ショスタコーヴィチの戦争交響曲


ドミートリイ・ショスタコーヴィチ
交響曲第7番『レニングラード』
交響曲第8番

 「ドミートリイ・ショスタコーヴィチ(1906~75年)の交響曲第7番、第8番、第9番は大祖国戦争を背景に作られた。それゆえ、この3曲を一括りにして「戦争交響曲」と呼んだりする。前回、第9番を紹介する中で、第7番と第8番にも少しだけ触れたのだが、このサイトの《みました!》に映画『戦争と女の顔』が出たので、ここで書いておくことにした。そう、交響曲第7番はレニングラード包囲戦の下でつくられ、その戦闘によって荒廃した街を舞台にしているのが、この『戦争と女の顔』だからである。

交響曲第7番『レニングラード』

 交響曲第5番の成功で、プラウダ批判で受けたダメージを一気に回復したショスタコーヴィチであったが、つづく第6番の評価はパッとしなかった。まあ、当時のソ連では、音楽作品としての出来不出来より、政治的な動機、つまり国家をヨイショするものであるか否かで左右される傾向が強かったので、本当の音楽好きとしては、そうした政治的背景が影を落とす評価など気にすることもあるまい。

 ナチス・ドイツとソ連邦は、1939年8月23日、「独ソ不可侵条約」を結んだ。署名した両国外相の名をとり、モロトフ=リッベントロップ協定とも呼ばれる。39年9月1日にドイツがポーランドに侵攻し、ポーランドの同盟国だった英仏が宣戦布告したことで第一次大戦が勃発した。すかさずソ連も17日にポーランド領内に侵攻。ドイツとソ連は、独ソによるポーランド分割、ソ連のバルト三国併合とフィンランド侵攻を、秘密協定で相互に承認していたのである。

 41年6月22日、ドイツ軍はバルバロッサ作戦でソ連に侵入し、ここに独ソ戦の火ぶたが切られた。9月、ロシア革命の父レーニンに因んで改名された古都ペテルブルクがドイツ軍に包囲される。ヒトラーがレニングラード攻略を思い立ったのは、「イデオロギー戦」が理由だったのか、あるいは文化の中心を掌握することで、ロシア国民の戦意を挫こうとしたのか。ショスタコーヴィチは人民義勇軍に入ることを望んだが、偉大な作曲家を失っては一大事と、友人らが手を回し、戦闘に直接関わらないですむ民間消防団の一員として、音楽院の屋上で防空監視する役目に就く。街をめぐる攻防戦は、約900日にもわたるのだが、それを目の当たりにし、この第7番は極めて短い時間で書き上げられた(ことになっている)。

 ショスタコーヴィチは、曲の発表にあたって、「これは闘いの詩であり、根強い民族精神への賛歌である」と述べたと言う。第1楽章は戦争、第2楽章は回想、第3楽章は祖国の広野、第4楽章は勝利とされ、演奏時間は約75分にも及ぶ長大な曲であるが、戦争の主題や侵略の主題、人間の主題が次々にあらわれ、むしろ標題音楽とも呼べそうな性格である。ソ連政府は、あらゆる芸術を大祖国戦争に動員したわけであるから、この曲もまたソ連のプロパガンダと無縁だとは言い切れない。

 当時、中央政府はモスクワからクイビシェフに退避しており、ここでなされた初演は、まるで政治報道かのようにラジオ放送でソ連中に伝えられ、これを聴いた国民は熱狂した。さらに戦火の中にあるレニングラードでも演奏され、市民を勇気づけることになる。しかし…。

 しかし、ソロモン・ヴォルコフによる《ショスタコーヴィチの証言》の中で、ショスタコーヴィチはこの曲を、「第7交響曲は戦争の始まる前に構想されていたので、したがって、ヒトラーの攻撃に対する反応として見るのはまったく不可能である。『侵略の主題』は実際の侵略とはまったく関係がない。この主題を作曲したとき、私は人間性に対する別の敵のことを考えていた」と述べている。第7交響曲は、戦火のレニングラードで作られたのではなかったのか?人間性に対する別の敵とは、いったい?

 ショスタコーヴィチが語ったとされる「当然、ファシズムは私に嫌悪を催させるが、ドイツ・ファシズムのみならず、いかなる形態のファシズムも不愉快である。今日、人々は戦前の時期をのどかな時代として思い出すのを好み、ヒトラーがわが国に攻めてくるまでは、すべてが良かったと語っている。ヒトラーが犯罪者であることははっきりしているが、しかし、スターリンだって犯罪者なのだ」という箇所から、スターリンもまたファシストであり、人間性に対する敵と見なしていることがわかる。

 スターリンを、ヒトラーと同等、いやそれ以上の悪と捉えているかのような証言が続く。「ヒトラーによって殺された人々に対して、私は果てしない心の痛みを覚えるが、スターリンの命令で非業の死をとげた人々に対しては、それにもまして心の痛みを覚えずにはいられない。拷問にかけられたり、銃殺されたり、餓死したすべての人々を思うと、私は胸がかきむしらられる。ヒトラーとの戦争が始まる前に、わが国にはそのような人がすでに何百万といたのである」からは、かつて自分にもそのような危機が迫り、幸運にも生き延びることができたという、苦しい記憶があるのだろう。

 《ショスタコーヴィチの証言》を偽書とする説もある。しかし、作曲家ショスタコーヴィチに向けられた様々な圧力、それに起因する彼の苦悩、そして国外に亡命した多くの芸術家のことを思うと、言葉の一字一句まで正しいとは言えないにしても、「第7番が《レニングラード交響曲》と呼ばれるのに私は反対しないが、それは包囲下のレニングラードではなく、スターリンが破壊し、ヒトラーがとどめの一撃を加えたレニングラードのことを主題にしていたのである。私の交響曲の大多数は墓碑である」という作曲家の言葉を、私は虚偽であるとは言い切ることができない。

