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アントン・ブルックナー(1824~96年)について、オーストリアの田舎町リンツに生まれたこと、敬虔なカトリック教徒で、教会オルガニストとして、また宗教音楽の作曲家として高い評価を得たこと、ウィーンに出てからは交響曲作曲家として名をなしたこと、リヒャルト・ワーグナー(1813~83年)の影響を受けたこと、作品については稿と版の問題があること、そのようなことをつらつら書いてきた。
ブルックナーは、ワーグナーを尊敬する一方、同時代を生きたヨハネス・ブラームス(1833~97年)とは対立関係にあったという。これもまた、ワーグナーの存在ゆえんだろう。ブラームスは、ベートーヴェンの流れをくむ絶対音楽に軸足を置いていた。一方、ワーグナーの楽劇は標題音楽そのものである。ストーリー・テラーとしての音楽に対する姿勢の違いだろうか。
ブルックナーの音楽は、音楽そのものだけではない“何か”を取り込もうとしたのだと思う。ワーグナーの音楽が“物語”との二人三脚だとするなら、ブルックナーのそれは、神への畏怖、感謝の祈りと言った宗教的な要素、音楽プラス・アルファを含んでいる。両者の間の共通点はそこだろうか。つまり、ブラームスは音楽の“深化”を目指し、ブルックナーはワーグナー同様、音楽の可能性と人間との関係を広げようと“新化”を図ったのではないかと。
ブルックナーとブラームス、どちらが正しいとか、どちらが優れているというものではない。こうした音楽の多様性が私たちを楽しませ、心を豊かにしてくれているのだから。ブルックナーの九つの交響曲の中で、題名を与えられたのは第3番『ワーグナー』と第4番『ロマンティック』である。第3番の方は、ワーグナーに献呈したからであって、純粋に標題と言えるのは第4番だけと言っても良かろう。そう考えると、ブルックナーの第3番、第4番以外の交響曲の中にある絶対音楽以外の要素とは何であろうか。彼の教会音楽との関連を探る、演奏者や聴き手に委ねるということなのだろうか。
九つの交響曲には、もちろん何らかのつながりがあるのだが、後期の作品になるほど様相は変わっていく。ブルックナーの作品がどのようなものであるか、どう変遷していったのか、読むだけではピンと来ないであろう。まして私の駄文で伝わることなど、たかがしれている。音楽を受け取るために最も重要なのは、まず自分の耳で「聴くこと」なのだから。
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折しも夏休み。時間はたっぷりある。この際だから、1番から9番までの交響曲を一気に“まとめ聴き”してみることにした。稿とか版などはこだわらず、しかしブルックナーを得意とする指揮者のオールスター出演でいこうと思う。そのため、これまでにとりあげたセルジュ・チェリビダッケ、ジョージ・セル、エリアフ・インバル、ヘルベルト・ブロムシュテットの四人による演奏は、後ろ髪を引かれながらも、あえてはずすことにした。そこでとりあげたのが、
第1番 クラウディオ・アバド(1933~2014年)
第2番 ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908~89年)
第3番 ゲオルク・ショルティ(1912~97年)
第4番 クルト・ザンデルリンク(1912~2011年)
第5番 ルドルフ・ケンペ(1910~76年)
第6番 オットー・クレンペラー(1885~1973年)
第7番 カルロ・マリア・ジュリーニ(1914~2005年)
第8番 ハンス・クナッパーツブッシュ(1888~1965年)
第9番 エフゲニー・ムラヴィンスキー(1903~88年)
となった。この中でブルックナーの交響曲を全曲録音しているのはカラヤンとショルティだけだが、他の七人も選集とでも呼べるような複数の交響曲を録音しているブルックナー精通者である。レコーディングというのは、指揮者、オーケストラ、レコード会社の三者が協調しないとできない。指揮者の嗜好以上に、レーベルとの契約関係、レコード会社の販売戦略、プロデューサーの能力などに左右されるものだ。全曲録音があったならと思う人は少なくなかろう。
以前、マーラーが得意な指揮者とブルックナーが得意な指揮者は別な感じがすると書いたことがある。ショルティと言えば、真っ先にマーラーを思い浮かべるのだが、全集録音するほどブルックナーにも力を入れていたことに気づかされる。クレンペラーとジュリーニはマーラーも得意にしていた。やはりマーラーを得意にしていたアバドはどうか。私が知るかぎり、第1番を三回も録音しており、演奏もすばらしい。大手レーベルとの関係も良好だったのに、なぜ彼はブルックナー全集を制作しなかったのであろうか。いずれにせよ、マーラーが得意な指揮者とブルックナーが得意な指揮者に別れるというのは、どうやら私の思い過ごしだったようだ。
今回選び出した九枚のディスクを眺めてみると、ベートーヴェンやブラームスなど独墺系の音楽に強い人たちであるという共通点がある。ブルックナーとブラームス、演奏家にとってわだかまりはなさそうである。ブルックナーの交響曲第4番の冒頭とブラームスの交響曲第1番の第4楽章、どちらもホルンが森の中を思わせる。二人の原風景に共通するものがあるに違いない。同じ時代の同じ地域なのだから、あながちうがった見方ではないと思うのだが。
ブルックナーの音楽は深い森とか高原にいるような気にさせられる。霧が濃くなったり薄くなったりする中、苔むした冷たい岩に腰を下ろし、鳥の囀りのような木管、木霊のように響く弦、風にそよぐ木の葉のざわめきを思わせる弦の震えるようなトレモロを聴きながらまどろんでいると、高らかに鳴る金管が日の出を告げる…。猛暑の中、少しは涼しさを感じられるかもしれない。
1)交響曲第1番ハ短調〈リンツ版〉

