前回、リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』をとりあげた。この曲が広く知られるようになったきっかけは、やはりスタンリー・キューブリックの映画『2001年宇宙の旅』だったと思う。全曲が使われているわけではなく、冒頭の一部分だけなのだが、なぜか映画のテーマ曲という受け止め方をされている。クラシックの名曲を映画に取り入れた例は、なにも『2001年宇宙の旅』だけではなない。ただ、それが20世紀の半ば頃の名画に多いのはなぜだろうか。思いつくものを、制作年度順にあげてみよう。
デヴィッド・リーン監督『逢びき』 1945年
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番ハ短調(第3楽章)
ジョージ・シドニー監督『愛情物語』 1956年
ショパン:ノクターン変ホ長調 作品9の2
ルイ・マル監督『恋人たち』 1958年
ブラームス:弦楽6重奏曲第1番変ロ長調(第2楽章)
アナトール・リトヴァク監督『さよならをもう一度』 1961年
ブラームス:交響曲第3番ヘ長調(第3楽章)
オーソン・ウェルズ監督『審判』 1962年
アルビノーニ:弦楽とオルガンのためのアダージョ)
アニエス・ヴァルダ監督『幸福』 1965年
モーツァルト:クラリネット5重奏曲 K.581(第1楽章)
ボー・ヴィーデルベリ監督『みじかくも美しく燃え』 1967年
モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番ハ長調 K.467(第2楽章)
ジャン・オーレル監督『恋のマノン』 1968年
ヴィヴァルディ:協奏曲集「四季」より第1番“春”(第1楽章)
エンリコ・マリア・サレルノ監督:『ベニスの愛』 1970年
マルチェロ:オーボエ協奏曲ニ短調(第2楽章)
ルキノ・ヴィスコンティ監督:『ベニスに死す』 1971年
マーラー:交響曲第5番嬰ハ短調(第4楽章)
こんなところだろうか。いずれも名画と名曲の組み合わせには違いない。一方で、その映画のためにつくられた音楽を用いる作品もある。今やこの方が多いのではなかろうか。映像と音楽がマッチしているのは、その映画専用のカスタムメイドだからと言えよう。スクリーン・ミュージック、まさに映画音楽である。映画がヒットすれば、その曲も流行する。こちらは正真正銘のテーマ曲と呼んで良いだろう。映画音楽の作曲家として有名になった人もいれば、作品中の音楽や名シーンをまとめたサウンドトラックがつくられたりもする。映画が素晴らしいからテーマ曲が聴かれるようになるのか、音楽が魅力的だから映画がヒットするのか…。
上にあげた10の映画作品は、カスタムメイドの音楽ではなく、クラシックの作品を使っている。よく知られた曲ばかりとはいえ、映像に合う音楽を探し出すという点で、監督をはじめ制作側のセンスを感じさせるものだ。ここでは《映画コレクション》でも紹介しているということで、『みじかくも美しく燃え』で使われたモーツァルトのピアノ協奏曲第21番をとりあげることにしよう。
モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番ハ長調 K.467
18世紀末に現れ、わずか35年という短い生涯の中で数々の名曲を残したヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756〜91年)。この曲が作曲されたのは1785年だから、30歳になる前のことである。充実した編成の管弦楽と巧みなオーケストレーションにより、それまでの協奏曲の枠にとらわれることなく、交響的統一性を備えているところがみごとである。モーツァルトの作品の多くは明るい曲調だが、それがかえって物悲しさを感じさせるのはなぜだろう。第1楽章の第2主題に、作曲家自身のホルン協奏曲第3番 K.447の同じく第2主題を彷彿とさせるところがあってニヤリとしてしまうのは、自分がホルンを吹いていたからであろうか。最後はピアノ独奏がほとばしるように音階を上昇させて華々しくフィナーレを飾る。
森の風景、エルヴィラ役の主演女優ピア・デゲルマルク、そして背後に流れるこのメロディ…。映画『みじかくも美しく燃え』のなにもかもが美しい。その美しさゆえ、悲劇で終わる物語が見る者の涙を誘う。映画はヒットし、モーツァルトのピアノ協奏曲第21番のレコードに「エルヴィラ・マディガン」のタイトルがつけられるようになったりもした。主人公の役名であり、映画の原題でもある。商業主義のなせる業か、それとも日本のクラシック音楽界がその程度だっかたのか、それはわからない。
CD 1:ゼルキン盤
収録曲
ピアノ協奏曲第21番ハ長調 K.467(1785年)
ピアノ協奏曲第23番イ長調 K.488(1786年)
ルドルフ・ゼルキン(1903〜91年)はボヘミア出身のロシア系ユダヤ人。ウィーンでピアノと作曲を学び、12歳のときにウィーン交響楽団との共演でメンデルスゾーンのピアノ協奏曲を弾いてデビューを飾る。ヨーロッパ各地で演奏するようになるが、1939年、ナチスから逃れるためにアメリカに移住した。20世紀を代表する大ピアニストである。息子のピーター・ゼルキンも素晴らしいピアニストだった。その音楽は《追悼 小澤征爾》で紹介したので、ぜひそちらを。
モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスなどの作品を得意とし、ドイツ音楽の正統的継承者とされる。とりわけベートーヴェンの評価が高いが、モーツァルトの美しい音色は忘れがたい。生涯、ひとつとして美しくない音を奏でなかったと言われるほどのゼルキンだが、クラウディオ・アバドが指揮するロンドン交響楽団をバックにしたモーツァルトのピアノ協奏曲は、その最良のひとつだろう。
演奏:ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
ロンドン交響楽団
指揮:クラウディオ・アバド
録音:1982年
CD 2:内田光子盤
収録曲
ピアノ協奏曲第9番変ホ長調『ジュノーム』K.271(1777年)
ピアノ協奏曲第21番ハ長調 K.467(1785年)
内田光子(1948年〜)は1966年のミュンヘン国際音楽コンクールで第3位に輝いたのを皮切りに、出場した主要コンクールのほとんどで上位入賞の成績をおさめた、世界が認めるトップ・ピアニスト。1970年のショパン国際ピアノコンクールは、ギャリック・オールソンに次ぐ第2位で、日本人としては、2021年に反田恭平が第2位になるまで、ただひとりの最高位であった。
しかし、日本の音楽大学を出ていないからなのか、当初はメジャー・レーベルからレコーディングの声はかからず、演奏会も開けなかったという。転機になるのは、82年のロンドンでのピアノ・ソナタ連続演奏会だった。耳の肥えたロンドンの聴衆から絶賛を浴び、“モーツァルト弾き”としての内田光子が世界に羽ばたく。バッハ、ベートーヴェン、シューベルトなども素晴らしいが、中でもモーツァルトは特別だ。
1985年から90年にかけ、内田光子はジェフリー・テイト指揮、イギリス室内管弦楽団と組んで、一連のモーツァルトのピアノ協奏曲を録音している。それらも素晴らしかったが、それから約20年後、内田光子自らが指揮するクリーブランド管弦楽団クリーブランド管弦楽団をバックに、さらに円熟した演奏を聴かせる。ライブ録音だが、編成の小さなオーケストラとセヴェランス・ホールの音響の素晴らしさと相まって、至福のモーツァルトを堪能できよう。
演奏:内田光子(ピアノ・指揮)
クリーブランド管弦楽団
録音:2012年(ライブ)
(しみずたけと) 2024.6.9
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