ショスタコーヴィチ 交響曲第10番


 この前はムソルグスキーの歌曲「司令官」をとりあげた、その中で、この歌が含まれている歌曲集『死の歌と踊り』を、ショスタコーヴィチが管弦楽用に編曲したことに触れたのだが、そのショスタコーヴィチの交響曲を紹介したい。

 ショスタコーヴィチ(1906~75年)は、生涯で15の交響曲を作曲した。音楽評論家の諸井誠によれば、第1と第15は純粋の絶対音楽、第2・第3・第13・第14は声楽入り、中央の第7・第8・第9は第二次大戦と関連するなど、前後で対象形をなしている。第2・第3・第11・第12は革命と関係があり、第5・第6は〈生〉を、第13・第14は〈死〉をテーマにしている。また、第5・第6がベートーヴェン的、第11・第12はリヒャルト・シュトラウス的、第4・第8・第10・第13はマーラー的だという。なるほどと納得するところもあるし、そうかなと疑問を抱くところもあるのだが、まあ、それはどちらでも良い。聴く人におまかせしよう。

 グスタフ・マーラーは、生を通して死を、死を通して生を俯瞰する人物だった。ここで紹介する交響曲第10番が、マーラー的な死生観、あるいはマーラー的なオーケストレーション技法を用いているかどうかはさておき、作曲された時代背景を考えてみたい。独裁者ヨシフ・スターリン(1878~1953年)が死んだ。3月5日のことである。ショスタコーヴィチ自身が語るところによれば、この年の夏から秋にかけて作曲されたものである。なんという速筆!ちょっと待て、15ある交響曲の作曲年を確かめてみよう。

第1番(1925年)
第2番(1927年)
第3番(1929年)
第4番(1936年)
第5番(1937年)
第6番(1939年)
第7番(1941年)
第8番(1943年)

第9番(1945年)
第10番(1953年)
第11番(1957年)
第12番(1961年)
第13番(1962年)
第14番(1969年)
第15番(1971年)

 前作からの年数が、第4番と第14番は7年、第10番は8年となっている以外、ほぼ2年毎という一定の間隔で作曲している。年数を要したのは、作曲上の理由かもしれないし、ショスタコーヴィチの場合、政治的な事情で発表を控えたということも考えられる。公の場で、「次は歌劇にとりかかる」と言明していたショスタコーヴィチだが、スターリンの訃報に接するや、急にこの交響曲に取りかかったようにも思われる。とすれば、作曲者のなんらかのメッセージが潜んでいるのではなかろうか。

 重苦しく始まる第1楽章。ソナタ形式ではあるが、ガッチリした構成のドイツ音楽とは違い、あくまでも叙情性に重きを置くロシア的なスタイルである。第2楽章は、速いパッセージの弦セクション、それに応える木管楽器群による自由な、ある意味、暴力性をも感じさせるスケルツォ。『ショスタコーヴィチの証言』には“音楽によるスターリンの肖像画”と記されている。うって変わって軽妙なワルツのような第3楽章。やや暗く悲しい感じのアンダンテで始まる第4楽章は、後半で明るいアレグロになり、一気呵成に突っ走るかのように、華々しい終曲に至る。

 第2楽章までなかったDSCHのフレーズが、第3楽章以降に現れる。“DSCH”はショスタコーヴィチのイニシャルだ。スターリン時代は抑えつけられていた自身が、ようやく解放され、ワルツを踊り、自由を謳歌する姿なのであろうか。マーラー的だとすれば、第3楽章なのだろう。ホルンの歌わせ方が『大地の歌』を思わせる。だが、マーラーの「生は暗く、死もまた暗い」を克服しようとするかのような、このフィナーレはどうだ。マーラーの交響曲第2番『復活』へのオマージュなのか。いや、人類の歴史の勝利を信じようとするショスタコーヴィチ自身の鼓舞、そのようにも感じられる。

 ::: CD :::

