ロンドンの墓地・・・

 「聖オラーフ教会とディケンズ」を読んでいたら、なんと、“The Uncommercial Traveller”の日本語訳のことが出ていた! 恥ずかしながら、この本の出版を今まで気づかずにいた。邦題『逍遥の旅人』、6,000円+税とは、けっこう高いなぁ…。ま、あまり買う人もいないだろうし、翻訳の手間と労力を思えば、不当な値付けでもあるまい。とりあえず図書館で借りてみた。どうせ後で欲しくなって買うことになるのだろうけれど…。

 所蔵する図書館は限られている。CiNiiで調べると、47の大学図書館にあるようだ。いや、47しかないと言うべきか。八王子市の図書館にも、やはりない。ILLで取り寄せを依頼したら、都立中央図書館のものが手配された。425頁というボリューム。私のThe Oxford Illustrated Dickensシリーズの本文が362頁であることを考えると、よくぞコンパクトにまとめたものだと感心する。

 commercial=商用だから、uncommercial=非商用。それではつまらないから、題名を“逍遥の…”と洒落てみたと訳者。それはいいだろう。書物でも映画でも、原題を単に片仮名にしただけの、なんのことかわからないタイトルが横行している今日である。それに対するアンチテーゼであるか否かは置いておくとして。

 訳したのは田辺洋子氏。広島経済大学の教授である。私は読んでいないのだが、ディケンズの著作をかなりたくさん翻訳している。この本を読んでいると、文体、言葉の選び方、読む時のリズム感が心地よい。やはり人文の先生は違うなぁ。社会科学が専門の先生ときたら、この人たちの母語は日本語なのだろうかと思わざるを得ないような文章に出くわすことがままある。悪文を読み慣れると、自分もそうなりそうで怖い。

 The Oxford Illustrated Dickensシリーズにくらべ、底本となったDent版は挿絵が多いらしく、それだけでも嬉しいことだ。一方、気になったことがないわけではない。第9章にホイッティントンの名前が出て来る。それが第23章ではウィッティントンになっている。訳したタイムラグが大きかったのだろうか。それとも別の人が訳したのであろうか。院生が手分けして下訳し、先生が文体を整えてまとめの作業をすることは珍しくない。しっかりした院生を持たないことにはできないことであり、ある意味、うらやましくさえある。

 外国の人名、地名のカナ化には悩まされることが多い。英語はまだ良い方だが、英国の人名や地名の中には、独特の読み方があって難儀することが少なくない。アルファベットを正確に仮名表記するのに限界があるのは致し方ないことだ。あるところに行こうと、片仮名で書かれた地名を発音しても通じない。そういう経験をした人もいるだろう。元の綴りを想像できないこともある。そうなると、地図で調べることもままならない。だから私は、地名や人名には元のアルファベットを添えるようにしている。

 もうひとつ、教会の名前が聖○○だったりセント・○○となっていたり、どちらかに揃えた方が良かったのではないだろうか。こういうことが気になるのは、墓地への好奇心やシティの教会を訪ね歩いた経験のせいなのだろう。好事家、好き者、オタクと呼ばれても仕方あるまい。

 ディケンズの時代のロンドンの墓地の凄まじさと言ったら…。しばしば引き合いに出されるのが、小説『荒涼館』の描写である。メイドを装ったデッドロック夫人が、浮浪児ジョーに案内され、かつての恋人の埋葬場所を訪ねる場面。現在はTavistock Streetになってしまっているが、ここにあった建物をくぐり抜けた中庭がモデルになっている。

 St. Mary-le-Strand 教会の埋葬スペースがいっぱいになり、ここに飛び地的な埋葬場が設けられた。Russell Court Burial Groundと呼ばれ、Basil Holmes女史の1896年の著書“The London Burial Grounds: Notes on Their History From the Earlier Times to the Present Day”には、430平方ヤード(360平米、約109坪)の広さで、1853年に閉鎖されたと記されている。

