クリスマスのうた

 

 来週はもうクリスマス。コロナ禍のせいだろうか、以前のようなけたたましいまでの商戦は見られなくなったような気がする。もともとキリストの生誕を祝う宗教行事だったものが、わが国ではちょっと違和感を抱かざるを得ない、やたら騒々しいだけの季節イベントと化してしまったように感ずるのは私だけだろうか。個人的には、この時期はもう少し静かに過ごしたいと思っているのだが。

 CDショップの店頭には、クリスマスの曲を集めたディスクが並ぶ。多くは、既存の音源の中から、それらしいものを寄せ集めたオムニバス盤だ。季節商品ではあるが、ブッシュドノエルとは違うのは、25日になっても投げ売りされたりしないところだろう。ここで紹介するのは、クリスマス曲集として制作されたもの。けっして新しい録音ではないが、私のお気に入りだ。

カラヤン/アヴェ・マリア

 オリジナルのタイトルは“Christmas with Leontyne Price”のはずだが、最初に買ったLPレコードでは《カラヤン/アヴェ・マリア》となっていた。デッカに録音された、ヘルベルト・フォン・カラヤンとウィーン・フィルの演奏が10種類ほどラインアップされたシリーズの一枚で、当時はロンドン・レーベル(販売はキングレコード)。カラヤン来日に合わせた企画だからなのだろうが、このレコードの主役は、誰が考えてもソプラノ独唱のレオンタイン・プライスだろう。CD化されたあとも、あいかわらず同じ日本語タイトルが添えられている。

 プライスは、1927年、アメリカのミシシッピ州に生まれた。人種差別の強い南部だが、歌唱力を認められ、ジュリアード音楽院の奨学生に。25才の時にダラスで歌手としてデビューするが、1958年、カラヤンがヴェルディの歌劇『アイーダ』のタイトル・ロールに起用。ウィーン国立歌劇場という世界の檜舞台での成功によって、一躍脚光を浴びることになる。

 当時、まだ黒人に対する偏見は根強かったはず。米国で公民権法が成立したのは1964年のことである。カラヤンが、楽壇の帝王として君臨するようになるのはもう少し後のことであるが、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者だけあって、反対派を沈黙させるだけの十分な力を持っていたということだろう。その後、プライスはコヴェントガーデン王立歌劇場、ミラノ・スカラ座、メトロポリタン歌劇場に登場するようになり、国際的なオペラ歌手の地位を確立していく。

 カラヤンは、1966年のザルツブルク音楽祭で、ビゼーの歌劇『カルメン』にグレース・バンブリーを起用し、87年のウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートではキャスリーン・バトルと共演するなど、西洋クラシック界から人種偏見を排除するという大きな役割をになった人物なのではなかろうか。

ここで聴くプライスの歌唱は見事である。あたたかみのあるビブラートに、こちらの心までもがふるえる。声楽的な評価としては、ビブラート(声のゆれ)のない方が優れた声ということになっているようだが、私は彼女のビブラートがたまらなく好きだ。このあたりは好みの問題ではあるのだが。

 曲目はクリスマスの定番ばかり。フランツ・グルーバーの「きよしこの夜」を知らぬ人はいるまい。ここでは英語とドイツ語で歌われている。そういえば、「天(あめ)には栄え」がフェリックス・メンデルスゾーンの作であったことを、ずいぶん長いこと忘れていた。ジョン・ホプキンズの「われらは3人の王」とリチャード・ウィリスの「あめなる神には」、どちらもアメリカの牧師による讃美歌である。「あら野の果てに」はフランスの、「もみの木」はドイツの、「ともに喜びすごせ」はイングランドの古いキャロル。そして「おさなごイエス」は、プライスが歌ってこその黒人霊歌だ。

