デュリュフレの『レクイエム』


 モーツァルト、ヴェルディ、フォーレの、いわゆる《三大レクイエム》を紹介した。その中に「素晴らしいレクイエムは他にもある」と書いた手前、これで終わりというわけにもいくまい。そこで、もっと時代が下った、比較的新しいレクイエムをとりあげてみようと思う。モーリス・デュリュフレ(1902~86年)の作品である。

 少年時代からルーアン大聖堂の聖歌隊員だけあって、デュリュフレと教会音楽のつながりは強い。パリ音楽院で作曲とオルガン演奏を学んだ後、1927年にはパリのノートルダム寺院のオルガン助手に、その二年後には聖エティエンヌ=デュ=モン教会のオルガニストになった。聖ジュヌヴィエーヴの丘、パンテオンの近くに立つこの教会には、パリの守護聖女である聖ジュヌヴィエーヴを、彼女の聖遺物とともに祀る礼拝堂がある。また、「人間は考える葦である」などの名言やパスカルの原理で知られるブレーズ・パスカル(1623~62年)、悲劇作家として有名なジャン・ラシーヌ(1639~99年)、フランス革命の指導者の一人であるジャン=ポール・マラー(1743~93年)が埋葬されるなど、パリの中でも格式の高い教会であることがわかる。彼がオルガニストとして高く評価されていたことの証であろう。

 傑出したオルガニストであり、すばらしいオルガン曲や宗教音楽を残したデュリュフレであったが、出版された作品は14しかない。いったいどうしてなのだろうか。その14曲のひとつが、作品番号9番の『レクイエム』なのである。1947年の作品だから、第二次大戦が終わってまもなくのこと。戦後に作られたレクイエムとしては、ベンジャミン・ブリテン(1913~1976年)の『戦争レクイエム』よりも14年早い。

 『戦争レクイエム』が、戦争の惨禍に対するブリテンのメッセージだったのとは違い、デュリュフレの『レクイエム』の主題の多くがグレゴリオ聖歌、とりわけ死者のためにミサ曲が用いられているところから、まさにキリスト教の世界観を背景にしていると言えそうだ。曲の構成は、母国の先達であるガブリエル・フォーレ(1845~1924年)の『レクイエム』を踏襲している。異なっているのは、フォーレが「イントロティウス」と「キリエ」、「アニュス・デイ」と「ルクス・エテルナ」を合体させた七曲構成であるているのに対し、デュリュフレはそれぞれを独立させ、九曲としている点であろうか。


 聖歌は、もともとは男性の聖職者による斉唱で無伴奏を基本としていた。キリスト教も、教会が権力を持つようになってからは、原点から逸脱し、本質を忘れ、長きにわたって権威の上にあぐらをかいていたのである。よくある堕落だが、それが男尊女卑の悪習を固定化させてきたとも言えよう。現代の作品だけあって、ここでは混声合唱にメゾソプラノとバリトンの独唱が加えられており、しかもソプラノではなく、それより音域の低いメゾソプラノであることも特徴だろう。20世紀によみがえった新しいグレゴリオ聖歌、それがこの曲の最大の魅力だと思う。

第1曲 イントロイトゥス(合唱)
第2曲 キリエ(合唱)
第3曲 オッフェルトリウム(バリトン、合唱)
第4曲 サンクトゥス(合唱
第5曲 ピエ・イエス(メゾ・ソプラノ
第6曲 アニュス・デイ(合唱
第7曲 ルクス・エテルナ(合唱
第8曲 リベラ・メ(合唱
第9曲 イン・パラディスム(合唱


::: CD :::

1)コルボ盤

 新鮮で現代的なレクイエムだから、《三大レクイエム》ほどではないにせよ、それなりに録音されてはいる。美しい響きが人気だと言うが、それにしてはあまり知られていないような気がする。日本がキリスト教社会と縁遠いせいなのだろうか。ここではフォーレの『レクイエム』でとりあげたミシェル・コルボ(1934~2021年)に登場願おう。テレサ・ベルガンサ(1933~2022年)とホセ・ファン・ダム(1940年~)という豪華な二人の独唱者を得た演奏は、聴く者を決して裏切ることのない名演となっている。

