スッペとサン=サーンスの《レクイエム》


 この一年というもの、ロシアによるウクライナ侵攻に心が痛みっぱなしだった。しかし、本当に辛い思いをしたのは、私などではない。数多の犠牲者を悼むべく、様々なレクイエムをとりあげてきた理由はそこにある。モーツァルト、ヴェルディ、ケルビーニ、フォーレ、デュリュフレ、ドゥランテ、ブラームス、ベルリオーズ、ドヴォルザークと、18世紀半ばから20世紀半ばまでの200年にわたるヨーロッパ版“野辺おくり”の音楽。

 クラシック音楽におけるレクイエムは、国民国家の誕生とその膨張、そして他の国民国家と衝突するようになった時代に多く生まれている。背景にあるのは、一部の人たちの富と利権。作曲家たちは、そんな背景を敏感に感じ取っていたのかもしれない。演奏する人たちは、そして私たち聴衆は、そのことに気づいているだろうか。

 人はすべて死すべき存在。しかし理不尽な死を減らすことこそが文明であり、それが文明の到達点を測る尺度ではないのか。そう考えると、人類は本当に進歩してきたと、胸を張って言いきれるだろうか。ウクライナだけではない。ミャンマーで、香港で、シリアで、アフリカで、世界中のいたるところで、人間の命が脅威にさらされている。一連のレクイエムを、このような思いで聴かなくてすむ世界は来るのか。来るとすれば、それはいつなのか。そのために、私たちがしなければならないことは何か


スッペ『レクイエム』ニ短調(1855年)

 オーストリア生まれのフランツ・フォン・スッペ(1819~1895年)。「ウィンナ・オペレッタの父」と呼ばれたりもするが、指揮者や歌手としても活動した人である。上演されることが多いのは、喜歌劇『詩人と農夫』、『スペードの女王』、『美しきガラテア』などだろうか。コンサートでもしばしばとりあげられる『軽騎兵』の序曲は、誰もが一度は聴いたことがあるはずだ。

 作曲家スッペは有名だし、スッペの作品もポピュラーなのに、スッペがレクイエムを作曲していたことを知る人は少ない。いちど聴いてみてほしい。

第1曲 永遠の安息を
第2曲 怒りの日
第3曲 妙なるラッパの響き
第4曲 畏こき御霊威の王
第5曲 思い出し給え
第6曲 呪われし者を

第7曲 涙の日
第8曲 主イエス・キリスト
第9曲 賛美の生け贄と祈り
第10曲 聖なるかな
第11曲 祝福あれ
第12曲 天主の子羊
第13曲 救い給え


サン=サーンス『レクイエム』作品54

 一方のシャルル・カミーユ・サン=サーンス(1835~1921年)は、オーストリアとはライバル関係にあるフランスの作曲家。私は交響曲第3番ハ短調『オルガン付き』を真っ先に思い浮かべるのだが、面白さでは『動物の謝肉祭』かもしれない。チェロが奏でる優雅な「白鳥」は誰もが知る人気曲。さらに「ピアニスト」の題で人間が登場するなど、なかなか皮肉が効いている。

 そんな彼が作曲した『レクイエム』があるのだが、あまり知られていないのはなぜだろう。これまで紹介してきた作品、ベルディやベルリオーズのものと比べると、40分足らずの比較的小ぶりな曲となっている。儀式用には大曲の方が効果的だからであろうか。


 セザール・フランクらと国民音楽協会を結成したサン=サーンスだったが、パリのマドレーヌ寺院のオルガニストという二足の草鞋だったこともあり、作曲だけに専念するわけにもいかない日々をおくっていた。当時、フランス郵政大臣の地位にあったアルベール・リボンが、死後のレクイエムを作曲するという条件で10万フランを遺贈するという約束をしてくれたおかげで、オルガニストの激務から解放されたのである。しかもリボンは、レクイエム作曲の義務を取り下げるまでした。それほど作曲家サン=サーンスを買っていたのだろう。

 しかしサン=サーンスは、1877年5月にリボンがこの世を去ると、彼との約束を反故にすることなく、翌年4月、滞在先のスイスで八日間という短い日数で、この『レクイエム』を書き上げた。そして5月22日、リボンの一周忌に初演がなされたのである。なんとも義理堅いというか、誠実な人柄ではないか。

第1曲 レイエム ― キリエ
第2曲 怒りの日
第3曲 おそるべき王よ
第4曲 ひれ伏して願いたてまつる
第5曲 賛美の犠牲(いけにえ)
第6曲 聖なるかな
第7曲 ほむべきかな
第8曲 神の子羊



::: CD スッペのレクイエム :::

 この曲の録音は少ないようだ。私もこれしか聴いたことがない。たった一種類しか知らずに選ぶのもどうかと思うだが、とりあえずご容赦を。

 指揮はドイツ人のゲルト・シャラー(1965年~)。アントン・ブルックナーを得意とし、フィルハーモニー・フェスティヴァとのコンビで全集の制作を進めている。このオーケストラは、シャラーが2008年、ミュンヘン・フィル、バイエルン放送交響楽団、バイエルン州立歌劇場管弦楽団といったミュンヘンの主要オーケストラを中心に、周辺のオーケストラの優秀な団員で構成するアドホック的な楽団のようだが、一連のブルックナー作品の録音は現時点における最高水準との呼び声も高く、世界的に知られるようになった。

