別れの曲(うた)


 沖縄が梅雨入りした。あと一月もすれば、慰霊の日である。78年前の今頃、沖縄は鉄の暴風と呼ばれた激しい戦いのただ中にあった。逃げまどう島民の中で、若い男子生徒たちは鉄血勤王隊として、女子生徒たちは学徒隊として、否応なく戦場へ。ひめゆり部隊の名前くらいは、誰もが聞いたことがあるだろう。

 後にひめゆり学徒隊と呼ばれることになる沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒たちは、太田博少尉の指揮する部隊に配属され、高射砲陣地を築くための土木作業に従事。若き詩人でもあった太田は、三月に控えた卒業式の餞として、「卒業生に贈る詩」と題する一篇の詩を贈った。宮古島生まれで引率の音楽教師、東風平恵位がこれに曲を付け、「別れの曲」としたのである。

作詞:太田 博
作曲:東風平 恵位

1.目に親し 相思樹並木
  往きかえり 去り難(がた)けれど
  夢の如 疾(と)き年月の
  行きにけん 後ぞくやしき

2.学舎(まなびや)の 赤きいらかも
  別れなば なつかしからん
  吾が寮に 睦みし友よ
  忘るるな 離(さか)り住むとも

3.業(わざ)なりて 巣立つよろこび
  いや深き なげきぞこもる
  いざさらば いとしの友よ
  何時の日か 再び逢わん

4.微笑みて 吾等おくらん
  過ぎし日の 思い出秘めし
  澄みまさる 明るきまみよ
  すこやかに 幸多かれと
        幸多かれと

 米軍の沖縄上陸が迫り、ひめゆり学徒隊は「別れの曲」を歌う機会もないままに、看護要員として、初めは南風原の陸軍病院に動員された。病院と言えば聞こえが良いが、黄金森(くがねむい)の丘に掘られた横穴壕である。拠点の首里が陥落し、敗走を続ける軍とともに南方の糸数に移動、三つの壕に分散配置された。そこかしこで戦線が突破され、敗色が濃厚になった6月19日、突如の解散命令。しかし…。

 ひめゆり部隊だけではない。第二高等女学校の白梅学徒隊、第三高等女学校のなごらん学徒隊、県立首里高等女学校の瑞泉学徒隊、私立積徳髙等女学校の積徳学徒隊・ふじ学徒隊、私立昭和高等女学校の悌梧学徒隊、本島以外では、県立宮古高等女学校の宮古高女学徒隊、八重山高等女学校の八重山高女学徒隊、県立八重山農学校の八重農女子学徒隊の八つの学徒隊が編成された。男子の鉄血勤王隊と合わせれば、21もの学校の生徒たちが戦争に動員されたことになる。

 6月23日、沖縄守備にあたった第32軍司令官の牛島満中将が摩文仁の丘で自決し、日本軍による組織的抵抗が終了した。この日が慰霊の日となった理由である。しかし、これをもって沖縄戦が終わったわけではない。自決するにあたり、牛島中将が最後に「各々陣地に拠り、所在上級者の指揮に従い、祖国のため最後まで敢闘せよ(中略)生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし」との命を発した。最後の一兵として、死ぬまで戦をやめるな、戦い続けろと言うわけである。

 戦闘停止は、双方の司令官による協議でなされるものだから、日本側の司令官が不在になった以上、停戦は不可能となってしまった。沖縄における戦闘は、8月15日以降も続くことになる。戦争は終わったのだから、その後の死者は、本来なら必要のないものだった。まさに無駄死にでしかない。

 ひめゆり平和祈念資料館の証言を集めた一室。控えめな照明の中で静かに流れるのが、ここに紹介した「別れの曲」である。壕からの脱出が間に合わず、投げ込まれた黄燐弾によって亡くなった者、荒崎海岸まで逃げたものの、そこで集団死した者、かろうじて生きながらえた者、彼女らの運命は様々であった。生き残ったにもかかわらず、米兵に「私は皇国女性だ。殺せ」と詰め寄り、射殺された者もいる。皇民化教育の恐ろしさを感じないだろうか。

 ひめゆり学徒隊を扱った小説、映画、芝居は数多ある。どれでも良いから、この機会に触れてみてほしい。そして考えてほしい。コロナ禍もあったが、久しく足を運んでいない沖縄、そしてひめゆり平和祈念資料館。あの悲惨な戦争から、私たちは平和の尊さを学びとったはずである。戦争はいけない、戦争への道を突き進んではならない。私だけでなく、みなそう思ってきた。

 しかし、戦争をしたがる人たちは後を絶たない。いつも彼らは、人々の不安と恐怖を煽り、そうしたものへの耐性が低い日本国民はあたふたし、踊らされ、知らぬ間に戦争支持へと誘導されてしまう。論理ではなく感情に支配されてしまうからだろう。偏った教育とメディアがそれを後押ししている。それどころか、周りを見よ、論理的な思考が必要だと言う者を「偏っている」などと非難する勢力が幅をきかすご時世だから、状況は悪化する一方だ。

 望んでもいない戦争に巻き込まれないためには、正しい情報をもとにした知識を身につけ、考えることしかない。歴史を学ぶ、歴史から学ぶというのは、そういうことだ。いつか来た道をたどらないために。それだけが、無念の死を遂げたひめゆりたちへの手向けになるのだと思う。


ひめゆり学徒隊を扱った映画をリストアップし、それぞれ解説しています。ぜひごらんください。クリックしてください!


ひめゆり学徒隊に係わる沖縄の平和ミュージアムをリストアップしています。それぞれの館のホームページを開くことができます。参考になさっていただければ幸いです。


::: CD :::

別れの曲(うた)

歌: 新垣八千代、大湾朝子、作田美穂子、玻名城規子、真栄城早由
ピアノ: 浜田淳子   シンセサイザー: 新垣雄
フルート: 山城波季  クラリネット: 當間むつき
ホルン: 大野岳弘、高江洲奈


録音: 1996年


(しみずたけと) 2023.5.18

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