眠れぬ夜は…《シェヘラザード》



交響組曲《シェヘラザード》作品35(1888年)

第1楽章「海とシンドバッドの船」

第2楽章「カランダール王子の物語」

第3楽章「若い王子と王女」

第4楽章「バグダッドの祭り、海、船は青銅の騎士のある岩で難破、終曲」


 

::: C D :::

 なにしろ大人気の曲であるから、録音は多いし、魅力あるものであふれかえっている。嬉しいくらいチョイスに迷ってしまう。

1)バーンスタイン盤

 レナード・バーンスタイン(1918~90年)が、哲人指揮者ディミトリ・ミトロプーロス(1896~1960年)の後を受け、名門ニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督に就任したのが1957年。まだ40歳になる前のことである。そのわずか一年後であるが、粘るようなテンポ、直截かつ明敏な音作り、精悍で起伏豊かなバーンスタインならではの世界が、このとき既に完成されていたことがわかる。

 なぜこの盤を最初に持ってきたのか。シャーリアール王を表すトロンボーンである。やや割れ気味の大音量が、オラオラ顔の、いかにも暴君といった風情に聞こえないだろうか。対するシェヘラザードは、名コンサートマスターとして知られたコリリアーノの美しいソロ。重厚と軽妙、動と静、明と暗を鮮やかに対比させつつ、若さと熱い意欲がほとばしる圧倒的な演奏となっている。

 カップリングされている『スペイン奇想曲』作品34は、リムスキー=コルサコフが前年に作曲したもの。こちらはカーネギー・ホールでのライブ録音である。

1.交響組曲『シェヘラザード』
2.スペイン奇想曲

演奏:ニューヨーク・フィルハーモニック
独奏:ジョン・コリリアーノ(ヴァイオリン)
指揮:レナード・バーンスタイン

録音:1959年


2)ストコフスキー盤

 レオポルド・ストコフスキー(1882~1977年)はこの曲を六回録音しているらしい。これはたぶん最後から二番目のものだ。この演奏を聴くと、バーンスタインの指揮ぶりが真面目すぎるように思えてしまう。それくらい、あの手この手をくり出してくる。

 どんな曲でも、効果的に聴かせる、聴衆に喜んでもらう、そんなサービス精神にあふれた奇才、それがストコフスキーだった。スコアとは異なる楽器の使い方をしたり、音符を付け加え、小節をカットし…。やりたい放題と批判する人もいるが、聴いていて面白いことこの上ない。ここでもシロフォンを派手に鳴らすなど、打楽器群に手を入れ、テンポを自在に動かして効果を上げている。口さがない人は“ストコ節”などと呼ぶが、この曲は標題音楽なのだから、むしろそれで良い、その方が良いと思うのだ。ヴァイオリン・ソロは、繊細さよりも賢くて強い女性を思わせる。私はこのグリューエンバーグのスタイルがいちばん気に入っている。

 こちらもカップリングは『スペイン奇想曲』。バーンスタインと聴きくらべてみるのも一興だろう。

1.交響組曲『シェヘラザード』
2.スペイン奇想曲

演奏:ロンドン交響楽団
   ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(2)

独奏:エリック・グリューエンバーグ(ヴァイオリン)
指揮:レオポルド・ストコフスキー

録音:19
64


3)ロストロポーヴィチ盤

 ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(1927~2007年)は世界屈指のチェリストだったが、指揮者としての評価はそこまで高くない。しかし、劇的な起伏に富んだスケールの大きさを感じさせるこの録音は、間違いなく一級品に仕上がっている。エキゾチックでありながら、それだけに頼るようなところは微塵もない。色彩豊かなリムスキー=コルサコフの音楽は、とりわけフランスのオーケストラとは相性が良く、その美点が最良の形で現れた演奏と言って良いだろう。

 シャーリアール王のトロンボーンが表すのは、決して粗野な暴君ではなく、裏切られて傷ついた知的な権力者のようである。それを癒やし、真人間に戻そうとするかのような知性あふれるシェヘラザード。ヨルダノフのヴァイオリンが実に素晴らしい。

演奏:パリ管弦楽団
独奏:ルーベン・ヨルダノフ(ヴァイオリン)

