キエフの鳥の歌

聖ソフィア大聖堂、キエフ

この歌はウクライナの民謡とも、歌謡曲とも言われたりしています。日本人になじみのあるロシア風のメロディーとも言えますね。メロディーの美しい歌です。

原曲の歌詞には小夜啼鳥(サヨナキドリ)と白鳥が出てきます。サヨナキドリはわたしたちがしばしば耳にすることばではナイチンゲール。日本語の歌詞には白鳥、鶴、うぐいすが登場します。1984年に北海道合唱団がウクライナの首都キエフを訪れたときに、歓迎会で演奏された曲を日本に持ち帰り、編曲し、歌詞をつけたとの経緯が下のサイトにて説明されています。原曲の歌詞と日本語歌詞の違いも見ることができます。

この歌に触れているWEBサイトです。
http://worldfolksong.com/songbook/russia/kiev-bird-song.htm

ヴィクトル・ハルトマン『キエフの大門』展覧会の絵より

キエフの鳥の歌(日本語歌詞:木内宏治)

1.
果てなき空のかなた いとしい鳥は飛ぶ
丘にひとりたたずみ 過ぎにし日を思う
心にしみる鳥の声 白鳥よ 鶴よ
やさしき人は今いずこ 教えておくれ

2.
悲しい別れの朝 さみしげにささやく
熱き愛のことばが 今も耳にのこる
甘いあのしらべのように うたえ うぐいすよ

やさしき人は今いずこ 教えておくれ

3.
夜霧にしずむ森よ ほの暗き谷間よ
うたごえ川面をゆく わが想いを乗せて
鶴のうたごえによせて とどけよ 愛の歌
やさしき人は今いずこ 教えておくれ

::::: イ短調 :::::

編曲はイ短調のため、ここにはイ短調の楽譜を掲載しています。ご自分で歌うには音程が高いという方は下の嬰ヘ短調の楽譜をご利用ください。

これは合唱風の音声ファイルです。イ短調です。お聴きになるときは右向きの小さい三角印をクリックしてください。上記の楽譜に合わせて歌っていただけます。


::::: 嬰へ短調 :::::

上記のイ短調より短3度低くなります。

これは合唱風の音声ファイルです。嬰ヘ短調です。お聴きになるときは右向きの小さい三角印をクリックしてください。上記の楽譜に合わせて歌っていただけます。




原曲の作曲者:オレクサンドル・ビラシュ 1931-2003
作詞者: Yevhen Hutsalo 1937-1995


こちらのリンク先記事では「キエフの鳥の歌」が収録されているナターシャ・グジーのCDを紹介しています。


(H.S.  T.S. Ak.)

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リンク先は別所憲法9条の会ホームページ

「キエフの鳥の歌」への3件のフィードバック

  1. いわゆる『キエフの鳥の歌』とされた歌について女声合唱団チャイカの指導者、中島章利先生は過去15年以上に渡ってその詳しい経緯を述べている。今までに7回に渡る検証はその誤りも正してきた。
    その1、この歌は古いウクライナ民謡では無く1979年に作られた作詞ィエウヘーン・フーツァロ作曲オレクサンドル・ビラーシによる45年前のウクライナ歌曲である事
    その2、創唱はナザーリィ・ヤレムチュークでは無く、彼はそれまで女声トリオや数人の独唱者によって歌われた歌曲を編曲してポップス調に広めた人物である事
    その3、2014年以降に作詞者作曲者が判明し曲の題名も『キエフの鳥の歌』などでは無くЗнову осінь『また秋が来ると』と言う愛国の歌である事(この前提が前項の投稿禁じられた言葉〜消されたGに絡む)
    その4、残っている録音がヤレムチューク版しか無く彼自身チェルノブイリ事故(1986年)当時原発から30kmのところにいて事故3年後1989年に死亡した事から関連が疑われ歌詞中の鳥の歌が消えたのが原発事故を歌ったものとされた事。曲は事故の7年前に作られている。
     さて、では真実はどこにあるのか?確かな事はこの歌は『Знову осіньまた秋が来ると』と言う題名のフーツァロとビラーシによって1979年ウクライナ語で書かれた愛国の歌であると言う事である。ウクライナの独立機運が高まるのは1986年以降のソ連のペレストロイカ以後である。それまで1980年代まではウクライナではロシア語教育が行なわれ公用語もロシア語の方が主流だった。独立後ウクライナ語を公用語としたが定着したのは1990年代後半以降になった。2000年代には役者だったゼレンスキー大統領でさえロシア語で演じていたほどである。
     そういう中でウクライナ語の歌詞で歌を発表すると言う事。ちなみに『また秋が来ると』の歌詞は以下のようなものである。
    (訳文の掲載については了解を得ておりますが、使用に関しては中島章利氏の承諾をお願いいたします)
    ーーーーーーーーーー
    【中島章利・訳】
    また秋が…
    遠い南へとまた
    鳥たちはウクライナから飛び去っていく
    高く渦を巻いて
    はるかな旅路を行く