1)カラヤン盤

 ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908~89年)は、この曲を二度録音している。初めは1966年、次が1981年。どちらもレーベルは独グラモフォンだ。ところが、他のショスタコーヴィチ交響曲の録音はない。この第10番だけなのである。EMIレーベルに対して、第5番や第8番も録音したいという申し入れはしていたという。他の演奏家とのバッティングでもあったのであろうか、結果的に実現しなかった。ショスタコーヴィチを避けていたわけではないようだが、演奏会の曲目としてとりあげた様子もなく、ちょっと不思議ではある。

 さすがにカラヤンとベルリン・フィルである。悲痛な響きの中にあっても、感傷的になりすぎず、第1楽章を重厚に奏でる。名人揃いだけあって、スリリングな緊張感あふれる第2楽章を、切実な迫真性をもって描くのには、聴いている方も舌を巻いてしまう。この曲の名盤には違いない。不満があるとすれば、ショスタコーヴィチの第10番が、とりわけ“音楽によるスターリンの肖像画”が、これほど美しくて良いのだろうかという、なんとも言いようのない矛盾した思いに駆られることだ。

指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
演奏:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1981年

下に続く動画はカラヤン盤CD
I. Moderato II. Allegro III. Allegretto IV. Andante – Allegro

I. Moderato
II. Allegro
III. Allegretto
IV. Andante – Allegro


  

2)ヤンソンス盤

 ラトビア生まれのマリス・ヤンソンス(1943~2019年)。父は、エフゲニー・ムラヴィンスキー(1903~88年)とともにレニングラード・フィルハーモニー交響楽団(現サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団)を牽引した名指揮者アルヴィド・ヤンソンス(1914~84年)である。ショスタコーヴィチは、幼い頃から近い存在だったはず。それだけに、この曲のカギであるスターリンの影を見たのだろう。ムソルグスキーの『死の歌と踊り』、しかもショスタコーヴィチ編曲版と組み合わせているところからも、それが見てとれる。このCDは、まさに《死神スターリン、ビフォー&アフター》、いまこそ聴くべき一枚だ。

指揮:マリス・ヤンソンス
独唱:ロバート・ロイド(バス)

演奏:フィラデルフィア管弦楽団
録音:1994年

下に続く動画はヤンソンス盤CD
I. Moderato II. Allegro III. Allegretto IV. Andante V. Allegro
同CD収録のムソルグスキー『死の歌と踊り』

I. Moderato
II. Allegro
III. Allegretto
IV. Andante
V. Allegro
ムソルグスキー『死の歌と踊り』


(しみずたけと) 2022.4.16

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ムソルグスキー 歌曲『司令官』

ロシアのウクライナ侵略戦争で思い出した曲がある。組曲『展覧会の絵』や交響詩『禿山の一夜』で有名なモデスト・ムソルグスキー(1839~81年)による晩年の作、『死の歌と踊り』。四曲からなるこの歌曲集の最後の曲が「司令官」である。初めの三曲は、1875年の作であるが、この曲だけは1877年に作られた。

第1曲「子守歌」・・・病む子に死神が忍び寄る。母親が払いのけようとするも、ついには死神のその手に捕らえられてしまう。

第2曲「セレナード」・・・病む乙女のもとへ死神が忍び寄り、甘いセレナードを歌って死へと誘う。

第3曲「トレパーク」・・・死神が、酒に酔った老農夫とトレパークを踊る。トレパークとは、四分の二拍子で踊られる、ロシアおよびウクライナの農民舞曲。

第4曲「司令官」・・・夜の戦場に、戦死者たちの司令官に擬した死神が現れて歌う。

歌の内容からもわかるとおり、「司令官」と他の三曲はずいぶん違っている。「子守歌」に登場する母、「セレナード」の乙女、「トレパーク」の老農夫。三者と死神の関係は、人間と死神の違いはあるが、いずれも個に対する個、つまり1対1の関係である。今はまだ生きているが、この世から連れ去られようとしている者と、連れ去ろうとするもの。両者の間で繰りひろげられる対決、あるいは誘惑、ひとときの享楽がテーマになっている。しかし、「司令官」に出てくる戦死者たちは、個でなく集団であり、司令官の命令に従うという立場である。彼らは、これから連れ去られるわけではなく、既に死んでいる。黙して語ることのない死者に対し、死神はただ一方的に己の歌を聴かせる。

