マーラー 交響曲第1番


 マーラーの交響曲第2番『復活』を紹介する中で、ヤッシャ・ホーレンシュタイン(1898~1973年)の名にふれた。いま戦火の真っ只中にあるウクライナのキエフ出身、しかも姪が日本国憲法草案制定会議のメンバーであるベアテ・シロタ・ゴードン(1923~2012年)とくれば、憲法記念日を目の前に控え、《別所憲法9条の会》としては、ぜひともとりあげたい音楽家である。

 早くからマーラー演奏を得意としていた彼だが、交響曲第2番『復活』は録音されなかったのか、CDもLPも見つけることができなかった。手元にも、もちろんない。なんとか彼のマーラーを聴いてもらいたかったのだが…。いや、まてよ、交響曲第1番なら、ロンドン交響楽団との名盤があるではないか!

 ユダヤ系のホーレンシュタインは、ヒトラー支配下で酷い目に遭わされた一人である。戦後は米国を中心に、西側諸国で活躍した。ウクライナ出身なら、なぜソ連邦ではなかったのか。彼の手腕を持ってすれば、モスクワやレニングラードの主要オーケストラを率いるポスト、音楽監督でも首席指揮者にでも就けたはずである。

 それもまた、彼がユダヤ系だったからなのだろう。社会主義の国となったソ連だったが、帝政ロシアの時代と変わらない反ユダヤ主義が席巻していたのである。社会主義とか共産主義が問題なのではない。権威主義国家は、体制に従順な「もの言わぬ」人間を欲する、ありていに言えば、権力に尻尾を振り、媚びへつらう輩が重用され、そうでない者は「厄介な存在」として周辺に追いやられるのが常だ。日本学術会議に対する政権の姿勢を見れば、民主主義を自称するわが国も変わりないことがわかるはずだ。

 ヒトラーとスターリンは「同じ穴の狢」でしかない。互いに戦火を交えながら、自国民をも死に追いやった独裁者である。違っているのは、背負った看板だけ。卑近な例に当てはめれば、抗争を繰りひろげる○○組と××会みたいなものである。両者は主義主張や目指すものが異なっているから対立しているのではない。ベクトルが同じだからこそ衝突するのだ。

 ソ連という国の体制の犠牲になったのは、ホーレンシュタインだけではない。ピアニストのウラディミール・ホロヴィッツ(1903~89年)やエミール・ギレリス(1916~85年)、ヴァイオリニストのダヴィッド・オイストラフ(1908~74年)など、枚挙にいとまがない。彼らはみな、ウクライナ生まれのユダヤ系という共通点を有する。優れた音楽家であったドミートリイ・ショスタコーヴィチ(1906~75年)がなめた辛酸については、彼の交響曲を紹介する中に書いておいた。音楽も政治とは無縁ではいられないということを、私たちは忘れてはならない。

マーラー 交響曲第1番 ニ長調

 この作品は、1884年に着手され、88年、ブダペストで一応の完成を見たことになっている。当時、ブダペスト王立歌劇場の指揮者だったマーラーは、作曲だけに専念するわけにもいかなかったのだろう。四年というかなり長い年月を要したのは、そのためだと思われる。

第1部「青春の日々から。花、果実、茨など」
 Ⅰ.果てしなき春
 Ⅱ.花の章
 Ⅲ.帆に風をはらんで
第2部「人間喜劇」
 Ⅳ.カロ絵風の葬送行進曲
 Ⅴ.地獄から天国へ

 全体が五つの楽章で構成された「二部からなる交響詩」として、それぞれに表題がついていた。初演は、失敗ではなかったものの、あまり芳しいものでもなかったようで、マーラーはこれを4楽章の交響曲に改訂する。このときに、第2楽章に置かれていた「花の章」が省かれることになった。

 4楽章となった交響曲第1番に、マーラーは以前に愛読していたジャン・パウル(1763~1825年)の小説“Titan”から、この題名を拝借して付けることにした。日本では、どちらも『巨人』と訳されている。この曲と小説の間に直接的な関係はないが、主人公アルバーノの人間的成長を描いた物語が、作曲者になんらかの影響を与えたのは間違いないだろう。歌曲「さすらう若人の歌」との関連性からも、それがわかる。

