スッペとサン=サーンスの《レクイエム》


 この一年というもの、ロシアによるウクライナ侵攻に心が痛みっぱなしだった。しかし、本当に辛い思いをしたのは、私などではない。数多の犠牲者を悼むべく、様々なレクイエムをとりあげてきた理由はそこにある。モーツァルト、ヴェルディ、ケルビーニ、フォーレ、デュリュフレ、ドゥランテ、ブラームス、ベルリオーズ、ドヴォルザークと、18世紀半ばから20世紀半ばまでの200年にわたるヨーロッパ版“野辺おくり”の音楽。

 クラシック音楽におけるレクイエムは、国民国家の誕生とその膨張、そして他の国民国家と衝突するようになった時代に多く生まれている。背景にあるのは、一部の人たちの富と利権。作曲家たちは、そんな背景を敏感に感じ取っていたのかもしれない。演奏する人たちは、そして私たち聴衆は、そのことに気づいているだろうか。

 人はすべて死すべき存在。しかし理不尽な死を減らすことこそが文明であり、それが文明の到達点を測る尺度ではないのか。そう考えると、人類は本当に進歩してきたと、胸を張って言いきれるだろうか。ウクライナだけではない。ミャンマーで、香港で、シリアで、アフリカで、世界中のいたるところで、人間の命が脅威にさらされている。一連のレクイエムを、このような思いで聴かなくてすむ世界は来るのか。来るとすれば、それはいつなのか。そのために、私たちがしなければならないことは何か


スッペ『レクイエム』ニ短調(1855年)

 オーストリア生まれのフランツ・フォン・スッペ(1819~1895年)。「ウィンナ・オペレッタの父」と呼ばれたりもするが、指揮者や歌手としても活動した人である。上演されることが多いのは、喜歌劇『詩人と農夫』、『スペードの女王』、『美しきガラテア』などだろうか。コンサートでもしばしばとりあげられる『軽騎兵』の序曲は、誰もが一度は聴いたことがあるはずだ。

 作曲家スッペは有名だし、スッペの作品もポピュラーなのに、スッペがレクイエムを作曲していたことを知る人は少ない。いちど聴いてみてほしい。

第1曲 永遠の安息を
第2曲 怒りの日
第3曲 妙なるラッパの響き
第4曲 畏こき御霊威の王
第5曲 思い出し給え
第6曲 呪われし者を

第7曲 涙の日
第8曲 主イエス・キリスト
第9曲 賛美の生け贄と祈り
第10曲 聖なるかな
第11曲 祝福あれ
第12曲 天主の子羊
第13曲 救い給え


サン=サーンス『レクイエム』作品54

 一方のシャルル・カミーユ・サン=サーンス(1835~1921年)は、オーストリアとはライバル関係にあるフランスの作曲家。私は交響曲第3番ハ短調『オルガン付き』を真っ先に思い浮かべるのだが、面白さでは『動物の謝肉祭』かもしれない。チェロが奏でる優雅な「白鳥」は誰もが知る人気曲。さらに「ピアニスト」の題で人間が登場するなど、なかなか皮肉が効いている。

 そんな彼が作曲した『レクイエム』があるのだが、あまり知られていないのはなぜだろう。これまで紹介してきた作品、ベルディやベルリオーズのものと比べると、40分足らずの比較的小ぶりな曲となっている。儀式用には大曲の方が効果的だからであろうか。


 セザール・フランクらと国民音楽協会を結成したサン=サーンスだったが、パリのマドレーヌ寺院のオルガニストという二足の草鞋だったこともあり、作曲だけに専念するわけにもいかない日々をおくっていた。当時、フランス郵政大臣の地位にあったアルベール・リボンが、死後のレクイエムを作曲するという条件で10万フランを遺贈するという約束をしてくれたおかげで、オルガニストの激務から解放されたのである。しかもリボンは、レクイエム作曲の義務を取り下げるまでした。それほど作曲家サン=サーンスを買っていたのだろう。

 しかしサン=サーンスは、1877年5月にリボンがこの世を去ると、彼との約束を反故にすることなく、翌年4月、滞在先のスイスで八日間という短い日数で、この『レクイエム』を書き上げた。そして5月22日、リボンの一周忌に初演がなされたのである。なんとも義理堅いというか、誠実な人柄ではないか。