独唱:
マリー・ファイトヴァー(ソプラノ)
フランツィスカ・ゴットヴァルト(コントラルト)
トミスラフ・ムジェク(テノール)
アルベルト・ペーゼンドルファー(バス)


合唱:ミュンヘン・フィルハーモニー合唱団
   合唱指揮 アンドレアス・ヘルマン


指揮:ゲルト・シャラー
演奏:フィルハーモニー・フェスティヴァ


録音:2012年(ライブ)


::: CD サン=サーンスのレクイエム :::

 こちらはチャイコフスキーの交響曲第2番、しかもあまり演奏されることのない改訂前の版で紹介したジェフリー・サイモン(1946年~)が指揮する英国のオーケストラ。この人は、どうも他の人がやらないことにチャレンジするのが好きなようだ。こういう人の存在が、私たちの楽しみの場を広げてくれる。みんな同じとか一種類しかないというのは、実につまらないことだ。違うもの、大歓迎! 独唱陣もロンドン・フィルもいい。

 カップリングの交響曲第3番は有名だが、歌劇『黄色い姫君』序曲を知る人は多くはあるまい。これらをまとめて聴くことができるとは、なんとお得なディスクだろう。

収録曲
1.歌劇『黄色い姫君』作品30~序曲(1872年)
2.レクイエム ハ短調 作品54(1878年)
3.交響曲第3番ハ短調『オルガン付き』作品78(1886年)

独唱:
ティヌケ・オラフィミハン(ソプラノ 2)
キャスリン・ウィン=ロジャース(アルト 2)
アンソニー・ローデン(テノール 2)
サイモン・カークブライド(バス 2)


合唱:ハーロウ&イースト・ロンドン合唱団(2)

指揮:ジェフリー・サイモン
演奏:ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
   ジェームズ・オドンネル(オルガン 2, 3)


録音:1993年


第1曲 レクイエム ― キリエ
第2曲 怒りの日
第3曲 おそるべき王よ
第4曲 ひれ伏して願いたてまつる
第5曲 賛美の犠牲(いけにえ)
第6曲 聖なるかな
第7曲 ほむべきかな
第8曲 神の子羊

(しみずたけと) 2023.8.27

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ヘンデルの『メサイア』


者の救済を祈るレクイエムやキリストの受難の物語ばかりでは気が晴れない。現世に生きる私たちも救われたい。そんな思いもあって採りあげてみた。メサイア=救世主。ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685~1759年)作のオラトリオである。

ヘンデルは英国人?

 ヘンデルは、奇しくも「音楽の父」と呼ばれるヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685~1750年)とは同じ年の生まれである。国民国家が成立する前の時代、ヘンデルは神聖ローマ帝国のブランデンブルク選帝侯領、バッハの方はザクセン選帝侯領であった。同じ時代に、しかも遠からぬ地に生を受けた二人だったにもかかわらず、生涯、相まみえることはなかったという。

 幼少時から音楽の才能を発揮したヘンデルだったが、法律家になることを望む父親は、彼が音楽の道に進むことには反対だったらしい。父親が亡くなると、束縛を解かれのか、オルガニストとして、そして作曲家へと邁進する。当時は一種のオペラ・ブームであったらしく、ヘンデルもオペラ作曲家として名を上げることを目指したようである。

 イタリアなどにも滞在しているが、ヘンデルが活躍したのは、後に帰化することになる英国であった。ハノーファー選帝侯に宮廷楽長を任ぜられるが、長期旅行の許可を得て渡英し、そのまま居着いてしまったのである。折しもアン女王(1665~1714年)が亡くなり、ハノーファー選帝侯がジョージⅠ世として新しい英国王に就いたことも好都合だった。

 ジョージ・フレデリックの名の方が、ゲオルク・フリードリヒよりも通りが良いのはそのためである。しかし、姓だけはドイツ語読みのヘンデルのままだったのは面白い。有名な『水上の音楽』はテムズ川の舟遊びに、『王宮の花火の音楽』は1748年のアーヘン和議(オーストリア継承戦争終結のための条約)を祝う花火大会用として、英国時代に作曲されたものである。

 オペラ作曲家としてのヘンデルはどうだったのであろうか。好評を博した作品も、そうでもない作品もあったが、出来不出来と言うより、あの時代のオペラ・ブームが一過性のもので、やがて衰退してしまったことに原因で、決して高い評価を得ているわけではない。死後、彼のオペラ作品は急速に忘れ去られていった。『リナルド』の中のアリア「私を泣かせてください」や『クセルクセス』の「オンブラ・マイ・フ」は、今日でもリサイタル曲目の定番だが、全曲が演目になることは少ない。しかし近年、ぼちぼちとりあげられるようで、これは嬉しいかぎりだ。

