プーチンのロシアか、ロシアのプーチンか

ロシア軍がウクライナに侵攻して半月になる。21世紀にもなって、侵略戦争がこうもあからさまな姿で現れるとは、まさに驚天動地、そう感ずる人が多いだろう。しかし、20世紀以後、戦争が侵略の名でおこなわれることはなかった。いつも「自衛」を唱えて始められたのである。大量破壊兵器がある、差し迫った危険がある。米国によるイラク戦争も、まさにそういう文脈だった。

戦争をしかけた側が、「これは戦争ではない」と言い張ることも、いつものことだ。1931年の柳条湖事件(日本軍による自作自演)に端を発する中国大陸侵攻は、戦争ではなく満州事変と呼ばれた。盧溝橋事件から始まった日中全面戦争は、宣戦布告もなく、日本側は日華事変とか支那事変と称した。軍事行動であっても戦争ではないというわけである。

ウクライナがNATO(北大西洋条約機構)という西側軍事同盟に加わろうとしている。それは、自国の目鼻の先に敵の軍事拠点が置かれることにほかならない。だから我々は、自衛のために、戦争ではなく軍事行動を起こした。かつての日本と、いかに類似していることか。そして国際的に孤立していく過程も。

ウクライナにも問題はあるが…

ウクライナ国内に問題がまったくないわけではない。同国の中にも、ロシア系住民が暮らしている。ウクライナ語とロシア語、9割方通じるということだが、ロシア語の話者が、ウクライナ語の話者にくらべて良い職に就きにくいとかいう話になると、反感を招くのは当然であろうし、第二公用語として認めるなどの対応も求められるところである。数の力を頼みにして少数派の声を封じるというのは、民主主義のあるべき姿ではない。多数派が少数派に対してどれだけ譲歩できるか、それが民主主義の度合いを測るバロメーターである。

また、西側諸国が、ロシアに対する軍事的圧力を強めるためのNATO拡大や、そのためにウクライナを利用してきたことも考え直した方が良いだろう。オリヴァー・ストーンのドキュメンタリー『ウクライナ・オン・ファイヤー』が、これまであまり伝えられることのなかった西側諸国とウクライナの関係を、白日の下に暴き出している。ぜひ見てほしい映像だ。

同時に、なぜロシア系住民がウクライナ国内に居住しているのかも知っておくべきだろう。旧ソ連は複数の共和国の連邦ではあったが、あくまでも中心はロシアである。モスクワの政権は、各共和国に対する影響力を強めるため、ロシアから送り出した人材を行政の要職に就かせた。さらに、技術者や教師など、各分野のリーダー的存在になる人物を派遣することで、ロシアへの依存度と忠誠心を高めてきた。各地のロシア系住民の多くは、ソ連邦時代に“回されてきた”人たちということになる。インドネシアでおこなわれているトランスミグラシと似ていないだろうか。

国際秩序を破壊する行為

さて、ウクライナにも問題があることはわかってもらえたと思うが、軍事力によって解決することを、国際社会は良しとしていない。国家間の問題だけではない。力の行使による解決を認めれば、労使間の紛争、DV、児童虐待、性暴力、民族や 宗教的対立、あらゆる暴力と差別の許容にもつながりかねないからである。今回のロシアによる侵攻は、明確な国際法違反に当たる。主権国家に対するミサイルや砲爆撃による攻撃。これを戦争ではないと主張しても、世界はそう受けとらない。クラスター爆弾や燃料気化爆弾の使用は戦争犯罪といって良い。広範囲かつ殺傷性が高く、一般市民をも含んだ無差別攻撃になるからだ。学校など、軍とは無関係のところも攻撃されている。病院や宗教施設、原子力発電所などに対する攻撃は、国際法で禁じられており、ICC(国際刑事裁判所)が捜査に乗り出したようだ。

戦闘が終結したら、ICCによるウクライナ戦争戦犯法廷なるものの開設を望みたい。そうなれば、国際法で禁じられた攻撃、武器を使用した個人が責任を問われ、罰せられることになる。「上からの命令」は免責理由にならない。法に反する命令に従うこと自体が犯罪を構成するからである。もちろん、命じた者も捜査対象になる。法廷の設置を、世界市民として呼びかけようではないか。

大ロシア主義の幻影

ウクライナがNATOに加盟、すなわち西側の一員になることをロシアが恐れた。それは間違いない。しかし、ロシアとウクライナの関係は、もっと別のところにあるように思う。それはロシア帝国、ソ連邦時代から変わらない、大ロシア主義が根底にあるのだろう。強いロシア、豊かなロシア、それはロシア一国では成り立たない。ロシアの“草刈り場”が、昔も今も不可欠なのだ。それが穀倉地帯であり、豊かな地下資源を持つウクライナだった。映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』にも、ロシアにとってウクライナがどういう意味を持つ土地であったかが描かれている。

