なぜかパレスチナについて話をすることになった。もちろん、イスラエルによるガザ侵攻が背景にあってのことである。パレスチナ問題であるが、実はそれほど複雑なわけではない。ハマスなるものがパレスチナを代表する組織ではないのは確かだが、彼らを単なるテロ集団だとか、専門家やメディアがアラブやイスラムに忖度しているなどの妄言を吐くのは、歴史に疎いか、意図的に知らぬふりを決め込んでいるか、そのどちらかに違いない。つまりパレスチナ問題が複雑だと主張する自称識者は、お勉強が足りないか、あるいは何らかの下心があるということだと思う。
ここでそうしたことを糾弾しようとか、パレスチナ問題の“おさらい”をするつもりはないのだが、イスラエル社会のマジョリティであるユダヤ民族の世界観、宗教観が少しばかり気になった。曰く、自分たちは神に選ばれた民であり、パレスチナは神が自分たちに与えた土地であるという思想、そこに生ずる特権意識。イスラエルは先進国だが、国と民の物語は、地下深く流れる水脈のごとく、国の政策に影響を及ぼすことは十分にありうる。少なくとも、そこには国家の物語として受け止めている多くの国民をつなぎとめ、体制を維持しようとする意図が見え隠れするのである。
いやいや、話がまたそちらに向かってしまった。さて、ユダヤ教である。ユダヤ教は、私たち日本人にとってなじみ深い宗教とはいえないだろう。わが国におけるユダヤ教の信徒数はわからないが、少数派という感はあるに違いない。各宗教の信者数の統計も、それらの合計は日本の全人口よりはるかに多いから、あまりあてにはしないでおこう。とはいえ、クリスマスを始め、我々の日常生活に浸透した西欧伝来の文化や習慣、イベントを形成するキリスト教はユダヤ教の中から生まれたものである。日本に暮らすイスラム教徒も増えたが、彼らの宗教もまた、ユダヤ教と密接なつながりを持つ。同じ中東に生まれ、それゆえ出自が近いのも道理である。ユダヤ教について、少しは知っておく方が良さそうだ。
人間の生存にとって厳しい砂漠という場所で生まれたことが、おそらくユダヤ教やイスラム教の戒律の厳しさに影響しているのだろう。戒律は生存のための手段だったはずだが、いつの間にか戒律を守ること自体が目的化していく。手段の自己目的化はなにも珍しいことではない。私たちの周りを見渡せば、そんなものはいくらでもある。そうした人間より戒律の厳守の方を優先することに「待った」をかけたのがイエスだった。ユダヤ教は、その点において、寛容さを説くキリスト教よりもむしろイスラム教との方が親和性が高いのではなかろうか。と同時に、キリスト教はユダヤ教の改革であり、近代化という側面を有するとも言えそうだ。
これらの三つの宗教は一神教という共通点を持つ。一神教というのは、ふつうは自然発生的には生まれない。原始の時代、人は動物や自然現象を恐れ、そこに何か神秘的な力を感じとった。砂漠であっても、精霊崇拝、アニミズムが先行したに違いないのだ。それらすべてを生み出す存在としての“神”は、人間の思考から生まれてくるものである。ある民族が、自分らによる他民族支配や国家成立の正当性を裏付けるものとして宗教を語るとき、宗教が民族興亡の物語とワンセットであってもなんら不思議ではない。
さて、中東に初めて生まれた宗教は何だったのだろうか。ユダヤ教が形作られる前、そこにあったのがアニミズムだったとすれば、人々は多神教にもとづく世界観を有していたのではあるまいか。この地域に、アフラ・マズダーを最高神とする多神教の宗教体系を築いたのが、古代アーリア人の神官ザラスシュトラであった。わが国では英語による綴りからゾロアスターの名で知られている。
