やっぱりライブは凄いのか?


 録音された音楽には、ジャンルを問わず、ライブとそうでないものがある。ライブとは、読んで字のごとく、コンサートなどの生演奏の録音。そうでないものは、満足いくまで何回も録りなおしが効く、いわゆるセッション録音と呼ばれるものだ。ホールの場合もあれば、スタジオを使うこともある。

 ライブ録音は、演奏会の記録とほぼ同義語だから、ミスはミスのまま、演奏の傷として残る。それに対し、録りなおすことができるセッション録音は、楽譜どおり、作曲家の意図を忠実に反映したり、演奏者の解釈をより正確かつ洗練された形にすることができるという点で、理想に近いのかもしれない。その一方で、なにやら人工的な、作りものっぽい印象が拭いきれないところもある。

 たとえばクラシックの交響曲を考えてみよう。一時間近く要する全曲をノー・ミスで演奏しきるのは大変なことだ。その中で、音をはずしたとかではなく、ある楽器にもう少しだけ音量があった方が良い、リズミカルな歯切れ良さが欲しい、全体的にほんのちょっとテンポを速めたい、反対に落としたいなどということが起きてくる。聴衆にしてみれば、「それでどう違うのか」「どっちでもいいではないか」かもしれないが、指揮者もオーケストラの団員もアーティストである。演奏会は聴衆のためだが、音楽は自分たち自身のためでもある。だから妥協点は恐ろしく高い。その交響曲の録音を商品として残す以上、納得のいくものにしたいという思いがあって当然であろう。

 だから楽章ごとに別々に収録する。不満があれば録りなおす。あるいは何回か演奏し、いちばん良い楽章同士をつなぎ合わせるということもおこなわれる。いわゆる“編集”という作業だ。傷のない演奏にこだわったカラヤンなどは、より細かい編集にこだわったという。デジタル録音時代の今日、音の調節などを含め、編集はより精密に、容易にできるようになった。作りもの感も払拭されるようになるのかもしれない。それでは、ライブ録音にはどのような意味があるのだろうか。

 音楽は、間違いがないことだけが価値を左右するわけではない。ミスがあっても素晴らしい演奏というのは、確かに存在する。一期一会、白熱のライブなどという表現がある。アーティストと聴衆、ステージと客席の間を行き交う熱気というものは目には見えないし、数値化もできない。拍手にブラボー、ブーイングや足踏みも、デシベル換算すれば同化してしまう。数値に置き換えることのできないものでさえ評価の対象として捉えることができる、そこが人間の凄いところだ。このあたりは、今のAIが及ばない領域だろう。

 私はライブ録音もセッション録音も、どちらも認めたい。前者の一回性と後者の完成度は、そもそも次元が違うものなのだから、くらべる必要もないのではないのか。どちらが好きか、聴きたいのはどちらか、私にとって重要なのはそれだけである。

 同じ曲、同じ指揮者、同じオーケストラで聴きくらべてみたらどうであろうか。ここに二つの《マーラー交響曲第5番嬰ハ短調》がある。どちらもラファエル・クーベリック指揮によるバイエルン放送交響楽団の演奏。ひとつは1971年のセッション録音、もうひとつは1981年のライブ録音である。10年の時間差があるが、あなたが好きなのはどちらか、いま聴くとしたら、どちらを選ぶか。人それぞれで良いし、毎回違ってもかまわない。音楽の“一回性”というものは、いつでも、どこでも存在するし、もちろんここにもあってしかるべきである。

 この曲については、だいぶ前になるが、カラヤンとベルリン・フィルによる演奏を紹介した。ワルター、クレンペラー、バーンスタイン、ショルティ、バルビローリなどを愛聴する人にとっては、やや異質な、変化球的なものに感じられたかもしれない。いや、むしろそれを狙ってのチョイスだった。しかし、クーベリックとバイエルン放送交響楽団のそれは、まさに正統派、ど真ん中の直球と言って良いだろう。マーラー特有のユダヤ的な情緒もなければ、マーラーゆかりのウィーンの華やかさとは別物の、マーラーとクーベリックが共有する故郷ボヘミアの薫りを存分に味わえる演奏となっている。

::: CD :::

1)セッション録音盤

指揮:ラファエル・クーベリック
演奏:バイエルン放送交響楽
録音:1971年

 

1)ライブ録音盤

指揮:ラファエル・クーベリック
演奏:バイエルン放送交響楽
録音:1981年


(しみずたけと) 2023.7.31

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マーラー 交響曲第1番


 マーラーの交響曲第2番『復活』を紹介する中で、ヤッシャ・ホーレンシュタイン(1898~1973年)の名にふれた。いま戦火の真っ只中にあるウクライナのキエフ出身、しかも姪が日本国憲法草案制定会議のメンバーであるベアテ・シロタ・ゴードン(1923~2012年)とくれば、憲法記念日を目の前に控え、《別所憲法9条の会》としては、ぜひともとりあげたい音楽家である。

 早くからマーラー演奏を得意としていた彼だが、交響曲第2番『復活』は録音されなかったのか、CDもLPも見つけることができなかった。手元にも、もちろんない。なんとか彼のマーラーを聴いてもらいたかったのだが…。いや、まてよ、交響曲第1番なら、ロンドン交響楽団との名盤があるではないか!

