女性の賛歌

L’hymne des Femmes

以前の「沼地の兵士の歌」で紹介した“L’hymne des Femmes”という歌です。直訳すると「女性の賛歌」。

1971年3月に女性解放運動(MLF)の活動家で、モニク・ヴィティグとアントワネット・フーケらを中心にした「ヒナギク」というグループによって作成された歌です。3月8日の国際女性デー、フランス語圏ではよく歌われます。

―  目  次  ――

目次の順に下に並んでいます。

フランス語歌詞#39

うた(動画): ジョリ・モーム
うた(動画): フランス語歌詞表示
うた(動画): 39人の歌手による合唱
うた(動画): 女子 World Cupサッカーでの観戦者の合唱

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ジョリー・モームの野外コンサート

 


曲に合わせてフランス語歌詞が表示されます。


こちらは2018年11月24日、世界的な#Me Too運動の中でおこなわれたパリでの大行進の前夜に39人のミュージシャンによって歌われた時の風景

2019年の女子ワールドカップ・サッカー、フランス大会。レンヌFCの本拠地、ラ・ルート・デ・ロリアンでチリ対スウェーデン戦がおこなわれた6月11日。レンヌ市長の提唱によって会場で600人が歌声を響かせ、8万の観戦者が総立ちでこたえました。

(しみずたけと) 2021.10.27

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サン=サーンス ピアノ協奏曲第5番《エジプト風》


 昨年はLGBTという言葉が一般に知られるようになった年だったと思う。LGBTとは何であるかなど、このサイトを閲覧する方々には説明の必要などあるまい。世界的に見れば「なにを今さら…」と、遅きに失した感もあるが、それでも一歩前進には違いないから、まあ喜ばしいことではある。

 ところが、無知や性的マイノリティへの無理解からLGBTへの攻撃を繰り返す議員がいたり、頓珍漢な批判をする者も現れる始末だ。曰く、性自認を悪用して女性用の浴場やトイレに入ろうとする男性がいたらどうするか等々。LGBTの権利を認めている国で、そういう事件が頻発しているのか?もしそうした問題が起こるとしたら、それは性自認の問題とかLGBTのせいではなく、わが国の民度が低いということにほかならない。LGBTは生産性がないという愚にもつかない妄言にいたっては、人間の価値を生産性だけでしか測れない蒙昧さの発露に過ぎず、ナンセンスを通り越して哀れみさえ感じてしまう。

 ひとりひとり個性があるように、趣味や得意なことが違うように、性もまた多様である。LGBTをふつうのこと、当たり前のこととして描く文学作品や映画もあるではないか。歴史的にも、少数者は弱者であり、多数派と同じ権利を獲得するには闘うしかない。強い立場にある側が進んで譲歩することなどないからである。しかしLGBTたちの闘いはいつも静かだ。そこで思い出したのがリオネル・バイエーのドキュメンタリー『パレード』。

 映像の終わりの方で、葛藤を抱える主人公(監督自身である)がパレードへの参加を決意し、保守的な人の多い街に出る。そこで流れる音楽が実に良くマッチしている。そう、サン=サーンスのピアノ協奏曲第5番『エジプト風』の終楽章なのだ。つくづく映像作家はアーティストなのだなと思わされる。

ピアノ協奏曲第5番ヘ長調《エジプト風》作品103

 シャルル・カミーユ・サン=サーンス(1835~1921年)については、一連のレクイエム作品のひとつとしてとりあげたことがある。彼が11歳でピアニストとしてパリの楽壇に登場したのが1846年。このピアノ協奏曲第5番ヘ長調『エジプト風』は、1896年、プレイエル音楽堂でおこなわれることになった、自身の楽壇生活50周年記念演奏会のためにつくられた新曲である。彼の最後のピアノ協奏曲だ。

 生来旅行が好きだったこともあり、晩年の彼は各地を演奏旅行したらしい。その経験を反映しているのか、あるいは功成り名遂げた老音楽家のゆとりのせいだろうか、この協奏曲は楽曲構成の形式的規制にとらわれることなく、主題の循環法さえ無視している。第1楽章こそいちおうソナタ形式を備えているが、第2楽章はエキゾチズムにあふれたラプソディ、第3楽章はピアノによるトッカータとでも言うべきだろうか。管弦楽をバックに、その隙間を飛び跳ねるかのように進行し、自由奔放な名人芸が姿を表す。古典音楽の外枠を取り払ったからこそ可能になった伸びやかで生き生きしたリズムと色彩の洪水である。

