例会報告:今、学校現場は?

例会: 2021年9月25日(土)

9月の例会では、大忙しの現場の中学校教員の方に参加頂き、①コロナ禍での学校の様子(子どもたちや教員の工夫、ご苦労など)②学校での憲法や平和教育の現状などについてお話を聞き、意見交換しました。

  • コロナでの子どもが死亡することは少ないが、生きる力が衰えたり、学校に来られなくなったり、自殺も増えている現状の対応が本当に困難。意見は様々ある。
     
  • 感染防止対策も、学校によって大きく違っている。各学校での工夫で乗り切っている現状。
     
  • 運動会、修学旅行なども、なるべく実施の方向で、各学校で工夫しながら実施している。参加しない子どももいる。
     
  • リモート授業も工夫次第、やり方次第で学びを進めることができる。掲示板ではなどでは名前を知られなくて発言でき有効。しかしリモート授業で今後個人差は出てくるだろう。
     
  • 修学旅行では今年は京都奈良だが、舞鶴に行き平和学習の予定。教員間で考え工夫している。
     
  • 教科書には、憲法も慰安婦問題も掲載されており、教員の工夫次第で子どもたちに伝えることは出来る現状。など現状認識が深まりました。

マーラーの『大地の歌』

グスタフ・マーラー
交響曲『大地の歌』

マーラーの交響曲第5番を紹介した折、冒頭で『大地の歌』に出てくる歌詞の一節に触れた。そのまま放っておくのも落ち着かないので、この曲についても、少しだけ書いてみようと思う。

『大地の歌』は、グスタフ・マーラー(1860~1911年)の9番目の交響曲で、1908年に作られた。ベートーヴェン、ブルックナー、ドボルザークなど、九つの交響曲を残して世を去った先人たちを意識したのだろうか、第8番の後に作曲したこの作品に、マーラーは番号を与えていない。当時の彼は多くの不幸や困難に直面していたが、そのせいだろうか。

この前年、10年にわたって任にあったウィーン宮廷歌劇場(現在のウィーン国立歌劇場)の職を辞し、ほどなくして猩紅熱とジフテリアに罹った長女マリア・アンナを亡くす。その衝撃で、妻アルマは心臓に不調をきたし、病院へ。付き添った彼自身も、そこで病の兆候を指摘された。弟エルンストは心臓水腫に長く苦しみ、幼くして死去。母も心臓をわずらっていた。念のために専門医の診断を仰ぐと、弁膜症だという。

マーラーは山登りやボート漕ぎ、水泳といった運動が好きだった。身体を激しく動かしているときに楽想をつかむのが常だったと伝えられている。ドクター・ストップがかかり、それができなくなった。羽をもがれた鳥の心境だろうか、彼が死を強く意識していたとしても、それほど不思議なことではないだろう。この曲は、常に死を通して生を考えていたマーラーの、現世への告別の辞だったのではあるまいか。

『大地の歌』は、合唱こそ加わらないものの、奇数楽章にテノール、偶数楽章にアルト(またはバリトン)と、声楽を中心に据えたものとなっている。歌詞は、李白らの唐詩をドイツ語にしたもので、ハンス・ベートゲ(1876~1946年)が編纂した『支那の笛』という詩集から7編を選び出し、これに手を入れ、ところどころ自作のフレーズを加えるなどもしている。しかし、83編の詩からなる『支那の笛』も、既に様々な人によって訳されていたものを、ベートゲがかなり自由奔放に焼きなおした、いわゆる翻案に近いものだった。それゆえ、元の詩がどれだったのかを特定するのは容易ではない。いや、あまり意味がないことにも思える。

有名な曲なので、ここでくどくど解説する必要はなかろう。詳細を知りたければ、調べる手がかりはいくらでもあるのだから。書き添えるならば、マーラーの作品は、ほぼ交響曲と歌曲に限定されるといってよく、両者の融合を目指した作品としては最後のものでもあることから、この『大地の歌』こそは、彼の作風の集大成であり、音楽人生の総決算を意図していたように思える。第9、第10交響曲(未完)が後に上梓され、弟子でもあった指揮者のオットー・クレンペラー(1885~1973年)は、「第9が一番偉大だ」と述べている。シンフォニーとしての完成度は、その通りなのだろうが、この『大地の歌』こそが彼の「白鳥の歌」だった、私にはそう思えてならない。

