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「ベラ・チャオ」というイタリアの歌がある。原題は“Bella ciao”だから、直訳すると「恋人よ、さらば」なのだろうが、わが国では一般的に「さらば恋人よ」で通っている。まあ大きな違いがあるわけではなし、今回はこれに倣うことにしよう。
あれは去年の今頃。こぎつねの森の家が主催した《関東大震災 追悼芸能100年祭》に足を運んだ。とても楽しかったのだが、あいにく自分たちの平和パネル《この町にも戦争があった!》展の最終日と重なり、展示物撤収のためにやむなく途中で退出。実に残念だった。後で聞いたのだが、参加者のひとりSさんが、この「さらば恋人よ」を歌ったとのこと。ますます残念。Sさんの歌唱で聴くことができるのはいつになるかわからないので、手持ちのCDでお茶を濁すことにした次第。
この「さらば恋人よ」だが、作詞も作曲も不詳、しかし世界中のアーティストによってカバーされて有名な歌なのだ。イタリア語はもちろん、各国語で歌われている。英語、フランス語、スペイン語、ドイツ語、ハンガリー語、デンマーク語、ノルウェー語、フィンランド語、エスペラント語、ロシア語、ウクライナ語、セルビア語、スロベニア語、クロアチア語、トルコ語、アラビア語、ペルシア語、中国語、タイ語、タガログ語…。他にもっとあるかもしれない。
実はこの歌、第二次大戦中、ファシズムに抵抗し、ナチス・ドイツの占領と戦うイタリアのパルチザンたちによって歌われていたものなのだ。“ある朝目覚めて…”で始まる日本語版もある。ブルトン語、カタルーニャ語、クルド語、チベット語など、少数民族や特定の地域の言葉があるのは、これが自由の讃歌だから。以前紹介した「不屈の民」と同様、圧政や不当な支配への抵抗の歌として、今日も世界中で歌い継がれている。
Bella ciao
さらば恋人よ
Una mattina mi sono svegliato,
O bella ciao, bella ciao,
bella ciao, ciao, ciao,
Una mattina mi sono svegliato,
trovato l’invasor.
ある朝目覚めると
おゝ恋人よ、さらば、いざさらば
ある朝目覚めると
そこに侵略者がいた
O partigiano portami via,
O bella ciao, bella ciao,
bella ciao, ciao, ciao,
O partigiano portami via,
Che mi sento di morir.
おゝパルチザンよ、連れて行くがいい
おゝ恋人よ、さらば、いざさらば
おゝパルチザンよ、連れて行くがいい
俺もいずれ死ぬのだから
E se io muoio da partigiano,
O bella ciao, bella ciao,
bella ciao, ciao, ciao,
E se io muoio da partigiano,
Tu mi devi seppellir.
パルチザンとして死んだなら
おゝ恋人よ、さらば、いざさらば
パルチザンとして死んだなら
葬ってくれたまえ
Mi seppellisci lassù in montagna,
O bella ciao, bella ciao,
bella ciao, ciao, ciao,
Mi seppellisci lassù in montagna,
Sotto l’ombra di un bel fior.
俺を山中に埋めてくれ
おゝ恋人よ、さらば、いざさらば
俺を山中に埋めてくれ
美しい花の下に
Tutte le genti che passeranno,
O bella ciao, bella ciao,
bella ciao, ciao, ciao,
Tutte le genti che passeranno,
Mi diranno «che bel fior!».
道ゆく人々はみな
おゝ恋人よ、さらば、いざさらば
道ゆく人々はみな
なんと美しい花! そう言うだろう
E questo è il fiore del partigiano,
O bella ciao, bella ciao,
bella ciao, ciao, ciao,
E questo è il fiore del partigiano,
Morto per la libertà.
それこそパルチザンの花
おゝ恋人よ、さらば、いざさらば
それこそパルチザンの花
自由に殉じた者の花なり
ナポリ民謡や歌劇のアリア以外で、わが国でこれほどにまで知られているイタリア語の歌は他にあるだろうか。しかしこの歌、もともとは別の歌であった。ポー川流域の米作地帯であろうか、農作業に携わる小作人の若者の思いを歌うものである。日々の労働の辛さを歌う嘆き節ではあるが、ただ嘆くだけではなく、未来を信じるところに希望の光がある。パルチザン版の替え歌の方が有名になってしまったきらいがあるが、もと歌の歌詞を書き出しておこう。元歌と替え歌、どちらも伝承歌ゆえ、歌詞にばらつきがある。そこだけお断りしておく。
Bella ciao
さらば恋人よ
Alla mattina appena alzata
o bella ciao bella ciao
bella ciao, ciao, ciao
alla mattina appena alzata
in risaia mi tocca andar.
