そうだ!モスバーガーにしよう!

 モスバーガー、美味しいよね。そういう人が多い。ぼくもモスバーガーが好きだ。マックはもう40年くらい食べていない。ちっとも美味しくないし、オマケで子どもを釣ろうとするあのやり口が気に入らないから。ピクルスとオリーブをたっぷり入れてくれるサブウェイはいいけど、できればバーガーキングやウェンディーズはパス。フレッシュネスは、パテの味は及第点なんだが、バンズがフワフワすぎて食事満足度が低いのが玉に瑕。だからモスバーガー推しというわけ。

 そのモスバーガーが不買運動のターゲットにされた。同社がベトナム人を店長や幹部候補として育成するというニュースがSNSで飛び交ったことに端を発している。曰く、「日本人と衛生意識が違う人に店舗管理をまかせて大丈夫?」「人手不足の穴埋め要員ならわかるが、なぜ店長候補なんだ!」「日本人を差し置いて外国人っておかしくない?」等々。

 ひとつひとつ考えてみよう。日本人ならみな衛生意識が高いのか?駅のトイレで手を洗わずにそそくさと出ていく日本人の何と多いことか(森田美由紀さん調)。牛丼屋やコンビニで起きたバイト・テロ事件。あれも日本人だった。人手不足の穴埋めなら良いけど、なぜ店長はダメなんだ?部下としては受け入れるけど上司にはしたくないということか?なんとケツの穴の小さい…。そんなんじゃ外資系企業なんかで働けないぞ。マイクロソフトもグーグルもアマゾンも(個人的にはどれも好きじゃないが)、上は外国人だからな。日本人を差し置いて…という話も違うだろう。これまで日本人だけを対象にしていた管理職の門戸を外国人にも開いただけに過ぎない。誤解と言うより曲解なのではないのか?

 日本の労働環境に外国人が浸透してきているのは、人手不足もあるけれど、決してそれだけではない。的確な仕事をしてくれるのならどこの国の人だって良いからだろう。真摯で誠実、安全意識があって笑顔…、どれも日本人にしかできないことだと思っているとしたら、それは思い上がりというものだ。コンビニや居酒屋で外国人の店員に出会うことなど珍しくなくなったが、何か不都合があったろうか。不愉快な目に遭っただろうか。あったとしても、それは相手が日本人であっても起きることだろう。コミュニケーションの問題?そうだとしたら、海外に行ったら不都合なことばかり、毎日不愉快な目に遭うことになるはずだ。そうなのか?

 外国人の採用を、ぼくとしてはむしろ歓迎したいくらいだ。彼ら・彼女らはバイト・テロなど起こさないだろうから。そんなことをしたら強制送還されてしまうかもしれない。だから日本人以上に誠実に働く人が多い。もちろん、すべての外国人がそうだなどと言うつもりはない。それは日本人にも言えることだろう。日本人なら、たとえバイト・テロをしたって国外追放にはならない。強盗や殺人でもだ。日本人であるだけで…。これを特権と言わずして何と言う?

 日本に住む外国人が増えている。しかし刑法犯の数は減っている。「治安が…」という人はデータから判断すべきだ。ルールやマナー、伝統文化を持ち出す人もいるが、箸ではなくナイフとフォークを使うのはどうなのか?コーヒーやシェイクを片手に歩くのは?電車でオニギリを食べている人もいるぞ。化粧をするのはいいのか?ルールもマナーも伝統も、国だけでなく世代間でもバラツキがある。「なんとなくそう感じる…」ではなく、もっと科学的に、論理的に、合理的にならなければ議論にすらならない。

 飲食店やコンビニだけではない、野球もサッカーも相撲もオーケストラも多国籍、いろいろな人がいて成り立っている。それが世界であり、日本もまた世界の一部であることを認識しなければいけないのだと思う。日本が日本として存在し続けるためにも。そんなわけで、今回のモスバーガーの英断にはエールを送りたい。当たり前でしかないことゆえに、いささか情けない気持ちもあるのだが…。