数多くの名盤を残したアバドだが、なぜかブルックナーの録音は多くない。マーラーにくらべ、いくぶん影が薄く感じられる。このブルックナーの第1番は、30代後半の録音と最晩年のそれはさまれた二回目のもの。円熟期にあったアバドの最高の録音のひとつと言えよう。大きな室内楽のように明晰なアンサンブルは、彼のオーケストラ美学であり、斬新なブルックナー解釈である。明瞭で美しいウィーン・フィルの響き、特に明るさと暖かさを兼ね備えているところが、いかにも知的なアバドらしい。
指揮:クラウディオ・アバド
演奏:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1996年(ライブ)
2)交響曲第2番ハ短調〈ノヴァーク版〉

オールラウンドプレーヤーの印象があるカラヤンだが、彼の音楽の主軸はやはり独墺系の作品であったと思う。あるインタビューで、「ブルックナーの交響曲全篇がひとつの拍動に貫かれている」と語った通り、スコアの指示以外はテンポを動かさずに演奏している。音楽は美しく流れ、味わい豊かだ。ベルリン・フィルを清らかで力強く歌わせながらも、甘美に流されることがない。むしろ引き締まった響きと落ち着いたトーンを響かせる。指揮者とオーケストラ、真摯な両者によるクライマックスはすべてが解放されたかのような広がりを見せて輝き、ブルックナー特有の雄大さを感じさせるものだ。
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
演奏:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1980年
3)交響曲第3番ニ短調〈ノヴァーク版〉

ショルティとシカゴ交響楽団という最もパワフルな演奏を聴かせるコンビによる演奏である。ショルティの名で思い浮かぶのはマーラーとワーグナーかもしれないが、ベートーヴェンやブルックナーはもっと評価されてしかるべきだろう。この第3番は、ワーグナーの影響がもっとも顕著に表れた作品であるから、ワーグナーとブルックナーの共通性を感じるためにも、ワーグナーを得意にしたショルティの演奏で聴いてみてほしかった。
指揮:ゲオルク・ショルティ
演奏:シカゴ交響楽団
録音:1991年
4)交響曲第4番変ホ長調『ロマンティック』〈ハース版〉