 ユダヤ系のホーレンシュタインは、ヒトラー支配下で酷い目に遭わされた一人である。戦後は米国を中心に、西側諸国で活躍した。ウクライナ出身なら、なぜソ連邦ではなかったのか。彼の手腕を持ってすれば、モスクワやレニングラードの主要オーケストラを率いるポスト、音楽監督でも首席指揮者にでも就けたはずである。

 それもまた、彼がユダヤ系だったからなのだろう。社会主義の国となったソ連だったが、帝政ロシアの時代と変わらない反ユダヤ主義が席巻していたのである。社会主義とか共産主義が問題なのではない。権威主義国家は、体制に従順な「もの言わぬ」人間を欲する、ありていに言えば、権力に尻尾を振り、媚びへつらう輩が重用され、そうでない者は「厄介な存在」として周辺に追いやられるのが常だ。日本学術会議に対する政権の姿勢を見れば、民主主義を自称するわが国も変わりないことがわかるはずだ。

 ヒトラーとスターリンは「同じ穴の狢」でしかない。互いに戦火を交えながら、自国民をも死に追いやった独裁者である。違っているのは、背負った看板だけ。卑近な例に当てはめれば、抗争を繰りひろげる○○組と××会みたいなものである。両者は主義主張や目指すものが異なっているから対立しているのではない。ベクトルが同じだからこそ衝突するのだ。

 ソ連という国の体制の犠牲になったのは、ホーレンシュタインだけではない。ピアニストのウラディミール・ホロヴィッツ(1903~89年)やエミール・ギレリス(1916~85年)、ヴァイオリニストのダヴィッド・オイストラフ(1908~74年)など、枚挙にいとまがない。彼らはみな、ウクライナ生まれのユダヤ系という共通点を有する。優れた音楽家であったドミートリイ・ショスタコーヴィチ(1906~75年)がなめた辛酸については、彼の交響曲を紹介する中に書いておいた。音楽も政治とは無縁ではいられないということを、私たちは忘れてはならない。

マーラー 交響曲第1番 ニ長調

 この作品は、1884年に着手され、88年、ブダペストで一応の完成を見たことになっている。当時、ブダペスト王立歌劇場の指揮者だったマーラーは、作曲だけに専念するわけにもいかなかったのだろう。四年というかなり長い年月を要したのは、そのためだと思われる。

第1部「青春の日々から。花、果実、茨など」
 Ⅰ.果てしなき春
 Ⅱ.花の章
 Ⅲ.帆に風をはらんで
第2部「人間喜劇」
 Ⅳ.カロ絵風の葬送行進曲
 Ⅴ.地獄から天国へ

 全体が五つの楽章で構成された「二部からなる交響詩」として、それぞれに表題がついていた。初演は、失敗ではなかったものの、あまり芳しいものでもなかったようで、マーラーはこれを4楽章の交響曲に改訂する。このときに、第2楽章に置かれていた「花の章」が省かれることになった。

 4楽章となった交響曲第1番に、マーラーは以前に愛読していたジャン・パウル(1763~1825年)の小説“Titan”から、この題名を拝借して付けることにした。日本では、どちらも『巨人』と訳されている。この曲と小説の間に直接的な関係はないが、主人公アルバーノの人間的成長を描いた物語が、作曲者になんらかの影響を与えたのは間違いないだろう。歌曲「さすらう若人の歌」との関連性からも、それがわかる。

 これらの表題すべてが、後に作曲者自身によって取り払われたことを思うと、ベートーベンの『運命』と同じく、今日この作品に『巨人』の名を使うのは適切とは言えないだろう。とはいえ、マーラーの音楽の背景を理解するためには、小説『巨人』の内容は知っておいた方が良いのは確かだと思う。ただ、「巨人」という言葉で私たちが思い浮かべる「並はずれて体の大きな人」は、ジャン・パウルの作品のそれとは全く違うから、その点については要注意だ。


::: CD :::

 ホーレンシュタインが気になって書き始めたのだが、せっかくの機会なので、他の演奏も紹介したい。マーラーの交響曲第1番は人気もあり、プロもアマも問わず、演奏会でもしばしばとりあげられる。名盤も目白押しだ。そんな中で優れたものを選ぶのは至難の業だし、贔屓の録音が入っていないと怒り出す人も出てきそうだ。ということで、選択の基準は「私のお気に入り」ということにさせてもらおう。本当はもっとたくさんあるのだが、四種だけにする。

1)ホーレンシュタイン盤

 マーラーやブルックナーの交響曲を、ブームになるはるか以前から積極的にとりあげてきたホーレンシュタイン。惜しむらくは、主要レーベルの録音がほとんどないことであろう。そんな中で、ロンドン交響楽団を指揮したこの演奏は、LP時代から決定盤の誉れ高いものだった。彼のマーラーはスケールが大きく、骨太である。繊細さよりも豪胆さを前面に押し出した、ど真ん中に投げ込まれたストレートの剛速球とでも言えば良いだろうか。この曲には、実によく合っていると思う。ベアテはヤッシャ叔父さんのマーラーをどのように聴いたのだろうか。

