リヒテルの『展覧会の絵』


 ピアノ組曲『展覧会の絵』は、作曲者ムソルグスキー(1839~81年)の死後、遺稿を整理したニコライ・リムスキー=コルサコフ(1844~1908年)が改訂した楽譜で長らく演奏されてきた。しかし、1958年、スヴャトスラフ・リヒテル(1915~97年)がソフィア・リサイタルで原典版を演奏したのを期に、こちらが主流になった…。そのようなことを前に書いた。書いておきながら、リヒテルのCDが見つからないのを理由に、ウラディーミル・アシュケナージ(1937年~)の演奏の紹介でお茶を濁してしまった。

 いや、アシュケナージの演奏に問題があるのではない。この曲の最良の一つとも言えるくらい素晴らしいものだ。しかし、リヒテルの原典による演奏がなければ、アシュケナージ盤も他のピアニストによる録音も、現在とは違うものになったであろう。歴史のターニング・ポイント、記念碑とも言える付加価値を帯びた演奏記録なのである。

 リヒテルは、1915年、ウクライナに生まれた。ウラディミール・ホロヴィッツ(1903~89年)やエミール・ギレリス(1916~85年)など、この国出身の音楽家は多い。ドイツ人だった父親は、1941年、スターリンの粛清によって銃殺に処せられている。モスクワ音楽院に入るが、師のゲンリフ・ネイガウス(1888~1964年)に「天才」と言わしめるほどの完成されたピアニストであったという。亡命を怖れた当局によって国外での活動が認められず、名声は伝わってくるものの、西側諸国では長らく「幻のピアニスト」と呼ばれていた。1958年のソフィアでのリサイタルでその姿を現したというわけである。

 リヒテルは同性愛者だったという。なにも驚くようなことではない。ホロヴィッツ、ベンジャミン・ブリテン(1913~70年)、レナード・バーンスタイン(1918~90年)、マイケル・ティルソン・トーマス(1944年~)など、芸術家に同性愛的指向の人は少なからずいる。LGBTは生産性がない?なにを世迷い言を。ものごとの価値を生産性でしか計れないのは、自らの教養の浅さを告白するようなものである。そういう人は、障がい者も病人も老人も社会に不要な存在と考えているのだろう。ナチズムに通じる恐ろしい思考回路だ。


 ::: CD :::

モデスト・ムソルグスキー
1.組曲『展覧会の絵』


セルゲイ・ラフマニノフ
2.前奏曲 嬰ト長調 作品32の12


フランツ・シューベルト
3.楽興の時 ハ長調 作品94の1 D.780
4.即興曲 変ホ長調 作品90の2 D.899
5.即興曲 変イ長調 作品90の4 D.899


フレデリック・ショパン
6.練習曲 ホ長調 作品10の3《別れの曲》

フランツ・リスト
7.忘れられたワルツ 第1番 嬰ヘ長調
8.忘れられたワルツ 第2番 変イ長調
9.超絶技巧練習曲 第 5番《鬼火》
10.超絶技巧練習曲 第11番《夕べの調べ》

ピアノ:スヴァトスラフ・リヒテル
録音:1958年(ライブ)


(しみずたけと) 2022.10.5

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