この相違は、二年という作曲のインターバルのせいだろうか。いや、そうではあるまい。「司令官」だけは、他の三曲とはまったく異なったエモーションから作られたように思える。それを“死”というキーワードで一括りにしたのが、この四曲からなる『死の歌と踊り』なのではあるまいか。

ムソルグスキーの母国ロシアは、19世紀、何度もトルコと戦火を交えている。「司令官」が作曲された1877年も、ロシア帝国とオスマン帝国は戦争中だった。1853~56年のクリミア戦争ではトルコに敗れたロシアだったが、この露土戦争(1877~78年)には勝利する。ムソルグスキーは、悲惨なクリミア戦争を知っていただろうし、この露土戦争で、否応なく死をもたらすものとしての戦争、そのむごたらしさ、戦場で死にゆく者を意識したのではあるまいか。

〔歌詞大意〕

合戦の響き、光る装甲、大砲の咆哮、押しよせる軍勢、疾駆する馬、紅に染む川。

陽ざかりに人々は打ち合い、陽が傾いてなお激しく戦い、陽が没して薄暗くなっても戦いは荒れ狂っている。

そして戦場に夜のとばりがおり、兵士らは闇に散っていった。すべてはしずまり、夜霧の中に呻き声が空高くあがる。

その時、月に照らされて、馬にまたがった白骨の死神が現れ、しじまにきこえる嘆きと祈りに耳をかたむけて、いくさの場所を乗りまわす司令官のように誇らしげに満足する。

丘にあがって見おろし、立ちどまってはほくそ笑み、そして戦場の平原に運命の歌声を響かせる。

「戦いは終り、私はすべてを征服した。死んだ戦士たち、生あるとき争ったおまえたちを仲よくさせよう。

親愛なる死人たちよ、起きあがって閲兵しよう。祝典の行進に進みゆけ、私は検閲したい、そしておまえたちの骨や生のたのしみは地下に埋めろ、生から解放されてくつろぐがいい。

いつしか歳もすぎれば、おまえたちのことを憶えている人もいなくなる。だが私は忘れない。真夜中に盛大な宴を催し、おもおもしく踊って湿った土を踏みつけ、死人が永久に墓の蓋を開けられないように、だれもよみがえれないようにしてやるのだ」。

(『最新 名曲解説全集23 声楽Ⅲ』、音楽之友社、1981年、p.121より引用)

はじめの方に「司令官に擬した死神」と書いた。戦いやんだ戦場に、死神が司令官の姿をまとって現れる。一般的には、そう解釈されている。はたしてそうであろうか。表題の司令官、ロシア語でПолководецと記されている。英語に該当するのはField Marshalらしいが、そうであれば、この日本語訳は陸軍元帥だ。戦場で野戦の指揮を執る将校ではなく、軍全体を動かす最上位の司令官である。実は、この司令官そのものが、死をもたらす存在、すなわち死神なのではないのか。

ショスタコーヴィチ(1906~75年)は、1962年に、この歌曲集『死の歌と踊り』を管弦楽用に編曲し、当時のソ連が誇る世界的なソプラノ歌手、ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(1926~2012年)に献呈した。この曲の編曲は、それ以前にも、リムスキー=コルサコフ(1844~1908年)やグラズノフ(1865~1936年)らによってなされている。ショスタコーヴィチは、先人のそれらの出来に不満を抱いていたのだろうか。たぶんそうではなく、自らの解釈を盛り込んだ曲として世に問うてみようとの意図があったに違いない。

彼は、独裁者スターリンの中に、死をもたらす司令官を見た。歌曲集『死の歌と踊り』の編曲は、結果としてそうなったのであって、目的は「司令官」にスターリン像をオーバーラップさせることにあったのだと思う。ムソルグスキーの原曲から感じられるのとは違う、死神を、そのすぐそばにいる者の視点から描いた音像が浮かび上がり、ぞくぞくするような緊迫感に包まれる。