指揮:ヤッシャ・ホーレンシュタイン
演奏:ロンドン交響楽団


録音:1969年


2)ワルター盤

 指揮者マーラーの弟子だったブルーノ・ワルター(1876~1962年)。マーラー演奏の第一世代であり、指標のような存在だ。奇をてらうようなところは微塵もなく、折り目正しい、端正の整った音の造形は、まるで石造りの大聖堂のようである。楽譜に記載されている過剰とも思えるポルタメントやルバートを排し、やや速めのテンポで進むところなど、規模を大きくしたハイドンやモーツァルトを思わせる。後期ロマン派音楽を古典派的解釈するとこうなるといった見本みたいなものである。一度は聴いておくべきマーラーだと思う。

指揮:ブルーノ・ワルター
演奏:コロンビア交響楽団


録音:1961年


3)小澤征爾盤

 小澤征爾(1935年~)によるこの演奏は、第1番に不可欠な若さ、瑞々しさにあふれた、場外ホームランのような胸のすくものと言って良い。タクトに応える名門ボストン響からも、73年に就任した音楽監督を心から大切にしている様子が伝わってくる。

 もうひとつの特徴は、「花の章」を加えた5楽章構成だということだろう。アナログLPの登場時、改訂後の最終稿を尊重したのか、それとも5楽章だと一枚のレコードに収まらないという商業的な理由だったのか、4楽章の交響曲として発売された。二枚組にすると値段が倍になるし、ディスクの埋め草も考えなければならない。この曲とカップリングするとしたら…。ベートーヴェンの『運命』とシューベルトの『未完成』、ドヴォルザークの『新世界』とスメタナの『モルダウ』のような鉄板の取り合わせはなかなか難しい。

 CDの時代になり、「花の章」付きもチラホラ見かけるようになったが、これはその先鞭をつけたものになる。トランペットの軽やかでリリカルな調べを楽しんでほしい。マーラーが最初に思い描いた曲想は、まさにこれだったのである。

指揮:小澤征爾
演奏:ボストン交響楽団


録音:1977年


4)テンシュテット盤

 ドイツ後期ロマン派の叙情性を色濃く引き出すクラウス・テンシュテット(1926~98年)のマーラー演奏は、言うなればワーグナーの流れをくむものだ。堅実な指揮と情感豊かな演奏は、情念と深い精神性を併せ持つものとなっている。音楽監督を務めたロンドン・フィルとの演奏も見事なのだが、ゲオルク・ショルティ(1912~97年)が徹底的に鍛え上げたシカゴ響を振ったこの録音は、ライブと言うこともあり、緊張感みなぎる凄演となっている。享年72才。早世が惜しまれる巨匠だった。

指揮:クラウス・テンシュテット
演奏:シカゴ交響楽団


録音:1990年(ライブ


(しみずたけと) 2023.4.30

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マーラーの『復活』


 もうすぐ復活祭(イースター)。だからというわけではないが、グスタフ・マーラー(1860~1911年)の交響曲第2番『復活』を聴きたくなった。ここでとりあげるマーラーの作品としては、交響曲第5番と『大地の歌』につづき、三曲目になる。マーラーの交響曲はどれも素晴らしいが、どれかひとつと問われたなら、私はこの第2番を推したい。

 作曲年代は1888年から94年だが、最初のスケッチが1887年に見られるという。つまり、88年に完成する第1番の作曲中に、すでに第2番の曲想があったわけだが、第1番にどれくらい影響を与えたのであろうか。フレーズは異なるが、第1番と第2番、聴いていて相互を思い浮かべることがしばしばある。そして約10年後、どちらも作曲者自身によって改訂されている。

 とはいえ、第1番とくらべると、第2番は様々な点で異なっている。まずはその規模だ。5楽章構成で、4管編成のオーケストラ、舞台裏にも楽器を配置し、独唱と合唱、マーラーの交響曲として初めて声楽が導入された。彼の作品は交響曲と歌曲に集約されるが、交響曲と歌曲の融合に自分の音楽の完成形を見ていたのであれば、第2番はその第一歩だったと言えよう。ベートーヴェンの交響曲第9番『合唱』を嚆矢とし、レクイエムのような宗教を背景にした声楽曲の要素を採り入れながら昇華したマーラーの世界がここから始まる。

 副題である『復活』は、ドイツの詩人フリードリヒ・ゴッドリープ・クロプシュトック(1724~1803年)の「復活」という讃歌にマーラーが加筆した詩を第5楽章に用いていることに由来。また、ルートヴィヒ・アヒム・フォン・アルニム(1781~1831年)とクレメンス・ブレンターノ(1778~1842年)が収集したドイツ民衆詩『子どもの魔法の角笛』を題材にした同名の歌曲集からとられた「原初の光」を第4楽章に組み込み、終楽章の序奏のように位置づけている。マーラーは「人はなんのために生きるのか」という根源的な問いを立て、この交響曲全体を「生と死」で括りながら、救済を歌う声楽を終楽章に置くことで答えているようだ。そこに見え隠れするのは、作曲家マーラーの死生観であり、未来への祈り、宗教観である。