交響曲第8番

 独ソ戦は二年が過ぎ、ドイツ軍はカスピ海とコーカサスの油田を狙ってソ連で第二次大攻勢を展開。パウルス将軍率いる第6軍は、世紀の大激戦地となるスターリングラードを目指した。ヒトラーは、ソ連の指導者の名を冠するこの街を、何が何でもたたきつぶしたかったのだろう。交響曲第7番の二年後、この第8番は作られた。

 この曲が発表されたとき、ショスタコーヴィチは次のように述べている。「交響曲の内容を正確に叙述することは至難である。第8交響曲の内容の根本にある思想をごく短い言葉で言いあらわすのならば、『人生は楽し』である。暗い陰うつなものはすべて崩れ去り、美しい人生が今や開かれつつある…」と。

 反撃に出たソ連軍により、スターリングラードでドイツ軍が壊滅した。翌年1月にはレニングラードの包囲も解かれる。防戦一方だった戦争にも、明るい兆しが見え始めたのである。スターリングラードは、独ソ戦の一大転換点だった。ドイツ軍を敗走させ、ソ連軍が攻勢に転じた時期に作曲された第8番は、一時期、《スターリングラード交響曲》とも呼ばれたりした。

 第8番は、第7番とはうって変わり、標題音楽ではない。しかし、作曲家の言葉と裏腹に、第1楽章の重苦しいアダージョだけで、全曲の約半分にもならんとする。第1楽章が第1部で、それ以後の楽章が第2部を構成しているようで、ある意味、バランスが良いとは言えない。おどけるような第2・第3楽章の後に展開される第4楽章のラルゴもまた重く、そして暗い。「人生は楽し」と感じさせるような楽観的な要素は、いったいどこにあるというのだろう。

 スターリングラードの街は瓦礫の山と化し、軍民多くの犠牲を出した。現実は楽しいどころではなかったはずである。希望があったとすれば、侵略を阻止し、目の前の苦しさから不死鳥のごとく立ちあがろうとする人々の「生の追求」だったのか。ショスタコーヴィチの言葉は、「芸術は楽観主義的・人生肯定的なものでなければならない」という当局の要請である社会主義リアリズムに沿って、やむなく語られたものだったように思える。

 ショスタコーヴィチは、スターリングラード攻防戦を叙事的に描いたのではなく、戦争の時代に生きた、生きざるをえなかった人々を主題に、戦争の悲惨さ、鎮魂、人間のあり方や生き様を問いかけたのである。その意味では、歴史的外観を描いた第7と人間の心を描いた第8の二つの交響曲は、背中合わせの関係とも言えよう。

 この曲が発表されたとき、反革命的で反ソビエト的だと公然と宣告されたそうである。《ショスタコーヴィチの証言》によれば、「戦争の初期には楽天的な交響曲を書いていたのに、いま、悲劇的なものをかいているのはなぜか。開戦当初、我々は退却しつつあったが、今や攻勢に転じ、ファシストを壊滅しつつある。ショスタコーヴィチがいま悲劇的なものを書き始めているのは、彼がファシストの味方であることを意味する…」と。ほとんど言いがかりでしかない。しかし、それこそが全体主義が生み出す空気なのであろう。これが言いがかりにすぎないことを看破できるのは、私たちがその集団の外にいるからである。中に入ってしまうと気づかない、見えない、わかっても声を出せない…。あの時代のソ連だけではない。それは、私たちのすぐ隣にある恐ろしい事実なのだ。

  

 ::: CD :::

交響曲第7番『レニングラード』

指揮:ヴァシリー・ペトレンコ
演奏:ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団
録音:2012年

 1976年、レニングラード(現サンクトペテルブルク)に生まれたヴァシリー・ペトレンコ。作曲者と同郷の彼がロイヤル・リヴァプール・フィルを振った演奏。ペトレンコの手によって、この楽団は一気に世界の檜舞台の躍り出たと言って良いだろう。2008年から5年をかけて制作されたショスタコーヴィチ交響曲全集の中でも、この第7番は特に素晴らしい。長大な曲であるにもかかわらず、滑らかに流れ、シャープな響きと相まって、緊張と集中が途切れることがないまま、スケールの大きなクライマックスに至り、圧倒される。

 ペトレンコは、ロシアのウクライナ侵攻を理由に、2021年に就任したロシア国立交響楽団を辞任している。「ロシアとウクライナの人々の間には歴史的および文化的なつながりがあり、ロシアの侵略を正当化する理由はどこにもなく、今起こっている悲劇は、今世紀最大の道徳的失敗と人道的災害の一つです。これらの恐ろしい出来事に応え、私は平和が回復するまでロシアでの仕事を中断することに決めました」と、芸術家としてプーチン体制に与しない立ち位置を明確にしたと言えよう。

I. Allegretto
II. Moderato
III. Adagio
IV. Allegro non troppo


  

交響曲第8番

 この曲は、高く評価はされているものの、第5番や第7番ほど録音されていない。まず思い浮かぶのは、1982年のムラヴィンスキーとレニングラード・フィルのライブ盤だ。初演者だけあって、息苦しさをおぼえるほどの緊張感に終始し、オーケストラのアンサンブルも完璧。ソ連時代、実質的に演奏が禁じられていたことも影響しているのだろうか。