 これらの表題すべてが、後に作曲者自身によって取り払われたことを思うと、ベートーベンの『運命』と同じく、今日この作品に『巨人』の名を使うのは適切とは言えないだろう。とはいえ、マーラーの音楽の背景を理解するためには、小説『巨人』の内容は知っておいた方が良いのは確かだと思う。ただ、「巨人」という言葉で私たちが思い浮かべる「並はずれて体の大きな人」は、ジャン・パウルの作品のそれとは全く違うから、その点については要注意だ。


::: CD :::

 ホーレンシュタインが気になって書き始めたのだが、せっかくの機会なので、他の演奏も紹介したい。マーラーの交響曲第1番は人気もあり、プロもアマも問わず、演奏会でもしばしばとりあげられる。名盤も目白押しだ。そんな中で優れたものを選ぶのは至難の業だし、贔屓の録音が入っていないと怒り出す人も出てきそうだ。ということで、選択の基準は「私のお気に入り」ということにさせてもらおう。本当はもっとたくさんあるのだが、四種だけにする。

1)ホーレンシュタイン盤

 マーラーやブルックナーの交響曲を、ブームになるはるか以前から積極的にとりあげてきたホーレンシュタイン。惜しむらくは、主要レーベルの録音がほとんどないことであろう。そんな中で、ロンドン交響楽団を指揮したこの演奏は、LP時代から決定盤の誉れ高いものだった。彼のマーラーはスケールが大きく、骨太である。繊細さよりも豪胆さを前面に押し出した、ど真ん中に投げ込まれたストレートの剛速球とでも言えば良いだろうか。この曲には、実によく合っていると思う。ベアテはヤッシャ叔父さんのマーラーをどのように聴いたのだろうか。

指揮:ヤッシャ・ホーレンシュタイン
演奏:ロンドン交響楽団


録音:1969年


2)ワルター盤

 指揮者マーラーの弟子だったブルーノ・ワルター(1876~1962年)。マーラー演奏の第一世代であり、指標のような存在だ。奇をてらうようなところは微塵もなく、折り目正しい、端正の整った音の造形は、まるで石造りの大聖堂のようである。楽譜に記載されている過剰とも思えるポルタメントやルバートを排し、やや速めのテンポで進むところなど、規模を大きくしたハイドンやモーツァルトを思わせる。後期ロマン派音楽を古典派的解釈するとこうなるといった見本みたいなものである。一度は聴いておくべきマーラーだと思う。

指揮:ブルーノ・ワルター
演奏:コロンビア交響楽団


録音:1961年


3)小澤征爾盤

 小澤征爾(1935年~)によるこの演奏は、第1番に不可欠な若さ、瑞々しさにあふれた、場外ホームランのような胸のすくものと言って良い。タクトに応える名門ボストン響からも、73年に就任した音楽監督を心から大切にしている様子が伝わってくる。

 もうひとつの特徴は、「花の章」を加えた5楽章構成だということだろう。アナログLPの登場時、改訂後の最終稿を尊重したのか、それとも5楽章だと一枚のレコードに収まらないという商業的な理由だったのか、4楽章の交響曲として発売された。二枚組にすると値段が倍になるし、ディスクの埋め草も考えなければならない。この曲とカップリングするとしたら…。ベートーヴェンの『運命』とシューベルトの『未完成』、ドヴォルザークの『新世界』とスメタナの『モルダウ』のような鉄板の取り合わせはなかなか難しい。

 CDの時代になり、「花の章」付きもチラホラ見かけるようになったが、これはその先鞭をつけたものになる。トランペットの軽やかでリリカルな調べを楽しんでほしい。マーラーが最初に思い描いた曲想は、まさにこれだったのである。

指揮:小澤征爾
演奏:ボストン交響楽団


録音:1977年


4)テンシュテット盤

 ドイツ後期ロマン派の叙情性を色濃く引き出すクラウス・テンシュテット(1926~98年)のマーラー演奏は、言うなればワーグナーの流れをくむものだ。堅実な指揮と情感豊かな演奏は、情念と深い精神性を併せ持つものとなっている。音楽監督を務めたロンドン・フィルとの演奏も見事なのだが、ゲオルク・ショルティ(1912~97年)が徹底的に鍛え上げたシカゴ響を振ったこの録音は、ライブと言うこともあり、緊張感みなぎる凄演となっている。享年72才。早世が惜しまれる巨匠だった。

