2020.5.3 憲法記念日に

家で過ごす憲法記念日はいつ以来だろう。朝日新聞の世論調査によれば、改憲議論について、72%が「急ぐ必要はない」と答えたという。安倍政権が目指す憲法改定は遠のいたのであろうか。

自民党の改定憲法案は時代に逆行したものである。近代民主主義の到達点である権力拘束規範の立憲主義がないがしろにされ、国民を縛り、あたかも大日本帝国憲法が姿を変えて復活しようとしているかのようだ。私はこれをゾンビ憲法と呼んでいる。そんなものが国民のためにならないことは明らかであろう。

いま、世界中が新型コロナに苦しんでいる。とりわけ、政権のトップにある人物が無能な国ほど深刻な状況だ。わが国はどうであろうか。巨費を投入した2枚のマスク、すったもんだの10万円。こんな発案しかできない人たちには消毒薬を注射した方が良いのかもしれない。

いつ終わるともしれない「自粛」。言葉を正しく読み取れば、自分で考え、自分で判断した上での行動を求めるものでしかないのだが、従わないものの名を行政が公開し、尻馬に乗った大衆がそれを叩く。これはもう強制でしかない。相互監視と密告の暗黒社会が出現しかかっている。

感染拡大に対する政府の無為無策を、自粛で乗り切ろうというのだろうか。国民の半自発的な犠牲的精神の発露と全体主義的結束に依存するのは、「贅沢は敵だ」「欲しがりません、勝つまでは」のかけ声を背景に、竹槍でB29に立ち向かい、せっせとバケツリレーの訓練をしたあの時代と変わるところがない。学ばない国民の末路は悲惨だ。閉店、廃業、倒産、解雇、失業、退学、生活苦…、減少傾向にあった自殺がV字回復しないことを祈りたい。

この国難に際し、緊急事態宣言などという中途半端な対策しかできないのは、現行憲法が足かせになっているからだ。国民の生命と財産を守るために「緊急事態条項」が必要だ。だから憲法改定…。自分たちの無能を棚に上げた物言いではないか。こういうのを火事場泥棒と呼ぶ。「こんな人たち」に緊急事態条項などを渡したら大変だ。「こんな人たち」に憲法を変えさせてはいけない。たとえ家にいても、権力を監視し、声をあげ続けることが大切だ。

(しみずたけと)

2020.4.13 オスプレイ

ヘリモードのオスプレイ 2020.4.13. 18:01

書くか、書くまいか、ずいぶん迷ったのだが、やはり忘れないように書いておこうと思う。

 ちょうど一週間前の4月13日、今日と同じ雨降りの月曜日だった。夕方5時45分頃、外から爆音が聞こえた。車やオートバイのそれではない。飛行機やヘリコプターとも違う不快な低周波音。比較的短時間で、その音はしなくなった。少したつと、また聞こえてくる。濡れるの嫌さに窓辺から外を眺めるが、何なのかわからなかった。同じくらいの間隔で、再び。縦列隊形で同じ針路でをとる飛行機群…。もしやと思い、玄関を出る。オスプレイだった!さらにもう一機。いつも飛ぶC-130輸送機と、ほぼ同じ航路。横田基地への着陸進入路である野猿峠から平山城址公園に連なる丘陵の方向に高度を下げていく。

 それにしても、あの嫌な音は何だろう。エンジンは、元々はアリソン社が開発したT406(501-M80Cも同じ)ターボシャフトエンジンである。同社は1995年にロールスロイス社に吸収され、このエンジンの社内呼称はAE 1107C-Libertyになっているが、中身は変わっていない(推測)はずだ。だとすれば、C-130輸送機に搭載されるT56ターボプロップとは基本骨格を共有するエンジンで、違うのは排気を推進力に利用するかしないかだけ。あの爆音はエンジンに起因するものではなく、大きなプロペラか、プロペラが発する気流が干渉して発生させていることがわかる。


