Church Bells of England


《キャロル・オブ・ザ・ベルズ》でケルン大聖堂の鐘が紹介されていました。ムスリムなどキリスト教徒以外の人たちも多く暮らすようになったとは言え、今でもまだヨーロッパはキリスト教文化圏なのですね。ま、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、根っこの部分は同じと言うか、つながっていると言うべきか…。同じ場所、砂漠の文化の中に生まれただけあって、私にすれば「どこが違うの?」と言いたくなるくらい似かよっています。アブラハムもモーセもマリアもイエスも、みーんなイスラム教の中に存在しているもんな。似ているからこそ、争いが絶えないということなのかもしれないけれど…

 さて、そのキリスト教文化も、奥底にはケルト文化が地下水脈のごとく流れたりしていて…。異教徒への伝道の過程で、土着の信仰を採り入れていくのは良くある話。ハロウィンなど、まさしくそれ。まもなくやって来るクリスマスをはじめ、ジルヴェスター、ニュー・イヤー、イースター、季節の行事の中心にあるのは教会だし、誕生、洗礼、結婚、死といった人生の儀式にも教会が関わってきたわけで、そのたびに鐘が鳴らされるわけですね。

 YouTubeで“Church Bells”をキーワードに検索すると、あるわ、あるわ…。教会の鐘って、こうやって鳴らしているのか。複数あるから音階が可能なのだな。ハンドベルはそのミニチュア版というところか。そのうち人力ではなくコンピューター制御になるかもしれないな、などと思いながら、この機会に教会の鐘が奏でる音楽でも聴いてみるとするか。そんなCDが…、ありました!


::: CD :::

Church Bells of England

 ダイアナとチャールズの結婚式がおこなわれたセント・ポール大聖堂、彼女やエリザベス女王の葬儀の場となったウェストミンスター寺院、何度か紹介したアカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズの拠点である聖マーティン教会など、主にロンドンの教会の鐘の音が収録されています。聖クレメント・デーンズ教会は英国空軍との縁が深く、聖メアリー・ル・ボウ教会はディック・ウィッティントンと猫の物語で知られ、聖オラフ・ハート・ストリート教会は、文豪チャールズ・ディケンズの作品に登場、稀代の日記作家サミュエル・ピープスの墓所があるのもここです。

1. St. Mary Redcliffe, Bristol
 Little Bob Maximus (12 bells)

2. St. Paul’s Cathedral
 Stedman Cinques (12 bells)

3. St. Vedast, Foster Lane
 Cambridge Surprise Minor (6 bells)

4. St. Lawrence, Jewry
  Spliced Surprise Major (8 bells)

5. St. Giles, Cripplegate
 Cambridge Surprise Maximus (12 bells)

6. St. Clement Danes, Strand
  London Surprise Royal (10 bells)

7. St. Sepulchre, Holborn Viaduct
 Stedman Caters (10 bells)

8. St. Mary-le-Bow, Cheapside
 Bristol Surprise Maximus (12 bells)

9. St. Olave, Hart Street
 Stedman Triples (8 bells)

10. St. Michael, Cornhil
  Londinium Surprise Maximus (12 bells)

11. St. Bartholomew the Great, Smithfield
  Grandsire Doubles (5 bells)

12. Westminster Abbey
  Stedman Caters (10 bells)

13. St. Martins-in-the-Fields
  Yorkshire Surprise Maximus (12 bells)

14. St. John the Baptist, Burford, Oxon
  Double Norwich Court Bob Major (8 bells)

15. St. Leonard, Blediinton, Gloucestershire
  Cambridge Surprise Minor (6 bells)

16. St. David, Moreton-In-Marsh, Gloucestershire
  Kent Treble Bob Major (8 bells)


(しみずたけと) 2022.12.18

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小編成『第九』の澄んだ響き


 12月である。年末恒例の「第九」の季節だ。今さらベートーヴェンの第九の説明などいるまい。それくらい日本人にとってはお馴染みの曲目だ。

 音楽ライブラリーでも、バーンスタインによる1989年12月の演奏を既に紹介ずみである。しかし、あれは同じ年に起きたベルリンの壁崩壊という歴史的な出来事を記念し、「歓喜の歌」の歌詞にあるfreude(歓喜)をfreiheit(自由)に置き換えた、自由と民主主義への賛歌、あの時だからこそ特別な意味を持つものだった。