いちおう、各楽章の詩の出自わかっている範囲で)を記しておく。

第1楽章「現世を憂うる酒宴の歌」
李白の「悲歌行」をもとにしたもので、3節とも「生は昏(くら)く、死もまた昏い」という同じ句で結ばれる。

第2楽章「秋の孤独の男」
もとの詩がどれであったか、諸説あるものの、未だ特定にはいたっていない。

第3楽章「青春について」
李白の「宴陶家亭子」をもとにしたもの。

第4楽章「美について」
李白の「採蓮曲」をもとにしたもの。

第5楽章「春に酔う者」
李白の「春日酔起言志」をもとにしたもの。

第6楽章「別れ」
前半が孟浩然の「宿業師山房期丁大不至」、後半は王維の「送別」をもとにしたもので、異なる二つの詩を作曲者自身が結合し、さらに改変とか加味をおこなっており、「永遠に」の句を繰り返しながら消え入るように終わっていく。スコアのこの箇所には「完全に死に絶えるように」との書き込みがあり、当時のマーラーの心境ないし精神状態、さらには思想や哲学が見え隠れするのではなかろうか。

全体の演奏時間は60分程度だが、テノールの歌う奇数楽章の演奏時間より、アルトまたはバリトンによる偶数楽章のそれの方が、いずれも長い。さらに、第6楽章だけは特別に長く、他の5楽章を合わせたのとほぼ同じ時間を要する。このアンバランスさをどう考えたら良いだろう。もしかしたら、作曲者のなんらかの意図が秘められているのかもしれない。


ハンス・ベートゲの『支那の笛』の題名は、あえてそのまま使用した。外国人が中国を、古代王朝の秦(しん)から転じた音で呼び、英語のチャイナ、フランス語のシン、ドイツ語のヒーナ(オーストリアではキーナ)はこれに由来する。1912年に中華民国が成立したが、当時のヨーロッパでは中国という名称は一般化しなかった。わが国でも本書を『支那の笛』と表記しているので、あえてそのまま使うことにした。

『大地の歌』の歌詞については、下記を参照されたい。
須永恆雄(編訳)、『マーラー全歌詞対訳集』、国書刊行会、2014年、ISBN 978-4-336-05763-1。


マーラーが生きた時代

マーラーが生きた19世紀末から20世紀初頭にかけ、西洋は、帝国主義および植民地支配を通して、己とは異なる文明と出会うことになった。中国を中心とした東洋である。それまでの周辺に位置した文化と異なり、完全に西洋と比肩する高度で巨大な文明との遭遇により、文学や絵画、建築など、広範囲な文化が影響を受け、エキゾチズムへの関心が高まった。

人は生き、いつかやがて死ぬ。それは暗く悲しいが、誰も死から逃れることはできない。それでも大地には春がめぐり来て花を咲かせ、新たな出会いと別れを繰り返す。自然に対する挑戦と支配とは違う、自然に身を委ねた無常観、厭世観、諦観…。ベートゲの『中国の笛』もマーラーの『大地の歌』も、そうした流れの上にあるといえよう。

それでは『大地の歌』は、唐詩(の翻案ではあるが)に出会ったマーラーによる、東洋的無常観の可聴化、音符化に過ぎないのだろうか。李白らの詩を、これまでの人生経験に重ね合わせたであろうことを想像するのだが、もっと別の、彼自身の出自にまつわるところにあるなにか、そう思えてならない。

ボヘミア(現在のチェコ)出身のマーラーは、主にオーストリアのウィーンで活躍した。彼は自分のことを「三重の意味で故郷がない人間」という。オーストリアにおいてはボヘミア人、ドイツにおいてはオーストリア人、キリスト教世界においてはユダヤ人、つまり、どこにいても「よそ者」であり、中心ではなく周辺、常に疎外される要素を抱えた存在なのだと。

