暮れゆく一年に…


 今年も足早に一年が過ぎていった。楽しいことがなかったわけではないが、つらい話を耳にすることの方が多かったような気がする。今年に限らないことだが…。

 暮れゆく一年に思いを馳せながら聴く音楽は…と。そうだ、《四季》にしよう。バロック音楽の巨匠アントニオ・ヴィヴァルディ(1678~1741年)のヴァイオリン協奏曲ではない。ピョートル・チャイコフスキー(1840~93年)のピアノ曲である。

 ロシアの詩人による一月から十二月の風物を描いた12の詩をもとにして書かれた作品。詩に曲がつけられているわけではなく、あくまでも曲想を得るために、詩をモチーフにしただけ。映画などでも使われたりしている。十二曲中、八曲が長調、四曲が短調。明るくカラフルなヴィヴァルディの《四季》とは対照的だ。いかにも陽光降り注ぐ南欧的なヴィヴァルディに対し、こちらは木々や草の緑も淡く、冬はモノトーンといった趣で、寒い国の静けさが漂う。各月の表題と元になった詩の作者を記しておく。

1月 炉辺にて(アレクサンドル・プーシキン)
2月 謝肉祭週(ピョートル・ヴィャゼムスキー)
3月 ひばりの歌(アポロン・マイコフ)
4月 松雪草(アポロン・マイコフ)
5月 白夜(アファナシ・フェート)
6月 舟唄(アレクセイ・プレシチェーエフ)
7月 草刈人の歌(アレクセイ・コリツェフ)
8月 収穫(アレクセイ・コリツェフ)
9月 狩り(アレクサンドル・プーシキン)
10月 秋の歌(アレクセイ・コンスタンチノヴィッチ・トルストイ)
11月 トロイカ(ニコライ・ネクラーソフ)
12月 クリスマス(ヴァシリ・ジューコフスキー)

 各月の表題を見てもらえばわかると思うが、《四季》という題になにか違和感を感ずる。四季という言葉から、私たち日本人は春夏秋冬の四つの季節、たとえば若葉が萌え出る春、夏の暑さ、紅葉の秋、雪に閉ざされる冬を思いうかべたりするが、副題である「十二の性格的小品」から、この曲が十二ヵ月のそれぞれの性格を音で描いたものであることがわかる。

 気候変動のせいか、ただ暑いだけの単調な夏が続くかと思えば、いきなり夏から冬になったりと、季節感は薄れるばかりの今日この頃である。それにともなって、昔からの行事などの風物詩も、私たちの日常生活とは一致しなくなっているのではなかろうか。この曲を聴きながら、懐古趣味的に「むかしは良かったなー」などと嘆息するのではなく、「このままで本当に良いのか」と自問自答したいものだ。


::: C D :::

1)アシュケナージ盤

 よく知られた曲だし、録音もそれなりにある。演奏会の曲目としてはどうなのだろうか。ここではウラディーミル・アシュケナージ(1937年〜)の演奏を聴いてもらおう。抜群の技巧を誇る人だが、それをひけらかすこともなく、過度の感情移入も避け、淡々と聴かせてくれる。とはいえ、BGMとして聴き流すのではあまりにももったいない。現在は指揮者としても活躍しているが、主要なピアノ曲はすべて録音しているのではないかと思うくらい、20世紀を代表するピアニストの一人である。

収録曲
1.18の小品 作品72から第5曲「瞑想曲」

2.6つの小品 作品51から第2曲「踊るポルカ」
3.情熱的な告白
4.18の小品 作品72から第3曲「やさしい非難」
5.18の小品 作品72から第2曲「子守歌」

6.四季 作品37

演奏:ウラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)
録音:1998年


2)スヴェトラーノフ盤

 こちらはアレクサンドル・ガウク(1893〜1963年)によって管弦楽のために編曲されたものだ。元のピアノ版よりもさらに録音が少ない。ガウクの編曲は、ツボにはまっているというか、まるでチャイコフスキー自身が作曲したかのような見事さだ。重厚な曲が得意なエフゲニー・スヴェトラーノフ(1928〜2002年)だが、ここでは軽やかで小気味の良い音作りをしている。そういえば、スヴェトラーノフの指揮法の先生はガウクであった