収録曲

1.レクイエム

独唱: テレサ・ベルガンサ(メゾ・ソプラノ)
    ホセ・ファン・ダム(バリトン)
合唱: コロンヌ合唱団

    パリ《アウディテ・ノヴァ》声楽アンサンブル
指揮: ミシェル・コルボ
演奏: コロンヌ管弦楽団
    フィリップ・コルボ(オルガン)

録音: 1984年


2.グレゴリオ聖歌の主題による4つのモテット

合唱: パリ《アウディテ・ノヴァ》声楽アンサンブル
指揮: ジャン・スーリッス

録音: 1985年



2)ロス盤

 英国および英連邦では、第一次大戦が終結した11月11日を戦没者追悼記念日とし、戦没者の追悼行事がおこなわれている。このCDは、《戦没者追悼記念日のための音楽》と題し、伝統音楽および16世紀から20世紀に作られた、死者に捧げる音楽を集めたものとなっている。

 3曲目の「死者のコンタキオン」はキエフの伝統音楽。コンタキオンとは、西暦6世紀頃にビザンチン帝国で生まれ、ギリシャ正教会と東方教会の典礼で行われる讃美歌の形式で、聖書の登場人物間の対話を特徴としている。この曲が含まれているのは偶然にすぎないのだろうが、ウクライナで起きていることを思うと、やりきれなさでいっぱいだ。せめて彼ら・彼女らの安寧を願う祈りとして聴くことにしよう。

 最後に置かれたデュリュフレの『レクイエム』は、チェレスタやタムタムなどを含む大規模な管弦楽作品なのだが、教会でも演奏できるよう、作曲者自身によってオルガンとチェロ独奏だけの伴奏版が用意されており、ここではそれを聴くことができる。終曲の静かな美しさは、まるで死者を天国へと導く道を照らす一条の光のようだ。

収録曲

1.コール・トゥ・リメンブランス(リチャード・ファラント、1525~80年)

2.ダヴィデがアブサロムの殺されしを聞きしとき(トマス・トムキンズ、1572~1656年)

3.死者のコンタキオン(キエフの伝統音楽)

4.アテネの歌(ジョン・タヴナー、1944~2013年


5.力強き者は倒れたるかな(ロバート・ラムゼイ、1595~1644年)

6.主なる神よ、われらを連れ去りたまえ(ウィリアム・ヘンリー・ハリス、1883~1973年)

7.日暮れて四方は暗く(ウィリアム・ヘンリー・モンク、1823~89年)

8.彼ら安息の地に(エドワード・エルガー、1857~1934年)

9.ダヴィデがアブサロムの殺されしを聞きしとき(トマス・ウィールクス、1576~1623年)

10.レクィエム 作品9(モーリス・デュリュフレ)

合唱: ケンブリッジ・クレア・カレッジ聖歌隊
独唱: ジェニファー・ジョンストン(メゾ・ソプラノ、10)
    ニール・デイヴィス(バス、10)

演奏: ガイ・ジョンストン(チェロ、10)
    マシュー・ヨリス(オルガン、10)
指揮: グレアム・ロス

録音:2015年


(しみずたけと) 2023.3.25

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フォーレの『レクイエム』


 モーツァルトの『レクイエム』の次がヴェルディの『レクイエム』だった。きっと次はフォーレの『レクイエム』に違いない。そう思った人が多いだろう。なにしろ モーツァルト、ヴェルディのと合わせて《三大レクイエム》などと奉られているくらいの作品なのだから。ご明察である。

 私としては《三大レクイエム》という呼称は大嫌いなのだが、そうは言っても、この作品には採りあげるだけの十分な理由があり、素通りするわけにもいくまい。作品自体は、他の二つとくらべて小ぶりと言って良く、演奏時間はヴェルディのレクイエムの約半分にも満たないものだ。しかし…、である。