 ヘンデルと言えばオラトリオ。その代表作が『メサイア』であるのは間違いないのだが、彼の宗教的オラトリオは、実にこの一作だけなのである。バッハの『マタイ受難曲』が、メンデルスゾーンによって復活上演されるまで忘れ去られてしまったのに対し、『メサイア』の方は途切れることなく上演され続けてきた。この違いは何だったのであろうか。第Ⅱ部の最後で歌われる「ハレルヤ」の合唱のせいだろうか。誰もが耳にしたことがあるこのメロディを聴きながら、当時に思いを馳せてみよう。

救世主は現れるか

 その前に、私たちは救われたいと、本気で願っているのだろうか。誤った道を進みそうになることは、いつもある。と同時に、その危険をしらせ、本来の道に戻ることを訴える声も、必ずある。人類は、そうした声に耳を傾けることなく、差しのべられた救いの手を払いのけてきたのではないのか。

 「天は自ら助くる者を助く」は、サミュエル・スマイルズ(1812~1904年)が著した『自助論』の序文にある有名な言葉で、聖書に出てくる言葉ではないが、イソップ寓話やラ・フォンテーヌ(1621~95年)の『寓話』にもあるラテン語の古い格言である。わが国では、中村正直(1832~91年)が『西国立志編』として訳出した。私たちは、自らを助けよう、助かろうとしているだろうか。自ら助かろうとしない者を、いったい誰が助けようとするだろうか。

 ラテン語に“Vox Populi, Vox Dei”という成句がある。「民の声は神の声」とでも訳せば良いだろうか。多くの人が望むこと、それが神の意志である。西欧民主主義の原点は、おそらくここにあるのだろう。たった一人の声でも、それが正当であれば、百万人の声となり、正しいこと、すなわち神の声となる。

 そのために必要なことは何か。誤りに気づくこと、それを正そうとすること、そのために声をあげることである。それには勇気も必要だろう。一人ぼっちになる覚悟で立ちあがり。そのときについてきてくれるのが本当の仲間というものだ。もしかしたら、救世主が何食わぬ顔で、その中にいるかもしれない。その先に、天国、楽園、彼岸、浄土、パラダイスが待っていることを信じて…。

オラトリオ『メサイア』(1742年)

第Ⅰ部 メシア到来の預言と誕生、メシアの宣教

 序曲
 慰めよ、我が民を
 諸々の谷は高くせられ
 かくして主の栄光が現れ
 まこと万軍の主はかく言われる
 その来る日、だれが耐え得よう
 彼はレビの子孫を浄め 
 見よ、乙女が身籠もって
 よきおとずれをシオンに伝える者よ
 見よ、闇が地を覆い
 暗闇の中に歩みし民は
 ひとりの嬰児が我らのために生れた
 田園交響曲
 羊飼いたちが夜、野宿しながら
 見よ、主の御使いがその傍らに立ち
 たちまち夥しい天の軍勢が現れた
 いと高きところに神に栄光があるように
 喜べ、シオンの娘よ
 見えない人の目は開かれ
 主は羊飼いのごとくその群れを養い
 彼のくびきは負いやすく


第Ⅱ部 メシアの受難と復活、メシアの教えの伝播

 見よ、世の罪を取り除く神の子羊
 彼は侮られて
 まこと彼は我らの病を負い
 彼の打たれた傷によって
 我らはみな羊のように迷い
 すべて彼を見る者は
 彼は主に身をゆだねた
 そしりが彼の心を砕き
 尋ねてみよ
 彼は生けるものの地から断たれ
 あなたは彼の魂を黄泉に捨ておかれず
 頭をあげよ
 神は御使いたちの
 神の御使いたちはことごとく
 あなたは虜を率い
 主は命令を下される
 あゝ麗しきかな
 その声は全地に響き渡り
 何故、諸々の国びとは
 我らは彼らの枷をこわし
 天に座する者は笑い
 おまえは鉄の杖をもちて
 ハレルヤ、全能者にして主なる我らの神は


第Ⅲ部 メシアのもたらした救い永遠のいのち

 我を購う者は生きておられる
 死がひとりの人によりてきたのだから
 あなた方に奥義を告げよう
 ラッパが響き
 そのとき聖書に書かれし言葉が成就する
 死よ、お前の勝利はどこにあるのか
 神が我らの味方であるなら
 屠られた小羊こそは
 アーメン


C D

 『メサイア』の録音は多い。大編成のオーケストラをバックにしたものも悪くはないが、このマリナー盤は、初演時のスタイルを再現したホグウッド版が使われている。小ぶりなアカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズも、当時を彷彿とさせるようで好ましいものだ。独唱陣も秀逸だが、とりわけエリー・アメリンクとアンナ・レイノルズの女声が素晴らしい。

独唱:エリー・アメリンク(ソプラノ)
   アンナ・レイノルズ(メゾ・ソプラノ)
   フィリップ・ラングリッジ(テノール)
   グウィン・ハウエル(バス)


指揮:ネヴィル・マリナー

演奏・合唱:

  アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ
  クリストファー・ホグウッド(オルガン)


録音:1976年



(しみずたけと) 2023.8.13

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バッハの『マタイ受難曲』


 今年に入ってからというもの、いろいろレクイエムをとりあげてきた。信仰心に目覚めたとか言うわけではない。もともと罰当たりな無信仰者の私だが、せめて音楽の世界に救いを求めたくなる。国内外、どこもかしこも暗いニュースばかりのご時世だからだ。

 レクイエムは、もともとは死者の安息を神に願うカトリック教会のミサのことであり、そこで用いられる聖歌(ミサ曲)のこともレクイエムと呼ぶ。典礼であるから、伝統的にラテン語のテクストが用いられる。ただし、ドイツ語で歌われるブラームスの『ドイツ・レクイエム』のような例外がないわけではない。前回の「スターバト・マーテル」も、カトリック教会の聖歌なので、やはりラテン語である。

 宗教曲としては、他に受難曲がある。独唱者や合唱がイエスやその他の登場人物を受け持ち、福音史家(エヴァンゲリスト)役のレチタティーヴォと呼ばれる語りのような歌唱によって物語が進行していく。『新約聖書』には「マタイによる福音書」、「ヨハネによる福音書」、「マルコによる福音書」、「ルカによる福音書」と、四つの福音書が収められているが、これらを元にして、イエスの受難を追想するとともに、彼の偉業を感動的に伝える、そうした音楽物語となっている。

 イエスの磔刑の場面をクライマックスに据えたドラマ仕立ての物語は、かなり早い時期、四世紀末頃には存在したようだ。主たる目的は、もちろん布教活動である。語りと歌だけだったものが、ルネサンス以降は対位法の導入によって多声化がなされ、さらにオルガン伴奏や器楽が加わることによって発展してきたのは、教会音楽をルーツに持つ西洋音楽の歴史そのものである。

 プロテスタントの出現に対抗する形で開かれた1545年のトレント公会議の結果、カトリック教会は音楽演奏を制限するようになり、礼拝における音楽に寛容な立場をとったルター派の圏内が、西洋古典音楽の発展を下支えするようになっていく。そうした中にあって、最も有名な受難曲と言えば、「マタイによる福音書」の第26、27章を題材にした、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685~1750年)の『マタイ受難曲』ではなかろうか。

マタイ受難曲(1727~29年)

 バッハは四つの受難曲を残したようであるが、『ルカ受難曲』は真作かどうかが疑問視され、『マルコ受難曲』は台本しか残っていない。今日の私たちが聴くことができるのは、『ヨハネ受難曲』と、この『マタイ受難曲』だけということになる。『マタイ受難曲』の初演は、1727年、ライプツィヒの聖トーマス教会でおこなわれたらしいが、楽譜はその後、改訂されている。

 『マタイ受難曲』は大きく二つに分かれる。作曲された当時、この間で説教がおこなわれた。バッハ自身はそれ以上の区分をしていないが、なにしろ三時間にも及ぶ大作である、物語の進行と曲の理解を助けるために、場面ごとの説明がつけ加えられることが多い。

 作曲家の死後、この曲は長きにわたって忘れられていた。なんとももったいない話であるが、音楽がビジネスとは無縁の、ただ信仰とともにあった時代なのだから、致し方あるまい。初演から約100年が過ぎた1829年、フェリックス・メンデルスゾーン(1809~47年)が歴史的な復活上演をおこなった。そう、あの《スコットランド交響曲》を作曲したメンデルスゾーンである。このときに使われた楽譜が、1729年の、つまり改訂版だった。

 この復活上演を、哲学者ヘーゲルや詩人ハイネも聴いている。その成功によって、バッハの作品が再評価されることとなった。バッハの音楽でさえ、忘却の彼方に置き去りにされる一歩手前だったということか。今日、私たちがバッハの音楽を聴くことができるのは、メンデルスゾーンのおかげと言っても良いだろう。

第Ⅰ部

プロローグ
曲 来たれ、娘たちよ、我と共に嘆け
曲 イエスこれらの言をみな語り終えしのち
曲 心より慕いまつるイエスよ

策略
曲 そのとき祭司長と律法学者ならびに民の長老ら
曲 祭りのあいだは手を下すべからず

ベタニアの塗油
曲 イエス、ベタニヤにて癩病人シモンの家にいたもうとき
曲 何故にかかる濫費をなすか?
曲 イエスこれを知りて、言いたもう
曲 汝、尊びまつる救い主のきみよ
第10曲 悔いの悲しみは

ユダ
第11曲 その時、十二弟子のひとりにて
第12曲 血を流せ、我が心よ

最後の晩餐
第13曲 種入れぬパンの祭りの初めの日
第14曲 何処にて我らが、過越の食を守るため
第15曲 イエス言いたもう、都に行き、某なる人を訪ねて告げよ
第16曲 我なり、我こそ償いに
第17曲 イエス答えて言いたもう
第18曲 よしや我が心は涙のまにまに漂い
第19曲 我は汝に心を捧げん