指揮:エフゲニー・スヴェトラーノフ
演奏:ソビエト国立交響楽団

録音:1975年


(しみずたけと) 2023.12.22

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くるみ割り人形


 クリスマスの季節のクラシック音楽と言えば、おそらく『くるみ割り人形』が一番人気だろう。ドイツのエルンスト・ホフマン(1776~1822年)によるメルヘン『くるみ割り人形とねずみの王様』をもとに、ピョートル・チャイコフスキー(1840~93年)が死の前年に完成させたバレエ音楽だ。『白鳥の湖』『眠れる森の美女』とあわせ、チャイコフスキーの三大バレエと呼ばれている。

 この作品は、全2幕3場のバレエ音楽として、1891年から92年にかけて作曲された。クリスマス・イヴに、くるみ割り人形をプレゼントされた少女クララ(原作ではマリーとなっている)が、人形と夢の世界を旅するストーリーである。舞台は、まさにクリスマスの晩。この季節の人気演目なのも当然だろう。だいたいのストーリーがわかるよう、作品を構成する15曲の題を記しておく。

小序曲

第1幕/第1場
 1. 情景 クリスマスツリー
 2. 行進曲

 3. 子どたちのギャロップと両親の登場
 4. 踊りの情景、祖父の登場と贈り物
 5. 情景 祖父の踊り
 6. 情景 クララとくるみ割り人形
 7. 情景 くるみ割り人形とねずみの王様の戦い、くるみ割り人形の勝利、そして、人形は王子に変わる

第1幕/第2場
 8. 情景 冬の松林
 9. 雪片のワルツ

第2幕/第1場
 10. 情景 お菓子の国の魔法の城
 11. 情景 クララとくるみ割り人形王子

 12. 嬉遊曲
  チョコレート(スペインの踊り)
  コーヒー (アラビアの踊り)
  お茶(中国の踊り)
  トレパック(ロシアの踊り)
  葦笛の踊り
  生姜と道化たちの踊り
 13. 花のワルツ
 14. パ・ド・ドゥ
  導入(金平糖の精とアーモンド王子)
  変奏Ⅰ(タランテラ)
  変奏Ⅱ(金平糖の精の踊り)
  終結
 15. 終幕のワルツと大団円

 92年3月、チャイコフスキーは演奏会用の新曲を依頼されるのだが、新たに構想するだけの時間がなく、つくりかけの『くるみ割り人形』から自身で八曲を抜き出し、演奏会用の組曲とした。全曲版と組曲版の作曲時期がほとんど同じなのは、そのためである。演奏効果を考慮して、全曲版とは曲順を変えているが、有名な曲のほとんどが含まれていることもあり、クリスマスの季節以外にもしばしば演奏される。多くの人が知っているのは、おそらくこちらの方だろう。

第1曲 小序曲
第2曲 行進曲
第3曲 金平糖の精の踊り
第4曲 ロシアの踊り(トレパック)
第5曲 アラビアの踊り
第6曲 中国の踊り
第7曲 葦笛の踊り
第8曲 花のワルツ


::: CD :::

バレエ『くるみ割り人形』全曲 作品71

 アンタル・ドラティ(1906~88年)というハンガリー出身の指揮者は、日本では過小評価されていないだろうか。カラヤンとかバーンスタインのようなスター指揮者ではなく、特定の作曲家だけに秀でたスペシャリストでもない。しかし、レパートリーは広く、彼はどんな曲でもこなした。だからといって器用貧乏というのとも少し違う。大物指揮者に隠れた、いなくなって気づかされた別のタイプの大物指揮者とでも言えば良いだろうか。

 しばしば“オーケストラ・ビルダー”と呼ばれるドラティ。ダラス交響楽団を築き上げ、財政破綻や労働争議で崩壊しかけたワシントン・ナショナル交響楽団を危機から救い上げ、凋落したデトロイト交響楽団に世界水準の名声を取り戻させるなど、彼の奮闘でよみがえったオーケストラはいくつもある。いわば、オーケストラ建設と再生のプロだ。それが独裁者の強権的な手法でなく、人望と信頼にもとづくものであったところは、まさにドラティの人間性によるところが大きいのだろう。