 ああ、そうなのか。男とか女、外観を含めた形式に縛られず、枠を打ち破ることで、音楽同様、人間はもっともっと自由になれるのだ。リオネル・バイエーが『パレード』の終盤にこの曲を持ってきたのは、そうしたメッセージを含めてのことだろう。そうではなく、あれが偶然の産物であるなら、この曲の本質を本能的に嗅ぎ分けていたことになる。うーん、やはりアーティストってすごいものだ。これはピアノによる自由の謳歌、自由の讃歌にほかならない。


::: C D :::

 人気の曲でもあるから、それなりに録音は豊富だ。これまで聴いた中でハズレはなかったから、お好きなものを選んでもらってかまわない。ここでは二つ紹介しておこうと思う。

 パスカル・ロジェ(1951年〜)はフランス物を得意とするシャルル・デュトワとの共演。ジャン=フィリップ・コラール(1948年〜)はピアニストでもあるアンドレ・プレヴィンのサポートを受けた演奏。

 私の感じるところでは、ロジェはハイドンやブラームスなどのドイツ物も得意としているが、やはりサン=サーンス以後、フォーレ、サティ、ドビュッシー、ラヴェル、プーランクと言った、フランス近代から現代のピアノ曲がすばらしい。コラールもまた、フォーレ、ドビュッシー、ラヴェルら近代フランス音楽を得意とするピアニストだが、ムソルグスキーやラフマニノフなどの演奏が世界的に評価されていることは、わが国でまあまり知られていないようだ。ロジェとコラール、二人のフランス人に共通するところと異なるところを聴き比べるのが楽しい。

 共演はどちらも同じロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団であるが、デュトワ(1936年〜)は色彩豊かな音作り、プレヴィン(1929年〜2019年)は陰影の濃い表現を聴かせてくれる。こちらも聴き比べを楽しんでほしいところだが、カップリングの曲で選ぶのも良いだろう。

1)ロジェ盤

収録曲
1.ピアノ協奏曲第4番ハ短調 作品44

2.ピアノ協奏曲第5番ヘ長調『エジプト風』作品103

独奏:パスカル・ロジェ(ピアノ)
指揮:シャルル・デュトワ

演奏:ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1978年


2)コラール盤

収録曲
1.ピアノ協奏曲第3番変ホ長調 作品29

2.ピアノ協奏曲第5番ヘ長調『エジプト風』作品103
3.ウェディング・ケーキ(カプリス・ワルツ) 作品76
4.アフリカ幻想曲 作品89

独奏:ジャン=フィリップ・コラール(ピアノ)
指揮:アンドレ・プレヴィン
演奏:ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1986年(1-2)、1987年(3-4)


(しみずたけと) 2024.1.7

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古謝美佐子の《 童神 》


 今やウチナー・ミュージックの重鎮ともいえる知名定男(1945年〜)のプロデュースで1990年に結成されたのがネーネーズだった。メンバーを入れ替えながら、現在でも第六世代が変わらずに活躍している。とはいえ、初代ネーネーズのインパクトは大きく、音楽界のレジェンドと言っても差し支えないだろう。様々なミュージシャンとのコラボや世界ツアーなど、沖縄音楽の認知度を高め、その後の沖縄ブームに大きな貢献をしたのは間違いない。

 その初代ネーネーズの一員だった古謝美佐子(1954年〜)が独立し、初のソロアルバムとしてリリースしたのが、ここで紹介する《天架ける橋》である。収録曲はどれも魅力的だが、中でも1997年にシングル盤がリリースされた「童神」は大ヒットとなった。初孫誕生の前に書いた詞に、音楽プロデューサーの佐原一哉(1958年〜)が曲をつけたものである。

 独特のリズムとウチナーグチ(沖縄言葉)の歌は、本土の人間にはややとっつきにくいところがあるものだが、子守唄を思わせるこの歌は、誰にでも聴きやすく、また歌いやすい。ヤマトゥグチ(本土言葉)バージョンもつくられ、夏川りみ、山本潤子、加藤登紀子など、多くの歌手がカバーしている。NHKの連続テレビ小説『ちゅらさん』の挿入歌としても使われたことを記憶している人もいることだろう。