指揮:ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ

録音:1974年


4)小澤征爾盤

 小澤征爾は、シカゴ交響楽団、ボストン交響楽団、ウィーン・フィルと、この曲を三回録音している。彼のフランスものやロシアものに定評があるのは、色彩感豊かでリズミカルな音作りがマッチングの良さとして現れるからに違いない。しかし、この演奏を聴くと、他の指揮者とはやや趣を異にすることに気づかされる。

 こってりした色調の油絵のような演奏が多い中で、小澤征爾の『シェヘラザード』はスーラのような点描画、いや、ときおり墨だけで描いた中国の南画のようにも思えてくる。眼前に色鮮やかな海が広がっているかと思えば、次の瞬間には砂漠の夜がモノトーンで立ちのぼる。まるで蜃気楼を見ているようではないか。そうか、アラビアン・ナイトの世界は、実は白日夢。

 日本人指揮者だからではない。中国大陸に生まれた小澤征爾ならではの、西洋と東洋の接する境界領域を描いているかのようだ。激しい嵐で船は難破、しかし嵐がやんだ海は静けさを取りもどす。まるで何もなかったかのような、非情なまでの穏やかさと美しさ。リムスキー=コルサコフが描こうとしたのは、まさにこれだったのではあるまいか。

演奏:ボストン交響楽団
独奏:ジョゼフ・シルヴァースタイン(ヴァイオリン)

指揮:小澤征爾

録音:1977年


5)コンドラシン盤

 ロシアの名指揮者キリル・コンドラシン(1914~81年)は、1978年に西側に亡命。67歳で急逝したため、活動できたのは、わずか三年。短い期間であったが、残された録音は優れものばかりである。これもそのひとつ、オランダの名門コンセルトヘボウとの共演が生んだ、色彩感とエキゾチズムにあふれた名録音だ。

 このオーケストラの最大の美点は、おそらく管楽器群、とりわけ金管楽器のいぶし銀のような音色だろう。コンドラシンの指揮は、それらを雄弁で表情豊かに鳴らし、しかも品格を保ちながら、全体を大きなスケールで描いていく。

 カップリングは、日本の演奏会ではあまり聴く機会のないアレクサンドル・ボロディン(1833~87年)が1877年に作曲した交響曲第2番で、1980年のライブ録音である。

1.交響組曲『シェヘラザード』
2.ボロディン:交響曲第2番ロ短調

演奏:アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽
独奏:ヘルマン・クレバース(ヴァイオリン)

指揮:キリル・コンドラシン

録音:1979年、1980年(ライブ)


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夜空を見あげて《惑星》



ホルスト 組曲『惑星』作品32(1916年)

第1曲 火星、戦争をもたらすもの
第2曲 金星、平和をもたらすもの
第3曲 水星、翼のある使者
第4曲 木星、よろこびをもたらすもの
第5曲 土星、老いをもたらすもの
第6曲 天王星、魔術師
第7曲 海王星、神秘主義者

 さて、あまり小難しいことなど考えずに、音楽そのもを楽しむことにしよう。


::: C D :::

 組曲『惑星』は世界的に人気があり、少し前までは演奏会でも頻繁にとりあげられていた。録音の数も多い。この曲の演奏には、大きく分けて三つの様式があるように思う。ひとつはイギリスの伝統的な民謡を彷彿とさせる、やや地味ではあるが、ゆったりとした中に壮大なスケール感を醸し出すもの。英国出身の指揮者にはこのスタイルが多く、同郷のオーケストラとのコンビでそれは最大限に発揮されるようだ。次に、濃厚なロマンチシズムと優雅さを併せもったヨーロッパ的な演奏。そして最後は、大スペクタクル映画のような煌めきと迫力に満ちた、華麗と言うよりはド派手なアメリカン・スタイル。それぞれに良さがあり、好みもあるだろうから、それら三つに合いそうなものを紹介したいと思う。

 

