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山 で 歌 う
7月も下旬だ。終業式がすんで学校は夏休み。梅雨明けとも重なる時期である。「梅雨明け十日は晴天が続く…」と言われたのはいつの時代だったろう。気候不順の近年、梅雨明けがハッキリしなかったり、梅雨明け十日の晴天が当てにならなかったことが多かった。この夏はまだマシな方だろう。
海へ山へ、避暑と非日常を求めて出かける、それが半ば行事化した夏休みの過ごし方である。自分は“山派”だった。海も悪くないのだが、山と違って“アウェー感”が強い。足が着かないこともあるが、海には人間よりはるかにその環境に適応した海洋生物のテリトリーだ。その中に踏み込む不安感はどうやっても拭いきれそうにない。
というわけで登山。目指すは北アルプスの穂高連峰か剱・立山連峰である。東京から遠いし、長期登山ともなれば行けるのは夏休みくらいだ。谷川岳とともに、日本の三大岩場を擁する山域。首都圏から比較的近場にある谷川岳は夏休み以外でも行けるので、「夏はアルプス」という登山者で賑わう。
夕方の新宿駅、かつてはリュックサックを背負った若者でいっぱいだった。中高年が目立つ今日とは大違いである。夜行列車を待つために、構内の〈アルプスの広場〉や南口通路に並ばされたものである。奥秩父や八ヶ岳方面の登山者は23時55分発の長野行き鈍行を利用するが、より遠い北アルプスへは南小谷行きの急行〈アルプス〉に乗るのが定番だった。夜行列車も〈アルプスの広場〉も、今はもうない。
穂高連峰のベースキャンプは岳沢と涸沢。上高地から、前者は2時間半、後者は約6時間の行程である。バリエーションの豊富さで、涸沢を拠点とする人たちが圧倒的に多かった。色とりどりのテントが張られ、涸沢団地などと呼ばれたものである。合宿組も多く、6人用とか8人用といった大きなテントもチラホラ。今日でもテント花盛りだが、ソロ(一人用)テントが多くなっているようだ。6人のグループでもソロテントが6張だったりする。プライバシーを大切にする人が多いのか、人づきあいが苦手な人が増えたのか。
涸沢には二つの山小屋、涸沢ヒュッテと涸沢小屋がある。夕方ともなると、小屋やテントサイトから山の歌が聴こえてくるのが常だった。今と違い、大学の山岳部、ワンダーフォーゲル、職場の仲間たち、社会人山岳会など、グループ登山の最盛期。ともに食事をし、酒を飲み、歌を歌う。それがごく普通の光景だった。
敗戦後、登山は数少ない余暇の利用方法だったと言えよう。大規模な遊園地などはまだなく、ゴルフは占領軍と一部の特権階級だけが興ずる遊び。テニスも、コート一面で一度にプレーできるのは二人か四人だけ、大勢が楽しむのに向いたものではなかった。一年中スケートができる屋内リンクが登場するのはずっと後である。その点、登山は一人でも少人数でも大人数でも、また短期間でも長期間でも、さらにはハイキングからクライミング、冬山登山まで、一年を通して様々な形で楽しむことができる柔軟性のあるレジャーでありスポーツだったのである。
週休二日制が普及したのは1980年代。それまでは土曜半ドン、つまり土曜日の午前中は仕事があるのが普通だった。登山の支度をして職場に行き、退社後はそのまま山に直行。行き先は丹沢、奥多摩、奥秩父、せいぜい八ヶ岳といったところ。クライマーなら谷川岳である。そんなわけだから、みんな北アルプスに行ける夏休みが待ち遠しかったに違いない。
山に登る彼ら・彼女らは歌が好きだった。山を愛する同じ仲間という連帯感だろうか、山小屋でもテントサイトでも、見知らぬ者同士が声を合わせていた。誰もが知っている「山男の歌」「アルプス一万尺」「四季の歌」、学校で教わった「おお牧場はみどり」「夏の思い出」などにまじり、「岳人の歌」「いつかある日」「坊がつる讃歌」「なため」、夏山にはちょっとそぐわない「雪山讃歌」「シーハイルの歌」「白銀は招くよ」等々。「フニクリ・フニクラ」「エーデルワイス」「おおブレネリ」といった海外の歌もあった。