スターリンの大粛正によって、1000万人以上が逮捕され、処刑された者と獄死した者を合わせると、100万人を優に超えると言われる。犠牲者数には諸説あって、今後の研究により、推定数がより正確なものに近づくかもしれないし、永遠に解き明かされないかもしれない。しかし、膨大な数であるということだけは確かだ。スターリンは、まごうことなき死神であった。そして今、ウラジーミル・プーチンが、名実ともに“死神”の肩書きを受け継いでいる。プーチンにだけは、連れ去られないようにしたいものだ。

 ::: CD :::

1) ヴィシネフスカヤの歌(伴奏:ロストロポーヴィチ)

まずはヴィシネフスカヤの歌で聴いておくべきだろう。歌唱については、何も言うまい。言う必要もない。伴奏は、パートナーのロストロポーヴィチ(1927~2007年)。世界最高のチェリストとして有名だが、ピアノ演奏もすばらしい。社会主義体制を批判的に描いたソルジェニーツィン(1918~2008年)を擁護したことで、「反体制」のレッテルを貼られ、国内での演奏ができなくなり、二人して亡命せざるを得なくなった。それだけに、歌の本質をつかんだ名演になっている。

収録曲

モデスト・ムソルグスキー
歌曲集『死の歌と踊り』
  第1曲「子守歌」
  第2曲「セレナード」
  第3曲「トレパーク」
  第4曲「司令官」

ピョートル・チャイコフスキー
6つの歌 作品6
  第6曲「ただあこがれを知る者だけが」
  第2曲「おお、友よ語るな」
  第1曲「信じるな、わが友よ」

セルゲイ・プロコフィエフ
アンナ・アフマートヴァの詩による5つの歌曲 作品27
  第1曲「太陽が部屋一杯に満ちた」
  第2曲「本物のやさしさ」
  第3曲「太陽の記憶」
  第4曲「こんにちは」
  第5曲「灰色の目の王」

独唱:ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(ソプラノ)
伴奏:ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ
録音:1961年

独唱:ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(ソプラノ) 伴奏:ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ

  

2) ショスタコーヴィチによる編曲(歌:コチェルガ)

次はショスタコーヴィチによる編曲版。なにしろ、スターリンが死神であることを見抜いた音楽家である。ムソルグスキーを得意とするアバドが、ベルリン・フィルを指揮したダイナミックな演奏である。バス歌手のコチェルガによる歌唱を聴くと、やはり死神の歌声は、「司令官」ではとりわけ、男声こそふさわしいと思えてしまうのだが、それは死神=男性という固定観念によるものだろうか。死神は、人間ではないのだから、男性も女性も関係なく、人間の姿形を思い浮かべる必要もないのだが、私の頭によぎるのは、いつも男性像なのだ。それはともかく、ヴィシネフスカヤの歌唱との違いを楽しんでもらえば良かろう。音楽としては、重苦しく、楽しめる雰囲気ではないかもしれないが…。

収録曲

モデスト・ムソルグスキー
歌曲集『死の歌と踊り』
  第1曲「子守歌」
  第2曲「セレナード」
  第3曲「トレパーク」
  第4曲「司令官」

ピョートル・チャイコフスキー
交響曲第5番ホ短調 作品64

指揮:クラウディオ・アバド
独唱:アナトリー・コチェルガ(バス)

演奏:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1994年

コチェルガとアバド指揮ベルリン・フィルによる演奏

3) ヴィシネフスカヤの歌唱集

編曲版もヴィシネフスカヤの歌で聴きたい。そういう向きもあろう。ショスタコーヴィチが献呈した大歌手だけあって、この曲の解釈にかけては、第一人者である。ショスタコーヴィチとムソルグスキーの歌をヴィシネフスカヤの歌唱で聴くCDがあるので、これを紹介しておこう。全盛期の歌声と鬼気迫る表現に圧倒されるに違いない。なお、「ブロークの詩による7つのロマンス」も、ヴィシネフスカヤに献呈された作品である。