 憲法集会に参加したことがあれば、一度や二度、古謝美佐子の生歌を聴いたことがあるに違いない。その中に「童神」があったかどうかは失念してしまったが、一年の終わりを静かに迎えるのにふさわしい歌ではなかろうか。

::: 歌詞 :::

童神
https://www.uta-net.com/song/302921/


::: C D :::

《 天架ける橋 》

収録曲
1. サーサー節
2. 橋ナークニー~夢かいされ
3. 天架きる橋
4. 童神
5. すーしーすーさー
6. やっちー
7. 恋ぬ初み
8. 家路
9. 恨む比謝橋
10. ヒンスー尾類小
11. 天架きる橋Ⅱ


(しみずたけと) 2023.12.28

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暮れゆく一年に…


 今年も足早に一年が過ぎていった。楽しいことがなかったわけではないが、つらい話を耳にすることの方が多かったような気がする。今年に限らないことだが…。

 暮れゆく一年に思いを馳せながら聴く音楽は…と。そうだ、《四季》にしよう。バロック音楽の巨匠アントニオ・ヴィヴァルディ(1678~1741年)のヴァイオリン協奏曲ではない。ピョートル・チャイコフスキー(1840~93年)のピアノ曲である。

 ロシアの詩人による一月から十二月の風物を描いた12の詩をもとにして書かれた作品。詩に曲がつけられているわけではなく、あくまでも曲想を得るために、詩をモチーフにしただけ。映画などでも使われたりしている。十二曲中、八曲が長調、四曲が短調。明るくカラフルなヴィヴァルディの《四季》とは対照的だ。いかにも陽光降り注ぐ南欧的なヴィヴァルディに対し、こちらは木々や草の緑も淡く、冬はモノトーンといった趣で、寒い国の静けさが漂う。各月の表題と元になった詩の作者を記しておく。

1月 炉辺にて(アレクサンドル・プーシキン)
2月 謝肉祭週(ピョートル・ヴィャゼムスキー)
3月 ひばりの歌(アポロン・マイコフ)
4月 松雪草(アポロン・マイコフ)
5月 白夜(アファナシ・フェート)
6月 舟唄(アレクセイ・プレシチェーエフ)
7月 草刈人の歌(アレクセイ・コリツェフ)
8月 収穫(アレクセイ・コリツェフ)
9月 狩り(アレクサンドル・プーシキン)
10月 秋の歌(アレクセイ・コンスタンチノヴィッチ・トルストイ)
11月 トロイカ(ニコライ・ネクラーソフ)
12月 クリスマス(ヴァシリ・ジューコフスキー)

 各月の表題を見てもらえばわかると思うが、《四季》という題になにか違和感を感ずる。四季という言葉から、私たち日本人は春夏秋冬の四つの季節、たとえば若葉が萌え出る春、夏の暑さ、紅葉の秋、雪に閉ざされる冬を思いうかべたりするが、副題である「十二の性格的小品」から、この曲が十二ヵ月のそれぞれの性格を音で描いたものであることがわかる。

 気候変動のせいか、ただ暑いだけの単調な夏が続くかと思えば、いきなり夏から冬になったりと、季節感は薄れるばかりの今日この頃である。それにともなって、昔からの行事などの風物詩も、私たちの日常生活とは一致しなくなっているのではなかろうか。この曲を聴きながら、懐古趣味的に「むかしは良かったなー」などと嘆息するのではなく、「このままで本当に良いのか」と自問自答したいものだ。


::: C D :::

1)アシュケナージ盤

 よく知られた曲だし、録音もそれなりにある。演奏会の曲目としてはどうなのだろうか。ここではウラディーミル・アシュケナージ(1937年〜)の演奏を聴いてもらおう。抜群の技巧を誇る人だが、それをひけらかすこともなく、過度の感情移入も避け、淡々と聴かせてくれる。とはいえ、BGMとして聴き流すのではあまりにももったいない。現在は指揮者としても活躍しているが、主要なピアノ曲はすべて録音しているのではないかと思うくらい、20世紀を代表するピアニストの一人である。