戦争中は忠君愛国の歌ばかりだったわけだが、あの種の歌が好きだった者などいたのだろうか。戦争がおわり、遊びも歌も抑圧から解放された喜びを皆が共有できた時代だったからかもしれない。職場や大学のグループにとっては、労働運動や歌声喫茶の影響もあったろう。「ともしび」「山のロザリア」などのロシア民謡が歌われたのはそのせいではあるまいか。今日、カラオケの普及によって、これが素人なのかと驚くほど、現代の日本人は歌が上手だ。しかし、子どもはともかく、カラオケ以外で人前で歌う、みんなで歌う機会は減ったように思う。歌は聴くだけ、あるいは閉鎖された空間だけで歌うだけ、そのようなものになってしまったとしたら、なんだか寂しくないだろうか。
穂高よさらば
70年代以降。穂高連峰周辺でとりわけよく歌われたのが「穂高よさらば」ではなかろうか。作詞者は芳野満彦(1931~2012年)。17歳の時に冬の八ヶ岳で遭難、後に探検家、食生態学者として名を馳せる西丸震哉(1923~2012年)率いる東京水産大のパーティーに救助されるも、同行者は死亡、本人も凍傷のため指を含む両足先三分の一近くを失った。肉体的ハンディキャップを乗り越え、日本人として初めて欧州アルプス三大北壁に挑戦し、1965年に日本人初のマッターホルン北壁完登者となった戦後日本山岳界のレジェンドである。
彼をモデルに、少年時代からマッターホルン北壁に成功するまでを、小説家の新田次郎(1912~80年)が雑誌『山と渓谷』に山岳小説『栄光の岩壁』を連載。当時中学生だった私も読んでいた。マッターホルンよりも、滝谷グレポンのルート開拓や前穂北尾根Ⅳ峰正面壁北条・新村ルートの冬季初登攀者、それが私にとっての芳野満彦像であるのだが。
作詞:芳野満彦 作曲:古関裕而
1.穂高(ほたか)よさらば また来る日まで
奥穂(おくほ)に映ゆる あかね雲
返り見すれば 遠ざかる
まぶたに残る ジャンダルム
2.滝谷(たきだに)さらば また来る日まで
北穂(きたほ)へ続く 雪の道
返り見すれば 遠ざかる
まぶたに残る 槍ヶ岳
3.涸沢(からさわ)さらば また来る日まで
横尾(よこお)へ続く 雪の道
返り見すれば 遠ざかる
まぶたに残る 屏風岩
4.岳沢(だけさわ)さらば また来る日まで
前穂(まえほ)をあとに 河童橋(かっぱばし)
返り見すれば 遠ざかる
まぶたに残る 畳岩(たたみいわ)
芳野満彦が作詞したのは1番だけで、2番以降はその他大勢によるもの。三文字か四文字の地名は数多ある。それらと入れ替えればいくらでも続きを作れる、そういう内容の歌だった。一説によると10番くらいまであるらしい。作曲者は2020年のNHK連続テレビ小説『エール』で取りあげられた昭和を代表する作曲家の古関裕而(1909~1989年)。「えっ、あの古関裕而が山の歌?」と驚いた人もいるだろう。そうではない。これは替え歌なのである。
雷撃隊出動の歌
戦後、古関裕而は「栄冠は君に輝く」「長崎の鐘」「君の名は」「ひめゆりの塔」「モスラの歌」「オリンピック・マーチ」など、映画音楽やドラマの主題歌、スポーツ大会のための曲を数多く作曲した。○○音頭、○○市民の歌、○○県民の歌など、地方のための音楽や社歌も残している。それはそれで意義深いことだが、戦前・戦中の古関裕而はどうだったのか。「六甲おろし」などもあったが、主要作品は「露営の歌」「愛國の花」「英国東洋艦隊潰滅」「決戦の大空へ」「若鷲の歌」「撃ちてし止まん」「ラバウル海軍航空隊」など、軍歌のオンパレードである。「納税奉公の歌」は税金で戦争を支えましょうという政府の要請にこたえたもの。まさに時代の寵児であり、〈軍歌の覇王〉などと呼ばれていた。「穂高よさらば」のメロディは、古関裕而の「雷撃隊出動の歌」そのものである。
作詞:米山忠雄 作曲:古関裕而
1.母艦よさらば 撃滅の
翼に映える 茜雲
返り見すれば 遠ざかる
