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映画に使われたクラシック音楽を紹介したことがある。映画制作に当たって、既存の曲の中から作品のテーマや情景に合うものを選んで使っているわけだ。『みじかくも美しく燃え』の背後に流れるモーツァルトのピアノ協奏曲第21番、『さよならをもう一度』ではブラームスの交響曲第3番など。チャップリンの『独裁者』で使われるワーグナーの『ローエングリン』第一幕への前奏曲とブラームスの『ハンガリー舞曲』第5番には強いメッセージ性も込められている。
これらは人気曲だから、録音もたくさんある。とはいえ、同じ曲であっても演奏は様々だ。誰のピアノが良いのか、指揮者は、オーケストラは…。いっそのこと映画のために新たに録音するか。選択肢は一つではない。
曲や録音を探すのが面倒だから…というわけではなく、この映画のためのオリジナル音楽を作ってしまおう…。映画のための音楽、だから《映画音楽》。いや、マーラーの交響曲第5番も映画『ベニスに死す』の中では映画音楽なのだが、その映画のための音楽ではなく、正しくは“映画でも使われた音楽”である。しかし、まてまて。映画音楽として作られた曲も、今や映画以外でも盛んに使われているではないか。演奏会でとりあげられることもあれば、有名な映画音楽をひとまとめにしたレコードなども出ている。映画制作時に委嘱され、映画とセットで作られた音楽、そう思っておけば良いだろうか。
映画と音楽、両者の間には微妙な違いが存在する。映画『恋のマノン』を見て「ああ、ヴィヴァルディの『四季』が使われている」と気づく。逆にジョン・ウィリアムスの音楽を聴いて映画『スター・ウォーズ』のシーンを思い浮かべる。イメージの方向性が真逆になるのだ。このあたり、なかなか面白い。
初期の映画には音声がなかった。ただ映像があるだけだったのでサイレント(無声)映画と呼ばれた。サウンドカメラの登場によって映像と音声の同期がとれるようになり、1923年、短編ではあるものの、初めてトーキー映画が作られた。フィルムに映像と音声をいっしょに収録することができるようになると、背景に流れる音楽が欲しくなるのは当然のなりゆきだったろう。
歌劇やバレエはもちろんだが、そうでない演劇にも伴奏音楽があった。フェリックス・メンデルスゾーン(1809~47年)の『夏の夜の夢』、ジョルジュ・ビゼー(1838~875年)の『アルルの女』、エドヴァルド・グリーグ(1843~1907年)の『ペール・ギュント』などは誰もが知る作品だが、いずれも劇付随音楽である。映画はフィルムという二次元媒体に焼き付けた演劇なのだから、音楽とセットにするのは自然の成り行きだったと言えよう。
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映画フィルム上の音声収録部分をサウンドトラックと呼ぶのだが、映画やドラマ、アニメなどの付随音楽や伴奏音楽を収録したアルバムを指すことの方が多い。今回は《映画コレクション》にある映画作品の中から、サウンドトラック版を七つ紹介しよう。
1)ロミオとジュリエット

まずは1968年のイタリア映画『ロミオとジュリエット』である。ウィリアム・シェイクスピアの戯曲をフランコ・ゼフィレッリ(1923~2019年)が映画化したもので、主演のレナード・ホワイティング(1950年~)とオリヴィア・ハッセー(1951~2024年)は当時18歳と17歳。異例の若さが話題になったことを記憶している人もいるだろう。
ニーノ・ロータ(1911~79年)による音楽は、翌年のアカデミー賞作曲賞にノミネートされた。ロータは実に多くの映画音楽を手がけた人であるが、私にとってはフェデリコ・フェリーニ(1920~93年)とのコンビ、特に1954年の『道』が印象深い。フランシス・フォード・コッポラ(1939年~)による72年の『ゴッドファーザー』、74年の『ゴッドファーザー PARTⅡ』は、それぞれ翌年のアカデミー賞ノミネート作、アカデミー賞作曲賞受賞作で、誰もが知るメロディとなった。
ロータを映画音楽の作曲家としてしか知らない人が多いが、実は交響曲や歌劇なども作曲している純クラシック畑の人物である。それだけに、旋律の美しさだけでなく、きめ細かいオーケストレーションを聴かせてくれる。
2)死刑台のメロディ