 私がこの曲に感ずるのは、絶対的な神による復活の啓示や讃歌ではなく、やすらかで平和な未来を復活に託する人類の祈りだ。単なる再生の願いではなく、今こそ求められる総体としての人類の生存と尊厳の復活と受けとめたとき、これほど現代に相応しい曲もないように思えてくる。この曲が、マーラーの作品の中でいちばん好きだという理由も、まさにここにある。


::: CD :::

マーラー交響曲第2番ハ短調『復活』

 第2番には名盤が多い。マーラーの弟子で、直接薫陶を受けたブルーノ・ワルター(1876~1962年)とオットー・クレンペラー(1885~1973年)。二人ともマーラーと同じユダヤ系だった。前者とウィーン・フィル、後者とフィルハーモニア管弦楽団との演奏は、今なお定盤と言って良いだろう。

 戦前・戦中を通して、マーラー指揮者として彼ら以上に評価されていたのが、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を率いたオランダ人のウィレム・メンゲルベルク(1871~1951年)だ。しかし戦後、彼はナチス協力者として楽団を追放されてしまう。優れたマーラー演奏とナチスへの協力、なんとも不思議な結びつきである。

 もうひとり忘れてはならないのは、やはりユダヤ系で、黎明期からマーラーを支持し、積極的に演奏したウクライナ出身のヤッシャ・ホーレンシュタイン(1898~1973年)だ。なぜか日本では知名度が低いのだが、日本国憲法の起草に携わったベアテ・シロタ・ゴードン(1923~2012年)が姪であると聞けば、少しは身近に感じられるだろうか。このあたりまでがマーラー演奏の第一世代であろう。

 メンゲルベルクもホーレンシュタインも、第2番の録音を残さなかったのか、今日聴くことができないのは実に残念だ。ナチスに協力した者、ヒトラーに酷い目に遭わされた者、理由は異なるが、レコーディングの機会を奪われてしまったのだ。音楽も、決して政治と無縁ではない。国家権力に翻弄されることもあれば、利用されることもあるということである。音楽だけではない。あらゆる芸術、文学やスポーツも、ある時は迫害され、またある時は戦争に協力してきた歴史を持つ。そのことを、私たちは忘れてはならない。

 ユダヤの血を引く指揮者にとって、やはりマーラーは重要なレパートリーなのだろう。ウクライナにルーツを持つアメリカ人のレナード・バーンスタイン(1918~90年)とニューヨーク・フィルハーモニック、ハンガリー生まれのゲオルク・ショルティ(1912~97年)とシカゴ交響楽団。米国にマーラーが定着したのは、この二組のコンビの功績が大きいだろう。このあたりが第二世代と言えそうだ。

 オーケストラの規模が大きくなり、技量も上がったことで、マーラーの交響曲が要求する大編成と複雑な演奏が可能になり、インターナショナルな古典音楽として一気にブレイク、多くの指揮者が手がけるようになった。マーラーを直接知らない、ユダヤ系でもない第三世代の台頭である。交響曲第2番に関して言えば、ズービン・メータ(1936年~)がウィーン・フィルを振った演奏は後期ロマン派らしい濃厚なもの。対極にあるのが、クラウディオ・アバド(1933~2014年)とシカゴ交響楽団による、現代的で引き締まった筋肉質の演奏。また、繊細でリズム感あふれるのが小澤征爾(1935年~)とボストン交響楽団のコンビ。この頃からマーラーは爆発的なブームとなり、演奏会の常連に位置づけられるようになった。

 ロリン・マゼール(1930~2014年)やマイケル・ティルソン・トーマス(1944年)らもユダヤ系の音楽家だが、彼らがマーラーをとりあげるのは、現代における演奏会プログラムにマッチしているからであろう。一時期ほどではないが、百花繚乱のマーラーが楽しめる時代であるのは嬉しいことだ。

1)バルビローリ盤

 数ある交響曲第2番の名盤の中にあって、大本命とも言えるものである。ジョン・バルビローリ(1899~1970年)は、イタリア人とフランス人の間に英国で生まれた、実にインターナショナルな出自を持つ。マーラーが他界したのは、彼が11歳の時だから、もちろん直系の弟子ではない。ユダヤ系でもないから、ユダヤ民族の記憶とか精神性などとは無縁の人である。第一世代から第二世代にまたがるマーラー指揮者として、作品に対する理解と特別な共感があり、純粋に音楽作品として評価していたからに違いない。

 バルビローリは、1961年から毎年ベルリン・フィルに客演し、楽団員、聴衆、批評家のすべてから愛された。この楽団にマーラーを定着させたのは彼にほかならない。当時のベルリン・フィルはカラヤンの掌中にあり、ほとんどがスタジオ録音であった。納得のいくテイクまで何度も演奏し直し、編集されたもので、すこぶる完成度は高いのだが、聴き手に伝わってくる芸術的な情報量と迫力と言う点において、このバルビローリの演奏は桁違いの巨大さを有する。

 演奏上の細かいキズなどなんのその、嵐のように激しく燃えさかる展開部、最後の審判を目前に、屹立するかのように聳える高みを目指す終楽章の圧倒的な表現はどうだろう。深く格調高いベイカーと気高く強いシュターダー、二人の歌唱も光る。モノラル録音だが、自由ベルリン放送の正規音源だけあって、それを微塵も感じさせないほど十二分に良好な音質が保たれている。これは「聴かねばならない音楽」である。