収録曲

ドミートリイ・ショスタコーヴィチ
 ブロークの詩による7つのロマンス 作品127
   第1曲「オフェーリアの唄」
   第2曲「予言の鳥 ガマユーン」
   第3曲「私たちは一緒だった」
   第4曲「街は眠る」
   第5曲「嵐」
   第6曲「秘密のしるし」
   第7曲「音楽」

サーシャ・チョールヌィの詩による諷刺 作品109
   第1曲「批評家に」
   第2曲「春の目覚め」
   第3曲「後裔たち」
   第4曲「誤解」
   第5曲「クロイツェル・ソナタ」

モデスト・ムソルグスキー
 歌曲集『死の歌と踊り』(ショスタコーヴィチ編)
   第1曲「子守歌」
   第2曲「セレナード」
   第3曲「トレパーク」
   第4曲「司令官」

ドミートリイ・ショスタコーヴィチ
 歌劇『ムツェンスク郡のマクベス夫人』作品29
   第1幕第3場より 
    もう寝る時間 一日は過ぎた
    子馬は雌馬のところへ急ぎ
    誰なの、誰、誰、たたくのは?
    お休み、行ってちょうだい

独唱:ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(ソプラノ)
   ニコライ・ゲッダ(テノール)
   ディミテール・ペトコフ(バス)

演奏:ウルフ・ヘルシャー(ヴァイオリン)
   ヴァッソ・デヴェッツィ(ピアノ)
   ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(チェロ、ピアノ、指揮)
   ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1976~1979年

指揮:ムスティラフ・ロストロポーヴィチ
独唱:ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(ソプラノ)
演奏:ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1977年


(しみずたけと) 2022.3.30

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おいしいキムチの話し

レシピ

『コウケンテツ流“家飲み”ごはん ―おかずにも、おつまみにもイケるメニュー104!―』オレンジページ 2012年 ISBN 978-4-87303-828-5 838円

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Ak. 2022.3.26

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プーチンのロシアか、ロシアのプーチンか

ロシア軍がウクライナに侵攻して半月になる。21世紀にもなって、侵略戦争がこうもあからさまな姿で現れるとは、まさに驚天動地、そう感ずる人が多いだろう。しかし、20世紀以後、戦争が侵略の名でおこなわれることはなかった。いつも「自衛」を唱えて始められたのである。大量破壊兵器がある、差し迫った危険がある。米国によるイラク戦争も、まさにそういう文脈だった。

戦争をしかけた側が、「これは戦争ではない」と言い張ることも、いつものことだ。1931年の柳条湖事件(日本軍による自作自演)に端を発する中国大陸侵攻は、戦争ではなく満州事変と呼ばれた。盧溝橋事件から始まった日中全面戦争は、宣戦布告もなく、日本側は日華事変とか支那事変と称した。軍事行動であっても戦争ではないというわけである。

ウクライナがNATO(北大西洋条約機構)という西側軍事同盟に加わろうとしている。それは、自国の目鼻の先に敵の軍事拠点が置かれることにほかならない。だから我々は、自衛のために、戦争ではなく軍事行動を起こした。かつての日本と、いかに類似していることか。そして国際的に孤立していく過程も。

ウクライナにも問題はあるが…

ウクライナ国内に問題がまったくないわけではない。同国の中にも、ロシア系住民が暮らしている。ウクライナ語とロシア語、9割方通じるということだが、ロシア語の話者が、ウクライナ語の話者にくらべて良い職に就きにくいとかいう話になると、反感を招くのは当然であろうし、第二公用語として認めるなどの対応も求められるところである。数の力を頼みにして少数派の声を封じるというのは、民主主義のあるべき姿ではない。多数派が少数派に対してどれだけ譲歩できるか、それが民主主義の度合いを測るバロメーターである。

また、西側諸国が、ロシアに対する軍事的圧力を強めるためのNATO拡大や、そのためにウクライナを利用してきたことも考え直した方が良いだろう。オリヴァー・ストーンのドキュメンタリー『ウクライナ・オン・ファイヤー』が、これまであまり伝えられることのなかった西側諸国とウクライナの関係を、白日の下に暴き出している。ぜひ見てほしい映像だ。