 私は『荒涼館』を、原著と青木雄造・小池滋の訳で読んだが、ディケンズの作品の中でこれが一番好きである。田辺洋子氏が新訳を出しているので、次はこれでも読むとするか。

(しみずたけと) 2023.4.2

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聖オラーフ教会とディケンズ


Church Bells of Englandというタイトルの12月のブログ記事からちょっと引用してみる。”聖オラーフ・ハート・ストリート教会は文豪チャールズ・ディケンズの作品に登場、稀代の日記作家サミュエル・ピープスの墓所があるのもここ”。

チャールズ・ディケンズ!? ん、ん、ピピッ! わたしのアンテナが反応する。ディケンズがロンドンの聖オラーフ・ハート・ストリート教会についてどのように触れているのだろうか。行ったことはおろか、名前すら聞いたことのなかった教会にもかかわらず、なぜか気になる。

特にディケンズの愛読者ということでもないが、彼のいくつかの小説から1800年代半ばのイギリスの世相をほの知った。労働者階級の少年主人公が苦難の道を歩む物語だったりする。ハッピーエンドなのがうれしいところだ。好きなのは「大いなる遺産」と言っておこうか。

話しの本筋にもどろう。聖オラーフ教会(=聖オラーフ・ハート・ストリート教会)が描写されている本の題名は The Uncommercial Traveller とのこと。Uncommercial とは面白い響きのことばだ。Commercial Traveller といえば、普通には「巡回行商人」とでもいうのだろうか。(富山の薬売りだ!)Uncommercialが「商売目的ではない」「商売に関係がない」という形容詞なら、ビジネス目的でなく(または、単に目的なく)旅をする人のことなのだろうか。ディケンズは晩年は自身の著書の朗読会のために国内ばかりでなく外国にも頻繁に旅行したという。わたしはこれは商用でもありそうだなあとは思うのだが。

ディケンズ(1812-1870)は小説を書き始める前は新聞記者や雑誌を発行するジャーナリストだった。さまざまな社会のできごとに敏感だったのだろう。The Uncommercial Traveller は自身で発行していた雑誌に1860年から65年に掛けて散発的に掲載していたエッセイを集めた本の題名である。短編37編が収められている。実際に取材した事件、イギリス国内で見聞きしたさまざまな場所や職業の人々、フランスやイタリア、果てはアメリカへの旅先での見聞が事実と脚色とで綾模様を成している。(『ドクトルまんぼう航海記』を彷彿させる。)The Uncommercial Traveller というタイトルを思いついたのは、1859年に当時名誉会長を務めていた the Commercial Travellers’ School in Londonにおいて行なった講演かららしい。ちょっとしたシャレだろうか。


さてさて、再び、聖オラーフ教会の話しにもどろうか。この教会がどのエッセイの中で触れられているのか不明だったため、37篇の内、それらしい題名を当たってみた。ひとつめと二つめ『シティ・オブ・ロンドンの教会』『夜の散策』はハズレだった。三つめが当たり。『不在者の街』というタイトルのエッセイだ。

不眠症に悩まされていた作者は身体を疲れさせることが目的で夜な夜なロンドンを巡る。ある雷雨の夜、タクシー(辻馬車)を駆ってこの教会の前に来る。そして、教会敷地への入り口ゲートの上部を飾る三つの髑髏を見やる。

https://www.britainexpress.com/London/st-olave-hart-street.htm

ディケンズは、この教会のみならず、複数の他の教会の描写にも実際の教会名は記していない。けれども、読者が実在の教会を推察するのは容易らしい。ディケンズは聖オラーフ教会を「聖・ぞっとする薄気味わる~」、彼のことばでは St.Ghastly Grimと名付けている。この髑髏と骨のレリーフゆえだろう。と言っても、ディケンズはこの髑髏を嫌悪していたのではなく、大のお気に入りだった模様。愛称のつもりだろう。彼は髑髏たちがその空洞の眼で門をくぐる人々をじっと見ていると感じていた。