    夜鶯の歌が消えた
    流れていた空から
    夜鶯の歌流れるウクライナは
    その歌もなしにどうやって暮らしていくのだろうか?

    白鳥の歌が消えた
    飛んでいた空から
    白鳥の歌流れるウクライナは
    白鳥の悲しい歌もなしにどうやって暮らしていくのだろうか?

    鶴の歌が消えた
    鶴の郷ウクライナの鳥たちの歌から
    鶴の郷ウクライナは
    鶴の歌もなしにどうやって冬を越すのだろうか?

    秋が…心の中でたそがれて行く
    風が止み、晩秋の庭も静まり返ったから
    まるで心も南へ飛び去り
    戻ってこないかのようだ

    夜鶯の歌が消えた
    流れていた空から
    夜鶯の歌流れるウクライナは
    その歌もなしにどうやって暮らしていくのだろうか?
    ーーーーーーーーーー
    また秋がとはどういう意味か?白鳥が鶴が鶯(соловей夜鳴き鶯)が消えた。鳥の声が消えたとは?
     ウクライナは野鳥の宝庫である。春には渡り鳥が大量に渡って来る、秋には飛び去ってゆく。
     それは春の終わりを告げるサイン、春とはウクライナのかつて遠い過去にあったウクライナの春の事であり、今は鳥たちが去った秋の時代なのだ。鳥たちの歌声とはウクライナ母国の言葉の音を意味する。その音無しにどうして暮らすのか?1979年まだ見えないが、やがて訪れるウクライナの復活、独立の予感を感じながらフーツァロはそう訴えたかったに違い無いと私には思える。
     その時200年前のウクライナの詩人タラス・シェフチェンコの詩を声高に叫ぶ。ロシアによって消されたウクライナ文字Ґ(ゲー)を復活させよう、と歌う愛国の歌ではなかったのだろうか?
    ※中島章利先生のブログはその⑦のみ掲載しましたが、これまでの経緯を知る為にもぜひ①〜⑥もお読み下さい。また最近⑧も発表されております。

  2. 正確な情報をいただき、ありがとうございます。

    サイト管理者

  3. この、いわゆる「キエフの鳥の歌」はウクライナの民謡でもなれれば歌謡曲でもありません。動画に作曲者名、作詞者名が記されていることで判るように、れっきとした歌曲です。
     また、2.
    悲しい別れの朝 さみしげにささやく
    熱き愛のことばが 今も耳にのこる
    甘いあのしらべのように うたえ うぐいすよ
    やさしき人は今いずこ 教えておくれ

    3.
    夜霧にしずむ森よ ほの暗き谷間よ
    うたごえ川面をゆく わが想いを乗せて
    鶴のうたごえによせて とどけよ 愛の歌
    やさしき人は今いずこ 教えておくれ

    となっていますが、この2番は木内氏によるものではありません。木内氏による歌詞は1番、2番しかなく、2番は「夜霧にしずむ森よ…」でした。誰のものかわからない「悲しい別れの朝…」なる歌詞が2番に挿入された結果として、本来の歌詞が3番に追いやられる結果になっています。

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