キリスト教は、ユダヤ教にその根を持ちながら、中世以来、ユダヤ教と対立してきた。いや、キリスト教化された欧州にあって、ユダヤ教とユダヤ人は排除の対象とされてきたのである。19世紀以後、反ユダヤ暴動が活発化し、この頃になると、ロシアや東欧ではポグロム(ユダヤ人に対する集団的迫害)が頻発するようになった。裕福なユダヤ人たちが新天地アメリカを目指したのは、そのためである。ニューヨークにはイディッシュ劇を上演する多数の劇場が作られた。ニューヨークのメトロポリタン歌劇場からの招聘にこたえ、マーラーが渡米した1907年の12月の世相である。

ナチスの台頭は、まだ先になるが、それを予感させる社会が醸成されつつあることを、神経質なマーラーは敏感に感じとったのかもしれない。以前から持っていたユダヤ的汎神論的傾向と、諦観ともいえるような東洋的な自然思想がむすびつき、きわめて独特かつ心に沁み入る情緒的な世界観を、声楽をまじえた壮大なオーケストレーションで描き出してみせたのが、この交響曲イ短調『大地の歌』ではなかろうか。

雑怪奇とも思える現代を生きるものとして、李白の詩にせよ、マーラーの音楽にせよ、現世(うつしよ)に暗さを感じることは少なくない。しかし、死もまた暗いとすれば、われわれの行きつく先はどんなところなのだろうか。天国、極楽浄土、彼岸、パラダイス…、光に満ちた楽園というのは勘違いで、待っているのは暗い冥府、黄泉国なのか。そうであるなら、むしろ無神論者でいる方が、よほど気楽というものだ。だが、マーラーは無神論者などではなかったはずである。その答えが、『大地の歌』にあるとは思わないが、秋の夜長である、じっくり聴いてみることにしよう。

 ::: CD :::

CD化された演奏を2種類だけ紹介しておこうと思う。偶然ではあるが、どちらもマーラーが指揮者を務めたウィーン・フィルによる演奏である。

①ワルター盤

マーラーを得意としたワルター。作曲者と親交があり、『大地の歌』の初演を委ねられただけあって、半世紀以上たってなお、同曲の最高の演奏の一つにあげられるものだ。しかもオーケストラは、ワルターと相性抜群のウィーン・フィル。それにもまして特筆すべきは、独唱の二人だろう。パツァークのニヒルな歌いっぷりは、実にこの曲の性格に合っている。また、早世が惜しまれるフェリアーの数少ない貴重な録音の一つだ。モノラルだが、デッカの優秀な録音技術もあって、今なおワクワクしながら、しかも心安らかに聴くことができる。

指揮:ブルーノ・ワルター
演奏:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
独唱:ユリウス・パツァーク(テノール)

   カスリーン・フェリアー(アルト)
録音:1952年
 MONO

  

②バーンスタイン盤


1966年といえば、バーンスタインがヴェルディの歌劇『ファルスタッフ』を振ってウィーン国立歌劇場に颯爽と登場した年。同時に、マーラーと同じユダヤ人の血を引く彼が、これまたマーラーと縁あるウィーン・フィルとのコンビで『大地の歌』を演奏。ニューヨーク・フィルハーモニックとのマーラーは既に定評を得ていたが、ここでマーラー指揮者としてのバーンスタインが世界的に定着したといっても過言ではあるまい。ワーグナー歌劇のヘルデン・テノールとしても名高いキングの凜々しさ、ドイツ・リートの頂点を極めつつ、オペラまでカバーするフィッシャー=ディスカウの卓越した表現力、二人の格調高い歌唱がすばらしい。

指揮:レナード・バーンスタイン
演奏:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
独唱:ジェームズ・キング(テノール)

   ディートリッヒ・フィッシャー=ディスカウ(バリトン)
録音:1966年


(しみずたけと)

9j音楽ライブラリーに跳ぶ
リンク先は別所憲法9条の会ホームページ

なぜタリバン?

https://tolonews.com/afghanistan-174717
20. Sep. 2021

今回のタリバンによる政権掌握について、メディアは「青天の霹靂」のような報道をしていますが、そんなことはありません。肌で感ずる現地の住民たちにはわかっていたことでしょう。気づかなかったのは、警備厳重な壁の内側でノホホンと過ごしていた大使館員くらいなものです。(逃げ足は速かったけれど)