シージング小路にあるこの門は1658建立

日記作家として名高く、海軍幹部でもあったサミュエル・ピープス(1633-1703)はこの教会に通い、死後ここに埋葬された。1665年から1666年に掛けて20万人のロンドン市民が死亡したと推定されている腺ペストが流行した。ピープスはその流行期にロンドンに住んでいた人である。(国王含め他の多くの金持ち同様、疎開した可能性はある。)彼の日記は1666年9月にあったロンドン大火などを知る際の貴重な資料ともされている。腺ペストはこの教会近辺から始まり、1665年に300人ほどがここに埋葬されたという。埋葬者名簿にはペスト死者は「p」と記されている。(pestのpでなく、plagueのpとのこと。)名簿の中にはこの疫病をこの国に最初に持ち込んだといわれるメアリー・ラムゼイも含まれている。

https://www.thehistoryoflondon.co.uk/st-olave-hart-street/2/

聖オラーフ教会はロンドン大火では焼失を免れたものの、第二次世界大戦中、ドイツ軍による4回の直撃を受け損壊した。それでも、構造は残っていたため、戦後には15世紀の姿にまで修復された。

ところで、「♪ロンドン橋落ちた、落ちた、落ちたー」という子どもの遊び歌をご存じだろうか。聖オーラフ教会と因縁があるという。

さて、このエッセイ集 The Uncommercial Traveller には奇妙な人たちが続々と登場する。「奇妙な」ということばは当たらないかもしれない。「異様な」だろうか。作者本人も夜な夜な街をうろつくことを思えば、異様であるかもしれないのだが...。例えば、聖オラーフ教会を描写したものではないのだけれど、礼拝に訪れた人を描いている箇所がある。老人と幼い女の子の二人連れ。女の子はひとことも発せず、礼拝席のベンチの上に立ち(座るのでなく)、老人はその子に飲み物を支え持ってやりながら、立ったまま、説教壇に背を向けて礼拝堂の出入り口を凝視している。何のために凝視しているのかは不明である。これはほんの一例で、不思議な行動をする人たちだらけである。わたしが現代人の感覚でそう思っているだけということでなく、同時代の作者自身、 訳が分からないと言っている。


『逍遥の旅人』という訳書についても触れておきたい。訳者のあとがきのそのまた最後の部分に、訳書のタイトルを付けるにあたって、原題がUncommercial =「商用でない」から「逍遥」の旅人と洒落てみたと書いてある。それってアリかぁ。

とにかく、この本には難儀した。ことばの用い方がやっかいなのだ。たとえば、「漸う」という古風な言葉遣い、このことばは珍しいほどではないとしても、古臭いのは確かだ。ほかには、単に「わからない」というところを「小生には解せぬ」という。全編に渡ってこのような古風な(=古臭い)言葉遣いがなされているからうんざりしてしまう。1850年頃の英国の知識階級の男性はもし日本語だったら、このような話し方をすべきであるという訳者の意向なのだろうか。わたしとしては首をひねるけれど、わたしがディケンズやイギリス近代文学の何を知っているわけでもない、ここはディケイジアンに敬意を払っておくべきか。

さらに(わたしにとって)不都合なことに、読めない漢字だらけだった。意味はおおよそわかるため、漢字の読みは推測して進むしかない。いちいち調べていたら、日が暮れる。わずか2、3ページに以下のことばが...あーあ。

嬲る《なぶる》
叫ぶ《おらぶ》
悴んだ《かじかんだ》
労しそうに《いたわしそうに》
嫋やかな《たおやかな》
色取り取りの形《なり》なるバター
神さびた《かみさびた》
饐えた《すえた》上からボロボロに崩れた焼き菓子
捩くりこむ《よじくりこむ》
毳っぽさ《けばっぽさ》
獄もどき《ひとやもどき》
蓋し《けだし》