 ムラヴィンスキーの音楽は見事なのだが、あの時代、彼はショスタコーヴィチに圧力をかけた権力、その中枢から遠からぬところにいた人物である。ここでは、そうした全体主義を外から俯瞰できる、そういう立ち位置にある者による演奏をとりあげたい。

指揮: アンドレ・プレヴィン
演奏: ロンドン交響楽団
録音: 1992年

 残忍で冷徹な体制に対して、人は人としての矜持と尊厳を失うことなく対峙できるか。まさにこの問いかけこそが、ショスタコーヴィチの交響曲を貫く思想である。第8番は、全体主義の至るところに仕掛けられた罠をすり抜けるための迷路の中で、自分を生かす、生き延びるための道を見出そうとするように始まる。それが困難な社会であるからこそ、第1楽章はあれほど長いのだ。

 おどけのような第2、第3楽章は、軽薄短小なピエロを演じることで権力の目を欺き、逃れようとする作曲者自身であろうか。しかし、それもまた虚しいことだ。第4楽章は、そんな諦観か、あるいは悟りを思わせる。そして最終楽章。平和への願望は、はかなさを感じさせながら終わっていく。

 プレヴィンの知的で暖かみのある人間的な音楽は、ショスタコーヴィチの矜持と悲観を共有するところから生まれている。それは作曲家への慰め、励まし、そして最後には人間の内心が勝利することへの確信であろう。この演奏の最大の魅力は、血が通ったものであるところにある。

I. Adagio
II. Allegretto
III. Allegro non troppo
IV. Largo
V. Allegretto

  


(しみずたけと) 2022.8.12

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子どもの頃に見たテレビ番組の記憶…


 小学生の頃の思い出のテレビ番組。『ひょっこりひょうたん島』と『サンダーバード』。あの時代の子どもたちなら、絶対にみていたはずの人形劇ドラマ。

 井上ひさしと山元護久が原作を書いた『ひょっこりひょうたん島』は1964年にNHK総合が放送開始。笑いと諷刺、冒険がてんこ盛りのストーリーは面白さ抜群だった。さらに登場キャラクターがすごい。個々の性格がハッキリしているし、なにしろそのネーミングが秀逸。ドン・ガバチョ、サンデー先生、トラヒゲ、マシンガン・ダンディ、博士、ライオンなどなどのレギュラー陣に加え、魔女リカ、大泥棒グッバイジョウ、金融業者のシャッキンバード、牧伸二が声優を務めたウクレレマン・ダンなど、あのセンスには驚かされてしまう。ミュージカルばりの歌も忘れがたい。

 一方の『サンダーバード』は、1965年から66年に英国で放送されていたもの。日本では1966年に、こちらもNHK総合が放送。世界各地で起きた事故や災害で危機に陥った人を、「国際救助隊」を名乗る謎の集団が救助するというヒューマン・ストーリー。救助隊を組織するトレーシー一家の兄弟は、スコットやアランなど、名前からしてグレート・ブリテン総出演と言った趣。メカ好き男の子は、毎回ハラハラ、ドキドキ、ワクワクして見たものだ。

 わが家のテレビは白黒だったが、ある日、渋谷の東急にある大画面テレビでカラー映像を見てびっくり。『サンダーバード』って、こんな色だったのか!ス、スゴイ!。番組の終わりまで見てしまった。ところで、『ひょっこりひょうたん島』の方はどうだったのだろう。

 その後、『サンダーバード』は民放で何回も再放送され、実写版やらリメイク版も作られた。オリジナル作品はビデオ化され、今日ではDVDが販売されている。しかし、『ひょっこりひょうたん島』は…。『サンダーバード』のストーリー設定は未来だったが、『ひょっこりひょうたん島』の諷刺や教訓話も、今なお通用する普遍性を有している。なぜ『ひょっこりひょうたん島』は見ることができないのか?

 『サンダーバード』はオリジナルの映像テープが残された。しかし、当時のビデオテープは高価だったため、『ひょっこりひょうたん島』が収録された映像は、放送終了後に消去され、他の番組に使い回されたのである。朝鮮戦争の特需で息を吹き返したものの、天下のNHKでさえそうせざるを得なかった。あの頃の日本は貧しかったのである。とても映像文化などに金をつぎ込めるような状態になかったということだろう。まして子ども向けのテレビ番組などに…、そういうレベルだったのだと思う。

 戦争は経済だけでなく文化も壊す。貧すれば鈍する…。豊かさは物質文明だけではないが、先立つものがなければ文化は育たない。戦争をしている国、戦争の準備をしている国には、たいてい文化的な貧しさがつきまとっている。

『ひょっこりひょうたん島』テーマソング(初回版)
『サンダーバード』オープニング

(しみずたけと)  2022.8.11

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ショスタコーヴィチ 交響曲第9番


 「第9」である。「第9」といえば、ベートーヴェンの交響曲第9番。以前、紹介したこともある。年末の風物詩である「第9」なら、まだだいぶ先のことだから、季節はずれに思われるだろう。ここで紹介するのは、ショスタコーヴィチの交響曲第9番、前回の第5番の続きである。

第9の呪い?