オリブ山
第20曲 彼ら讃美を歌いてのち、オリブ山に出で行く
第21曲 我を知り給え、我が守りてよ
第22曲 ペテロ答えて言う
第23曲 我はここなる汝の身許に留まらん

ゲッセマネ
第24曲 ここにイエス彼らと共にゲッセマネという園に至りて
第25曲 ああ痛まし!さいなまれし心ここにうち震う
第26曲 我は我がイエスのもとに目覚めおらん
第27曲 少し進み入りて
第28曲 救い主、御父の前に平伏したもう
第29曲 我は悦びて身をかがめ
第30曲 弟子たちのもとに来たり
第31曲 我が神の御心のままに常に成らせ給え

イエスの捕縛
第32曲 また来たりて見給うに、彼ら眠りおれり
第33曲 かくて我がイエスは今や捕らわれたり
第34曲 見よ、イエスと共に在りし者のひとり
第35曲 人よ、汝の大いなる罪を悲しめ

第Ⅱ部

プロローグ
第36曲 あゝ、今や我がイエスは連れさられぬ!

大祭司カヤバの前のイエス
第37曲 イエスを捕らえたる者ども
第38曲 世は我に欺き仕掛けぬ
第39曲 また多くの偽証者ら立ち出でたれども
第40曲 我がイエスは嘘いつわりの証しにも黙したもう
第41曲 忍べよ、偽りの舌われを刺すとき
第42曲 大祭司は問いただして言う
第43曲 ここに彼らイエスの顔に唾し
第44曲 誰をぞ汝をばかく打ちたるか

ペテロの否認
第45曲 さてペテロは外にて中庭に座したるに
第46曲 ここにペテロ、そら恐ろしきことと否み
第47曲 憐れみ給え、わが神
第48曲 たとえわれ汝より離れ出づるとも

ユダの最期
第49曲 夜明けになりて、すべての祭司長
第50曲 ユダその銀貨を神殿に投げ込みて去り
第51曲 我に返せ、我がイエスをば!

ピラトの前のイエス
第52曲 かくて相識り
第53曲 汝の行くべき道と
第54曲 さて祭りの時に、総督は民衆の望みに任せて
第55曲 さても驚くべきこの刑罰!
第56曲 総督言う
第57曲 彼は我ら総ての者の為に善き事をなせり
第58曲 愛よりして我が救い主は死に給わんとす
第59曲 彼らますます声を大にして叫びて言う
第60曲 神よ、憐れみ給え
第61曲 我が頬の涙
第62曲 ここに総督の兵卒どもイエスを取りて
第63曲 あゝ、血と傷にまみれし御首

ゴルゴタ
第64曲 かくて嘲弄してのち、上衣を剥ぎて
第65曲 しかり!まことに我らがうちなる血肉は
第66曲 来たれ、甘き十字架
第67曲 かくてゴルゴタという所
第68曲 共に十字架につけられたる強殺者どもも
第69曲 あゝ、ゴルゴタよ
第70曲 見よ、イエスはわれらを抱かんとて

三時
第71曲 昼の十二時より地の上あまねく暗くなりて
第72曲 いつの日かわれ去り逝くとき
第73曲 見よ、そのとき神殿の幕、上より下まで真っ二つに裂け
第74曲 夕べ日涼しくなりし頃に
第75曲 我が心よ、おのれを浄めよ

埋葬
第76曲 ヨセフ御体を受け取りて
第77曲 今や主は憩いの床に安置されぬ
第78曲 我ら涙流しつつ跪き


C D

 大曲ではあるが、かなりの数の録音がある。キリスト教圏の音楽家にとっては、イエスの受難はなじみの物語であるし、管弦楽を伴った声楽を得意とする人、宗教音楽のスペシャリストにとっては、避けがたい魅力をもった作品なのだと思う。

 ここではヘルベルト・フォン・カラヤンとベルリン・フィルによる演奏をとりあげた。楽壇の頂点に君臨したカラヤンだけあって、最高の独唱陣を揃え、完璧なオーケストラと合唱団を自在に操っている。控えめな感じで始まるものの、その表現は徹底的ともいえるくらい彫りが深い。やがて凄味さえ感じさせる圧倒的なスケールへと昇華していく。絶頂期のカラヤンが聴かせる、まさに最高にドラマティックな“パッション=受難”となっている。

独唱:
ペーター・シュライアー (エヴァンゲリスト)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ (イエス)
グンドゥラ・ヤノヴィッツ (ソプラノ)
クリスタ・ルートヴィヒ (アルト)
ホルスト・ラウベンタール (テノール)
ヴァルター・ベリー (バス)


合唱:
ウィーン楽友協会合唱団
ベルリン国立合唱団少年団員
ベルリン大聖堂聖歌隊少年隊員


指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
演奏:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1973年



(しみずたけと) 2023.8.13

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悲しみの聖母


 アントニン・ドヴォルザーク(1841~1904年)の『レクイエム』を紹介する中で思い出したのが『スターバト・マーテル』。「スターバト・マーテル」は、13世紀、フランシスコ会で生まれた作者不詳の聖歌の一つである。日本語では「悲しみの聖母」と訳されることが多い。ドヴォルザークの宗教曲としては、むしろこちらの方が有名かもしれない。

 「スターバト・マーテル」に曲をつけた音楽家は数え切れない。ヴィヴァルディ、ハイドン、シューベルト、リスト、グノー、ヴェルディ、コダーイ、ペンデレツキ等々、バロック時代から現代に至るまで、あらゆる時代に作られている。ここでは、それらの中でも特に有名なロッシーニとドヴォルザークの二作品を採りあげてみたい。

Stabat mater dolorosa
iuxta Crucem lacrimosa,
dum pendebat Filius.

