ロンドンの墓地・・・

 「聖オラーフ教会とディケンズ」を読んでいたら、なんと、“The Uncommercial Traveller”の日本語訳のことが出ていた! 恥ずかしながら、この本の出版を今まで気づかずにいた。邦題『逍遥の旅人』、6,000円+税とは、けっこう高いなぁ…。ま、あまり買う人もいないだろうし、翻訳の手間と労力を思えば、不当な値付けでもあるまい。とりあえず図書館で借りてみた。どうせ後で欲しくなって買うことになるのだろうけれど…。

 所蔵する図書館は限られている。CiNiiで調べると、47の大学図書館にあるようだ。いや、47しかないと言うべきか。八王子市の図書館にも、やはりない。ILLで取り寄せを依頼したら、都立中央図書館のものが手配された。425頁というボリューム。私のThe Oxford Illustrated Dickensシリーズの本文が362頁であることを考えると、よくぞコンパクトにまとめたものだと感心する。

 commercial=商用だから、uncommercial=非商用。それではつまらないから、題名を“逍遥の…”と洒落てみたと訳者。それはいいだろう。書物でも映画でも、原題を単に片仮名にしただけの、なんのことかわからないタイトルが横行している今日である。それに対するアンチテーゼであるか否かは置いておくとして。

 訳したのは田辺洋子氏。広島経済大学の教授である。私は読んでいないのだが、ディケンズの著作をかなりたくさん翻訳している。この本を読んでいると、文体、言葉の選び方、読む時のリズム感が心地よい。やはり人文の先生は違うなぁ。社会科学が専門の先生ときたら、この人たちの母語は日本語なのだろうかと思わざるを得ないような文章に出くわすことがままある。悪文を読み慣れると、自分もそうなりそうで怖い。

 The Oxford Illustrated Dickensシリーズにくらべ、底本となったDent版は挿絵が多いらしく、それだけでも嬉しいことだ。一方、気になったことがないわけではない。第9章にホイッティントンの名前が出て来る。それが第23章ではウィッティントンになっている。訳したタイムラグが大きかったのだろうか。それとも別の人が訳したのであろうか。院生が手分けして下訳し、先生が文体を整えてまとめの作業をすることは珍しくない。しっかりした院生を持たないことにはできないことであり、ある意味、うらやましくさえある。

 外国の人名、地名のカナ化には悩まされることが多い。英語はまだ良い方だが、英国の人名や地名の中には、独特の読み方があって難儀することが少なくない。アルファベットを正確に仮名表記するのに限界があるのは致し方ないことだ。あるところに行こうと、片仮名で書かれた地名を発音しても通じない。そういう経験をした人もいるだろう。元の綴りを想像できないこともある。そうなると、地図で調べることもままならない。だから私は、地名や人名には元のアルファベットを添えるようにしている。

 もうひとつ、教会の名前が聖○○だったりセント・○○となっていたり、どちらかに揃えた方が良かったのではないだろうか。こういうことが気になるのは、墓地への好奇心やシティの教会を訪ね歩いた経験のせいなのだろう。好事家、好き者、オタクと呼ばれても仕方あるまい。

 ディケンズの時代のロンドンの墓地の凄まじさと言ったら…。しばしば引き合いに出されるのが、小説『荒涼館』の描写である。メイドを装ったデッドロック夫人が、浮浪児ジョーに案内され、かつての恋人の埋葬場所を訪ねる場面。現在はTavistock Streetになってしまっているが、ここにあった建物をくぐり抜けた中庭がモデルになっている。

 St. Mary-le-Strand 教会の埋葬スペースがいっぱいになり、ここに飛び地的な埋葬場が設けられた。Russell Court Burial Groundと呼ばれ、Basil Holmes女史の1896年の著書“The London Burial Grounds: Notes on Their History From the Earlier Times to the Present Day”には、430平方ヤード(360平米、約109坪)の広さで、1853年に閉鎖されたと記されている。

 私は『荒涼館』を、原著と青木雄造・小池滋の訳で読んだが、ディケンズの作品の中でこれが一番好きである。田辺洋子氏が新訳を出しているので、次はこれでも読むとするか。

(しみずたけと) 2023.4.2

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