とにもかくにも内戦を終わらせ、治安を安定させたタリバン。90年代には原理主義による恐怖社会を築くわけですが、はたして今回はどうなるのか? 女性が大学に通うのはOK、しかし男女共学はダメ。思想に影響するので、哲学とか歴史はナシ。学んで良いのは、要するに役立つ実学ということです。就労も、医学とか女子校教員など、きわめて限定的。まぁ、先進国を自称する国でも、英語やコンピューター、コミュニケーション能力に力を入れる大学が増え、政府が文学部など不要と言い出す国もあるのだから、それほど驚くこともないのですが…。

いずれにせよ、タリバン政権に女性閣僚はいないだろうし、いたとしても操り人形に違いありません。そもそも、こうした方針を打ち出したのは“男だけ”の集団です。基本的に、タリバンはタリバン、原理主義であることは変わっていません。そんなことは、アフガニスタンに住む者は、みなわかっていることです。

みんなの嫌われ者のタリバンが武器で国中を席巻? そうではありません。彼らには一定の支持基盤がありました。外国軍による占領状態、それに支えられた腐敗した政権。政権の中枢には、ソ連撤退後の内戦で国中をメチャメチャにした武装集団である軍閥が居座っていました。彼らは原理主義者なので、女性の人権とか民主主義などは、西側世界に対するポーズだけ。内実は、タリバン政権時代と大きく違わなかったのです。外国人ジャーナリストや支援団体にとっては、多少は活動しやすかったのは事実だとしても…。

そんな占領と腐敗の政権にウンザリしていた人たちにとっては、「タリバン時代の方がマシだった」「帰ってこい、タリバン」となるのは不思議でも何でもありません。テロとの戦いを標榜する外国の軍隊による人権侵害、誤爆による民間人死傷。家族や友人を殺された者がタリバンに加入…、そんな例は枚挙にいとまがありません。また、汚職だらけの政権の下、ろくに賃金も支払われない軍や警察の中には、日中はアフガン軍人あるいは警察官、夜はタリバンという者も…。

こうした実状は、アフガニスタンの人々にとっては周知のこと。ただ、国外で生活する基盤もなく、脱出方法もない人たちには、どうしようもなかっただけです。そこへ降ってわいた各国の脱出劇。一縷の望みをかけ、空港に殺到し、飛行機にしがみついたというわけです。あの光景に衝撃を受け、新聞やテレビなどのメディア、インターネットでも話題を集めていますが、じきに忘れ去られることでしょう。なにしろ、私たち日本人には、いや先進国に住む人たちにとっては、“自分に関係ない”ことですから。

沖縄や福島など、国内であっても見て見ぬふりできる日本人にとっては、なおさら…。私たちが対峙しなければならないのは、そうした無意識、無関心、そして無慈悲な人たちであることを忘れてはいけません。


(しみずたけと)

記事「なぜタリバンは復権し得たのか」に跳ぶ

ゼリャニッツァもどき

zeljanica, Bosnian Food ボスニア料理


  

上の写真は、天板ごとオーブン・トースターから取り出したばかりの状態。

ネットで見たところ、パイ皮には「フィロ」というものを作るか購入するらしい。それは手に入るわけもないので、冷凍のパイシートを使った。そして、ほんとうはリコッタ・チーズ、フェタ・チーズ、サワークリームを入れるとのこと。残念ながらこのどれもないので、単にクリームチーズを用いた。酸味を加えるためにレモン汁を少しだけ入れてみた。また、ほうれん草もなかったので、代わりにモロヘイヤを茹でた。

材料(3人前くらい)
  • パイシート 2枚 (1辺が21センチの正方形を使った)
  • クリームチーズ 100g前後
  • 卵 1個 (入れても入れなくても)
  • ニンニク 1片(すりおろしか、みじん切り)
  • ほうれん草(さっと茹でて切る)
  • 塩・こしょう 少々
  • 好みで香辛料(クミンとカルダモンのパウダーを入れてみた)
作り方
  1. ほうれん草はさっと茹でて切っておく(モロヘイヤを使った)。
  2. 具の材料の、クリームチーズ、卵、ニンニクすりおろし、ほうれん草、塩コショウを合わせる。
  3. 焼き型にパイシートを一枚敷く。
  4. パイシートにクリームチーズとほうれん草の具を塗りつける。
  5. もう一枚のパイシートをかぶせる。(本物はこれを繰り返して層にするらしい。)
  6. 所々ナイフをいれて空気穴を作る。(空気穴は作らなかった。)
  7. オーブンなら180℃で、オーブントースターなら高温できつね色になるまで焼く。10分~20分くらいか。

さて、お味はどうだった? 「もどき」版だったから、材料から予想されたとおりの味だった。でも、これ好きなんだ!!

