ムソルグスキー 歌曲『司令官』

ロシアのウクライナ侵略戦争で思い出した曲がある。組曲『展覧会の絵』や交響詩『禿山の一夜』で有名なモデスト・ムソルグスキー(1839~81年)による晩年の作、『死の歌と踊り』。四曲からなるこの歌曲集の最後の曲が「司令官」である。初めの三曲は、1875年の作であるが、この曲だけは1877年に作られた。

第1曲「子守歌」・・・病む子に死神が忍び寄る。母親が払いのけようとするも、ついには死神のその手に捕らえられてしまう。

第2曲「セレナード」・・・病む乙女のもとへ死神が忍び寄り、甘いセレナードを歌って死へと誘う。

第3曲「トレパーク」・・・死神が、酒に酔った老農夫とトレパークを踊る。トレパークとは、四分の二拍子で踊られる、ロシアおよびウクライナの農民舞曲。

第4曲「司令官」・・・夜の戦場に、戦死者たちの司令官に擬した死神が現れて歌う。

歌の内容からもわかるとおり、「司令官」と他の三曲はずいぶん違っている。「子守歌」に登場する母、「セレナード」の乙女、「トレパーク」の老農夫。三者と死神の関係は、人間と死神の違いはあるが、いずれも個に対する個、つまり1対1の関係である。今はまだ生きているが、この世から連れ去られようとしている者と、連れ去ろうとするもの。両者の間で繰りひろげられる対決、あるいは誘惑、ひとときの享楽がテーマになっている。しかし、「司令官」に出てくる戦死者たちは、個でなく集団であり、司令官の命令に従うという立場である。彼らは、これから連れ去られるわけではなく、既に死んでいる。黙して語ることのない死者に対し、死神はただ一方的に己の歌を聴かせる。

この相違は、二年という作曲のインターバルのせいだろうか。いや、そうではあるまい。「司令官」だけは、他の三曲とはまったく異なったエモーションから作られたように思える。それを“死”というキーワードで一括りにしたのが、この四曲からなる『死の歌と踊り』なのではあるまいか。

ムソルグスキーの母国ロシアは、19世紀、何度もトルコと戦火を交えている。「司令官」が作曲された1877年も、ロシア帝国とオスマン帝国は戦争中だった。1853~56年のクリミア戦争ではトルコに敗れたロシアだったが、この露土戦争(1877~78年)には勝利する。ムソルグスキーは、悲惨なクリミア戦争を知っていただろうし、この露土戦争で、否応なく死をもたらすものとしての戦争、そのむごたらしさ、戦場で死にゆく者を意識したのではあるまいか。

〔歌詞大意〕

合戦の響き、光る装甲、大砲の咆哮、押しよせる軍勢、疾駆する馬、紅に染む川。

陽ざかりに人々は打ち合い、陽が傾いてなお激しく戦い、陽が没して薄暗くなっても戦いは荒れ狂っている。

そして戦場に夜のとばりがおり、兵士らは闇に散っていった。すべてはしずまり、夜霧の中に呻き声が空高くあがる。

その時、月に照らされて、馬にまたがった白骨の死神が現れ、しじまにきこえる嘆きと祈りに耳をかたむけて、いくさの場所を乗りまわす司令官のように誇らしげに満足する。

丘にあがって見おろし、立ちどまってはほくそ笑み、そして戦場の平原に運命の歌声を響かせる。

「戦いは終り、私はすべてを征服した。死んだ戦士たち、生あるとき争ったおまえたちを仲よくさせよう。

親愛なる死人たちよ、起きあがって閲兵しよう。祝典の行進に進みゆけ、私は検閲したい、そしておまえたちの骨や生のたのしみは地下に埋めろ、生から解放されてくつろぐがいい。

いつしか歳もすぎれば、おまえたちのことを憶えている人もいなくなる。だが私は忘れない。真夜中に盛大な宴を催し、おもおもしく踊って湿った土を踏みつけ、死人が永久に墓の蓋を開けられないように、だれもよみがえれないようにしてやるのだ」。

(『最新 名曲解説全集23 声楽Ⅲ』、音楽之友社、1981年、p.121より引用)

はじめの方に「司令官に擬した死神」と書いた。戦いやんだ戦場に、死神が司令官の姿をまとって現れる。一般的には、そう解釈されている。はたしてそうであろうか。表題の司令官、ロシア語でПолководецと記されている。英語に該当するのはField Marshalらしいが、そうであれば、この日本語訳は陸軍元帥だ。戦場で野戦の指揮を執る将校ではなく、軍全体を動かす最上位の司令官である。実は、この司令官そのものが、死をもたらす存在、すなわち死神なのではないのか。

ショスタコーヴィチ(1906~75年)は、1962年に、この歌曲集『死の歌と踊り』を管弦楽用に編曲し、当時のソ連が誇る世界的なソプラノ歌手、ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(1926~2012年)に献呈した。この曲の編曲は、それ以前にも、リムスキー=コルサコフ(1844~1908年)やグラズノフ(1865~1936年)らによってなされている。ショスタコーヴィチは、先人のそれらの出来に不満を抱いていたのだろうか。たぶんそうではなく、自らの解釈を盛り込んだ曲として世に問うてみようとの意図があったに違いない。

彼は、独裁者スターリンの中に、死をもたらす司令官を見た。歌曲集『死の歌と踊り』の編曲は、結果としてそうなったのであって、目的は「司令官」にスターリン像をオーバーラップさせることにあったのだと思う。ムソルグスキーの原曲から感じられるのとは違う、死神を、そのすぐそばにいる者の視点から描いた音像が浮かび上がり、ぞくぞくするような緊迫感に包まれる。

