リヒテルの『展覧会の絵』


 ピアノ組曲『展覧会の絵』は、作曲者ムソルグスキー(1839~81年)の死後、遺稿を整理したニコライ・リムスキー=コルサコフ(1844~1908年)が改訂した楽譜で長らく演奏されてきた。しかし、1958年、スヴャトスラフ・リヒテル(1915~97年)がソフィア・リサイタルで原典版を演奏したのを期に、こちらが主流になった…。そのようなことを前に書いた。書いておきながら、リヒテルのCDが見つからないのを理由に、ウラディーミル・アシュケナージ(1937年~)の演奏の紹介でお茶を濁してしまった。

 いや、アシュケナージの演奏に問題があるのではない。この曲の最良の一つとも言えるくらい素晴らしいものだ。しかし、リヒテルの原典による演奏がなければ、アシュケナージ盤も他のピアニストによる録音も、現在とは違うものになったであろう。歴史のターニング・ポイント、記念碑とも言える付加価値を帯びた演奏記録なのである。

 リヒテルは、1915年、ウクライナに生まれた。ウラディミール・ホロヴィッツ(1903~89年)やエミール・ギレリス(1916~85年)など、この国出身の音楽家は多い。ドイツ人だった父親は、1941年、スターリンの粛清によって銃殺に処せられている。モスクワ音楽院に入るが、師のゲンリフ・ネイガウス(1888~1964年)に「天才」と言わしめるほどの完成されたピアニストであったという。亡命を怖れた当局によって国外での活動が認められず、名声は伝わってくるものの、西側諸国では長らく「幻のピアニスト」と呼ばれていた。1958年のソフィアでのリサイタルでその姿を現したというわけである。

 リヒテルは同性愛者だったという。なにも驚くようなことではない。ホロヴィッツ、ベンジャミン・ブリテン(1913~70年)、レナード・バーンスタイン(1918~90年)、マイケル・ティルソン・トーマス(1944年~)など、芸術家に同性愛的指向の人は少なからずいる。LGBTは生産性がない?なにを世迷い言を。ものごとの価値を生産性でしか計れないのは、自らの教養の浅さを告白するようなものである。そういう人は、障がい者も病人も老人も社会に不要な存在と考えているのだろう。ナチズムに通じる恐ろしい思考回路だ。


 ::: CD :::

モデスト・ムソルグスキー
1.組曲『展覧会の絵』


セルゲイ・ラフマニノフ
2.前奏曲 嬰ト長調 作品32の12


フランツ・シューベルト
3.楽興の時 ハ長調 作品94の1 D.780
4.即興曲 変ホ長調 作品90の2 D.899
5.即興曲 変イ長調 作品90の4 D.899


フレデリック・ショパン
6.練習曲 ホ長調 作品10の3《別れの曲》

フランツ・リスト
7.忘れられたワルツ 第1番 嬰ヘ長調
8.忘れられたワルツ 第2番 変イ長調
9.超絶技巧練習曲 第 5番《鬼火》
10.超絶技巧練習曲 第11番《夕べの調べ》

ピアノ:スヴァトスラフ・リヒテル
録音:1958年(ライブ)


(しみずたけと) 2022.10.5

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ストコフスキーと『展覧会の絵』


 ストコフスキー編曲による『展覧会の絵』を聴きたいという声が伝わってきた。冒頭のプロムナードは第1ヴァイオリンのユニゾン。ラヴェル版のトランペットを聴き慣れた者には想像がつかないだろう。聴いたら聴いたで、納得の人、違和感を抱く人、賛否両論、好き嫌いがあるのは当然だと思う。とにかく、まずは聴いてからだ。

プロムナード
こびと
プロムナード
古城

ブィドロ
プロムナード
卵の殻をつけたひなの踊り
サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ
カタコンブ
鶏の足の上に建つバーバ・ヤー小屋
キエフの大きな門

 ラヴェル版にはあった「テュイルリーの庭」と「リモージュの市場」の二曲が省略されているせいで、演奏時間が10分弱短くなっている。ラヴェルの音楽は、明るく華麗、色彩豊かな暖かみが特徴。それはソフトでマイルドな、印象派の絵画のようだ。ストコフスキーの編曲は、モノトーンではないが、暗さ、渋さを前面に押し出した、印象派の時代にありながら、それとは違う道を歩んだオディロン・ルドン(1840~1916年)の象徴主義的な絵画を思わせる。陽光あふれる「テュイルリーの庭」と「リモージュの市場」をはずしたのは、ロシア的な土臭さ、重さを前面に押し出した作品群でまとめあげるためだったのではなかろうか。

 カップリングされているのは、ピョートル・チャイコフスキー(1840~1893年)の交響曲第5番である。映画『オーケストラの少女』にも登場する、ストコフスキーの十八番。遅めのテンポ、名手アラン・シヴィルによる歌うような第2楽章のホルン独奏、感傷というか憂愁というか、いかにもチャイコフスキーといった濃厚な表情のてんこ盛りは、まさにストコ節、聴き手を酔わすのに十分だ。生真面目な原理主義者を怒らせる楽譜の改変や楽器の変更、カットなどが数々盛り込まれているが、聴いていて面白いのだから良いではないか。オーソドックスな演奏がお好みなら、ムソルグスキーの歌曲「司令官」の中で紹介したアバド指揮のベルリン・フィルがある。ぜひ聴きくらべてみてほしい。