瞼に残る 菊の花
2.炸弾の雨 突き抜けて
雷撃針路 ひた進む
眦高し 必殺の
翼にかかる 潮飛沫(しおしぶき)
天皇陛下 万歳と
最後の息に 振る翼
おおその翼 紅の
火玉と燃えて 体当り
3.雲染む屍(かばね) 次々て
撃ちてし止まん 幾潮路(いくしおじ)
決死の翼 征(ゆ)くところ
雄叫び高し 雷撃隊
海の戦いが、戦艦同士の遠距離砲戦から航空戦にシフトして以降、相手軍艦を沈めるのは航空機による爆撃か魚雷攻撃になった。今日では誘導ミサイルに取って代わられたが、狭い区画めがけて投下する爆弾より、一定の長さのある艦腹に放たれる魚雷の方が命中率が高く、しかもそこは甲板より防御力が脆弱な吃水線下、攻撃方法としてははるかに有効だったのである。一方、魚雷を抱いて敵艦に向かう雷撃機の搭乗員らは最もタフな精神を必要とされた。雷撃コースに乗ったら魚雷を放つその瞬間まで、後方や上空から敵戦闘機の迎撃を受けようが、正面から雨あられのごとく対空砲火を浴びせられようが、その真っ只中を突入するのみ。それだけに犠牲も大きかった。
蒸気カタパルトなどない時代、空母は風上に向かって全速前進する。発艦する機体に少しでも多くの揚力を与えるためだ。飛び立ったが最後、帰艦できる可能性は高くない。万感の思いで振り返れば、母艦の艦首には金色の菊花紋章が…。彼らは何を感じ、何を思ったのだろうか。天皇陛下か、日本の行く末か、家族や恋人のことか、今まさに潰えんとする自身の夢か、それとも…。「紅の火玉と燃えて体当り」など、後の特攻を思わせる歌であった。
古関裕而の軍歌
軍国主義一辺倒の時代であるから、ヒット曲メーカーの古関裕而でさえ軍部には従わざるを得なかった。いや、国民的な人気があったからこそ、国家は彼を利用したとも言える。彼の音楽的才能が国民を喜ばすことができるのと同様、戦争に駆り立てるにも役立つ、と。それを知りながら、保身のために甘んじて受け入れたということなのだろうか。戦時中、彼は慰問団として中国やフィリピンに赴き、ビルマ戦線ではインパール作戦の顛末もその眼で見たはずだ。この戦争の相手の力量、戦局、戦争の実態を、一般の日本国民よりよく知っていた音楽家、それが古関裕而という男だったのではあるまいか。
1944年10月10日、沖縄が大空襲を受けた。米軍のフィリピン攻略戦の布石で、〈十・十空襲〉と呼ばれる。その三日後、日本の航空部隊が台湾沖で米機動部隊を迎え撃ち、敵に壊滅的打撃を与えたというニュースが流れる。空母11隻、戦艦2隻を撃沈、さらに空母8隻、戦艦2隻も撃破という大戦果。もちろん国家によるフェイク情報なのだが、古関裕而はこの時「台湾沖の凱歌」を作曲。作詞はサトウハチローであった。もはや軍艦も航空機もなく、残るは体当たり攻撃というありさまだった日本。次に委嘱されたのは野村俊夫の詞に曲をつけること、「嗚呼神風特別攻撃隊」である。最初に神風特攻隊を称賛した作曲家、それもまた古関裕而であった。
さらには「比島決戦の歌」。西條八十による1番の歌詞だけ記しておくが、威勢の良さと裏腹に、既に日本は断末魔。
1.決戦輝く亜細亜の曙
命惜しまぬ 若桜
今咲き競うフィリピン
いざ来いニミッツ、マッカーサー
出て来りゃ地獄へ逆(さか)落とし
音楽も文学も絵画も写真も、およそ芸術というものは人間に勇気を与えるものであるべきだと思うが、多くの文化人も大政翼賛に絡め取られていった。心の呵責があったのか、戦後、古関裕而は「自分が作っていたのは軍歌ではなく戦時歌謡である」と言うようになる。しかし〈戦時歌謡〉とはいったい何だろう。戦争中に大衆が求め、大衆の間でヒットした、あの時代のJ-POPみたいなものなのか。そもそも戦時歌謡という言葉は戦後になってから生み出されたものである。
戦前戦中、軍歌、愛国歌、国民歌、時局歌、いろいろな呼び名が存在し、あるものは唱歌に取り入れられて学校で教わり、またあるものは職場で、地域の集まりで歌われていた。それらを細分化し、別の名称を与えることにどれほどの意味があろうか。どれもが戦争を遂行するのに一役買った…、というより、戦争という国策に音楽家も積極的に協力したのである。