 さて、ランチ用にモスバーガーを持って公園の散歩にでも出かけるとするかな。

(しみずたけと) 2026.3.30

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目的と結果をとり違える

 NHKの朝ドラ、ご覧になっていましたか?ええ、『ばけばけ』です。小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの妻、小泉セツを中心に据えたドラマでした。神戸や焼津を舞台にしたシーンがなかったのが残念ですが、毎回15分で週5日、25週の全125回ですから、まあ仕方ないですね。あっという間に終わってしまった感があるのは、それだけ面白かったということでしょう。

 高校に入ったばかりの頃、英語の勉強にと読んだのがハーンの “Kwaidan” でした。「耳なし芳一」はもちろん、「狢」、「雪女」、どれもけっこう怖かったですね。後に平川祐弘の『小泉八雲 西洋脱出の夢』を読み、ますますハーンが好きになりました。訳書ではありましたが、彼の作品を片っ端から読んだものです。日本語訳は何種類かありますが、私には平川祐弘のものがいちばんしっくりきました。訳によって印象がかなり変わること、翻訳の難しさを学ぶことにもなりました。特にお気に入りの作品は、先にあげた「怪談」はもちろん、「メキシコ人の感謝」「日本海の浜辺にて」「君子」といったところでしょうか。原題はそれぞれ‘A Mexican’s Gratitude’ ‘By the Japanese Sea’ ‘Kimiko’です。

 なぜここで『ばけばけ』を採り上げたのか。第18週《マツエ、スバラシ》でハッとしたことがあるからです。ドラマ中の話ですから、登場人物名で話を進めましょう。

 ヒロインのトキとヘブンさん夫婦は松江の有名人でしたが、ある日突然、トキは町の人たちからひどい言葉を投げかけられ、さらには石をぶつけられて額にケガをする羽目に…。トキの実家である松野家は膨大な借金を抱えていましたが、お雇い外国人ヘブンの高給のおかげでそれを完済。めでたしめでたしのはずなのですが、そのことを針小棒大に書き立てた新聞記事のせいで、松野は借金返済のために娘を西洋人に売った一家、トキは異人のラシャメン(外国人の妾になった日本女性への蔑称)というレッテル貼りをされ、トキとその家族は人目を避けるような生活に…。

 トキがヘブンと結婚したのは松野家の借金を返すためではありません。借金を返したことは単なる結果です。結果だけを見て、あたかもそれが当初の目的であったと思い込んでしまう。事情を知らなければ誤解というものですが、知っていながらそう捉えるのは曲解というものです。恵まれた境遇にある者に対する羨望は誰もが抱きがちですが、度を超えた妬みや嫉みには悪意が潜んでいることが多いものです。こういうことがあって、ヘブンさんは松江を離れる決心をし、最終的に東京に居を移すことになります。

 このストーリー展開が事実にもとづくものなのかは知りませんが、小泉セツの『思ひ出の記』や曾孫である小泉凡の『セツと八雲』を読むと、後年セツは「ラシャメンと後ろ指をさされることが本当につらかった」と明かしています。ハーン自身は東京の騒がしさが好きではなかったようですが、大都会では隣人を気にする人が少なく、セツに心安らかに過ごすことができる環境を与えたいという思いがあったことも垣間見えてきます。

 ところで、なぜ人はある行為の結果を当初の目的と取り違えるのでしょうか。誤解でしょうか。誤解は事実を知ることでとけるものです。とけないのは、それが誤解ではなく曲解だからに他なりません。こうした曲解は、実はかなり多いのではないか。『ばけばけ』の中では、シンデレラ・ストーリーのヒロインがいて、その境遇を羨むと同時に、対照的に恵まれない自分自身、事がうまく運ばないことへの僻みが原因ですが、もうひとつ、自分もしくは自分が属する集団による、常識的または人道的には正しいとはいえない行為の正当化、免罪を求め、あるいは開き直りのパターンがあるのではないでしょうか。