 ::: CD :::

1.ピョートル・チャイコフスキー
  交響曲第5番ホ短調 作品64

2.モデスト・ムソルグスキー
  組曲『展覧会の絵』(ストコフスキー編)

指揮:レオポルド・ストコフスキー
演奏:ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
録音:1966年(1)、65年(2)

ストコフスキーの音楽

 この人は、サービス精神旺盛というか、とにかく聴き手を楽しませるために、あの手この手を繰り出してくる。それが楽譜の改変、楽器の変更、カットであるのだが、どこまでなら許せるかというのは、実に演奏者と聴き手の音楽に対する思想に依存していると言えよう。

 たとえば、ハイドンやモーツアルトの時代には、まだバルブ付きのフレンチホルンはなかった。狩人や郵便車夫の使う開口部がラッパの形状をした単なる管をぐるぐる巻きにしたもの、ナチュラルホルンだったのである。バルブによって音を切り替えることのできるホルンが登場したのは1814年頃とされているから、ハイドンやモーツアルトの交響曲を当時の音で聴きたければ、ナチュラルホルンが正統と言うことになる。バルブ付きホルンとナチュラルホルンでは、微妙に音色が違うのだ。

 初期のバルブ付きホルンは単階調の管構成(シングルホルン)だったが、階調を切り替えるためのバルブを装備することで、二つの階調を可能にしたダブルホルンが生み出され、現在はこのタイプが主流である。かつてニューヨーク・フィルハーモニックは、ニッケルシルバーのコーンの8Dをずらり揃えていた。ベルリン・フィルは、現在でもイエローブラスのアレキサンダーの103と、メーカーやモデル、材質まで統一しているように見える。そう、楽器の材質によっても音色は変わってくるのだ。これらの楽器でハイドンやモーツアルトを演奏するのは邪道だろうか。

 ストラディヴァリウス、ガルネリ、アマティ等、名器と呼ばれるヴァイオリンがある。これらも、製作時のままではない。修理の時に、オリジナルより長い棹に交換されている。それによって音域の拡張が可能になった。現代のピアノの音も、ショパンが弾いていたときとは違うはずである。

 楽器の発展は、新しい奏法を生み出し、より難度の高い演奏を可能にした。それによって、作曲家は新たな音楽を創造できるようになったとも言えよう。その一方で、当時の音色や演奏法へのこだわりから、あえて古楽器を使うという試みもなされている。どちらが正しいかではなく、楽しみ方の幅が広がったと受けとめれば、音楽はもっともっと心に豊かさを与えてくれるのではなかろうか。

 オーケストラの演奏会(テレビでも)で、私は楽器の配置を見るのが楽しみだ。曲の解釈や表現について、指揮者の意図が伝わってくるからである。わかりやすいのは弦楽器の配置であろうか。指揮台から見て時計回りに、第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリンの標準的なパターン。ヴィオラとチェロが入れ替わっている場合もあるが、要するに第1と第2のヴァイオリンが向き合っているのがミソだ。これは、第1と第2のヴァイオリンが対話のように掛け合うスタイルで演奏する場合、左と右にハッキリ分かれ、聴き手にとってわかりやすい。

 ところがストコフスキーは、第1と第2のヴァイオリン群をまとめてしまったのである。指揮台から見て時計回りに、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロと、右に行くに従って低音になっていく。ステレオ録音という技術が生み出され、演奏会は会場にいる人だけのものではなくなった。音の高低は誰にでもわかりやすいから、レコードやラジオ放送など、耳だけが頼りの媒体にはうってつけだったと言えよう。彼はテクノロジーの進歩やオーディオ機器の普及を見据えた未来志向の音楽家だったのだと思う。

 現在はまた、昔の弦楽器配置をとることが増えているが、ストコフスキー式のスタイルも少なくない。第1と第2のヴァイオリンが隣り合っていることは、演奏する側にとってアンサンブルしやすいのだと言う。この配置をとりながら、ヴィオラとチェロが入れ替わっていることもあったりして、弦楽器の配置だけでも多彩だ。同じオーケストラでも、楽器の配置によってこうも印象が変わるものかと、新たな発見があることは実に楽しい。

 「音楽は楽しければいいだろ」「人生は楽しいのが一番」、そんなストコフスキーの声が聞こえてきそうである。

チャイコフスキー5番
展覧会の絵

(しみずたけと) 2022.9.12

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ムソルグスキー『展覧会の絵』


モデスト・ムソルグスキー
ピアノ組曲『展覧会の絵』

 ロシアによる侵攻で、ウクライナの首都キエフの名前がクローズアップされた。おそらくチェルノブイリ原発事故以来であろう。メディアをはじめ、現在はウクライナ語の発音に近いキーウと呼ばれている。ウクライナへの連帯の意思表示であろう、ベルリン・フィルのヴァルトビューネ野外コンサートなど、この夏は『展覧会の絵』がとりあげられることが多かったように思う。