 ガブリエル・フォーレ(1845~1924年)はカトリックの伝統が根強い南フランスに生まれた。幼児から教会の運営する学校で教育を受けたことから、カトリック教会との関係が密接だったと想像される。教会のオルガニストや楽長を務める中で、古い教会音楽に特有な旋律、和声、構成、表現などを自家薬籠中とし、数多くの宗教作品を残した。この『レクイエム』も、二声間の応答、独唱と合唱の交唱、独特のカノン技法など、中世カトリック教会音楽の伝統を踏襲した楽曲構成となっている。

 ヴェルディより30年少々後の生まれであるが、『レクイエム』という作品同士でくらべると、その差はわずか14年だ。国民国家の意識が高まり、国家が膨張する時代を生きた二人だが、ヴェルディの音楽が、近代化と歩調を合わせるかのように、豪奢な響きをまとったのに対し、フォーレのそれは、モーツァルトよりさらに前の時代の、まるで中世の調べをよみがえらせ、洗練させたかのような静謐さを漂わせ、さりとて少しも古びていない。

第1曲 イントロイトゥス(入祭唱)、キリエ(憐れみ給え)
 入祭文は死者の永遠の安息を神に嘆願する、キリエは主とキリストに憐れみを求める、それぞれの祈り。

第2曲 オッフェルトリウム(奉献唱)
 神に犠牲を捧げ、死者を罪と地獄から免れしめ給えとの祈願。

第3曲 サンクトゥス(聖なるかな)
 神への感謝を捧げ、その栄光を称える賛歌。

第4曲 ピエ・イエス(慈悲深きイエス)

 死者の安息をイエスに求願。

第5曲 アニュス・デイ(神の小羊)

 神の子羊たるキリストに捧げる祈り。

第6曲 リベラ・メ(救い給え)

 死者の罪が赦されるために捧げられる祈願。

第7曲 イン・パラディスム(楽園へ)

 出棺および埋葬の時に歌われる聖歌。

 キリスト教社会において、死は最後ではない。死の後に控えているもっと大きな儀式がある。それが最後の審判だ。キリスト教徒にとっては、死は最後の審判に至るまでの通過点に過ぎない。

 フォーレの『レクイエム』が他のレクイエムと異なるのは、「ディエス・イレ」が省かれているところだろう。「ディエス・イレ(怒りの日)」は、キリストが過去を含めたすべての人間を地上に復活させ、生前の行いを審判し、永遠の命を授けられて天国に住む者と、地獄に落とされて永劫の責め苦を加えられる者とに選別する日であり、終末思想そのものである。また、第7曲の「イン・パラディスム」は、他のレクイエムには含まれないことが多い。このレクイエムが、死者のためというより、残された者のためのものであることを思わせるゆえんである。悲しみよりは慰めと救済に焦点をあてた、透明で柔和な表情に満ちた名曲であろう。


::: CD :::

レクイエム ニ短調 作品48(1887年)

1)クリュイタンス盤

 アンドレ・クリュイタンス(1905~67年)の二度目の録音。作曲者の意図はつましいものだったはずだが、ここにあるのは豊かな色彩や大きなスケール、技巧を凝らした情感表出。指揮者の美的感覚が反映された、まさに美しく洗練された共有財産として昇華されたレクイエムである。ロス・アンヘレスとフィッシャー=ディースカウという最高の歌手を起用し、教会ではなく演奏会場で聴くことを前提にしたものだと考えれば、録音から半世紀以上が過ぎたにもかかわらず、この曲の決定版とも言える存在であろう。無類に美しい合唱だが、当時の収録技術(マイクの位置と数)のせいだろう、明瞭さに少しだけ不満を感じるかもしれない。

独唱: ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス(ソプラノ)
    ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
合唱: エリザベート・ブラッスール合唱団

指揮: アンドレ・クリュイタンス
演奏: パリ音楽院管弦楽団
    アンリエット・ピュイグ=ロジェ(オルガン)

