モーツァルトの『レクイエム』


 年が明けてからと言うもの、レクイエムばかり聴いている。今から約一年半前にベンジャミン・ブリテン(1913~1976年)の『戦争レクイエム』をとりあげた。ウクライナ戦争が始まる前だった。それにしても、新しい年の初めに聴きたくなったのが「死者を悼む歌」とは、私の頭がどうかしているのか、はたまた世の中がおかしいせいなのか…。後者だとしたら、ただ事ではない。そうでないことを祈るばかりだ。

 レクイエムとは、死者の安息を神に祈るキリスト教(カトリック)のミサのことであり、転じて、そのミサで用いられる聖歌を指す言葉だった。そうした典礼を離れ、いつしか「葬送曲」とか「死者へのミサ曲」という意味で名づけられた音楽作品を広くレクイエムと呼んでいる。かつては鎮魂曲と呼ばれていたが、鎮魂とは神道の言葉で、キリスト教には魂を鎮めるという概念はない。

 多くの作曲家がレクイエムを作曲しており、中でも、モーツァルト、ヴェルディ、フォーレの作品が有名で、俗に「三大レクイエム」などと呼ばれたりしている。この「三大○○」という言い回しが、私は大嫌いだ。誰が、どういう基準で選んだのかが不明なまま一人歩きしているからである。人気投票があったとは聞かないし、売り上げとかであれば、レコードの枚数やダウンロード数が公表されるに違いない。

 この種のキャッチコピーは、日本に限らないようだ。米国のオーケストラを、ベスト・スリー、ビッグ・ファイブ、エリート・イレブンなどと称したりするのを聞いたことがあると思う。しかしこれらは、歴史や伝統もあるが、そのときどきの演奏に対する評価、聴衆の数(チケット売り上げ)、レコーディング、海外ツアー、そして財政など、きちんと理由付けされ、さらに先々の変動をも前提としている

 それに対し、日本の場合は論理的根拠も示さず、なんとはなしの「みんな納得でしょ」「あなたもその一人」みたいな疑似コンセンサスから、いつの間にか「全員による責任の共有」、だから「誰にも責任がない」という、誘導による共犯関係と無責任社会を成立させるような図式が浮かび上がってくる。中島みゆきの《阿檀の木の下で》に、「だれも知らない日に決まった」という歌詞があったのを思い出す…。

 それにしても「三大○○」は多い。なぜ三つなのかもわからない。モーツァルト、ヴェルディ、フォーレの作品は、確かに素晴らしいが、素晴らしいレクイエムは他にもある。美味しい料理店に行くのは、「その店なら知っているよ」と言うためでないのと同じだ。みなさんにも、いろいろなレクイエムを聴いてほしい。それでは、まずはモーツァルトからでも。


モーツァルト:レクイエム ニ短調 K.626(1791年・未完)

 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは1756年の生まれであるから、彼を取り巻く社会、音楽の意味など、私たちには想像することさえ容易ではない。彼がこの曲に取りかかったのは91年と言われるから、35歳の時である。カトリックの典礼で使われる言葉は決まっており、楽曲にも定められた様式が存在し、それに従っているとは言え、この若さで、天の主への祈りを、かくも美しく、かくも深きレベルで音にするとは…。やはりモーツァルトが天才だからなのか、それとも当時の人の信仰心がそれほどにまで高かったのか、あるいはキリスト教がそれほど深く浸透していたという証なのか…。

 ところが同年、この曲を完成させることなく、モーツァルト自身が天に召されてしまう。いま私たちが聴く全15曲からなる『レクイエム』だが、モーツァルト本人が完成させたのは第1曲だけである。第2、3曲は、ほぼできていたものの、オーケストレーションは弟子のジュースマイヤーによるものだ。それ以外は、残された合唱部分や和声のスケッチをもとに、ジュースマイヤーが補筆することで完成を見ることになる。夫の夭折によって生活苦に陥った妻コンスタンツェが、未払いの作曲料を求めて補筆を依頼したらしい。