 こんな言葉を聞いたことがあるだろうか。曰く、交響曲第9番を作曲すると死ぬというものである。たしかに交響曲の最後の作品が第9番という作曲家の例がないわけではない。ベートーヴェンの他に、ブルックナー、ドヴォルザーク、ヴォーン・ウィリアムズなどが知られている。

 それを恐れてか、マーラーは第8番の次に作曲した交響曲『大地の歌』に番号を与えなかった。そして第9番を作曲、第10番は第1楽章だけの未完成に終わっている。しかし、モーツァルトの有名な《ジュピター》は交響曲第41番だし、ハイドンの交響曲は100以上もある。「第9の呪い」は根も葉もない噂にすぎないのか…。

 ブルックナーは、習作として番号のない交響曲を作曲しており、現在では0番とか00番の番号で呼ばれている。『ザ・グレート』の名で知られるシューベルトの交響曲は、番号表記が二転三転し、第9番とされていた時期もあるが、今は第8番とされている。ドヴォルザークの『新世界』も、以前は第5番とされていた。生前には発表されなかった初期の四曲を、作曲年に従って組み込んだため、後になって第9番とされたのである。

 むしろ9曲もつくらなかった作曲家の方が圧倒的に多い。ブラームスは第4番までだし、チャイコフスキーは第6番、シベリウスは第7番が最後である。交響曲をつくるというのは、それだけ大変な、エネルギーを要することなのだろう。第9番を作曲するのは、人生の終わりの時期に近づいた頃、それだけのことなのではなかろうか。

 それゆえ、交響曲第9番はどれもが優れ、その作曲家の代表曲になっている。みなさんの好きな第9は誰によるものだろうか。それはさておき、ショスタコーヴィチの第9。この曲は、別の意味で呪われた、別の意味で画期的な作品かもしれない。

ショスタコーヴィチ、「第9」まで

 ドミートリイ・ショスタコーヴィチ(1906~75年)が15の交響曲を残したこと、第5番は人気が高く、演奏会の曲目としてとりあげられることが多いことは第10番と第5番を紹介する中で書いた通りである。また、最も大きなオーケストラ編成を必要とする第4番は、後にショスタコーヴィチ自身が最高の出来映えと言い、近年になって評価が高まっている。その他、ソ連時代は長らく演奏禁止とされた第8番、帝政ロシア時代のユダヤ民族迫害が、社会主義になっても続いている状況の告発を含む第13番、死というテーマを前面に出した第14番も、いろいろな意味で重要視されるようになった。これらとくらべて、第9番は注目度も話題性も高くない。演奏会のプログラムやレコーディング対象としては、ややマイナーな存在と言えよう。

 1939年、第二次大戦が始まった。交響曲第7番は、1942年、ドイツ軍に包囲された戦火のレニングラードで作曲された作品である。「レニングラード」の副題を持ち、対ファシズム戦争として市民を鼓舞したこの曲は、国内外で絶賛された。第5番とならぶ人気曲で、今日でも演奏される機会が多い。これを音楽によるプロパガンダとみなすかどうかは議論されて良いだろう。

 ところが1943年、スターリングラード攻防戦の犠牲者追悼のために作られた交響曲第8番が再び批判される羽目に。政権としては、ドイツ軍を敗走せしめた勝のイメージを期待していたのだろうが、戦争の悲惨さと人々の苦悩、そして犠牲者の追悼を表に出したことが気に入らなかったのだろう。批判の急先鋒は、フィンランド侵攻とレニングラード防衛戦の指揮を執った文化相のアンドレイ・ジダーノフ(1896~1948年)。地位さえあれば、芸術という専門外の分野にまで口を出してくるところが、まさに全体主義である。こうしたところから「社会主義は怖い」というイメージが生まれたのだとすれば、実に残念なことだ。スターリン時代のソ連は、社会主義でも共産主義でもなく、軍事独裁政権の恐怖政治が国を支配する、正真正銘の全体主義でしかなかったのだから。

指向性が異なる「第9」…

 それでもショスタコーヴィチは、ソ連における当代随一の交響曲作曲家である。戦争が終わると、大祖国戦争の勝利を祝い、勝利に導いた偉大な指導者スターリンを称える作品が委嘱された。ちょうどそれが第9番になるというのも好都合だったに違いない。独唱と合唱をまじえた壮大で輝かしいものが期待されたわけだが、できあがった作品は、独唱も合唱もない、シンフォニエッタ(小交響曲)あるいはディヴェルティメント(嬉遊曲)とでも呼べそうな小規模なものだった。独裁者スターリンと、それに媚びへつらう者たちの要求を無視し、むしろ笑い飛ばそうとするかのような、反骨精神の音楽家の面目躍如である。

 全五楽章で構成されているにもかかわらず、楽器編成は基本的に二管編成であり、演奏時間は約25分と短い。数ある「第九」の中にあって、実にコンパクトである。というか、力が入っていない感じがする。軽やかで力みがないといえば聞こえが良いが、肥大化した後期ロマン派の交響曲作品とくらべると、なんだかショボい感じさえするのだ。フル・ボリュームで鳴り響く絢爛豪華なクライマックスでも、反対に静寂の中に消え入るような終わり方でもなく、「第九」への期待を裏切られた気分にもなる。どうやら、あえてそれを狙ってつくられたという背景事情があるようなのだ。

 戦争に関連することから、ショスタコーヴィチの交響曲第7番から第9番をひとくくりに「戦争交響曲」と呼んだりするが、聴けば、第9番は前二作とはだいぶ趣が異なることに気付かされるだろう。戦争より、むしろ権力批判を軸にした、一種のパロディのような気がしてならない。勝手な解釈をさせてもらうと…。いや、それは後日あらためて開陳することにしよう。

  

 ::: CD :::

 ショスタコーヴィチの交響曲第9番は、決して多いとはいえなくとも、それなりにレコーディングはされている。全15曲を録音した全集のセットもある。どれを紹介すべきか、しばし考えてみた。

 まずは、この曲の初演者であるムラヴィンスキー。ところが…、CDが見つからないのだ。LPがあったかどうかまでは調べていないが、録音されなかった可能性がある。第8番はともかく、第4番、第13番、第14番とあわせて、政権との軋轢があった第9番の録音を避けたのかもしれない。この曲の初演の後、彼は不愉快そうだったという。レニングラードで初演の指揮をすることになっていた第13番は、不可解な理由から指揮を断っている。政権による圧力があったのだろうか。

