れたので、そのことも考えてみたい。1964年の東京五輪の開会式は10月10日であった。これを記念し、国民の祝日として《体育の日》が制定(2020年に《スポーツの日》に改められている)されたわけである。あれから半世紀、人口増加、地表はアスファルトで覆われ、エアコンなどの熱源も加わり、東京はヒートアイランドと化した。以前より暑くなっていることは周知の事実。それにもかかわらず、7月下旬の開会だと? 13年1月、IOCに提出した日本の《2020年東京五輪誘致提案書》に、「この時期は温暖で晴天の日が多く、選手たちが自分の力を思う存分発揮できる理想的な気候を提供する」とある。みな、耳を疑ったはずだ。「夏の東京の暑さを知らないのか?」「熱中症で、選手だけでなく観客にも死者が出る」ともいわれた。宣伝文句が事実かどうかを自分で調べないIOCや各国選手団にも問題があろうが、「アンダー・コントロール」に続く嘘・第二弾であることは、今や世界中が知っていることだ。日本国民は平気で嘘をつく民族…。

暑さ対策として、マラソン会場が札幌に変更され、小池百合子都知事が「合意なき決定」と激怒する一面もあったが、競技後に札幌も東京と大差ないことがわかった。無観客が熱中症対策になったかどうかは不明だが、沿道で観戦する人の“密”が問題となった。競技場や体育館で観戦できない以上、テレビ観戦に飽き足らない人がマラソンや自転車ロードレースのコースに集まるのは当然である。観戦が感染を拡大していった。

時間を少し戻してみよう。2015年7月、クリエイティブ・ディレクターの佐野研二郎氏のデザインが大会の公式エンブレムに選ばれた。ところが、これがベルギーのリエージュ劇場のロゴの盗用ではないかと指摘され、使用中止が決定。再選考で野老朝雄氏デザインに決まったのは翌年4月である。

東京五輪招致をめぐる贈収賄の容疑で、仏捜査当局は2018年12月、招致委員会理事長(当時)の竹田恒和JOC会長の捜査を開始。竹田氏は疑念を残したまま、任期満了となる翌年6月に退任したが、18年から20年度の三年間の弁護費用が約2億円に上り、その全額をJOCが負担していることがわかった。JOCは3月の理事会で、捜査終結まで費用負担を決議しているのだが、そのカネはいったいどこから出るのか?

つづいては、 21年2月に「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」などと発言した組織委会長だった森喜朗氏。辞任を否定しながら、記者の質問を「面白おかしくしたいから聞いているんだろ?」などと発言し、火に油を注ぐことに。約一週間後に辞任を表明し、後任に指名された川淵三郎氏も、一度は受け入れたものの、密室人事との批判を受けて辞退。けっきょく橋本聖子氏が就任することとなり、五輪相の椅子が転がり込んだのは丸川珠代氏だった。

4月には、クリエイティブ・ディレクターの佐々木宏氏による演出プランが、タレントの渡辺直美さんをブタとして演じさせるものであることを、週刊文春がリーク。人の容姿を侮辱するものだとして問題化し、辞任に追い込まれた。ブタやブタの鼻の絵文字を使って「オリンピッグ」と表現する、なんともまあ低次元の駄洒落も検討されていたというから、いったいどこがクリエイティブなのだか…。

開会式の楽曲を担当する小山田圭吾氏が、小学校から高校時代に、障がいのある同級生に対するイジメを自慢げに語るインタビュー記事が注目を集め、7月19日に辞任を表明。組織委は同氏の楽曲を使わないことを決めた。

ようやく開会式と思いきや、前日に開閉会式のディレクターを務めるコメディアン、小林賢太郎氏が過去に、ホロコーストを揶揄する「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」なるパフォーマンスをおこなっていたことが発覚し、ユダヤ系人権団体が反発、解任となった。

五輪開幕後のコロナ感染急拡大については、今さら語る必要もないだろう。大会関係者、選手にも感染者があらわれ、選手村でクラスターも発生している。一般市民と接触させない“バブル方式”も機能不全だ。たとえば、ボランティアのタクシー運転手は、彼ら・彼女らの求めに応じ、エスニック・レストランやショッピング街へとクルマを走らせ、否応のないルール破りに加担させられている。

五輪開催の陰で、コロナ禍はどうなっただろうか。病床が逼迫し、政府は中等症患者は自宅療養だと言い出す始末だ。自宅療養でコロナが治るわけもなく、単なる放置に過ぎない。デルタ型変異株は病状悪化の進行が速く、中等症から重症へはすぐだ。その際、すぐに救急搬送が可能なのだろうか。また、受け入れ先はあるのだろうか。東京都では、8月に入ってから5日間で8人の自宅療養者が亡くなった。コロナ以外にも、心筋梗塞や脳卒中、交通事故など、素早い処置が生命を左右する病気やケガは少なくない。それらにも影響を及ぼすケースが心配になる。お産で死ぬような人が出たら、いったいどこの国の話だと思うが、それが今の日本である。

五輪を中止するチャンスはあったはずだ。アントニオ・グテーレス国連事務総長が、新型コロナ禍を「戦時中」との見解を表明したとき、開催中止を求める国際世論を味方につけることによって、違約金なしに取りやめることも可能だったかもしれない。その選択肢を捨てたのはなぜだろうか。けっきょく、菅義偉首相の「人類(の欲望)がコロナ(という恐怖と理性)に打ち勝った証」を地で行くことになった。

祭りが終わっても、すべてがチャラになるわけではない。パンドラの箱は開けられてしまった。後に残るコロナの大渦巻きと巨大な赤字。祭りの主催者が、反省したり、責任を取ることはないだろう。そのツケは、「メダルだ!」「感動した!」と浮かれていた人にも、そうでない人にも、等しく降りそそぐことになる。そのために生じる新たな亀裂。新国立競技場の建設によって、都営霞ヶ丘アパートの住民らは強制退去された。人々を分断することになった前代未聞だらけの五輪を、私たちはどのようにふり返るのだろうか。

(しみずたけと)  2021.8.8