 『展覧会の絵』は、歌曲集『死の歌と踊り』で紹介したモデスト・ムソルグスキー(1839~81年)による組曲で、その終曲が「キエフの大門」である。遅まきながら、ここでもウクライナへの連帯を表明したい。

 『展覧会の絵』は、1873年に動脈瘤のため39才の若さで夭逝した友人、画家ヴィクトル・ハルトマン(1834~73年)の遺作展を訪れたムソルグスキーが、そこで見た絵画の印象を音楽にしたものであるという。ピアノ組曲として1874年につくられたものの、生前に演奏されることはなく、楽譜が出版されたのも1886年になってからであった。

 この曲が世界的に知られるようになったのは、1922年にモーリス・ラヴェル(1875~1937年)が管弦楽曲に編曲し、同年、セルゲイ・クーセヴィツキー(1874~1951年)による初演が好評を博したからである。ロシア的な土の香りより、フランス的な明るい色彩感と暖かみのある音色に重きが置かれ、華麗なものへと変貌を遂げていることがわかる。

 ラヴェル以外の編曲も多数あり、少なくとも10以上はあるだろう。しかし、今日演奏されるのは、もっぱらラヴェル版であり、録音で聴けるものを含めても、他はあまり聴く機会がない。たとえば、ヴァイオリンで始まる冒頭がロシア的な重さと渋みを感じさせるレオポルド・ストコフスキー(1882~1977年)による編曲は、録音技術が進歩し、機動性に優れた現代のオーケストラを考えると、音響的にもなかなか魅力的に思えるのだが…。(お聴きになりたい方はリクエストして下さい。)

 ピアノ版の方は、ムソルグスキーの遺稿を整理したニコライ・リムスキー=コルサコフ(1844~1908年)による改訂版が長らく使われてきた。しかし、スヴャトスラフ・リヒテル(1915~97年)が、ブルガリアのソフィアで開かれたリサイタルで原典版を演奏し、そのライブ録音がリリースされると、その衝撃は大きく、これを機に原典版による演奏が主流となった。

 あまりにも有名な曲なので、あとは全曲を構成する個々の表題を紹介するだけにとどめたい。

プロムナード
こびと(グノーム)
プロムナード
古城
プロムナード
チュイルリーの庭(遊びの後の子供たちの口げんか)
牛車(ブィドロ)
プロムナード
卵の殻をつけた雛の踊り
サミュエル・ゴールデンベルクとシュミュイレ
[プロムナード]
リモージュの市場
カタコンブ

死せる言葉による死者への呼びかけ
鶏の足の上に建つ小屋(バーバ・ヤガー)
キエフの大門

ラヴェル編曲版において[ ]の曲は省かれている。

  


 ::: C D :::

 まずは原曲のピアノ版を聴いてみてほしい。リヒテルのソフィアでのライブ盤と思ったのだが、手元に見当たらないので、ウラディーミル・アシュケナージ(1937年~)に登場願おう。①はアシュケナージの二度目の録音。1967年の一回目から大きく変わっていないのは、当時すでに演奏スタイルを確立していたからだろう。洗練度はさらに増している。近年は指揮者としても活躍しているが、マウリツィオ・ポリーニ(1942年~)、マルタ・アルヘリッチ(1941年~)と並ぶ世界最高のピアニストの一人であるのは間違いない。

 当盤のもうひとつの特徴は、カップリングされているのが、アシュケナージ自身の編曲による管弦楽版であることだ。他の指揮者では聴くことができないという意味でも貴重だろう。ラヴェル版と、どこがどう違うのか、この曲に対するアシュケナージのこだわりなど、耳をこらして聴いてみてほしい。

 イタリア人のカルロ・マリア・ジュリーニ(1914~2005年)は、病気がちだったこともあり、有名オーケストラの音楽監督や首席指揮者に就いた期間は決して長くなかった。しかし、つくり出す音楽は、まさに巨匠のそれだったように思う。戦争中、ファシストの手先になることを嫌い、軍から脱走、戦争が終わるまで隠れ住んだという。彼の良心、人間性を表すエピソードではなかろうか。

 ②で冒頭のトランペットを吹くのは名手アドルフ・ハーセス。彼をはじめ、ホルンのデール・クレベンジャーらによる強力な金管セクションを前面に出した豪奢な音響と高い機動力が自慢のシカゴ響。しかし、ジュリーニの指揮は、それらに頼ることなく、遅めのテンポで渋く重い響きを紡ぎながらも、繊細かつ伸びやかに歌わせる。ムソルグスキーのロシア的な冷たい土臭さと、ラヴェルの暖かく華やかな管弦楽効果が織り合わさった、スケールの大きな演奏を堪能できる最高の一枚だろう。

 ③はクラウディオ・アバド(1933~2014年)がロンドン交響楽団の首席指揮者に就任したばかり、46歳の時のものである。彼のムソルグスキーの作品へのこだわりは、『ボリス・ゴドゥノフ』と『ホヴァーンシチナ』の二つの歌劇を録音するほどであった。

 『展覧会の絵』は、1993年にベルリン・フィルと再録しており、そちらは完成度と安定性では上回るものの、若さによる気迫のこもったロンドン響との演奏の方がはるかに魅力的だ。ジュリーニの演奏が暖色的な絵画だとしたら、こちらは寒色系の色合いを強調したクールな画法とでも表現したら良いだろうか。聴きくらべてみるのも楽しい。