言葉遣いが難儀、漢字が難儀で、全37篇の内、たったの5編しか読み終えることができなかった。1編は10ページほどでしかないというのに...。タイム・リミット。読むのが辛いとは言え、内容にはなかなか興味をそそられただけに残念なことだった。あとは英語版をぼちぼち読んでいくとするか。

ただ、イギリスに育った人なら多くの人が知っているであろう知識を欠いているために英語版には理解できないことばが多い。昔のロンドン市長の名前だとか、歴史的事件や有名人の警句(または、そのもじり)、童謡の歌詞だったり。訳書にはそれらの注釈が巻末にかなりのページを割いて列挙されていてたいそう参考になった。

※英語版はパブリック・ドメインのため、あちらこちらのサイトから無料でダウンロード可能。田辺洋子訳「逍遥の旅人」はいくつかの図書館が所蔵している。


Ak.  2023.3.3

メルケル首相【憎悪表現】に決別

ミネアポリスでの警官による人種差別殺人に呼応してか、去年2019年11月に連邦議会でメルケル首相が行った力のこもったスピーチが、2020年5月、6月の今、再び注目を浴びています。はっきりとはわかりませんが、Pablo Perezという人が演説の一部を切り取って5/29にツィートしたのが発端のように見えます。Pablo Perez Armenteros はベルギー在住のジャーナリストで、EUのソーシャルメディア部門の長をしていた人とのことです。

その後、カナダで30年間人気のニュース番組のアンカーを務めたPeter Mansbridgeが追随しています。

この下の動画がそうです。ドイツ議会ですから、ドイツ語で演説していますが、動画内に英訳が付いています。

ほれぼれします!

We have freedom of expression in our country.

For all those who claim that they can no longer express their opinion, I say this to them: If you express a pronounced opinion, you must live with the fact that you will be contradicted. Expressing an opinion does not come at zero cost.

But freedom of expression has its limits. Those limits begin where hatred is spread. They begin where the dignity of other people is violated.

This house will and must oppose extreme speech. Otherwise our society will no longer be the free society that it was.

この国には確かに表現の自由はあります。

最近は自分の言いたいことをを自由に表明することができなくなってしまったと主張する人々に言っておきたいです。:断固たる主張をするならば、反論されうるということも覚悟していなければなりません。意見を表明するには代償を支払わなければならない場合があります。

確かに人は自分の意見を自由に表明できますが、その自由には制限があります。憎悪が拡がるのを制限する必要があるからです。人の尊厳が傷つけられることがないようにしなければなりません。

国会は過激な憎悪言動(ヘイト・スピーチ)に反対しなければなりません。でなければ、ドイツ社会は、かつてそうであったような自由な社会とは言えなくなるからです。」(訳 こじま)

※かなり意訳しています。内容が損なわれていないと良いのですが。

※この動画は、もともと、DW ドイッチェ・ヴェレ(ドイツの放送局)が放送したもののようです。


この下の動画は上のと同じスピーチです。他の議員の反応など、全体の様子が見られます。(ドイツ語のみ)

https://youtu.be/zfij-OWie0w

この動画はRUPTLYというベルリン拠点のビデオ・ニュース・メディアが配信しています。RUPTLYは RT (旧Russia Today)の一部門で、内容的にはロシア政府から独立しているとは主張しているものの、ロシアのNPOテレビ局が単一株主になっているとのwikiの情報です。それが理由かどうかわかりませんが、この動画のぶら下がりには「メルケル、最悪!」などの否定的書き込みがどっさり見られます。

こういうリーダーがいることがほんとにうらやましい!