 こうした経緯から、はたしてこれはモーツァルトの作品として扱うのが相応しいのか、むしろ大部分を補筆した弟子のものなのではないのかという疑義が出されるのは、ある意味、当然のことだろう。しかし、ジュースマイヤーはモーツァルトの直接の弟子であるし、生前のモーツァルトからあれこれと指示を受けていたということである。今日、指揮者がオーケストレーションに手を加えることは珍しくない。ストコフスキーのそれは有名だが、彼だけではない。ベートーヴェンやメンデルスゾーンの作品にも手が入っていたりする。J-POPなども、オリジナルは旋律部分だけで、ゴージャスな伴奏は編曲者の手によるものであることがほとんどだ。

 補筆されているとは言え、『レクイエム』がモーツァルトの傑作のひとつとして演奏されてきたのは確かな事実である。古くはショパンの葬儀で演奏されたし、ジョン・F・ケネディ(彼の家系はカトリックの国アイルランドの出身)の追悼ミサでも演奏されている。しかしながら、この補筆がまた問題になったりもする。曰く、モーツァルト的ではないと。私が思うに、モーツァルトと見まごうようなレベルの補筆を求めるのは、それこそ無い物ねだりというものである。そこいら中にモーツァルトに比肩する天才作曲家が転がっているのならともかく、いや、もしそんなことがあれば、モーツァルト含め、それは天才でもなんでもなく、普通の人と言うことになろう。

 だが、ジュースマイヤー版に対する不信、あるいは満足できないのか、十指にあまる補作が生み出されることになった。ややこしいこと、この上ない。そうした状況ではあるが、演奏会でもレコードでも、特に断りがない限り、ジュースマイヤー版の楽譜を使って演奏されていると考えて良さそうだ。

I.   入祭唱
   永遠の安息を
II.  憐れみの賛歌

III.  続唱
   怒りの日
   奇しきラッパの響き
   恐るべき御稜威の王
   思い出したまえ
   呪われ退けられし者達が
   涙の日
IV.  奉献文
   主イエス
   賛美の生け贄
   古のアブラハムのごとく
V.  聖なるかな
VI.  祝福された者
VII.  神の小羊
VIII. 聖体拝領唱

   永遠の光


::: C D :::

 人気の名曲だから録音は数多い。それぞれに魅力があって、どれも心ひかれるのだが、まずはカルロ・マリア・ジュリーニ(1914~2005年)が英国のフィルハーモニア管弦楽団を指揮したものを。指揮者として欧州で地位を築いた人の多くは、歌劇場の下積み時代を経ている。だから人の声の扱い方がとてもうまい。ジュリーニもそのひとりだ。第二次大戦では、枢軸国側となったイタリア軍の一員とし兵役につかせられたものの、その悲惨さを目の当たりにして逃亡。現実の理不尽な死を知りつつ、ヒューマンな生き方を貫いた人柄だからこそ、この種の曲の演奏にかけては最右翼の存在と言って良いと思う。

 もう一枚は、『くるみ割り人形』組曲 や《CHRISTMAS WITH THE ACADEMY》で紹介ずみのネヴィル・マリナー(1924~2016年)とアカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズのコンビである。こちらはジュースマイヤー版ではなく、補作のひとつであるバイヤーによる版。マリナーとアカデミーは、後にオーソドックスなジュースマイヤー版で再録しているのだが、比較の意味もあって、こちらを選んでみた。どちらが“より”モーツァルトの音楽を感じられるだろうか。

 ジュリーニ盤とマリナー盤、どちらの独唱陣も合唱団も申し分ない。ただ、古楽器による演奏が主流になりつつある現代において、両者ともいささか時代遅れで古めかしい演奏スタイルに感じられるかもしれない。学術論文であれば、最新の知見をもとに新機軸の解釈を打ち出してこそ高く評価されるものだが、音楽はそうではない。いや、芸術というものは脳ではなく魂を刺激するものである。感心ではなく感動。心が震えた時だけ、人は立ちあがって行動を起こそうとする。

