中島みゆきの「4.2.3.」


 前回に続き、中島みゆきの作品である。「時代」「世情」「この空を飛べたら」「誕生」「糸」「地上の星」など、中島みゆきの歌には名曲が多い。それらはシングルカットされていたり、ベスト盤に収録されていたり、あるいは他の歌手によってカバーされるなど、耳にする機会も多いだろう。ここで紹介する「4.2.3.」は、それらとは少し違う性格の曲である。

 「4.2.3.」は、1998年にリリースされたアルバム《わたしの子供になりなさい》の最後の曲で、このディスクでしか聴けない。誰もカバーしていないし、この曲をカバーできる歌い手も、ちょっと思い浮かばない。ある意味、かなりマニアックなものといえよう。しかし、この曲から立ちのぼる中島みゆき像こそが、彼女の本質を表し、真の姿を映し出しているよう思えるのである。

 何のことかわからない、謎めいたタイトル。歌詞を読んでも、多くの人はピンとこないかもしれない。話を進めるため、のっけから種明かしをしてしまおう。在ペルー日本大使公邸占拠事件をテーマにした曲である。

 1996年の在ペルー日本大使公邸占拠事件。もう四半世紀前のことだし、日本史あるいは世界史の主脈ではないから、若い人が知らなくても不思議ではない。事件名を記憶している人は、たぶんリアルタイムでこの事件に接した、少なくとも三十代半ば以降の人たちだろう。そして、ほとんど忘却の彼方に消えかかった過去の出来事というのが、大方の認識だと思う。


事件の概要と背景

 歌詞を理解するために、事件の概要と背景に触れておく。ペルーのトゥパク・アマル革命運動グループが、1996年12月17日、天皇誕生日を祝うパーティーが開かれていた日本大使公邸を襲撃し、会場にいた621人を人質にとって立てこもった事件である。トゥパク・アマル革命運動とは、富裕層を優遇する不公正な政策から貧困層を救済するために立ち上がった組織で、フジモリ政権の抑圧的な政策が原因だった。いったい、どんな…。

 格差を是正して公平な社会、社会の公正化を求める要求に対し、政権は強権的な姿勢で応え、多くの学生や知識人、活動家らが逮捕・投獄された。弾圧には、他の中南米の軍事政権、独裁政権と同様、米国ジョージア州にあるスクール・オブ・ジ・アメリカズで教育・訓練を受けた部隊も動員されたと思われる。穏健的な対話を拒否し続ける政権に対し、活動は徐々に武力闘争へと転換せざるを得なくなっていく。トゥパク・アマル側の要求は、刑務所の待遇改善など、無差別テロとは一線を画するものであった。

 事件は長期化し、結果的には127日にも及ぶことになる。この間、人質らは何段階かにわたり解放され、最終的には日本人24人を含む72人となった。膠着状態を破るかのように、翌年4月23日、ペルー軍特殊部隊が武力突入。日本人以外の人質1人とペルー軍兵士2人、トゥパク・アマル側14人の犠牲を出し、人質らは解放され、事件は解決した。トゥパク・アマル側の14人は拘束後、その場で全員が射殺されたのである。

 事件を機に、日本社会では危機管理能力という言葉がもてはやされるようになった。と同時に、テロに対する自衛が声高に叫ばれるようになり、監視社会化していく。しかし、ささやかなクリスマスを祝うことさえ困難な人々が多く住む場所で、その前の週に何百人も集まり、1本数万円もする何百本ものワインやシャンパンの栓を抜いてグルメごっこすることの是非、妥当性は問われたのだろうか。私からすれば、周囲を観察し、どんな状況かを把握する能力もなく、また知識も見識も持ち合わせないところで、危機管理もへったくれもないと思うのだが。


歌詞 「4.2.3.へリンク

中島みゆきの伝えること…

 この歌の中で、中島みゆきはトゥパク・アマル革命運動の行動の是非を論じてはいない。強行突入という手段をとったペルー政府の判断についても同様である。それは〈あの国の人たちの正しさを ここにいる私は測り知れない あの国の戦いの正しさを ここにいる私には測り知れない〉というフレーズからもわかる。リアリティを逸脱しない表現者として、当事者ではないという自分の立ち位置を見失っていない。

 事件の中で、日本のメディアが見向きもしない、捨象されたものにも気を配っている。それが〈担架の上には黒く煤けた兵士 しかしあの兵士にも父も母も妻も子もあるのではなかったろうか 蟻のように真っ黒に煤けた彼にも 真っ黒に煤けた彼にも〉の箇所だ。彼女の歌、彼女の言葉には、いつも“忘れられた存在”へのまなざしが宿っている。なんという慈愛!

 中島みゆきが見つめているのは、この事件に対する日本人の姿勢なのだ。〈しかし見知らぬ日本人の無事を喜ぶ心がある人たちが何故 救け出してくれた見知らぬ人には心を払うことがないのだろう〉において、中島みゆきは同胞に問いを、いや疑いを投げかける。犠牲になったペルー人兵士を知る日本人は、おそらく一人としているまい。しかし、救出された24人の日本人もまた、多くの日本人にとっては“見知らぬ人”だったはずである。

 見知らぬペルー兵士と見知らぬ日本人、両者を分かつものは何か。〈日本と名の付いていないものにならば いくらだって冷たくなれるのだろう〉という台詞が、日本人の過度に同質性を求める意識、無意識の中に存在する排他性を指摘する。そして中島みゆきの至った結論が、〈この国は危い 何度でも同じあやまちを繰り返すだろう〉なのだ。

 12分を越えるこの曲は、〈慌てた時に 人は正体を顕わすね〉でピークに達し、〈私の中ではこの国への怖れが 黒い炎を噴きあげはじめた〉の言葉で結ばれる。日本社会と日本国民のありように対する中島みゆきの疑念とでも言えば良いだろうか。ひとりひとりは穏やかな個人であるのに、集合体となったときには別の姿を現す日本人総体に対する憂慮、日本という国家に対する怖れを表している。その批判的視座の鋭さ、そして鮮やさ。「ボブ・ディランに比肩するミュージシャン、ここにあり!」と叫びたくなる。

 ここで中島みゆきを“左寄り”とか“反日”だと思ったのなら、それはあまりに浅薄というものだ。ボブ・ディランの「ハリケーン」と比較してほしい。あれも8分超のメッセージ・ソングだった。歌詞の中に、〈こんな国に暮らしているのが 恥ずかしいぜ〉というフレーズが出てくる。ボブ・ディランは反米主義者か?そうではないだろう。「もっと良くなれ、アメリカ」という願いを込めて作られた歌だからだ。同じことが「4.2.3.」にも言えよう。

 ::: CD :::

わたしの子供になりなさい(収録曲)

1.わたしの子供になりなさい
2.下町の上、山の手の下
3. 命の別名
4.清流
5.私たちは春の中で
6.愛情物語
7.You don’t know
8.木曜の夜
9.紅灯の海
10.4.2.3.


(しみずたけと) 2022.6.6

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