同時に、なぜロシア系住民がウクライナ国内に居住しているのかも知っておくべきだろう。旧ソ連は複数の共和国の連邦ではあったが、あくまでも中心はロシアである。モスクワの政権は、各共和国に対する影響力を強めるため、ロシアから送り出した人材を行政の要職に就かせた。さらに、技術者や教師など、各分野のリーダー的存在になる人物を派遣することで、ロシアへの依存度と忠誠心を高めてきた。各地のロシア系住民の多くは、ソ連邦時代に“回されてきた”人たちということになる。インドネシアでおこなわれているトランスミグラシと似ていないだろうか。

国際秩序を破壊する行為

さて、ウクライナにも問題があることはわかってもらえたと思うが、軍事力によって解決することを、国際社会は良しとしていない。国家間の問題だけではない。力の行使による解決を認めれば、労使間の紛争、DV、児童虐待、性暴力、民族や 宗教的対立、あらゆる暴力と差別の許容にもつながりかねないからである。今回のロシアによる侵攻は、明確な国際法違反に当たる。主権国家に対するミサイルや砲爆撃による攻撃。これを戦争ではないと主張しても、世界はそう受けとらない。クラスター爆弾や燃料気化爆弾の使用は戦争犯罪といって良い。広範囲かつ殺傷性が高く、一般市民をも含んだ無差別攻撃になるからだ。学校など、軍とは無関係のところも攻撃されている。病院や宗教施設、原子力発電所などに対する攻撃は、国際法で禁じられており、ICC(国際刑事裁判所)が捜査に乗り出したようだ。

戦闘が終結したら、ICCによるウクライナ戦争戦犯法廷なるものの開設を望みたい。そうなれば、国際法で禁じられた攻撃、武器を使用した個人が責任を問われ、罰せられることになる。「上からの命令」は免責理由にならない。法に反する命令に従うこと自体が犯罪を構成するからである。もちろん、命じた者も捜査対象になる。法廷の設置を、世界市民として呼びかけようではないか。

大ロシア主義の幻影

ウクライナがNATOに加盟、すなわち西側の一員になることをロシアが恐れた。それは間違いない。しかし、ロシアとウクライナの関係は、もっと別のところにあるように思う。それはロシア帝国、ソ連邦時代から変わらない、大ロシア主義が根底にあるのだろう。強いロシア、豊かなロシア、それはロシア一国では成り立たない。ロシアの“草刈り場”が、昔も今も不可欠なのだ。それが穀倉地帯であり、豊かな地下資源を持つウクライナだった。映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』にも、ロシアにとってウクライナがどういう意味を持つ土地であったかが描かれている。

バルト三国やベラルーシ、グルジア、アルメニア、アゼルバイジャンなども、ここから収奪することで、ロシアの繁栄が築かれてきたのである。そしてさらに周辺の地域、たとえばトルクメニスタンやカザフスタンから石油や天然ガスを奪い、核実験の場とし、核廃棄物の処分場を押しつけてきた。なにもかも「ロシアのため」であった。

ソ連邦の外側には、ワルシャワ条約機構と称する軍事同盟下にある衛星国家が配置された。ポーランド、東ドイツ、ハンガリー、チェコスロバキアである。主権国家ではあったが、モスクワの顔色をうかがうことで、かろうじて存続が許された国々。西側NATO諸国との緩衝地帯であり、いざ戦争になったときの戦場として、戦火がロシアにまで及ばないための空間、そういう位置づけだったのである。だからこそ、唇をかみしめて忍従を強いられた人たちは、ビロード革命に際し、雪崩をうつように民主化へ走ることになった。東欧の民主化は、大ロシア主義に対する植民地独立運動、民族自決、従属からの脱却だったといえよう。

1970年代の終わり、モスクワの政権は、今度はアフガニスタンを衛星国化せんと、ここに傀儡政権をたてようと目論んだ。英米の影響下にあるパキスタンとの間に緩衝地帯を設けるという意味もあったろう。また、かつてこの地域の支配権をめぐり、グレート・ゲームと呼ばれる英国との綱引きに敗れたことへのリベンジの思いも、少しはあったかもしれない。さらに、アフガニスタンを掌中に収めれば、反米国家イランと連携し、インド洋へのアクセスが可能になると考えたことだろう。