 セルジュ・チェリビダッケ(1912~96年)は、大好きか大嫌いかというように、好みがハッキリ分かれる指揮者であった。④の録音も、クセが強いと言うか、個性的と表現すべきか、特異な存在である。全曲の演奏時間が、ジュリーニと比較して約10分、アバドより11分も長い。これほどゆっくりしたテンポで演奏する指揮者は他にいるまい。それでいてアンサンブルは少しも乱れることなく、積み重ねられた豊潤な響きを、ゆるゆると、しかし緊張感をたもちながら進行していく。ミュンヘン・フィルの腕前、恐るべし…。

 聴衆は展覧会場に足を踏み入れた途端、時が過ぎゆくのを忘れて絵を鑑賞し、いつしか鐘の鳴り響くキエフの大門をくぐろうとしている。割れんばかりの拍手の中、ふと自分がミュンヘンのフィルハーモニー・ガスタイクにいるような感覚に…。喝采が静まり、ようやく我にかえる。メインストリームではないかもしれないが、大きな感動を与えてくれる一枚である。

収録曲

1)アシュケナージ盤

収録曲
1.ピアノ独奏版
2.アシュケナージによる管弦楽編曲版

独奏:ウラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)
指揮:ウラディーミル・アシュケナージ
演奏:フィルハーモニア管弦楽団
録音:1982年

ピアノ版
管弦楽版

  

2)ジュリーニ盤

収録曲
1.ムソルグスキー:組曲『展覧会の絵』
2.ラヴェル:マ・メール・ロワ 作品60(1910年)
3.スペイン狂詩曲 作品54(1907年)

指揮: カルロ・マリア・ジュリーニ
演奏: シカゴ交響楽団(1)

ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団(2-3)
録音: 1976年(1)、1979年(2-3)


  

3)アバド盤

収録曲
1.ムソルグスキー:組曲『展覧会の絵』

2.ラヴェル:ラ・ヴァルス 作品72(1920年)

指揮: クラウディオ・アバド
演奏: ロンドン交響楽団
録音: 1991年


  

4)チェリビダッケ盤

収録曲
1.ムソルグスキー:組曲『展覧会の絵』
2.ラヴェル:ボレロ 作品81(1928年)

指揮: セルジウ・チェリビダッケ
演奏: ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
録音: 1993年(1)、1994年(2) ライブ



ラヴェル編曲による三つの盤の演奏時間を比較すると・・・

ジュリーニアバドチェリビダッケ
プロムナード1:50 1:472:33
こびと2:402:243:30
プロムナード 1:071:031:29
古城4:314:225:10
プロムナード0:370:330:45
チュイルリーの庭1:161:051:17
牛車2:393:163:45
プロムナード0:480:451:09
卵の殻をつけた雛の踊り 1:211:131:22
サミュエル・ゴールデンベルクとシュミュイレ2:242:073:01
リモージュの市場1:301:151:37
カタコンブ2:063:582:33
死せる言葉による死者への呼びかけ2:09――2:56
鶏の足の上に建つ小屋3:543:304:22
キエフの大門5:445:466:52

(しみずたけと) 2022.9.9

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ショスタコーヴィチ『死者の歌』


ドミートリイ・ショスタコーヴィチ
交響曲第14番『死者の歌』

 ドミートリイ・ショスタコーヴィチ(1906~75年)の作品を紹介してきたが、いつの間にか交響曲第4番、5番、7番、8番、9番、10番、13番と、交響曲だけで7曲にもなってしまった。そういえば、ムソルグスキーの歌曲『死の歌と踊り』も、管弦楽編曲版はショスタコーヴィチによるもの。いったい、なぜ?

 クラシックの作曲家も、為政者や権力、社会に対するなんらかのメッセージを織り込んでいたりするものだが、時代が下るにつれてメッセージ性が強くなっていくというか、人々にとって身近なものとなり、私たちもより良く、より深くメッセージを理解できるようになる。ショスタコーヴィチの作品は、まさにその典型であり、紹介すべきものであるということだ。とはいえ、ここで紹介する交響曲第14番で、ショスタコーヴィチの作品紹介もひと区切りつくことになりそうだ。

声楽から器楽、さらに両者の融合へ

 さて、西洋古典音楽は、キリスト教の教会音楽にそのルーツがあるのは間違いない。神に捧げる祈りは言葉だから、もともとは声楽が中心であった。グレゴリオ聖歌などを思い浮かべてもらえば良いだろう。初めはユニゾン、やがて合唱となり、それにオルガンや器楽による伴奏が加わっていく。しかし、楽器の役割は、あくまでも伴奏という位置づけであった。 ところが、楽器の改良により、その音域は広がり、演奏も容易になったことで難しいパッセージも奏でられるようになっていく。演奏技術はますます進化し、複雑かつ微妙な音作りも可能になった。すると、それらを生かした新しい音楽作りに挑戦する作曲家が現れるのは当然であろう。器楽は声楽の伴奏役から徐々に独立し、やがて声楽と器楽の地位は逆転する。