指揮:クラウス・テンシュテット
演奏:シカゴ交響楽団


録音:1990年(ライブ


(しみずたけと) 2023.4.30

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ブラームスの『ドイツ・レクイエム』


 モーツァルト、ヴェルディ、フォーレの《三大レクイエム》につづき、デュリュフレとドゥランテのレクイエムを紹介済みである。ケルビーニの作品にも、少しだけ触れた。そうなると、ヨハネス・ブラームス(1833~97年)の『ドイツ・レクイエム』をとりあげないわけにはいかないだろう。どうしてこれが三大○○に含まれないのか、ある意味、不思議ですらある。《三大レクイエム》に比肩する名曲であることは疑いようもないのだから。

 ブラームスという作曲家は、古典主義的な形式美を尊重する点で、ベートーヴェンの後を継ぐ人物だと目されるのだが、その作風は、概してロマン派音楽に属する。古典主義の形式をまとったロマン主義的精神とでも言えば良いだろうか。小難しさ、堅苦しさの残るベートーヴェンにくらべ、柔らかな滋味を感じるのは、おそらくそのためである。

 さて、題名である『ドイツ・レクイエム』は、ドイツという国やドイツ人のレクイエムではなく、ドイツ語によるレクイエムという意味である。レクイエムと言うのは、カトリック教会における死者のためのミサの音楽であり、ラテン語の歌詞につけられるのが一般的だが、ブラームスによるこの曲は、歌詞にドイツ語が用いられているだけでなく、他にも通常のレクイエムとは違ったところがある。教会のミサではなく、音楽会で歌われることを念頭に置いた作品と言えよう。

 この曲は、創造主の力、人生の無常、最後の審判への恐怖、死すべき運命、慰め、残されし者の悲しみ、復活への希望という七つの部分で構成されており、構成も内容も、他の多くのレクイエムと共通である。また、ドイツ語の「幸いなるかな、主にありて死ぬる者は」という最後の句もラテン語とほぼ同じで、永遠の安息を祈るがごとく穏やかに歌われ、合唱がピアニシモで「幸いなるかな」をくり返した後、管楽器の静かな和音と静謐なハープのアルペジオで曲を閉じる。形式的にも内容的にも、まぎれもなくレクイエムなのである。

 歌詞の独語を、ブラームスは宗教改革で知られるマルティン・ルター(1483~1546年)による新約と旧約の両聖書からとった。ルターが聖書をドイツ語に訳したのは、彼が民族主義者だったからではなく、人々が理解できることが何よりも重要だと考えていたからである。ブラームスもまた、その思想に共感したからこそ、ラテン語ではなくドイツ語によるレクイエムを作曲したのではなかろうか。


第1曲 幸いなるかな、悲しみを抱く者は (合唱)
第2曲 肉はみな、草のごとく (合唱)
第3曲 主よ、知らしめたまえ (バリトン、合唱)
第4曲 いかに愛すべきかな、汝のいますところは、万軍の主よ (合唱)
第5曲 汝らも今は憂いあり (ソプラノ、合唱)
第6曲 我らここには、永久の地なくして (バリトン、合唱)
第7曲 幸いなるかな、主にありて死ぬる者は (合唱)


::: CD :::

ブラームス:ドイツ・レクイエム 作品45(1868年)

 この曲には、オットー・クレンペラーとフィルハーモニア管弦楽団、ヘルベルト・フォン・カラヤンとベルリン・フィルなど、昔から名盤の誉れ高い録音がいくつかある。ベルリン・フィルなら、モノラルではあるが、ルドルフ・ケンペも忘れがたい…。と、いろいろ迷うのだが、ラファエル・クーベリックとバイエルン放送交響楽団のコンビ、カルロ・マリア・ジュリーニがウィーン・フィルを振ったものなら、期待ハズレと感じる人はいないだろう。こういう曲は、ライブの臨場感あふれるものの方がふさわしいように思える。

