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アントン・ブルックナーの『テ・デウム』と交響曲第3番を紹介したときに思ったことを少し書いておきたい。
ブルックナーは1824年、オーストリアはドナウ河畔の街であるリンツ郊外のアンスフェルデン村に生まれた。昨年は生誕200年ということになる。リンツは首都ウィーンから約150キロの距離。東京から100キロ圏の水戸、宇都宮、高崎、甲府よりやや遠く、静岡くらいに位置すると思えば良いだろうか。父親は学校教師だが、ヴァイオリニスト、オルガニストでもあった。母親は地主の娘というから、そこそこの生活ができた家庭であったと思われる。
音楽の手ほどきは父親からだが、その父親が12歳の時に他界。ブルックナーは聖フローリアン修道院に合唱児童として受け入れられた。彼の音楽が教会と密接なつながりを持つのは、教会のオルガニストだったこともあるが、そもそも出発点が教会だったからにほかならない。作品の多くが教会音楽、すなわち宗教曲であるのも、ごく自然な成りゆきだった。
鉄道も高速道路もない時代、ウィーンからたった150キロの距離とはいえ、リンツは完全な農村、まごうことなき田舎町だったはずである。ウィーンはハプスブルク家が支配するオーストリアの帝都であり、パリやロンドンと並ぶ文化の都、いや、それらを凌駕する世界の中心のようなところだった。別世界のような大都市に出てきたブルックナーはさぞかし面食らったに違いない。彼は何を感じただろうか。
故郷とは比較にならない街の豪華さか、それとも騒がしさか。取り引きにあくせくする商人、政治家の権謀術数、社会も経済も国家間の関係も、すべてが富の配分を巡ってピリピリ。音楽文化も芸術も、流行ればチヤホヤされ、そうでなければ批判の嵐。質素だが温かな田舎とは対極の環境は、彼にとってプラスだったのか、それともマイナスに作用したのか。自分が田舎者であるとのコンプレックスは、多少なりともあったようではある。
習作の交響曲 ―今日それは交響曲第00番と呼ばれているのだが― が作られたのが1863年、40歳を目前にしてのことである。これ以降、ブルックナーの作曲活動は交響曲が中心になっていく。彼の交響曲は宗教的であると言われたりするが、教会音楽から絶対音楽へのシフトが音楽史で言うところの〈古典派〉とするなら、〈ロマン派〉に属する彼は一昔前の古典派シフトを地で行ったということになろうか。そうでありながら、その交響曲の中には宗教的要素が見え隠れする。
教会オルガニストの経験豊かなブルックナーは、教会音楽の作曲家として既に高い評価を得ていたにもかかわらず、創作活動の中心をあえて未知の交響曲分野に移した。ウィーンという街が求めるのは教会音楽ではなく交響曲…、そういうプレッシャーがあったのかもしれない。そのことへの不安とか迷いこそが、彼と神(内なるブルックナー自身)との対話だったのではあるまいか。だからこそ、対話すればするほど、その都度異なる答えに行き着き、それが稿の修正につながったのではあるまいか。そんなことも思うのである。
熱心なカトリック教徒であったことは、後にブルックナーの音楽に影を落とすことにもなった。たとえばジェンダー。ご存じのように、カトリックの神父をファーザーと呼ぶ。女性は司祭になれないのだ。ローマ教皇も、教皇を選ぶ枢機卿も、みな男性でなければならない。世界最古の家父長制と言われたりもする。この意味では、カトリックもまだ近代化の途上にあると言って良いであろう。そうした前近代性から抜け切れていない、洗練されきっていない、そういう視点である。
ブルックナーの時代のカトリックはユダヤ教と対立関係にあり、一部は反ユダヤ主義の温床となっていた。第二次大戦末期から戦後にかけて、ナチスの戦犯がウィーン経由でカトリック教徒の多い中南米に逃れたのだが、その逃亡ルートである〈ラットライン〉を支えたのがヴァチカン(教皇庁)だったのである。しかしそれも過去のこと。今日のヴァチカンがイスラエルに対して批判的な立場をとるのは、反ユダヤ主義などではなく、あくまでもパレスチナに対する政治・軍事のあり方であり、人道的な理由である。人道に背を向けた今日の反動的傾向は、教会などの宗教よりもむしろ政治や社会の方ではないだろうか。欧州で、米国で、そしてここ日本でも…。
さて、ナチスがワーグナーを好んで利用したことはつとに有名であるが、それはむしろブルックナーの方が著しいかもしれない。彼は生前から「ドイツ的」作曲家と見なされており、作品のそこここにちりばめられたコラールなどの讃歌、それは教会音楽ならごく普通のことでしかないのだが、その記念碑的性格を帯びた響きがナチスの文化政策に取り込まれる結果となったのである。
ワーグナーの音楽はオペラ作品で、その視覚や物語性を伴う点に利用価値があったのとは対照的に、目に見えないがゆえに、いかようにも解釈できる、こじつけすら可能な純粋な音楽であることにつけ込まれたのだ。既に鬼籍にあったにもかかわらず、ブルックナーは第三帝国を代表する音楽家のひとりに祀りあげられ、宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルス(1897~1945年)のプロパガンダに利用されたのである。ゲッベルスは演説の中で、ブルックナーの原典を校訂するための作業の資金として、国際ブルックナー協会に対し政府が多額の寄付をすることを示唆していた。戦後、ブルックナーの楽譜の校訂作業をしていたローベルト・ハース(1886~1960年)が、ナチスとの関係を問題視されて職を追われた理由は、まさにここにある。
もしブルックナーが現代社会に生きていたなら、はたしてどのような音楽を生み出したであろうか。彼のことだから、神との対話すなわち自我の追求をないがしろにし、目先の損得や利害関係にばかり執心する人々を理解しようとして惑い、悩み、いっそうの苦悩を背負って生きることになったのかもしれない。
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「人々が日々迷いや悩みの中に生きる時代だからこそブルックナーが求められている」。そう言ったのはスウェーデンの指揮者ヘルベルト・ブロムシュテット(1927年~)ではなかったろうか。ブルックナーのように自分と向き合え、自問自答せよ、他人との対話は自我の確立を前提としなければならない、そう言われたような気がする。この言葉をかみしめ、彼とシュターツカペレ・ドレスデンによる演奏を聴くことにしよう。
ブロムシュテットのブルックナーは実に素晴らしい。どのオーケストラを指揮しても素晴らしいのだが、私はシュターツカペレ・ドレスデンとの録音が好きだ。金管楽器群が高音を奏でるとき、金属的な音を響かせることが多いのだが、このオーケストラにはそれがまったくない。そうかと言って、地味とかくすんだ音というのでもない。いぶし銀というのともちょっと違う。なぜ第4番と第7番しかないのか、なぜこのコンビでブルックナーの全交響曲を録音してくれなかったのか、惜しむ声は少なくない。
1)交響曲第4番変ホ長調『ロマンティック』〈ノヴァーク版〉

指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
演奏:シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1981年
2)交響曲第7番ホ長調〈ノヴァーク版〉

指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
演奏:シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1980年
(しみずたけと) 2025.7.30
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