Cuius animam gementem,
contristatam et dolentem
pertransivit gladius.

O quam tristis et afflicta
fuit illa benedicta,
mater Unigeniti!

Quae maerebat et dolebat,
pia Mater, dum videbat
nati poenas inclyti.

Quis est homo qui non fleret,
matrem Christi si videret
in tanto supplicio?

Quis non posset contristari
Christi Matrem contemplari
dolentem cum Filio?

Pro peccatis suae gentis
vidit Iesum in tormentis,
et flagellis subditum.

Vidit suum dulcem Natum
moriendo desolatum,
dum emisit spiritum.

Eia, Mater, fons amoris
me sentire vim doloris
fac, ut tecum lugeam.

Fac, ut ardeat cor meum
in amando Christum Deum
ut sibi complaceam.

Sancta Mater, istud agas,
crucifixi fige plagas
cordi meo valide.

Tui Nati vulnerati,
tam dignati pro me pati,
poenas mecum divide.

Fac me tecum pie flere,
crucifixo condolere,
donec ego vixero.

Iuxta Crucem tecum stare,
et me tibi sociare
in planctu desidero.

Virgo virginum praeclara,
mihi iam non sis amara,
fac me tecum plangere.

Fac, ut portem Christi mortem,
passionis fac consortem,
et plagas recolere.

Fac me plagis vulnerari,
fac me Cruce inebriari,
et cruore Filii.

Flammis ne urar succensus,
per te, Virgo, sim defensus
in die iudicii.

Christe, cum sit hinc exire,
da per Matrem me venire
ad palmam victoriae.

Quando corpus morietur,
fac, ut animae donetur
paradisi gloria.

Amen.

悲しみに沈める御母は立てり
涙にむせび、傍らの十字架に

御子は懸かりし

憂い悲しめる
嘆きの御魂は
鋭き刃もて貫かれ給えり

憂い悲しみはいかばかりか
祝福されし

天主の御ひとり子のその母君の

悲しみに沈み給いし
慈悲深き御母は
尊き御子の苦しみを見給えり

たれか涙を注がざる者あらん
キリストの御母の

かく悩み給えるを見て

たれ誰か悲しまざる者あらん
キリストの御母の
御子と共にかく苦しみ給うを見て

人々の罪のため
イエスが責められ鞭打たるるを

聖母は見給えり

最愛の御子が
うち捨てられ、息絶え給うを
聖母はまた眺め給えり


悲しみの泉なる御母よ
われをして御悲しみのほどを感ぜしめ
共に涙を流さしめ給え

わが心をして火と燃えしめ給え
天主たるキリストを愛する
御心にかなわんがため

あゝ聖母よ
十字架につけられし御子の傷を
わが心に深くしるし給え

傷つけられし御子が
わがために苦しみ給いたるを
われに分かち給え

御身と共に熱き涙を流し
磔の苦しみを共にするを得しめ給え
命のあらん限り


われ十字架の傍らに御身と立ちて
嘆かんことを望む
相共に

いと清き処女のなかの処女よ
願わくは、われを排け給わずして
共に嘆くを得しめ給え


われにキリストの死を負わしめ
この御苦難を共にせしめ
その御傷を深くしのばしめ給え

御子の御傷をわれにも負わせ
十字架をもて、われを酔わしめ給え
流れたる御血とともに


地獄の火に焼かれざらんため
聖なる処女よ、われを守り給え
審判の日には

あゝキリストよ、われこの世を去らんとき
御母によりて勝利の報いを
得しめ給え


肉体は死して朽つるとも
霊魂には天国の栄福を
こうむらし給え

アーメン

 ラテン語によるもとの聖歌に題名はない。Stabat mater dolorosa …(悲しみの母は立ちぬ)で始まるゆえ、そう呼ばれているだけだ。カトリックだから、母=聖母マリアなのだが、materは普遍的な意味での母親を表す言葉でもある。息子イエスを亡くして悲しみにくれているのは、彼女が聖母だからではなく、ありきたりの母親、普通の女性、どこにでもいる人間だからであることを忘れてはならない。

 毎日のニュースから聞こえてくる母たちの嘆き。ウクライナだけではない。わが子をを戦場に送ったロシア、パレスチナ、アフリカの各地、世界中のいたるところから耳に届く。彼女らを悲しみの渦に引き込んだのは誰なのか。これは神による試練などではない。神の仕業に帰するなど、言語道断である。