 音の快不快は個人差によるものだし、ミリタリー・オタクなら「音の違いがどうした」というかもしれないが、私はこの音がとても気になる。なぜなら、航空機の発する音としては至極不自然だからだ。ヘリコプターは、垂直離着陸のため、大径ローターを水平回転させている。あのバッバッバッバという音は、エンジンではなくローターによるものだ。オスプレイも、水平回転するプロペラによって垂直離着陸する。ローターでないのは、水平飛行時の速度を上げるため、普通の飛行機と同じプロペラ牽引式にしたからである。大きなローターの代わりに、相対的に小径のプロペラだから、垂直離着陸のために2基要るのだろう。とはいえ、プロペラ機のそれにくらべれば大径だ。普通のプロペラ機と違う音がするのも納得するところ。

 まとめてみよう。垂直離着陸は軍による運用のための要件。しかし大径のローターは使えない、だからプロペラ2基の双発。垂直離着陸用と水平飛行用を兼ねるため、プロペラの向きをエンジンごと90度可変させる、ティルト・ローター機と呼ばれる型式。「二兎追うものは…」のたとえではないが、コンセプトとして無理があると思う。両方のエンジンは、翼内を貫通するシャフトで連結されてプロペラを回す。片方のエンジンが停止しても、バランスを失ってすぐに墜落したりしないようにするためだ。つまり、このシステム無しでは片発停止で墜落することを自ら宣言しているのに等しい。もし片方のプロペラが破損したらどうなる。名護市沖で墜落したのは、空中給油中に送油パイプに接触したプロペラが破断したのが原因である。もし翼内の貫通シャフトにトラブルが生じたら…。構造の複雑化はトラブル発生率と相関関係にある。それだけ危なっかしい構造なのだ。オスプレイに事故が多いのは周知の事実である。

 軍の要求を満たすため、無理矢理作ってしまったのだろうか。一般のプロペラ機がここまで大きなプロペラを装着しないのは、ただ単に地上との干渉を避けるためだけではない。単価が約100億円といわれるオスプレイ。量産効果で安くなれば、滑走路建設ができない田舎町や離島への民間コミューター機になるうるだろうか。答えは、否である。設計的に無理があるものは、実際に飛んでも無理がある、というか危険である。墜落したら、巨額の補償で会社がつぶれるかもしれない。しかし国家にはそういう心配がない。どうせ税金から払うのだから。兵士は部品と同じで、ダメになった部品は交換すれば良いように、兵士の場合も補充すればすむ。軍隊とはそういう思考回路の集団だ。

 しかし墜ちたら、ダメージがあるのは搭乗員だけではない。空路の下に住んでいる人にとっては不安が募る。だから米国内では居住地域を避けて飛行することになっている。そんなオスプレイが、日本では、いつでもどこでも自由に飛ぶことができる。下に住んでいるのは黄色いサルに過ぎないとでも思っているのだろう。日本政府も、それを追認しているということだ。横田に配属されているかぎり、オスプレイはこの空を飛び続けることになるのだろう。飛ばしている主体である米軍や、ただ黙認するだけの日本政府の側から「安全のために運用をやめましょう」と言い出すわけがない。だとすれば、私たちはどうするべきか。


(しみずたけと) 2020.4.13

『委任独裁』

石田勇治氏の夕刊記事を私も読みました。「危機に直面した主権者が、為政者に委任して生じる独裁」ということだそうです。もし、憲法に改憲項目の 『緊急事態対応 』が入っていたら防疫のため委任独裁が現れたかもしれないと石田氏は話されてます。

何を一番にしていかねばならないのか、先も見通せず あげくの果てに自宅でのくつろぎ動画で、自粛を呼びかけるという、あまりにもズレた政策の安倍首相だけに、医療・国民の生活を守る対策に知恵を絞り政策を実行することより、憲法を変えないと、国は守れないなどと、自分たちの責任をすり替えて主張しそうでとても心配です。私たちが、自分で考え行動しながら、感染が広がらないように心がけて、政治のチェックもしていかねばと反省もかねて強く思います。 A. I.