 ドラティは、決してオーケストラの建て直しばかりやっていたのではない。残された録音を聴くと、どれも水準が高く、この『くるみ割り人形』全曲などは、全曲録音の中でも最高の部類に入るものである。名門コンセルトヘボウを指揮し、夾雑物のない弦セクション、いぶし銀のような金管楽器群を軸に、重厚で安定感のあるハーモニーを見事に引き出している。

指揮:アンタル・ドラティ
演奏:アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
合唱:ハールレム聖バーフ大聖堂少年合唱団
録音:1975年



『くるみ割り人形』組曲 作品71a

 全曲を聴いてこそ…。その通りではあるが、バレエ鑑賞ではなく、管弦楽作品としての『くるみ割り人形』を楽しみたい、有名なメロディを聴きたいと言うことであれば、組曲版を選ぶのも間違いではなかろう。なにしろ、チャイコフスキー自らが編んだものだ。否定する理由などない。

 ネヴィル・マリナー(1924~2016年)は、あくまでも管弦楽作品としてのテンポを設定している。バレエ劇の伴奏なら、もう少しテンポを落とすところだろうが、このきびきび感、軽やかさ、小気味よさが聴いていて気持ちよい。小澤征爾と水戸室内管弦楽団によるベートーヴェンの『第九』のところでも書いたのだが、アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズという比較的小編成な楽団ゆえのクリアな音色が、この曲に実にマッチしている。録音も優秀だ。

 カップリングされている『弦楽セレナード』の方は、その重厚かつ壮麗な響きに驚かされる。同じオーケストラを、このように使い分け、まるで違う響きを引き出すとは、マリナーの手腕に脱帽。《クリスマスのうた》で、このコンビによるクリスマス曲集を紹介しているので、そちらもどうぞ。

指揮:ネヴィル・マリナー
演奏:アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ
録音:1982年

上の動画では8曲(小序曲、行進曲、金平糖の精の踊り、ロシアの踊り(トレパック)、アラビアの踊り、中国の踊り、葦笛の踊り、花のワルツ)が連続再生されます。


(しみずたけと) 2022.12.15

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チャイコフスキー『小ロシア』


ピョートル・チャイコフスキー
交響曲第2番『小ロシア』

 毎日のように伝えられるウクライナ情勢。ロシア、ウクライナ、それで思い出したのがチャイコフスキーの交響曲第2番ハ短調『小ロシア』。

 ロシアを代表する作曲家、ピョートル・チャイコフスキー。彼は1840年、鉱山技師の息子として、ロシアのウラル地方に生まれた。バレエ音楽『白鳥の湖』や『くるみ割り人形』の作曲者であることは誰もが知っている。それでは、同じ姓をもつ人物を思い浮かべることができるだろうか。あれれ、チャイコフスキーは珍しい苗字なのかな。実は、祖父ピョートル・フョードロヴィチの代からチャイコフスキーを名乗るようになり、元の姓は「かもめ」を意味するチャイカだった。このウクライナの伝統的なファミリー・ネームから、ポルタヴァに領地を持っていたコサックの末裔であることが推測できる。

 チャイコフスキーにとって、ウクライナは重要な土地だったに違いない。出自というだけではなく、妹のアレクサンドラがカーメンカのダヴィドフ家に嫁していたからである。ダヴィドフ家は大富豪で、チャイコフスキーは毎年のようにここを訪れ、なに不自由なく作曲に専念できたという。交響曲第2番も、1872年、ここで作られたのである。

 交響曲第5番については、ムソルグスキーの歌曲「司令官」の中でアバド&ベルリン・フィル盤を、組曲『展覧会の絵』の中でストコフスキー&ニュー・フィルハーモニア管弦楽団の演奏を紹介ずみである。有名な第4番・第5番・第6番『悲愴』の後期交響曲にくらべ、第3番までの前期作品があまり知られていないのは実に惜しい。

 第2番の副題になっている小ロシアとは、現在のウクライナのあたりを指す。ロシアとウクライナは、それほど近しい関係だった。というより、豊かなウクライナがあったからこそ、ロシアは大国として君臨できたというのが事実である。“小…”には、ロシアに付随するとか従属するという意味合いでつけられた、ある種の蔑みを含んだ呼称ということになるのだろう。こうしたことを慮ってか、今日では副題の表記を『ウクライナ』としたディスクも存在する。

