常軌を逸した狂気の同盟

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Roger Peetさんのイラスト・プラカード
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 米国とイスラエルの両国が軍事力によるイラン攻撃をおこなった。体制転換を企図したものだという。米国政府は最高指導者ハメネイ氏が死んだと伝えているが、死んだのではなく、正しくは「殺害した」である。殺害したのは誰か。革命が起きたわけでもあるまいし、どこの国であっても人を殺めるのは犯罪のはずだ。現在のイランの体制が良いとは思わないが、他国が武力という手段で政権を交代させることが正しいとは思えない。イランの体制変革はイランの人々の手によって実現されるべきものである。

 今のイランの体制に苦しめられている人は数多い。それを救済するためだとしても、武力行使によって子どもを含む多数が死傷している。そもそも学校や病院、宗教施設に対する軍事攻撃は国際法違反だ。亡くなった子どもたちは「よりよい未来を築くための尊い犠牲になった」とでもうそぶくつもりだろうか。たとえ政権が倒れて抑圧体制がなくなったとしても、それよりも大きな憎悪が米国とイスラエルに向けられるだろう。なぜなら、子どもを失った―殺害された―親にとっては、抑圧体制は親と子が共に生きることだけは許してくれるものだったのに対し、攻撃は親から子どもを最も残酷な形で永遠に引き離す結果を生み出したわけであるから。近い将来、尊い犠牲を掲げて新たなジハードを志す者も出てくるに違いない。民衆が自らの手で打ち立てたものでない政体は長続きしないものだ。

 10年越しのベトナム戦争、1973年のチリ政変、最近ではベネズエラ大統領の誘拐、第二次大戦後に米国がおこなってきた戦争はいつも親米政権を打ち立てることが目的だった。親米国家であれば、それが軍事独裁政権であろうが、非民主的な抑圧政権だろうが、それを支援し、親米でなければ反政府側を支援して政権転覆を目指す。支援とは、資金の提供、武器と軍事訓練の供与、米軍プレゼンスによる威圧、さらには直接的な武力行使も含まれる。それが米国の世界戦略の実体だ。

 しかし、ベトナム戦争は多数の自国兵士と経済的損失を出したあげくに失敗。アフガニスタンでは、一度は崩壊したタリバン政権が復活した。米軍の攻撃で国土は荒廃、家族や友人を失い、成立した米国の傀儡であるカルザイ政権への反発が「帰ってこい、タリバン」につながった面もある。ありもしない大量破壊兵器を“差し迫った脅威”と喧伝することで始めたイラク戦争は、独裁者フセインを倒したものの、その後の混乱から現出したのがイスラム国(IS)だった。民衆自らの手で築き上げた社会であることの重要性は、まさにそこにある。

 なぜそうまでして米国は親米政権樹立にこだわるのか。そこが資源の供給地になり、米国の市場になるからである。資本主義システムというのは、経済活動が政治に働きかけ、政治が経済活動を可能にするという二人三脚なのだ。米国は、民主主義国であるというよりは、資本主義の帝国であると認識すべきであろう。

 1973年にチリで起きたクーデターで、米国は陰でピノチェトを支援するという黒子に徹していた。そのあまりにもあからさまやり口は、誰の目にもピノチェト将軍とニクソン大統領の二人羽織だとわかるものだが、いちおう間接的なスタイルを装ってはいた。直接行動に出なかったのはベトナムの教訓であろうか。しかしその後の湾岸戦争、アフガニスタン侵攻、イラク戦争では米軍による直接的な武力行使が平然とおこなわれるようになり、つい最近ではイランの核施設攻撃、武力を使ったベネズエラ大統領誘拐、そして今回のさらなるイラン攻撃と、国際法を無視した完全にタガのはずれた様相を見せている。これはトランプ政権だからなのか、それとも米国が本質的にそういう国であるからなのか。

 米国の世界戦略が、けっきょくは世界を混乱に陥れている。そのことに気づかないのだろうか。それとも自国ファーストのもと、こうした確信犯的な政策をあえてとっているのであろうか。もしかしたら、あの国で成功した例が世界中で通用すると勘違いしているのかもしれない。そうだとしたら笑止千万である。