バルト三国やベラルーシ、グルジア、アルメニア、アゼルバイジャンなども、ここから収奪することで、ロシアの繁栄が築かれてきたのである。そしてさらに周辺の地域、たとえばトルクメニスタンやカザフスタンから石油や天然ガスを奪い、核実験の場とし、核廃棄物の処分場を押しつけてきた。なにもかも「ロシアのため」であった。

ソ連邦の外側には、ワルシャワ条約機構と称する軍事同盟下にある衛星国家が配置された。ポーランド、東ドイツ、ハンガリー、チェコスロバキアである。主権国家ではあったが、モスクワの顔色をうかがうことで、かろうじて存続が許された国々。西側NATO諸国との緩衝地帯であり、いざ戦争になったときの戦場として、戦火がロシアにまで及ばないための空間、そういう位置づけだったのである。だからこそ、唇をかみしめて忍従を強いられた人たちは、ビロード革命に際し、雪崩をうつように民主化へ走ることになった。東欧の民主化は、大ロシア主義に対する植民地独立運動、民族自決、従属からの脱却だったといえよう。

1970年代の終わり、モスクワの政権は、今度はアフガニスタンを衛星国化せんと、ここに傀儡政権をたてようと目論んだ。英米の影響下にあるパキスタンとの間に緩衝地帯を設けるという意味もあったろう。また、かつてこの地域の支配権をめぐり、グレート・ゲームと呼ばれる英国との綱引きに敗れたことへのリベンジの思いも、少しはあったかもしれない。さらに、アフガニスタンを掌中に収めれば、反米国家イランと連携し、インド洋へのアクセスが可能になると考えたことだろう。

しかし、この野望はムジャヒディンの強烈な抵抗を招く。これを利用した米国による「アフガニスタンをソ連のベトナムに」という策略に、ソ連はものの見事にはまり、泥沼に沈むことになる。10年にわたる軍事行動によって自国の経済が疲弊し、最終的にはソ連邦自体が瓦解するという結果を招くことになった。

要するに、大ロシア主義というのは、ロシアが支配する、ロシアを取り囲む二重、三重の支配構造であり、ロシアの繁栄を支える収奪の仕組みである。ロシアに住む人々にとっては、決して悪い話ではない。心の片隅で、多少の後ろめたさを感じたとしても、そのおかげで恩恵を得られるのだから。東京の繁栄が、沖縄や福島の犠牲の上に築かれているのと同じである。ロシア国内で、一定層がプーチン大統領を支持するのは、そうした理由があるからだ。まさにそれが、ロシアと踏み台とされた他の地域との間に分断と対立を招き、紛争の要因となっている。

独裁者プーチン

さて、ウラジーミル・プーチン(1952年~)とは、いったいどんな人物なのか。政治家になる前の彼は、KGB(秘密警察)の諜報員、すなわちスパイであった。東独の秘密警察(シュタージ)とも協力関係にあり、情報の重要性、有用性については、痛いほど熟知していたに違いない。

東欧が民主化運動に揺れ動いた1989年、彼は東独のドレスデンにいた。KGBドレスデン支部にデモ隊が迫ってくる。プーチンは、「この敷地はソ連領だ。武装兵士がおり、発砲する権限も有している!」とハッタリをかますのだが、デモ隊はひるまない。どうにもならないと悟り、膨大な書類を薪ストーブにくべて燃やしたという。最後は、自らハンドルを握った車でドレスデンを逃げ出すよりほかなかった。

100万人がデモを起こしたら、軍隊でも止められない。だから、そうならないよう、情報を操作し、都合の悪い事実は矮小化・隠蔽・抹消する、嘘で塗り固めた情報を流布し、誇張・歪曲することが不可欠だ。そして、民衆のデモを許してはならない。民主化運動を肌で経験したことが、現在のプーチンの基本的なスタンスにつながっているのだろう。

政治家に転身した後も、KGB出身であるから、政敵やライバルの人脈、資金源、スキャンダルなどの情報を手にする方法も有していた。それらが、リーダーシップ争いにどれほど有利かは、誰にでもわかるだろう。KGB長官だったユーリ・アンドロポフ(1914~84年)が、1982年から2年間、ソ連邦の書記長として政治のトップを務めたのも、同じ理由である。

プーチンは大ロシア主義者である。決して口にはしないが、彼の政策からは、それが透けて見える。ロシア帝国を復活させ、ツァーリ(皇帝)として君臨したいのか、それともソ連邦を再現し、スターリンになりたいのか。スターリンの再来とは呼ばれたくはないであろうが、スターリンのような独裁的な地位を望んでいるように思えるのだ。現在、政権内では、プーチンと意見が合わない者が更迭され、粛正の対象となっているという情報が流れている。政府の意に沿わない情報を伝えようとするメディア関係者は、もっと以前から“外国の使用人”と呼ばれ、職を追われたり、発行や放送自体が封じられてきた。