録音: 1962年



2)コルボ盤

 この曲は、1888年、フォーレが合唱長を務めていたマドレーヌ寺院において、作曲者自身の手で初演されたのだが、当時のマドレーヌ寺院は、女性の合唱団員が認めておらず、楽譜もボーイ・ソプラノの音域に合わせたものになっていた。宗教曲の専門家として、ルネサンスから近現代にいたるまで幅広く手がけてきたミシェル・コルボ(1934~2021年)は、原曲を忠実に再現するかのように、ボーイ・ソプラノと児童合唱を組み合わせ、静かで敬虔な祈りに満ちたものとしている。

独唱: アラン・クレマン(ボーイ・ソプラノ)
    フィリップ・フッテンロッハー(バリトン)

合唱: サン=ピエール=オ=リアン・ド・ビュール聖歌隊
指揮: ミシェル・コルボ
演奏: ベルン交響楽団
    フィリップ・コルボ(オルガン)

録音:1972年


(しみずたけと) 2023.2.14

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ヴェルディの『レクイエム』


 モーツアルトの次はジュゼッペ・ヴェルディ(1813~1901年)の作品を。ヴェルディはモーツァルトの約半世紀後の人物である。市民革命と、それに対する反動、イタリア独立運動、そして植民地をめぐる帝国主義国家間の争いへとつらなる時代だから、音楽や作曲家を取り巻く社会は、かなり違っていたに違いない。

 彼の代表的な歌劇『アイーダ』は、ファラオの時代の古代エジプトとエチオピアという国家間の戦いを背景に、エジプトの将軍ラダメスとエチオピアの王女アイーダという、国家に引き裂かれた男女の悲恋、エチオピアを平定し、娘である王女アムネリスをラダメスと結婚させたいエジプト王とその取り巻きたちの、いわゆる人間ドラマである。対立する組織に属する者たちの悲しい運命をテーマにした作品は古くからあるが、そのひとつなのだろうか。

 しかし、古代エジプトに国民国家の概念はなかった。人々の間に「おらが国」の意識が根付くのは、ウェストファリア体制以降、絶対王政に対する批判として、国民が主権者に位置づけられるようになってからである。その嚆矢が、17世紀のイギリスの清教徒革命・名誉革命であり、フランス革命を経て、イタリアでは18世紀半ばの統一運動・統一戦争によって、まさにヴェルディが生きた時代に確立していったものである。エチオピアに攻め込んだのは、ファラオのエジプトではなく、英仏に遅れてアフリカに植民地を築かんとするイタリアだった。

 ヴェルディの『レクイエム』は、1873年、この年に亡くなったイタリアの文豪アレッサンドロ・マンゾーニ(1785~1873年)を追悼するためのミサ曲として作られた。『アイーダ』の他にも、『リゴレット』や『椿姫』、『オテロ』などを作曲し、歌劇王と謳われたヴェルディだけあって、実にオペラ的な作品に仕上がっている。その豪華な響きは、大聖堂などの宗教施設よりもコンサート会場の方が似合っていると感じるのは、決して私だけではないだろう。

 モーツァルトの『レクイエム』に引けをとらない名曲である。時代が下った分、技巧が凝らされ、使われている楽器の種類も編成の大きさも増しているゆえ、豪快で華やかという言葉がピッタリくる。楽器の改良や演奏技術の進歩がそれを支えたことは言うまでもない。それが「死者を悼む曲」なのかという思いもあろうが、キリスト教世界は死に際しても、黙して語らずの文化とは異なるということなのだろう。それゆえ、指揮者にとっても、オーケストラにとっても、演奏したくなる曲であるのは間違いない。


どのレクイエムも、基本的にはカトリックの典礼に即しているので、おおよそ同じ構成と順序になっている。それを記しておこう。

第1曲 永遠の安息を与え給え(入祭文)

第2曲 怒りの日
     怒りの日
     くすしきラッパの音
     書き記されし書物は
     憐れなるわれ
     御稜威(みいつ)の大王
     思い給え
     われは嘆く
     判決を受けたる呪われし者は
     涙の日なるかな


第3曲 主イエス(奉献文)
第4曲 聖なるかな
第5曲 神の子羊
第6曲 永遠の光を
第7曲 われを赦し給え


::: CD :::