皮は市販のものを使ったけど、気力があれば、自分で作ったほうがおいしいはず。

オリジナルの材料と作り方は以下のURLにてごらんになれます。

https://plaza.rakuten.co.jp/tenukineko/2009/


Ak.  2021.8.22

どこなにキッチンの一覧表へ飛ぶ

9jブログTOPへ

9j別所憲法9条の会ホームページに跳ぶ

ブリテン 戦争レクイエム

平和主義者ブリテンのメッセージ

 英国のベンジャミン・ブリテン(1913~1976年)が1961年に作曲した、管弦楽付きの合唱曲である。レクイエムの原義は、ラテン語で「安息を」という意味で、死者の安息を神に願うカトリックのミサ、死者のためのミサとなり、そこから派生して、ミサに供せられる聖歌となり、現在ではキリスト教の典礼から離れた一般的な「死を悼む曲」や葬送曲まで含むものまでへと広がりを見せている。モーツァルト、ヴェルディ、フォーレのレクイエムが特に有名だが、ベルリオーズ、ブラームス、ドヴォルザークなど、数多くの作曲家が手がけているのも、追悼と癒しをもたらす宗教と、そのための場としての教会、そこに求められたのが音楽だったということなのかもしれない。

 数あるレクイエムの中で、とりわけこの曲がユニークなのは、単に死者の安息を祈るのではなく、明確に第二次大戦による全ての国の犠牲者を追悼する曲だという点だ。フル・オーケストラと室内管弦楽団の二つを背景に、ソプラノ、テノール、バリトンの三人の独唱者、混声八部合唱および児童合唱という大規模な編成を必要とする壮大な作品で、歌詞は、ラテン語のカトリック典礼文のほか、第一次大戦に従軍し、25歳で戦死した英国の詩人ウィルフレッド・オーウェン(1893~1918年)による英語の詩が使われている。そう、この大曲は、戦争の不条理を告発し、恒久の世界平和を願う、ブリテンの魂の叫びなのだ。

 空襲で破壊されたコヴェントリーの聖マイケル大聖堂。1958年、その再建を祝う献堂式に供される楽曲を委嘱されたブリテンは、戦争で対峙し、甚大な被害をこうむった双方の交戦国の歌手を独唱者とすることを、当初から念頭においていた。それがソ連のソプラノ、ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(1926~2012年)、英国のテノール、ピーター・ピアーズ(1910~86年)、ドイツのバリトン、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(1925~2012年)である。三人は快諾したが、当時は米ソを盟主とする東西冷戦体制下、1962年のメレディス・デイヴィスが指揮するバーミンガム市交響楽団による初演に、ヴィシネフスカヤだけは参加することができず、英国のヘザー・ハーパーがソプラノをつとめた。

 初演に先立つ四ヶ月も前のこと、当時のデッカ・レコードのプロデューサーだったジョン・カルショー(1924~80年)は、スコアから作品のすばらしさを一目で見抜き、録音を決意。翌1963年のレコーディングにはヴィシネフスカヤも加わることができた。半世紀以上も前の録音であるが、今なお当演奏の代表盤とされる、それがこのCDである。

 戦争を題材にした小説、詩、絵画、写真、芝居、映画、そして音楽…。そういうものは、確かにある。しかし、銃弾の飛び交う中や空襲のもとで、それを描くことは無理だ。文学も芸術も、平和だからこそ可能なのである。アーティストやミュージシャンが平和のために闘う理由は、まさにそこにあるのだろう。

指揮:ベンジャミン・ブリテン
演奏:ロンドン交響楽団

独唱:ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(ソプラノ)
   ピーター・ピアーズ(テノール)
   ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
合唱:ロンドン交響楽団合唱団、ハイゲート学校合唱団
録音:1963年

(しみずたけと) 2021.8.17


9j音楽ライブラリーに跳ぶ
リンク先は別所憲法9条の会ホームページ