収録曲
1.18の小品 作品72から第5曲「瞑想曲」

2.6つの小品 作品51から第2曲「踊るポルカ」
3.情熱的な告白
4.18の小品 作品72から第3曲「やさしい非難」
5.18の小品 作品72から第2曲「子守歌」

6.四季 作品37

演奏:ウラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)
録音:1998年


2)スヴェトラーノフ盤

 こちらはアレクサンドル・ガウク(1893〜1963年)によって管弦楽のために編曲されたものだ。元のピアノ版よりもさらに録音が少ない。ガウクの編曲は、ツボにはまっているというか、まるでチャイコフスキー自身が作曲したかのような見事さだ。重厚な曲が得意なエフゲニー・スヴェトラーノフ(1928〜2002年)だが、ここでは軽やかで小気味の良い音作りをしている。そういえば、スヴェトラーノフの指揮法の先生はガウクであった

指揮:エフゲニー・スヴェトラーノフ
演奏:ソビエト国立交響楽団

録音:1975年


(しみずたけと) 2023.12.22

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グレツキの《嘆きの歌の交響曲》


 この曲は、ポーランドの作曲家ヘンリク・グレツキ(1933〜2010年)によって作られた。1976年の作品だから、現代音楽の範疇にあるといえるだろう。現代音楽と聞くと、なにやら難しい、斬新すぎてわかりづらいものを思い浮かべがちだが、この曲はそういった類ではない。

 グレツキはポーランド南部、オーデル川に近いチェルニツァに生まれた。かつてドイツ領だった頃はシレジアと呼ばれていた地域に属する。

 初期のグレツキは、不協和音を多用するなど、音によるアナーキズムとでも呼べそうな、非常に前衛的な音楽に傾倒していた。交響曲第1番などはその典型であろう。しかし、音楽に宗教性を打ち出すようになってからは、調性的側面を重視し、現代音楽としてはわかりやすいものへと変貌していった。この交響曲第3番は、そうした彼の変革期の到達点ともいえる作品である。

 とはいってみたものの、オーケストラとソプラノ独唱によるこの交響曲は、交響曲のセオリーからはかなり逸脱している。三楽章構成であり、すべての楽章がレント、非常にゆっくりしたもので、楽章間に緩急がないことなどが特徴である。しかし、古典から現代に至る様々な様式、三和音やオクターブ、私たち日本人には馴染み深いペンタトニックなどが散りばめられ、そのことが「聴きやすさ」を生み出しているのだと思う。

 第1楽章で歌われるのは、15世紀に書かれた、ポーランド南部の町オポーレの民謡。「我が愛しの、選ばれし息子よ、汝の傷をこの母と分かち合いたまえ…」。我が子イエスをなくした聖母マリアの嘆きを歌う哀歌である。

 第2楽章は、今やリゾート地として知られるポーランド南部のザコパネにあったゲシュタポ収容所の独房の壁に少女が走り書きした、「お母さま、どうか泣かないでください。汚れなき聖母様、いつも私をお守りくださいませ…」で始まる。すべての壁という壁には何かしら書かれていた。「出せ〜!」「オレは無実だ!」「死刑執行人のヤロー!」等々、みな大人たちの言葉である。それにくらべ、この少女の祈りはどうだ。泣いたり絶望したりすることなく、さりとて復讐を求めているのでもない。


 第3楽章の歌詞は、第一次大戦後のシレジア蜂起で、ドイツ軍に息子を殺された母親の嘆きである。「わたしの愛しい息子は何処に?」と歌う、シレジア民謡からとられたものだという。つまり、第1と第3楽章は子を亡くした親の、第2楽章は親と離ればなれになった子の立場から歌われた、子への母性、親への思慕、そして苦悩である。

 グレツキはこの曲を妻のヤドヴィガ・ルランスカに捧げた。歴史的な出来事や政治への応答とするつもりがなかったのなら、この曲の内包するメッセージは何だろうか。親子、特に母親と子どもの絆かもしれない。1960年代、ホロコーストにかかわる音楽を依頼され、彼自身もアウシュヴィッツをテーマにした作品を作ろうとしたようだが、完成させたものはひとつもない。彼は次のように語っている。