 ゲオルク・ショルティ(1912~97年)は、手兵のシカゴ交響楽団と1977年に再録しているが、こちらはその10年前、ウィーン・フィルとの録音である。この時代のショルティは、力みのない自然体で指揮をしており、ウィーン・フィルから、華麗さとともに重厚な響きを引き出している。

 ルチアーノ・パヴァロッティ(1935~2007年)は、当時まだ30代前半。その若々しく溌剌とした声が素晴らしい。それにもまして素晴らしいのがジョーン・サザーランド(1926~2010年)だ。どうも日本ではあまり評価されていないようだが、一世を風靡した最高のベルカント・ソプラノの一人である。同じくベルカントのマリリン・ホーン(1934年~)との組み合わせで、女声パートは、まさに鉄壁。


 リッカルド・ムーティ(1941年~)も、フィルハーモニア管弦楽団、ミラノ・スカラ座、シカゴ交響楽団など、自らが率いるオーケストラと組んで録音しているところから、この曲に対する並々ならぬ情熱と自信を持っているのだろう。どれも素晴らしいものであるし、ヴェルディの『レクイエム』は、イタリア人の指揮者がイタリアのオーケストラを振ったもので聴きたいという人は多い。


 スカラ座を起用した1987年の録音では、円熟したパヴァロッティのテノールを聴くことができる。フィルハーモニア管弦楽団との録音は1977年だから、その10年前。こちらはレナータ・スコット(1934年~)とアグネス・バルツァ(1944年~)、二人の女声が光っている。特にスコットは、マリア・カラスの再来と称えられただけあって、声も歌唱も完璧。パヴァロッティはショルティ盤の方で楽しんでもらうことにしよう。

 この盤には、フランスの作曲家ルイジ・ケルビーニ(1760~1842年)が1816年に作曲した『レクイエム ハ短調』がカップリングされている。ルイ18世から、断頭台上の露と消えたルイ16世を悼む曲を作るよう命ぜられたのは、彼がフランス革命を批判的に見ていたからであろうか。初演はブルボン王家の霊廟があるサン=ドニ大聖堂であった。

 数あるレクイエムの中にあって、この作品には独唱がなく、混声合唱のみというユニークな構成である。ユニゾンで歌われる箇所がルネッサンス音楽を思い起こさせるなど、革命による新しい市民社会の出現よりも、古き良き時代への懐古的な思いが見え隠れするのだが、シューマンやブラームスは絶賛。ベートーヴェンやハンス・フォン・ビューローも、モーツァルトの『レクイエム』よりこの作品の方を高く評価していたという。みなさんの耳にはどう聴こえるだろうか。

1)ショルティ盤

独唱: ジョーン・サザーランド(ソプラノ)
マリリン・ホーン(メゾ・ソプラノ)
ルチアーノ・パヴァロッティ(テノール)
    マルッティ・タルヴェラ(バス)
合唱: ウィーン国立歌劇場合唱団

指揮: ゲオルク・ショルティ
演奏: ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

録音: 1967年


2)ムーティ盤

ヴェルディ: レクイエム

独唱: レナータ・スコット(ソプラノ)
    アグネス・バルツァ(メゾ・ソプラノ
    ヴェリアーノ・ルケッティ(テノール)
    エフゲニー・ネステレンコ(バス)

合唱: アンブロジアン合唱団
指揮: リッカルド・ムーティ
演奏: フィルハーモニア管弦楽団

録音: 1977年

ケルビーニ: レクイエム ハ短調

合唱: アンブロジアン合唱団
指揮: リッカルド・ムーティ
演奏: フィルハーモニア管弦楽団

録音: 1980年


(しみずたけと) 2023.1.22

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モーツァルトの『レクイエム』


 年が明けてからと言うもの、レクイエムばかり聴いている。今から約一年半前にベンジャミン・ブリテン(1913~1976年)の『戦争レクイエム』をとりあげた。ウクライナ戦争が始まる前だった。それにしても、新しい年の初めに聴きたくなったのが「死者を悼む歌」とは、私の頭がどうかしているのか、はたまた世の中がおかしいせいなのか…。後者だとしたら、ただ事ではない。そうでないことを祈るばかりだ。