 芸術は、人間に生きていくための勇気を与えるものであるべきだ。この音楽には、そうした何かが確かに存在する。それを感ずる人だけが聴けば良い。みなさんも、心の痛みを沈めてくれる、あるいは魂を揺り動かし、心を奮い立たせる『レクイエム』を、ご自身の手で見つけ出してほしい。

1)ジュリーニ盤

独唱: リン・ドーソン(ソプラノ)
    ヤルト・ファン・ネス(コントラルト)
    キース・ルイス(テノール)
    サイモン・エステス(バス)

指揮: カルロ・マリア・ジュリーニ
演奏と合唱: フィルハーモニア管弦楽団・合唱団

録音: 1989年



2)マリナー盤(バイヤー版)

独唱: イレアナ・コトルバス(ソプラノ)
    ヘレン・ワッツ(コントラルト)
    ロバート・ティアー(テノール)
    ジョン・シャーリー=カーク(バス)

指揮: ネヴィル・マリナー
演奏と合唱: アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ

録音:1977年


(しみずたけと) 2023.1.19

9j音楽ライブラリーに跳ぶ
リンク先は別所憲法9条の会ホームページ

ラフマニノフ 合唱交響曲『鐘』


 クリスマスが過ぎ、まもなく2022年の幕がおりる。様々なことに満ち満ちた一年であった。嬉しい知らせよりも辛く悲しい出来事の方が多かったように思う。今年の漢字は「戦」らしいが、2022年を象徴するという意味なら「怒」とか「呆」の方がより相応しいと思うのだが…。

 さて、除夜の鐘はどのような音を響かせるのだろうか。前回は英国の教会の鐘をとりあげた。そのつながりで、鐘の表題を持つセルゲイ・ラフマニノフ(1873~1943年)の合唱交響曲『鐘』を、今年度最後の曲としてとりあげることにしよう。

 1912年の夏、差出人名を伏せた一通の手紙がラフマニノフのもとへ…。詩が添えられていた。推理小説で有名なアメリカの作家エドガー・アラン・ポー(1809~49年)が死の年に書いた詩“The Bells”のロシア語訳である。訳したのはロシアの象徴主義詩人コンスタンチン・バリモント(1867~1942年)。これに深く感銘した彼は、声楽をまじえた交響曲の構想を抱き、翌年、これを完成させた。

 ラフマニノフは、指揮者ベルンハルト・リーゼマン(1880~1934年)に、「私は同封の詩を読み、これを四楽章の交響曲に利用することにしました」という手紙を送っているのだが、その一方で、スコアには「独唱、合唱、管弦楽のための詩」の副題が添えられている。実際、交響曲と言うよりは、声楽をまじえた四つの連作交響詩あるいは交響組曲のように思える。この曲を含め、ラフマニノフは管弦楽と声楽を組み合わせた三つの作品を残しているが、レコード店ではどれも声楽曲の棚に置かれていることが多い。

 第1楽章は、疾走する橇(そり)の姿を銀の鈴で象徴的に描く。「ほら、橇が列をなして走っていくよ。鈴が鳴っているよ」と、テノール独唱が明るい青春の憧れと輝く希望を歌いあげる。

 第2楽章では、遅めのテンポのソプラノ独唱による「ほら、聖なる黄金の鐘が婚礼へと呼んでいる」が、幸福な結婚の華麗な儀式を叙情的に歌う。

 第3楽章は銅の鐘である。独唱はなく、おどろおどろしい弦楽のスケルツォをバックに、時代のうねり、変動に対する怖れと不安をかき立てるような、ざわざわとした合唱。火災、それとも戦(いくさ)の警鐘のようにも聴こえる。