1)クーベリック盤

 これ以上の『ドイツ・レクイエム』は滅多にない。そう思えるほどの圧倒的な演奏である。クーベリックの指揮のもと、見事な独唱、合唱の熱気、統率のとれたオーケストラが、美しく、うねるような壮大さを絶妙のバランスで響かせる。表情の付け方やテンポの揺らし方などは、まさにロマン派的な解釈であろう。録音も、ライブとは思えないほどの完璧さだ。

独唱: エディト・マティス(ソプラノ)
    ヴォルフガング・ブレンデル(バリトン)


指揮: ラファエル・クーベリック
演奏・合唱: バイエルン放送交響楽団&合唱団

録音: 1978年(ライブ)


2)ジュリ-ニ盤

 こちらはウィーン楽友協会で行われた「カール・ベーム・メモリアル・コンサート」のライブである。モーツァルトの『レクイエム』で紹介したが、ジュリーニはオーケストラと声楽の合わせ方が実に見事である。やや遅めのテンポと曲調に合致した深い響きにより、細部まで深く掘り下げた音作りを堪能できる。

独唱: バーバラ・ボニー(ソプラノ)
    アンドレアス・シュミット(バリトン)
合唱: ウィーン国立歌劇場合唱団

指揮: カルロ・マリア・ジュリーニ
演奏: ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
    ルドルフ・ショルツ(オルガン)

録音:1987年(ライブ)


(しみずたけと) 2023.4.25

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ドゥランテの『レクイエム』


 数多あるレクイエムも、元をたどれば中世のグレゴリオ聖歌に行き着く。前に紹介したモーリス・デュリュフレ(1902~86年)のレクイエムは、グレゴリオ聖歌の現代的解釈とでも言えば良いだろうか、グレゴリオ聖歌が20世紀に生まれたのなら、このような響きを伴うのかもしれない。

 それでは、もっと中世に近い時代、ルーツであるグレゴリオ聖歌により近しい音楽はどうなのであろう。ここにとりあげたフランチェスコ・ドゥランテ(1684~1755年)の『レクイエム ト短調』なら、グレゴリオ聖歌と古典派のモーツァルトの『レクイエム』の橋渡しをしてくれそうだ。

 ドゥランテはイタリアのナポリ生まれ。音楽の父と呼ばれるヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685~1750年)と同じ時代を生き、宗教曲や器楽曲、イタリア古典歌曲を残している。聖オノフリオやポーヴェリ・ディ・ジェス・クリスト、聖マリア・ディ・ロレートなど、いくつもの音楽院で教育活動に力を注いだ人で、たくさんのオペラ作曲家を輩出した。当時の音楽学校は、教会や修道院に付随しており、音楽学校を表すミュージック・コンサーヴァトリー(conservatory)は、それらが孤児や女性、病人、老人を保護する(conserve)場であったことに由来している。弟子たちに音楽を教えながらも、この人の作品は神への捧げものだったことがうかがえる。

Introitus:
 1. Requiem aeternam
 2. Kyrie
Gradualis et tractus:
 3. Requiem aeternam – In memoria aeterna
 4. Fuga in C Minor
Sequentia:
 5. Dies Irae, dies illa
 6. Recordare Jesu pie
 7. Ingemisco tamquam reus
 8. Confutatis maledictis
 9. Lacrymosa dies illa
Offertorium:
 10. Domine Jesu Christe
 11. Hostias
Sanctus:
 12. Sanctus
 13. Benedictus
 14. Toccata (Anonymous, Naples, XVII sec.)
 15. Agnus dei
Communio:
 16. Lux aeterna
Exitus:
 17. Libera me domine


::: CD :::

レクイエム ト短調(1746年)

 耳にすることが決して多いとは言えないドゥランテの『レクイエム』だが、英国の大学聖歌隊による合唱と演奏がそれなりに見つかる。イタリアの教会、イタリアの音楽院と深い関わりのあったイタリア人のドゥランテ。その作品ということで、ここではイタリアの演奏家によるものを選んでみた。当時、イタリアという国家はまだ現れていなかったのだけれど、そこは目をつぶってもらうとして…。