 そこで古典音楽として正統的…と言うより、スタンダードな演奏のものを採りあげてみることにした。なにしろ有名な曲である。数多あるベートーヴェンの作品中でダントツの人気らしい。録音は数知れない。いろいろ逡巡する中でふと思いついたのが、小澤征爾(1935年~)が指揮する水戸室内管弦楽団の演奏である。

 大オーケストラとは違い、編成の小さな室内管弦楽団ということもあって、各パート、各楽器の音が実にクリアで、誰にでもはっきり聴き分けることができよう。それでいて薄ぺっらい感じはまったくない。独唱や合唱を妨げることもない。思えば、ベートーヴェンが作曲した時代は、このような響きだったのではあるまいか。同じく小澤征爾のもと、マルタ・アルヘリッチ(1941年~)と録音したベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番、第2番も素晴らしい出来映えだった。古典音楽とは、まことに相性の良い楽団だと思う。

 第の良さはフィナーレの壮麗な大合唱だ。日本の演奏会での合唱団は、少なくとも200、多いときは300人にもなる。舞台が狭い欧州では、せいぜい70人だから厚みが出ない。第九を聞くなら日本で。こう書いていたのは、音楽評論家の宇野功芳(1930年~)。

 なるほどとも思うのだが、器楽でも合唱でも、編成が大きくなるほどアンサンブルが難しくなり、音の濁りが生じやすい。名人芸や練度で克服するというのも一つの手かもしれないが、年末の第ではアマチュア合唱団の起用も珍しくない。大編成なのは、プロの声楽家にくらべてひとりひとりの声量が小さいという理由もある。

 この演奏を聴いて、壮麗さや迫力、音量が不足すると思う人はいるだろうか。充実の独唱陣。とりわけ、世界最高のメゾの一人と絶賛されている藤村実穂子は圧巻だろう。日本のオーケストラや合唱団の水準も高くなったものである。この演奏を聴くと、水戸室内管弦楽団、東京オペラシンガーズ、どちらも世界で通用するレベルであるのは間違いない。

 演奏会では、第2楽章まではラデク・バボラーク(1976年~)が指揮を務めた。2009年までベルリン・フィルの首席奏者を務めたホルンの名手である。小澤征爾の信頼も厚く、サイトウ・キネン・オーケストラの常連。水戸室内管弦楽団とは、小澤征爾の指揮のもとでモーツァルトのホルン協奏曲を録音しており、気心の知れた関係だ。現在はソロを中心に世界中で活躍している。第3楽章で、いよいよ我らが小澤征爾の登場。当ディスクには、演奏会とは別に、小澤征爾の指揮でセッション録音をおこなった第1・2楽章が収録されている。年の瀬をおくるのにふさわしい、豪華キャストによる、力強く澄んだ演奏を楽しんでほしい。


 ::: CD :::

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
交響曲第9番ニ短調『合唱』作品125(1824年)

独唱:三宅理恵(ソプラノ)、藤村実穂子(メゾ・ソプラノ)
   福井敬(テノール)、マルクス・アイヒェ(バリトン)
合唱:東京オペラシンガーズ
指揮:小澤征爾
演奏:水戸室内管弦楽団

録音:2017年、水戸芸術館コンサートホール

   第1・2楽章(セッション)/第3・4楽章(ライブ)


(しみずたけと) 2022.12.12

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ショパン ピアノ協奏曲第1番


 ウクライナ戦争が始まってまもなく十ヶ月。まだ終わりが見えてこない。それどころか、先月15日には隣国ポーランドにミサイルが着弾し、二人が死亡した。ロシア軍のではなく、ウクライナの迎撃ミサイルだという。しかし、非難されるべきはロシアであろう。いかなる理由であろうと、軍事力をもって侵攻した、すなわち戦争を始めたのはロシアなのだから。

 自国目がけて飛来するミサイルから国民の生命と財産を守るのは自衛であり、ウクライナでなくとも主権国家として当然の行為である。回避する方法は、今のところ撃ち落とす以外にない。発射地点にUターンさせるような誘導技術でも開発されれば、それが一番だとは思うが。

 そんなことを考えながら、ポーランドという国を思う。18世紀末、この国はロシア、プロイセン、オーストリアにより、三度にわたって国土を分割された。1795年の第三次分割で、ポーランドという国は地球上から消滅させられた、そんな苦難の歴史を抱えている。

