マーラーの『大地の歌』

グスタフ・マーラー
交響曲第5番嬰ハ短調『大地の歌』

マーラーの交響曲第5番を紹介した折、冒頭で『大地の歌』に出てくる歌詞の一節に触れた。そのまま放っておくのも落ち着かないので、この曲についても、少しだけ書いてみようと思う。

『大地の歌』は、グスタフ・マーラー(1860~1911年)の9番目の交響曲で、1908年に作られた。ベートーヴェン、ブルックナー、ドボルザークなど、九つの交響曲を残して世を去った先人たちを意識したのだろうか、第8番の後に作曲したこの作品に、マーラーは番号を与えていない。当時の彼は多くの不幸や困難に直面していたが、そのせいだろうか。

この前年、10年にわたって任にあったウィーン宮廷歌劇場(現在のウィーン国立歌劇場)の職を辞し、ほどなくして猩紅熱とジフテリアに罹った長女マリア・アンナを亡くす。その衝撃で、妻アルマは心臓に不調をきたし、病院へ。付き添った彼自身も、そこで病の兆候を指摘された。弟エルンストは心臓水腫に長く苦しみ、幼くして死去。母も心臓をわずらっていた。念のために専門医の診断を仰ぐと、弁膜症だという。

マーラーは山登りやボート漕ぎ、水泳といった運動が好きだった。身体を激しく動かしているときに楽想をつかむのが常だったと伝えられている。ドクター・ストップがかかり、それができなくなった。羽をもがれた鳥の心境だろうか、彼が死を強く意識していたとしても、それほど不思議なことではないだろう。この曲は、常に死を通して生を考えていたマーラーの、現世への告別の辞だったのではあるまいか。

『大地の歌』は、合唱こそ加わらないものの、奇数楽章にテノール、偶数楽章にアルト(またはバリトン)と、声楽を中心に据えたものとなっている。歌詞は、李白らの唐詩をドイツ語にしたもので、ハンス・ベートゲ(1876~1946年)が編纂した『支那の笛』という詩集から7編を選び出し、これに手を入れ、ところどころ自作のフレーズを加えるなどもしている。しかし、83編の詩からなる『支那の笛』も、既に様々な人によって訳されていたものを、ベートゲがかなり自由奔放に焼きなおした、いわゆる翻案に近いものだった。それゆえ、元の詩がどれだったのかを特定するのは容易ではない。いや、あまり意味がないことにも思える。

有名な曲なので、ここでくどくど解説する必要はなかろう。詳細を知りたければ、調べる手がかりはいくらでもあるのだから。書き添えるならば、マーラーの作品は、ほぼ交響曲と歌曲に限定されるといってよく、両者の融合を目指した作品としては最後のものでもあることから、この『大地の歌』こそは、彼の作風の集大成であり、音楽人生の総決算を意図していたように思える。第9、第10交響曲(未完)が後に上梓され、弟子でもあった指揮者のオットー・クレンペラー(1885~1973年)は、「第9が一番偉大だ」と述べている。シンフォニーとしての完成度は、その通りなのだろうが、この『大地の歌』こそが彼の「白鳥の歌」だった、私にはそう思えてならない。

いちおう、各楽章の詩の出自わかっている範囲で)を記しておく。

第1楽章「現世を憂うる酒宴の歌」
李白の「悲歌行」をもとにしたもので、3節とも「生は昏(くら)く、死もまた昏い」という同じ句で結ばれる。

第2楽章「秋の孤独の男」
もとの詩がどれであったか、諸説あるものの、未だ特定にはいたっていない。

第3楽章「青春について」
李白の「宴陶家亭子」をもとにしたもの。

第4楽章「美について」
李白の「採蓮曲」をもとにしたもの。

第5楽章「春に酔う者」
李白の「春日酔起言志」をもとにしたもの。

第6楽章「別れ」
前半が孟浩然の「宿業師山房期丁大不至」、後半は王維の「送別」をもとにしたもので、異なる二つの詩を作曲者自身が結合し、さらに改変とか加味をおこなっており、「永遠に」の句を繰り返しながら消え入るように終わっていく。スコアのこの箇所には「完全に死に絶えるように」との書き込みがあり、当時のマーラーの心境ないし精神状態、さらには思想や哲学が見え隠れするのではなかろうか。

全体の演奏時間は60分程度だが、テノールの歌う奇数楽章の演奏時間より、アルトまたはバリトンによる偶数楽章のそれの方が、いずれも長い。さらに、第6楽章だけは特別に長く、他の5楽章を合わせたのとほぼ同じ時間を要する。このアンバランスさをどう考えたら良いだろう。もしかしたら、作曲者のなんらかの意図が秘められているのかもしれない。


ハンス・ベートゲの『支那の笛』の題名は、あえてそのまま使用した。外国人が中国を、古代王朝の秦(しん)から転じた音で呼び、英語のチャイナ、フランス語のシン、ドイツ語のヒーナ(オーストリアではキーナ)はこれに由来する。1912年に中華民国が成立したが、当時のヨーロッパでは中国という名称は一般化しなかった。わが国でも本書を『支那の笛』と表記しているので、あえてそのまま使うことにした。

『大地の歌』の歌詞については、下記を参照されたい。
須永恆雄(編訳)、『マーラー全歌詞対訳集』、国書刊行会、2014年、ISBN 978-4-336-05763-1。