 レクイエムとは、死者の安息を神に祈るキリスト教(カトリック)のミサのことであり、転じて、そのミサで用いられる聖歌を指す言葉だった。そうした典礼を離れ、いつしか「葬送曲」とか「死者へのミサ曲」という意味で名づけられた音楽作品を広くレクイエムと呼んでいる。かつては鎮魂曲と呼ばれていたが、鎮魂とは神道の言葉で、キリスト教には魂を鎮めるという概念はない。

 多くの作曲家がレクイエムを作曲しており、中でも、モーツァルト、ヴェルディ、フォーレの作品が有名で、俗に「三大レクイエム」などと呼ばれたりしている。この「三大○○」という言い回しが、私は大嫌いだ。誰が、どういう基準で選んだのかが不明なまま一人歩きしているからである。人気投票があったとは聞かないし、売り上げとかであれば、レコードの枚数やダウンロード数が公表されるに違いない。

 この種のキャッチコピーは、日本に限らないようだ。米国のオーケストラを、ベスト・スリー、ビッグ・ファイブ、エリート・イレブンなどと称したりするのを聞いたことがあると思う。しかしこれらは、歴史や伝統もあるが、そのときどきの演奏に対する評価、聴衆の数(チケット売り上げ)、レコーディング、海外ツアー、そして財政など、きちんと理由付けされ、さらに先々の変動をも前提としている

 それに対し、日本の場合は論理的根拠も示さず、なんとはなしの「みんな納得でしょ」「あなたもその一人」みたいな疑似コンセンサスから、いつの間にか「全員による責任の共有」、だから「誰にも責任がない」という、誘導による共犯関係と無責任社会を成立させるような図式が浮かび上がってくる。中島みゆきの《阿檀の木の下で》に、「だれも知らない日に決まった」という歌詞があったのを思い出す…。

 それにしても「三大○○」は多い。なぜ三つなのかもわからない。モーツァルト、ヴェルディ、フォーレの作品は、確かに素晴らしいが、素晴らしいレクイエムは他にもある。美味しい料理店に行くのは、「その店なら知っているよ」と言うためでないのと同じだ。みなさんにも、いろいろなレクイエムを聴いてほしい。それでは、まずはモーツァルトからでも。


モーツァルト:レクイエム ニ短調 K.626(1791年・未完)

 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは1756年の生まれであるから、彼を取り巻く社会、音楽の意味など、私たちには想像することさえ容易ではない。彼がこの曲に取りかかったのは91年と言われるから、35歳の時である。カトリックの典礼で使われる言葉は決まっており、楽曲にも定められた様式が存在し、それに従っているとは言え、この若さで、天の主への祈りを、かくも美しく、かくも深きレベルで音にするとは…。やはりモーツァルトが天才だからなのか、それとも当時の人の信仰心がそれほどにまで高かったのか、あるいはキリスト教がそれほど深く浸透していたという証なのか…。

 ところが同年、この曲を完成させることなく、モーツァルト自身が天に召されてしまう。いま私たちが聴く全15曲からなる『レクイエム』だが、モーツァルト本人が完成させたのは第1曲だけである。第2、3曲は、ほぼできていたものの、オーケストレーションは弟子のジュースマイヤーによるものだ。それ以外は、残された合唱部分や和声のスケッチをもとに、ジュースマイヤーが補筆することで完成を見ることになる。夫の夭折によって生活苦に陥った妻コンスタンツェが、未払いの作曲料を求めて補筆を依頼したらしい。

 こうした経緯から、はたしてこれはモーツァルトの作品として扱うのが相応しいのか、むしろ大部分を補筆した弟子のものなのではないのかという疑義が出されるのは、ある意味、当然のことだろう。しかし、ジュースマイヤーはモーツァルトの直接の弟子であるし、生前のモーツァルトからあれこれと指示を受けていたということである。今日、指揮者がオーケストレーションに手を加えることは珍しくない。ストコフスキーのそれは有名だが、彼だけではない。ベートーヴェンやメンデルスゾーンの作品にも手が入っていたりする。J-POPなども、オリジナルは旋律部分だけで、ゴージャスな伴奏は編曲者の手によるものであることがほとんどだ。