独唱: フランチェスカ・カッシナーリ(ソプラノ)
    エレーナ・カルツァニーガ(コントラルト)
    ロベルト・リリエーヴィ(テノール)
    マッテオ・ベッロット(バス)


演奏: アストラリウム・コンソート
    カルロ・チェンテメーリ(オルガン、指揮)

録音: 2018年


(しみずたけと) 2023.4.14

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マーラーの『復活』


 もうすぐ復活祭(イースター)。だからというわけではないが、グスタフ・マーラー(1860~1911年)の交響曲第2番『復活』を聴きたくなった。ここでとりあげるマーラーの作品としては、交響曲第5番と『大地の歌』につづき、三曲目になる。マーラーの交響曲はどれも素晴らしいが、どれかひとつと問われたなら、私はこの第2番を推したい。

 作曲年代は1888年から94年だが、最初のスケッチが1887年に見られるという。つまり、88年に完成する第1番の作曲中に、すでに第2番の曲想があったわけだが、第1番にどれくらい影響を与えたのであろうか。フレーズは異なるが、第1番と第2番、聴いていて相互を思い浮かべることがしばしばある。そして約10年後、どちらも作曲者自身によって改訂されている。

 とはいえ、第1番とくらべると、第2番は様々な点で異なっている。まずはその規模だ。5楽章構成で、4管編成のオーケストラ、舞台裏にも楽器を配置し、独唱と合唱、マーラーの交響曲として初めて声楽が導入された。彼の作品は交響曲と歌曲に集約されるが、交響曲と歌曲の融合に自分の音楽の完成形を見ていたのであれば、第2番はその第一歩だったと言えよう。ベートーヴェンの交響曲第9番『合唱』を嚆矢とし、レクイエムのような宗教を背景にした声楽曲の要素を採り入れながら昇華したマーラーの世界がここから始まる。

 副題である『復活』は、ドイツの詩人フリードリヒ・ゴッドリープ・クロプシュトック(1724~1803年)の「復活」という讃歌にマーラーが加筆した詩を第5楽章に用いていることに由来。また、ルートヴィヒ・アヒム・フォン・アルニム(1781~1831年)とクレメンス・ブレンターノ(1778~1842年)が収集したドイツ民衆詩『子どもの魔法の角笛』を題材にした同名の歌曲集からとられた「原初の光」を第4楽章に組み込み、終楽章の序奏のように位置づけている。マーラーは「人はなんのために生きるのか」という根源的な問いを立て、この交響曲全体を「生と死」で括りながら、救済を歌う声楽を終楽章に置くことで答えているようだ。そこに見え隠れするのは、作曲家マーラーの死生観であり、未来への祈り、宗教観である。

 私がこの曲に感ずるのは、絶対的な神による復活の啓示や讃歌ではなく、やすらかで平和な未来を復活に託する人類の祈りだ。単なる再生の願いではなく、今こそ求められる総体としての人類の生存と尊厳の復活と受けとめたとき、これほど現代に相応しい曲もないように思えてくる。この曲が、マーラーの作品の中でいちばん好きだという理由も、まさにここにある。


::: CD :::

マーラー交響曲第2番ハ短調『復活』

 第2番には名盤が多い。マーラーの弟子で、直接薫陶を受けたブルーノ・ワルター(1876~1962年)とオットー・クレンペラー(1885~1973年)。二人ともマーラーと同じユダヤ系だった。前者とウィーン・フィル、後者とフィルハーモニア管弦楽団との演奏は、今なお定盤と言って良いだろう。

 戦前・戦中を通して、マーラー指揮者として彼ら以上に評価されていたのが、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を率いたオランダ人のウィレム・メンゲルベルク(1871~1951年)だ。しかし戦後、彼はナチス協力者として楽団を追放されてしまう。優れたマーラー演奏とナチスへの協力、なんとも不思議な結びつきである。

 もうひとり忘れてはならないのは、やはりユダヤ系で、黎明期からマーラーを支持し、積極的に演奏したウクライナ出身のヤッシャ・ホーレンシュタイン(1898~1973年)だ。なぜか日本では知名度が低いのだが、日本国憲法の起草に携わったベアテ・シロタ・ゴードン(1923~2012年)が姪であると聞けば、少しは身近に感じられるだろうか。このあたりまでがマーラー演奏の第一世代であろう。