次もイタリア映画。1971年の伊仏合作映画『死刑台のメロディ』を監督したのはジュリアーノ・モンタルド(1930~2023年)で、音楽はエンニオ・モリコーネ(1928~2020年)だった。純クラシック作品も手がけるところなど、ニーノ・ロータと似ている。
モリコーネの名で私が真っ先に思い出すのは、64年の『荒野の用心棒』、65年の『夕陽のガンマン』『続・荒野の1ドル銀貨』などのマカロニ・ウェスタンの音楽なのだが、政治色の強い66年の『アルジェの戦い』、89年の『カジュアリティーズ』なども手がけている。
『死刑台のメロディ』はサッコとヴァンゼッティの冤罪事件をとりあげた社会派ドラマで、プロテスト・フォーク歌手ジョーン・バエズによる主題歌を聴くことができるのが嬉しい。
ヨーロッパ映画の中に、ジャンルだかカテゴリーだかわからないが、イタリア映画というものが確かにある。その構成要素である音楽も、フランス映画やドイツ映画、イギリス映画、ロシア映画のそれとは何かが違う。それぞれの国の文学が独自性を持っているように、むしろ当たり前のことでしかない。こうした多様性こそが豊かさであり、われわれに生きる楽しみを与えてくれるものなのだ。
3)イルカの日

『イルカの日』は1973年のアメリカ映画。監督マイク・ニコルズ(1931~2014年)によるフィルムで最も有名なのは、ダスティン・ホフマンとキャサリン・ロスが主演し、サイモン&ガーファンクルのメロディがちりばめられた1967年の『卒業』であろう。
あちらが青春恋愛映画なら、こちらはサスペンス・スリラー映画とでも呼べば良いだろうか。テロ組織がイルカをを使って大統領暗殺を企てるというストーリーだが、イルカを兵器として利用しようという発想は、もはやSFなどではなく、既に現実と化している。純粋な科学的探求ですら、殺人とか破壊に応用しようという者が実際にいるのだ。今日の世界を見れば、正義の名のもとに科学的知見を悪用する人は後を絶たない。
この映画の音楽を担当したのはジョルジュ・ドルリュー(1925~92年)。初めて映画音楽は、『夜と霧』で有名なアラン・レネ(1922~2014年)の『二十四時間の情事』だった。その後、『終電車』など、ヌーヴェルヴァーグを代表するフランソワ・トリュフォー(1932~84年)の作品を多数手がけた。ドルリューの曲は繊細で哀愁を帯びたものが多いが、この『イルカの日』にはそれが特によく合っている。そのせいだろうか、本作品はアメリカ臭が薄く、代わってヨーロッパ映画のような香りが漂ってくる。
4)U・ボート

『U・ボート』は第二次大戦を舞台にしたドイツの戦争映画である。ウォルフガング・ペーターゼン(1941~2022年)の出世作だが、1981年のこの映画を転機に、ドイツの戦争映画は決定的に変わったと思う。本作は英雄が活躍するわけでも、戦う兵士の勇ましさが前面に押し出されるわけでもなく、むしろ戦争の非情さ、空しさ、戦争を遂行する者の無責任が淡々と描かれる。ベルンハルト・ヴィッキ(1919~2000年)による59年の『橋』にもこの種のメッセージが込められているが、海中という閉鎖的空間だけあって息が詰まりそうになる緊張感と、その後にくる虚無感はどうだ。
海の戦闘を手がけたのは、ペーターゼンが北海に面する造船と貿易の港街エムデンの生まれだからであろうか。「沼地の兵士の歌」が生まれた、あのエムズラントの出身である。音楽を担当したクラウス・ドルディンガー(1936~2025年)は、もともとジャズ・サクソフォーン奏者なのだが、洋上艦の探信音を巧みに使ったオープニングの曲は忘れがたい。
5)スターリングラード