第1曲 レイエム ― キリエ
第2曲 怒りの日
第3曲 おそるべき王よ
第4曲 ひれ伏して願いたてまつる
第5曲 賛美の犠牲(いけにえ)
第6曲 聖なるかな
第7曲 ほむべきかな
第8曲 神の子羊



::: CD スッペのレクイエム :::

 この曲の録音は少ないようだ。私もこれしか聴いたことがない。たった一種類しか知らずに選ぶのもどうかと思うだが、とりあえずご容赦を。

 指揮はドイツ人のゲルト・シャラー(1965年~)。アントン・ブルックナーを得意とし、フィルハーモニー・フェスティヴァとのコンビで全集の制作を進めている。このオーケストラは、シャラーが2008年、ミュンヘン・フィル、バイエルン放送交響楽団、バイエルン州立歌劇場管弦楽団といったミュンヘンの主要オーケストラを中心に、周辺のオーケストラの優秀な団員で構成するアドホック的な楽団のようだが、一連のブルックナー作品の録音は現時点における最高水準との呼び声も高く、世界的に知られるようになった。

独唱:
マリー・ファイトヴァー(ソプラノ)
フランツィスカ・ゴットヴァルト(コントラルト)
トミスラフ・ムジェク(テノール)
アルベルト・ペーゼンドルファー(バス)


合唱:ミュンヘン・フィルハーモニー合唱団
   合唱指揮 アンドレアス・ヘルマン


指揮:ゲルト・シャラー
演奏:フィルハーモニー・フェスティヴァ


録音:2012年(ライブ)


::: CD サン=サーンスのレクイエム :::

 こちらはチャイコフスキーの交響曲第2番、しかもあまり演奏されることのない改訂前の版で紹介したジェフリー・サイモン(1946年~)が指揮する英国のオーケストラ。この人は、どうも他の人がやらないことにチャレンジするのが好きなようだ。こういう人の存在が、私たちの楽しみの場を広げてくれる。みんな同じとか一種類しかないというのは、実につまらないことだ。違うもの、大歓迎! 独唱陣もロンドン・フィルもいい。

 カップリングの交響曲第3番は有名だが、歌劇『黄色い姫君』序曲を知る人は多くはあるまい。これらをまとめて聴くことができるとは、なんとお得なディスクだろう。

収録曲
1.歌劇『黄色い姫君』作品30~序曲(1872年)
2.レクイエム ハ短調 作品54(1878年)
3.交響曲第3番ハ短調『オルガン付き』作品78(1886年)

独唱:
ティヌケ・オラフィミハン(ソプラノ 2)
キャスリン・ウィン=ロジャース(アルト 2)
アンソニー・ローデン(テノール 2)
サイモン・カークブライド(バス 2)


合唱:ハーロウ&イースト・ロンドン合唱団(2)

指揮:ジェフリー・サイモン
演奏:ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
   ジェームズ・オドンネル(オルガン 2, 3)


録音:1993年


第1曲 レクイエム ― キリエ
第2曲 怒りの日
第3曲 おそるべき王よ
第4曲 ひれ伏して願いたてまつる
第5曲 賛美の犠牲(いけにえ)
第6曲 聖なるかな
第7曲 ほむべきかな
第8曲 神の子羊

(しみずたけと) 2023.8.27

9j音楽ライブラリーに跳ぶ
リンク先は別所憲法9条の会ホームページ

ドヴォルザークの『レクイエム』


 ベートーヴェンとならんでポピュラーな交響曲第9番の作曲家といえば、やはり《新世界》のドヴォルザークであろう。ベートーヴェンの第9が器楽と声楽との融合を特徴とするなら、ドヴォルザークのそれは器楽による歌、ボヘミア節とでも言ったらよいだろうか、あのメロディにこそ魂が宿っているように思える。

 アントニン・ドヴォルザーク(1841~1904年)は北ボヘミア、現在のチェコに生まれた。フランス革命後の欧州で、国民国家の意識が高まっていく時代である。ロマン派に属する音楽家たちもまた、民族的なアイデンティティを主張あるいは盛り込んだ音楽を作るようになった。民族の間に語り継がれてきた物語や詩、歌い継がれてきた伝統的な旋律を採り入れた作曲家たちを総称して国民楽派と呼んでいる。これまでとりあげてきたロシアのムソルグスキーやフィンランドのシベリウス、ドヴォルザークと同郷のスメタナなどがそうだ。チャイコフスキーもその一人に含めて良いと思うのだが、ドイツ音楽の影響が強いことから、ロシア国民楽派とみなす人、みなさない人と、評価が分かれている。