 補筆されているとは言え、『レクイエム』がモーツァルトの傑作のひとつとして演奏されてきたのは確かな事実である。古くはショパンの葬儀で演奏されたし、ジョン・F・ケネディ(彼の家系はカトリックの国アイルランドの出身)の追悼ミサでも演奏されている。しかしながら、この補筆がまた問題になったりもする。曰く、モーツァルト的ではないと。私が思うに、モーツァルトと見まごうようなレベルの補筆を求めるのは、それこそ無い物ねだりというものである。そこいら中にモーツァルトに比肩する天才作曲家が転がっているのならともかく、いや、もしそんなことがあれば、モーツァルト含め、それは天才でもなんでもなく、普通の人と言うことになろう。

 だが、ジュースマイヤー版に対する不信、あるいは満足できないのか、十指にあまる補作が生み出されることになった。ややこしいこと、この上ない。そうした状況ではあるが、演奏会でもレコードでも、特に断りがない限り、ジュースマイヤー版の楽譜を使って演奏されていると考えて良さそうだ。

I.   入祭唱
   永遠の安息を
II.  憐れみの賛歌

III.  続唱
   怒りの日
   奇しきラッパの響き
   恐るべき御稜威の王
   思い出したまえ
   呪われ退けられし者達が
   涙の日
IV.  奉献文
   主イエス
   賛美の生け贄
   古のアブラハムのごとく
V.  聖なるかな
VI.  祝福された者
VII.  神の小羊
VIII. 聖体拝領唱

   永遠の光


::: C D :::

 人気の名曲だから録音は数多い。それぞれに魅力があって、どれも心ひかれるのだが、まずはカルロ・マリア・ジュリーニ(1914~2005年)が英国のフィルハーモニア管弦楽団を指揮したものを。指揮者として欧州で地位を築いた人の多くは、歌劇場の下積み時代を経ている。だから人の声の扱い方がとてもうまい。ジュリーニもそのひとりだ。第二次大戦では、枢軸国側となったイタリア軍の一員とし兵役につかせられたものの、その悲惨さを目の当たりにして逃亡。現実の理不尽な死を知りつつ、ヒューマンな生き方を貫いた人柄だからこそ、この種の曲の演奏にかけては最右翼の存在と言って良いと思う。

 もう一枚は、『くるみ割り人形』組曲 や《CHRISTMAS WITH THE ACADEMY》で紹介ずみのネヴィル・マリナー(1924~2016年)とアカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズのコンビである。こちらはジュースマイヤー版ではなく、補作のひとつであるバイヤーによる版。マリナーとアカデミーは、後にオーソドックスなジュースマイヤー版で再録しているのだが、比較の意味もあって、こちらを選んでみた。どちらが“より”モーツァルトの音楽を感じられるだろうか。

 ジュリーニ盤とマリナー盤、どちらの独唱陣も合唱団も申し分ない。ただ、古楽器による演奏が主流になりつつある現代において、両者ともいささか時代遅れで古めかしい演奏スタイルに感じられるかもしれない。学術論文であれば、最新の知見をもとに新機軸の解釈を打ち出してこそ高く評価されるものだが、音楽はそうではない。いや、芸術というものは脳ではなく魂を刺激するものである。感心ではなく感動。心が震えた時だけ、人は立ちあがって行動を起こそうとする。

 芸術は、人間に生きていくための勇気を与えるものであるべきだ。この音楽には、そうした何かが確かに存在する。それを感ずる人だけが聴けば良い。みなさんも、心の痛みを沈めてくれる、あるいは魂を揺り動かし、心を奮い立たせる『レクイエム』を、ご自身の手で見つけ出してほしい。