 たとえばアジア太平洋戦争の責任問題について、日本は良いこともした。そう主張する人がいます。朝鮮半島を植民地化する中で、学校を建て朝鮮人に教育を施した、鉄道を敷設したなどです。なるほど、教育によって識字率が上がりましたし、鉄道が日本の敗戦後に朝鮮半島の復興に役立ったのは事実でしょう。しかし教育は、朝鮮人が読み書きできるようになった方が支配しやすくなるという日本側の都合です。鉄道建設も、なにも朝鮮人の往来を便利にすることを企図したわけではなく、日本軍の移動の手段であり、米など朝鮮半島の農産物を内地に運ぶのが目的でした。どちらも支配と収奪の手段です。教育や交通網の整備が目的なら、なにも植民地にする必要などないでしょう。今日、途上国で教育をおこなうNGO、紛争地で医療活動を展開する国際機関、復興ボランティアが活動していますが、支配を意図したものではありません。

 こうしたことは、なにも日本だけのことではありません。原爆投下によって戦争が早期終結し、結果的に米兵だけでなく日本人の犠牲をも減らすことができたなどという、いいわけにもならない言説がまかり通っています。私は「結果良ければ全て良し」とか「結果オーライ」というような物言いが好きではありません。良い結果は、良い過程の積み重ねでしか生まれないものです。

 結果を都合よく解釈するだけにとどまらず、今日では真の目的を隠蔽し乱暴な手段を正当化するために、初めから虚偽の目的をでっちあげて喧伝することが当たり前のように行われています。たとえば、抑圧体制から民衆を解放するといいながら、その実は資源調達と市場確保を目的とした自国に都合の良い傀儡政権の樹立を目論んでいるなど、破廉恥ここに極まれりといった様相です。実際、誤ったプロセスが悪しき結果を生み出していることは、今日の世界情勢を見れば明らかでしょう。誤った過程は、決して良き実りをもたらさないものです。

 ものごとの表層だけで判断するのではなく、本質を捉えることの重要性がますます高まっています。

(しみずたけと) 2026.3.29

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常軌を逸した狂気の同盟

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Roger Peetさんのイラスト・プラカード
セブンイレブンのネットプリント;予約番号=90037988 テロ国家;予約番号=11033051

 米国とイスラエルの両国が軍事力によるイラン攻撃をおこなった。体制転換を企図したものだという。米国政府は最高指導者ハメネイ氏が死んだと伝えているが、死んだのではなく、正しくは「殺害した」である。殺害したのは誰か。革命が起きたわけでもあるまいし、どこの国であっても人を殺めるのは犯罪のはずだ。現在のイランの体制が良いとは思わないが、他国が武力という手段で政権を交代させることが正しいとは思えない。イランの体制変革はイランの人々の手によって実現されるべきものである。

 今のイランの体制に苦しめられている人は数多い。それを救済するためだとしても、武力行使によって子どもを含む多数が死傷している。そもそも学校や病院、宗教施設に対する軍事攻撃は国際法違反だ。亡くなった子どもたちは「よりよい未来を築くための尊い犠牲になった」とでもうそぶくつもりだろうか。たとえ政権が倒れて抑圧体制がなくなったとしても、それよりも大きな憎悪が米国とイスラエルに向けられるだろう。抑圧体制とはいえ、親と子が共に生きることだけはできた。しかし空爆は親子を最も残酷な形で永遠に引き離すことになったのである。近い将来、尊い犠牲を掲げて新たなジハードを志す者も出てくるに違いない。民衆が自らの手で打ち立てたものでない政体は長続きしないものだ。

 10年越しのベトナム戦争、1973年のチリ政変、最近ではベネズエラ大統領の誘拐、第二次大戦後に米国がおこなってきた戦争はいつも親米政権を打ち立てることが目的だった。親米国家であれば、それが軍事独裁政権であろうが、非民主的な抑圧政権だろうが、それを支援し、親米でなければ反政府側を支援して政権転覆と親米政権樹立を目指す。支援とは、資金の提供、武器と軍事訓練の供与、米軍プレゼンスによる威圧、さらには直接的な武力行使も含まれる。それが米国の世界戦略の実体だ。