 第4楽章は、弔いの悲しみと永遠の別れを告げる鉄の鐘。弦楽とホルンによる単調な和音、イングリッシュホルンの悲しげな旋律のあと、バリトン独唱がつぶやくように「葬儀の鐘が聞こえる」と歌う。合唱が、同じフレーズを唱えるようにくり返す。荘重な響きの中、寂寥感とともに、永遠の眠りによってもたらされる心の平安が表され、ラフマニノフらしくメランコリーに満ちた響きの中で全曲を閉じる

※日本語では、猫の首輪についているような小さいものを鈴と呼ぶが、英語では鈴も鐘も“bell”である


::: CD :::

1)アシュケナージ盤

 演奏の充実度もさることながら、この曲がウィレム・メンゲルベルクとアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団に捧げられたものであるということからも、真っ先にあげたくなるディスクである。

収録曲
1.合唱交響曲『鐘』作品35
2.3つのロシアの歌 作品41

独唱:ナタリア・トロイツカヤ(ソプラノ)
   リザード・カルツィコフスキー(テノール)
   トム・クラウゼ(バリトン)
合唱:アムステルダム・コンセルトヘボウ合唱団
指揮:ウラディーミル・アシュケナージ
演奏:アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1984年

1. Allegro ma non tanto (Silver Bells)
2. Lento (Golden Bells)
3. Presto (Alarm Bells)
4. Lento lugubre (Iron Bells)


2)オーマンディ盤

 こちらは英語で歌われているところがミソ。ポーの詩はもともと英語なのだから、不自然さは感じられない。カップリングの交響曲第2番、アレクサンドル・スクリャービン(1872~1915年)の二つの交響曲も素晴らしい。

収録曲
1.セルゲイ・ラフマニノフ
  交響曲第2番ホ短調 作品27
2.アレクサンドル・スクリャービン
  交響曲第4番『法悦の詩』作品54
3.合唱交響曲『鐘』作品35[英語歌唱]
4.3つのロシアの歌 作品41[英語歌唱]
5.アレクサンドル・スクリャービン
  交響曲第5番『プロメテ ― 火の詩』作品60

独唱:ジョージ・シャーリー(テノール)
   フィリス・カーティン(ソプラノ)
   マイケル・デヴリン(バリトン)
合唱:テンプル大学合唱団
指揮:ユージン・オーマンディ
演奏:フィラデルフィア管弦楽団
録音:1973年

I. Allegro ma non tanto “The Silver Sleigh Bells”
II. Lento “The Mellow Wedding Bells”
III. Presto “The Loud Alarum Bells”
IV. Lento Lugubre “The Mournful Iron Bells”

(しみずたけと) 2022.12.28

9j音楽ライブラリーに跳ぶ
リンク先は別所憲法9条の会ホームページ

Church Bells of England


《キャロル・オブ・ザ・ベルズ》でケルン大聖堂の鐘が紹介されていました。ムスリムなどキリスト教徒以外の人たちも多く暮らすようになったとは言え、今でもまだヨーロッパはキリスト教文化圏なのですね。ま、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、根っこの部分は同じと言うか、つながっていると言うべきか…。同じ場所、砂漠の文化の中に生まれただけあって、私にすれば「どこが違うの?」と言いたくなるくらい似かよっています。アブラハムもモーセもマリアもイエスも、みーんなイスラム教の中に存在しているもんな。似ているからこそ、争いが絶えないということなのかもしれないけれど…

 さて、そのキリスト教文化も、奥底にはケルト文化が地下水脈のごとく流れたりしていて…。異教徒への伝道の過程で、土着の信仰を採り入れていくのは良くある話。ハロウィンなど、まさしくそれ。まもなくやって来るクリスマスをはじめ、ジルヴェスター、ニュー・イヤー、イースター、季節の行事の中心にあるのは教会だし、誕生、洗礼、結婚、死といった人生の儀式にも教会が関わってきたわけで、そのたびに鐘が鳴らされるわけですね。

 YouTubeで“Church Bells”をキーワードに検索すると、あるわ、あるわ…。教会の鐘って、こうやって鳴らしているのか。複数あるから音階が可能なのだな。ハンドベルはそのミニチュア版というところか。そのうち人力ではなくコンピューター制御になるかもしれないな、などと思いながら、この機会に教会の鐘が奏でる音楽でも聴いてみるとするか。そんなCDが…、ありました!