 ムラヴィンスキーが理解し、共感したのは、実は作曲家ショスタコーヴィチではなく、体制との間に波風を立てない作品だったのではあるまいか。第5番で触れたヴォルコフによる『ショスタコーヴィチの証言』が正しければ、そう言うことになるのだろう。彼は思想家ではなく音楽家なのだから、音楽としての純粋さを追求することが間違っているとは言わない。もしや権力側に忖度する人間だったのか?そうだとすれば、少し残念な気もする。音楽を含め、芸術とは人間に生きていくための勇気を与えるものだと考えるからである。

 ムラヴィンスキー盤がないなら、同じく第5番で紹介したレナード・バーンスタイン(1918~90年)はどうだろう。たとえばウィーン・フィルとの演奏は、音色がとても美しく、迫力もある。純音楽的には見事だと思うが、もう一押し何かが必要なのではないかと思ってしまう。ショスタコーヴィチとバーンスタイン、二人を取り巻く政治や社会が、あまりにも違いすぎるためだろうか。

 それでは、交響曲第10番でとりあげたマリス・ヤンソンス(1943~2019年)はどうだ。レニングラード・フィルハーモニー交響楽団の指揮者で、ショスタコーヴィチとも親しい間柄だったアルヴィド・ヤンソンス(1914~84年)の息子として、作曲家のすぐ近くで育った人である。体制の表裏はもちろん、体制と反体制の両方を見てきたに違いない。とはいえ、ヤンソンス親子はスターリンや政府に目をつけられたり弾圧されたりせずにすんだ。それは喜ぶべきことではあるが、ショスタコーヴィチほどの苦悩や独裁者に対する反骨精神が希薄なのは、ある意味当然なのかもしれない。

1)ロストロポーヴィチ盤

指揮:ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ
演奏:ナショナル交響楽団
録音:1993年

 ここは同時代を生き、体制の弾圧を受けた人物の登場といきたい。アゼルバイジャン出身のムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(1927~2007年)。20世紀を代表するチェロ奏者として有名だが、モスクワ音楽院でショスタコーヴィチに作曲を学び、指揮者としても素晴らしい演奏を数多く残している。

 1970年、ソ連の強制収容所を描いた『収容所群島』や『イワン・デニーソヴィチの一日』で、アレクサンドル・ソルジェニーツィン(1918~2008年)がノーベル文学賞を受賞した。社会主義体制批判とみなされた彼を擁護したことで、ロストロポーヴィチもまた「反体制」のレッテルを貼られ、国内での演奏ができなくなってしまう。74年に出国すると、エドワード・ケネディ米上院議員の助力もあり、そのまま西側に亡命。77年に渡米し、首都ワシントンD.C.のナショナル交響楽団の音楽監督に就任した。

 オーケストラ・ビルダーと謳われたハンガリー出身のアンタル・ドラティ(1906~88年)が鍛え上げたこの楽団は、ロストロポーヴィチによってさらに輝きを増すことになる。彼の人脈によって、一流の演奏者が集まり、コンサートには、彼を含め、世界有数のソリストが登場し、実力と人気が急上昇。90年には、ゴルバチョフ体制下のソ連に演奏旅行。78年に剥奪されたソ連国籍を回復することになった。ロストロポーヴィチの波瀾万丈の人生、体制批判の精神は、まさにショスタコーヴィチの作品を演奏するのに相応しいといえるのではなかろうか。

 政権への遠慮とは無縁のコンビによる、作品の本質を思いっきり突いた迫真の演奏。カップリングされているのが交響曲第1番というのもうれしい。なぜなら、この曲こそ、ショスタコーヴィチが権力への忖度も批判も意識することなく、純粋に音楽を追求してつくりあげた、それが許された時代の作品だからである。


第1楽章  I. Allegro
第2楽章  II. Moderato
第3楽章  III. Presto
第4楽章  IV. Largo
第5楽章  V. Allegretto

  


  

2)ゲルギエフ盤

指揮: ワレリー・ゲルギエフ
演奏: キーロフ劇場管弦楽団
録音: 2002年

 サンクトペテルブルクにある、バレエで有名なマリインスキー劇場。その劇場専属のキーロフ管弦楽団を、ワレリー・ゲルギエフ(1953年~)が指揮した演奏である。ソ連時代、キーロフ劇場へと名称変更されたが、ソ連邦崩壊の1991年、元のマリインスキー劇場の名に戻された。オーケストラは、その後もキーロフ管弦楽団を名乗っていたが、今はマリインスキー劇場管弦楽団となっている。

 このディスクを買う人は、交響曲第5番がお目当てのはずだ。音楽評論家の宇野功芳は、第1楽章を「真摯なジョーク」、第2楽章を「誠実に作曲者の内面の苦しみを追い」、第3楽章を「狂的な音楽を緻密に音化」、そして第4楽章を「ぼくはこの部分の音楽もゲルギエフの指揮も大好きだ」と絶賛している。戦争の時代に作られたということで、ゲルギエフは第4番から第9番を「戦争交響曲」と考えており、その意味でも、第5番と第9番のカップリングは的を射ている。スターリン体制下の戦争と音楽の関係を的確につかんだ演奏と言えそうだ。

 2002年の録音だから、ゲルギエフはまだ50歳にもなっていない。約10年後の再録は、より精緻でスピード感あふれる、あのムラヴィンスキーを彷彿とさせる演奏だが、なにか人工的な美しさが支配的で、こちらの旧盤の方が人間的で好ましく感じられるのだが…。ポピュラーな第5番には名盤が多いが、この第9番は、実は第5番以上と言っても良さそうな秀演。お買い得盤だとするなら、むしろこの第9番のおかげだと、個人的にはそう思っている。