1)ボールト盤

 まずは正統派イギリス的演奏として、エードリアン・ボールト(1889~1983年)をあげたい。作曲したホルストの信頼篤く、この曲の初演を任された人である。ライブを除き、『惑星』を全部で五回も録音している。1978年にロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を振った最後のものが高い評価を得ているようだが、私はニュー・フィルハーモニア管弦楽団との1966年の演奏をとりたい。あらゆる意味でスタンダード、後のレコーディングの指標になった演奏だろう。「木星」の中に、“ため”とでも言えば良いだろうか、一呼吸おく箇所がある。ボールトの他のレコーディングにはないのだが、これが実にイギリスを思わせるのだ。

 『惑星』を複数回レコーディングしている指揮者はあまりいない。いるとすれば、それはレコード会社の要請であろう。なにしろ人気の曲だから、一定数売れるに決まっている。しかし、ボールトだけは別格だ。作曲者本人を知り、信頼し合い、初演者なのである。曲の解釈、そして曲への思い入れ、この人の右に出るものはいないと言って良いだろう。

指揮:サー・エードリアン・ボールト
演奏:ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

合唱:アンブロジアン・シンガーズ女性グループ

録音:1966年


2)カラヤン盤

 英国ローカルだった『惑星』が世界的に知られるきっかけになったのは、おそらくこのレコードによるものだろう。広大なレパートリーを誇るヘルベルト・フォン・カラヤン(1908~89年)だが、英国ものの録音は決して多くはなかった。彼がなぜこの曲をとりあげたのかはわからないが、クラシック音楽をビジネスとして見る目、録音技術への関心を思うと、『惑星』はレコード化にうってつけの題材だったのだろう。

 「火星」では、ユーフォニアムの代わりにワグナー・チューバが使われている。この頃、ウィーン・フィルはデッカのプロデューサーを務めていたジョン・カルショー(1924~80年)のもと、ゲオルク・ショルティ(1912~97年)の指揮でワーグナーの『ニーベルンクの指輪』全曲録音を進めていたが、それが関係しているのだろうか。ユーフォニアムの澄んだ音にくらべ、やや割れ気味の音が迫力を加えている。

 慣れない曲ということもあって、「木星」ではオーケストラがついて行けずにアンサンブルが乱れるところがある。ウィンナ・ホルンは、ダブルピストン・バルブを使用した、基本的にはFシングル管の一種古楽器であるし、ピストンではなくロータリー・バルブのウィンナ・トランペットともども、速いパッセージは得意ではない。楽器が良くなり、演奏技術も進歩した今日であれば、おそらくこのようなことにはならないだろうが、なにしろ60年も前の演奏なのだ。それにしても当時のデッカの録音技術は凄い。半世紀以上前とは思えない音質に驚かされてしまう。

 カラヤンは20年後に手兵のベルリン・フィルと再録音している。演奏はさらに洗練され、デジタル録音と相まって、より華麗さを増しているのだが、私はこのウィーン・フィルとの録音の方が好きだ。エポック・メイキングという事実もさることながら、華麗さではなく“華”とでも言えば良いだろうか、チャーミングな優美さに惹かれてしまう。

指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
演奏:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
合唱:ウィーン国立歌劇場合唱団


録音:19
61


3)メータ盤

 インドはムンバイの裕福なパルシーの一族として生まれたズービン・メータ(1936年~)。マゼール、アバド、小澤征爾とともに、カラヤンとバーンスタインの次代を担う四天王として、若いときから将来を嘱望された俊英である。カラヤン&ウィーン・フィルによって、一般に知られるようになった『惑星』であるが、クラシックのファン以外にも広く認知され、その後の大ブレークのきっかけになったのは、おそらくこのレコードだったろう。このとき、メータはまだ35歳。

 しなやかな弦セクション、咆哮する金管楽器群。いかにもアメリカ的だ。同じ年に、バーンスタインもニューヨーク・フィルハーモニックとのコンビで録音しているが、ロサンゼルス・フィルの方が明るくて躍動感にまさっている。26歳で音楽監督に就任し、地方オーケストラに過ぎなかった同楽団を全米トップクラスに育て上げた手腕には恐れ入ってしまう。

 ニューヨーク・フィルハーモニックに転出したメータは、89年に同曲を再録しているのだが、老成というか巨匠風に過ぎると言うべきか、かつての若さあふれるエネルギッシュな指揮ぶりが好きだったがゆえに、なにかが足りなく思えてしまうのだ。

