悪党が改憲? 笑わせちゃいけない!


 この数年で日本の政治は著しく劣化、腐敗した。公文書偽造に裏金問題、何でもありだ。政治家が悪事に手を染めたというよりは、悪党が政治をやっているという方が的を射た表現だろう。森友学園に加計学園、桜を見る会、統一教会、パーティー券、すべてカネ、カネ、カネ…、金絡みである。新聞やテレビはこれを「政治と金の問題」というが、いやしくも言論機関を自負するのなら言葉は正しく使うべきだ。これは長きにわたる金権政治の延長線上にある「自民党の裏金問題」である。それとも、政治というものはすべからく金と癒着するものという印象を国民に与え、政治家への不信から政治への無関心を誘い出し、選挙に行く気を失わせ、その結果生ずる投票率の低下によって現政権を有利にしようという“隠れ忖度”なのだろうか。

 かくの如き腐りきった政権、悪党どもが憲法を変えることでより良い社会が来ると本気で思っている人がいるとしたら、それこそ究極の平和ボケ、脳内お花畑といわれるに違いない。まして憲法は《権力拘束規範》である。強大な力を持つ国家権力に縛りをかけることで、その暴走を食い止め、国民の権利を守っている憲法を、悪党どもが変えたらどうなる。自分らへの縛りをゆるめ、歯止めが効かなくなるに決まっているではないか。汚れた手の者が今の憲法に触れようとするのを許してはならない。ロシア、中国、北朝鮮を、多くの日本人が好ましからぬものと思っているようだが、いずれも国家権力が好き放題やっている国である。これらの国に日本国憲法があったなら、世界はもっと違った様相を呈していたであろう。

 現行の日本国憲法が完全無欠だというつもりはない。天皇制の問題や不完全な三権分立体制など、検討および改善すべき余地は多々ある。しかし、この憲法で困っている人はどれほどいるのだろうか。2012年5月10日の憲政記念会館。安倍晋三(元首相)が代表を務める創生会の集会で、第一次安倍内閣の法相だった長勢甚遠が「国民主権、基本的人権、平和主義をなくさないと本当の自主憲法ではない」と発言し、会場から拍手喝采を受けた。きっとこうした政治家と彼らを支持する人たちが、暴走したくてもさせてもらえない今の憲法に手を焼いているのだろう。

 憲法の手直しはありうるし、他の国でもやっている。ただし、それは修正条項とか追加条項という形でおこなわれるのがふつうだ。たとえば、アメリカ合衆国憲法には女性の参政権が記載されていない。その一方で奴隷制が認められている。奴隷制の廃止は1865年の修正第13条で、女性参政権は1920年の修正第19条で、それぞれ憲法に規定された。時代の要請に答えるために、ゼロからすべて書き直さなければならないわけではない。

 岸田文雄(現首相)は1月30日の施政方針演説で、「先送りできない課題(中略)まずは、憲法改正です。衆参両院の憲法審査会において、活発な議論をいただいたことを歓迎します。国民の皆様にご判断をいただくためにも、国会の発議に向け、これまで以上に積極的な議論が行われることを期待します。また、あえて自民党総裁として申し上げれば、自分の総裁任期中に改正を実現したいとの思いに変わりはなく…」と述べた。しかし、これは明らかな憲法99条違反である[1]。多少なりともその認識があるからだろう、「自民党総裁として…」という断りを入れているのだが、施政方針演説は党代表がするものではなく、あくまでも内閣総理大臣が公務員の立場で行うものであることを考えれば、エクスキューズにはまったくなり得ないものだ。同日、公明党代表の山口那津男は「憲法の課題は極めて重要だが、先送りできない優先課題を差し置いて憲法に力を注ぐという状況ではない」とコメントしている。