独唱:マリア・シュターダー(ソプラノ)
   ジャネット・ベイカー(メゾソプラノ)
合唱:ベルリン聖ヘトヴィヒ大聖堂聖歌隊

指揮:ジョン・バルビローリ
演奏:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1965年(ライブ)MONO


2)ショルティ盤

 ショルティと言えば、誰もが思い浮かべるのがシカゴ響とのコンビだろう。そのパワフルな金管楽器群と強靱な弦セクションは、いかにもアメリカ的なサウンドだ。口さがない人たちは「ショルティッシモ」などと呼んだりする。

 当初、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団やロンドン交響楽団を起用してマーラーを録音していたショルティだが、シカゴ響の音楽監督に就任してからは、こちらに切り替えた。曰く、マーラーにはもっとパワーのあるオーケストラが必要であると。交響曲全集制作にあたっては、シカゴ響で再録して完成させた。

 1980年のシカゴ響との録音は、冒頭の弦の強烈なトレモロに始まり、細かなテンポの変化にも鋭く反応するオーケストラの高い機能によって、張り詰めた空気と全体を引き締める鋭いリズムで突き進む。ユダヤ的な情緒は微塵も感じられない、現代的なサウンドである。

 しかし、ここではあえてロンドン響との旧録音の方を推したい。エネルギッシュなショルティは、いつものように強弱の振り幅を広くとり、豪壮な表現で牽引するが、オーケストラの自然で率直な表現、強靱だがしなやかなカンタービレを聴かせる演奏が、指揮棒と絶妙に噛み合い、柔らかいが熱気あふれる名演となっている。ハーパーとワッツの独唱、オールディスが鍛えた合唱団も素晴らしい。全集には入っていないこの演奏も、ぜひ聴いてほしいものだ。

独唱:ヘザー・ハーパー(ソプラノ)
   ヘレン・ワッツ(コントラルト)
合唱:ロンドン交響楽団合唱団
   ジョン・オールディス(合唱指揮)

指揮:ゲオルク・ショルティ
演奏:ロンドン交響楽団
録音:1966年


3)小澤征爾盤

 小澤征爾(1935年~)は、早い時期からマーラーをレパートリーにしていた。日本フィルハーモニー交響楽団が1972年に解散する際、彼が最後の公演でとりあげたのも、このマーラーの交響曲第2番『復活』だった。ボストン響との録音も素晴らしかったが、ここでとりあげるのは、2000年のサイトウ・キネン・オーケストラとのライブ盤である。

 桐朋学園創立者の一人で、戦前・戦後の日本の音楽文化を担い、多くの音楽家を国内外に送り出した齋藤秀雄(1902~74年)の薫陶を受けた音楽家たちが、彼の没後10年を機に結成したのが、今や世界的に有名になったサイトウ・キネン・オーケストラである。

 その都度アドホックで参集する彼ら・彼女らは、世界中で活躍しているにもかかわらず、米国のような豪快さ、ウィーン・フィルの軽やかさ、ドイツ的な重厚さ、フランスの華麗さ、インターナショナルな響きの英国とも違う、控えめでややくすんだ、日本独自の音色を奏でる。小澤征爾も、音楽的アプローチは変わらないが、ボストン響やベルリン・フィルの時とは異なる音を聴かせる。

 国内外のコンクールで受賞を重ね、世界で活躍する菅英三子、フランス生まれのシュトゥッツマン、卓越した二人の独唱と、関屋晋(1928~2005年)が率いる晋友会合唱団、そしてライブならではの熱気がこの演奏を支えている。なお、2023年のバイロイト音楽祭で、シュトゥッツマンは史上二人目の女性指揮者として、歌劇『タンホイザー』を指揮することになっている。

 小澤征爾の指揮と彼を中心とするオーケストラ、合唱団、独唱者による、精緻だが暖かさに満ちたこの演奏こそ、『復活』に託した作曲家自身のメッセージにもっとも近づいたものではなかろうか。

独唱:菅英三子(ソプラノ)
   ナタリー・シュトゥッツマン(コントラルト)
合唱:晋友会合唱団
   関屋晋(合唱指揮)

指揮:小澤征爾
演奏:サイトウ・キネン・オーケストラ
録音:2000年・東京文化会館(ライブ)


(しみずたけと) 2023.4.8

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マーラーの『大地の歌』

グスタフ・マーラー
交響曲第5番嬰ハ短調『大地の歌』

マーラーの交響曲第5番を紹介した折、冒頭で『大地の歌』に出てくる歌詞の一節に触れた。そのまま放っておくのも落ち着かないので、この曲についても、少しだけ書いてみようと思う。

『大地の歌』は、グスタフ・マーラー(1860~1911年)の9番目の交響曲で、1908年に作られた。ベートーヴェン、ブルックナー、ドボルザークなど、九つの交響曲を残して世を去った先人たちを意識したのだろうか、第8番の後に作曲したこの作品に、マーラーは番号を与えていない。当時の彼は多くの不幸や困難に直面していたが、そのせいだろうか。