 ドヴォルザークは、交響曲から室内楽、声楽と、幅広いジャンルで優れた作品を残しているが、国民楽派には歌劇や標題音楽に特色を打ち出すケースが多いことを思うと、このあたりがやや異質なところかもしれない。ここで紹介するのは、そんなドヴォルザークによるレクイエムである。

ドヴォルザーク: レクイエム
作品89(1890年)

 演奏時間が90分を超えるにもかかわらず、旋律は素朴かつ情感を漂わせた美しく、聴く者を飽きさせない、疲れさせない、親しみやすい作品に仕上がっている。深い祈りの美しさから、神への畏敬を示す荘厳な激しさへのダイナミズムは、ドヴォルザークが敬虔なカトリック信者であったことを思わせるものだ。また、バッハの《ロ短調ミサ》の第三曲からの引用によって曲が開始されるのも興味深い。

第1曲 入祭文
第2曲 昇階誦
第3曲 怒りの日

第4曲 奇しきラッパの響き
第5曲 哀れなるわれ
第6曲 思い出したまえ
第7曲 呪われたもの
第8曲 涙の日
第9曲 奉献文
第10曲 賛美の生け贄と祈り

第11曲 聖なるかな
第12曲 慈悲深きイエスよ
第13曲 神羊誦

 テクストは、レクイエムお決まりのラテン語によっているが、一部文節の切り方が、グレゴリオ聖歌から脈々と続くスタイルとは微妙に異なっているところがあったり、第3曲の「怒りの日」がドヴォルザーク自身の手によるものになっていたりする。牧歌的にも感じられる親しみやすさの秘密は、こうしたところにあるのかもしれない。


::: CD :::

1)ケルテス盤

 この曲のベストの一つと言っても、間違いではなかろう。英国バーミンガム音楽祭の委嘱により作曲され、1891年にドヴォルザーク自身の指揮によってバーミンガムで初演されたことを思うと、英国とのつながりの深さを感じる。ハンガリー生まれのイシュトヴァン・ケルテス(1929~73年)は、ロンドン交響楽団の楽団員からは絶大な信頼を受け、この時期、同楽団と精力的にドヴォルザークの作品を録音していた。正統かつ模範的な演奏だが、だからといって教科書的な退屈な堅苦しさは微塵もなく、“ドヴォルザーク愛”に満ちあふれたものとなっている。

 いつもながらインターナショナルな音が持ち味のロンドン交響楽団だが、こうした宗教曲は、地域的なアクや民族性を出し過ぎず、ほどほどに抑えた方が普遍性を醸し出し、誰にでも受け入れやすくなって良いのかもしれない。独唱陣は文句なし。合唱を受け持つアンブロジアン・シンガーズも、多彩な表現が求められ、技術的に難しいとされるこの曲を、豊かな表現力で美しい声を響かせている。まさに合唱王国イギリスの面目躍如といったところ。半世紀も前のものだが、今日聴いても不満を感ずることはないだろう。英デッカの録音技術、恐るべし。

独唱:ピラール・ローレンガー(ソプラノ)
   エルジェーベト・コムロッシー(メゾ・ソプラノ)
   ロベルト・イロシュファルヴィ(テノール)
   トム・クラウセ(バリトン)
合唱:
アンブロジアン・シンガーズ

指揮:イシュトヴァン・ケルテス
演奏:ロンドン交響楽団


録音:1969年



2)フルシャ盤

 こちらはチェコの指揮者、オーケストラ、合唱団による、ボヘミアの香り高い演奏である。ヤクブ・フルシャは1981年にブルノに生まれた、40代になったばかりの気鋭の指揮者。2010年には、プラハの春国際音楽祭オープニング・コンサートの指揮者を務めた。これは同音楽祭の最年少記録である。2010年から7年間、東京都交響楽団の首席客演指揮者の地位にあったので、知る人も多いに違いない。