 冒頭の一文に免じて音楽の話から少しばかり脱線することを許していただきたい。ウクライナの首都キエフ、最近では現地の発音を重んじてキーウと呼ぶようになったが、ここにあったキエフ公国の歴史なくして今のロシアを語ることはできない。キリスト教を国教化したヴォロディーミル大公によって版図が広がり、中世の欧州における屈指の大国になったキエフ公国は、草原の覇者モンゴルの侵略により衰退。その栄光はモスクワ公国に引き継がれることになる。

 以後、帝政ロシアもソビエト社会主義共和国連邦も、政治の中心となったペテルブルクあるいはモスクワが、周囲から農作物や地下資源、労働力を収奪することでその国力を維持してきた。1917年のロシア革命では、まだモスクワの中央集権体制が保たれていた。それどころか、スターリン体制下でむしろ強化されたと言っても良かろう。それが91年のソ連邦崩壊によって瓦解したのである。ウクライナは同年7月16日に主権を宣言し、8月24日には国号をウクライナ共和国と改めて独立を宣言、12月26日に承認された。

 ロシアのプーチン大統領は、ロシアもウクライナもキエフにルーツを持つ、いわば兄弟国であり、ウクライナはロシアの一地方である。滅亡したキエフ公国の支配地をひとつにすることこそ、民族としても理に適ったものだ。そう主張することで侵略を正当化したいようであるが、ウクライナの視点からすれば、むしろロシアがキエフ公国、すなわちウクライナの一部ということになる。さらに、ウクライナとロシアは民族も言語も異なる。もちろん意思疎通は十分できるのだが、それはポルトガル人がスペイン語を理解できるとか、独語を話せるオランダ人がいるというのと同じでしかない。

 ウクライナは多民族国家なのである。たとえば、クリミア半島に住むのは、もともとはタタール系の民族だったが、帝政時代とソ連時代に、彼らは余所の地に移され、多数のロシア系住民が入植させられた。黒海に面するここは、強大なオスマン帝国と対峙する軍事的要衝であり、南下政策の拠点だったからで、今なおセバストポリはロシア黒海艦隊の大軍港である。クリミアの住民がロシアへの帰属を求めたというカラクリの背景くらいは知っておいた方が良いだろう。

 さて、交響曲に戻るとしよう。第1楽章と第4楽章にはウクライナ民謡が用いられている。そのことから、グリンカを嚆矢とする国民楽派に位置づけられることもあるチャイコフスキーだが、彼の音楽はむしろドイツ色が濃い。さらに第4交響曲を作曲した後、1880年に改訂を施したことで、技巧的な洗練度を増したのと引き替えに、この曲が持っていたローカルで民族的な香りが薄まり、ますますヨーロッパ的になった。そう、もともとロシアはヨーロッパではなかったのである。

 たとえば第1楽章に現れる民謡《母なるヴォルガを下りて》の旋律。原典版では序奏から派生させた主題として現れるのだが、改訂版では第1主題として新たな旋律が加えられ、元からあった原典版の主題の方は焼き直されて第2主題として登場することになった。二つの主題を対比させることで、より厚みをもたせた形式に変更されたわけである。終楽章でヴァイオリンが奏でるアレグロ・ヴィーヴォの主題、こちらはウクライナの民謡《鶴》からとられたものだ。ロシア民謡のメロディとは違うことがわかるだろうか。

 改訂によって、交響曲第2番は引き締まり、やや筋肉質になった印象である。演奏時間は短くなったが、民族臭よりも当時の西欧音楽の主流をなす繊細さと重厚さを併せもつ交響曲作品へと変貌した。この頃、フランス音楽に触れたチャイコフスキーは、より洗練されたオーケストレーション技法を身につけるのと同時に、その影響によって自身の音楽思想を大きく転換したのかもしれない。やや荒削りだったかもしれないが、改訂前にあった魅力あふれる節回しが失われてしまったのを惜しむのは、はたして私だけであろうか。今日演奏されるのは1880年の改訂版であることがほとんどだが、1872年の原典版の方が優れているという声もある。


::: CD :::