この前年、10年にわたって任にあったウィーン宮廷歌劇場(現在のウィーン国立歌劇場)の職を辞し、ほどなくして猩紅熱とジフテリアに罹った長女マリア・アンナを亡くす。その衝撃で、妻アルマは心臓に不調をきたし、病院へ。付き添った彼自身も、そこで病の兆候を指摘された。弟エルンストは心臓水腫に長く苦しみ、幼くして死去。母も心臓をわずらっていた。念のために専門医の診断を仰ぐと、弁膜症だという。

マーラーは山登りやボート漕ぎ、水泳といった運動が好きだった。身体を激しく動かしているときに楽想をつかむのが常だったと伝えられている。ドクター・ストップがかかり、それができなくなった。羽をもがれた鳥の心境だろうか、彼が死を強く意識していたとしても、それほど不思議なことではないだろう。この曲は、常に死を通して生を考えていたマーラーの、現世への告別の辞だったのではあるまいか。

『大地の歌』は、合唱こそ加わらないものの、奇数楽章にテノール、偶数楽章にアルト(またはバリトン)と、声楽を中心に据えたものとなっている。歌詞は、李白らの唐詩をドイツ語にしたもので、ハンス・ベートゲ(1876~1946年)が編纂した『支那の笛』という詩集から7編を選び出し、これに手を入れ、ところどころ自作のフレーズを加えるなどもしている。しかし、83編の詩からなる『支那の笛』も、既に様々な人によって訳されていたものを、ベートゲがかなり自由奔放に焼きなおした、いわゆる翻案に近いものだった。それゆえ、元の詩がどれだったのかを特定するのは容易ではない。いや、あまり意味がないことにも思える。

有名な曲なので、ここでくどくど解説する必要はなかろう。詳細を知りたければ、調べる手がかりはいくらでもあるのだから。書き添えるならば、マーラーの作品は、ほぼ交響曲と歌曲に限定されるといってよく、両者の融合を目指した作品としては最後のものでもあることから、この『大地の歌』こそは、彼の作風の集大成であり、音楽人生の総決算を意図していたように思える。第9、第10交響曲(未完)が後に上梓され、弟子でもあった指揮者のオットー・クレンペラー(1885~1973年)は、「第9が一番偉大だ」と述べている。シンフォニーとしての完成度は、その通りなのだろうが、この『大地の歌』こそが彼の「白鳥の歌」だった、私にはそう思えてならない。

いちおう、各楽章の詩の出自わかっている範囲で)を記しておく。

第1楽章「現世を憂うる酒宴の歌」
李白の「悲歌行」をもとにしたもので、3節とも「生は昏(くら)く、死もまた昏い」という同じ句で結ばれる。

第2楽章「秋の孤独の男」
もとの詩がどれであったか、諸説あるものの、未だ特定にはいたっていない。

第3楽章「青春について」
李白の「宴陶家亭子」をもとにしたもの。

第4楽章「美について」
李白の「採蓮曲」をもとにしたもの。

第5楽章「春に酔う者」
李白の「春日酔起言志」をもとにしたもの。

第6楽章「別れ」
前半が孟浩然の「宿業師山房期丁大不至」、後半は王維の「送別」をもとにしたもので、異なる二つの詩を作曲者自身が結合し、さらに改変とか加味をおこなっており、「永遠に」の句を繰り返しながら消え入るように終わっていく。スコアのこの箇所には「完全に死に絶えるように」との書き込みがあり、当時のマーラーの心境ないし精神状態、さらには思想や哲学が見え隠れするのではなかろうか。

全体の演奏時間は60分程度だが、テノールの歌う奇数楽章の演奏時間より、アルトまたはバリトンによる偶数楽章のそれの方が、いずれも長い。さらに、第6楽章だけは特別に長く、他の5楽章を合わせたのとほぼ同じ時間を要する。このアンバランスさをどう考えたら良いだろう。もしかしたら、作曲者のなんらかの意図が秘められているのかもしれない。


ハンス・ベートゲの『支那の笛』の題名は、あえてそのまま使用した。外国人が中国を、古代王朝の秦(しん)から転じた音で呼び、英語のチャイナ、フランス語のシン、ドイツ語のヒーナ(オーストリアではキーナ)はこれに由来する。1912年に中華民国が成立したが、当時のヨーロッパでは中国という名称は一般化しなかった。わが国でも本書を『支那の笛』と表記しているので、あえてそのまま使うことにした。

『大地の歌』の歌詞については、下記を参照されたい。
須永恆雄(編訳)、『マーラー全歌詞対訳集』、国書刊行会、2014年、ISBN 978-4-336-05763-1。


マーラーが生きた時代

マーラーが生きた19世紀末から20世紀初頭にかけ、西洋は、帝国主義および植民地支配を通して、己とは異なる文明と出会うことになった。中国を中心とした東洋である。それまでの周辺に位置した文化と異なり、完全に西洋と比肩する高度で巨大な文明との遭遇により、文学や絵画、建築など、広範囲な文化が影響を受け、エキゾチズムへの関心が高まった。

人は生き、いつかやがて死ぬ。それは暗く悲しいが、誰も死から逃れることはできない。それでも大地には春がめぐり来て花を咲かせ、新たな出会いと別れを繰り返す。自然に対する挑戦と支配とは違う、自然に身を委ねた無常観、厭世観、諦観…。ベートゲの『中国の笛』もマーラーの『大地の歌』も、そうした流れの上にあるといえよう。