 「高き天より」は、宗教改革で名高いマルチン・ルターが、1534年に書いたテクストに、1539年に自身で曲をつけたものと言われている。これをもとに、有名なオルガンによるコラール(BWV 700)を作ったのが、音楽の父と称されるヨハン・セバスチャン・バッハ。フランツ・シューベルトの「アヴェ・マリア」は、ウォルター・スコットの詩『湖上の美人』のドイツ語訳につけられたもので、同名の歌曲集の中の一曲。もともとは宗教曲ではなく、エレン・ダグラスが湖畔で父の罪の赦しを聖母マリアに乞う「エレンの歌 第3番」である。竪琴を思わせる伴奏が実に魅力的だ。アドルフ・アダンはバレエ『ジゼル』で有名だが、この「オー・ホーリー・ナイト」は声楽家が好んで歌う一曲。原詩はフランス語だが、ここではジョン・ドワイトによる英語の歌詞で歌われている。なんとゴージャスなクリスマス・キャロルであることか。

 もうひとつの「アヴェ・マリア」は、シャルル・グノーがバッハの『平均律クラヴィーア曲集 第1巻』にある「前奏曲第1番ハ長調」を移調し、これを伴奏に、カトリック教会の祈祷文を歌詞にした歌曲。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの「アレルヤ」は、カストラート歌手ヴェナンツィオ・ラウッツィーニのために作曲した『エクスルターテ・ユビラーテ』の終楽章である。

 キャロル(カロル)とは、本来は宗教とは無関係の、踊りとともに楽しむ共同体の世俗的な祝い歌で、クリスマスの頃に歌われたものがクリスマス・キャロル。中世以後、教会がこれらを讃美歌や聖歌に取り込みながら、壮大な宗教音楽の世界を築くことを思うと、クリスマスはキリスト教そのものであり、西洋クラシックが教会音楽から生まれてきたことを、否応なしに再認識させられるのではなかろうか。1961年の録音だから、もう半世紀以上も前のものだが、今なお現役で通用する名盤だと思う。

1.きよしこの夜(グルーバー)
2.天には栄え(メンデルスゾーン)
3.われらは3人の王(ホプキンズ)
4.あら野の果てに(フランスのカロル)
5.もみの木(ドイツのカロル)
6.ともに喜びすごせ(イングランドのカロル)
7.あめなる神には(ウィリス)
8.高き天より(ルター)
9.おさなごイエス(黒人霊歌)
10.アヴェ・マリア(シューベルト)
11.オー・ホーリー・ナイト(アダン)
12.アヴェ・マリア(バッハ、グノー)
13.アレルヤ K.165(モーツァルト)

独唱:
レオンタイン・プライス(ソプラノ)

合唱:

ウィーン楽友協会合唱団
ラインホルト・シュミット(合唱指揮)
ウィーン・グロスシュタット少年合唱団

演奏:

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

指揮:

ヘルベルト・フォン・カラヤン

録音: 1961年6月

ウィーン・ソフィエンザール

CHRISTMAS WITH THE ACADEMY

 もう一枚。こちらはネヴィル・マリナー(1924~2016年)が指揮するアカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズの管弦楽団及び合唱団によるもの。セント・マーティン・イン・ザ・フィールズとは、ロンドンの観光名所トラファルガー広場に面するスコットランド出身の建築家であるジェームズ・ギブス(1682~1754年)の代表的建築とされるSt. Martin-in-the-Fields教会のことで、ヴァイオリン奏者のネヴィル・マリナーが、1959年、ここを拠点に、各オーケストラのトップないしセカンド奏者を集めて創設したのがアカデミー…云々、略称、ASMF。もともとは指揮者なしの弦楽合奏団だったが、徐々に規模が大きくなり、現在ではオーケストラとみなして良いだろう。しばしば「アカデミー室内管弦楽団」の表記がみられるが、これは誤りである。

 小編成の管弦楽団だけあって、実に音が澄んでいる。合唱が加わると、まるで教会で聴いているような気がしてこないだろうか。この教会は、ホームレス支援に力を入れており、チャーチヤードにある野外マーケットの下(地下の空間)で炊き出しをしていたことを思い出す。学校、病院、孤児院、救貧院、これらは教会や修道院の事業だった。それと並行して、音楽や芸術も支えてきたことを思えば、驚くにはあたらない。

 ロンドン交響楽団(LSO)、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(LPO)、フィルハーモニア管弦楽団(PO)、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(RPO)、BBC交響楽団、そしてASMFと、ロンドンにはワールド・クラスのオーケストラが六団体もある。こんな都市は他にない。アメリカほど陽気ではなく、ディケンズの『クリスマス・キャロル』に見られる暗さを感じさせるロンドンのクリスマス。どの楽団も、それを思い出させる音色を聴かせてくれた。

それでは、クリスマスを心やすらかに!