 フレデリック・ショパンは、1810年、ワルシャワの西方54kmにあるジェラゾヴァ・ヴォラの村に生まれた。このピアノ協奏曲第1番ホ短調は30年の作曲であるから、まだ20歳のときの作品ということになる。第1番だが、ピアノ協奏曲としては、実は二番目の作品なのだ。ピアノ協奏曲第2番ヘ短調が作られたのは、前年の29年。出版順によって番号が逆転するという例は他にもあるのだが、単純に聴く側としては、なんとも紛らわしい。

 最初の大作であったピアノ協奏曲第2番には、随所にロマン主義的な情念と、ショパンならではの創意が盛り込まれていた。その経験をもとに、この第1番では協奏曲としての構成を見直し、規模も大きくして完成度を高めている。第1番と第2番どちらに対しても耳にするのが、ピアノ独奏部に比してオーケストラ・パートが貧弱であるという辛口の批評。彼はピアニストであり、数多くのピアノの名曲を残したが、オーケストレーションに秀でた作曲家ではなかったということなのだろう。しかし、それがなんだというのだ。この曲には聴いていてワクワクする“うた”がある。私にとっては、それだけで十分だ。


 第1楽章は、オーケストラによるマズルカ風のアレグロ・マエストーソの第一主題で始まる。ポロネーズを思わせる弦セクションのカンタービレによる第二主題が繰り返され、さらに第一主題が再現された後でピアノ独奏を誘い出す。ピアノの名手による曲だけあって、華やかさの中に名人芸が求められる。

 第2楽章は、作曲当初の速度指定ははアダージョであったらしい。理由はわからないが、出版時に現在のスタイルに変更されたということだ。弱音器を付けた弦の序奏に続いてピアノが美しい主題を奏でる。弦楽と、あるいはファゴットとの掛け合いを重ねながら、印象的なカデンツァの下降の後でオーケストラが主題を再現し、ピアノの三連音で静かに消えてゆく。

 第3楽章は、華やかで高貴なロンドはポーランドの民族舞踊であるクラコヴィアク。28年には『クラコヴィアク風ロンド』を作曲しているところからも、このポーランド的メロディを大切にしていたことがわかる。ピアノとオーケストラの掛け合いで進行する中、やはり民謡的なメロディが挿入され、壮大な終曲へと突っ走るのだが、高度な技術を必要とするコーダ部分のアルペジョは、ピアニストにとって最大の見せ場、聴かせ処であろう。


 ショパンがポロネーズ、マズルカなど、民族音楽に根ざしたポーランド特有のメロディやリズムを大切にし、それらを古典音楽のレベルにまで昇華させた背景には、やはりショパンの並々ならぬ愛国心を感ずる。ヨーロッパに国民国家という意識が確立していく時代であるが、主権や領土を失ったことより、言語や伝統が奪われていくことへの悲しみや怒りが影響しているからではないのか。自分たちの自由と尊厳、その回復を、音楽を通して訴えているかのようである。

 この曲は1830年4月に着手され、8月に完成。10月11日、ワルシャワ国立劇場で公式に発表された。告別演奏会である。そう、ショパンは11月2日に音楽の都ウィーンへと旅立つのである。そして二度と祖国の土を踏むことがなかった。この曲は、愛するポーランドへの別れのメッセージだったのか…。

 11月22日ウィーンに着いたショパンだが、ほどなくワルシャワ蜂起のニュースを耳にする。独立運動は出発前から高まりつつあったが、このことでポーランド人である彼はオーストリア人から敵とみなされるようになり、音楽活動ができなくなってしまった。31年7月、ウィーンからパリへ向かう。フランスは父親ミコワイ・ショパン(1771~1844年)の出身国であった。途中のシュトゥットガルトで、ロシア軍によって蜂起が鎮圧されたことを伝えられる。そのときの衝撃はいかばかりであったか。ポーランド独立の望みは絶たれたのである。

 フランスには、君主制のロシアやオーストリア、プロシアにはない自由と民主の香りがあった。音楽で祖国に奉仕する。そう決意したショパンは、ロシア帝国が発行する旅券を拒み、フランス市民として、フランスの旅券で演奏旅行した。使用するピアノはフランスの銘器プレイエル。今日ふつうに使われるフレデリック・フランソワ・ショパンの名称も、フランス語の発音である。