それでは『大地の歌』は、唐詩(の翻案ではあるが)に出会ったマーラーによる、東洋的無常観の可聴化、音符化に過ぎないのだろうか。李白らの詩を、これまでの人生経験に重ね合わせたであろうことを想像するのだが、もっと別の、彼自身の出自にまつわるところにあるなにか、そう思えてならない。

ボヘミア(現在のチェコ)出身のマーラーは、主にオーストリアのウィーンで活躍した。彼は自分のことを「三重の意味で故郷がない人間」という。オーストリアにおいてはボヘミア人、ドイツにおいてはオーストリア人、キリスト教世界においてはユダヤ人、つまり、どこにいても「よそ者」であり、中心ではなく周辺、常に疎外される要素を抱えた存在なのだと。

キリスト教は、ユダヤ教にその根を持ちながら、中世以来、ユダヤ教と対立してきた。いや、キリスト教化された欧州にあって、ユダヤ教とユダヤ人は排除の対象とされてきたのである。19世紀以後、反ユダヤ暴動が活発化し、この頃になると、ロシアや東欧ではポグロム(ユダヤ人に対する集団的迫害)が頻発するようになった。裕福なユダヤ人たちが新天地アメリカを目指したのは、そのためである。ニューヨークにはイディッシュ劇を上演する多数の劇場が作られた。ニューヨークのメトロポリタン歌劇場からの招聘にこたえ、マーラーが渡米した1907年の12月の世相である。

ナチスの台頭は、まだ先になるが、それを予感させる社会が醸成されつつあることを、神経質なマーラーは敏感に感じとったのかもしれない。以前から持っていたユダヤ的汎神論的傾向と、諦観ともいえるような東洋的な自然思想がむすびつき、きわめて独特かつ心に沁み入る情緒的な世界観を、声楽をまじえた壮大なオーケストレーションで描き出してみせたのが、この交響曲イ短調『大地の歌』ではなかろうか。

雑怪奇とも思える現代を生きるものとして、李白の詩にせよ、マーラーの音楽にせよ、現世(うつしよ)に暗さを感じることは少なくない。しかし、死もまた暗いとすれば、われわれの行きつく先はどんなところなのだろうか。天国、極楽浄土、彼岸、パラダイス…、光に満ちた楽園というのは勘違いで、待っているのは暗い冥府、黄泉国なのか。そうであるなら、むしろ無神論者でいる方が、よほど気楽というものだ。だが、マーラーは無神論者などではなかったはずである。その答えが、『大地の歌』にあるとは思わないが、秋の夜長である、じっくり聴いてみることにしよう。

 ::: CD :::

CD化された演奏を2種類だけ紹介しておこうと思う。偶然ではあるが、どちらもマーラーが指揮者を務めたウィーン・フィルによる演奏である。

①ワルター盤

マーラーを得意としたワルター。作曲者と親交があり、『大地の歌』の初演を委ねられただけあって、半世紀以上たってなお、同曲の最高の演奏の一つにあげられるものだ。しかもオーケストラは、ワルターと相性抜群のウィーン・フィル。それにもまして特筆すべきは、独唱の二人だろう。パツァークのニヒルな歌いっぷりは、実にこの曲の性格に合っている。また、早世が惜しまれるフェリアーの数少ない貴重な録音の一つだ。モノラルだが、デッカの優秀な録音技術もあって、今なおワクワクしながら、しかも心安らかに聴くことができる。

指揮:ブルーノ・ワルター
演奏:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
独唱:ユリウス・パツァーク(テノール)

   カスリーン・フェリアー(アルト)
録音:1952年

  

②バーンスタイン盤


1966年といえば、バーンスタインがヴェルディの歌劇『ファルスタッフ』を振ってウィーン国立歌劇場に颯爽と登場した年。同時に、マーラーと同じユダヤ人の血を引く彼が、これまたマーラーと縁あるウィーン・フィルとのコンビで『大地の歌』を演奏。ニューヨーク・フィルハーモニックとのマーラーは既に定評を得ていたが、ここでマーラー指揮者としてのバーンスタインが世界的に定着したといっても過言ではあるまい。ワーグナー歌劇のヘルデン・テノールとしても名高いキングの凜々しさ、ドイツ・リートの頂点を極めつつ、オペラまでカバーするフィッシャー=ディスカウの卓越した表現力、二人の格調高い歌唱がすばらしい。

指揮:レナード・バーンスタイン
演奏:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
独唱:ジェームズ・キング(テノール)

   ディートリッヒ・フィッシャー=ディスカウ(バリトン)
録音:1966年


(しみずたけと)

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マーラー 交響曲第5番

グスタフ・マーラー
交響曲第5番嬰ハ短調


「生は暗く、死もまた暗い」。グスタフ・マーラー(1860~1911年)の声楽を伴った交響曲『大地の歌』に現れるフレーズである。現代世界で、今の日本で、このペシミスティックな言葉がふと脳裏をよぎるのは、はたして私だけであろうか。