 本CDには、フルシャによる『テ・デウム』とともに、イルジー・ビエロフラーヴェク(1946~2017年)がタクトをとる『聖書の歌』が収録されている。ヴァーツラフ・スメターチェク、カレル・アンチェル、ラファエル・クーベリック、ヴァーツラフ・ノイマン、ズデニェク・コシュラーといったビッグ・ネームの陰に隠れがちだが、少しも引けをとらない指揮者だった。この演奏は最晩年、亡くなった年の貴重なライブ録音である。

独唱: アイリン・ペレス(ソプラノ)
    クリスティアーネ・ストーティン(メゾ・ソプラノ)
    マイケル・スパイアーズ(テノール)
    ヤン・マルティニーク(バリトン)

合唱: プラハ・フィルハーモニー合唱団

指揮: ヤクブ・フルシャ
演奏: チェコ・フィルハーモニー管弦楽団


録音: 2017年(ライブ)

歌曲集『聖書の歌』作品99(1894年)

独唱: ヤン・マルティニーク(バリトン)
指揮: イルジー・ビエロフラーヴェク
演奏: チェコ・フィルハーモニー管弦楽団


録音: 2017年(ライブ)

テ・デウム 作品103(1892年)

独唱: カテリーナ・クネージコヴァ(ソプラノ)
    スヴォタプルク・セム(バリトン)
合唱: プラハ・フィルハーモニー合唱団

指揮: ヤクブ・フルシャ
演奏: チェコ・フィルハーモニー管弦楽団


録音: 2018年(ライブ)


(しみずたけと) 2023.7.30

9j音楽ライブラリーに跳ぶ
リンク先は別所憲法9条の会ホームページ

ベルリオーズの『レクイエム』


 『幻想交響曲』で知られるエクトル・ベルリオーズ(1803~69年)。古典派あるいはウィーン古典派のモーツァルトと近代音楽初頭のフォーレの間に現れた、フランスのロマン派音楽の作曲家である。同じくロマン派に属するブラームスが古典主義的な形式美を尊重したのに対し、ブラームスより30年早く生まれたベルリオーズは、絶対音楽に対するかのような斬新な手法を世に問うた。後にフランツ・リスト(1811~86年)が標題音楽と呼ぶことになるものである。

 古典派の中心とも言えるベートーヴェンも、交響曲第6番『田園』を情念の表現である絶対音楽としながら、各楽章には情景を示唆するような題名を与え、それに対応するかのように、水の流れ、鳥のさえずり、突風や雷鳴など、自然の営みを音作りに採り入れたものとしていた。ベルリオーズは、さらに一歩進め、音楽による絵や物語を主軸に据えたスタイルをうち立てたと言うところか。

 そのベルリオーズによるレクイエム、正しくは『死者のための大ミサ曲』と呼ぶ。1830年の七月革命の犠牲者と、35年に起きたこの記念日の式典で、国王ルイ・フィリップ(1773~1850年)を暗殺する目的で投げられた爆弾による犠牲者を追悼する慰霊祭用に、フランス政府から依頼されたものだった。『幻想交響曲』の七年後、脂ののりきった時期の作曲家とはいえ、国家の公式行事を目的にした楽曲依頼は異例と言って良い。

 かねてより葬送交響曲の構想を抱いていたこともあり、作曲中だった歌劇『ベンヴェヌート・チェッリーニ』を中断したベルリオーズは、この曲を三ヶ月という短い期間で一気に書き上げた。主オーケストラに加え、東側と西側、南側にそれぞれトランペットとトロンボーンを各4本、北側にコルネットとトロンボーンを各4、チューバ2本の四つのバンダ(別働隊)を配置、独唱テノールと合唱団を必要とする大がかりなものとしている。合唱も、ソプラノ80人、テノール60人、バス70人と、なかなか指定が細かい。

 作曲にあたって、ベルリオーズは演奏場所についてまで考慮している。アンヴァリッド(廃兵院)のサン・ルイ教会は、ナポレオンの棺が置かれたドームとは背中合わせになっており、大人数を収容できた。その窓はすべて閉ざされ、壁は黒布で覆われ、闇に包まれた堂内で、棺の周り置かれたロウソクだけが鈍く光を放つ。このような雰囲気の式典を想定し、モーツァルトの『レクイエム』をマドレーヌ教会で、ケルビーニの『レクイエム』をここサン・ルイ教会で聴いた経験から、会場の音響効果や音量の増減が必要であることに気づいた彼は、参列者の集中力を途切れさせないため、音楽に強烈なコントラストを織り込むことにした。それがこうした規模の大きさと四方に置いたバンダである。