数多の善悪の神々が存在し、その戦いと終末論を説きながら、アフラ・マズダーを唯一の崇拝対象としたところに一神教が生まれる下地ができていったのだろう。最後の審判は終末論そのものである。全ての悪が滅ぼされ、あらゆるものを浄化する救世主の出現など、後の一神教を思わせるところが実に興味深い。聖典である『アヴェスター』も、今や原典訳があるから、興味がある方はそちらに当たってもらおう。しかし、『アヴェスター』は極めて難解で、ゾロアスター教の教義はとんとわからないというのが私の本音だ。さて、どうしたものか…。
そういえば、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェ(1844~1900年)の『ツァラトゥストラかく語りき』があった。ツァラトゥストラはザラスシュトラのドイツ語読みである。これを読んでお茶を濁す方が現実的というものかもしれない。
本書は哲学書でありながら、神話か寓話、まるで文学作品を読んでいるかのように感じる。聖者や学者、詩人、道化師、隠者、弟子らが登場し、ザラスシュトラは、あるときは対話し、またあるときは自らの教えを説き、自問自答するのだが、それらはみな思想や観念の擬人化であって、実在する人間や特定の個人ではない。物語を通して、読み手に解釈を求めてくるのだ。神話か寓話のようだというのは、まさにこの点である。タイトルが、あたかもザラスシュトラの思想の解釈あるいは解説のように錯覚させるが、実はニーチェ自身の哲学にほかならない。
いかにしてギリシャ悲劇が成立したのか。ニーチェの哲学は社会における文学、文学と社会の関係を追求するところから始まった。プラトンのイデアやアリストテレスの純粋形相、デカルトの理性に対する批判を自身の哲学の中心に据えるのはずっと後になってからである。伝統的哲学の枠にとらわれず、自己と対話しながら考えるという意味では、まさに哲学の本筋を突いていると思う。
中世からルネッサンスへと、形成する文化の変容を経験してきたヨーロッパにとっても、産業革命という社会基盤の大変革は、かつてない衝撃だった。製造技術の進歩を享受できたのは一握りの人間だけで、労働時間の延長、職場における自立性の低下、実質所得の停滞など、多くの人にとっては負の要素も大きく、ある意味、自信喪失を伴う成長の時代だったのである。プラトンのイデア論に始まる“神のごとき”最高理念、すなわち旧来の哲学体系に疑問が生じたのも無理はない。それらへの批判を、ニーチェは「神は死んだ」と表現したわけである。
芸術様式のひとつである悲劇が誕生する背景と過程に着目したニーチェなら、ある思想体系から別の思想体系への移行、人間の手を借りて初めて生み出される信仰形態である一神教への道のりについて、なにか示唆があるのではなかろうか。遠い昔に読んだ『ツァラトゥストラかく語りき』からは、多神教から一神教への変遷は読み取れなかった。そもそも、そういったことに留意しながら読んだわけではないので、気づかなっただけかもしれない。ありがたいことに、同書には数種類の訳書がでているので、あらためてページをたぐってみた。
しかし、やはりわからない。なぜザラスシュトラはアフラ・マズダーを唯一の崇拝対象としたのだろうか。善悪二元論を前提にした終末思想が先にあり、そこに帰結させるためのストーリー構築であったことは、なんとなく理解できる。それでもなお、なぜ“物語”のエンディングがこうなのだろうか。ザラスシュトラの着想なのか、それまでにそうした物語が語り継がれてきたのか、それが人々が納得しやすい展開だというのか、あるいは民衆を統べる世俗の権力にとって都合が良かったのか。ザラスシュトラという人物、その生涯について、わかっていることは少ない。
一神教が生まれてくる過程を理解するのに必要なのは、哲学か、それとも神学か宗教学か、あるいは背景にある歴史や社会、それらの総合知が求められるのか。私の手に負えるような問いではなさそうであることに、ようやく気づいた。『アヴェスター』を前にして白旗をあげ、『ツァラトゥストラかく語りき』を読み解こうとして討ち死にした気分である。心を静めるために、そうだ、音楽を聴こう。この原稿は音楽ライブラリー用に変更だ!