1)ジュリーニ盤

独唱: リン・ドーソン(ソプラノ)
    ヤルト・ファン・ネス(コントラルト)
    キース・ルイス(テノール)
    サイモン・エステス(バス)

指揮: カルロ・マリア・ジュリーニ
演奏と合唱: フィルハーモニア管弦楽団・合唱団

録音: 1989年



2)マリナー盤(バイヤー版)

独唱: イレアナ・コトルバス(ソプラノ)
    ヘレン・ワッツ(コントラルト)
    ロバート・ティアー(テノール)
    ジョン・シャーリー=カーク(バス)

指揮: ネヴィル・マリナー
演奏と合唱: アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ

録音:1977年


(しみずたけと) 2023.1.19

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ブリテン 戦争レクイエム

平和主義者ブリテンのメッセージ

 英国のベンジャミン・ブリテン(1913~1976年)が1961年に作曲した、管弦楽付きの合唱曲である。レクイエムの原義は、ラテン語で「安息を」という意味で、死者の安息を神に願うカトリックのミサ、死者のためのミサとなり、そこから派生して、ミサに供せられる聖歌となり、現在ではキリスト教の典礼から離れた一般的な「死を悼む曲」や葬送曲まで含むものまでへと広がりを見せている。モーツァルト、ヴェルディ、フォーレのレクイエムが特に有名だが、ベルリオーズ、ブラームス、ドヴォルザークなど、数多くの作曲家が手がけているのも、追悼と癒しをもたらす宗教と、そのための場としての教会、そこに求められたのが音楽だったということなのかもしれない。

 数あるレクイエムの中で、とりわけこの曲がユニークなのは、単に死者の安息を祈るのではなく、明確に第二次大戦による全ての国の犠牲者を追悼する曲だという点だ。フル・オーケストラと室内管弦楽団の二つを背景に、ソプラノ、テノール、バリトンの三人の独唱者、混声八部合唱および児童合唱という大規模な編成を必要とする壮大な作品で、歌詞は、ラテン語のカトリック典礼文のほか、第一次大戦に従軍し、25歳で戦死した英国の詩人ウィルフレッド・オーウェン(1893~1918年)による英語の詩が使われている。そう、この大曲は、戦争の不条理を告発し、恒久の世界平和を願う、ブリテンの魂の叫びなのだ。

 空襲で破壊されたコヴェントリーの聖マイケル大聖堂。1958年、その再建を祝う献堂式に供される楽曲を委嘱されたブリテンは、戦争で対峙し、甚大な被害をこうむった双方の交戦国の歌手を独唱者とすることを、当初から念頭においていた。それがソ連のソプラノ、ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(1926~2012年)、英国のテノール、ピーター・ピアーズ(1910~86年)、ドイツのバリトン、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(1925~2012年)である。三人は快諾したが、当時は米ソを盟主とする東西冷戦体制下、1962年のメレディス・デイヴィスが指揮するバーミンガム市交響楽団による初演に、ヴィシネフスカヤだけは参加することができず、英国のヘザー・ハーパーがソプラノをつとめた。

 初演に先立つ四ヶ月も前のこと、当時のデッカ・レコードのプロデューサーだったジョン・カルショー(1924~80年)は、スコアから作品のすばらしさを一目で見抜き、録音を決意。翌1963年のレコーディングにはヴィシネフスカヤも加わることができた。半世紀以上も前の録音であるが、今なお当演奏の代表盤とされる、それがこのCDである。

 戦争を題材にした小説、詩、絵画、写真、芝居、映画、そして音楽…。そういうものは、確かにある。しかし、銃弾の飛び交う中や空襲のもとで、それを描くことは無理だ。文学も芸術も、平和だからこそ可能なのである。アーティストやミュージシャンが平和のために闘う理由は、まさにそこにあるのだろう。

指揮:ベンジャミン・ブリテン
演奏:ロンドン交響楽団

独唱:ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(ソプラノ)
   ピーター・ピアーズ(テノール)
   ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
合唱:ロンドン交響楽団合唱団、ハイゲート学校合唱団
録音:1963年

(しみずたけと) 2021.8.17


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