::: CD :::

Church Bells of England

 ダイアナとチャールズの結婚式がおこなわれたセント・ポール大聖堂、彼女やエリザベス女王の葬儀の場となったウェストミンスター寺院、何度か紹介したアカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズの拠点である聖マーティン教会など、主にロンドンの教会の鐘の音が収録されています。聖クレメント・デーンズ教会は英国空軍との縁が深く、聖メアリー・ル・ボウ教会はディック・ウィッティントンと猫の物語で知られ、聖オラフ・ハート・ストリート教会は、文豪チャールズ・ディケンズの作品に登場、稀代の日記作家サミュエル・ピープスの墓所があるのもここです。

1. St. Mary Redcliffe, Bristol
 Little Bob Maximus (12 bells)

2. St. Paul’s Cathedral
 Stedman Cinques (12 bells)

3. St. Vedast, Foster Lane
 Cambridge Surprise Minor (6 bells)

4. St. Lawrence, Jewry
  Spliced Surprise Major (8 bells)

5. St. Giles, Cripplegate
 Cambridge Surprise Maximus (12 bells)

6. St. Clement Danes, Strand
  London Surprise Royal (10 bells)

7. St. Sepulchre, Holborn Viaduct
 Stedman Caters (10 bells)

8. St. Mary-le-Bow, Cheapside
 Bristol Surprise Maximus (12 bells)

9. St. Olave, Hart Street
 Stedman Triples (8 bells)

10. St. Michael, Cornhil
  Londinium Surprise Maximus (12 bells)

11. St. Bartholomew the Great, Smithfield
  Grandsire Doubles (5 bells)

12. Westminster Abbey
  Stedman Caters (10 bells)

13. St. Martins-in-the-Fields
  Yorkshire Surprise Maximus (12 bells)

14. St. John the Baptist, Burford, Oxon
  Double Norwich Court Bob Major (8 bells)

15. St. Leonard, Blediinton, Gloucestershire
  Cambridge Surprise Minor (6 bells)

16. St. David, Moreton-In-Marsh, Gloucestershire
  Kent Treble Bob Major (8 bells)


(しみずたけと) 2022.12.18

関連記事へ跳ぶ : 聖オラーフ教会とディケンズ

9j音楽ライブラリーに跳ぶ
リンク先は別所憲法9条の会ホームページ

小編成『第九』の澄んだ響き


 12月である。年末恒例の「第九」の季節だ。今さらベートーヴェンの第九の説明などいるまい。それくらい日本人にとってはお馴染みの曲目だ。

 音楽ライブラリーでも、バーンスタインによる1989年12月の演奏を既に紹介ずみである。しかし、あれは同じ年に起きたベルリンの壁崩壊という歴史的な出来事を記念し、「歓喜の歌」の歌詞にあるfreude(歓喜)をfreiheit(自由)に置き換えた、自由と民主主義への賛歌、あの時だからこそ特別な意味を持つものだった。

 そこで古典音楽として正統的…と言うより、スタンダードな演奏のものを採りあげてみることにした。なにしろ有名な曲である。数多あるベートーヴェンの作品中でダントツの人気らしい。録音は数知れない。いろいろ逡巡する中でふと思いついたのが、小澤征爾(1935年~)が指揮する水戸室内管弦楽団の演奏である。