 あの国とは、かつて鬼畜米英を叫び、米国と大戦争を繰り広げた国のことである。戦争に敗れると、上から下まで米国礼賛者へと早変わりした。子どもたちは「ギブ・ミー・チョコレート」と叫んで占領軍―あの国では進駐軍と呼んだのだが―のジープを追いかけた。子どもたちだけではない。同じようにして、戦犯容疑者は首相にまで上り詰めた。以来80年、米国の属領にされながらも嬉々として追従するありさまだ。米国にしてみれば、時代遅れの巡航ミサイル(トマホーク)を“大人買い”してくれ、家賃タダ、光熱費タダ、電話料金も高速道路も無料、下宿人の犯罪に対しても寛容という気のいい“大家さん”なのだから、こんなありがたい国はない。

 だが、あの国は例外的な存在である。あのような国は他にない。アフガニスタンやイラクの人々はあれほど卑屈ではない。だからこそタリバンが復権し、イスラム国が出現してしまったのだ。世界中があの国のようになるなど、妄想もはなはだしい。そしてあの国だって、いつまでも今のままでいるかはわからない。いつか目覚めるときが来るかもしれない。そうならないよう、属領の統治を任されたリーダーはメディアを操作し、教育に介入しているわけだが、人間のやることに完全はない。破綻して真相が白日の下に曝されたとき、いったいどうなることだろう。

 パレスチナ、とりわけガザに対するイスラエルの暴虐な政策は米国との連携あってこそのものである。私は米国とイスラエルの関係を“常軌を逸した狂気の同盟”と呼ぶ。これに加わって悪の枢軸を形成しようとするのはどの国か。もしやあの国か。王様トランプに抱き寄せられてはしゃぐ“外国の代理人”を思うと、あながち的外れではないかもしれない。


(しみずたけと) 2026.3.1

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悪党が改憲? 笑わせちゃいけない!


 この数年で日本の政治は著しく劣化、腐敗した。公文書偽造に裏金問題、何でもありだ。政治家が悪事に手を染めたというよりは、悪党が政治をやっているという方が的を射た表現だろう。森友学園に加計学園、桜を見る会、統一教会、パーティー券、すべてカネ、カネ、カネ…、金絡みである。新聞やテレビはこれを「政治と金の問題」というが、いやしくも言論機関を自負するのなら言葉は正しく使うべきだ。これは長きにわたる金権政治の延長線上にある「自民党の裏金問題」である。それとも、政治というものはすべからく金と癒着するものという印象を国民に与え、政治家への不信から政治への無関心を誘い出し、選挙に行く気を失わせ、その結果生ずる投票率の低下によって現政権を有利にしようという“隠れ忖度”なのだろうか。

 かくの如き腐りきった政権、悪党どもが憲法を変えることでより良い社会が来ると本気で思っている人がいるとしたら、それこそ究極の平和ボケ、脳内お花畑といわれるに違いない。まして憲法は《権力拘束規範》である。強大な力を持つ国家権力に縛りをかけることで、その暴走を食い止め、国民の権利を守っている憲法を、悪党どもが変えたらどうなる。自分らへの縛りをゆるめ、歯止めが効かなくなるに決まっているではないか。汚れた手の者が今の憲法に触れようとするのを許してはならない。ロシア、中国、北朝鮮を、多くの日本人が好ましからぬものと思っているようだが、いずれも国家権力が好き放題やっている国である。これらの国に日本国憲法があったなら、世界はもっと違った様相を呈していたであろう。

 現行の日本国憲法が完全無欠だというつもりはない。天皇制の問題や不完全な三権分立体制など、検討および改善すべき余地は多々ある。しかし、この憲法で困っている人はどれほどいるのだろうか。2012年5月10日の憲政記念会館。安倍晋三(元首相)が代表を務める創生会の集会で、第一次安倍内閣の法相だった長勢甚遠が「国民主権、基本的人権、平和主義をなくさないと本当の自主憲法ではない」と発言し、会場から拍手喝采を受けた。きっとこうした政治家と彼らを支持する人たちが、暴走したくてもさせてもらえない今の憲法に手を焼いているのだろう。