2020.4.15

2020.4.14 緊急事態宣言

午前のさわやかな風の中、くすのき公園から鶯の囀りが聞こえてきます。心地よい気分に浸っていたら、突然、防災放送のアナウンス。なにごとと思ったら、八王子市長のメッセージでした。緊急事態宣言が発せられたこと、不要不急の外出を控え、手洗い云々…。市長が何を今さらと思ったのは私だけでしょうか。4月8日の午前10時のことでした。

ところで、この緊急事態宣言、なぜこの時期に?効果やいかに?新型コロナの感染拡大は予想されたことであり、接触を断つための外出制限は、緊急事態宣言なしでも、もっと早い時期に可能だったはずです。いずれにせよ、強制力も罰則もないわけですから。感染防止の目的のために、緊急事態宣言がなし崩し的に正当化されて良いのか、私は危惧しております。

憲法22条に反して人の行動を制限するわけですから、感染防止という「公共の福祉」のために、事前に国会できちんと審議しておくべきでしたし、それだけの時間的猶予はあったはずです。そうしたプロセスを踏んでおけば、問題は起きなかったと思います。それを安倍政権は、「緊急事態条項」を憲法に入れようという不純な目的のために、あえてそれをおこなわず、現行憲法が足かせとなって、この程度の中途半端な緊急事態宣言しかできないという方向に世論を誘導しようとしています。もしそうでないなら、単なる無為無策、ダイヤモンドプリンセス船内の状況を国中に広げ、人の命を危険にさらしていることになります。

また、「ぎりぎり持ちこたえている状況」といっておきながら、結局は宣言を出したのも、感染が拡大するのを待ち、メディアや国民が「遅すぎる」と非難するのを見越した上で、あたかも国民の方が緊急事態宣言を望んだかのようなストーリーを仕立てあげようとしているのではないでしょうか。

マスク二枚など、安倍政権にはまともなブレーンがついていないと思っていましたが、どうやら賢い人間が現れたようです。しかし、その賢さは、ずる賢いとか悪賢いと呼ばれるべき類いであって、決してほめられたものではありません。今こそ国民が賢くならなければいけません。

(しみずたけと)

2020.4.12 訪う人も少なかった:拓魂祭の日

外出しないよう、お上から「お願い」が出ているが、引きこもってばかりでは退屈だし、だいいち健康によくない。歩かないと脚の筋肉が衰え、体力も落ちてしまうだろう。それではかえって新型コロナの餌食にもなりかねない。というわけで、多摩市にある桜ヶ丘公園に出かけてみた。公園西口から入り、鶯を聴きながら坂道をあがると、そこは拓魂公苑。先月、訪れたところである。

この日は4月の第2日曜、例年なら満蒙開拓団の拓魂祭が開かれるのだが、予想通り中止らしい。それでも10人ほどが来ており、碑に手を合わせる姿も見られる。

声をかけてきたのは大田区に住むMさん。新潟出身の父親は農家の三男で、満洲の弥栄村へ。Mさんは終戦当時4歳だったという。走っては停まり、また走って、そんな列車の石炭貨車で葫蘆島へ。港に着いた安心感で亡くなっていく人を何人も見たそうだ。幸い家族も無事で、米軍のLSTで佐世保に上陸。帰国まで1年を要したという。郷里の新潟に戻ったものの、そこに身の置き所はなく、今度は北海道に入植。電気のないランプ生活、水は家の前の川、冬は地表50cmが凍る寒さで大変な苦労をしたらしい。あまりの大変さに、長男であったにもかかわらず、家業を継がずに東京に出てきたということだった。声をかけてもらい、生の声を聞くことができたのは幸運としかいいようがない。こういう場で、こちらから声をかけるのはちょっと躊躇われるものだ。

都内にある満蒙開拓に縁ある慰霊碑の所在を示すマップを配っている方がいた。駒込で原爆を基軸に戦争と平和を考える「ヒロシマ連続講座」と題するイベントを、もう5年も続けているTさんという方である。こういう出会いは貴重だ。来年もまた来ることになるだろう。それまでに、都内の慰霊碑めぐりをしておこうと思う。

(しみずたけと)

満蒙開拓、背中あわせの被害と加害