1.Church Bells – Past Three a Clock 3時を過ぎて(イギリス伝承)

2.O Come, All Ye Faithful 神のみ子は今宵しも

3.Ding Dong! Merrily on High ディンドン、高らかに(フランス民謡)

4.In the Bleak Midwinter 木枯らしの風はほえたけり(ダーク)

5.Sinfonia from Christmas Oratorio (Bach) クリスマス・オラトリオ:シンフォニア(J.S.バッハ)

6.Once in Royal David’s City 昔、ダビデの村に(ゴーントリット)

7.Sussex Carol サセックス・キャロル(イギリス伝承)

8.Quelle est cette odeur agréable? なんとかぐわしいこの香り(フランス伝承)

9.Il est né le divin enfant み子がお生まれに(フランス伝承)

10.L’enfance du Christ (Berlioz)オラトリオ《キリストの幼児》より:(ベルリオーズ)L’adieu des bergers à la Sainte Famille 羊飼いとの別れ 

11.同上。Le repos de la Sainte Famille サン・ファミーユの休息

12.Es ist ein Ros entsprungen 薔薇の花がほころんだ(プレトリウス)

13.Stille Nacht きよしこの夜(グルーバー)

14.Still, Still, Still 静かに、静かに(ドイツ伝承)

15.Singt und klingt イエスのために歌い、奏でよ(プレトリウス)

16.The Holly and the Ivy ひいらぎとつたは(イギリス伝承)

17.The Three Kings 聖なる三博士(コルネリウス)

18.Tomorrow Shall Be My Dancing Day 明日が私が踊る日(イギリス伝承)

19.Away in a Manger 神のみ子のイエスさまは(カークパトリック)

20.Christmas Song (Personent hodie) パーソナント・ホーディー(ドイツ伝承)

21.In dulci jubilo もろびと声あげ(ドイツ伝承)

22.Jesus Christ the Apple Tree りんごの木なるイエス・キリスト(ポストン)

23.Hark! The Herald-angels Sing – Church bells あめにはさかえ(メンデルスゾーン)

Academy & Chorus of St. Martin-in-the-Fields
Conducted by Sir Neville Marriner
Recording: St. John’s, Smith Square, London, UK,
January 1994


(しみずたけと) 2021.12.18 執筆

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讃美歌/聖歌を探す

 クリスマスの歌は讃美歌や聖歌になっているものが多くあります。讃美歌集や聖歌集をお持ちであれば、ぜひ探してみてください。ちょっと面倒なのは、教団や教派によって、独自の讃美歌・聖歌集を使っているため、番号が統一されておらず、歌詞が異なっていることも、ままあります。ここでは《カラヤン/アヴェ・マリア》にある曲を、わかる範囲で記しておきます。(略号の説明は末尾)

●きよしこの夜

讃美・109番「きよしこのよる」
讃二・244番「きよしこのよる」
讃21・264番「きよしこの夜」
聖歌・148番「きよしこのよる」
聖総・96番「きよしこのよる」
新聖・77番「きよしこの夜」
福音・93番「きよしこのよる」
新生・163番「きよしこの夜」
教会・37番「きよしこのよる」
希望・51番「きよしこの夜」
イ合・173番「きよしこのよる」
イ改・413番「きよしこのよる」
聖公・74番「きよしこの夜」
古今・27番「きよしこのよる」
カト・111番「静けき真夜中」