 私の家族の多くは強制収容所で亡くなりました。祖父はダッハウで、叔母はアウシュヴィッツで。ポーランド人とドイツ人の関係はご存知だと思います。しかし、バッハもシューベルトもシュトラウスもドイツ人でした。誰もがこの小さな地球上で、それぞれの立場を持っています。そのことが背後にありました。この曲のテーマは戦争ではありません。「怒り」ではなく、ありきたりの悲しみを歌った交響曲なのです。

 初演では否定的な反応が多く、決して芳しいものではなかった。ひっぱり出された古い民謡を延々と一時間弱も引きずっているだけというのである。本当かどうかわからないが、終わり近くでイ長調和音が21回くり返されるのを聴いたピエール・ブーレーズ(1925〜2016年)が「バカバカしい!」と叫んだと伝えられている。


 その一方、名優ジェラール・ドパルデュー(1948年〜)とソフィー・マルソー(1966年〜)が共演したモーリス・ピアラ(1925〜2003年)による1985年のフランス映画『ポリス』の中で、本作の第3楽章の一部が使われている。なぜか日本では上映されなかったようだが、サウンドトラックの売れ行きが好調だったというから、本国ではそれなりの人気があったのだと推測される。

 また、英国ではグダニスクの造船所で始まったポーランドの《連帯》を支援する人たちが、この曲をコンサートや映像作品の中で使ったということだ。耳目を集めるようになったのは、現実の政治とは一線を画すという作曲家の思いから離れて、かなり政治的な背景があったといえそうである。しかし、グレツキ自身が《連帯》を支持していたこともまた事実である。

 そうした状況の中でミリオンセラーとなったのが、このジンマン盤なのだ。米国の著名な音楽評論家マイケル・スタインバーグ(1928〜2009年)は、1998年、次のように問いを投げかけている。「みんな本当にこの交響曲を聴いているのかね?この曲のCDを買っている人の中で、理解できない言語で歌われる54分間の非常にスローな音楽が、自分の期待を上回る代物であると、本気でそう思う人がいったいどれだけいるのだろうか?」と。彼はノーベル賞作家ボリス・パステルナーク(1890〜1960年)―ソ連当局の圧力で受賞を辞退しているが―の小説『ドクトル・ジバゴ』を引き合いにして、「みな競うようにしてこの本を買ったものの、読むことができた人はほとんどいなかった。それと似ている」というのだ。

 なるほどども思う。ポーランド語の歌詞がわかる人は少ない。私の場合も、ポーランド人の友人―来日した映画監督のアンジェイ・ワイダ(1926〜2016年)や民主化運動を牽引したレフ・ワレサ(1943年〜)の通訳を務めた人物である―の助けがあるからこそ、どうにか意味をとれるだけだ。緩急も盛り上がりもない音楽は、確かにBGM的ではある。ベートーヴェンの交響曲のように、コンサート会場で襟を正して聴く音楽とは少し違うかもしれない。しかし、歴史を俯瞰し、政治を複眼的に見ることで社会のあり方を考えてきた者として、心に響くというか、突き刺ささるというか、訴えるようなメッセージが静かに伝わってくるのだ。作曲家本人の意思が、先に書いたとおりであるとするなら、それとは相容れないことかもしれないが。

 なお、スタインバーグの出自を、ひとつだけ書いておこう。彼はワイマール共和制時代のドイツ、ブレスラウの町に生まれた。第二次大戦後、ここはポーランド領となり、現在はヴロツワフと呼ばれている。グレツキとスタインバーグ、二人の出身地がシレジアなのは全くの偶然だろうが、なにか因縁めいたものを感ずるのは私だけだろうか。


 いま、ガザから、ウクライナから、ミャンマーから、アフリカの各地から、世界のいたるところから、子どもを奪われた母親たち、親を探す子どもたちの嘆きが聞こえてくる。私たちは何をなすべきなのか。次は自分たちに起こることかもしれない。そんなことを思う。


::: C D :::

交響曲第3番『嘆きの歌の交響曲』

指揮:デイヴィッド・ジンマン
演奏:ロンドン・シンフォニエッタ
独唱:ドーン・アップショウ

録音:1991年


(しみずたけと) 2023.12.7

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