 考え抜かれた大曲だったが、1837年7月28日に予定されていた式典は、政治的な理由で三日間から一日に縮小され、ベルリオーズの力作は演奏されずじまいになった。初演は、同年12月5日、アルジェリア戦争で戦死したシャルル=マリー・ドニ・ド・ダムレモン将軍(1783~1837年)と彼の将兵の追悼式として、同じくサン・ルイ教会でおこなわれたのである。

 ベルリオーズは、「ただ一曲だけを残すことが許されるなら、迷わずこれを残してほしい」と言い残すほど、この作品に自信を持っていた、あるいはその出来映えに惚れ込んでいたようであるが、どうであろうか。それは聴いてのお楽しみと言うことで。

ベルリオーズ:『死者のための大ミサ曲』作品5(1837年)

第一曲 入祭文「レクイエム」と「キリエ」
第二曲 続誦「怒りの日」
第三曲 そのとき憐れなるわれ

第四曲 おそるべき御稜威の王よ
第五曲 われをさがし求め
第六曲 涙の日
第七曲 奉献誦
第八曲 賛美のいけにえ
第九曲 聖なるかな
第十曲 神の子羊


::: CD :::

 ベルリオーズの演奏において、指揮者シャルル・ミュンシュ(1891~1968年)の名は外すことができない。フランスものとドイツもの、どちらも熱のこもった素晴らしい録音を残した彼であるが、『レクイエム』については、天才ミケランジェロによるバチカンのシスティナ礼拝堂の天井画『最後の審判』になぞらえるほど高く評価していた。このボストン交響楽団指揮した演奏は、ミケランジェロの壁画の音化とも言えば良いであろうか、パリ管弦楽団との『幻想交響曲』と並び、ステレオ録音初期の最高傑作、究極のベルリオーズ演奏と言って良いだろう。

 もう一枚、より新しい録音を探してみた。まず思いついたのは、1993年の小澤征爾とボストン交響楽団による演奏。ミュンシュは13年間にわたってボストン交響楽団の常任指揮者の地位にあったし、小澤征爾はそのミュンシュの影響を強く受けている。ミュンシュ、小澤征爾、ボストン交響楽団、この三者の共通点は、みなベルリオーズが得意、十八番にしていたということから、新旧レクイエムの対比ということになろうか。しかし、待てよ。どうせ対比するなら、もっと違うスタイルの演奏の方が楽しめるのではないのか…。そうだ、自他共に認めるベルリオーズのエキスパート、サー・コリン・デイヴィスがいたではないか!

 古都ドレスデン。1945年2月13日から15日にかけ、英国空軍と米陸軍航空隊が四度にわたり、のべ1,300の重爆撃機がこの街を無差別爆撃した。投下された3,800トン近い爆弾により、街の大半は破壊され、約三万人が犠牲となる、歴史に残る民間人大量殺戮であった。

 それから半世紀、ドレスデン爆撃50周年を翌年に控えた1994年2月14日、戦没者を追悼する演奏会が開かれた。甚大な被害を受けたこの街で、しかも爆撃のあったのと同じ日に、ドイツを代表するオーケストラのひとつ、シュターツカペレ・ドレスデンを指揮するのは、爆撃をおこなった側の人間として痛切な衝動に駆られたという英国の巨匠コリン・デイヴィス。その事実が、圧倒的な名演、いや凄演と呼ぶべきか、音楽会という言葉では言い足りないものとしている。独唱と合唱をあわせ、和解と癒やしをもたらす同曲の名演奏として、末永く語り継がれることになるであろう、そんなライブ盤である。

1)ミュンシュ盤

独唱:レオポルド・シモノー(テノール)
合唱:ニュー・イングランド音楽院合唱団

指揮:シャルル・ミュンシュ
演奏:ボストン交響楽団


録音:1959年



2)デイヴィス盤

独唱:キース・イカイア=パーディ (テノール)
合唱:ドレスデン国立歌劇場合唱団
   ドレスデン・シンフォニー合唱団
   ドレスデン・ジングアカデミー

指揮:サー・コリン・デイヴィス
演奏:シュターツカペレ・ドレスデン


録音:1994年2月14日 ドレスデン聖十字架教会 (ライヴ)