  

3)ネルソンス盤

指揮: アンドリース・ネルソンス
演奏: ボストン交響楽団
録音: 2016年

 2014年からボストン交響楽団を率いるラトビア出身のアンドリース・ネルソンス(1978年~)によるライブ録音。強靱な弦セクションによる力強さに華麗さを重ねる明るい音色の金管と木管のセクションが織りなす、重厚だが新しい響きのショスタコーヴィチがここにある。

 第5、第8、第9の3つの交響曲ががカップリングされた2枚組。第8はスターリングラード攻防戦、第9は戦争終結をテーマにしたもので、レニングラード包囲戦をテーマにした第7とあわせ、戦争交響曲と呼ばれたりする。いっそのこと、第5の代わりに第7を組み合わせれば良かったのにとも思う。だが、その組み合わせでは2枚のCDには収まりきらない。だから第5なのか?

 音色は明るいのに、音楽の表情は重くて暗い。ジャケットに記された「スターリンの影のもと」は、あの時代の影が今なお息づいていることを表しているような気がする。スターリンになりたがる人間がおり、媚びへつらう者が取り巻き、思考停止した大衆が唯々諾々と従う…。ゲルギエフの演奏はスターリン独裁時代を批判的に見据えた演奏だったが、ネルソンスは無意識下に根付いた全体主義を意識している。

 ゲルギエフとネルソンスは25歳違い。曲の解釈の差は、世代によるものではなく、両者の出自あるいは背景の違いによるものではなかろうか。前者は親ロシアのオセチアに、後者は大ロシア主義の辛酸をなめさせられたバルト三国という、対照的なルーツを持つ。プーチン大統領と親しい関係にある者と、チェチェン、オセチア、クリミア半島を武力で吸収するロシアに、かつての全体主義国家ソ連の再来を感じ取る者の違いだろうか。

 ジャケットの“スターリンの影”とは、スターリン個人ではなく、スターリン亡き現代においてさえ、スターリン的な強い指導者、スターリンの幻影を求める大衆が存在するというニュアンスが含まれているように感じられてならない。

I. Allegro (Live)
II. Moderato (Live)
III. Presto (Live)
IV. Largo (Live)
V. Allegretto (Live)

  

ワレリー・ゲルギエフ盤とアンドリース・ネルソンス盤には交響曲第5番も含まれているので、前に紹介したムラヴィンスキー盤およびバーンスタイン盤と聴きくらべるのも面白いと思う。


(しみずたけと) 2022.7.17

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ショスタコーヴィチ 交響曲第5番


 ドミートリイ・ショスタコーヴィチ(1906~75年)が15の交響曲を残したことは、第10番を紹介したときに触れた。中でも第5番は人気が高く、演奏会の曲目としてとりあげられることが多い。ショスタコーヴィチの交響曲連峰における盟主ではないにしても、曲の規模、オーケストレーション、インパクト、どれをとっても主峰の一つに数えられてしかるべき存在と言えよう。その点、ベートーヴェンの交響曲第5番を思わせる。

 ペテルブルク音楽院の卒業制作として作曲した1925年の交響曲第1番の成功で、「現代のモーツァルト」と賞賛されたショスタコーヴィチ。しかし、1936年の歌劇『ムツェンスク郡のマクベス夫人』が、1月26日のプラウダ紙によって酷評されてしまう。「音楽の代わりに荒唐無稽」と、それはそれは散々な書かれようだった。

 同じ年の4月に初演予定していた第4番についても、音楽はすべからく社会主義リアリズムの「簡潔・明確・真実」あるいは「形式において民族的、内容的において社会主義的」であらねばならないという当局の要請からはずれ、形式主義に堕したプチブル的で左翼偏向的な作品…。そう睨まれているらしいと、作曲者自身がそれを感じ取ったのか、はたまた誰か忠告する者がいたのか、本人自らリハーサル後に譜面を回収し、封印してしまった。初演は、なんと四半世紀を経た1961年である。

 どんな作品にでも批判はつきものだが、独裁国家の権力サイドによる場合は恐ろしい。政治家だけでなく多くの文化人が、粛正の名のもとに逮捕、拘留、処刑され、そこまで至らなくても、地位を失い、追放の憂き目に遭っている。ソ連におけるクラシック音楽のエース的存在のショスタコーヴィチに対してでさえ、こうした圧力があった。

 第5番は、先進性や前衛的な複雑さをちりばめた第4番を反省し(そういうことになっている)、古典的な構成に回帰して単純明快さを目指した作品である。ロシア革命20周年の1937年、エフゲニー・ムラヴィンスキー(1903~88年)の指揮のもと、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団による初演で熱烈な歓迎を受け、「社会主義リアリズム」の理想例と称えられ、ショスタコーヴィチの名誉は回復された(と言われたりする)。

 不安をかき立てるように始まる第1楽章、皮肉とも嘲笑ともとれる第2楽章。曲全体の流れが「苦悩とその克服、そして最終的な勝利へ」という精神を感じさせるところから、ベートーヴェンの交響曲第5番と比較され、終楽章は革命の歓喜と受けとられていた。ありていに言えば、革命以前の重苦しい社会が、革命を通して人間性が開花し、未来は現在よりより良くなっていく、そうした必然的進歩史観の音楽的表現という位置づけなのだろう。

 こうした経緯から、作品の副題として、かつて日本では《革命》の名を冠せられたものだが、作曲家自身はそのような命名はおこなっておらず、ベートーヴェンの交響曲第5番における《運命》と同様、最近では見かけなくなりつつある。