 大オーケストラとは違い、編成の小さな室内管弦楽団ということもあって、各パート、各楽器の音が実にクリアで、誰にでもはっきり聴き分けることができよう。それでいて薄ぺっらい感じはまったくない。独唱や合唱を妨げることもない。思えば、ベートーヴェンが作曲した時代は、このような響きだったのではあるまいか。同じく小澤征爾のもと、マルタ・アルヘリッチ(1941年~)と録音したベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番、第2番も素晴らしい出来映えだった。古典音楽とは、まことに相性の良い楽団だと思う。

 第の良さはフィナーレの壮麗な大合唱だ。日本の演奏会での合唱団は、少なくとも200、多いときは300人にもなる。舞台が狭い欧州では、せいぜい70人だから厚みが出ない。第九を聞くなら日本で。こう書いていたのは、音楽評論家の宇野功芳(1930年~)。

 なるほどとも思うのだが、器楽でも合唱でも、編成が大きくなるほどアンサンブルが難しくなり、音の濁りが生じやすい。名人芸や練度で克服するというのも一つの手かもしれないが、年末の第ではアマチュア合唱団の起用も珍しくない。大編成なのは、プロの声楽家にくらべてひとりひとりの声量が小さいという理由もある。

 この演奏を聴いて、壮麗さや迫力、音量が不足すると思う人はいるだろうか。充実の独唱陣。とりわけ、世界最高のメゾの一人と絶賛されている藤村実穂子は圧巻だろう。日本のオーケストラや合唱団の水準も高くなったものである。この演奏を聴くと、水戸室内管弦楽団、東京オペラシンガーズ、どちらも世界で通用するレベルであるのは間違いない。

 演奏会では、第2楽章まではラデク・バボラーク(1976年~)が指揮を務めた。2009年までベルリン・フィルの首席奏者を務めたホルンの名手である。小澤征爾の信頼も厚く、サイトウ・キネン・オーケストラの常連。水戸室内管弦楽団とは、小澤征爾の指揮のもとでモーツァルトのホルン協奏曲を録音しており、気心の知れた関係だ。現在はソロを中心に世界中で活躍している。第3楽章で、いよいよ我らが小澤征爾の登場。当ディスクには、演奏会とは別に、小澤征爾の指揮でセッション録音をおこなった第1・2楽章が収録されている。年の瀬をおくるのにふさわしい、豪華キャストによる、力強く澄んだ演奏を楽しんでほしい。


 ::: CD :::

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
交響曲第9番ニ短調『合唱』作品125(1824年)

独唱:三宅理恵(ソプラノ)、藤村実穂子(メゾ・ソプラノ)
   福井敬(テノール)、マルクス・アイヒェ(バリトン)
合唱:東京オペラシンガーズ
指揮:小澤征爾
演奏:水戸室内管弦楽団

録音:2017年、水戸芸術館コンサートホール

   第1・2楽章(セッション)/第3・4楽章(ライブ)


(しみずたけと) 2022.12.12

9j音楽ライブラリーに跳ぶ
リンク先は別所憲法9条の会ホームページ

ショパン ピアノ協奏曲第1番


 ウクライナ戦争が始まってまもなく十ヶ月。まだ終わりが見えてこない。それどころか、先月15日には隣国ポーランドにミサイルが着弾し、二人が死亡した。ロシア軍のではなく、ウクライナの迎撃ミサイルだという。しかし、非難されるべきはロシアであろう。いかなる理由であろうと、軍事力をもって侵攻した、すなわち戦争を始めたのはロシアなのだから。

 自国目がけて飛来するミサイルから国民の生命と財産を守るのは自衛であり、ウクライナでなくとも主権国家として当然の行為である。回避する方法は、今のところ撃ち落とす以外にない。発射地点にUターンさせるような誘導技術でも開発されれば、それが一番だとは思うが。

 そんなことを考えながら、ポーランドという国を思う。18世紀末、この国はロシア、プロイセン、オーストリアにより、三度にわたって国土を分割された。1795年の第三次分割で、ポーランドという国は地球上から消滅させられた、そんな苦難の歴史を抱えている。