(しみずたけと) 2023.5.24

9j音楽ライブラリーに跳ぶ
リンク先は別所憲法9条の会ホームページ

ブラームスの『ドイツ・レクイエム』


 モーツァルト、ヴェルディ、フォーレの《三大レクイエム》につづき、デュリュフレとドゥランテのレクイエムを紹介済みである。ケルビーニの作品にも、少しだけ触れた。そうなると、ヨハネス・ブラームス(1833~97年)の『ドイツ・レクイエム』をとりあげないわけにはいかないだろう。どうしてこれが三大○○に含まれないのか、ある意味、不思議ですらある。《三大レクイエム》に比肩する名曲であることは疑いようもないのだから。

 ブラームスという作曲家は、古典主義的な形式美を尊重する点で、ベートーヴェンの後を継ぐ人物だと目されるのだが、その作風は、概してロマン派音楽に属する。古典主義の形式をまとったロマン主義的精神とでも言えば良いだろうか。小難しさ、堅苦しさの残るベートーヴェンにくらべ、柔らかな滋味を感じるのは、おそらくそのためである。

 さて、題名である『ドイツ・レクイエム』は、ドイツという国やドイツ人のレクイエムではなく、ドイツ語によるレクイエムという意味である。レクイエムと言うのは、カトリック教会における死者のためのミサの音楽であり、ラテン語の歌詞につけられるのが一般的だが、ブラームスによるこの曲は、歌詞にドイツ語が用いられているだけでなく、他にも通常のレクイエムとは違ったところがある。教会のミサではなく、音楽会で歌われることを念頭に置いた作品と言えよう。

 この曲は、創造主の力、人生の無常、最後の審判への恐怖、死すべき運命、慰め、残されし者の悲しみ、復活への希望という七つの部分で構成されており、構成も内容も、他の多くのレクイエムと共通である。また、ドイツ語の「幸いなるかな、主にありて死ぬる者は」という最後の句もラテン語とほぼ同じで、永遠の安息を祈るがごとく穏やかに歌われ、合唱がピアニシモで「幸いなるかな」をくり返した後、管楽器の静かな和音と静謐なハープのアルペジオで曲を閉じる。形式的にも内容的にも、まぎれもなくレクイエムなのである。

 歌詞の独語を、ブラームスは宗教改革で知られるマルティン・ルター(1483~1546年)による新約と旧約の両聖書からとった。ルターが聖書をドイツ語に訳したのは、彼が民族主義者だったからではなく、人々が理解できることが何よりも重要だと考えていたからである。ブラームスもまた、その思想に共感したからこそ、ラテン語ではなくドイツ語によるレクイエムを作曲したのではなかろうか。


第1曲 幸いなるかな、悲しみを抱く者は (合唱)
第2曲 肉はみな、草のごとく (合唱)
第3曲 主よ、知らしめたまえ (バリトン、合唱)
第4曲 いかに愛すべきかな、汝のいますところは、万軍の主よ (合唱)
第5曲 汝らも今は憂いあり (ソプラノ、合唱)
第6曲 我らここには、永久の地なくして (バリトン、合唱)
第7曲 幸いなるかな、主にありて死ぬる者は (合唱)


::: CD :::

ブラームス:ドイツ・レクイエム 作品45(1868年)

 この曲には、オットー・クレンペラーとフィルハーモニア管弦楽団、ヘルベルト・フォン・カラヤンとベルリン・フィルなど、昔から名盤の誉れ高い録音がいくつかある。ベルリン・フィルなら、モノラルではあるが、ルドルフ・ケンペも忘れがたい…。と、いろいろ迷うのだが、ラファエル・クーベリックとバイエルン放送交響楽団のコンビ、カルロ・マリア・ジュリーニがウィーン・フィルを振ったものなら、期待ハズレと感じる人はいないだろう。こういう曲は、ライブの臨場感あふれるものの方がふさわしいように思える。

1)クーベリック盤

 これ以上の『ドイツ・レクイエム』は滅多にない。そう思えるほどの圧倒的な演奏である。クーベリックの指揮のもと、見事な独唱、合唱の熱気、統率のとれたオーケストラが、美しく、うねるような壮大さを絶妙のバランスで響かせる。表情の付け方やテンポの揺らし方などは、まさにロマン派的な解釈であろう。録音も、ライブとは思えないほどの完璧さだ。