たとえば音楽界の重鎮であった山田耕筰(1886~1965年)は、国策のための演奏家協会を発足させ、その会長に就任。情報局管轄下にあった〈日本音楽文化協会〉の副会長も務めている。彼の〈音楽挺身隊〉は占領地で活動し、軍装の山田耕筰の写真は将官待遇だったことを表している。戦後、戦犯に問われたり公職追放の憂き目にはあわずにすんだが、こうしたことが戦後の“戦犯論争”を招くことになった。戦争に協力した犯罪者なのではないのかと。
古関裕而も、戦後、軍歌に対する批判が高まり、軍歌の覇王と呼ばれたことは負の要素に転じていたに違いない。「私の作った軍歌がヒットしました」というようなことを言いづらくなった。戦時歌謡という言い回しには、そのような背景を感じるのである。
けっきょく、戦争に協力した音楽家の責任が問われることはなかった。国のトップである天皇が責任追求されなかった、責任をとることがなかった、だから音楽界をリードした人にも責任がない、そう言う人がいる。また、あの戦争は日本国民の総意だったのだから、被害者面して一部の人を責めるのは見苦しい、死者をむち打つなと言う声もある。それでは誰も責任追及されなかったかと言えば、そうではない。A級戦犯はもちろん、BC級戦犯など、多くの者が上の命令に従ったがために処罰対象となっている。公職から追放された者もいる。それに、あの戦争は決して全国民の“総意”などではなかった。反対の声を上げた者は粛正されたのである。そうした犠牲者に対し、国策を支持した者、沈黙した者は加害者にほかならない。
教育が少国民育成に果たした役割の大きさからであろう、教師の責任を問う声をしばしば耳にする。私は文学、とりわけ児童文学の中に、その種の作品があったことを忘れてはならないと思う。また、音楽家も責任を自覚すべきだったと考えている。山田耕筰や古関裕而が免責されたのは、おそらくその音楽的才能が理由であろうが、それと社会的道義や責任は切り離して評価されるべきものである。
〈一億総懺悔〉という言葉があった。国民からの戦争責任追及を免れ、天皇制支配の維持を図る東久邇宮内閣が主張したものである。背後には平和運動家の賀川豊彦(1888~1960年)の働きもあった。「国民が一つとなり過去を反省し、懺悔して新しく出直す」というのである。一応もっともらしく聞こえるものの、一億総懺悔=誰も責任をとらないという結果になった。日本が責任をとらなくて良い社会になったのは、この時からではあるまいか。戦争だけではない、冤罪事件、ヘイト、原発事故…、どれも責任を問われることなく、まるでなかったかのように、今日なお無批判のまま続いている。
「穂高よさらば」を歌う
さて、山の歌に戻ろう。芳野満彦は満洲事変が起きた1931年に生まれた。物心ついたとき、日本は既に戦時体制の軍国主義だったわけだから、学校でも地域でも軍歌を聴かされ、歌わされていたとしても不思議ではない。その中に「雷撃隊出動の歌」も含まれていたのであろう。青春を賭けた山を巡る中で、脳裏に浮かんだ言葉が無意識に口ずさんだメロディに乗った…、それが「穂高よさらば」だったのではなかろうか。
今日、登山みたいにキツい、汚い、危険の3Kレジャーを楽しむのは偏屈な年寄りか一部の物好きと見られる人だけになってしまった。みんなで歌うなどというウザいことも敬遠されがちである。もし「穂高よさらば」を歌っている人がいたら、それはきっと還暦を過ぎた往年の岳人、元・山ガールの中高年登山者たちだろう。この歌が芳野満彦という登山界のレジェンドによるものであることくらいは知っているかもしれないが、戦前戦中を生きたわけではない彼ら・彼女らである。「雷撃隊出動の歌」の替え歌であることまでは知らなくても、それが時代の流れというものだ。とはいえ、唱和しようにも、私にとってはどこかわだかまりを拭いきれない歌でもある。