●天には栄え

讃美・98番「あめにはさかえ」
讃21・262番「聞け、天使の歌」
聖歌・123番「きけやうたごえ」
聖総・71番「きけやうたごえ」
新聖・79番「天には栄え」
福音・89番「栄光とわに 王なる御子に」
新生・167番「天にはさかえ」
教会・30番「平和のきみに」
希望・39番「あめには栄え」
イ合・163番「神にはさかえ」
イ改・401番「神にはさかえ」
聖公・81番「神には栄え」
古今・18番「かみにはさかえ」
カト・652番「あめにはさかえ」

●われらは3人の王

讃二・52番「われらはきたりぬ」
聖歌・135番「われらはきたりぬ」
聖総・83番「われらはきたりぬ」
新聖・96番「われらは来りぬ」
福音・95番「彼方の国から」
新生・192番「みたりの博士は」
希望・62番「われらは来たりぬ」
聖公・110番「われらは東の」
古今・36番「われらはひがしの」

●あら野の果てに

讃美・106番「あら野のはてに」
讃二・243番「あら野のはてに」
讃21・263番「あら野のはてに」
聖歌・138番「「君なるイェスは今あれましぬ」
聖総・86番「君なるイェスは今あれましぬ」
新聖・78番「荒野の果てに」
福音・87番「あら野のはてに」
新生・165番「荒野のはてに」
教会・33番「あら野のはてに」
希望・46番「あら野のはてに」
イ合・172番「あら野のはてに」
イ改・412番「あら野のはてに」
聖公・91番「荒野の果てに」
古今・35番「あらののはてに」
カト・121番「天のみつかいの」

●ともに喜びすごせ

讃二・128番「世の人忘るな」
聖歌・128番「たがいによろこび」
聖総・76番「たがいによろこび」
新聖・74番「世の人忘るな」
福音・92番「人みな喜び歌い祝え」
新生・193番「人みな喜び歌い祝え」
希望・55番「人みなよろこび」
聖公・89番「星影さやけき」
古今・30番「ほしかげさやけき」

●あめなる神には

讃美・114番「天なる神には」
讃21・265番「天なる神には」
聖歌・125番「ふけゆくのはらの」
聖総・73番「ふけゆくのはらの」
新聖・80番「天なる神には」
福音・90番「天なる神には」
新生・160番「天なる神には」
教会・27番「天なる神には」
希望・44番「天なる神には」
イ合・165番「天なる神には」
イ改・403番「天なる神には」
聖公・83番「人にはみ恵み」
古今・21番「ひとにはみめぐみ」

●高き天より

讃21・246番「天のかなたから」
福音・88番「高き御空から私は来ました」
新生・182番「天より降りて」
教会・23番「天よりくだりて」

●オー・ホーリー・ナイト

讃二・219番「さやかに星はきらめき」
聖総・817番「きよらに星すむこよい」
イ改・420番「聖なる夜星はきらめく」

<略号>

讃美=日本基督教団、『讃美歌』
讃二=日本基督教団、『讃美歌第二編』
讃21=日本基督教団、『讃美歌21』
聖歌=日本福音連盟、『聖歌』、いのちのことば社
聖総=日本教会音楽研究会、『聖歌(総合版)』、聖歌の友社
新聖=日本福音連盟、『新聖歌』、教文館
福音=福音讃美歌協会、『教会福音讃美歌』、いのちのことば社
新生=日本バプテスト連盟、『新生讃美歌』
教会=日本福音ルーテル教会、『教会讃美歌』
希望=セブンスデー・アドベンチスト教団、『希望の讃美歌』
イ合=インマヌエル讃美歌委員会 、『インマヌエル讃美歌 リバイバル聖歌 合編』
イ改=インマヌエル讃美歌委員会 、『インマヌエル讃美歌 改訂版』
聖公=日本聖公会、『聖歌集』
古今=日本聖公会、『古今聖歌集』
カト=聖歌集改訂委員会、『カトリック聖歌集』、光明社