 ショパンは1849年10月17日、パリで39年の生涯を閉じた。10月31日、マドレーヌ寺院でおこなわれた葬儀には、パリだけでなく、遠くはロンドン、ベルリン、ウィーンなど、3,000人以上が参列し、モーツァルトの『レクイエム』が歌われたという。棺を運んだのは画家のドラクロアや音楽家のプレイエルら友人たち。ペール・ラシェーズ墓地への長い葬列がつづく。遺言にしたがって、心臓だけはワルシャワの聖十字架教会に運ばれ、内陣の柱に埋め込まれた。終生ポーランドへの愛国心を貫き通したショパンは、祖国への最後の捧げ物として、己の心臓を送り届けたのである。

 現在、西側諸国によるウクライナ支援は、主にポーランドを経由しておこなわれている。行き先はウクライナ西部の都市リヴィウ。ここは、かつてのポーランド領ガリツィア地方である。第二次大戦で、ウクライナのこの地域には、ロシアの後継者たるソ連からの解放を目指し、ソ連と戦うナチス・ドイツに協力する者がいた。ポーランド東部にあるトレブリンカ絶滅収容所が、ウクライナの兵士によって管理されていたのはそのためである。

 1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドのヴェステルプラッテを攻撃して第二次大戦の火ぶたが切られた。17日、東部からソビエト赤軍が侵攻。またもやポーランドは独ソ両国によって占領されてしまう。同年8月23日に独ソ不可侵条約(モロトフ=リッベントロップ協定)が締結されていたが、これには東欧諸国とフィンランドに対する侵攻を相互に承認するという密約が含まれていたのである。ポーランド、ウクライナ、そして現在のロシア…、地上で国境を接する国家の関係は、隣国とは海で隔てられた私たちには想像もつかない複雑さと難しさを併せ持っている。


 ::: CD :::

 ショパンはポーランド人にとってのヒーローだ。その情熱を表現するポーランドのピアニストの名前が頭をよぎる。最右翼はクリスチャン・ツィメルマン(1956年~)だと思う。ピアノ演奏だけでなく、彼自身が指揮をした演奏に文句はない。だが、オーケストラが伴奏に終始しているようで、やや物足りなさを感じるのも事実だ。

 ここでとりあげたのは、情熱のピアニスト、マルタ・アルヘリッチ(1941年~)。サポートするのは、クラウディオ・アバド(1933年~2014年)が指揮するロンドン交響楽団。雄弁だが、語りすぎることのないオーケストラ。まさに協奏曲の理想的なあり方だと思う。この録音は1968年。アバドがロンドン交響楽団の首席指揮者に就任したのは1979年であるから、ミラノ・スカラ座を拠点に活動していた時代である。まだ35歳の若さだが、巨匠の片鱗を垣間見ることができるはずだ。驚いてはいけない。アルヘリッチは当時、なんと27歳!完璧な技術の上に展開する情熱が、聴く人すべてを魅了するに違いない。

収録曲

フレデリック・ショパン
ピアノ協奏曲第1番ホ短調 作品 11

フランツ・リスト
ピアノ協奏曲第1番変ホ長調

ピアノ:マルタ・アルゲリッチ
指揮:クラウディオ・アバド
演奏:ロンドン交響楽団
録音:1968年


(しみずたけと) 2022.12.11

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キャロル・オブ・ザ・ベルズ


Carol of the Bells
鐘のキャロル

12月も半ばとなり、クリスマスの音楽を聴くのが楽しい。

音楽用語にオスティナート(伊:ostinato)というのがあると知った。あるリズム、メロディ、または和音が何度も反復されることを指す。ことばの意味は「執拗な」とのこと。


「執拗な」というだけあって、オスティナートは強く印象に残る。「キャロル・オブ・ザ・ベルズ」というクリスマス・ソングを初めて聴いた時にもそうだった。下の譜面からわかるように、こんなふうに反復されている。

4分音符を基調とするオスティナートの譜面(Wikipediaより拝借)

Wikipediaをのぞいてみた。「キャロル・オブ・ザ・ベルズ」はウクライナ人のマイコラ・レオントーヴィッチュ(Mykola Leontovych 1877-1921)が「シュチェドルィック」Shchedryk というウクライナの民謡をベースに1916年に編曲して作り上げたものである。「シュチェドルィック」はウクライナのことばで「豊富な、潤沢な」という意味、キリスト教以前の時代には春を祝う4月の歌だった。今年の豊作と家族の幸せを願った歌だ。キリスト教がもたらされ、ユリウス暦が採用されたことによって、暦が移動し、1月に新年を祝う歌になったのだとか。