HPの映画紹介ページに「女は二度決断する」という映画があります。

司法と行政が正しく機能しないと 女は二度決断する 2017年・独

トルコ系の夫と小さい息子を若いネオナチ夫婦に爆弾テロで殺されたドイツ人女性が法廷で戦うドラマです。題名の「二度決断する」の意味はよくわかりません。主人公は司法はあてにならないと絶望し、自分で動き始めます。一度目は実行を躊躇し、二度目に成就するところから付けられている題名かと想像しますが、この映画の主題はそこじゃありません。

ドイツ語の原題 Aus dem Nichts は「何もないところから」、「いわれなく」です。「(殺される)理由は何もないのに」という意味だと思います。 人種が違うだけです。

ドイツのトルコ人移民は1961年に政府が労働力不足を補うためにトルコなど近隣諸国からの移民を奨励したことから始まりました。今や300万人が暮らしていると言われます。4世が誕生していることでしょう。トルコ人は、今や、ドイツ人がいやがった職業に就労しているだけでなく、他のさまざまな職業に従事しています。移民統合政策に舵を取って来た政府の功かもしれません。日本に住む人が想像することができないほど、トルコ人はドイツ社会に深く根を下ろしています。

けれども、2015年から始まったシリア難民の大量受け入れを機にドイツ社会で外国人排斥が表面化して来ました。昨秋(2019年)の各州議会選挙で極右政党のひとつAfD (ドイツのための選択肢) が議席を増やしたのはまだ記憶に新しいことです。

当のドイツにおけるトルコ人社会も排斥を目の当たりにして、エルドアン政権に拠り所を求めたりするようになっているようです。もともと、ドイツでのトルコ人社会の結束は強いものであり、若い人ですら、自分の祖国はどちらであるのか模索している人が多いと聞きます。

同じく「映画の紹介」ページにて紹介している映画

「みんないっしょ」の陶酔感  THE WAVE ウェイヴ 2008年・独 の中で、

高校生の同級生仲間が「ぼくらドイツ人は」と発言した時に、「ぼくはトルコ人だけど」と言っていたのが興味深かったです。この映画のテーマは人はなぜ独裁を許してしまうのかです。それを学ぶために始めた高校の授業と生徒たちの反応が描かれる物語です。

人々の憎悪は新たな難民にだけでなく、これまで社会に深く根を下ろしてきたトルコ人社会にも向けられてきているようです。それが、上に書きました映画「女は二度決断する」の背景です。

ただ、コロナ禍の中、人々の目は現政権のリーダーシップに向けられ、AfDなどの極右勢力は力を失いつつあるというニュースを見ました。良い兆候です。メルケルなくしてこの状況が生まれたかどうかは定かではありませんが。

さて、この国でわたしたちがやるべきことは?

Ak.

「医療現場の現実を、知ってもらいたいのです」

2020年4月18日 20時00分配信  J-CASTニュース
(J-CASTニュース編集部 青木正典)

「私たち医療従事者も、ストレスや恐怖に我慢して戦っています。お願いします。皆さんはぜひ、我慢と闘って、我慢してください」。公益社団法人神奈川県医師会が、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関する「お願い」のメッセージを発信している。それは、医療現場の実情と、テレビなど一部報道で繰り返される主張への疑問、そして今、人々はいかに行動すべきかを伝えるものだった。約3000字にわたる切実な訴えは、インターネット上で「県民だけでなく、全国民に読んでいただきたい」との声があがり、数多くの人の心に届いている。

クルーズ船の停泊地となり、新型コロナウイルスによる国内初の死亡者が確認され、医療従事者への差別もクローズアップされることになった神奈川県。だからこそ思った。「最前線の現場で本当に起きていることを、皆さんに知ってもらわないといけない」。J-CASTニュースは2020年4月14日、この「お願い」を書いた宮川政昭・神奈川県医師会副会長に、詳しく話を聞いた。

「本当の専門家がいません。本当は誰もわからないのです」

県医師会は公式サイトで7日、「~神奈川県民の皆様へ~(神奈川県医師会からのお願い)」と題した会長名義のメッセージを公開した。同会が続けている「かながわコロナ通信」の発信の1つだ。こんな言葉で始まる。

「連日の報道で、親も子供もストレスで大変ですとマスコミが取り上げています。だから、ストレス発散のために、外出したいという気持ちもわかります。爆発的な感染拡大に若い人たちに危機感はないのは当然かもしれません。若い人は感染しても比較的軽症ですむとの報道があるからです。しかし現実は違います。若い人でも、重症化して一定数以上は死亡するのです。現実を見つめてください。