 憲法の手直しはありうるし、他の国でもやっている。ただし、それは修正条項とか追加条項という形でおこなわれるのがふつうだ。たとえば、アメリカ合衆国憲法には女性の参政権が記載されていない。その一方で奴隷制が認められている。奴隷制の廃止は1865年の修正第13条で、女性参政権は1920年の修正第19条で、それぞれ憲法に規定された。時代の要請に答えるために、ゼロからすべて書き直さなければならないわけではない。

 岸田文雄(現首相)は1月30日の施政方針演説で、「先送りできない課題(中略)まずは、憲法改正です。衆参両院の憲法審査会において、活発な議論をいただいたことを歓迎します。国民の皆様にご判断をいただくためにも、国会の発議に向け、これまで以上に積極的な議論が行われることを期待します。また、あえて自民党総裁として申し上げれば、自分の総裁任期中に改正を実現したいとの思いに変わりはなく…」と述べた。しかし、これは明らかな憲法99条違反である[1]。多少なりともその認識があるからだろう、「自民党総裁として…」という断りを入れているのだが、施政方針演説は党代表がするものではなく、あくまでも内閣総理大臣が公務員の立場で行うものであることを考えれば、エクスキューズにはまったくなり得ないものだ。同日、公明党代表の山口那津男は「憲法の課題は極めて重要だが、先送りできない優先課題を差し置いて憲法に力を注ぐという状況ではない」とコメントしている。

 しかし、改憲勢力は自公政権だけではない。維新、国民民主を合わせれば、発議できるだけの議席を占めている。維新と国民民主は、「改憲を党是に掲げる自民の対応が後ろ向き」と批判的だ。改憲の国民投票を実施するためには60〜180日の周知期間が必要であり、維新代表の馬場伸幸は、「今国会で発議しなければ間に合わない」と迫っている。予算案が衆院を通過するまで憲法審査会が開かれないことに対するいら立ちであろう。何が何でも改憲したい勢力の一人ということであろうか。

 昨年12月7日の憲法審査会で、自民党の中谷元は、「来年の常会に、議員任期延長や解散禁止などを含めた緊急事態における国会機能の維持の憲法改正について、具体的な条文の起草作業のための機関(作業部会)を設け、作業ステージに入ること」を提案した。しかし、緊急事態条項について議論されたのは議員の任期延長だけである。議論もなしに改定条文の起草を始めるとは、改憲に賛成の人だけで進めましょうということか。国政を自分のおもちゃ箱だと勘違いしているのかもしれない。

 議員の任期延長とは、国民の投票権を停止することである。私たちは、自分たちが選挙を通して選んだ代議士を通して国政に参加している。これを《間接民主制》と呼ぶわけだが、それをできなくするのは参政権を奪うということにほかならない。信頼できる人を選べない、信頼できない人を辞めさせられないのでは民主政治は崩壊してしまう。

 緊急事態には、緊急政令(内閣の命令が法律と同等に扱われる)、緊急財産処分(国民の預金を封鎖したり土地や家屋の使用・没収ができる)、兵役の強制(徴兵や戦場に送ることができる)、人権制限(通信の秘密、知る権利、言論の自由を制限できる)など、国民にとって大きな危険が生ずるものである。つまり、国家に従わない者を排除できるようになるのだ。しかし、それがいつ、どういうときに、どの範囲で、どれくらいの期間になるのかは一切議論されていない。1933年のナチスの《全権委任法》[2]になぞらえられるわけだが、これは単なる昔話、歴史のひとコマではない。政府にとって都合の悪い人間が飛行機事故で死んだり、突然死したり、薬で溶かされたり、そういうことが起こる国になるということである。そのような法案を、「お上は間違いをしませんから安心して白紙委任してください」といわれて信じることができるとしたら、よほどのおめでたい人間であろう。