しかし、この野望はムジャヒディンの強烈な抵抗を招く。これを利用した米国による「アフガニスタンをソ連のベトナムに」という策略に、ソ連はものの見事にはまり、泥沼に沈むことになる。10年にわたる軍事行動によって自国の経済が疲弊し、最終的にはソ連邦自体が瓦解するという結果を招くことになった。

要するに、大ロシア主義というのは、ロシアが支配する、ロシアを取り囲む二重、三重の支配構造であり、ロシアの繁栄を支える収奪の仕組みである。ロシアに住む人々にとっては、決して悪い話ではない。心の片隅で、多少の後ろめたさを感じたとしても、そのおかげで恩恵を得られるのだから。東京の繁栄が、沖縄や福島の犠牲の上に築かれているのと同じである。ロシア国内で、一定層がプーチン大統領を支持するのは、そうした理由があるからだ。まさにそれが、ロシアと踏み台とされた他の地域との間に分断と対立を招き、紛争の要因となっている。

独裁者プーチン

さて、ウラジーミル・プーチン(1952年~)とは、いったいどんな人物なのか。政治家になる前の彼は、KGB(秘密警察)の諜報員、すなわちスパイであった。東独の秘密警察(シュタージ)とも協力関係にあり、情報の重要性、有用性については、痛いほど熟知していたに違いない。

東欧が民主化運動に揺れ動いた1989年、彼は東独のドレスデンにいた。KGBドレスデン支部にデモ隊が迫ってくる。プーチンは、「この敷地はソ連領だ。武装兵士がおり、発砲する権限も有している!」とハッタリをかますのだが、デモ隊はひるまない。どうにもならないと悟り、膨大な書類を薪ストーブにくべて燃やしたという。最後は、自らハンドルを握った車でドレスデンを逃げ出すよりほかなかった。

100万人がデモを起こしたら、軍隊でも止められない。だから、そうならないよう、情報を操作し、都合の悪い事実は矮小化・隠蔽・抹消する、嘘で塗り固めた情報を流布し、誇張・歪曲することが不可欠だ。そして、民衆のデモを許してはならない。民主化運動を肌で経験したことが、現在のプーチンの基本的なスタンスにつながっているのだろう。

政治家に転身した後も、KGB出身であるから、政敵やライバルの人脈、資金源、スキャンダルなどの情報を手にする方法も有していた。それらが、リーダーシップ争いにどれほど有利かは、誰にでもわかるだろう。KGB長官だったユーリ・アンドロポフ(1914~84年)が、1982年から2年間、ソ連邦の書記長として政治のトップを務めたのも、同じ理由である。

プーチンは大ロシア主義者である。決して口にはしないが、彼の政策からは、それが透けて見える。ロシア帝国を復活させ、ツァーリ(皇帝)として君臨したいのか、それともソ連邦を再現し、スターリンになりたいのか。スターリンの再来とは呼ばれたくはないであろうが、スターリンのような独裁的な地位を望んでいるように思えるのだ。現在、政権内では、プーチンと意見が合わない者が更迭され、粛正の対象となっているという情報が流れている。政府の意に沿わない情報を伝えようとするメディア関係者は、もっと以前から“外国の使用人”と呼ばれ、職を追われたり、発行や放送自体が封じられてきた。

一般市民も、ウクライナ侵攻に反対するデモの参加者は拘束され、「民間人を攻撃するな」という者は、軍事の虚偽情報を流した廉で、最大15年の刑が科せられることになった。このような法案が、議会でまともな審議を経ることなく成立するということからも、ロシアが民主主義国家などではなく、独裁国家であることがわかる。「軍は民間人を攻撃していない」という政府発表だけが正しいとは、かつての日本の大本営発表みたいではないか。さて、独裁国家であれば、当然のことながら独裁者がいるわけで、それが誰なのかと問われれば、プーチン大統領であると答えるしかなかろう。