もし、自分の知り合いの人がコロナ感染症で亡くなられたらきっと哀しいはずです。そして、亡くなった人にうつしたあなたが、入院せずに軽度ですんでも本当に喜べるでしょうか。不用意に動き回るということは、その可能性を増やしてしまうことなのです。今は我慢する時なのだということを、ぜひ理解してください。出来るだけ冷静に、そして自分を大切に、そして周囲の人を大切に考えてください。」

新しく、未知の新型コロナウイルスには「本当の専門家がいません。本当は誰もわからないのです」という前提があり、それゆえ「過去の類似のウイルスの経験のみですべてを語ろうとする危うさがあります」として、こう指摘する。

「専門家でもないコメンテーターが、まるでエンターテインメントのように同じような主張を繰り返しているテレビ報道があります。視聴者の不安に寄り添うコメンテーターは、聞いていても視聴者の心情に心地よく響くものです。不安や苛立ちかが多い時こそ、慎重に考えてください。」

県医師会が重要視するのは、「実際の診療現場の実情に即した意見かどうか」だ。

「正しい考えが、市民や県民に反映されないと不安だけが広まってしまいます。危機感だけあおり、感情的に的外れのお話を展開しているその時に、国籍を持たず、国境を持たないウイルスは密やかに感染を拡大しているのです。

第一線で活躍している医師は、現場対応に追われてテレビに出ている時間はありません。出演している医療関係者も長時間メディアに出てくる時間があれば、出来るだけ早く第一線の医療現場に戻ってきて、今現場で戦っている医療従事者と一緒に奮闘すべきだろうと思います。」

「テレビなどのメディアに登場する人は、本当のPCR検査の実情を知っているのでしょうか」

報道でも繰り返されるテーマの1つに、「PCR検査」の拡大論がある。車に乗ったまま検体を採取する「ドライブスルー方式」での検査を導入する自治体も出てきている。ただ、こうした検査にも課題はある。

「医療関係者は、もうすでに感染のストレスの中で連日戦っています。その中で、PCR検査を何が何でも数多くするべきだという人がいます。しかしながら、新型コロナウイルスのPCR 検査の感度(編注:感染者に陽性の検査結果が出る割合)は高くて70%程度です。つまり、30%以上の人は感染しているのに『陰性』と判定され、『偽陰性』となります。検査をすり抜けた感染者が必ずいることを、決して忘れないでください。

さっさとドライブスルー方式の検査をすればよいという人がいます。その手技の途中で、手袋や保護服を一つひとつ交換しているのでしょうか。もし複数の患者さんへ対応すると、二次感染の可能性も考えなければなりません。

正確で次の検査の人に二次感染の危険性が及ばないようにするには、一人の患者さんの検査が終わったら、すべてのマスク・ゴーグル・保護服などを、検査した本人も慎重に外側を触れないように脱いで、破棄処分しなければなりません。マスク・保護服など必須装備が絶対的に不足する中、どうすればよいのでしょうか。次の患者さんに感染させないようにするために、消毒や交換のため、30 分以上1 時間近く必要となります。」

現場にはこうした壁がある。県医師会は「テレビなどのメディアに登場する人は、本当のPCR検査の実情を知っているのでしょうか。そして、専門家という人は実際にやったことがあるのでしょうか」と問いかける。胸部レントゲン検査やCT 検査においても同様に指摘している。

「胸部レントゲン検査やCT 検査を、もっと積極的にしないのは怠慢だという人がいます。もし、疑われるとした患者さんを撮影したとすると、次の別の患者さんを検査する予定となっても、その人が二次感染しないように、部屋全体を換気するとともに装置をアルコール消毒しなければなりません。その作業は30 分以上、1 時間近く必要となります。アルコールが不足する中、どうすればいいのでしょうか。メディアなどで主張する専門家やコメンテーターは、そのようなことを考えたことがあるでしょうか。」