 岸田文雄の属する宏池会は、改憲、改憲と騒ぐ筋金入りの極右とは距離をおいた存在だったはずだ。彼は改憲を目的に首相になったのではなく、首相の座につくために安倍派の支持を得なければならず、それゆえ政策としての改憲を継承せざるを得なかったのである。改憲の成否は自身の進退を左右するわけで、首相で居続けるためには是が非でも改憲を成功させなければならない。それゆえ、改憲によって生ずる混乱など負の側面を指摘しても説得にはならないから、その意味ではかえって質(たち)が悪いといえよう。

 単に総理大臣の椅子に座り続けるための改憲、やめることのない議員職が目的だとしても、その先にあるのは独裁政治である。無責任で不適切な政策だけでなく、汚職などの腐敗政治にも関わらず、国民の声をないがしろにし、政権交代を阻み、そのために人々の権利を制限しようとするのは、戦争に向かう国家に見られる特有のものだ。2014年の閣議決定による《解釈改憲》、その翌年の《安保法》は、まさにその通過点だったといえよう。

 いま私たちが率先してしなければならないことは、改憲の必要性が希薄であること、緊急事態条項の危険性、それよりも優先する課題が山積みである現状を多くの人に周知徹底し、政治家としてふさわしくない汚れた人物らによる憲法審査会の開催に反対し、改憲の発議など言語道断であることを、声を大にして訴え続け、これを国民総出で共有することであろう。

 


(しみずたけと) 2024.2.26

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オスプレイと米軍基地


 米空軍のオスプレイが屋久島沖に墜落したのは11月29日だったから、もう二週間以上が過ぎたことになる。搭乗の八人全員が死亡したことになっているが、うち一人はまだ行方がわからない。生存の可能性がゼロだから全員死亡とされているのだろう。

別に驚くようなことではない。オスプレイの危険性は以前から指摘されてきた。ある意味、想定内ともいえよう。横田基地に所属する機体だから、何度もこの八王子上空を行き来していたはずで、私たちが目にしていたうちの一機だったわけである。


 屋久島沖だったことが墜落原因ではない。単に墜ちた場所が屋久島沖だったというだけである。これまで八王子市内に墜ちなかったのは偶然だし、墜ちても、それもまた偶然に過ぎない。ひとつ言えるのは、他の機体より墜落しやすい、墜ちる確率(可能性と言い換えても良い)の高い物体がこの上空を飛んでいたということである。

 今回の事故を目撃した人の証言によれば、裏返しになって燃えながら墜落したらしい。上翼タイプで、翼にエンジンを装着した飛行機がバランスを失えば、重たいエンジンが下になるのは物理の法則どおりである。この姿勢では、搭乗員が脱出することなど不可能だろう。気の毒な話である。

 オスプレイが構造的な無理を抱えていることは、以前にも書いた。ありていに言えば「欠陥機」である。欠陥車とか欠陥住宅など、欠陥のある製品はいろいろある。製造上のミス、工作精度や施工の不良、材料の質の問題を頭に思い浮かべるかもしれないが、設計段階における無理も欠陥につながる。たとえば、10メートル四方の土地に50階建ての高層ビルを建て、それが地震で倒壊したら、材質とか施工以前の問題であることは、誰が考えてもわかるに違いない。

 そんなオスプレイに乗るパイロットはどう思っているのだろうか。欠陥機であることを知らないのだろうか。軍隊とは真実を隠蔽するのが得意だから、そういうこともあるかもしれない。それとも命令だから従わざるを得ないのか。まるで戦争末期、生きて帰ることのできない飛行機に乗せられ、笑って飛び立ったことにされた特攻隊員と同じではないか。そういえば、ベニヤ板の特攻艇「震洋」、同じくベニヤ板で作られた戦闘機「剣」などというものもあった。洋の東西が違えど、時代が変わろうと、軍隊という組織は人間など部品としか考えていないことがわかる。

 オスプレイが墜落するにしても、それは東京ではないだろうし、東京だとしても、八王子以外だろうし、仮に八王子だとしても、ここ別所ではないだろうし、少なくとも私の家ではないだろう…。そういう思いなのだろうか。