では、なぜ新年を祝う歌がクリスマス・ソングになったのだろうか。アメリカ人作曲家のピーター・J・ウィルウフスキー (Peter J. Wilhousky 1902-1978)が1936年に、民謡で歌われる意味とは異なった英語の歌詞を付けてクリスマスの音楽とし、アメリカやカナダで特に好まれて歌われたよし。

オスティナートがゆえに人々の印象に残るのか、あらゆるジャンルの音楽で、世界中の多くの歌い手や演奏者が「キャロル・オブ・ザ・ベルズ」を演奏している。それぞれたいそう異なっていて、これが良いよー!とは言えないのがつらいけれど、三つほど紹介したい。(わたしがたまたま耳にした曲というに過ぎないけれど。)

まず初めに紹介するのは「キトカ」 KITKAという、アメリカ、オークランドの女声合唱グループが歌うキャロル・オブ・ザ・ベルズ。キトカは東ヨーロッパの民謡を歌うグループとのこと。東ヨーロッパではしばしば正調で歌われる合唱を耳にする。とは言っても、「正調」ということばの意味は今ひとつわからない。辞書には民謡などで伝統的な歌い方をする場合に用いられるとあるが、わたしは昔からこのことばを発声方法にあてはめて自己流に使ってきた。日本の民謡でも「正調そーらん節」といった使われ方をするようだけれど、その意味もよくわからない。他の音楽ジャンルによるアレンジなしの演奏ということだろうか。英語では、Traditional tune などという。キトカも正調で歌うグループではあるけれど、このシュチェドルィックではそれは顕著ではない。

正調で歌う合唱は一般にブルガリアン・ヴォイスといわれるのだろうか。Cosmic Voices from Bulgaria だとか、Bulgarian Voices というブルガリアの合唱グループが音楽検索で浮かび上がってくる。東欧には数えきれないほどの民謡の合唱グループがあることだろう。ダンスも豊富で魅力的な地域だ。

Cosmic Voices from Bulgaria

次に挙げるのはこの曲を世界に広めた元祖、スウィングル・シンガーズ Swingle Singersかなと思ったけれど、クリスマスの歌といえば、リベラの歌が思い浮かぶ。わたしが子どもの頃はウィーン少年合唱団だったけれど。リベラの合唱は他とは少々異なったアレンジが美しい。


次はジャズ・バージョン。デイヴィッド・ベノワのピアノ・ソロ。わたしの、なかなかのお気に入りである。彼のトリオ・バンド版もあるけれど、ソロはとても良い。このアルバムは2020年にリリースされた。『ピーナッツ』の絵が使われているのは、1989年に『ピーナッツ』の生誕40周年に寄せたコンピレーション・アルバムに参加して以来の縁らしい。


ケルン大聖堂の鐘たち

さてさて、話はガラッと変わり、正真正銘の『キャロル・オブ・ザ・ベルズ』のこと、ケルン大聖堂の鐘たちである。まずは、その鐘の音を下の動画で数分間だけでも聴いてほしい(動画は30分間)。2012.12.7の撮影とある。クリスマス・バージョンの鐘の音かもしれない。

最初の10分間は一番大きいベルが鳴るのみなので、ここでは13分31秒、隣りのより高音のベルが振れ始める直前から聴けるようにした。初めの10分間は大きいベルの独演というわけだ。撮影カメラの位置が変わるため、確実には数えることができないものの、5つほどの大小のベルが同時に振れるのを見ることができる。低音から高音までの複数のベルが鳴り、クライマックスが過ぎ、やがて高音のベルから徐々に止まっていく。動画の28分頃には一番大きいベルのみの音となり、それも1分間ほどで静止する。

ベルに雪が積もっていたために、振れるたびに雪が落ちている。


ケルン大聖堂の塔はツインになっていて、南塔に備わっている大小8つのベルがメインとなって市中に鐘を鳴り響かせている。真ん中の一番大きいベルは「太っちょペーターさん」との愛称があり、重量は24トン、直径は3.22メートル、1923年に鋳造された。先代のベルは1875年に設置されたばかりだったが、1908年に鐘舌が落ちてしまい、第一次世界大戦に用いるために1918年、溶融された。1924年からは現在の「太っちょペーターさん」が鳴っている。8つのベルの中で一番若い。今年98歳ではあるけれど。