1)マゼール盤

 カラヤン、バーンスタインの次代を担う四天王として、アバド、小澤征爾、メータと並び称されたロリン・マゼール(1930~2014年)。これは彼がまだ30代だった時の演奏である。民族音楽的なスタイルを排し、名門ウィーン・フィルの繊細な音による純音楽的なアプローチからは、「私が思うチャイコフスキーの音楽とはこういうものなのだ」という強烈な主張が感じられよう。晩年のマゼールは、やや高慢な人間と受けとめられていた節があり、熱烈なファンがいる一方、嫌いという人も少なくない。しかし、若いエネルギーと才気走ったこの演奏には、好き嫌いを越えて納得させられてしまうのだ。

指揮:ロリン・マゼール
演奏:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1964年


  

2)スヴェトラーノフ盤

 チャイコフスキーの交響曲全集を何種類か残したエフゲニー・スヴェトラーノフ(1928~2002年)だが、この東京公演でのパワフルかつ鮮烈さが抜きん出た演奏のすさまじさはどうだ。ライブ特有の覇気が満ちあふれ、厚く重くうねるオーケストラの響き、雄弁なカンタービレが、後期の交響曲で花開くチャイコフスキーならではの音楽を予感させる。これこそ典型的なロシア風(ソビエト風か?)の名演に違いない。

指揮: エフゲニー・スヴェトラーノフ
演奏: ソビエト国立交響楽団
録音: 1990年、東京・サントリーホール(ライブ)


  

3)サイモン盤

 演奏会でも録音でも、今日聴くことができるもののほとんどは、改訂を施された1880年版である。それらを否定するわけではないが、元はどうだったのであろうか。そのような興味を抱く人もいるに違いない。ありがたいことに、1872年の初稿によるものが存在する。ジェフリー・サイモン(1946年~)とロンドン交響楽団による演奏もすばらしい。改訂版では第二主題として現れるメロディが、ここでは第一主題として登場するのだが、それが土臭さというか、よりウクライナを感じさせる。チャイコフスキーの弟子や友人たちは、むしろ改訂前のこちらを高く評価していたようだ。その是非は、聴いてみてのお楽しみということで…。

指揮: ジェフリー・サイモン
演奏: ロンドン交響楽団
録音: 1982年



(しみずたけと) 2022.11.28

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ストコフスキーと『展覧会の絵』


 ストコフスキー編曲による『展覧会の絵』を聴きたいという声が伝わってきた。冒頭のプロムナードは第1ヴァイオリンのユニゾン。ラヴェル版のトランペットを聴き慣れた者には想像がつかないだろう。聴いたら聴いたで、納得の人、違和感を抱く人、賛否両論、好き嫌いがあるのは当然だと思う。とにかく、まずは聴いてからだ。

プロムナード
こびと
プロムナード
古城

ブィドロ
プロムナード
卵の殻をつけたひなの踊り
サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ
カタコンブ
鶏の足の上に建つバーバ・ヤー小屋
キエフの大きな門

 ラヴェル版にはあった「テュイルリーの庭」と「リモージュの市場」の二曲が省略されているせいで、演奏時間が10分弱短くなっている。ラヴェルの音楽は、明るく華麗、色彩豊かな暖かみが特徴。それはソフトでマイルドな、印象派の絵画のようだ。ストコフスキーの編曲は、モノトーンではないが、暗さ、渋さを前面に押し出した、印象派の時代にありながら、それとは違う道を歩んだオディロン・ルドン(1840~1916年)の象徴主義的な絵画を思わせる。陽光あふれる「テュイルリーの庭」と「リモージュの市場」をはずしたのは、ロシア的な土臭さ、重さを前面に押し出した作品群でまとめあげるためだったのではなかろうか。

 カップリングされているのは、ピョートル・チャイコフスキー(1840~1893年)の交響曲第5番である。映画『オーケストラの少女』にも登場する、ストコフスキーの十八番。遅めのテンポ、名手アラン・シヴィルによる歌うような第2楽章のホルン独奏、感傷というか憂愁というか、いかにもチャイコフスキーといった濃厚な表情のてんこ盛りは、まさにストコ節、聴き手を酔わすのに十分だ。生真面目な原理主義者を怒らせる楽譜の改変や楽器の変更、カットなどが数々盛り込まれているが、聴いていて面白いのだから良いではないか。オーソドックスな演奏がお好みなら、ムソルグスキーの歌曲「司令官」の中で紹介したアバド指揮のベルリン・フィルがある。ぜひ聴きくらべてみてほしい。


 ::: CD :::