ロッシーニ:『スターバト・マーテル』(1842年)

 『セビリアの理髪師』や序曲が有名な『ウィリアム・テル』などの歌劇で知られるジョアキーノ・ロッシーニ(1792~1868年)の作品である。

 ナポリでジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ(1710~36年)が1736年に作曲した『スターバト・マーテル』を聴いたロッシーニは、このような名曲がある分野には足を踏み入れまいと決心したという。しかし、1831年にスペインを旅行した際、友人からドン・ヴァレラなる富豪を紹介された。この人物、実は聖職者であったらしい。宗教改革の後とは言え、まだまだカトリックの世界には金がうなっていたと言うことか、作曲委嘱料が良かったようで、ヴァレラの依頼を受けることになった。

 ところが強度の神経痛に襲われたロッシーニ、作曲の筆は遅々として進まない。ヴァレラからは矢のような催促。六曲だけ書き上げたところで一計を案じ、友人のジョヴァンニ・タドリーニ(1789~1872年)に残りを依頼。なんとかヴァレラに渡すことができた。

 1841年にヴァレラが亡くなると、彼が集めた楽譜は出版社の手に。ロッシーニのもとにも『スターバト・マーテル』刊行の話がやって来る。さすがに“合作”を自分の名前で出すことに気が引けたのか、タドリーニに依頼した部分を自分の手で新たに作曲し直し、晴れて“完成”したというわけである。

 宗教曲としては、深く掘り下げた精神性が薄いと批判されたりもするが、伸びやかで美しい旋律、強弱や色彩の起伏に富んだオーケストレーションなど、ロッシーニの歌劇に見られる世俗的な明るさに満ちている。初演で大きなセンセーションを巻き起こし、その年のうちに欧州の29もの都市で上演され、大きな評判を呼んだ。今日でも人気の一曲である。

ドヴォルザーク:『スターバト・マーテル』作品58(1877年)

 《新世界交響曲》のせいで、交響曲作家と捉えられがちなドヴォルザークだが、彼の作品群を代表するのは、まずは室内楽、そして声楽曲であろう。声楽曲と言っても、台本に恵まれなかったこともあり、歌劇などはあまり成功していない。その代わり、合唱曲や歌曲に素晴らしいものが多い。この『スターバト・マーテル』は、彼の作品としてだけでなく、宗教音楽としても傑出している。

 ドヴォルザークがこの曲を書き始めたのは、長女を失って間もない頃だった。スケッチはできあがったものの、他の作品のために棚上げされ、その間に次女と長男を相次いで失うという不幸に見舞われた。この曲には、天に召された子どもの死を悼み、その冥福を祈る思いが込められている。

 ドヴォルザークの合唱音楽は、バロック、とりわけジョージ・フレデリック・ヘンデル(1685~1759年)の影響が大きいとされている。悲しみの克服と穏やかな平安を祈るかのように、全十曲中の四曲が長調で書かれている。また、終曲の後半を除けば、全体的に遅めのテンポに終始しているのが特
徴であろう。


C D

1)ロッシーニの『スターバト・マーテル』

  カルロ・マリア・ジュリーニ(1914~2005年)はオーケストラと独唱、合唱のバランスを取るのが実にうまい。重みのある独特のカンタービレによって、暖かみを湛えながらも、沈痛な美しさを見事に引き出している。

独唱:カーティア・リッチャレッリ(ソプラノ)
   ルチア・ヴァレンティーニ=テッラーニ(ソプラノ)
   ダルマシオ・ゴンザレス(テノール)
   ルッジェーロ・ライモンディ(バス)


指揮:カルロ・マリア・ジュリーニ
演奏:フィルハーモニア管弦楽団・合唱団


録音:1981年



2)ドヴォルザークの『スターバト・マーテル』

  ラファエル・クーベリック(1914~96年)にとってドヴォルザークは“お国もの”なのだろうが、彼の高い音楽性はこの宗教音楽の傑作をさらなる高みへと押し上げている。

 カップリングの曲は、フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732~1809年)の晩年の『ミサ曲第10番ハ長調』である。作曲された1796年、当時オーストリア領だった北イタリア各地に対し、ナポレオン率いるフランス軍が激しく攻撃していた。ハイドンはオーストリア国歌の作曲者であり、大成功をおさめた英国では国王に永住を勧められるほどであったが、それを固辞して帰国した愛国者だった。この曲は、彼の怒りでもあったのであろう、「怒りの日」ではティンパニ独奏が戦争の恐怖と平和への強い願いが音楽化されている。ハイドンの自筆楽譜に《戦時のミサ》という題名が掲げられているが、このことから《太鼓ミサ》の愛称がある。


収録曲

ドヴォルザーク:『スターバト・マーテル』

独唱: エディト・マティス(ソプラノ)
    アンナ・レイノルズ(アルト)
   ヴィエスワフ・オフマン(テノール)
    ジョン・シャーリー=カーク(バス)

合唱: バイエルン放送合唱団

指揮: ラファエル・クーベリック
演奏: バイエルン放送交響楽団

   エルマー・シュローター(オルガン)

録音: 1976年

ハイドン:ミサ曲第10番ハ長調《戦時のミサ》(1796年)

独唱: エルジー・モリソン(ソプラノ)
   マージョリー・トーマス(アルト)
   ペーター・ヴィッチュ(テノール)
   カール・クリスティアン・コーン(バス)

合唱:バイエルン放送合唱団

指揮: ラファエル・クーベリック
演奏: バイエルン放送交響楽団

   ベトルジーハ・ヤナーチェク(オルガン)

録音: 1963年


(しみずたけと) 2023.8.3

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やっぱりライブは凄いのか?