 古典派を代表する作曲家フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732~1809年)が、交響曲という新しいジャンルを切り拓いた背景には、こうした展開があったからにほかならない。交響曲だけではない、協奏曲、弦楽器や管楽器、打楽器による合奏曲、ピアノ曲やヴァイオリン・ソナタ、さらには吹奏楽と、器楽曲は声楽曲を完全に圧倒している。キリスト教が社会の中心でなくなった近代以降、ミサ曲や鎮魂曲(レクイエム)などの宗教音楽もまた、少数派になった。

 その一方で、声楽をともなう交響曲が、ベートーヴェン(1770~1827年)の交響曲第9番によって生み出される。これは先祖返りではなく、進化の一形態と言えよう。このスタイルは、エクトル・ベルリオーズ(1803~69年)の劇的交響曲『ロメオとジュリエット』やフランツ・リスト(1811~86年)の『ファウスト交響曲』を経て、グスタフ・マーラー(1860~1911年)の第2番、3番、4番、8番、『大地の歌』の一連の作品で、一応の完成を見ることになる。

 ショスタコーヴィチの場合、15ある交響曲のうち、第2番、3番、13番、14番の四曲が声楽入りである。マーラーの歌を含む番号付き交響曲と同数なのは、マーラーの後継者という自負によるものだろうか。1969年に作られた第14番は、最後の声楽付き交響曲と言うことになる。最後から二番目の交響曲であること、二つの声楽パートを有することも、なにかマーラーの『大地の歌』を思わせるではないか。しかし、オーケストレーションは、マーラーのそれに比べてずっとコンパクトなものになっている。初演はルドルフ・バルシャイ(1927~2010年)指揮のモスクワ室内管弦楽団であった。

死は人間絵巻の最大かつ最後の山場

 「生は昏く、死もまた昏い」と言ったマーラーは、東洋的な無常観、厭世観、諦観を念頭に置いた交響曲『大地の歌』を書いた。この作品だけではない。マーラーの作品は、どれも“生の中の死”あるいは“死の中の生”に貫かれているが、その生と死は、あくまでも個人にとっての生と死である。しかしながら、ショスタコーヴィチは、『大地の歌』を意識しながらも、誰もが決して逃れることのできない普遍的な意味での人の死を、交響曲第14番の主題に据えた。

 帝国主義、専制政治、革命、独裁、粛正、民族差別などによる恐怖を、自身の体験と知識によって知るショスタコーヴィチは、ロシアを中心とした歴史絵巻を音楽に焼き付けたのである。換言すれば、歴史の記録としての交響曲、それが第13番までだったと言えよう。この第14番では、そうした非情な歴史の中に生きる人間が、避けることのできない死という運命を甘受、超越しようとする過程を人間絵巻として描こうとしたのではあるまいか。その意味で、第13番と14番の間には大きな転換点があったと思うのである。

 全曲は、第1から第3楽章、第4から第6楽章、第7から第9楽章、第10と第11楽章の、おおむね四部構成となっている。一連の「死」をテーマにした歌詞は、スペインの詩人ガルシア・ロルカ(1896~1936年)、フランスの詩人ギヨーム・アポリネール (1880~1918年)、ロシアの詩人ヴィルヘルム・キュッヘルベケル(1797~1846年)、ドイツの詩人ライナー・マリア・リルケ(1875~1926年)の作品からとられたもの。原詩がロシア語のキュッヘルベケル以外は、ロシア語に翻訳されたものが使われている。


第1楽章】 深いところから(ロルカ)
冒頭は最後の審判を歌うラテン語の典礼文「ディエス・イレ(怒りの日)」であろう。重々しく深刻に始まると思いきや、バスが「百人の恋狂いたちが永遠の眠りについた…」と、滑稽とも受けとれる歌詞を歌い出す。

第2楽章】 マラゲニャ(ロルカ)
「死は居酒屋に出たり入ったり…いっこうにおさらばしない…」と、第1楽章が静と暗なら、こちらはソプラノによる動と明、対照的な作風である。後半のヴァイオリン独奏が悪魔を思わせる。

第3楽章】 ローレライ(アポリネール)
ソプラノとバスによる対話形式の二重唱で始まり、後半はソプラノの詠唱でラインの魔女ローレライを歌う

第4楽章】 自殺(アポリネール)
チェロ独奏がブリッジになっており、前楽章から途切れることなく始まる。ソプラノによる、叙情的だが悲しみにみちた、あるいは怒りともとれる「三本の百合、三本の百合、十字架のない私の墓の上の三本の百合…」が印象的である。

第5楽章】 心して(アポリネール)
行進曲を思わせる十二音技法による冒頭の美しい旋律、それに続く滑稽なカリカチュア風の旋律。なにやらストラヴィンスキーの『兵士の物語』が脳裏をよぎる。ソプラノが歌う「バラがしおれるように、今日、彼は死んでゆく。私の小さな兵士、私の愛する人、私の兄弟…」が近親相姦を暗示する。

第6楽章】 マダム、ごらんなさい(アポリネール)
バスの「マダム、御覧なさい。何かをなくしましたよ」という問いかけに応える形で、ソプラノが死によって失った精神的な愛、肉体的な愛を歌う。