 フレデリック・ショパンは、1810年、ワルシャワの西方54kmにあるジェラゾヴァ・ヴォラの村に生まれた。このピアノ協奏曲第1番ホ短調は30年の作曲であるから、まだ20歳のときの作品ということになる。第1番だが、ピアノ協奏曲としては、実は二番目の作品なのだ。ピアノ協奏曲第2番ヘ短調が作られたのは、前年の29年。出版順によって番号が逆転するという例は他にもあるのだが、単純に聴く側としては、なんとも紛らわしい。

 最初の大作であったピアノ協奏曲第2番には、随所にロマン主義的な情念と、ショパンならではの創意が盛り込まれていた。その経験をもとに、この第1番では協奏曲としての構成を見直し、規模も大きくして完成度を高めている。第1番と第2番どちらに対しても耳にするのが、ピアノ独奏部に比してオーケストラ・パートが貧弱であるという辛口の批評。彼はピアニストであり、数多くのピアノの名曲を残したが、オーケストレーションに秀でた作曲家ではなかったということなのだろう。しかし、それがなんだというのだ。この曲には聴いていてワクワクする“うた”がある。私にとっては、それだけで十分だ。


 第1楽章は、オーケストラによるマズルカ風のアレグロ・マエストーソの第一主題で始まる。ポロネーズを思わせる弦セクションのカンタービレによる第二主題が繰り返され、さらに第一主題が再現された後でピアノ独奏を誘い出す。ピアノの名手による曲だけあって、華やかさの中に名人芸が求められる。

 第2楽章は、作曲当初の速度指定ははアダージョであったらしい。理由はわからないが、出版時に現在のスタイルに変更されたということだ。弱音器を付けた弦の序奏に続いてピアノが美しい主題を奏でる。弦楽と、あるいはファゴットとの掛け合いを重ねながら、印象的なカデンツァの下降の後でオーケストラが主題を再現し、ピアノの三連音で静かに消えてゆく。

 第3楽章は、華やかで高貴なロンドはポーランドの民族舞踊であるクラコヴィアク。28年には『クラコヴィアク風ロンド』を作曲しているところからも、このポーランド的メロディを大切にしていたことがわかる。ピアノとオーケストラの掛け合いで進行する中、やはり民謡的なメロディが挿入され、壮大な終曲へと突っ走るのだが、高度な技術を必要とするコーダ部分のアルペジョは、ピアニストにとって最大の見せ場、聴かせ処であろう。


 ショパンがポロネーズ、マズルカなど、民族音楽に根ざしたポーランド特有のメロディやリズムを大切にし、それらを古典音楽のレベルにまで昇華させた背景には、やはりショパンの並々ならぬ愛国心を感ずる。ヨーロッパに国民国家という意識が確立していく時代であるが、主権や領土を失ったことより、言語や伝統が奪われていくことへの悲しみや怒りが影響しているからではないのか。自分たちの自由と尊厳、その回復を、音楽を通して訴えているかのようである。

 この曲は1830年4月に着手され、8月に完成。10月11日、ワルシャワ国立劇場で公式に発表された。告別演奏会である。そう、ショパンは11月2日に音楽の都ウィーンへと旅立つのである。そして二度と祖国の土を踏むことがなかった。この曲は、愛するポーランドへの別れのメッセージだったのか…。

 11月22日ウィーンに着いたショパンだが、ほどなくワルシャワ蜂起のニュースを耳にする。独立運動は出発前から高まりつつあったが、このことでポーランド人である彼はオーストリア人から敵とみなされるようになり、音楽活動ができなくなってしまった。31年7月、ウィーンからパリへ向かう。フランスは父親ミコワイ・ショパン(1771~1844年)の出身国であった。途中のシュトゥットガルトで、ロシア軍によって蜂起が鎮圧されたことを伝えられる。そのときの衝撃はいかばかりであったか。ポーランド独立の望みは絶たれたのである。