 しかし、ベトナム戦争では多数の自国兵士を失い、経済的損失を出したあげくに失敗。アフガニスタンでは、一度は崩壊したタリバン政権が復活した。米軍の攻撃で国土は荒廃、家族や友人を失い、成立した米国の傀儡であるカルザイ政権への反発が「帰ってこい、タリバン」につながった面もある。ありもしない大量破壊兵器を“差し迫った脅威”と喧伝することで始めたイラク戦争は、独裁者フセインを倒したものの、その後の混乱から現出したのがイスラム国(IS)だった。民衆自らの手で築き上げた社会であることの重要性は、まさにそこにある。

 なぜそうまでして米国は親米政権樹立にこだわるのか。そこが資源の供給地になり、米国の市場になるからである。資本主義システムというのは、経済活動が政治に働きかけ、政治が経済活動を可能にするという二人三脚なのだ。米国は、民主主義国であるというよりは、資本主義の帝国であると認識すべきであろう。

 1973年にチリで起きたクーデターで、米国は陰でピノチェトを支援するという黒子に徹していた。そのあまりにもあからさまやり口は、誰の目にもピノチェト将軍とニクソン大統領の二人羽織だとわかるものだが、いちおう間接的なスタイルを装ってはいた。直接行動に出なかったのはベトナムの教訓であろうか。しかしその後の湾岸戦争、アフガニスタン侵攻、イラク戦争では米軍による直接的な武力行使が平然とおこなわれるようになり、つい最近ではイランの核施設攻撃、武力を使ったベネズエラ大統領誘拐、そして今回のさらなるイラン攻撃と、国際法を無視した完全にタガのはずれた様相を見せている。これはトランプ政権だからなのか、それとも米国が本質的にそういう国であるからなのか。

 米国の世界戦略が、けっきょくは世界を混乱に陥れている。そのことに気づかないのだろうか。それとも自国ファーストのもと、こうした確信犯的な政策をあえてとっているのであろうか。もしかしたら、あの国で成功した例が世界中で通用すると勘違いしているのかもしれない。そうだとしたら笑止千万である。

 あの国とは、かつて鬼畜米英を叫び、米国と大戦争を繰り広げた国のことである。戦争に敗れると、上から下まで米国礼賛者へと早変わりした。子どもたちは「ギブ・ミー・チョコレート」と叫んで占領軍―あの国では進駐軍と呼んだのだが―のジープを追いかけた。子どもたちだけではない。同じようにして、ある戦犯容疑者は首相にまで上り詰めた。以来80年、米国の属領にされながらも嬉々として追従するありさまだ。米国にしてみれば、時代遅れの巡航ミサイル(トマホーク)を“大人買い”してくれ、“思いやり”という名のもと、家賃タダ、光熱費タダ、電話料金も高速道路も無料、下宿人の犯罪に対しても寛容という気のいい“大家さん”なのだから、こんなありがたい国はない。

 だが、あの国は例外的な存在である。あのような国は他にない。アフガニスタンやイラクの人々はあれほど卑屈ではなかった。だからタリバンが復権し、イスラム国が出現してしまったのだ。世界中があの国のようになるなど、妄想もはなはだしい。そしてあの国だって、いつまでも今のままでいるかはわからない。いつか目覚めるときが来るかもしれない。そうならないよう、属領の統治を任されたリーダーはメディアを操作し、教育に介入しているわけだが、人間のやることに完全はない。破綻して真相が白日の下に曝されたとき、いったいどうなることだろう。

 パレスチナ、とりわけガザに対するイスラエルの暴虐な政策は米国との連携あってこそのものである。私は米国とイスラエルの関係を“常軌を逸した狂気の同盟”と呼ぶ。これに加わって悪の枢軸を形成しようとするのはどの国か。もしやあの国か。王様トランプに抱き寄せられてはしゃぐ “外国の代理人” (注)を思うと、あながち的外れではないかもしれない。

注)外国の代理人とは外国の利益を代表して活動しているとみなされる個人や団
体のことで、政権は「スパイ行為をする可能性がある」として、これらを監視、
処罰するための《スパイ防止法》を成立させようとしている。


(しみずたけと) 2026.3.1

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悪党が改憲? 笑わせちゃいけない!