朝目が覚めた
おゝ恋人よ、さらば、いざさらば
朝目が覚めた
田んぼに行かなけりゃ
E fra gli insetti e le zanzare
o bella ciao bella ciao
bella ciao, ciao, ciao
e fra gli insetti e le zanzare
un dur lavoro mi tocca far.
虫や蚊に囲まれ
おゝ恋人よ さらば、いざさらば
虫や蚊に囲まれ
仕事が待っている
Il capo in piedi col suo bastone
o bella ciao bella ciao
bella ciao, ciao, ciao
Il capo in piedi col suo bastone
e noi curve a lavorar.
鞭を手にした親方がいる
おゝ恋人よ、さらば、いざさらば
鞭を手にした親方がいる
さあ、つらい仕事に取りかかろう
O mamma mia o che tormento
o bella ciao bella ciao
bella ciao, ciao, ciao
o mamma mia o che tormento
io t’invoco ogni doman.
おゝなんて辛さだ
おゝ恋人よ、さらば、いざさらば
おゝなんて辛さだ
毎朝君の名を口にする
Ed ogni ora che qui passiamo
o bella ciao bella ciao
bella ciao, ciao, ciao
ed ogni ora che qui passiamo
noi perdiam la gioventù.
時間だけが過ぎてゆく
おゝ恋人よ、さらば、いざさらば
時間だけが過ぎてゆく
青春が褪せてゆく
Ma verrà un giorno che tutte quante
o bella ciao bella ciao
bella ciao, ciao, ciao
ma verrà un giorno che tutte quante
lavoreremo in libertà.
いつかきっとくる
おゝ恋人よ、さらば、いざさらば
いつかきっとくる
自由の中で働ける日が
イタリアに関する誤解
イタリアとかイタリア人と聞いて何を連想するだろうか。ローマやベネチアの街、アルマーニのスーツにグッチのバッグ、それともフェラーリのようなスーパーカーか。観光とかショッピングしか思いつかないとしたら、いささか情けない話だ。あるいはルネッサンスの絵画や彫刻、イタリア歌劇か。イタリアは芸術の国だが、それだけでもない。イタリア人はアモーレ(愛する)、マンジャーレ(食べる)、カンターレ(歌う)を大切にするといわれるが、それらの行為は自由の象徴であって、快楽だけを求める軟弱で極楽とんぼのような国民性だと思ったら、とんでもない勘違いである。
ふと子ども時代のことを思い出した。小学校にあがったばかりのことである。日本が敗戦国だということは聞かされていた。ドイツ、イタリアと組んでいたことも知っていた。「なぜ負けた?」「イタリアが弱かったから」、そんな会話も交わされていた。第二次大戦の歴史を勉強したわけでもない小学生がそういうのは、たぶん大人がそういう話をしており、それを耳にしたからだろう。いつの間にか子ども心に「強いのは日本とドイツ。イタリアは弱っちい」という先入観が刷り込まれていく。日の丸のハチマキはともかく、ハーケンクロイツのワッペンを付けたがる者はいても、黒シャツ隊のシンボルを付けている者は見たことがない。そんなわけだから「次は日本とドイツだけでやろうな」などとしたり顔で口にする子どもらがいたわけだ。「イタリア抜きで…」ということである。
ここ《音楽ライブラリー》に何度も登場している指揮者のカルロ・マリア・ジュリーニ(1914~2005年)は、軍に招集されクロアチア戦線に送られるのだが、人に向かって発砲することはなかった。ファシズムとムッソリーニに強く反対する徹底的な平和主義者だったのである。やがて軍役を逃れ、戦争が終わるまで隠れ住んだ。街の至る所に「ジュリーニを見つけたら殺せ」のポスターが貼り出されたという。
自由のために戦った二人のレジェンド
まずはリカルド・カシン(1909~2009年)。私の世代のクライマーなら誰もが知る山のスーパースターである。登った2500もの岩壁・氷壁のうち、100は未踏ルートだった。1937年、高距800mを超すピッツ・バディレ北東壁を初登攀、翌年には欧州アルプス三大北壁で唯一残されていた課題のグランドジョラス北壁の初登攀に成功。登山の世界に不朽の名を残した。
1954年、イタリア山岳界が総力をあげて送り出した登山隊が世界第二位の高峰K2登頂に成功。登攀隊長として加わるはずだったカシンだが、総隊長アルディト・デジオ(1897~2001年)によって遠征隊のメンバーから外されてしまう。登山経験があるとはいえ、デジオは地質学者。比類なき登山の実績を誇るカシンを疎ましく思ったのであろう。1958年、カラコルム山脈のガッシャブルムⅣ峰7925mの遠征隊長として、カシンはワルテル・ボナッティとカルロ・マウリの二隊員を登頂させる。1961年にはアラスカのマッキンリー6190m(デナリ)に未踏の南稜から新ルートを拓いた。カシン・リッジと呼ばれ、今日でも第一級の難しい登攀を強いられることで知られている。1969年にはアンデス山脈ワイワッシュ山群のヒリシャンカ西壁の初登攀と、世界中に足跡を残しているわけだが、驚くべきは1987年、自身が初登攀したピッツ・バディレ北東壁を78歳にして再登してみせたことだろう。