指揮:ズービン・メータ
演奏:ロサンゼルス・フィルハーモニック
合唱:ロサンルス・マスターコラール女声合唱

   (合唱指揮:ロジェ・ワーグナー)

録音:1971年


三つの盤の演奏時間を比較すると・・・

ボールトカラヤンメータ
火 星 7:217:007:10
金 星 8:518:188:05
水 星 4:053:553:49
木 星 8:027:357:50
土 星 9:138:309:52
天王星 6:285:445:38
海王星 7:097:367:03

(しみずたけと) 2023.8.28

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スッペとサン=サーンスの《レクイエム》


 この一年というもの、ロシアによるウクライナ侵攻に心が痛みっぱなしだった。しかし、本当に辛い思いをしたのは、私などではない。数多の犠牲者を悼むべく、様々なレクイエムをとりあげてきた理由はそこにある。モーツァルト、ヴェルディ、ケルビーニ、フォーレ、デュリュフレ、ドゥランテ、ブラームス、ベルリオーズ、ドヴォルザークと、18世紀半ばから20世紀半ばまでの200年にわたるヨーロッパ版“野辺おくり”の音楽。

 クラシック音楽におけるレクイエムは、国民国家の誕生とその膨張、そして他の国民国家と衝突するようになった時代に多く生まれている。背景にあるのは、一部の人たちの富と利権。作曲家たちは、そんな背景を敏感に感じ取っていたのかもしれない。演奏する人たちは、そして私たち聴衆は、そのことに気づいているだろうか。

 人はすべて死すべき存在。しかし理不尽な死を減らすことこそが文明であり、それが文明の到達点を測る尺度ではないのか。そう考えると、人類は本当に進歩してきたと、胸を張って言いきれるだろうか。ウクライナだけではない。ミャンマーで、香港で、シリアで、アフリカで、世界中のいたるところで、人間の命が脅威にさらされている。一連のレクイエムを、このような思いで聴かなくてすむ世界は来るのか。来るとすれば、それはいつなのか。そのために、私たちがしなければならないことは何か


スッペ『レクイエム』ニ短調(1855年)

 オーストリア生まれのフランツ・フォン・スッペ(1819~1895年)。「ウィンナ・オペレッタの父」と呼ばれたりもするが、指揮者や歌手としても活動した人である。上演されることが多いのは、喜歌劇『詩人と農夫』、『スペードの女王』、『美しきガラテア』などだろうか。コンサートでもしばしばとりあげられる『軽騎兵』の序曲は、誰もが一度は聴いたことがあるはずだ。

 作曲家スッペは有名だし、スッペの作品もポピュラーなのに、スッペがレクイエムを作曲していたことを知る人は少ない。いちど聴いてみてほしい。

第1曲 永遠の安息を
第2曲 怒りの日
第3曲 妙なるラッパの響き
第4曲 畏こき御霊威の王
第5曲 思い出し給え
第6曲 呪われし者を

第7曲 涙の日
第8曲 主イエス・キリスト
第9曲 賛美の生け贄と祈り
第10曲 聖なるかな
第11曲 祝福あれ
第12曲 天主の子羊
第13曲 救い給え


サン=サーンス『レクイエム』作品54

 一方のシャルル・カミーユ・サン=サーンス(1835~1921年)は、オーストリアとはライバル関係にあるフランスの作曲家。私は交響曲第3番ハ短調『オルガン付き』を真っ先に思い浮かべるのだが、面白さでは『動物の謝肉祭』かもしれない。チェロが奏でる優雅な「白鳥」は誰もが知る人気曲。さらに「ピアニスト」の題で人間が登場するなど、なかなか皮肉が効いている。

 そんな彼が作曲した『レクイエム』があるのだが、あまり知られていないのはなぜだろう。これまで紹介してきた作品、ベルディやベルリオーズのものと比べると、40分足らずの比較的小ぶりな曲となっている。儀式用には大曲の方が効果的だからであろうか。


