ベートーヴェン 第九『合唱』

 


ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
交響曲第9番『合唱』

Ode an Die Freiheit
Bernstein
in Berlin
歓喜の歌
自由の賛歌


 あれよ、あれよという間に師走である。年末といえば「第九」。ベートーヴェンの交響曲第9番は、もはやこの時期の風物詩ともいえよう。日本でもっとも有名なクラシック音楽かもしれない。12月の演奏会の定番であるだけでなく、レコード店の店頭には古今東西の「第九」の名盤が並べられたりする。

 昨年はコロナ禍のせいで、演奏会は相次いでキャンセルになった。楽しみにしていた人は、さぞかしがっかりしたことであろう。これを聴かないと一年が終わらないという人もいる。感染者数の減少でホッとしたのも束の間、新たな変異株、オミクロンがあらわれた。やっぱり…、そう思って肩を落とした人も多いに違いない。

 つい最近、外国人の日本への入国が全面禁止になった。オーケストラはもちろん、指揮者や独唱者が来日できなくなれば、代わりを探さなければならない。場合によっては、またもやキャンセルということになる。いやはや、コロナは音楽文化にも暗い影を落としている。

 しかたないので、CDでも聴いてお茶を濁すことにしよう。そんな人も少なくないはずだ。さて、どれを聴こうか・・・。「第九」の名盤は多いし、人それぞれ好みというものがある。私がオススメをあげることもあるまい。なにしろ名曲、超有名曲である。あるテレビ番組のアンケート調査では、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827年)が作曲した中で一番の人気作品に輝いた。声楽を伴った初めての交響曲であるとか、第4楽章はシラーの詩による「歓喜の歌」であるなど、そんな解説だって余計なお世話だろう。というわけで、違った視点から、一種類だけ紹介することにとどめる。

 1989年の11月9日から10日にかけ、ベルリンの壁が崩壊した。それからわずか一ヶ月と少ししかたっていない、当時まだ東ベルリンだったシャウシュピールハウスにおけるクリスマス・コンサートのライブ録音である。この演奏会では、「歓喜の歌」の歌詞にあるfreude(歓喜)がfreiheit(自由)に置き換えられて歌われた。自由は、まさに喜びである。そして、それを喜ぶ自由を大切にしたい。

 バーンスタインの指揮で演奏するのは、バイエルン放送交響楽団を中心に、東西ドイツ、ソ連(当時)、イギリス、フランスの管弦楽団員が加わった混成オーケストラ。独唱も合唱も、東西両陣営から参加。その後のドイツ統一と冷戦終結を予感させる構成であった。あの場に、バーンスタイン以上に似つかわしい指揮者がいたであろうか。かつてない熱演を聴かせた約一年後、彼はこの世を去った。音楽が国境を越え、人と人をむすび、生きる勇気を与える存在である。そんなメッセージを、私たちも受け止めようではないか。

指揮: レナード・バーンスタイン

独唱: ジューン・アンダーソン(ソプラノ)
    サラ・ウォーカー(メゾ・ソプラノ)
    クラウス・ケーニヒ(テノール)
    ヤン・ヘンドリック・ローターリング(バリトン)

合唱: バイエルン放送合唱団
    ベルリン放送合唱団の団員
    ドレスデン・フィルハーモニー児童合唱団

演奏:
バイエルン放送交響楽団、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団およびレニングラード・キーロフ劇場管弦楽団、ロンドン交響楽団、ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団、パリ管弦楽団の団員

収録:
1989年12月25日、シャウシュピールハウス(東ベルリン)

 シラーが頌詩『歓喜に寄す』を作詩したとき、同じ詩を『自由に寄す』と読み換えられるもうひとつの草稿を残した、という説が立てられたことがあるということである。だが、今日のほとんどの学者は、これはおそらくでっち上げで、その張本人は19世紀の政治家フリードリヒ・ルートヴィヒ・ヤーンではなかったかとみなしている。

 その真偽はともかく――スコアに「よろこび」と記されている箇処は、今こそ「自由」という言葉と置きかえて歌うべく、天から与えられた機会であるように思われてならない。人間の真のよろこびのためには、学説の真偽を無視してよい歴史的な時点があるとすれば、今こそそのときなのだ。そしてベートーヴェンはわたしたちにそのことをよろこんで許し、祝福してくれると思わずにはいられない。


自由よ、永遠に!  レナード・バーンスタイン

 レナード・バーンスタインは音楽界で引きも切らぬ絶大な人気を博す音楽家であるだけでなく、社会的、政治的な活動にもきわめて積極的に参加し、自分がよいと思ったことを自ら進んで行い、そうすることを誇りにしている。

 それだからこそ、ユストゥス・フランツが、1989年のクリスマスに、ベートーヴェンの第9交響曲を東西両ベルリンで指揮してはどうかと、バーンスタインに提案したとき、バーンスタインはそれにただちに承諾の返事をしたのだった。演奏団体については、ユストゥス・フランツが芸術顧問をつとめているバイエルン放送交響楽団と、第二次世界大戦のときドイツと戦ったかつての連合軍の国々のオーケストラから楽員が加わるということはすでにきまっていた。また歌手陣についても、この東西両ベルリンで行われた演奏会の象徴的な意味合い担い、かつて敵対し合った両陣営の勝者と敗者を代表し、それが音楽のなかでひとつに融け合うよう配慮された。音楽こそさまざまな芸術のうちでもっとも本質的な意味で、異なった国々の人々の相互理解にこれまでもっとも寄与してきたのだった。

 レナード・バーンスタインは、ベートーヴェンの最高の交響曲をこういう形で演奏し、そのことで政治的、社会的な受けを狙っているのではない。彼自身言っているように、それはお祝いをしたい、「人間の自由のよろこびの祝典」を催したいという意図から発しているのである。

ハンノ・リンケ
ドイツ・グラモフォン:エグゼクティヴ・プロデューサー


(しみずたけと)

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