 オスプレイが墜落しやすい危険な飛行機だとしても、それで生じる犠牲など微々たるものだ。中国が、北朝鮮が、ロシアが攻めてきたら、とても数人などという被害ではすむまい。オスプレイの危険など必要経費みたいなものだ…。そう考えているのだろうか

 この飛行機は、ローターをティルトしたときに、とりわけ事故が多い。だから基地上空以外ではティルトしないことになっていたはずだが、横田基地から約15キロ離れたこの上空を飛ぶオスプレイは、そのほとんどがティルトした姿勢で飛行している

 1955年9月19日、横田基地を離陸したF-80戦闘機が上空で爆発し、現在の八王子市大楽寺町に墜落した。民家六棟が焼け、パイロットと住民五人、合わせて六人が死亡している。57年12月12日には、横田基地に着陸するC-46輸送機が、犬目町に墜落炎上し、乗員五人は全員死亡。当時このあたりは山だったが、今は住宅地になっている。

 戦後、中国軍や北朝鮮軍、ロシア軍に殺された人はいない。しかし、事故とはいえ、米軍によって命を奪われた人は数え切れない。強盗やレイプも、報道されたものだけでもかなりの数にのぼる。横田基地に近い八王子に住む私たちはどう受け止めるべきなのか。


(しみずたけと) 2023.12.14

以前の記事はこちらです。2020.4.13 オスプレイ

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放射能汚染水の海洋投棄をどう考えるか


 福島第一原発にため込まれた汚染水の海洋投棄が始まった。いくら「処理水」と言い換えても、放射性物質を含む水を汚染水と呼ぶのに何の問題があろうか。「海に流してそのまま」を投棄と言うのは間違いだろうか。どれだけ薄めても、濃度が下がるだけで、なくなるわけではない。1ccの汚染水を1L(1000cc)の真水で薄めたら0.1%、10Lの水なら0.01%になるが、決して0%にはならない。0に近づく漸近線だ。値が小さくて計測できないと言うのは、0と同じではない。あまり数学が得意でない私にも、それくらいはわかる。

 放射性物質は、どの程度までなら安全なのか、どこから先が危険なのか。許容できる被ばく線量に“しきい値”は存在しないというのが現代科学の到達点である。危険度の大きさが変わるだけで、危険があるかないかという意味ではない。2倍に薄めても、2倍摂取すれば同じことになる。トリチウムの半減期は12.32年。こちらも漸近線である。

 福島第一原発では、2011年3月の東日本大震災による事故が起きてから、原子炉の冷却に使用された134万立方メートルの汚染水が処理され、ためられてきた。1立方メートルは約1トンだから、およそ134万トンということになる。これを30年かけて海に流す。今年度は約3万1200トンが予定されているそうだ。

 事故から12年で134万トンの汚染水が生じたわけだが、これで終わりではない。廃炉が完了するまで冷却し続けなければならないし、水脈からの地下水は止まっていない。これからの12年で、いったいどれくらいの汚染水が生ずるのだろうか。それを海に流すのに、また数十年を要するということになりそうだ。30年で終わるどころか、30年後にはさらに増えているかもしれない。減らすには投棄量を増やすしかない。いくら薄めても、倍量流せば、倍の放射性物質が海に入る。

 放射性物質をプランクトンが摂取する。そのプランクトンを小魚が食べ、その小魚を大きな魚が食べる。食物連鎖によって、汚染濃度は高まっていかざるを得ない。私たちが食べても大丈夫なのか。内部被ばくを過小評価すべきではない。それ以前に、私たちはそれらを食べたいか、食べる気になるかの方が問題かもしれない。漁業関係者が心配するのは、むしろそちらだろう。

 二尾の魚が売られているとしよう。一方は福島県の沖合で獲られた魚、もう一方はそうでない海のもの。同じ値段だったら、あなたはどちらを選ぶか。福島産が半値なら買う人がいるかもしれない。そこなのだ。福島産というだけで、同じ値段にならない。大きな魚であればあるほど、より多くの放射性物質を蓄積している可能性だってある。そうした消費者の危惧を「風評被害」で片付けて良いのか。