 ::: CD :::

1)ムラヴィンスキー盤(1973年ライブ)

指揮:エフゲニー・ムラヴィンスキー
演奏:レニングラード・フィルハーモニー交響楽団
録音:1973年(ライブ)

 初演のコンビによる演奏。その大成功で頭角をあらわしたムラヴィンスキーは、翌年の第一回全ソ指揮者コンクールで優勝し、レニングラード・フィルの首席指揮者となった。以来、第6、8、9、10、12番の初演をおこなっている。作曲家と演奏家という立場の違いはあるものの、同じ時代を生き、この時代のソ連の音楽界を、二人三脚のように牽引してきた二人である。曲の理解、演奏に関する指示など、誰よりも良く、正確に把握している指揮者による“お手本”と受けとめられているのだが…。

 ムラヴィンスキーは完璧主義者である。スタジオ録音だけでなく、ライブまでもが精緻で緊張感があふれている。こんな指揮者は他にいない。この演奏は、彼が1973年に初来日した折、東京文化会館での演奏会を収録したライブ盤である。このすさまじいまでの集中力にはゾッとさせられてしまう。

 私が生で聴いたのは、彼にとって最後の来日となった1979年の演奏会だった。スラリとした長躯痩身で実に格好良い彼だが、この時は指揮台に置かれた椅子に腰掛けて指揮したことを覚えている。たしかこのとき、ヴァイオリニストとトランペッターの二人が亡命するという事件があったはずだ。楽団員に対する監督不行届の責任を追求されたムラヴィンスキーは、「彼らは私の楽団から逃げ出したのではなく、あなたの党から逃げ出したのだ」と言い放ったという。

 

2)ムラヴィンスキー盤(1984年ライブ)

指揮:エフゲニー・ムラヴィンスキー
演奏:レニングラード・フィルハーモニー交響楽団
録音:1984年(ライブ)

 ムラヴィンスキーによる録音は、この曲だけで10種類以上残されているが、どれも正統的かつスタンダードな演奏と見なされている。これは最初の来日から約10年後、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)の本拠地でのライブ録音である。この頃になると、さすがにオーケストラのアンサンブルの精緻さに陰りが感じられるようになる。しかし、作品の隅々まで知り尽くした彼ならではの老練で練り上げられた表現は見事としかいいようがない。巨匠が最晩年に贈る、磨き込まれた芸術品である!

 できの悪い国産楽器の使用を求められたムラヴィンスキーは、当局のその要求を蹴飛ばしたと伝えられている。より良い音楽のためには、より良い楽器が必要だという、彼らしく音楽の完成度を純粋に追求した結果に違いない。生涯、共産党員になることはなく、国家の指導部に対して強い反感を持っていたとも言われるが、それが革命によって没落を余儀なくされた貴族だったことに端を発するものだったのかはわからない。

Yevgeny Mravinsky, Leningrad Philharmonic Orchestra, Live recording, Moscow, 18.XI.1982

このリンク先の動画ではオーケストラが演奏する様子がごらんいただけます。https://youtu.be/sh936XImR_o

Mravinsky, Leningrad Philharmonic Orchestra, Minsk Philharmonic Hall, 1983.11.20

  

3)バーンスタイン盤(1959年)

指揮:レナード・バーンスタイン
演奏:ニューヨーク・フィルハーモニック
録音:1959年

 レナード・バーンスタイン(1918~1990年)は、ウクライナにルーツを持つユダヤ系移民の二世である。1958年にニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団(後にニューヨーク・フィルハーモニックに改称)の音楽監督に就任し、翌年、同楽団とソ連公演をおこなう。8月16日のショスタコーヴィチの第5番は絶賛され、その興奮冷めらやぬまま、帰国してすぐボストンのシンフォニー・ホールで録音されたのがこれである。ソ連公演のライブ録音もあるのだが、いかんせんモノラルなので、こちらを選ばせてもらった。ライブかと思わせるような異様なまでの熱気と荒々しさは、そのせいであろう。怒り狂ったかのように猛烈な勢いで突き進む最終楽章は尋常ではない。ベートーヴェンになぞらえ、(革命の)歓喜とされてきた箇所。後年、作曲者自身がこれを「強制された歓喜」と語るのだが、バーンスタインはこの時すでにそのことを嗅ぎ取っていたのだろうか。

 

4)バーンスタイン盤(1979年ライブ)

指揮:レナード・バーンスタイン
演奏:ニューヨーク・フィルハーモニック
録音:1979年(ライブ)

 バーンスタインがニューヨーク・フィルハーモニックを引きつれて来日した1979年の演奏は凄まじかった。作曲家と近い時代を生きたバーンスタインならではの熱演。あのエネルギッシュな指揮とパワー全開のオーケストラによる張り詰めたような緊張感は忘れがたいものがある。これは東京文化会館でのライブ録音。聴いていると、各楽章とも20年前のセッション録音より早めのテンポに感じ、第4楽章の冒頭とフィナーレは、まさに「突進」と呼びたくなるのだが、録音時間を確かめると、まったく逆。むしろこちらの方がゆっくりなのだ。これも緊張感のなせるわざなのだろう。

  

ショスタコーヴィチの証言

 ソ連の音楽学者ソロモン・ヴォルコフ(1944年~)によって書かれ、1979年に出版された書籍である。内容は、ショスタコーヴィチが自分の生きた時代を回想しながら、国家権力の圧力、権力に媚びへつらう芸術家(特に音楽家)たちに対する告発と批判を中心に綴られている。