第7楽章】 ラ・サンテ監獄にて(アポリネール)
ルーヴル美術館で盗難事件が起き、アポリネールは共犯の容疑でラ・サンテ監獄に収監された。バスが歌うのは、獄中で書いたとされる詩集『アルコール』 からとられた作品である。

第8楽章】 コンスタンチノープルのサルタンへのザポロージェ・コザックの返事(アポリネール)
画家イリヤ・レーピン(1844~1930年)が描いた『トルコのスルタンへ手紙を書くザポロージュ・コサックたち』を題材にした詩をバスが歌う。

第9楽章】 おお、デルウィーク、デルウィーク(キュッヘルベケル)
詩人アントン・デルウィーク(1798~1831年)は、アレクサンドル・プーシキン(1799~1837年)とともにキュッヘルベケルの親友であったが、専制政治の打破と農奴解放を掲げた1812年のデカブリストの乱に加わり、シベリアへ流刑となった。バスによる「おお、デルウィーク、デルウィーク、何をもって報われる…」の詠唱は、第3楽章の《ローレライ》と対をなし、愛を求める第6楽章の《マダム、ごらんなさい》に対する形で、こちらは社会正義を求めるものとなっている。

第10楽章】 詩人の死(リルケ)
『新詩集』からとられた「詩人は死んでいた。その顔は蒼白のまま、何かを拒んでいた…」が、第1楽章の回想として、ソプラノで歌われる。

第11楽章】 むすび(リルケ)
こちらは『形象詩集』からのもので、死は常に生とともにあり、生を支配するものとして歌われる。ここまで独唱または交唱形式で歌われてきたソプラノとバスが、ここで初めて重唱となる。「死は全能 人生の最高の瞬間 私たちの中で悶え 私たちを待ち焦がれ 私たちの中で涙する」という、死に対する一種の讃美。この詩を選んだのは、作曲者自身の死への憧れか、それとも近づく死の予感だったのか。


ブリテンへの伝言

 興味深いのは、この交響曲第14番が、あの『戦争レクイエム』の作曲家、英国のベンジャミン・ブリテン(1913~76年)に献呈されていることである。戦争の不条理を告発し、恒久の世界平和を願いを込めた『戦争レクイエム』を、ショスタコーヴィチは「人間精神の崇高さを示す偉大な作品」と賞賛しながらも、浄化されるがごとく美しく終わることへの違和感を拭いきれなかったようだ。死は誰にでも分け隔てなく等しく訪れる普遍的なもの、それゆえ感傷的にならない描き方がなされるべきだという。革命、戦争、恐怖政治、反ユダヤ主義などを間近に見聞きし、それらによる悲劇を身をもって体験してきた彼は、いかなる形であれ、死を美化する思想に与したくなかったのであろう。交響曲第14番は、『戦争レクイエム』への応答であり、ブリテンへのメッセージ、音楽家同士の音楽による対話だったと言えそうである。

  

 ::: CD :::

交響曲第14番『死者の歌』

指揮:ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ
独唱:ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(ソプラノ)
   マルク・レシェーチン(バス)
演奏:モスクワ・アカデミー交響楽団々員
録音:1973年(ライブ)

 この曲を紹介するにあたり、大いに迷った。あまりにも有名な、決定版とも言える三つの録音があるからである。初演者ルドルフ・バルシャイ、キリル・コンドラシン、そしてムスティスラフ・ロストロポーヴィチ。三人ともショスタコーヴィチに近い存在であり、そのせいか、これでもかというくらい濃厚な表現がなされる。そして三人は後に西側に亡命。偶然ではなく、ある意味、必然だったのだろう。ここでは、ガリーナ・ヴィシネフスカヤの抜きん出た歌唱力をとって、ロストロポーヴィチ盤を選ぶことにしよう。

 ロストロポーヴィチは、亡命後、ワシントン・ナショナル交響楽団やロンドン交響楽団とショスタコーヴィチ交響曲全集を完成するのだが、第14番だけは、このモスクワ・アカデミー交響楽団との演奏以上のものはできないと、再録することなく、この録音をもって全集に加えた。それほどの自信あふれる出来映えなのである。


(しみずたけと) 2022.8.25

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抵抗するショスタコーヴィチ


ドミートリイ・ショスタコーヴィチ
交響曲第4番
交響曲第13番『バビ・ヤール』

 ドミートリイ・ショスタコーヴィチ(1906~75年)。交響曲第1番で「現代のモーツァルト」と注目され、国家の要請に沿ったかのような第2番と第3番により、アレクサンドル・グラズノフ(1865~1936年)やセルゲイ・プロコフィエフ(1891~1953年)らの次代を担うソ連クラシック界の有望株と見なされるようになった。しかし、33年の歌劇『ムツェンスク郡のマクベス夫人』―映画コレクションにあります―が、共産党機関紙プラウダで「音楽の代わりに荒唐無稽」と痛烈な批判を浴び、要注意人物のひとりに。この作品に対する批判が妥当であるかどうかは、各自が実際に作品を鑑賞して判断すれば良いことであるが、ここに独裁者スターリン(1878~1953年)及び国家権力による作曲家ショスタコーヴィチへの監視と圧力、それに抗うショスタコーヴィチの、長きにわたる闘いの火ぶたが切って落とされる。