 メンゲルベルクもホーレンシュタインも、第2番の録音を残さなかったのか、今日聴くことができないのは実に残念だ。ナチスに協力した者、ヒトラーに酷い目に遭わされた者、理由は異なるが、レコーディングの機会を奪われてしまったのだ。音楽も、決して政治と無縁ではない。国家権力に翻弄されることもあれば、利用されることもあるということである。音楽だけではない。あらゆる芸術、文学やスポーツも、ある時は迫害され、またある時は戦争に協力してきた歴史を持つ。そのことを、私たちは忘れてはならない。

 ユダヤの血を引く指揮者にとって、やはりマーラーは重要なレパートリーなのだろう。ウクライナにルーツを持つアメリカ人のレナード・バーンスタイン(1918~90年)とニューヨーク・フィルハーモニック、ハンガリー生まれのゲオルク・ショルティ(1912~97年)とシカゴ交響楽団。米国にマーラーが定着したのは、この二組のコンビの功績が大きいだろう。このあたりが第二世代と言えそうだ。

 オーケストラの規模が大きくなり、技量も上がったことで、マーラーの交響曲が要求する大編成と複雑な演奏が可能になり、インターナショナルな古典音楽として一気にブレイク、多くの指揮者が手がけるようになった。マーラーを直接知らない、ユダヤ系でもない第三世代の台頭である。交響曲第2番に関して言えば、ズービン・メータ(1936年~)がウィーン・フィルを振った演奏は後期ロマン派らしい濃厚なもの。対極にあるのが、クラウディオ・アバド(1933~2014年)とシカゴ交響楽団による、現代的で引き締まった筋肉質の演奏。また、繊細でリズム感あふれるのが小澤征爾(1935年~)とボストン交響楽団のコンビ。この頃からマーラーは爆発的なブームとなり、演奏会の常連に位置づけられるようになった。

 ロリン・マゼール(1930~2014年)やマイケル・ティルソン・トーマス(1944年)らもユダヤ系の音楽家だが、彼らがマーラーをとりあげるのは、現代における演奏会プログラムにマッチしているからであろう。一時期ほどではないが、百花繚乱のマーラーが楽しめる時代であるのは嬉しいことだ。

1)バルビローリ盤

 数ある交響曲第2番の名盤の中にあって、大本命とも言えるものである。ジョン・バルビローリ(1899~1970年)は、イタリア人とフランス人の間に英国で生まれた、実にインターナショナルな出自を持つ。マーラーが他界したのは、彼が11歳の時だから、もちろん直系の弟子ではない。ユダヤ系でもないから、ユダヤ民族の記憶とか精神性などとは無縁の人である。第一世代から第二世代にまたがるマーラー指揮者として、作品に対する理解と特別な共感があり、純粋に音楽作品として評価していたからに違いない。

 バルビローリは、1961年から毎年ベルリン・フィルに客演し、楽団員、聴衆、批評家のすべてから愛された。この楽団にマーラーを定着させたのは彼にほかならない。当時のベルリン・フィルはカラヤンの掌中にあり、ほとんどがスタジオ録音であった。納得のいくテイクまで何度も演奏し直し、編集されたもので、すこぶる完成度は高いのだが、聴き手に伝わってくる芸術的な情報量と迫力と言う点において、このバルビローリの演奏は桁違いの巨大さを有する。

 演奏上の細かいキズなどなんのその、嵐のように激しく燃えさかる展開部、最後の審判を目前に、屹立するかのように聳える高みを目指す終楽章の圧倒的な表現はどうだろう。深く格調高いベイカーと気高く強いシュターダー、二人の歌唱も光る。モノラル録音だが、自由ベルリン放送の正規音源だけあって、それを微塵も感じさせないほど十二分に良好な音質が保たれている。これは「聴かねばならない音楽」である。

独唱:マリア・シュターダー(ソプラノ)
   ジャネット・ベイカー(メゾソプラノ)
合唱:ベルリン聖ヘトヴィヒ大聖堂聖歌隊

指揮:ジョン・バルビローリ
演奏:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1965年(ライブ)MONO