 たとえば、交響曲第5番の最終楽章の革命の歓喜を、本書の中では「強制された歓喜」と、全体主義批判とも受けとれる内容となっている。少しばかり長いが、本書の第6章「張りめぐらされた蜘蛛の巣」から一節を引用する。

 ある時、私の音楽の最大の理解者を自負していた指揮者ムラヴィンスキーが私の音楽をまるで理解していないのを知って愕然とした。交響曲第5番と第7番で私が歓喜の終楽章を書きたいと望んでいたなどと、およそ私の思ってもみなかったことを言っているのだ。この男には、私が歓喜の終楽章など夢にも考えたことがないこともわからないのだ。いったい、あそこにどんな歓喜があるというのか。第5交響曲で扱われている主題は誰にも明白である、と私は思う。あれは《ボリス・ゴドノフ》の場面と同様、強制された歓喜なのだ。それは、鞭打たれ、「さあ、喜べ、喜べ、それがおまえたちの仕事だ」と命令されるのと同じだ。そして、鞭打たれた者は立ちあがり、ふらつく足で行進をはじめ、「さあ、喜ぶぞ、喜ぶぞ、それがおれたちの仕事だ」という。
(ソロモン・ヴォルコフ著、水野忠夫訳、『ショスタコーヴィチの証言』、中公文庫、1986年、p.373)

 ショスタコーヴィチが本当にそのような証言をしたのか、本書は真贋が問われ、偽書であるとする者も多い。ヴォルコフのインタビューということになっているが、どこが質問で、どこがそれに対する答えなのか、文体からは判然としない。文庫本ですら600ページに近い分量だが、いったい何回、どれくらいの時間をかけて聞き取ったものなのか、疑問は尽きない。録音とかであれば検証のしようもあろうが、それもなく、ショスタコーヴィチ亡き今、確かめることは不可能だ。脚色はともかく、少なくとも、ヴォルコフによる補填があることは間違いないだろう。

 しかし、ソ連から西側に亡命することになった数多くの音楽家たち、アシュケナージ、コンドラシン、ロストロポーヴィチ、ヴィシネフスカヤ、音楽家に限らず、作家、バレエ・ダンサーのルドルフ・ヌレエフらのことを思うと、『証言』そのままでないにしても、証言にあるような事実はあったのではなかろうか。その意味では、本書は聖書的である。新約聖書は、イエスの言葉を弟子たちが伝えているもので、イエスが本当にそう言ったのかどうかを確かめる術がないのと似ている。

 けっきょく本書は、「信じるか、信じないか」の選択肢しか与えてくれないのだが、私が思うに、統制された芸術は、それが如何に美しいものであろうと、真の芸術ではない。芸術と自由は、切っても切れない関係にあり、真の芸術家にとって、個人の意思を認めない全体主義は、しょせん相容れないものである。物質的な不足によって生み出される芸術はあっても、精神の自由を奪う抑圧政治からは芸術は生まれようがないのだから。

 なお、トニー・パーマーが1987年に、本書を下敷きにした映画“Testimony”を制作している。


(しみずたけと) 2022.7.13

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弱い、強い…


「子どもの時にいじめられた子はどんな子だった。弱い子がいじめられる。強いやつはいじめられない」と語ったのは、自民党の麻生太郎副総裁である。7月4日、千葉県市川市での街頭演説だ。

 強い、弱いという形容詞が相対的な関係であることを、この人は理解していない。いじめに遭っている子どもが強くなれば、いじめがなくなるのか。本気でそう思っているとしたら、脳天気極まりない話だ。いじめの対象が、別の弱い子に向くだけである。いじめ問題の解消にはまったくつながらない。

 このとき、「国も同じ。強そうな国には仕掛けてこない。弱そうな国がやられる」と述べた。強くなれば良い、防衛予算増大の理由にしたいのだろう。どの国からも攻撃されたくないのなら、世界一の軍事大国になるしかない。そのようなことが不可能であるのを、誰もが知っている。平和ボケの寝言にしか聞こえない。

 仮に日本が世界最強の軍事力を有する国になったとして、他の国がそれを認めるだろうか。かつてアジア中を戦場にして侵略戦争を起こした国である。日本の傘の下で平和を得ようする国など、あるとは思えない。まして、戦争をしないと決めた憲法をやめようとしている国である。再び軍事力で勢力を拡大しようとする気になったと受けとられるのがオチだ。

 どの国も、他国に侵略されたり支配されたくないのは同じであろう。日本の軍事力を脅威に思う国は、やはり軍拡に走るしかない。しかし、軍備には金がかかる。軍というのは、生産に寄与しない、消費するだけの組織であるからだ。そうなると、軍事侵攻させないための安上がりの手段は何か。それは“核”かもしれない。日本の軍備増強は、アジアに核兵器を拡散する引き金になるだろう。

 弱い子は強くなれば良い。同様に、国も強ければ良い。北朝鮮が目指しているのは、まさにそれである。強い国になろうとしているのだ。なぜ日本政府は、与党自民党は、それを非難するのだろうか。その一方で、自分たちは強くなりたいと思っている。こんな簡単な矛盾にすら気がつかないと思われているとしたら、なんと国民をバカにした話か。

 国民が愚かなのに、その愚かな国民の中から選ばれた代議士だけは優れていて、立派な政府が成立するなどということは、まずあり得ないだろう。では、優秀な国民が、どうしようもない人材を代議士に選んで政治を委託するものだろうか。強いとか弱いと論ずるなら、選挙で当選した顔ぶれを見て、考えてみてほしい。まずは脳ミソを鍛え、ひとりひとりのアタマを強くすることが先決だろう。


(しみずたけと)  2022.7.12

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