 交響曲作品では、第5番や第7番『レニングラード』が高く評価されたものの、第9番はスターリンを激怒させ、第8番も実質的に演奏禁止の憂き目に遭う。スターリンの死後でさえ、ソ連は専制国家であることから脱却できなかったと言えよう。ここからわかることは、独裁政治とは、ひとりの独裁者によって行われるものではない、ひとりだけの責任でもない、そうした厳然たる事実であろう。

交響曲第4番

 ショスタコーヴィチが、ペテルブルク音楽院の卒業制作として交響曲第1番を作曲したのが1925年であるから、この交響曲第4番は、約10年後の作品となる。第1番が管弦楽による協奏曲的な性格を有すること、第2番『十月革命に捧げる』と第3番『メーデー』は混声四部合唱を伴い、さらに表題にあるような政治的メッセージを含むことを考えれば、この第4番は、彼にとって初めての、純粋な交響曲らしい交響曲作品と言えるかもしれない。

 第4番には、他の交響曲とは異なるいくつかの特色が見られる。演奏に要する時間、つまり長さは第7番に及ばないものの、最も大規模なオーケストラ編成を必要とすること、3楽章構成であること、レントラー風スケルツォの第2楽章を挟み、第1・第3楽章は次々に現れる自由な形式で書かれた主題の連続であること、それらがマーラーを思わせるものの、咆哮のクライマックスではなく、すべての楽章が弱音で終わるなど、新機軸を打ち出したものと言えそうである。

 しかし、この斬新さは理解されなかった。いや、当局の求める社会主義リアリズムに合致しなかったと言った方が正しいだろう。芸術としてではなく、政治社会との軋轢である。プラウダで批判された歌劇『ムツェンスク郡のマクベス夫人』につづき、第4番もまた、その新しさゆえ、当局が批判的に見ている。作曲家自身がそう感じとったのか、あるいは忠告する者があったのかはわからないが、ショスタコーヴィチ自身が、リハーサルの指揮台からスコアを引きあげてしまったのである。

 リアリズムを追求していくと、聴衆にわかりやすい音楽、聞き覚えのあるメロティの流用、たとえば民謡等が使い回されるなどして、音楽としては停滞せざるを得なくなる。けっきょく、この曲はスターリンの死後なお八年間も封印されつづけ、ようやく1961年、キリル・コンドラシンが指揮するモスクワ・フィルハーモニー管弦楽団によって初演がなされたのである。

 この曲は、聴けば聴くほどに味わい深さを感じさせる。聴くたびに、何かしらの新しい発見があるのだ。演奏する者にとっては、なおさらであろう。ああも考えられる、こうも受けとれる、多様な解釈ができるということは、単純でなく複雑、それだけ芸術性が高いことを示唆している。演奏する側や聴き手の解釈を限定する標題音楽との違いは、まさにそこにある。

 あえて芸術に足枷をはめようとする社会主義リアリズムなど、人類の成長や文明にとって敵でしかない。15ある交響曲の中の最高傑作と、後にショスタコーヴィチ自身が語ったと伝えられている。彼の他の交響曲より優れているかどうかはともかく、もっともっと演奏の機会が増えて良い曲だと思う。

交響曲第13番『バビ・ヤール』

 独裁者スターリン(1878~1953年)の死を知るやいなや、驚くべき速さで作曲されたのが交響曲第10番であった。その後、1957年に第11番『1905年』、1961年に第12番『1917年』が発表される。きわめてソビエト的な題材、すなわち革命をテーマに据えた標題音楽なのだが、ショスタコーヴィチは体制迎合に回帰したのであろうか。

 1905年1月9日(当時のロシアはグレゴリオ暦ではなくユリウス暦であった)の首都ペテルブルクでは、妻や子どもを連れた労働者たちが、皇帝への請願のために冬宮殿に向かっていた。その平和的な行進に対し、皇帝の軍隊が一斉射撃をくわえ、数千人が死傷。「血の日曜日事件」である。これをきっかけに、ロシア各地の労働者らが立ちあがり、エイゼンシュタインの映画『戦艦ポチョムキン』でも知られる水兵の反乱も勃発、ロシア第一革命となる。1917年は、もちろんロマノフ王朝が倒されたロシア革命の年である。

 交響曲第11番、第12番を作曲したショスタコーヴィチの真意はどこにあったのかについては、様々な解釈が可能であろう。意識しておく必要があるのは、彼は同時代を生きた人間であると言うことである。《ショスタコーヴィチの証言》には次のような記述がある。

 「わが家では、1905年の革命のことが絶えず議論されていた。私が生まれたのは1906年で、あの革命の後だったが、その話は私の想像力に深刻な影響を与えた。私が思うに、あの革命が転換点だった。あれ以来、民衆は皇帝を信じるのをやめたのだ。ロシアの国民は常に信じ、信じ抜いて、その果てに、不意に終わりがやって来るもののようである。そして民衆に信じられなくなった者は痛い目にあうのである。しかし、そのために、おびただしい量の血が流されねばならなかった…」

 ショスタコーヴィチは、生まれる前の「血の日曜日事件」に、自身が目撃した1917年の革命を重ねて記憶し、ロシアの歴史を音楽として記録しようとしたのである。幾度もくり返される権力者の悪行を、音に焼き付けることによって、未来への警鐘とした。その流れが、交響曲第13番へと引き継がれるのは、至極当然なことと言えよう。