(しみずたけと) 2021.12.17

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わたしたちの町にも戦争があった!展

わたしたちの町にも戦争があった!展

平和パネル展は4日間に100名を越える方にご来場いただきました。ご来場の方々に何かしら印象に残ったなら幸いです。

どなたさまも大歓迎!! 
お待ちしております。
長池公園の散歩がてらお気軽にお立ち寄りください。

入場無料

2023年10月26日(木)
  13:00より
 27日(金)&28日(土)
  9:00~17:00
 29日(日) 15:00まで

会場:
長池公園自然館 展示室
八王子市別所2ー58

展示内容:
なぜ戦争は起こった? 日清戦争から太平洋戦争までをたどる
■由木地域の戦跡
■八王子空襲
■浅川地下壕 軍用飛行機エンジン工場跡
■高校生の原爆絵画

八王子戦跡マップ・おすすめ映画リスト・全国平和ミュージアムリストを配布します

主催:別所憲法9条の会
https://bessho9.info

草原の小姉妹


 前回、ブリテンの『戦争レクイエム』を紹介する中で、世界で活躍する小澤征爾の、日中関係を見る目、個人と集団のあり方について、少しばかり書いた。ここで紹介するのは、彼が音楽監督を務めるボストン交響楽団を率いておこなった、1979年4月の中国ツアーでの録音である。

 日本は、中国とは数千年にわたる関係があるにもかかわらず、たとえば日中関係が良くなると中国語を学ぶ者が増え、関係が悪化した途端に減るといった、その時々の状況に左右されやすい国民性が表出する。相手をステレオタイプでしか見ることができないのは、権力やメディアによる誘導があるにしても、自我の認識が希薄で、自分のモノサシが無い証左である。そうした特質が“お上”から“下々の民”にまで浸透している社会からは、小澤征爾のような人物はなかなか出てこない。

 この年の1月の米中国交正常化を背景にした友好行事という側面があり、両国の音楽作品を、両国の音楽家によって演奏するというところがミソなので、それぞれの国らしさを前面に出した曲が選ばれているのだろう。それを、中国に生まれ、米国で音楽活動をする日本人が取り持った、日米中の協力で実現した音楽会ということが、このレコードを日本で販売する宣伝材料なのだろうが、たまたま小澤征爾が日本人であると言うだけで、とりわけ日本が米中友好のために大きな役割を果たしたわけではないことを、聴く側の私たちは認識しておいた方が良いと思う。

 この曲は、今回紹介するCDを聴くまで知らなかったのだが、中国的なメロディと西洋音楽を融合させたような作品である。琵琶演奏の第一人者といわれる劉徳海は、1937年、上海生まれ。その美しい響きが印象的である。2020年、惜しまれつつ亡くなった。

 二曲目の『星条旗よ永遠なれ』は、マーチ王と謳われる米国のジョン・フィリップ・スーザ(1854~1932年)による作品。今さら説明など必要ないだろう。米国のオーケストラがアンコール曲として好んでとりあげる一品で、「いかにもアメリカ!」なのだが、これが米国らしさの本流なのだろうか。やや違和感も感ずるところだ。

 最後のリストのピアノ協奏曲は、米中とは別の、もうひとつの極である欧州の作品という意味合いだろうか。ピアノを弾く劉詩昆(1939年~)は、1958年の第一回チャイコフスキー・コンクールのピアノ部門で第二位になった人物である。このときの優勝者はヴァン・クライバーン(1934~2013年)。モスクワ音楽院に留学し、帰国後は中央音楽院で教えていた劉詩昆だが、66年に始まった文化大革命で西洋音楽は禁止。紅衛兵に腕や指を折られ、逮捕されて八年間の刑務所暮らしを強いられた。この演奏会に招聘されたのは、同じく文化大革命で辛酸を嘗めさせられた鄧小平の肝煎りだったのではなかろうか。


::: C D :::

1)呉祖強:琵琶協奏曲『草原の小姉妹』
2)スーザ:星条旗よ永遠なれ
3)リスト:ピアノ協奏曲第1番変ホ長調

独奏:劉徳海(琵琶)
   劉詩昆(ピアノ)