2)ショルティ盤

 ショルティと言えば、誰もが思い浮かべるのがシカゴ響とのコンビだろう。そのパワフルな金管楽器群と強靱な弦セクションは、いかにもアメリカ的なサウンドだ。口さがない人たちは「ショルティッシモ」などと呼んだりする。

 当初、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団やロンドン交響楽団を起用してマーラーを録音していたショルティだが、シカゴ響の音楽監督に就任してからは、こちらに切り替えた。曰く、マーラーにはもっとパワーのあるオーケストラが必要であると。交響曲全集制作にあたっては、シカゴ響で再録して完成させた。

 1980年のシカゴ響との録音は、冒頭の弦の強烈なトレモロに始まり、細かなテンポの変化にも鋭く反応するオーケストラの高い機能によって、張り詰めた空気と全体を引き締める鋭いリズムで突き進む。ユダヤ的な情緒は微塵も感じられない、現代的なサウンドである。

 しかし、ここではあえてロンドン響との旧録音の方を推したい。エネルギッシュなショルティは、いつものように強弱の振り幅を広くとり、豪壮な表現で牽引するが、オーケストラの自然で率直な表現、強靱だがしなやかなカンタービレを聴かせる演奏が、指揮棒と絶妙に噛み合い、柔らかいが熱気あふれる名演となっている。ハーパーとワッツの独唱、オールディスが鍛えた合唱団も素晴らしい。全集には入っていないこの演奏も、ぜひ聴いてほしいものだ。

独唱:ヘザー・ハーパー(ソプラノ)
   ヘレン・ワッツ(コントラルト)
合唱:ロンドン交響楽団合唱団
   ジョン・オールディス(合唱指揮)

指揮:ゲオルク・ショルティ
演奏:ロンドン交響楽団
録音:1966年


3)小澤征爾盤

 小澤征爾(1935年~)は、早い時期からマーラーをレパートリーにしていた。日本フィルハーモニー交響楽団が1972年に解散する際、彼が最後の公演でとりあげたのも、このマーラーの交響曲第2番『復活』だった。ボストン響との録音も素晴らしかったが、ここでとりあげるのは、2000年のサイトウ・キネン・オーケストラとのライブ盤である。

 桐朋学園創立者の一人で、戦前・戦後の日本の音楽文化を担い、多くの音楽家を国内外に送り出した齋藤秀雄(1902~74年)の薫陶を受けた音楽家たちが、彼の没後10年を機に結成したのが、今や世界的に有名になったサイトウ・キネン・オーケストラである。

 その都度アドホックで参集する彼ら・彼女らは、世界中で活躍しているにもかかわらず、米国のような豪快さ、ウィーン・フィルの軽やかさ、ドイツ的な重厚さ、フランスの華麗さ、インターナショナルな響きの英国とも違う、控えめでややくすんだ、日本独自の音色を奏でる。小澤征爾も、音楽的アプローチは変わらないが、ボストン響やベルリン・フィルの時とは異なる音を聴かせる。

 国内外のコンクールで受賞を重ね、世界で活躍する菅英三子、フランス生まれのシュトゥッツマン、卓越した二人の独唱と、関屋晋(1928~2005年)が率いる晋友会合唱団、そしてライブならではの熱気がこの演奏を支えている。なお、2023年のバイロイト音楽祭で、シュトゥッツマンは史上二人目の女性指揮者として、歌劇『タンホイザー』を指揮することになっている。

 小澤征爾の指揮と彼を中心とするオーケストラ、合唱団、独唱者による、精緻だが暖かさに満ちたこの演奏こそ、『復活』に託した作曲家自身のメッセージにもっとも近づいたものではなかろうか。

独唱:菅英三子(ソプラノ)
   ナタリー・シュトゥッツマン(コントラルト)
合唱:晋友会合唱団
   関屋晋(合唱指揮)

指揮:小澤征爾
演奏:サイトウ・キネン・オーケストラ
録音:2000年・東京文化会館(ライブ)


