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もう師走だ。先生たちが走り回っているかどうかは知らないが(自分は一年中走り回っていたような気がする)、街はクリスマス商戦で賑わい始めた。とはいえ、例年ほどではないような気がする。そりゃそうだろう。インバウンドの観光客はともかく、物価は上がったのに収入はそのままという庶民の財布の紐が緩むはずがない。日本は確実に貧乏国への道をひた走っている。
それにもかかわらず、あちらこちらでイルミネーションが灯りはじめた。街が明るくなるのは、安全のためには良いのだろうが、そこかしこにあって、ワンパターンの印象。最初の頃は、物珍しかったこともあって「おおっ!」と感動したものだが、こうも多いといささか食傷気味、というか、少しばかりうんざりさせられる。きれいと派手は違うものだと思うのだが…。
イルミネーションに限らず、どこかで何かが流行るとみんな真似をする。二匹目のドジョウは国民性なのか。たとえば、最近やたら多いのが打ち上げ花火。夏の花火大会も増えたが、大学の学園祭でも花火が打ち上げられる。花火がきれいで楽しいのはその通りだけれど、花火以外に楽しいことを思いつかないのだろうか。おまけに、花火の音を打ち消すような大音量の音楽はどうにかならないものか。ここも音楽のコーナーなので、音楽を否定する気などさらさらないのだが、音楽がなければ花火大会が成り立たないのか、盛り上がりに欠けるのか。どうもわからない。
かつてスキー場で似たようなことを感じた。レストハウスだけでなく、リフト乗り場、林の中、至る所にスピーカーが設置され、音楽が流れてくる。ジャズでもロックでもクラシックでもなく、演歌や懐メロでもない、当時流行りのニュー・ミュージック。来場者の年代に合わせたということなのか。それがゲレンデの外にまで響く。スキーというアウトドア、非日常を楽しむ場に、日常生活でしょっちゅう耳にする音楽を流す必要があるのだろうか。風が雪を舞い上げる音、木々を揺らす音の方が、人工的な音楽などよりずっとマッチングが良いと思えるのだが、それでは不足なのか、それとも不安を感じるのか。あるいは、吹雪で視界が閉ざされ、誤ってゲレンデ外に出てしまった人への「スキー場はこっちですよー」というメッセージ、サービス精神の発露だったのだろうか。
おっと、イルミネーションに言及したせいで話がそれてしまった。そうだ、クリスマスだった。クリスマスの音楽といえば、キリスト教信仰を軸にしていた時代はイエスの生誕を祝う歌だったはずだが、やがて年中行事と化し、ビジネス的要素が重視され、クリスマス期の風物、風景、風俗を歌うものが多くなったように思う。そういった類のものとは少しばかり違うクリスマス音楽のCDがあるので、今回はこれを紹介することにしよう。
C D

《ベルリン・フィルのクリスマス 第2集》
カラヤンは楽団の帝王として、ベルリン・フィルは世界最高峰のオーケストラとして、ともに音楽ビジネスでもレコード録音でも常に中心にあり続けた存在だが、このCDは、商品化のために新たに録音されたものではない。彼らがドイツ・グラモフォンのレーベルに残した膨大なソースから抽出されたコンピレーションである。いかにもカラヤンとベルリン・フィルらしいともいえるが、商魂たくましいのは、むしろプロデュースしたユニヴァーサル・ミュージックだ。しかしこの選曲、なかなかなのものだと思う。
アルカンジェロ・コレッリ(1653~1713年)、ヨハン・パッヘルベル(1653~1706年)、ジュゼッペ・トレッリ(1658~1709年)、アントニオ・ヴィヴァルディ(1678~1741年)、フランチェスコ・マンフレディーニ(1684~1762年)、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685~1750年)、ピエトロ・ロカテッリ(1695~1764年)、17世紀後半から18世紀にかけて活躍したバロック音楽の伝統的なクラシック演奏を集めている。クリスマスや冬の季節をテーマに置きながら、中世のグレゴリオ聖歌ほど宗教的な色合いが濃くなく、さりとて昨今のビジネス臭ぷんぷんのクリスマス音楽とも異なる、落ち着いたものとなっているのが魅力だ。
曲目は、バロック音楽のファンならともかく、バッハとヴィヴァルディ以外は作曲家も作品もなじみが薄いと思われるので、ほんのちょっとだけ触れておこう。