::: C D :::
1)山の歌 ~穂高よさらば~

山の歌を専門に歌う職業歌手はいない。だからこのCDは、様々な歌手の様々なアルバムに収録された歌を集めたものになっている。音源も、あまり新しいものはない。「穂高よさらば」をはじめ、どれも時代を感じさせるアレンジと楽器の使い方なのだが、それもこれも山の歌をみんなが歌っていた時代の雰囲気を伝えるものと思えば、むしろ納得できるものとも言えそうである。
《 収録曲 》
1.山男の歌(ダーク・ダックス)
2.坊がつる讃歌(芹洋子)
3.谷川小唄(ブレッスン・フォー)
4.穂高よさらば(芹洋子)
5.熊彫さん(ダーク・ダックス)
6.山に煙がのぼる(ボニージャックス)
7.守れ権現(芹洋子)
8.雪山讃歌(ダーク・ダックス)
9.雪山に消えたあいつ(赤ちょうちん)
10.ひとりの山(芹洋子)
11.エーデルワイスの歌(たいらいさお)
12.山男小唄(芹洋子)
13.シーハイルの歌(ボニージャックス)
13.いつかある日(ダーク・ダックス)
14.俺等の恋(芹洋子)
2)古関裕而 戦時下日本の歌 ~愛国の花~

戦後の古関裕而しか知らない、戦前の作品で知っているのは「六甲おろし」だけという人には、彼のもうひとつの顔を知ってもらうのに好都合のアルバムである。これこそ戦前戦中に〈軍歌の覇王〉と呼ばれ、一世を風靡した古関裕而の代表作、彼の看板商品なのだから。
《 収録曲 》
CD 1
1.露営の歌 (中野忠晴、松平晃、伊藤久男、霧島昇、佐々木章)
2.さくら進軍 (松平晃、霧島昇、コロムビア合唱団)
3.暁に祈る (伊藤久男、コロムビア男声合唱団)
4.海の進軍 (伊藤久男、藤山一郎、二葉あき子、コロムビア合唱団)
5.愛国の花 (渡辺はま子、コロムビア女声合唱団)
6.乙女の戦士 (高峰三枝子、コロムビア女声合唱団)
7.慰問袋を (コロムビア合唱団、たかの羽児童合唱団)
8.婦人愛国の歌 (松原操、二葉あき子)
9.戦友の唄 (伊藤久男、コロムビア男声合唱団)
10.出征の歌 (伊藤久男、コロムビア男声合唱団)
11.戦場吹雪 (音丸)
12.月の国境 (伊藤久男、コロムビア合唱団)
13.戦場花づくし (渡辺はま子)
14.弾雨を衝いて (伊藤久男、コロムビア男声合唱団)
15.麦と兵隊 (松平晃)
16.満州鉄道唱歌・上 (霧島昇、松原操)
17.満州鉄道唱歌・下 (松平晃、コロムビア合唱団)
18.産業安全歌 (霧島昇、コロムビア合唱団)
19.嗚呼北白川宮殿下 (伊藤武雄、二葉あき子)
20.荒鷲慕いて (松平晃、松原操、渡辺はま子、二葉あき子、香取みほ子)
21.憧れの荒鷲 (松原操、二葉あき子)
《 収録曲 》
CD 2
1.若鷲の歌 (霧島昇、波平暁男)
2.ラバウル海軍航空隊 (岡本敦郎)
3.決戦の大空へ (藤山一郎、日蓄合唱団)
4.南進男児の歌 (霧島昇)
5.南進乙女の歌 (二葉あき子)
6.村は土から (藤山一郎)
7.「戦陣訓」の歌 (伊藤武雄、伊藤久男)
8.納税奉公の歌 (藤山一郎、コロムビア合唱団)
9.大東亜戦争陸軍の歌 (伊藤久男、黒田進、酒井弘、コロムビア合唱団)
10.英国東洋艦隊潰滅 (藤山一郎)
11.我が家の風 (伊藤久男)
12.女子挺身隊の歌 (千葉靜子、日蓄女声合唱団)
13.突撃喇叭鳴り渡る (楠木繁夫、三原純子、近江俊郎)
14.海を征く歌 (伊藤久男)
15.かちどき音頭 (松原操、佐々木章、近江俊郎)
16.雷撃隊出動の歌 (霧島昇、波平暁男)
17.嗚呼神風特別攻撃隊 (伊藤久男、コロムビア合唱団)
18.比島決戦の歌 (コロムビア合唱団)
19.ひめゆりの塔 (伊藤久男)
20.新しき朝の (藍川由美)
(しみずたけと) 2025.7.25
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