ペーターの次に大きなベルは1448年設置のPretiosaと1449年設置のSpeciosa、直径がそれぞれ2.4メートル、2.03メートル。中世後期から鳴り響いているということか。気が遠くなる。


(Ak.) 2022.12.13

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チャイコフスキー『小ロシア』


ピョートル・チャイコフスキー
交響曲第2番『小ロシア』

 毎日のように伝えられるウクライナ情勢。ロシア、ウクライナ、それで思い出したのがチャイコフスキーの交響曲第2番ハ短調『小ロシア』。

 ロシアを代表する作曲家、ピョートル・チャイコフスキー。彼は1840年、鉱山技師の息子として、ロシアのウラル地方に生まれた。バレエ音楽『白鳥の湖』や『くるみ割り人形』の作曲者であることは誰もが知っている。それでは、同じ姓をもつ人物を思い浮かべることができるだろうか。あれれ、チャイコフスキーは珍しい苗字なのかな。実は、祖父ピョートル・フョードロヴィチの代からチャイコフスキーを名乗るようになり、元の姓は「かもめ」を意味するチャイカだった。このウクライナの伝統的なファミリー・ネームから、ポルタヴァに領地を持っていたコサックの末裔であることが推測できる。

 チャイコフスキーにとって、ウクライナは重要な土地だったに違いない。出自というだけではなく、妹のアレクサンドラがカーメンカのダヴィドフ家に嫁していたからである。ダヴィドフ家は大富豪で、チャイコフスキーは毎年のようにここを訪れ、なに不自由なく作曲に専念できたという。交響曲第2番も、1872年、ここで作られたのである。

 交響曲第5番については、ムソルグスキーの歌曲「司令官」の中でアバド&ベルリン・フィル盤を、組曲『展覧会の絵』の中でストコフスキー&ニュー・フィルハーモニア管弦楽団の演奏を紹介ずみである。有名な第4番・第5番・第6番『悲愴』の後期交響曲にくらべ、第3番までの前期作品があまり知られていないのは実に惜しい。

 第2番の副題になっている小ロシアとは、現在のウクライナのあたりを指す。ロシアとウクライナは、それほど近しい関係だった。というより、豊かなウクライナがあったからこそ、ロシアは大国として君臨できたというのが事実である。“小…”には、ロシアに付随するとか従属するという意味合いでつけられた、ある種の蔑みを含んだ呼称ということになるのだろう。こうしたことを慮ってか、今日では副題の表記を『ウクライナ』としたディスクも存在する。

 冒頭の一文に免じて音楽の話から少しばかり脱線することを許していただきたい。ウクライナの首都キエフ、最近では現地の発音を重んじてキーウと呼ぶようになったが、ここにあったキエフ公国の歴史なくして今のロシアを語ることはできない。キリスト教を国教化したヴォロディーミル大公によって版図が広がり、中世の欧州における屈指の大国になったキエフ公国は、草原の覇者モンゴルの侵略により衰退。その栄光はモスクワ公国に引き継がれることになる。

 以後、帝政ロシアもソビエト社会主義共和国連邦も、政治の中心となったペテルブルクあるいはモスクワが、周囲から農作物や地下資源、労働力を収奪することでその国力を維持してきた。1917年のロシア革命では、まだモスクワの中央集権体制が保たれていた。それどころか、スターリン体制下でむしろ強化されたと言っても良かろう。それが91年のソ連邦崩壊によって瓦解したのである。ウクライナは同年7月16日に主権を宣言し、8月24日には国号をウクライナ共和国と改めて独立を宣言、12月26日に承認された。

 ロシアのプーチン大統領は、ロシアもウクライナもキエフにルーツを持つ、いわば兄弟国であり、ウクライナはロシアの一地方である。滅亡したキエフ公国の支配地をひとつにすることこそ、民族としても理に適ったものだ。そう主張することで侵略を正当化したいようであるが、ウクライナの視点からすれば、むしろロシアがキエフ公国、すなわちウクライナの一部ということになる。さらに、ウクライナとロシアは民族も言語も異なる。もちろん意思疎通は十分できるのだが、それはポルトガル人がスペイン語を理解できるとか、独語を話せるオランダ人がいるというのと同じでしかない。

