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米国とイスラエルの両国が軍事力によるイラン攻撃をおこなった。体制転換を企図したものだという。米国政府は最高指導者ハメネイ氏が死んだと伝えているが、死んだのではなく、正しくは「殺害した」である。殺害したのは誰か。革命が起きたわけでもあるまいし、どこの国であっても人を殺めるのは犯罪のはずだ。現在のイランの体制が良いとは思わないが、他国が武力という手段で政権を交代させることが正しいとは思えない。イランの体制変革はイランの人々の手によって実現されるべきものである。
今のイランの体制に苦しめられている人は数多い。それを救済するためだとしても、武力行使によって子どもを含む多数が死傷している。そもそも学校や病院、宗教施設に対する軍事攻撃は国際法違反だ。亡くなった子どもたちは「よりよい未来を築くための尊い犠牲になった」とでもうそぶくつもりだろうか。たとえ政権が倒れて抑圧体制がなくなったとしても、それよりも大きな憎悪が米国とイスラエルに向けられるだろう。なぜなら、子どもを失った―殺害された―親にとっては、抑圧体制は親と子が共に生きることだけは許してくれるものだったのに対し、攻撃は親から子どもを最も残酷な形で永遠に引き離す結果を生み出したわけであるから。近い将来、尊い犠牲を掲げて新たなジハードを志す者も出てくるに違いない。民衆が自らの手で打ち立てたものでない政体は長続きしないものだ。
10年越しのベトナム戦争、1973年のチリ政変、最近ではベネズエラ大統領の誘拐、第二次大戦後に米国がおこなってきた戦争はいつも親米政権を打ち立てることが目的だった。親米国家であれば、それが軍事独裁政権であろうが、非民主的な抑圧政権だろうが、それを支援し、親米でなければ反政府側を支援して政権転覆を目指す。支援とは、資金の提供、武器と軍事訓練の供与、米軍プレゼンスによる威圧、さらには直接的な武力行使も含まれる。それが米国の世界戦略の実体だ。
しかし、ベトナム戦争は多数の自国兵士と経済的損失を出したあげくに失敗。アフガニスタンでは、一度は崩壊したタリバン政権が復活した。米軍の攻撃で国土は荒廃、家族や友人を失い、成立した米国の傀儡であるカルザイ政権への反発が「帰ってこい、タリバン」につながった面もある。ありもしない大量破壊兵器を“差し迫った脅威”と喧伝することで始めたイラク戦争は、独裁者フセインを倒したものの、その後の混乱から現出したのがイスラム国(IS)だった。民衆自らの手で築き上げた社会であることの重要性は、まさにそこにある。
なぜそうまでして米国は親米政権樹立にこだわるのか。そこが資源の供給地になり、米国の市場になるからである。資本主義システムというのは、経済活動が政治に働きかけ、政治が経済活動を可能にするという二人三脚なのだ。米国は、民主主義国であるというよりは、資本主義の帝国であると認識すべきであろう。
1973年にチリで起きたクーデターで、米国は陰でピノチェトを支援するという黒子に徹していた。そのあまりにもあからさまやり口は、誰の目にもピノチェト将軍とニクソン大統領の二人羽織だとわかるものだが、いちおう間接的なスタイルを装ってはいた。直接行動に出なかったのはベトナムの教訓であろうか。しかしその後の湾岸戦争、アフガニスタン侵攻、イラク戦争では米軍による直接的な武力行使が平然とおこなわれるようになり、つい最近ではイランの核施設攻撃、武力を使ったベネズエラ大統領誘拐、そして今回のさらなるイラン攻撃と、国際法を無視した完全にタガのはずれた様相を見せている。これはトランプ政権だからなのか、それとも米国が本質的にそういう国であるからなのか。
米国の世界戦略が、けっきょくは世界を混乱に陥れている。そのことに気づかないのだろうか。それとも自国ファーストのもと、こうした確信犯的な政策をあえてとっているのであろうか。もしかしたら、あの国で成功した例が世界中で通用すると勘違いしているのかもしれない。そうだとしたら笑止千万である。
あの国とは、かつて鬼畜米英を叫び、米国と大戦争を繰り広げた国のことである。戦争に敗れると、上から下まで米国礼賛者へと早変わりした。子どもたちは「ギブ・ミー・チョコレート」と叫んで占領軍―あの国では進駐軍と呼んだのだが―のジープを追いかけた。子どもたちだけではない。同じようにして、戦犯容疑者は首相にまで上り詰めた。以来80年、米国の属領にされながらも嬉々として追従するありさまだ。米国にしてみれば、時代遅れの巡航ミサイル(トマホーク)を“大人買い”してくれ、家賃タダ、光熱費タダ、電話料金も高速道路も無料、下宿人の犯罪に対しても寛容という気のいい“大家さん”なのだから、こんなありがたい国はない。
だが、あの国は例外的な存在である。あのような国は他にない。アフガニスタンやイラクの人々はあれほど卑屈ではない。だからこそタリバンが復権し、イスラム国が出現してしまったのだ。世界中があの国のようになるなど、妄想もはなはだしい。そしてあの国だって、いつまでも今のままでいるかはわからない。いつか目覚めるときが来るかもしれない。そうならないよう、属領の統治を任されたリーダーはメディアを操作し、教育に介入しているわけだが、人間のやることに完全はない。破綻して真相が白日の下に曝されたとき、いったいどうなることだろう。
パレスチナ、とりわけガザに対するイスラエルの暴虐な政策は米国との連携あってこそのものである。私は米国とイスラエルの関係を“常軌を逸した狂気の同盟”と呼ぶ。これに加わって悪の枢軸を形成しようとするのはどの国か。もしやあの国か。王様トランプに抱き寄せられてはしゃぐ“外国の代理人”を思うと、あながち的外れではないかもしれない。
(しみずたけと) 2026.3.1
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