 録音された音楽には、ジャンルを問わず、ライブとそうでないものがある。ライブとは、読んで字のごとく、コンサートなどの生演奏の録音。そうでないものは、満足いくまで何回も録りなおしが効く、いわゆるセッション録音と呼ばれるものだ。ホールの場合もあれば、スタジオを使うこともある。

 ライブ録音は、演奏会の記録とほぼ同義語だから、ミスはミスのまま、演奏の傷として残る。それに対し、録りなおすことができるセッション録音は、楽譜どおり、作曲家の意図を忠実に反映したり、演奏者の解釈をより正確かつ洗練された形にすることができるという点で、理想に近いのかもしれない。その一方で、なにやら人工的な、作りものっぽい印象が拭いきれないところもある。

 たとえばクラシックの交響曲を考えてみよう。一時間近く要する全曲をノー・ミスで演奏しきるのは大変なことだ。その中で、音をはずしたとかではなく、ある楽器にもう少しだけ音量があった方が良い、リズミカルな歯切れ良さが欲しい、全体的にほんのちょっとテンポを速めたい、反対に落としたいなどということが起きてくる。聴衆にしてみれば、「それでどう違うのか」「どっちでもいいではないか」かもしれないが、指揮者もオーケストラの団員もアーティストである。演奏会は聴衆のためだが、音楽は自分たち自身のためでもある。だから妥協点は恐ろしく高い。その交響曲の録音を商品として残す以上、納得のいくものにしたいという思いがあって当然であろう。

 だから楽章ごとに別々に収録する。不満があれば録りなおす。あるいは何回か演奏し、いちばん良い楽章同士をつなぎ合わせるということもおこなわれる。いわゆる“編集”という作業だ。傷のない演奏にこだわったカラヤンなどは、より細かい編集にこだわったという。デジタル録音時代の今日、音の調節などを含め、編集はより精密に、容易にできるようになった。作りもの感も払拭されるようになるのかもしれない。それでは、ライブ録音にはどのような意味があるのだろうか。

 音楽は、間違いがないことだけが価値を左右するわけではない。ミスがあっても素晴らしい演奏というのは、確かに存在する。一期一会、白熱のライブなどという表現がある。アーティストと聴衆、ステージと客席の間を行き交う熱気というものは目には見えないし、数値化もできない。拍手にブラボー、ブーイングや足踏みも、デシベル換算すれば同化してしまう。数値に置き換えることのできないものでさえ評価の対象として捉えることができる、そこが人間の凄いところだ。このあたりは、今のAIが及ばない領域だろう。

 私はライブ録音もセッション録音も、どちらも認めたい。前者の一回性と後者の完成度は、そもそも次元が違うものなのだから、くらべる必要もないのではないのか。どちらが好きか、聴きたいのはどちらか、私にとって重要なのはそれだけである。

 同じ曲、同じ指揮者、同じオーケストラで聴きくらべてみたらどうであろうか。ここに二つの《マーラー交響曲第5番嬰ハ短調》がある。どちらもラファエル・クーベリック指揮によるバイエルン放送交響楽団の演奏。ひとつは1971年のセッション録音、もうひとつは1981年のライブ録音である。10年の時間差があるが、あなたが好きなのはどちらか、いま聴くとしたら、どちらを選ぶか。人それぞれで良いし、毎回違ってもかまわない。音楽の“一回性”というものは、いつでも、どこでも存在するし、もちろんここにもあってしかるべきである。

 この曲については、だいぶ前になるが、カラヤンとベルリン・フィルによる演奏を紹介した。ワルター、クレンペラー、バーンスタイン、ショルティ、バルビローリなどを愛聴する人にとっては、やや異質な、変化球的なものに感じられたかもしれない。いや、むしろそれを狙ってのチョイスだった。しかし、クーベリックとバイエルン放送交響楽団のそれは、まさに正統派、ど真ん中の直球と言って良いだろう。マーラー特有のユダヤ的な情緒もなければ、マーラーゆかりのウィーンの華やかさとは別物の、マーラーとクーベリックが共有する故郷ボヘミアの薫りを存分に味わえる演奏となっている。

::: CD :::

1)セッション録音盤

指揮:ラファエル・クーベリック
演奏:バイエルン放送交響楽団
録音:1971年

 

1)ライブ録音盤

指揮:ラファエル・クーベリック
演奏:バイエルン放送交響楽団
録音:1981年


(しみずたけと) 2023.7.31

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