 交響曲第13番は、第4番が初演された翌年の1962年の作品である。この作品もまた、物議を醸すことになった。第1楽章の主題〈バビ・ヤール〉が、そのまま曲全体の副題となっている。バビ・ヤールはウクライナの首都キエフ(最近は現地発音のキーウと呼称される)の郊外、市の中心から北西に約6kmほどのところにある渓谷の名である。1941年9月、ナチス・ドイツはウクライナ警察やナチス迎合者等の協力を得て、キエフとその周辺に住むユダヤ市民をここに連行し、機関銃掃射によって3万人以上を殺害した。その後、ナチスに敵対する者やロマを虐殺している。

 しかし、ユダヤ人迫害はナチスだけではなかった。歴史的に見れば、ユダヤ民族は中世以来、欧州中でずっと迫害の対象だったし、とりわけ19世紀以降のロシアにおけるポグロムは激しかったと言えよう。この時代、ロシアやウクライナから逃れたユダヤ人たちが目指したのが米国であり、パレスチナであった。ユダヤ人問題の最終的解決として、法整備をしたうえで組織的に実行に移したのがナチスである。世界をユダヤから救うための特別軍事行動ラインハルト作戦…、何やら最近耳にしたことがあるような響きではないか。

 合唱が「バビ・ヤールに碑はない 切り立った崖が粗末な墓標」と歌い、バス独唱が「私の立つここは 友愛を信じさせる泉」と応える。ナチス・ドイツは打ち倒されたのに、ユダヤ人犠牲者の碑はなく、忘却の彼方へと葬られつつある。エフゲニー・エフトゥシェンコ(1933~2017年)は、今なお残る反ユダヤ主義の告発と無関心な社会への怒りを込め、詩を書いた。ショスタコーヴィチは、この若き詩人の詩に感銘を受けたのである。
 
 第2楽章〈ユーモア〉で、「どんな支配者も ユーモアだけは支配できなかった 命令しても、買収しても、死刑にしても ユーモアだけは支配できなかった」と権力を皮肉り、第3楽章〈商店で〉では、厳しい生活に堪える女性たちのたくましさを讃え、第4楽章の〈恐怖〉は、スターリン時代の恐怖を思い起こしながら、偽善やウソがはびこる新たな恐怖が生まれていることへの恐怖を、第5楽章〈出世〉」は、地動説で宗教界から狂人扱いされたガリレオを引き合いに、真の出世とは何であるかを語り、「罵った者が忘れ去られ 罵られた者が記憶される 私は出世しないことを 自らの出世としよう」へと結ぶ。楽章の主題は、一見バラバラのように見えるが、俗物根性という言葉で括ることができるという指摘がある。〈恐怖〉はエフトゥシェンコがこの交響曲のために新たに書き起こして提供したものだが、他は既存の詩から選ばれている。

 ソ連は建前上「人種・民族問題は存在しない」ことになっており、皮肉や諷刺に満ちた歌詞が反体制的と見なされ、初めから当局による執拗ないやがらせが続いた。初演の指揮を依頼されたエフゲニー・ムラヴィンスキー(1903~88年)は辞退し、予定した独唱者が次々に交代、リハーサルには共産党役人が立ち会い、さらに初演当日になって指揮者のキリル・コンドラシン(1914~81年)にキャンセルするよう圧力がかけられた。警官隊が包囲する物々しい雰囲気の中で初演がなされるとは、当時のソ連はなんと恐ろしい国であったことか。

 ::: CD :::

交響曲第4番

指揮:エリアフ・インバル
演奏:東京都交響楽団
録音:2012年(ライブ)

 スコアを見ても、演奏を聴いても、この曲が難曲であることがわかる。近年、この曲が注目され、優れた演奏がいくつも現れるようになったのは、演奏技術が格段に上がったからであるのは間違いないだろう。インバルのタクトは、けっして力むところがないが、変幻自在に現れる主題に意味を与え、オーケストラがそれに見事に応える。彼岸にたどり着くかのようなクライマックスは、別の意味でマーラー的だ。


交響曲第13番『バビ・ヤール』

指揮:キリル・コンドラシン
独唱:ジョン・シャーリー=カーク(バス)
演奏:バイエルン放送交響楽団、男声合唱団
録音:1980年(ライブ)

 コンドラシンは、1978年12月にオランダに亡命、81年3月に急逝した。わずか二年と数ヶ月。コンサートもレコーディングも多かったとは言えないが、残されたライブ盤もスタジオ録音も素晴らしいものばかりである。

 交響曲第13番は、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団との初演の二日後に、同オーケストラで録音しており、そちらも名盤なのだが、指揮者の卓越した統率力のもと、合奏力で上回るミュンヘンのオーケストラとコーラスが見事な演奏を聴かせる。コンドラシンのストイックな表現を背景に歌うシャーリー=カークの独唱によって、恐怖と静かな怒りが伝わってくるようだ。悲壮感さえ感じるのは、ライブゆえの緊張感の高まりのせいだろうか。


(しみずたけと) 2022.8.17

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