スターリンの大粛正によって、1000万人以上が逮捕され、処刑された者と獄死した者を合わせると、100万人を優に超えると言われる。犠牲者数には諸説あって、今後の研究により、推定数がより正確なものに近づくかもしれないし、永遠に解き明かされないかもしれない。しかし、膨大な数であるということだけは確かだ。スターリンは、まごうことなき死神であった。そして今、ウラジーミル・プーチンが、名実ともに“死神”の肩書きを受け継いでいる。プーチンにだけは、連れ去られないようにしたいものだ。

 ::: CD :::

1) ヴィシネフスカヤの歌(伴奏:ロストロポーヴィチ)

まずはヴィシネフスカヤの歌で聴いておくべきだろう。歌唱については、何も言うまい。言う必要もない。伴奏は、パートナーのロストロポーヴィチ(1927~2007年)。世界最高のチェリストとして有名だが、ピアノ演奏もすばらしい。社会主義体制を批判的に描いたソルジェニーツィン(1918~2008年)を擁護したことで、「反体制」のレッテルを貼られ、国内での演奏ができなくなり、二人して亡命せざるを得なくなった。それだけに、歌の本質をつかんだ名演になっている。

収録曲

モデスト・ムソルグスキー
歌曲集『死の歌と踊り』
  第1曲「子守歌」
  第2曲「セレナード」
  第3曲「トレパーク」
  第4曲「司令官」

ピョートル・チャイコフスキー
6つの歌 作品6
  第6曲「ただあこがれを知る者だけが」
  第2曲「おお、友よ語るな」
  第1曲「信じるな、わが友よ」

セルゲイ・プロコフィエフ
アンナ・アフマートヴァの詩による5つの歌曲 作品27
  第1曲「太陽が部屋一杯に満ちた」
  第2曲「本物のやさしさ」
  第3曲「太陽の記憶」
  第4曲「こんにちは」
  第5曲「灰色の目の王」

独唱:ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(ソプラノ)
伴奏:ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ
録音:1961年

独唱:ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(ソプラノ) 伴奏:ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ

  

2) ショスタコーヴィチによる編曲(歌:コチェルガ)

次はショスタコーヴィチによる編曲版。なにしろ、スターリンが死神であることを見抜いた音楽家である。ムソルグスキーを得意とするアバドが、ベルリン・フィルを指揮したダイナミックな演奏である。バス歌手のコチェルガによる歌唱を聴くと、やはり死神の歌声は、「司令官」ではとりわけ、男声こそふさわしいと思えてしまうのだが、それは死神=男性という固定観念によるものだろうか。死神は、人間ではないのだから、男性も女性も関係なく、人間の姿形を思い浮かべる必要もないのだが、私の頭によぎるのは、いつも男性像なのだ。それはともかく、ヴィシネフスカヤの歌唱との違いを楽しんでもらえば良かろう。音楽としては、重苦しく、楽しめる雰囲気ではないかもしれないが…。

収録曲

モデスト・ムソルグスキー
歌曲集『死の歌と踊り』
  第1曲「子守歌」
  第2曲「セレナード」
  第3曲「トレパーク」
  第4曲「司令官」

ピョートル・チャイコフスキー
交響曲第5番ホ短調 作品64

指揮:クラウディオ・アバド
独唱:アナトリー・コチェルガ(バス)

演奏:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1994年

コチェルガとアバド指揮ベルリン・フィルによる演奏

3) ヴィシネフスカヤの歌唱集

編曲版もヴィシネフスカヤの歌で聴きたい。そういう向きもあろう。ショスタコーヴィチが献呈した大歌手だけあって、この曲の解釈にかけては、第一人者である。ショスタコーヴィチとムソルグスキーの歌をヴィシネフスカヤの歌唱で聴くCDがあるので、これを紹介しておこう。全盛期の歌声と鬼気迫る表現に圧倒されるに違いない。なお、「ブロークの詩による7つのロマンス」も、ヴィシネフスカヤに献呈された作品である。

収録曲

ドミートリイ・ショスタコーヴィチ
 ブロークの詩による7つのロマンス 作品127
   第1曲「オフェーリアの唄」
   第2曲「予言の鳥 ガマユーン」
   第3曲「私たちは一緒だった」
   第4曲「街は眠る」
   第5曲「嵐」
   第6曲「秘密のしるし」
   第7曲「音楽」

サーシャ・チョールヌィの詩による諷刺 作品109
   第1曲「批評家に」
   第2曲「春の目覚め」
   第3曲「後裔たち」
   第4曲「誤解」
   第5曲「クロイツェル・ソナタ」

モデスト・ムソルグスキー
 歌曲集『死の歌と踊り』(ショスタコーヴィチ編)
   第1曲「子守歌」
   第2曲「セレナード」
   第3曲「トレパーク」
   第4曲「司令官」

ドミートリイ・ショスタコーヴィチ
 歌劇『ムツェンスク郡のマクベス夫人』作品29
   第1幕第3場より 
    もう寝る時間 一日は過ぎた
    子馬は雌馬のところへ急ぎ
    誰なの、誰、誰、たたくのは?
    お休み、行ってちょうだい

独唱:ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(ソプラノ)
   ニコライ・ゲッダ(テノール)
   ディミテール・ペトコフ(バス)

演奏:ウルフ・ヘルシャー(ヴァイオリン)
   ヴァッソ・デヴェッツィ(ピアノ)
   ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(チェロ、ピアノ、指揮)
   ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1976~1979年

指揮:ムスティラフ・ロストロポーヴィチ
独唱:ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(ソプラノ)
演奏:ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1977年


(しみずたけと) 2022.3.30

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