 この数年で日本の政治は著しく劣化、腐敗した。公文書偽造に裏金問題、何でもありだ。政治家が悪事に手を染めたというよりは、悪党が政治をやっているという方が的を射た表現だろう。森友学園に加計学園、桜を見る会、統一教会、パーティー券、すべてカネ、カネ、カネ…、金絡みである。新聞やテレビはこれを「政治と金の問題」というが、いやしくも言論機関を自負するのなら言葉は正しく使うべきだ。これは長きにわたる金権政治の延長線上にある「自民党の裏金問題」である。それとも、政治というものはすべからく金と癒着するものという印象を国民に与え、政治家への不信から政治への無関心を誘い出し、選挙に行く気を失わせ、その結果生ずる投票率の低下によって現政権を有利にしようという“隠れ忖度”なのだろうか。

 かくの如き腐りきった政権、悪党どもが憲法を変えることでより良い社会が来ると本気で思っている人がいるとしたら、それこそ究極の平和ボケ、脳内お花畑といわれるに違いない。まして憲法は《権力拘束規範》である。強大な力を持つ国家権力に縛りをかけることで、その暴走を食い止め、国民の権利を守っている憲法を、悪党どもが変えたらどうなる。自分らへの縛りをゆるめ、歯止めが効かなくなるに決まっているではないか。汚れた手の者が今の憲法に触れようとするのを許してはならない。ロシア、中国、北朝鮮を、多くの日本人が好ましからぬものと思っているようだが、いずれも国家権力が好き放題やっている国である。これらの国に日本国憲法があったなら、世界はもっと違った様相を呈していたであろう。

 現行の日本国憲法が完全無欠だというつもりはない。天皇制の問題や不完全な三権分立体制など、検討および改善すべき余地は多々ある。しかし、この憲法で困っている人はどれほどいるのだろうか。2012年5月10日の憲政記念会館。安倍晋三(元首相)が代表を務める創生会の集会で、第一次安倍内閣の法相だった長勢甚遠が「国民主権、基本的人権、平和主義をなくさないと本当の自主憲法ではない」と発言し、会場から拍手喝采を受けた。きっとこうした政治家と彼らを支持する人たちが、暴走したくてもさせてもらえない今の憲法に手を焼いているのだろう。

 憲法の手直しはありうるし、他の国でもやっている。ただし、それは修正条項とか追加条項という形でおこなわれるのがふつうだ。たとえば、アメリカ合衆国憲法には女性の参政権が記載されていない。その一方で奴隷制が認められている。奴隷制の廃止は1865年の修正第13条で、女性参政権は1920年の修正第19条で、それぞれ憲法に規定された。時代の要請に答えるために、ゼロからすべて書き直さなければならないわけではない。

 岸田文雄(現首相)は1月30日の施政方針演説で、「先送りできない課題(中略)まずは、憲法改正です。衆参両院の憲法審査会において、活発な議論をいただいたことを歓迎します。国民の皆様にご判断をいただくためにも、国会の発議に向け、これまで以上に積極的な議論が行われることを期待します。また、あえて自民党総裁として申し上げれば、自分の総裁任期中に改正を実現したいとの思いに変わりはなく…」と述べた。しかし、これは明らかな憲法99条違反である[1]。多少なりともその認識があるからだろう、「自民党総裁として…」という断りを入れているのだが、施政方針演説は党代表がするものではなく、あくまでも内閣総理大臣が公務員の立場で行うものであることを考えれば、エクスキューズにはまったくなり得ないものだ。同日、公明党代表の山口那津男は「憲法の課題は極めて重要だが、先送りできない優先課題を差し置いて憲法に力を注ぐという状況ではない」とコメントしている。