 セザール・フランクらと国民音楽協会を結成したサン=サーンスだったが、パリのマドレーヌ寺院のオルガニストという二足の草鞋だったこともあり、作曲だけに専念するわけにもいかない日々をおくっていた。当時、フランス郵政大臣の地位にあったアルベール・リボンが、死後のレクイエムを作曲するという条件で10万フランを遺贈するという約束をしてくれたおかげで、オルガニストの激務から解放されたのである。しかもリボンは、レクイエム作曲の義務を取り下げるまでした。それほど作曲家サン=サーンスを買っていたのだろう。

 しかしサン=サーンスは、1877年5月にリボンがこの世を去ると、彼との約束を反故にすることなく、翌年4月、滞在先のスイスで八日間という短い日数で、この『レクイエム』を書き上げた。そして5月22日、リボンの一周忌に初演がなされたのである。なんとも義理堅いというか、誠実な人柄ではないか。

第1曲 レイエム ― キリエ
第2曲 怒りの日
第3曲 おそるべき王よ
第4曲 ひれ伏して願いたてまつる
第5曲 賛美の犠牲(いけにえ)
第6曲 聖なるかな
第7曲 ほむべきかな
第8曲 神の子羊



::: CD スッペのレクイエム :::

 この曲の録音は少ないようだ。私もこれしか聴いたことがない。たった一種類しか知らずに選ぶのもどうかと思うだが、とりあえずご容赦を。

 指揮はドイツ人のゲルト・シャラー(1965年~)。アントン・ブルックナーを得意とし、フィルハーモニー・フェスティヴァとのコンビで全集の制作を進めている。このオーケストラは、シャラーが2008年、ミュンヘン・フィル、バイエルン放送交響楽団、バイエルン州立歌劇場管弦楽団といったミュンヘンの主要オーケストラを中心に、周辺のオーケストラの優秀な団員で構成するアドホック的な楽団のようだが、一連のブルックナー作品の録音は現時点における最高水準との呼び声も高く、世界的に知られるようになった。

独唱:
マリー・ファイトヴァー(ソプラノ)
フランツィスカ・ゴットヴァルト(コントラルト)
トミスラフ・ムジェク(テノール)
アルベルト・ペーゼンドルファー(バス)


合唱:ミュンヘン・フィルハーモニー合唱団
   合唱指揮 アンドレアス・ヘルマン


指揮:ゲルト・シャラー
演奏:フィルハーモニー・フェスティヴァ


録音:2012年(ライブ)


::: CD サン=サーンスのレクイエム :::

 こちらはチャイコフスキーの交響曲第2番、しかもあまり演奏されることのない改訂前の版で紹介したジェフリー・サイモン(1946年~)が指揮する英国のオーケストラ。この人は、どうも他の人がやらないことにチャレンジするのが好きなようだ。こういう人の存在が、私たちの楽しみの場を広げてくれる。みんな同じとか一種類しかないというのは、実につまらないことだ。違うもの、大歓迎! 独唱陣もロンドン・フィルもいい。

 カップリングの交響曲第3番は有名だが、歌劇『黄色い姫君』序曲を知る人は多くはあるまい。これらをまとめて聴くことができるとは、なんとお得なディスクだろう。

収録曲
1.歌劇『黄色い姫君』作品30~序曲(1872年)
2.レクイエム ハ短調 作品54(1878年)
3.交響曲第3番ハ短調『オルガン付き』作品78(1886年)

独唱:
ティヌケ・オラフィミハン(ソプラノ 2)
キャスリン・ウィン=ロジャース(アルト 2)
アンソニー・ローデン(テノール 2)
サイモン・カークブライド(バス 2)


合唱:ハーロウ&イースト・ロンドン合唱団(2)

指揮:ジェフリー・サイモン
演奏:ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
   ジェームズ・オドンネル(オルガン 2, 3)


録音:1993年


第1曲 レクイエム ― キリエ
第2曲 怒りの日
第3曲 おそるべき王よ
第4曲 ひれ伏して願いたてまつる
第5曲 賛美の犠牲(いけにえ)
第6曲 聖なるかな
第7曲 ほむべきかな
第8曲 神の子羊