そのカシンがパルチザンのリーダーだったことはあまり知られていない。第二次大戦が始まった頃、イタリア人の多くはファシスト党員だった。彼もそのひとりだったが、ナチス・ドイツと組むことに反対し、党員証を破り捨ててパルチザンに身を投ずる。イタリアとオーストリア国境の山々の岩壁には、山岳パルチザンが偵察や連絡、物資輸送に使った、鉄の杭に架けられた鎖や梯子を伝いの道《ヴィア・フェラータ》、その名の通り“鉄の道”がある。今日ではちょっとしたアドベンチャー気分を味わえるアウトドア・レジャーの場で、高所恐怖症の人には勧めないが、安全は確保されているから心配は無用。カシンたちも通った空中散歩で山岳パルチザン気分も味わうのも悪くないだろう。
戦争末期の1945年4月26日、ロンバルディア州レッコの街で、カシン率いるパルチザン部隊はオーストリア方面に逃走を図ったドイツ軍と鉢合わせする。激しい市街戦が繰り広げられ、ガリバルディ広場の戦闘では、ピッツ・バディレ北東壁初登攀時のザイル仲間であるヴィットリオ・ラッティを失うことになった。翌日は15人で、コモにいるムッソリーニと合流しようとフィレンツェから移動してきたファシスト黒旅団の一分隊を含む150人との戦闘になり、白旗を揚げさせた。腕と顔を負傷したカシンは後に軍功十字勲章を授与されている。
次なる人物は自転車界のレジェンド、ジーノ・バルタリ(1914~2000年)。1935年、プロの自転車競技選手になった彼は、その年の《イタリア国内選手権》を制する。自転車ロードレースといえば《ツール・ド・フランス》が有名だが、それに劣らぬ格式のレース《ジロ・デ・イタリア》の山岳賞も獲得。デビューしてすぐさまトップ・アスリートに躍り出たことになる。翌年には《ジロ・デ・イタリア》総合優勝、《ジロ・デ・ロンバルディア》も優勝。
けっきょく《ジロ・デ・イタリア》は1936、37、46年の三度にわたる総合優勝、《ツール・ド・フランス》も1938、48年に総合優勝を飾っている。戦争をはさんだ10年ものブランクを乗り越えてなのだから、これには驚かされてしまう。《イタリア国内選手権》は1935、37、39年に、《ジロ・デ・ロンバルディア》は1936、39、40年に、《ミラノ~サンレモ》は1939、40、47、50年に、それぞれ勝利。
そんなバルタリは、戦争中はどうしていたのだろうか。1938年、ファシスト勢力を嫌った彼は拠点をパリに移していた。第二次大戦の影が近づいた翌年、イタリア・チームは《ツール・ド・フランス》への参加を取りやめ、連覇を目指していたバルタリの夢は潰えた。欧州は自転車ロードレースどころではなくなったのである。レース界から引退同然の身になりながらも、彼は自転車に乗るのをやめなかった。なぜだろうか。
信仰心篤いカトリック教徒だったバルタリは、教会と接触し、ローマ教皇ピウス12世と接見、各地の大司教やフランシスコ会ともつながりを持ち、強制収容所のユダヤ人を救うための活動をしていたのである。トスカーナ州ルッカの修道院などに匿われていたユダヤ人たちを国外に逃亡させるため、身柄引き渡しのための偽造文書を作成する秘密組織が設けられた。その文書に必要な身分証明用の写真を、トレーニングを装ったバルタリが自転車のフレーム内に隠して運んだのである。
レジスタンス運動に賛同し、声明文を送るなど、以前からバルタリはファシストに対する抵抗者たちを支援していた。ファシスト勢力も、それを知らないはずはなかったのだが、なにしろ自転車レースはイタリアの国民的スポーツであり、彼はその英雄だった。迫害したりすれば、熱狂的なファンを抵抗勢力側に追いやり、大暴動にもつながりかねないことを恐れたのである。やぶ蛇にならぬよう、当局は知らぬ存ぜぬを決め込んだ。最善か次善かはわからないが、彼らにとってはそれが厄介ごとを避ける方策だったのであろう。
しかしナチス・ドイツがイタリア国内に駐留するようになると、ユダヤ人への締め付けはいっそう厳しさを増す。バルタリもフィレンツェで何度も尋問を受けることになった。ユダヤ人支援をやめるようにいわれても、彼の思想信条は変わらない。それどころか、逃亡作戦という直接行動にまで拡大していくのだった。ナチスやファシストのユダヤ人迫害がさらに強まる中、1943年にはユダヤ人を改造ワゴン車に乗せてスイス・アルプス方面への逃亡を幇助。トレーニング用品を積んでいると称して検問を逃れたという。
カシンやバルタリが「さらば恋人よ」を歌っていたかどうかはわからない。しかし歌っていたとしても不思議ではない。イタリア人は歌が好きだ。楽しいときも悲しいときも歌う。歌うことが好きなのは、もちろんイタリア人だけではない。戦時中の日本でも、みな歌っていた。古関裕而ら錚々たる面々が作曲する軍歌と呼ばれるものである。祖国防衛のための国民応援ソング、それが軍歌だとすれば、「さらば恋人よ」は何であろうか。イタリアに攻めてくる敵国に対するだけでなく、自国政府との闘いを支えた歌、それがパルチザンの歌としての「さらば恋人よ」である。