指揮:小澤征爾
演奏:ボストン交響楽団

録音:1979年・北京(ライブ


(しみずたけと) 2023.10.6

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オザワの《戦争レクイエム》


 モーツァルトに始まる一連のレクイエム紹介のきっかけは、ウクライナ戦争に心を痛めたからだった。しかし、ベンジャミン・ブリテン(1913~1976年)の『戦争レクイエム』をとりあげたのは、ウクライナ戦争が始まる半年以上も前になる。もとより鈍感な人間であるから、予感の類であるはずがない。歴史に残る大作曲家たちによるいくつかのレクイエムをまとめて聴きなおす機会にはなったが、心は少しも晴れないままだ。

 無信仰者の私だが、これも何かの啓示かもしれない、『戦争レクイエム』を改めて聴きなおすことにした。

 歌詞に用いられているのは、オーソドックスなラテン語の典礼文とウィルフレッド・オーウェン(1893~1918年)による英語の詩だが、両者の比重はほぼ同じ。その接続は実に巧みにされているという。生まれつき病弱だったオーウェンが第一次大戦に従軍し、敵弾に倒れたのは休戦一週間前だった。総譜の冒頭にあるのは彼の言葉である。

 「私の主題は戦争であり、また戦争の悲哀である。そして詩は悲しみの中にある。詩人のなし得るすべてのことは、警告することなのだ」


戦争レクイエム

 曲は六つの楽章で構成されている。

第1楽章  永遠の安息を

・主よ、永遠の安息を彼らに与え給え
・家畜のように死んでゆく兵士たちに

第2楽章  怒りの日

・その日こそ怒りの日である
・夕べの大気を悲しげに
・そのとき、この世を裁く
・戦場で、ぼくたちはごく親しげに
・慈悲深いイエスよ
・汝の長く黒い腕が
・怒りの日
・罪ある人が裁かれるために
・彼を動かせ

第3楽章  奉献文

・栄光の王、主イエス・キリストよ
・かくて、アブラハムは立ちあがり

第4楽章  聖なるかな

・聖なるかな、聖なるかな
・東方から一筋のいなずまが

第5楽章  神の小羊

・かりそめにも爆撃された

第6楽章  我を解き放ちたまえ

・主よ、かの恐ろしき日に
・ぼくは戦闘から脱出して
・さあ、もう眠ろうよ


 

::: C D :::

 前回は作曲者自身の指揮による1963年の演奏だったが、今回はなるべく新しい録音のものを選んだ。小澤征爾(1935年~)とサイトウ・キネン・オーケストラによるライブである。満洲に生まれた小澤は、日本で教育を受け、欧州で認められ、米国で成功し、西洋音楽の世界で確固たる地位を得た人物である。西洋と東洋の接するところに生き、両者の優れたところとそうでないところを肌で感じとってきた人間だけが持つ、俯瞰的な視点。私はそれを感ぜずにはいられない。

 小澤征爾のつくり出す音楽は、時に淡泊、時に熱く、そして純音楽的。彼を含め、音楽家が政治について語ることはほとんどないと思われがちだが、彼が政治に無関心な人間だということにはならない。戦争末期、満洲から引き揚げ、一家で立川に暮らしていた彼は、米軍のP51戦闘機が、軍事的必要性からではない、子どもや一般市民に対する無差別な機銃掃射を目撃し、こう語っている。

「恐らくふざけてやっていた気がするな。桑畑なんて撃つ必要がないんだから」

 同級生の自宅は直撃弾によって一家三人が即死したと言う。これは朝日新聞(2013年9月19日)に載ったインタビュー記事である。記事の題名は「日中関係《大事なのは一人ひとり》」。尖閣列島の領有をめぐり、日中関係が冷え込んでいく時期だった。

「俺なんか全然冷え込んでないよ。冷え込んでいるのは、日中政府間の関係。大事なのは一人ひとりの関係で、ぼくは、中国にいる友人たちを信じている(中略)人間生きていくときにね、俺の政府と、お前の政府との仲が冷え込んでいるからって俺には何の関係もないよ。ぼくはまったく心配していない。中国にいる僕の仲間だって心配してないと思う(中略)政府がどう言ったからだとか、新聞が書いているから、とかじゃなくて。大事なのは一人ひとり。政府よりも、政府じゃない普通のひとがどう考えるかが一番大事。僕はそう思う」