ドイツ映画をもうひとつ。『スターリングラード』は、東西ドイツ統合を記念するプロジェクトとして、ヨゼフ・フィルスマイアー(1939~2020年)が1993年に制作したもの。独ソ戦の一大転機となったこの戦いの悲惨さ、無常観。後に『シップ・オブ・ノーリターン』、山岳ものの『ヒマラヤ 運命の山』、エーリッヒ・ケストナーの児童小説をもとにした『ふたりのロッテ』などを制作しているが、この『スターリングラード』こそフィルスマイアーの代表作と呼んで差しつかえないであろう。
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団による主題曲が重々しく始まるオープニング。同じメロディだが、吹雪の中に消え入りそうなエンディング。数々の音楽賞を受賞しているノルベルト・ユルゲン・シュナイダー(1950年~)が見事に使い分けている。
それにしても、かつて『野火』とか『ビルマの竪琴』を作ってきた日本映画界はどこへ行ってしまったのだろうか。『君を忘れない』『男たちの大和 YAMATO』『俺は、君のためにこそ死ににいく』『永遠の0』など、時代を下るにつれて愚にもつかない作品ばかり登場するようになった。そんなレベルの映画だから音楽も記憶に残っていない。ここにきてようやく『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』が登場。『U・ボート』のように、これが日本映画の転機になることを願いたいものだ。
6)空軍大戦略

イギリス戦争映画の代表作と言えば1969年の『空軍大戦略』だと思うが、映画音楽としては、同じロン・グッドウィン(1925~2003年)が担当した64年の『633爆撃隊』の方が知られているのではなかろうか。テレビ番組の制作が多いウォルター・グローマン(1922~2015年)による、ドイツとの戦争を戦い抜いた、スーパーマリン・スピットファイア、アブロ・ランカスターと並ぶ名機デ=ハビランド・モスキートの搭乗員へのオマージュとも言える作品である。
77年の『スター・ウォーズ』のデス・スター攻撃シーンは、本作終盤の爆撃シーンをなぞっている。困難な任務を成功に導きながらも、隊員はすべて戦死、作戦の裏側でレジスタンス隊員も全滅という、悲喜こもごもの内容であるところが、この時代にあってハリウッドものとは一味違うというところか。エンディングで描かれる、これらの犠牲も作戦成功と等価、甘受すべき代償に過ぎないという軍や国家の論理。これをどう評価すべきだろうか。
オープニングや爆撃シーンの勇壮な主題曲は、英国空軍軍楽隊をはじめ、英国のどのブラスバンドも必ずレパートリーに入れているもの。映画で使われているのはオーケストラ編で、弦セクションがある分だけ滑らかで厚みを感じさせる。メインテーマだけでなく、ロマンスの場面や侘しさを感じさせるエンディングなど、グッドウィンの音楽なしでは、この映画の魅力は半減だろう。そういえば酒場のバンド演奏も『スター・ウォーズ』にあった。
7)大地と自由

1995年の『大地と自由』は、戦争ものというよりは社会派の人間ドラマである。スペイン内戦を扱ったこの作品は、あのケン・ローチ(1936年~)監督作品なのだから、推して知るべしである。
第一次大戦は植民地再分配を背景にした戦争、第二次大戦はファシズム対民主主義…、そうした先入観を抱く人が多いが、どちらも覇権をかけた国家同士が戦ったことに変わりはない。ファシズム対民主主義が当てはまるのは、むしろスペイン内戦であろう。しかしフランシスコ・フランコ(1892~1975年)が率いるファシスト勢力と戦った反ファシズム陣営の人民戦線も一枚岩ではなく、思想を異にするいくつもの集団があった。あるものはソ連という、反ファシズムを掲げながらも、その実ファシズム的要素を内包した勢力の支援を受けていた。ファシストたちは共通利益で結束し、反ファシズム陣営は、それぞれ独自の理想を掲げたが故に分裂し、結果として敗れたのである。
音楽を担当するのは、リチャード・アッテンボローの『ガンジー』や『遠い夜明け』など、社会派ドラマを多く手がけてきたジョージ・フェントン(1949年~)。94年の『レディバード・レディバード』以降、ローチ作品の音楽を手がけるのも、二人の思想のベクトルが近いことを表しているのだと思う。スペイン語で歌われる「インターナショナル」とエンディングで読み上げられるウィリアム・モリスの詩の一節が忘れがたい。
(しみずたけと) 2026.9.10
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