イタリア人らは、自由、生活、尊厳を守るために立ち上がった。相手が敵国だろうと、ナチスであろうと、自国のファシスト政権だろうと、自分たちの自由を奪い、生活を破壊し、尊厳を踏みにじろうとする者こそが敵であり、それらと闘ったのである。敵か味方かは、名称や掲げる旗印で決まるものではなく、本質で判断しなければならない。イタリア人たちにはわかっていた。お国のため、天皇陛下のために闘った日本人とは、守ろうとするものが根本的に違っていたのである。
日本で、大切な家族や友人、愛する人を守るために、彼ら・彼女らを死なせることになる戦争を遂行しようとする政府に対して闘いを挑んだ人たちが、はたしてどれくらいいたであろうか。そんな人たちを鼓舞する歌があったであろうか。あの戦争は、闘うべき相手を間違えた悲劇でもあった。
C D
「沼地の兵士の歌」のCD紹介の中でとりあげた『Hannes Wader singt Arbeiterlieder』の4曲目に収録されているのだが、せっかくだから別のCDを3つあげておこうと思う。
(1) Bella Ciao 収録曲

1. La lizza delle Apuane
2. Bella ciao Version Mondina
3. Bella ciao Version Partigiana
4. Povere Filandere
5. Tutti mi dicon Maremma
6. Porta romana
7. Amore, mio non piangere
8. Sant Antonio nel deserto
9. Son cieco e mi vedete
10. Cade l’uliva
11. La lega
12. No mi giamedas maria
13. Stornelli mugellani
14. Mia mamma voeul chi fila
15. O Gorizia
16. La mamma di rosina
17. Addio a Lugano
18. La lizza delle Apuane
Lucilla Galeazzi
Elena Ledda
Ginevra di Marco
Alessio Lega
Andrea Salvadori
Gigi Biolcati
Riccardo Tesi
(2) Bella Ciao – Chansons du peuple en Italies 収録曲

1. La lizza delle Apuane
2. Bella ciao
3. Cade l’uliva
4. Gli scariolanti
5. Tutti mi dicon Maremma Maremma
6. Sciur padrun da li beli braghi bianchi
7. Stornelli mugellani
8. Stornelli Ciociari
9. Sant Antonio nel deserto
10. Lu cacciaturi Gaetano
11. Bel uselin del bosch
12. Pellegrin che vien da Roma
13. Il tragico naufragio della nave Sirio
14. Canto della Pasquetta
15. Mia mamma voeul chi fila
16. El piscinin
17. Amore, mio non piangere
18. Jolicoeur
19. In su monte Gonare
20. Porta romana bella
21. A ‘ttochi, a ‘ttochi,
22. Partire partiro partir bisogna
23. O Gorizia tu sei maledetta
24. Addio a Lugano
25. Son cieco
26. La lega
Sandra Mantovani
Giovanna Daffini
Giovanna Marini
Maria Teresa Bulciolu
Caterina Bueno
Silvia Malagugini
Cati Mattea
Michele L. Straniero
(3) A Sud Di Bella Ciao 収録曲

1. Canti Di Lavoro
2. Bella Ciao a Sud
3. Cu Ti Lu Dissi
4. Des De Mallorca A L’Alguer
5. Canto Dei Sanfedisti (carmagnola)
6. Il Trenino Che Parte E Va
7. Pizzicargia
8. Lu Bene Mio
9. Sa Bellesa
10. Virrineddha
11. Riturnella
12. Lu Rusciu De Lu Mare
13. Sia Maledetta L’Acqua
Elena Ledda
Lucilla Galeazzi
Alessio Lega
Nando Citarella
Maurizio Geri
Gigi Biolcati
Claudio Carboni
Riccardo Tesi
(しみずたけと) 2024.10.30
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