2020.4.12 訪う人も少なかった:拓魂祭の日

外出しないよう、お上から「お願い」が出ているが、引きこもってばかりでは退屈だし、だいいち健康によくない。歩かないと脚の筋肉が衰え、体力も落ちてしまうだろう。それではかえって新型コロナの餌食にもなりかねない。というわけで、多摩市にある桜ヶ丘公園に出かけてみた。公園西口から入り、鶯を聴きながら坂道をあがると、そこは拓魂公苑。先月、訪れたところである。

この日は4月の第2日曜、例年なら満蒙開拓団の拓魂祭が開かれるのだが、予想通り中止らしい。それでも10人ほどが来ており、碑に手を合わせる姿も見られる。

声をかけてきたのは大田区に住むMさん。新潟出身の父親は農家の三男で、満洲の弥栄村へ。Mさんは終戦当時4歳だったという。走っては停まり、また走って、そんな列車の石炭貨車で葫蘆島へ。港に着いた安心感で亡くなっていく人を何人も見たそうだ。幸い家族も無事で、米軍のLSTで佐世保に上陸。帰国まで1年を要したという。郷里の新潟に戻ったものの、そこに身の置き所はなく、今度は北海道に入植。電気のないランプ生活、水は家の前の川、冬は地表50cmが凍る寒さで大変な苦労をしたらしい。あまりの大変さに、長男であったにもかかわらず、家業を継がずに東京に出てきたということだった。声をかけてもらい、生の声を聞くことができたのは幸運としかいいようがない。こういう場で、こちらから声をかけるのはちょっと躊躇われるものだ。

都内にある満蒙開拓に縁ある慰霊碑の所在を示すマップを配っている方がいた。駒込で原爆を基軸に戦争と平和を考える「ヒロシマ連続講座」と題するイベントを、もう5年も続けているTさんという方である。こういう出会いは貴重だ。来年もまた来ることになるだろう。それまでに、都内の慰霊碑めぐりをしておこうと思う。

(しみずたけと)

満蒙開拓、背中あわせの被害と加害

2020.3.23 拓魂公苑を訪れて

風が強く花冷えの3月23日、拓魂公苑を訪れました。「拓魂」と刻まれた碑には可愛いお花が添えられて、毎年4月に行われる拓魂祭を前に、いつも誰かに見守られている観が有りました。開拓団ごとの団碑が周囲を取り巻いて義勇団の碑も多く有りました。国策の下に移民せざると得なかった、そして、させざるを得なかった親や肉親の気持ちを考えると国策のからくりに気づかなかったとは言えども言葉になりません。何事でも(今でも)過ぎると他人事で、顧みる事無く、寄り添っている如く団碑に名を並べています。

人は過ちを犯すものであるのなら、毅然とそれを背負って政権を担って行くべきです。 満蒙開拓団のあまりの多大な犠牲を知り、漠然と知っていて、知っているつもりになっていたことの情けなさに愕然でした。少しでも知ることが出来たことに!チャンスを下さったことに感謝です。   (N)

「満蒙開拓、背中あわせの被害と加害」
別所憲法9条の会ホームページへ

2020年3月例会報告:拓魂公苑を訪れました

薄曇りの多摩市でしたが、みんなで元気に満蒙開拓団の記念と言う拓魂公苑を訪れました。

「拓魂」と刻まれた石碑は、開拓を推し進めた加藤寛治の揮毫による。安倍晋太郎の名前も認められ、みんなで沢山の碑を眺めながら、この公苑がどのようにして作られたのか?又どのように戦後の政界に利用されたかなど、考えさせられる貴重な機会となりました。

隣接する、さくらが満開の桜ヶ丘公園も訪れた後、バスで帰路につきました。