 フランスには、君主制のロシアやオーストリア、プロシアにはない自由と民主の香りがあった。音楽で祖国に奉仕する。そう決意したショパンは、ロシア帝国が発行する旅券を拒み、フランス市民として、フランスの旅券で演奏旅行した。使用するピアノはフランスの銘器プレイエル。今日ふつうに使われるフレデリック・フランソワ・ショパンの名称も、フランス語の発音である。


 ショパンは1849年10月17日、パリで39年の生涯を閉じた。10月31日、マドレーヌ寺院でおこなわれた葬儀には、パリだけでなく、遠くはロンドン、ベルリン、ウィーンなど、3,000人以上が参列し、モーツァルトの『レクイエム』が歌われたという。棺を運んだのは画家のドラクロアや音楽家のプレイエルら友人たち。ペール・ラシェーズ墓地への長い葬列がつづく。遺言にしたがって、心臓だけはワルシャワの聖十字架教会に運ばれ、内陣の柱に埋め込まれた。終生ポーランドへの愛国心を貫き通したショパンは、祖国への最後の捧げ物として、己の心臓を送り届けたのである。

 現在、西側諸国によるウクライナ支援は、主にポーランドを経由しておこなわれている。行き先はウクライナ西部の都市リヴィウ。ここは、かつてのポーランド領ガリツィア地方である。第二次大戦で、ウクライナのこの地域には、ロシアの後継者たるソ連からの解放を目指し、ソ連と戦うナチス・ドイツに協力する者がいた。ポーランド東部にあるトレブリンカ絶滅収容所が、ウクライナの兵士によって管理されていたのはそのためである。

 1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドのヴェステルプラッテを攻撃して第二次大戦の火ぶたが切られた。17日、東部からソビエト赤軍が侵攻。またもやポーランドは独ソ両国によって占領されてしまう。同年8月23日に独ソ不可侵条約(モロトフ=リッベントロップ協定)が締結されていたが、これには東欧諸国とフィンランドに対する侵攻を相互に承認するという密約が含まれていたのである。ポーランド、ウクライナ、そして現在のロシア…、地上で国境を接する国家の関係は、隣国とは海で隔てられた私たちには想像もつかない複雑さと難しさを併せ持っている。


 ::: CD :::

 ショパンはポーランド人にとってのヒーローだ。その情熱を表現するポーランドのピアニストの名前が頭をよぎる。最右翼はクリスチャン・ツィメルマン(1956年~)だと思う。ピアノ演奏だけでなく、彼自身が指揮をした演奏に文句はない。だが、オーケストラが伴奏に終始しているようで、やや物足りなさを感じるのも事実だ。

 ここでとりあげたのは、情熱のピアニスト、マルタ・アルヘリッチ(1941年~)。サポートするのは、クラウディオ・アバド(1933年~2014年)が指揮するロンドン交響楽団。雄弁だが、語りすぎることのないオーケストラ。まさに協奏曲の理想的なあり方だと思う。この録音は1968年。アバドがロンドン交響楽団の首席指揮者に就任したのは1979年であるから、ミラノ・スカラ座を拠点に活動していた時代である。まだ35歳の若さだが、巨匠の片鱗を垣間見ることができるはずだ。驚いてはいけない。アルヘリッチは当時、なんと27歳!完璧な技術の上に展開する情熱が、聴く人すべてを魅了するに違いない。

収録曲

フレデリック・ショパン
ピアノ協奏曲第1番ホ短調 作品 11

フランツ・リスト
ピアノ協奏曲第1番変ホ長調

ピアノ:マルタ・アルゲリッチ
指揮:クラウディオ・アバド
演奏:ロンドン交響楽団
録音:1968年


(しみずたけと) 2022.12.11

9j音楽ライブラリーに跳ぶ
リンク先は別所憲法9条の会ホームページ