 しかし、改憲勢力は自公政権だけではない。維新、国民民主を合わせれば、発議できるだけの議席を占めている。維新と国民民主は、「改憲を党是に掲げる自民の対応が後ろ向き」と批判的だ。改憲の国民投票を実施するためには60〜180日の周知期間が必要であり、維新代表の馬場伸幸は、「今国会で発議しなければ間に合わない」と迫っている。予算案が衆院を通過するまで憲法審査会が開かれないことに対するいら立ちであろう。何が何でも改憲したい勢力の一人ということであろうか。

 昨年12月7日の憲法審査会で、自民党の中谷元は、「来年の常会に、議員任期延長や解散禁止などを含めた緊急事態における国会機能の維持の憲法改正について、具体的な条文の起草作業のための機関(作業部会)を設け、作業ステージに入ること」を提案した。しかし、緊急事態条項について議論されたのは議員の任期延長だけである。議論もなしに改定条文の起草を始めるとは、改憲に賛成の人だけで進めましょうということか。国政を自分のおもちゃ箱だと勘違いしているのかもしれない。

 議員の任期延長とは、国民の投票権を停止することである。私たちは、自分たちが選挙を通して選んだ代議士を通して国政に参加している。これを《間接民主制》と呼ぶわけだが、それをできなくするのは参政権を奪うということにほかならない。信頼できる人を選べない、信頼できない人を辞めさせられないのでは民主政治は崩壊してしまう。

 緊急事態には、緊急政令(内閣の命令が法律と同等に扱われる)、緊急財産処分(国民の預金を封鎖したり土地や家屋の使用・没収ができる)、兵役の強制(徴兵や戦場に送ることができる)、人権制限(通信の秘密、知る権利、言論の自由を制限できる)など、国民にとって大きな危険が生ずるものである。つまり、国家に従わない者を排除できるようになるのだ。しかし、それがいつ、どういうときに、どの範囲で、どれくらいの期間になるのかは一切議論されていない。1933年のナチスの《全権委任法》[2]になぞらえられるわけだが、これは単なる昔話、歴史のひとコマではない。政府にとって都合の悪い人間が飛行機事故で死んだり、突然死したり、薬で溶かされたり、そういうことが起こる国になるということである。そのような法案を、「お上は間違いをしませんから安心して白紙委任してください」といわれて信じることができるとしたら、よほどのおめでたい人間であろう。

 岸田文雄の属する宏池会は、改憲、改憲と騒ぐ筋金入りの極右とは距離をおいた存在だったはずだ。彼は改憲を目的に首相になったのではなく、首相の座につくために安倍派の支持を得なければならず、それゆえ政策としての改憲を継承せざるを得なかったのである。改憲の成否は自身の進退を左右するわけで、首相で居続けるためには是が非でも改憲を成功させなければならない。それゆえ、改憲によって生ずる混乱など負の側面を指摘しても説得にはならないから、その意味ではかえって質(たち)が悪いといえよう。

 単に総理大臣の椅子に座り続けるための改憲、やめることのない議員職が目的だとしても、その先にあるのは独裁政治である。無責任で不適切な政策だけでなく、汚職などの腐敗政治にも関わらず、国民の声をないがしろにし、政権交代を阻み、そのために人々の権利を制限しようとするのは、戦争に向かう国家に見られる特有のものだ。2014年の閣議決定による《解釈改憲》、その翌年の《安保法》は、まさにその通過点だったといえよう。

 いま私たちが率先してしなければならないことは、改憲の必要性が希薄であること、緊急事態条項の危険性、それよりも優先する課題が山積みである現状を多くの人に周知徹底し、政治家としてふさわしくない汚れた人物らによる憲法審査会の開催に反対し、改憲の発議など言語道断であることを、声を大にして訴え続け、これを国民総出で共有することであろう。

 


(しみずたけと) 2024.2.26

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「悪党が改憲? 笑わせちゃいけない!」への1件のフィードバック

  1.  しみずたけと さんの投稿は、非常に重要な指摘と思います。
     岸田違憲政権の改憲を許さぬよう、我々は全力を尽くす必要があると
     思います。 

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