弱い、強い…


「子どもの時にいじめられた子はどんな子だった。弱い子がいじめられる。強いやつはいじめられない」と語ったのは、自民党の麻生太郎副総裁である。7月4日、千葉県市川市での街頭演説だ。

 強い、弱いという形容詞が相対的な関係であることを、この人は理解していない。いじめに遭っている子どもが強くなれば、いじめがなくなるのか。本気でそう思っているとしたら、脳天気極まりない話だ。いじめの対象が、別の弱い子に向くだけである。いじめ問題の解消にはまったくつながらない。

 このとき、「国も同じ。強そうな国には仕掛けてこない。弱そうな国がやられる」と述べた。強くなれば良い、防衛予算増大の理由にしたいのだろう。どの国からも攻撃されたくないのなら、世界一の軍事大国になるしかない。そのようなことが不可能であるのを、誰もが知っている。平和ボケの寝言にしか聞こえない。

 仮に日本が世界最強の軍事力を有する国になったとして、他の国がそれを認めるだろうか。かつてアジア中を戦場にして侵略戦争を起こした国である。日本の傘の下で平和を得ようする国など、あるとは思えない。まして、戦争をしないと決めた憲法をやめようとしている国である。再び軍事力で勢力を拡大しようとする気になったと受けとられるのがオチだ。

 どの国も、他国に侵略されたり支配されたくないのは同じであろう。日本の軍事力を脅威に思う国は、やはり軍拡に走るしかない。しかし、軍備には金がかかる。軍というのは、生産に寄与しない、消費するだけの組織であるからだ。そうなると、軍事侵攻させないための安上がりの手段は何か。それは“核”かもしれない。日本の軍備増強は、アジアに核兵器を拡散する引き金になるだろう。

 弱い子は強くなれば良い。同様に、国も強ければ良い。北朝鮮が目指しているのは、まさにそれである。強い国になろうとしているのだ。なぜ日本政府は、与党自民党は、それを非難するのだろうか。その一方で、自分たちは強くなりたいと思っている。こんな簡単な矛盾にすら気がつかないと思われているとしたら、なんと国民をバカにした話か。

 国民が愚かなのに、その愚かな国民の中から選ばれた代議士だけは優れていて、立派な政府が成立するなどということは、まずあり得ないだろう。では、優秀な国民が、どうしようもない人材を代議士に選んで政治を委託するものだろうか。強いとか弱いと論ずるなら、選挙で当選した顔ぶれを見て、考えてみてほしい。まずは脳ミソを鍛え、ひとりひとりのアタマを強くすることが先決だろう。


(しみずたけと)  2022.7.12

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