 しかし、改憲勢力は自公政権だけではない。維新、国民民主を合わせれば、発議できるだけの議席を占めている。維新と国民民主は、「改憲を党是に掲げる自民の対応が後ろ向き」と批判的だ。改憲の国民投票を実施するためには60〜180日の周知期間が必要であり、維新代表の馬場伸幸は、「今国会で発議しなければ間に合わない」と迫っている。予算案が衆院を通過するまで憲法審査会が開かれないことに対するいら立ちであろう。何が何でも改憲したい勢力の一人ということであろうか。

 昨年12月7日の憲法審査会で、自民党の中谷元は、「来年の常会に、議員任期延長や解散禁止などを含めた緊急事態における国会機能の維持の憲法改正について、具体的な条文の起草作業のための機関(作業部会)を設け、作業ステージに入ること」を提案した。しかし、緊急事態条項について議論されたのは議員の任期延長だけである。議論もなしに改定条文の起草を始めるとは、改憲に賛成の人だけで進めましょうということか。国政を自分のおもちゃ箱だと勘違いしているのかもしれない。

 議員の任期延長とは、国民の投票権を停止することである。私たちは、自分たちが選挙を通して選んだ代議士を通して国政に参加している。これを《間接民主制》と呼ぶわけだが、それをできなくするのは参政権を奪うということにほかならない。信頼できる人を選べない、信頼できない人を辞めさせられないのでは民主政治は崩壊してしまう。

 緊急事態には、緊急政令(内閣の命令が法律と同等に扱われる)、緊急財産処分(国民の預金を封鎖したり土地や家屋の使用・没収ができる)、兵役の強制(徴兵や戦場に送ることができる)、人権制限(通信の秘密、知る権利、言論の自由を制限できる)など、国民にとって大きな危険が生ずるものである。つまり、国家に従わない者を排除できるようになるのだ。しかし、それがいつ、どういうときに、どの範囲で、どれくらいの期間になるのかは一切議論されていない。1933年のナチスの《全権委任法》[2]になぞらえられるわけだが、これは単なる昔話、歴史のひとコマではない。政府にとって都合の悪い人間が飛行機事故で死んだり、突然死したり、薬で溶かされたり、そういうことが起こる国になるということである。そのような法案を、「お上は間違いをしませんから安心して白紙委任してください」といわれて信じることができるとしたら、よほどのおめでたい人間であろう。

 岸田文雄の属する宏池会は、改憲、改憲と騒ぐ筋金入りの極右とは距離をおいた存在だったはずだ。彼は改憲を目的に首相になったのではなく、首相の座につくために安倍派の支持を得なければならず、それゆえ政策としての改憲を継承せざるを得なかったのである。改憲の成否は自身の進退を左右するわけで、首相で居続けるためには是が非でも改憲を成功させなければならない。それゆえ、改憲によって生ずる混乱など負の側面を指摘しても説得にはならないから、その意味ではかえって質(たち)が悪いといえよう。

 単に総理大臣の椅子に座り続けるための改憲、やめることのない議員職が目的だとしても、その先にあるのは独裁政治である。無責任で不適切な政策だけでなく、汚職などの腐敗政治にも関わらず、国民の声をないがしろにし、政権交代を阻み、そのために人々の権利を制限しようとするのは、戦争に向かう国家に見られる特有のものだ。2014年の閣議決定による《解釈改憲》、その翌年の《安保法》は、まさにその通過点だったといえよう。

 いま私たちが率先してしなければならないことは、改憲の必要性が希薄であること、緊急事態条項の危険性、それよりも優先する課題が山積みである現状を多くの人に周知徹底し、政治家としてふさわしくない汚れた人物らによる憲法審査会の開催に反対し、改憲の発議など言語道断であることを、声を大にして訴え続け、これを国民総出で共有することであろう。

 