憲法改正で、大統領の任期は1期6年、2期までとなった。しかし、この規定は現職大統領には適用されない。つまり、現在の大統領職の任期が2024年に満了し、次の大統領選に立つところからカウントされるわけだから、プーチンは2036年まで大統領職にとどまることが可能になった。“終身大統領”と、ほとんど同義語である。

そうしたわけだから、ウクライナ問題解決のための外相会談に進展がなくても、それは当然である。ロシア外相ラブロフには、プーチンの言葉を伝えるだけしか権限がないだろうし、ウクライナのクレバ外相の言葉を持ち帰って、プーチンに報告するだけだ。プーチンの考えに沿わない発言でもしようものなら、政治家生命にとどまらず、命の危険にもつながりかねないであろうから。

自分に楯突く者は消す。これがプーチン流である。KGBを改組したFSB(ロシア連邦保安庁)の元スパイで、英国に亡命したリトビネンコは、2006年11月、プーチンを批判したために、放射性物質のポロニウム210によって毒殺された。2013年3月には、反プーチンだったロシアの富豪ベレゾフスキーが、ロンドンの自宅で首を吊って亡くなっているのが見つかった。暗殺された可能性が高いと見られている。最近の話では、2018年3月、ロシアの元GRU(軍参謀本部情報総局)大佐のスクリパリとその娘が、ロシア軍が開発したノビチョクという神経剤をかけられ、意識不明の重体となった。こうした事例は、枚挙にいとまがない。プーチンは、実に恐ろしい人物である。

思考停止が生み出す独裁者

しかし、知ってか知らずか、そのような恐ろしい人物を国のリーダーに選んだのが、ほかならぬロシア国民ということになる。プーチン支持層が一定数いることは既に述べた。東西冷戦時の“強いソ連”を懐かしみ、“世界の半分を支配した力”を美化する高齢者が中心となっているのだろう。その実態は、恐怖政治でしかなかったが、実害を被っていない大方の人々は、「あの頃は良かった」という思い出に浸るからである。実害のあった人は、既にこの世にいない。

全体主義の理想を刷り込まれ、個人の権利など存在しなかった時代を生きてきた人々は、誰かに頼ることでしか生きていけなくなってしまう。だからこそ、現在のロシアに不満があっても、大祖国戦争を戦い、2000万人の血で購った国土に憧憬を抱き、「ウクライナは我々のもの」という思想に行き着く。思考停止状態にある人々は、たとえ独裁者であろうと、自分たちに“指示をしてくれる”リーダーを求めるものだ。

ロシアで反戦を訴えているのは、主に若者である。ペレストロイカ以後の教育を受け、民主主義の片鱗を肌で感じ取っているからであろう。彼らが天秤にかけたのは、社会主義か資本主義かではなく、西側の人のように、マクドナルドのハンバーガーやケンタッキーフライドチキン(私はご免だが)を食べたい、ソニーのウォークマンが欲しい、少なくとも、上からの押しつけではない、そうした選択の自由が欲しいということだったのである。

ロシア国民が、実は自分らが独裁権力に絡め取られた操り人形、ないし奴隷に過ぎないことに気づくことができるか否か、それだけが、ウクライナにおける戦闘を終結させ、ロシアの経済と国際社会における信頼、世界秩序を回復させることにつながるのだと思う。奴隷とは、鎖につながれ、鉄球を引きずらされる、そうした身体的、肉体的拘束状態だけを指すのではない。正しいと思うことを口に出せない、嫌々でも従ってしまう、そうした精神的自由を奪われ、魂が拘束されているのも奴隷状態である。

SNS を手にした若者たちが、世代間の軋轢を乗り越え、彼らがメインストリームを形成していくことだけが、よりよき未来への一縷の希望だ、また、世界市民が手を取り合うことで、米国がこれまでおこなってきた暴虐の数々を追求する新たな起点にもなろう。暴力による支配という野蛮からの脱却こそが、文明社会の目指すべき地平であることを、誰も否定できないのだから。


(しみずたけと)

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