(しみずたけと) 2023.4.8

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ロンドンの墓地・・・

 「聖オラーフ教会とディケンズ」を読んでいたら、なんと、“The Uncommercial Traveller”の日本語訳のことが出ていた! 恥ずかしながら、この本の出版を今まで気づかずにいた。邦題『逍遥の旅人』、6,000円+税とは、けっこう高いなぁ…。ま、あまり買う人もいないだろうし、翻訳の手間と労力を思えば、不当な値付けでもあるまい。とりあえず図書館で借りてみた。どうせ後で欲しくなって買うことになるのだろうけれど…。

 所蔵する図書館は限られている。CiNiiで調べると、47の大学図書館にあるようだ。いや、47しかないと言うべきか。八王子市の図書館にも、やはりない。ILLで取り寄せを依頼したら、都立中央図書館のものが手配された。425頁というボリューム。私のThe Oxford Illustrated Dickensシリーズの本文が362頁であることを考えると、よくぞコンパクトにまとめたものだと感心する。

 commercial=商用だから、uncommercial=非商用。それではつまらないから、題名を“逍遥の…”と洒落てみたと訳者。それはいいだろう。書物でも映画でも、原題を単に片仮名にしただけの、なんのことかわからないタイトルが横行している今日である。それに対するアンチテーゼであるか否かは置いておくとして。

 訳したのは田辺洋子氏。広島経済大学の教授である。私は読んでいないのだが、ディケンズの著作をかなりたくさん翻訳している。この本を読んでいると、文体、言葉の選び方、読む時のリズム感が心地よい。やはり人文の先生は違うなぁ。社会科学が専門の先生ときたら、この人たちの母語は日本語なのだろうかと思わざるを得ないような文章に出くわすことがままある。悪文を読み慣れると、自分もそうなりそうで怖い。

 The Oxford Illustrated Dickensシリーズにくらべ、底本となったDent版は挿絵が多いらしく、それだけでも嬉しいことだ。一方、気になったことがないわけではない。第9章にホイッティントンの名前が出て来る。それが第23章ではウィッティントンになっている。訳したタイムラグが大きかったのだろうか。それとも別の人が訳したのであろうか。院生が手分けして下訳し、先生が文体を整えてまとめの作業をすることは珍しくない。しっかりした院生を持たないことにはできないことであり、ある意味、うらやましくさえある。

 外国の人名、地名のカナ化には悩まされることが多い。英語はまだ良い方だが、英国の人名や地名の中には、独特の読み方があって難儀することが少なくない。アルファベットを正確に仮名表記するのに限界があるのは致し方ないことだ。あるところに行こうと、片仮名で書かれた地名を発音しても通じない。そういう経験をした人もいるだろう。元の綴りを想像できないこともある。そうなると、地図で調べることもままならない。だから私は、地名や人名には元のアルファベットを添えるようにしている。

 もうひとつ、教会の名前が聖○○だったりセント・○○となっていたり、どちらかに揃えた方が良かったのではないだろうか。こういうことが気になるのは、墓地への好奇心やシティの教会を訪ね歩いた経験のせいなのだろう。好事家、好き者、オタクと呼ばれても仕方あるまい。

 ディケンズの時代のロンドンの墓地の凄まじさと言ったら…。しばしば引き合いに出されるのが、小説『荒涼館』の描写である。メイドを装ったデッドロック夫人が、浮浪児ジョーに案内され、かつての恋人の埋葬場所を訪ねる場面。現在はTavistock Streetになってしまっているが、ここにあった建物をくぐり抜けた中庭がモデルになっている。

 St. Mary-le-Strand 教会の埋葬スペースがいっぱいになり、ここに飛び地的な埋葬場が設けられた。Russell Court Burial Groundと呼ばれ、Basil Holmes女史の1896年の著書“The London Burial Grounds: Notes on Their History From the Earlier Times to the Present Day”には、430平方ヤード(360平米、約109坪)の広さで、1853年に閉鎖されたと記されている。

 私は『荒涼館』を、原著と青木雄造・小池滋の訳で読んだが、ディケンズの作品の中でこれが一番好きである。田辺洋子氏が新訳を出しているので、次はこれでも読むとするか。

(しみずたけと) 2023.4.2

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