 ウクライナは多民族国家なのである。たとえば、クリミア半島に住むのは、もともとはタタール系の民族だったが、帝政時代とソ連時代に、彼らは余所の地に移され、多数のロシア系住民が入植させられた。黒海に面するここは、強大なオスマン帝国と対峙する軍事的要衝であり、南下政策の拠点だったからで、今なおセバストポリはロシア黒海艦隊の大軍港である。クリミアの住民がロシアへの帰属を求めたというカラクリの背景くらいは知っておいた方が良いだろう。

 さて、交響曲に戻るとしよう。第1楽章と第4楽章にはウクライナ民謡が用いられている。そのことから、グリンカを嚆矢とする国民楽派に位置づけられることもあるチャイコフスキーだが、彼の音楽はむしろドイツ色が濃い。さらに第4交響曲を作曲した後、1880年に改訂を施したことで、技巧的な洗練度を増したのと引き替えに、この曲が持っていたローカルで民族的な香りが薄まり、ますますヨーロッパ的になった。そう、もともとロシアはヨーロッパではなかったのである。

 たとえば第1楽章に現れる民謡《母なるヴォルガを下りて》の旋律。原典版では序奏から派生させた主題として現れるのだが、改訂版では第1主題として新たな旋律が加えられ、元からあった原典版の主題の方は焼き直されて第2主題として登場することになった。二つの主題を対比させることで、より厚みをもたせた形式に変更されたわけである。終楽章でヴァイオリンが奏でるアレグロ・ヴィーヴォの主題、こちらはウクライナの民謡《鶴》からとられたものだ。ロシア民謡のメロディとは違うことがわかるだろうか。

 改訂によって、交響曲第2番は引き締まり、やや筋肉質になった印象である。演奏時間は短くなったが、民族臭よりも当時の西欧音楽の主流をなす繊細さと重厚さを併せもつ交響曲作品へと変貌した。この頃、フランス音楽に触れたチャイコフスキーは、より洗練されたオーケストレーション技法を身につけるのと同時に、その影響によって自身の音楽思想を大きく転換したのかもしれない。やや荒削りだったかもしれないが、改訂前にあった魅力あふれる節回しが失われてしまったのを惜しむのは、はたして私だけであろうか。今日演奏されるのは1880年の改訂版であることがほとんどだが、1872年の原典版の方が優れているという声もある。


::: CD :::

1)マゼール盤

 カラヤン、バーンスタインの次代を担う四天王として、アバド、小澤征爾、メータと並び称されたロリン・マゼール(1930~2014年)。これは彼がまだ30代だった時の演奏である。民族音楽的なスタイルを排し、名門ウィーン・フィルの繊細な音による純音楽的なアプローチからは、「私が思うチャイコフスキーの音楽とはこういうものなのだ」という強烈な主張が感じられよう。晩年のマゼールは、やや高慢な人間と受けとめられていた節があり、熱烈なファンがいる一方、嫌いという人も少なくない。しかし、若いエネルギーと才気走ったこの演奏には、好き嫌いを越えて納得させられてしまうのだ。

指揮:ロリン・マゼール
演奏:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1964年


  

2)スヴェトラーノフ盤

 チャイコフスキーの交響曲全集を何種類か残したエフゲニー・スヴェトラーノフ(1928~2002年)だが、この東京公演でのパワフルかつ鮮烈さが抜きん出た演奏のすさまじさはどうだ。ライブ特有の覇気が満ちあふれ、厚く重くうねるオーケストラの響き、雄弁なカンタービレが、後期の交響曲で花開くチャイコフスキーならではの音楽を予感させる。これこそ典型的なロシア風(ソビエト風か?)の名演に違いない。

指揮: エフゲニー・スヴェトラーノフ
演奏: ソビエト国立交響楽団
録音: 1990年、東京・サントリーホール(ライブ)


  

3)サイモン盤

 演奏会でも録音でも、今日聴くことができるもののほとんどは、改訂を施された1880年版である。それらを否定するわけではないが、元はどうだったのであろうか。そのような興味を抱く人もいるに違いない。ありがたいことに、1872年の初稿によるものが存在する。ジェフリー・サイモン(1946年~)とロンドン交響楽団による演奏もすばらしい。改訂版では第二主題として現れるメロディが、ここでは第一主題として登場するのだが、それが土臭さというか、よりウクライナを感じさせる。チャイコフスキーの弟子や友人たちは、むしろ改訂前のこちらを高く評価していたようだ。その是非は、聴いてみてのお楽しみということで…。

指揮: ジェフリー・サイモン
演奏: ロンドン交響楽団
録音: 1982年



(しみずたけと) 2022.11.28

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