マーラーが生きた時代

マーラーが生きた19世紀末から20世紀初頭にかけ、西洋は、帝国主義および植民地支配を通して、己とは異なる文明と出会うことになった。中国を中心とした東洋である。それまでの周辺に位置した文化と異なり、完全に西洋と比肩する高度で巨大な文明との遭遇により、文学や絵画、建築など、広範囲な文化が影響を受け、エキゾチズムへの関心が高まった。

人は生き、いつかやがて死ぬ。それは暗く悲しいが、誰も死から逃れることはできない。それでも大地には春がめぐり来て花を咲かせ、新たな出会いと別れを繰り返す。自然に対する挑戦と支配とは違う、自然に身を委ねた無常観、厭世観、諦観…。ベートゲの『中国の笛』もマーラーの『大地の歌』も、そうした流れの上にあるといえよう。

それでは『大地の歌』は、唐詩(の翻案ではあるが)に出会ったマーラーによる、東洋的無常観の可聴化、音符化に過ぎないのだろうか。李白らの詩を、これまでの人生経験に重ね合わせたであろうことを想像するのだが、もっと別の、彼自身の出自にまつわるところにあるなにか、そう思えてならない。

ボヘミア(現在のチェコ)出身のマーラーは、主にオーストリアのウィーンで活躍した。彼は自分のことを「三重の意味で故郷がない人間」という。オーストリアにおいてはボヘミア人、ドイツにおいてはオーストリア人、キリスト教世界においてはユダヤ人、つまり、どこにいても「よそ者」であり、中心ではなく周辺、常に疎外される要素を抱えた存在なのだと。

キリスト教は、ユダヤ教にその根を持ちながら、中世以来、ユダヤ教と対立してきた。いや、キリスト教化された欧州にあって、ユダヤ教とユダヤ人は排除の対象とされてきたのである。19世紀以後、反ユダヤ暴動が活発化し、この頃になると、ロシアや東欧ではポグロム(ユダヤ人に対する集団的迫害)が頻発するようになった。裕福なユダヤ人たちが新天地アメリカを目指したのは、そのためである。ニューヨークにはイディッシュ劇を上演する多数の劇場が作られた。ニューヨークのメトロポリタン歌劇場からの招聘にこたえ、マーラーが渡米した1907年の12月の世相である。

ナチスの台頭は、まだ先になるが、それを予感させる社会が醸成されつつあることを、神経質なマーラーは敏感に感じとったのかもしれない。以前から持っていたユダヤ的汎神論的傾向と、諦観ともいえるような東洋的な自然思想がむすびつき、きわめて独特かつ心に沁み入る情緒的な世界観を、声楽をまじえた壮大なオーケストレーションで描き出してみせたのが、この交響曲イ短調『大地の歌』ではなかろうか。

雑怪奇とも思える現代を生きるものとして、李白の詩にせよ、マーラーの音楽にせよ、現世(うつしよ)に暗さを感じることは少なくない。しかし、死もまた暗いとすれば、われわれの行きつく先はどんなところなのだろうか。天国、極楽浄土、彼岸、パラダイス…、光に満ちた楽園というのは勘違いで、待っているのは暗い冥府、黄泉国なのか。そうであるなら、むしろ無神論者でいる方が、よほど気楽というものだ。だが、マーラーは無神論者などではなかったはずである。その答えが、『大地の歌』にあるとは思わないが、秋の夜長である、じっくり聴いてみることにしよう。

 ::: CD :::

CD化された演奏を2種類だけ紹介しておこうと思う。偶然ではあるが、どちらもマーラーが指揮者を務めたウィーン・フィルによる演奏である。

①ワルター盤

マーラーを得意としたワルター。作曲者と親交があり、『大地の歌』の初演を委ねられただけあって、半世紀以上たってなお、同曲の最高の演奏の一つにあげられるものだ。しかもオーケストラは、ワルターと相性抜群のウィーン・フィル。それにもまして特筆すべきは、独唱の二人だろう。パツァークのニヒルな歌いっぷりは、実にこの曲の性格に合っている。また、早世が惜しまれるフェリアーの数少ない貴重な録音の一つだ。モノラルだが、デッカの優秀な録音技術もあって、今なおワクワクしながら、しかも心安らかに聴くことができる。

指揮:ブルーノ・ワルター
演奏:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
独唱:ユリウス・パツァーク(テノール)

   カスリーン・フェリアー(アルト)
録音:1952年

  

②バーンスタイン盤


1966年といえば、バーンスタインがヴェルディの歌劇『ファルスタッフ』を振ってウィーン国立歌劇場に颯爽と登場した年。同時に、マーラーと同じユダヤ人の血を引く彼が、これまたマーラーと縁あるウィーン・フィルとのコンビで『大地の歌』を演奏。ニューヨーク・フィルハーモニックとのマーラーは既に定評を得ていたが、ここでマーラー指揮者としてのバーンスタインが世界的に定着したといっても過言ではあるまい。ワーグナー歌劇のヘルデン・テノールとしても名高いキングの凜々しさ、ドイツ・リートの頂点を極めつつ、オペラまでカバーするフィッシャー=ディスカウの卓越した表現力、二人の格調高い歌唱がすばらしい。

指揮:レナード・バーンスタイン
演奏:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
独唱:ジェームズ・キング(テノール)

   ディートリッヒ・フィッシャー=ディスカウ(バリトン)
録音:1966年


(しみずたけと)

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