一般市民も、ウクライナ侵攻に反対するデモの参加者は拘束され、「民間人を攻撃するな」という者は、軍事の虚偽情報を流した廉で、最大15年の刑が科せられることになった。このような法案が、議会でまともな審議を経ることなく成立するということからも、ロシアが民主主義国家などではなく、独裁国家であることがわかる。「軍は民間人を攻撃していない」という政府発表だけが正しいとは、かつての日本の大本営発表みたいではないか。さて、独裁国家であれば、当然のことながら独裁者がいるわけで、それが誰なのかと問われれば、プーチン大統領であると答えるしかなかろう。

憲法改正で、大統領の任期は1期6年、2期までとなった。しかし、この規定は現職大統領には適用されない。つまり、現在の大統領職の任期が2024年に満了し、次の大統領選に立つところからカウントされるわけだから、プーチンは2036年まで大統領職にとどまることが可能になった。“終身大統領”と、ほとんど同義語である。

そうしたわけだから、ウクライナ問題解決のための外相会談に進展がなくても、それは当然である。ロシア外相ラブロフには、プーチンの言葉を伝えるだけしか権限がないだろうし、ウクライナのクレバ外相の言葉を持ち帰って、プーチンに報告するだけだ。プーチンの考えに沿わない発言でもしようものなら、政治家生命にとどまらず、命の危険にもつながりかねないであろうから。

自分に楯突く者は消す。これがプーチン流である。KGBを改組したFSB(ロシア連邦保安庁)の元スパイで、英国に亡命したリトビネンコは、2006年11月、プーチンを批判したために、放射性物質のポロニウム210によって毒殺された。2013年3月には、反プーチンだったロシアの富豪ベレゾフスキーが、ロンドンの自宅で首を吊って亡くなっているのが見つかった。暗殺された可能性が高いと見られている。最近の話では、2018年3月、ロシアの元GRU(軍参謀本部情報総局)大佐のスクリパリとその娘が、ロシア軍が開発したノビチョクという神経剤をかけられ、意識不明の重体となった。こうした事例は、枚挙にいとまがない。プーチンは、実に恐ろしい人物である。

思考停止が生み出す独裁者

しかし、知ってか知らずか、そのような恐ろしい人物を国のリーダーに選んだのが、ほかならぬロシア国民ということになる。プーチン支持層が一定数いることは既に述べた。東西冷戦時の“強いソ連”を懐かしみ、“世界の半分を支配した力”を美化する高齢者が中心となっているのだろう。その実態は、恐怖政治でしかなかったが、実害を被っていない大方の人々は、「あの頃は良かった」という思い出に浸るからである。実害のあった人は、既にこの世にいない。

全体主義の理想を刷り込まれ、個人の権利など存在しなかった時代を生きてきた人々は、誰かに頼ることでしか生きていけなくなってしまう。だからこそ、現在のロシアに不満があっても、大祖国戦争を戦い、2000万人の血で購った国土に憧憬を抱き、「ウクライナは我々のもの」という思想に行き着く。思考停止状態にある人々は、たとえ独裁者であろうと、自分たちに“指示をしてくれる”リーダーを求めるものだ。

ロシアで反戦を訴えているのは、主に若者である。ペレストロイカ以後の教育を受け、民主主義の片鱗を肌で感じ取っているからであろう。彼らが天秤にかけたのは、社会主義か資本主義かではなく、西側の人のように、マクドナルドのハンバーガーやケンタッキーフライドチキン(私はご免だが)を食べたい、ソニーのウォークマンが欲しい、少なくとも、上からの押しつけではない、そうした選択の自由が欲しいということだったのである。

ロシア国民が、実は自分らが独裁権力に絡め取られた操り人形、ないし奴隷に過ぎないことに気づくことができるか否か、それだけが、ウクライナにおける戦闘を終結させ、ロシアの経済と国際社会における信頼、世界秩序を回復させることにつながるのだと思う。奴隷とは、鎖につながれ、鉄球を引きずらされる、そうした身体的、肉体的拘束状態だけを指すのではない。正しいと思うことを口に出せない、嫌々でも従ってしまう、そうした精神的自由を奪われ、魂が拘束されているのも奴隷状態である。

SNS を手にした若者たちが、世代間の軋轢を乗り越え、彼らがメインストリームを形成していくことだけが、よりよき未来への一縷の希望だ、また、世界市民が手を取り合うことで、米国がこれまでおこなってきた暴虐の数々を追求する新たな起点にもなろう。暴力による支配という野蛮からの脱却こそが、文明社会の目指すべき地平であることを、誰も否定できないのだから。


(しみずたけと)

別所憲法9条の会ホームページへ跳ぶ

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