 仮にそれは風評被害に過ぎないとしよう。それを防ぐにはどうしたら良いか。福島産の魚介類を危険だと言ってはならない、SNSなどで「私は福島産を避けています」などと発信してはならない、違反する者は処罰…。なんと恐ろしい国家だろう。産地表示を禁止してはどうか。産地がわからなければ、消費者は福島県産もその他の地域のものも同じように扱うだろう。なんと無責任な国家だろう。

 どうせ国民はすぐに慣れるさ。忘れてしまうさ。何かあったとしても、その頃には自分は首相ではないし、政治家も引退しているさ。なんと無責任な政府だろう。その頃には、もう自分も生きていないだろうし、知ったことではない。子どもや孫がどうにかしてくれるだろうさ。なんと無責任な国民だろう。全体がシラけて、中心にあるのは大きな真っ赤なウソ。ああ、「日の丸」はまさにこの国を表しているのだな。


(しみずたけと) 2023.8.27

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子どもの頃に見たテレビ番組の記憶…


 小学生の頃の思い出のテレビ番組。『ひょっこりひょうたん島』と『サンダーバード』。あの時代の子どもたちなら、絶対にみていたはずの人形劇ドラマ。

 井上ひさしと山元護久が原作を書いた『ひょっこりひょうたん島』は1964年にNHK総合が放送開始。笑いと諷刺、冒険がてんこ盛りのストーリーは面白さ抜群だった。さらに登場キャラクターがすごい。個々の性格がハッキリしているし、なにしろそのネーミングが秀逸。ドン・ガバチョ、サンデー先生、トラヒゲ、マシンガン・ダンディ、博士、ライオンなどなどのレギュラー陣に加え、魔女リカ、大泥棒グッバイジョウ、金融業者のシャッキンバード、牧伸二が声優を務めたウクレレマン・ダンなど、あのセンスには驚かされてしまう。ミュージカルばりの歌も忘れがたい。

 一方の『サンダーバード』は、1965年から66年に英国で放送されていたもの。日本では1966年に、こちらもNHK総合が放送。世界各地で起きた事故や災害で危機に陥った人を、「国際救助隊」を名乗る謎の集団が救助するというヒューマン・ストーリー。救助隊を組織するトレーシー一家の兄弟は、スコットやアランなど、名前からしてグレート・ブリテン総出演と言った趣。メカ好き男の子は、毎回ハラハラ、ドキドキ、ワクワクして見たものだ。

 わが家のテレビは白黒だったが、ある日、渋谷の東急にある大画面テレビでカラー映像を見てびっくり。『サンダーバード』って、こんな色だったのか!ス、スゴイ!。番組の終わりまで見てしまった。ところで、『ひょっこりひょうたん島』の方はどうだったのだろう。

 その後、『サンダーバード』は民放で何回も再放送され、実写版やらリメイク版も作られた。オリジナル作品はビデオ化され、今日ではDVDが販売されている。しかし、『ひょっこりひょうたん島』は…。『サンダーバード』のストーリー設定は未来だったが、『ひょっこりひょうたん島』の諷刺や教訓話も、今なお通用する普遍性を有している。なぜ『ひょっこりひょうたん島』は見ることができないのか?

 『サンダーバード』はオリジナルの映像テープが残された。しかし、当時のビデオテープは高価だったため、『ひょっこりひょうたん島』が収録された映像は、放送終了後に消去され、他の番組に使い回されたのである。朝鮮戦争の特需で息を吹き返したものの、天下のNHKでさえそうせざるを得なかった。あの頃の日本は貧しかったのである。とても映像文化などに金をつぎ込めるような状態になかったということだろう。まして子ども向けのテレビ番組などに…、そういうレベルだったのだと思う。

 戦争は経済だけでなく文化も壊す。貧すれば鈍する…。豊かさは物質文明だけではないが、先立つものがなければ文化は育たない。戦争をしている国、戦争の準備をしている国には、たいてい文化的な貧しさがつきまとっている。

『ひょっこりひょうたん島』テーマソング(初回版)
『サンダーバード』オープニング

(しみずたけと)  2022.8.11

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