リヒャルト・シュトラウス
交響詩 《ツァラトゥストラかく語りき》作品30
この曲は、ニーチェの同名の著作にインスピレーションを得たリヒャルト・シュトラウス(1864~1949年)が1896年に作ったものである。原作の思想を表現したというよりは、原作のいくつかの部分を音楽的に描写したものである。全体は九つの部に分けられるが、連続して演奏される。
1.Einleitung(導入部)
2.Von den Hinterweltlern(世界の背後を説く者について)
3.Von der gro?en Sehnsucht(大いなる憧れについて)
4.Von den Freuden und Leidenschaften(喜びと情熱について)
5.Das Grablied(墓場の歌)
6.Von der Wissenschaft(学問について)
7.Der Genesende(病より癒え行く者)
8.Das Tanzlied(舞踏の歌)
9.Nachtwandlerlied(夜の流離い人の歌)
この曲が有名になったのは、鬼才スタンリー・キューブリック(1928~99年)が監督した映画『2001年宇宙の旅』に使われたからなのは間違いない。メインタイトルが表示される月・地球・太陽が直列するシーンと、人類の祖先が骨を武器にすることに目覚める場面である。冒頭部分のインパクトはもちろんだが、あのオルガンの重低音をどこまで録音できるか、そして再生できるか。当時のオーディオ・ブームもあって、レコードは優秀録音を競い、再生装置の評価にも使われた。日食をモチーフにしたレコード・ジャケットなど、もとの音楽とは無関係の天体現象が組み合わされるところには、なんとなく違和感を抱いたものである。
使用された演奏は、ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908~89年)が指揮するウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるデッカ盤だった。当時すでにベルリン・フィルのポストを得ていたカラヤンだったが、デッカの優秀な録音技術に惚れ込んでいたこと、名プロデューサーとして鳴らしたジョン・カルショウ(1924~80年)がいたことで、ウィーン・フィルとの共演を望んだという。当時、指揮者やオーケストラ、演奏者、歌手などはレーベル(レコード会社)と専属契約を結んでいた。ベルリン・フィルを抱えていたのがEMIで、ウィーン・フィルはデッカ専属だったのである。
CD 1 : カラヤン盤
1960年代、カラヤンとウィーン・フィルのコンビはデッカのレーベルに数多くの名盤を残した。それらは今なお超一級の録音の良さを誇るとともに、演奏も当時のウィーン・フィルらしい香りの高さ、豊かな麗しさをたたえるものばかりだが、カラヤンが生涯で最も得意とした作曲家の一人であるリヒャルト・シュトラウスともなれば、もう何もいうことはあるまい。響きの柔らかさと温かさ、音色の艶やかさ、内的な高揚感など、作品の特質を一つも取りこぼすことなく表現しきった名演であろう。
『2001年宇宙の旅』に使われた音源は、実はこのカラヤン盤だったわけだが、映画製作側からの使用申請に対し、デッカ側が指揮者および演奏団体をクレジット表記しないことを条件にしたという。そのため、映画が大成功するや、他のレーベルが競うように“2001年宇宙の旅 テーマ曲”を大書した《ツァラトゥストラかく語りき》を販売、デッカは地団駄踏んで悔しがることになったそうである。なお、映画で使用された冒頭部最後のパイプオルガンの和音は、録音会場となったウィーンのゾフィエンザールにオルガンが無かったため、郊外の小さな教会で収録しミキシングされたものだという。
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
演奏:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1959年
CD 2 : メータ盤
ズービン・メータ(1936年~)をとりあげたのは、なにも彼がパーシー(ゾロアスター教徒)だからではない。もちろん、そういった興味もないわけではないが、この演奏があまりにも素晴らしい、素晴らしすぎるからである。ロサンゼルス・フィルハーモニック時代の彼は本当に凄かった。緩急や強弱の幅を大きくとり、たっぷりと、ややケレン味を感じさせるくらい旋律を朗々と歌わせ、それでいながら少しも泥臭くなく、颯爽とした演奏で聴く者を魅了した。これもその最良の一つといってよいだろう。
一地方オーケストラだったロサンゼルス・フィルハーモニックを全米屈指の存在に育て上げ、名門ニューヨーク・フィルハーモニックに“栄転”したメータだったが、ニューヨーク時代の彼からは、あの魔法のような音楽は影を潜めてしまった。巨匠が作り出す成熟しきった演奏ではあったものの、やけに物分りの良い、なんとなくジジくさい音楽になった気がする。《ツァラトゥストラかく語りき》も再録されたが、生き生きした輝くような金管楽器群など、こちらの方が新鮮かつストレートで、スケールの大きさも優っていると思う。
指揮:ズービン・メータ
演奏:ロサンゼルス・フィルハーモニック
録音:1968年
(しみずたけと) 2024.5.7
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