(しみずたけと) 2024.2.26

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オスプレイと米軍基地


 米空軍のオスプレイが屋久島沖に墜落したのは11月29日だったから、もう二週間以上が過ぎたことになる。搭乗の八人全員が死亡したことになっているが、うち一人はまだ行方がわからない。生存の可能性がゼロだから全員死亡とされているのだろう。

別に驚くようなことではない。オスプレイの危険性は以前から指摘されてきた。ある意味、想定内ともいえよう。横田基地に所属する機体だから、何度もこの八王子上空を行き来していたはずで、私たちが目にしていたうちの一機だったわけである。


 屋久島沖だったことが墜落原因ではない。単に墜ちた場所が屋久島沖だったというだけである。これまで八王子市内に墜ちなかったのは偶然だし、墜ちても、それもまた偶然に過ぎない。ひとつ言えるのは、他の機体より墜落しやすい、墜ちる確率(可能性と言い換えても良い)の高い物体がこの上空を飛んでいたということである。

 今回の事故を目撃した人の証言によれば、裏返しになって燃えながら墜落したらしい。上翼タイプで、翼にエンジンを装着した飛行機がバランスを失えば、重たいエンジンが下になるのは物理の法則どおりである。この姿勢では、搭乗員が脱出することなど不可能だろう。気の毒な話である。

 オスプレイが構造的な無理を抱えていることは、以前にも書いた。ありていに言えば「欠陥機」である。欠陥車とか欠陥住宅など、欠陥のある製品はいろいろある。製造上のミス、工作精度や施工の不良、材料の質の問題を頭に思い浮かべるかもしれないが、設計段階における無理も欠陥につながる。たとえば、10メートル四方の土地に50階建ての高層ビルを建て、それが地震で倒壊したら、材質とか施工以前の問題であることは、誰が考えてもわかるに違いない。

 そんなオスプレイに乗るパイロットはどう思っているのだろうか。欠陥機であることを知らないのだろうか。軍隊とは真実を隠蔽するのが得意だから、そういうこともあるかもしれない。それとも命令だから従わざるを得ないのか。まるで戦争末期、生きて帰ることのできない飛行機に乗せられ、笑って飛び立ったことにされた特攻隊員と同じではないか。そういえば、ベニヤ板の特攻艇「震洋」、同じくベニヤ板で作られた戦闘機「剣」などというものもあった。洋の東西が違えど、時代が変わろうと、軍隊という組織は人間など部品としか考えていないことがわかる。

 オスプレイが墜落するにしても、それは東京ではないだろうし、東京だとしても、八王子以外だろうし、仮に八王子だとしても、ここ別所ではないだろうし、少なくとも私の家ではないだろう…。そういう思いなのだろうか。

 オスプレイが墜落しやすい危険な飛行機だとしても、それで生じる犠牲など微々たるものだ。中国が、北朝鮮が、ロシアが攻めてきたら、とても数人などという被害ではすむまい。オスプレイの危険など必要経費みたいなものだ…。そう考えているのだろうか

 この飛行機は、ローターをティルトしたときに、とりわけ事故が多い。だから基地上空以外ではティルトしないことになっていたはずだが、横田基地から約15キロ離れたこの上空を飛ぶオスプレイは、そのほとんどがティルトした姿勢で飛行している

 1955年9月19日、横田基地を離陸したF-80戦闘機が上空で爆発し、現在の八王子市大楽寺町に墜落した。民家六棟が焼け、パイロットと住民五人、合わせて六人が死亡している。57年12月12日には、横田基地に着陸するC-46輸送機が、犬目町に墜落炎上し、乗員五人は全員死亡。当時このあたりは山だったが、今は住宅地になっている。

 戦後、中国軍や北朝鮮軍、ロシア軍に殺された人はいない。しかし、事故とはいえ、米軍によって命を奪われた人は数え切れない。強盗やレイプも、報道されたものだけでもかなりの数にのぼる。横田基地に近い八王子に住む私たちはどう受け止めるべきなのか。


(しみずたけと) 2023.12.14

以前の記事はこちらです。2020.4.13 オスプレイ

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