(しみずたけと) 2023.8.27

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放射能汚染水の海洋投棄をどう考えるか


 福島第一原発にため込まれた汚染水の海洋投棄が始まった。いくら「処理水」と言い換えても、放射性物質を含む水を汚染水と呼ぶのに何の問題があろうか。「海に流してそのまま」を投棄と言うのは間違いだろうか。どれだけ薄めても、濃度が下がるだけで、なくなるわけではない。1ccの汚染水を1L(1000cc)の真水で薄めたら0.1%、10Lの水なら0.01%になるが、決して0%にはならない。0に近づく漸近線だ。値が小さくて計測できないと言うのは、0と同じではない。あまり数学が得意でない私にも、それくらいはわかる。

 放射性物質は、どの程度までなら安全なのか、どこから先が危険なのか。許容できる被ばく線量に“しきい値”は存在しないというのが現代科学の到達点である。危険度の大きさが変わるだけで、危険があるかないかという意味ではない。2倍に薄めても、2倍摂取すれば同じことになる。トリチウムの半減期は12.32年。こちらも漸近線である。

 福島第一原発では、2011年3月の東日本大震災による事故が起きてから、原子炉の冷却に使用された134万立方メートルの汚染水が処理され、ためられてきた。1立方メートルは約1トンだから、およそ134万トンということになる。これを30年かけて海に流す。今年度は約3万1200トンが予定されているそうだ。

 事故から12年で134万トンの汚染水が生じたわけだが、これで終わりではない。廃炉が完了するまで冷却し続けなければならないし、水脈からの地下水は止まっていない。これからの12年で、いったいどれくらいの汚染水が生ずるのだろうか。それを海に流すのに、また数十年を要するということになりそうだ。30年で終わるどころか、30年後にはさらに増えているかもしれない。減らすには投棄量を増やすしかない。いくら薄めても、倍量流せば、倍の放射性物質が海に入る。

 放射性物質をプランクトンが摂取する。そのプランクトンを小魚が食べ、その小魚を大きな魚が食べる。食物連鎖によって、汚染濃度は高まっていかざるを得ない。私たちが食べても大丈夫なのか。内部被ばくを過小評価すべきではない。それ以前に、私たちはそれらを食べたいか、食べる気になるかの方が問題かもしれない。漁業関係者が心配するのは、むしろそちらだろう。

 二尾の魚が売られているとしよう。一方は福島県の沖合で獲られた魚、もう一方はそうでない海のもの。同じ値段だったら、あなたはどちらを選ぶか。福島産が半値なら買う人がいるかもしれない。そこなのだ。福島産というだけで、同じ値段にならない。大きな魚であればあるほど、より多くの放射性物質を蓄積している可能性だってある。そうした消費者の危惧を「風評被害」で片付けて良いのか。

 仮にそれは風評被害に過ぎないとしよう。それを防ぐにはどうしたら良いか。福島産の魚介類を危険だと言ってはならない、SNSなどで「私は福島産を避けています」などと発信してはならない、違反する者は処罰…。なんと恐ろしい国家だろう。産地表示を禁止してはどうか。産地がわからなければ、消費者は福島県産もその他の地域のものも同じように扱うだろう。なんと無責任な国家だろう。

 どうせ国民はすぐに慣れるさ。忘れてしまうさ。何かあったとしても、その頃には自分は首相ではないし、政治家も引退しているさ。なんと無責任な政府だろう。その頃には、もう自分も生きていないだろうし、知ったことではない。子どもや孫がどうにかしてくれるだろうさ。なんと無責任な国民だろう。全体がシラけて、中心にあるのは大きな真っ赤なウソ。ああ、「日の丸」はまさにこの国を表しているのだな。


(しみずたけと) 2023.8.27

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第7回三多摩平和交流会


講演/学習会/パネル展
戦争を記憶し、三多摩から平和な未来を考えよう!

2023.9.30(土) 13:00 ~ 18:0
0
2023.10.1(日) 9:00 ~ 17:00
武蔵野芸能劇場(武蔵野市、三鷹駅北3分)


主催:第7回三多摩平和交流会実行委員会

後援:武蔵野市 武蔵野市教育委員会

三多摩平和交流ネットワークのサイトへリンク


2023.8.26

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