独唱: エディト・マティス(ソプラノ)
    ヴォルフガング・ブレンデル(バリトン)


指揮: ラファエル・クーベリック
演奏・合唱: バイエルン放送交響楽団&合唱団

録音: 1978年(ライブ)


2)ジュリ-ニ盤

 こちらはウィーン楽友協会で行われた「カール・ベーム・メモリアル・コンサート」のライブである。モーツァルトの『レクイエム』で紹介したが、ジュリーニはオーケストラと声楽の合わせ方が実に見事である。やや遅めのテンポと曲調に合致した深い響きにより、細部まで深く掘り下げた音作りを堪能できる。

独唱: バーバラ・ボニー(ソプラノ)
    アンドレアス・シュミット(バリトン)
合唱: ウィーン国立歌劇場合唱団

指揮: カルロ・マリア・ジュリーニ
演奏: ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
    ルドルフ・ショルツ(オルガン)

録音:1987年(ライブ)


(しみずたけと) 2023.4.25

9j音楽ライブラリーに跳ぶ
リンク先は別所憲法9条の会ホームページ

ドゥランテの『レクイエム』


 数多あるレクイエムも、元をたどれば中世のグレゴリオ聖歌に行き着く。前に紹介したモーリス・デュリュフレ(1902~86年)のレクイエムは、グレゴリオ聖歌の現代的解釈とでも言えば良いだろうか、グレゴリオ聖歌が20世紀に生まれたのなら、このような響きを伴うのかもしれない。

 それでは、もっと中世に近い時代、ルーツであるグレゴリオ聖歌により近しい音楽はどうなのであろう。ここにとりあげたフランチェスコ・ドゥランテ(1684~1755年)の『レクイエム ト短調』なら、グレゴリオ聖歌と古典派のモーツァルトの『レクイエム』の橋渡しをしてくれそうだ。

 ドゥランテはイタリアのナポリ生まれ。音楽の父と呼ばれるヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685~1750年)と同じ時代を生き、宗教曲や器楽曲、イタリア古典歌曲を残している。聖オノフリオやポーヴェリ・ディ・ジェス・クリスト、聖マリア・ディ・ロレートなど、いくつもの音楽院で教育活動に力を注いだ人で、たくさんのオペラ作曲家を輩出した。当時の音楽学校は、教会や修道院に付随しており、音楽学校を表すミュージック・コンサーヴァトリー(conservatory)は、それらが孤児や女性、病人、老人を保護する(conserve)場であったことに由来している。弟子たちに音楽を教えながらも、この人の作品は神への捧げものだったことがうかがえる。

Introitus:
 1. Requiem aeternam
 2. Kyrie
Gradualis et tractus:
 3. Requiem aeternam – In memoria aeterna
 4. Fuga in C Minor
Sequentia:
 5. Dies Irae, dies illa
 6. Recordare Jesu pie
 7. Ingemisco tamquam reus
 8. Confutatis maledictis
 9. Lacrymosa dies illa
Offertorium:
 10. Domine Jesu Christe
 11. Hostias
Sanctus:
 12. Sanctus
 13. Benedictus
 14. Toccata (Anonymous, Naples, XVII sec.)
 15. Agnus dei
Communio:
 16. Lux aeterna
Exitus:
 17. Libera me domine


::: CD :::

レクイエム ト短調(1746年)

 耳にすることが決して多いとは言えないドゥランテの『レクイエム』だが、英国の大学聖歌隊による合唱と演奏がそれなりに見つかる。イタリアの教会、イタリアの音楽院と深い関わりのあったイタリア人のドゥランテ。その作品ということで、ここではイタリアの演奏家によるものを選んでみた。当時、イタリアという国家はまだ現れていなかったのだけれど、そこは目をつぶってもらうとして…。

独唱: フランチェスカ・カッシナーリ(ソプラノ)
    エレーナ・カルツァニーガ(コントラルト)
    ロベルト・リリエーヴィ(テノール)
    マッテオ・ベッロット(バス)


演奏: アストラリウム・コンソート
    カルロ・チェンテメーリ(オルガン、指揮)

録音: 2018年


(しみずたけと) 2023.4.14

9j音楽ライブラリーに跳ぶ
リンク先は別所憲法9条の会ホームページ