後期ロマン派の交響曲作家として人気のグスタフ・マーラー。今日ではオーケストラ演奏会でもしばしば採りあげられるメジャー作品になっているが、一昔前まではかなり特殊な扱いだったように思う。6本とかそれ以上のホルンなど、大編成でなければならないし、そのうえ難しいとくるのだから、高い水準の四菅編成楽団でなければ演奏できなかったのであろう。3番や4番、『大地の歌』は声楽ソリストが、2番や8番はさらに合唱まで必要とし、コストの問題もあったに違いない。私が初めて聴いたのは、1972年に日本フィルが解散する折りの最後の演奏会、小澤征爾が指揮する第2番『復活』のFM放送だった。正直なところ、複雑すぎて良くわからなかったのだが…。

当時のオーケストラが演奏する交響曲は、ベートーヴェンやブラームスなどの“ドイツもの”が多く、せいぜいチャイコフスキーまでが定番だったと思う。来日するオーケストラの場合も同じで、あとはフランスの楽団なら、ベルリオーズ、チェコならドヴォルザークと、いわゆる“お国もの”が採りあげられるくらいだった。それがいつしかマーラーを軸にしたプログラムがごく普通に組まれるようになったのは、ゴージャスで迫力ある響きを求める聴衆と、オーケストラの演奏技術向上、そして経済的安定のたまものではなかろうか。

ここで紹介する交響曲第5番は、第4楽章アダージェットが、ルキノ・ヴィスコンティの映画『ヴェニスに死す』で使われたこともあり、マーラーの交響曲の中ではそれなりの知名度はあった。その静謐感にみちあふれた美しい旋律は、実に心地よい。しかし、私にとって印象的なのは、第1楽章、とりわけ冒頭に奏でられるトランペットの不吉なファンファーレに始まる《葬送行進曲》につきる。交響曲に葬送のメロディが現れるのは、なにもこの曲だけではないのだが、冒頭に置かれたところに衝撃がある。

マーラーの演奏で、私の世代が真っ先に思い浮かべるのは、おそらくレナード・バーンスタインとゲオルク・ショルティの二人だろう。音作り、演奏スタイルはまったく異なるが、どちらも作曲者と同じユダヤの血を引いている。ウィレム・メンゲルベルク、ブルーノ・ワルター、オットー・クレンペラーといった、生前のマーラーを知る人たちを第一世代とするなら、第二世代ということになる。ここに採りあげたヘルベルト・フォン・カラヤンも、その中に含めてよかろう。

20世紀半ばのクラシック界に君臨し、幅広いレパートリーを手掛けたカラヤンであったが、マーラーを採りあげるようになったのは、かなり後になってからのことである。この第5番の録音は1973年、65才の時だ。ワルターやジョン・バルビローリの演奏で、既にマーラーは有名になっていたし、バーンスタインやショルティ、ベルナルト・ハイティンクは交響曲を全集録音していた。大編成のワーグナーや複雑精緻なリヒャルト・シュトラウスを得意としていたカラヤンが、スペシャリストではないにせよ、なぜマーラーをレパートリーの範疇外に置いていたのか。

第二次大戦中、指揮者のポストを得るためにナチス党員となったカラヤン。ユダヤ人音楽家への差別政策の加担者と見なされたことを理由にあげる人がいる。曰く、ドイツ楽壇の頂点を極めようとしていた彼にとって、マーラーを演奏することは自己否定につながるのだと。しかし、ユダヤ系の作曲家はいくらでもいる。カラヤンが交響曲を全曲録音したフェリックス・メンデルスゾーンもそのひとりだ。彼は、自身がマーラーを演奏するための機が熟すのを待っていたのではなかろうか。

カラヤンは、どんな作品であっても、その音と表現を徹底的に磨き込まずにはいられない完璧主義者だったし、独自の美学を持っていた。作曲家の感情移入が激しすぎるマーラーの作品は、あまりに生々しく、シェフにとって料理しづらい、アクの強い食材だったのだと思う。じっくり観察し、最良の調理法を編みだし、手兵ベルリン・フィルの演奏技術が十分な水準に達し、自分と楽団が最良の関係に昇華する時機、さらには納得いく録音技術の到来を読み切ったうえでの着手だったに違いない。最初に交響曲第5番が選ばれたのは、これが純粋な器楽曲だったからであろう。しかも、世に出たのは収録してから二年も後のことだった。甘く美しいだけでなく、冷静に計算されつくした、きわめて精妙かつ密度の濃い響きに仕上げられている。

冒頭のトランペットを吹くのは、ベルリン・フィルの奏者ではなく、当時10代の天才少年トランペッターだという。そのフレーズの美しさ、そして不思議な印象。他のどの演奏とも異なる、カラヤンならではの奥深い耽美主義とでもいえば良いだろうか。このメロディは、肉体の葬送なのか、それとも精神のそれなのか、はたまた社会を示しているのか…。ベルリン・フィルの機能美が可能にした、クライマックスへとつづく重層的な音響。それらは、もしかしたらマーラーの本質とは乖離したものなのかもしれない。そうした一抹の不安と同居する充足感。それゆえ、この演奏は、ある種の異端であり、現代におけるマーラー解釈にとって避けられない問題を投げかけているようでもある。

マーラーとカラヤンによる葬送行進曲は、われわれをどこに連れて行ってくれるのだろう。

指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
演奏:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1973年 ライブ


映画紹介


(しみずたけと)