1.ピョートル・チャイコフスキー
  交響曲第5番ホ短調 作品64

2.モデスト・ムソルグスキー
  組曲『展覧会の絵』(ストコフスキー編)

指揮:レオポルド・ストコフスキー
演奏:ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
録音:1966年(1)、65年(2)

ストコフスキーの音楽

 この人は、サービス精神旺盛というか、とにかく聴き手を楽しませるために、あの手この手を繰り出してくる。それが楽譜の改変、楽器の変更、カットであるのだが、どこまでなら許せるかというのは、実に演奏者と聴き手の音楽に対する思想に依存していると言えよう。

 たとえば、ハイドンやモーツアルトの時代には、まだバルブ付きのフレンチホルンはなかった。狩人や郵便車夫の使う開口部がラッパの形状をした単なる管をぐるぐる巻きにしたもの、ナチュラルホルンだったのである。バルブによって音を切り替えることのできるホルンが登場したのは1814年頃とされているから、ハイドンやモーツアルトの交響曲を当時の音で聴きたければ、ナチュラルホルンが正統と言うことになる。バルブ付きホルンとナチュラルホルンでは、微妙に音色が違うのだ。

 初期のバルブ付きホルンは単階調の管構成(シングルホルン)だったが、階調を切り替えるためのバルブを装備することで、二つの階調を可能にしたダブルホルンが生み出され、現在はこのタイプが主流である。かつてニューヨーク・フィルハーモニックは、ニッケルシルバーのコーンの8Dをずらり揃えていた。ベルリン・フィルは、現在でもイエローブラスのアレキサンダーの103と、メーカーやモデル、材質まで統一しているように見える。そう、楽器の材質によっても音色は変わってくるのだ。これらの楽器でハイドンやモーツアルトを演奏するのは邪道だろうか。

 ストラディヴァリウス、ガルネリ、アマティ等、名器と呼ばれるヴァイオリンがある。これらも、製作時のままではない。修理の時に、オリジナルより長い棹に交換されている。それによって音域の拡張が可能になった。現代のピアノの音も、ショパンが弾いていたときとは違うはずである。

 楽器の発展は、新しい奏法を生み出し、より難度の高い演奏を可能にした。それによって、作曲家は新たな音楽を創造できるようになったとも言えよう。その一方で、当時の音色や演奏法へのこだわりから、あえて古楽器を使うという試みもなされている。どちらが正しいかではなく、楽しみ方の幅が広がったと受けとめれば、音楽はもっともっと心に豊かさを与えてくれるのではなかろうか。

 オーケストラの演奏会(テレビでも)で、私は楽器の配置を見るのが楽しみだ。曲の解釈や表現について、指揮者の意図が伝わってくるからである。わかりやすいのは弦楽器の配置であろうか。指揮台から見て時計回りに、第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリンの標準的なパターン。ヴィオラとチェロが入れ替わっている場合もあるが、要するに第1と第2のヴァイオリンが向き合っているのがミソだ。これは、第1と第2のヴァイオリンが対話のように掛け合うスタイルで演奏する場合、左と右にハッキリ分かれ、聴き手にとってわかりやすい。

 ところがストコフスキーは、第1と第2のヴァイオリン群をまとめてしまったのである。指揮台から見て時計回りに、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロと、右に行くに従って低音になっていく。ステレオ録音という技術が生み出され、演奏会は会場にいる人だけのものではなくなった。音の高低は誰にでもわかりやすいから、レコードやラジオ放送など、耳だけが頼りの媒体にはうってつけだったと言えよう。彼はテクノロジーの進歩やオーディオ機器の普及を見据えた未来志向の音楽家だったのだと思う。

 現在はまた、昔の弦楽器配置をとることが増えているが、ストコフスキー式のスタイルも少なくない。第1と第2のヴァイオリンが隣り合っていることは、演奏する側にとってアンサンブルしやすいのだと言う。この配置をとりながら、ヴィオラとチェロが入れ替わっていることもあったりして、弦楽器の配置だけでも多彩だ。同じオーケストラでも、楽器の配置によってこうも印象が変わるものかと、新たな発見があることは実に楽しい。

 「音楽は楽しければいいだろ」「人生は楽しいのが一番」、そんなストコフスキーの声が聞こえてきそうである。

チャイコフスキー5番
展覧会の絵

(しみずたけと) 2022.9.12

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