ザンデルリンクはベートーヴェンやブラームス、ブルックナーなど、ドイツの古典派からロマン派を得意とした指揮者であったが、シベリウスやマーラー、ショスタコーヴィチといった作品にも優れた演奏を残している。やや残念なのは、活動の中心が東欧圏だったため、大手レーベルに属さず、良い録音が少ないことだ。演奏ミス、ホールの特性、客席の雑音、録音技術の問題など、ライブ盤というのは玉石混交なのだが、これは相当の逸品ではかなろうか。名門バイエルン放送響を、深々とした呼吸感とゆったりとしたテンポで渋く、美しく響かせる。
指揮:クルト・ザンデルリンク
演奏:バイエルン放送交響楽団
録音:1994年(ライブ)
5)交響曲第5番変ロ長調〈原典版〉

ケンペはベートーヴェン、ブラームス、ワーグナー、リヒャルト・シュトラウスなどに優れた録音を残した名匠であったが、とりわけ彼のブルックナーは必聴のスタンダードと言って良いであろう。楽譜に記載された文字や記号に従うだけのスタイルとは一線を画す、豊かな生命力を宿した音楽を聴かせてくれる。このブルックナーの第5番も、雄大なスケールと瑞々しい音楽の流れ、静と動の美しい対比を見せる演奏だ。ミュンヘン・フィルは、ベルリン・フィルとはまた違った贅肉のない質実剛健な音響で、森と高原の空気を思わせるブルックナーらしさに満ちている。
指揮:ルドルフ・ケンペ
演奏:ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1976年
6)交響曲第6番イ長調〈ハース版〉

多くの人が抱くブルックナーのイメージは、重厚で荘重、宗教的厳粛さといったところだろう。しかしこのクレンペラーとニュー・フィルハーモニア管による第6番には、そうした重さがなく、むしろとても軽やかでリズミカルだ。ブルックナーが55歳の時の作品だが、まるで青春の只中にいる夢見がちな若者のような明るさがあって、ふとマーラーの第1番を思わせる。この滑らかで明るいブルックナーを聴かせるのが、当時80歳近いクレンペラーなのだから、ただただ恐れ入ってしまうではないか。
指揮:オットー・クレンペラー
演奏:ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
録音:1964年
7)交響曲第7番ホ長調〈ノヴァーク版〉

ジュリーニがウィーン・フィルを指揮するようになったのは比較的晩年になってからである。それだけに、非常に円熟味のある演奏を残している。このブルックナーも、その典型的な名演のひとつであろう。ウィーン・フィルという名門オーケストラから壮大で奥行きの深い響きを引き出せる指揮者は決して多くない。ジュリーニは、それが可能な希有な一人であったと思う。ブルックナーの音楽が天上の調べを思わせるのは、実は宗教とは違った意味での壮大な宇宙的響き…、そんなことを感じる。
指揮:カルロ・マリア・ジュリーニ
演奏:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1986年
8)交響曲第8番ハ短調〈1892年シャルク版〉

クナッパーツブッシュは、ワーグナー指揮にかけてはショルティと並ぶ、いや、クナッパーツブッシ以上のワーグナー指揮者はおいそれと現れそうにないが、ブルックナーもまた彼の得意中の得意であった。やはりワーグナーとブルックナーに何らかの深い共通性があるのだろうか。この第8番も、その音楽の巨大さで高い評価を得てきたものである。問題があるとすれば、ハース版でもノヴァーク版でもない改定版を使っている点だろう。既に校訂版があり、演奏に際して使われていたのに、なぜクナッパーツブッシュは改定版の使用にこだわったのであろうか。
指揮:ハンス・クナッパーツブッシュ
演奏:ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1963年
9)交響曲第9番ニ短調〈原典版〉

未完に終わった第9番だが、研ぎ澄まされ、非常に高い純度で広がりを見せるところは、ブルックナーが最後の最後に到達した成果なのだろう。純化された彫りの深い構築が、古典派音楽の完成形であるベートーヴェンを連想させる。ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルは、そうした表現そのものと響きを極限まで磨き上げることにかけては右に出るもののないコンビであった。激しく、しかし隙の見当たらない演奏が、この作品の美を余すことなく描き出している。
指揮:エフゲニー・ムラヴィンスキー
演奏:レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1980年(ライブ)
(しみずたけと) 2025.8.23
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