コレッリはイタリアの、今日でいうところのラヴェンナ県に生まれ、ボローニャに出てヴァイオリニストとして名をなした。後に活動の拠点をパリ、ローマへと移し、ドイツ(当時はまだ神聖ローマ帝国)ではバイエルン選帝侯の庇護を受けるのだが、音楽家コレッリを生み出した最大の要因は、当時のボローニャが器楽の発展の中心的な存在だったことと無関係ではあるまい。
南ドイツに生まれ、もっぱらドイツとオーストリアで活動したオルガン奏者パッヘルベルは、キリスト教の牧師でもあった。最もよく知られた作品がこの「パッヘルベルのカノン」であろう。彼が書いた唯一のカノンである。
トレッリはシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』の舞台として知られるヴェローナに生まれたヴァイオリニストである。彼もまたボローニャに学び、サン・ペトロニオ大聖堂の楽長を務めた後、ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯ゲオルク・フリードリヒⅡ世の庇護を受けるのだが、最後はまたボローニャに戻っている。
バロック音楽の最も重要な作曲家の一人であるバッハは、バロック音楽を完成させた人だが、西洋音楽の基礎を築いた“音楽の父”と称される人物、音楽の教科書にそう書かれていたと思う。オルガニストでもあったので、フーガなどのオルガン曲を数多く書いたが、コラールに基づいた見事なまでに理詰めな音楽もあれば、コラールに基づかない自由な作品もあって、聴く者を魅了する。また、斬新な器楽曲、たとえば「ブランデンブルク協奏曲」などを残している。この曲、実はジャズの元祖なのではないか(シンコペーションを加えれば、たちまちジャズ)と、私はひそかにそう思っている。「管弦楽組曲」もまた代表的な器楽曲。第3番の第2曲はアウグスト・ウィルヘルミによって編曲され、「G線上のアリア」として知られている。
ヴィヴァルディはヴェネチアに生まれた後期バロックの著名な作曲家だが、ヴァイオリニスト、音楽学校の教師、そしてカトリックの司祭でもあった。彼の『四季』は誰もが知る名曲だが、「冬」は「春」ほど聴かれていないのではあるまいか。ヴァイオリン協奏曲という捉え方もあるが、当時は大オーケストラをバックにした協奏曲などなく、ソリストのいる弦楽合奏団みたいなものであった。合奏協奏曲なる呼称が使われるのはそのためであろう。イ・ムジチ合奏団の演奏が人気だが、ベルリン・フィルによるゴージャスな響きもまた捨てがたい。
トスカーナ地方の出身のマンフレディーニもまたボローニャでヴァイオリンを学んだ人である。当時のボローニャに多くの音楽家が集まり、学んだ場所だったということは、それだけ豊かな貴族と商人の都市だったということなのだろう。彼の作品の多くが死後に破棄されてしまったようだが、残された中で有名なのがこの「クリスマス協奏曲」である。郷里のピストイアに戻った彼は、そこで聖フィリッポ大聖堂の終身楽長となった。
ロカテッリはベルガモ出身で、ローマでヴァイオリンを学んだ。残された作品はヴァイオリン曲が多い。オランダで客死するのだが、代表作はこの合奏協奏曲と「ヴァイオリンの技芸」と呼ばれる作品3だろうか。
こうしてみると、バロック期の音楽の中心は、主に北イタリアと南ドイツ、それぞれカトリックとプロテスタントの土地である。作曲家たちはヴァイオリンまたはオルガンを演奏し、教会あるいは王侯貴族らに支えられた。背景が似ているのか、似ていないのか、その答えは視点によって違ってくるだろう。しかし、そんな彼らがクリスマスに関わる音楽を、それぞれのスタイルで作っていた。クリスマスはイエスの生誕を祝うキリスト教の一大行事だったわけで、今日のクリスマス音楽が生まれる背景とはだいぶ異なっているように思えるのだが…。
収録曲
1.コレッリ:合奏協奏曲集 作品6の8「クリスマス協奏曲」
2.パッヘルベル:カノンとジーグ ニ長調
3.トレッリ:合奏協奏曲 作品8の6「クリスマス協奏曲」
4.バッハ:管弦楽組曲第3番ニ長調より第2曲「アリア」
5.ヴィヴァルディ:合奏協奏曲『四季』より第4番ヘ短調「冬」
6.マンフレディーニ:12の協奏曲 作品3の12「クリスマス協奏曲」
7.ロカテッリ:合奏協奏曲ヘ短調 作品1の8「クリスマス協奏曲」
演奏:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
録音:1969年(2)、1970年(1,3,6,7)、1972年(5)、1983年(4)
(しみずたけと) 2024.12.3
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