 1979年、手兵のボストン交響楽団を率いて中国公演をおこない、中国のオーケストラとも合同演奏会を実現した彼の言葉には重みがある。それで思い出したのは、別のTVインタビューでのこと。聴き手がいろいろな単語をあげ、それに答えるという趣向だった。その中の一問一答。

Q.航空母艦
A.無駄なもの

 小澤征爾の音楽から政治性が排除され、純粋な音楽としての昇華こそが柱になっているのだとしたら、それは彼が政治に対して無関心なのではなく、政治の貧困、歪んだ政治の無力さゆえなのだろう。いつの時代も、音楽は政治に利用されてきた。いや、政治と結びつくことによって生きながらえてきたという側面も否定できない。

 権力が音楽を利用してきたと同様、それに抗する民衆もまた、音楽によって団結してきたのもまた事実である。なぜなら、音楽というものは、人々に生きる勇気を与えるためのものであるから。また、そうあるべきであるから。音楽にかぎらず、絵画、写真、映画など芸術全般、文学などにも言えることである。

 米国の国際政治学者サミュエル・ハンティントン(1927~2008年)は、現代の国家間の対立を「文明の衝突」と呼んだ。彼の言う文明が、何によって構成されるものなのかが今ひとつわからないのだが、おそらく文化は含まれていないのだろう。言語や宗教が違うからと言って、人は必ずしも対立したり争ったりするわけではない。利権や富の配分、その不均衡や不公正さこそが主たる原因になっている。それを容認し、むしろ推進しているのが政治である。いや、政治それ自体がそのことを目的としているからにほかならない。

 「大事なのは一人ひとり」は、彼が自我を確立した個人、市民社会に生きる人間であることを表している。それが中国大陸に生まれたことによるものなのか、欧米社会に長く身を置いたせいなのかはわからないが、多くの日本人とは異なっている特質であろう。私が「小澤征爾は日本人ではない」と思うのは、民主主義の理解度の相違、まさにこの点にある。

 その小澤征爾による、長野県松本文化会館での『戦争レクイエム』である。こうした大曲、大編成のオーケストラを操る巧みさは昔からだし、世界で活躍する演奏者が結集したサイトウ・キネン・オーケストラの機動性は折り紙付き、独唱も合唱も文句なしの出来映えなのだが、このライブはそれだけにとどまらない。咽頭ガン手術のあと、まさに命を削るかのような鬼気迫る彼のバトンは、ステージ上すべての演奏家の魂の叫びを引き出し、その温かさが聴衆の心にしみ入ってくる。

 翌年、彼の『戦争レクイエム』は、ニューヨークのカーネギー・ホールで再び演奏された。バリトンがマティアス・ゲルネに変わったほかは、ほぼ同じ顔ぶれ。音の良さで定評のある会場だが、松本文化会館も負けていない。以前、スタジオ録音とライブの違いを、ラファエル・クーベリックの『マーラー交響曲第5番』で聴きくらべてもらったことがあるが、今回の聴きくらべはホールと聴衆ということになろうか。オザワ渾身の『戦争レクイエム』を、とにかく聴いてほしい。

1)2009年 松本文化会館

独唱:クリスティン・ゴーキー(ソプラノ)
   アンソニー・ディーン・グリフィー(テノール)
   ジェイムズ・ウェストマン(バリトン)
合唱:SKF松本合唱団、東京オペラシンガーズ
   栗友会合唱団、SKF松本児童合唱団

指揮:小澤征爾
演奏:サイトウ・キネン・オーケストラ


2)2010年 ニューヨーク カーネギー・ホール

独唱:クリスティン・ゴーキー(ソプラノ)
   アンソニー・ディーン・グリフィー(テノール)
   マティアス・ゲルネ(バリトン)
合唱:SKF松本合唱団、東京オペラシンガーズ
   栗友会合唱団、SKF松本児童合唱団


指揮:小澤征爾
演奏:サイトウ・キネン・オーケストラ


(しみずたけと) 2023.10.5

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