「もう少し、もう少し我慢して下さい」

感染が拡大すれば、重症者も増え、医療機関のベッドは瞬く間に埋まる。それでも「今までと同じように医療は維持しなければならないのです」。そこで取り得る医療体制をこう伝えている。

「軽症の人は、自宅や宿泊施設に移って静養や療養してもらい、少しでも新型コロナ感染症の人のために、病院のベッドを空けるなどの素早い行動が必要です。そして、新型コロナ感染者の治療が終わり、社会復帰しても良いというときこそ、素早くPCR検査をやって確認し、ベッドを開けなければなりません。そのためにも、少しでも時間が必要なのです。医療機関に時間をください。コロナ感染者の増加を、少しでも緩やかなカーブにしなければ、医療は崩壊します。」

過酷を極める医療現場の実情、そして差別や偏見がある現実もつづっている。それは、医療従事者本人に限った話ではない。

「今この時も医療関係者は、コロナ感染の恐怖の中で戦っています。戦っている医療機関の医師や看護師や事務職員にも、子供や孫、そして親はいます。その愛する人たちに、うつすかもしれないという恐怖の内で、医療職という使命の中で戦っています。そして自分の子供が、バイキンと言われ、いじめにあうかもしれないという、悲しみとも戦っています。」


「実際に病院の中で重症の患者さんの治療を毎日繰り返し繰り返し治療にあたり、家に帰っても人工呼吸器の音が耳から離れず、懸命にしている立ち向かっている医師や看護師の人たちのことを想像してください。そんな恐怖といら立ちと、そしてストレスの毎日の中で生活しています。」

そのうえで読者に、現場への理解と、感染拡大防止の協力を呼び掛けた。

「わかってください。知ってください。理解してください。感染が拡大すれば、誰もが感染者になります。そのとき、偏見や差別を受けたらどんな思いをするのか、一人ひとりが賢明に考えて、不確かな情報に惑わされて、人を決して傷つけないように、正しい情報に基づいた冷静な行動をするようにしてほしいのです。まして、地域の医療機関の活動が差別意識で妨げられるようなことは、決してあってはならないことでしょう」

「もう少し、もう少し我慢して下さい。四週間、何か月いや一年以上になるかもしれません。病と闘って生きていたいと、つらい治療と闘っている患者さんもいます。生きていることだけでも幸せなのだと、ぜひ、ぜひ思ってください。安易に外出して、密集、密閉、密接のところには絶対行かないでください。あなたの行動が、新しい患者さんを作ってしまうかもしれません」

「お願いします。私たち医療従事者も、ストレスや恐怖に我慢して戦っています。お願いします。皆さんはぜひ、我慢と闘って、我慢してください。戦いは、長くてつらいかもしれませんが、みんなで手を取り合っていきましょう。」

宮川政昭副会長が語る、発信の理由

この「お願い」を編集した宮川政昭副会長はJ-CASTニュースの取材に、発信に込めた思いを語った。「もう少し優しい言葉で書きたいと思っていましたが、現場のことを思うと、強めの言葉で訴えざるを得ませんでした」。これまで神奈川の地で起きてきたことと、それに対するメディア報道の2点が、メッセージの大きな契機となっている。

「神奈川県はクルーズ船『ダイヤモンド・プリンセス号』が停泊した地であり、初期段階から新型コロナウイルスの対応を迫られていました。新型コロナの性格や対処法など、情報が非常に少ない中で対応しなければなりませんでした。クルーズ船には『JMAT(日本医師会災害医療チーム)』も出動し、県医師会員も隊員として数多く出動して対応しました。

3600人という乗員乗客に対応する時、メディアのコメンテーターからは『下船させればいいじゃないか。なぜクルーズ船に閉じ込めておくんだ』という一方的な論もありました。でも、何千人単位を完璧に移動させ、収容し、隔離できる医療施設や宿泊施設はどこにあったのでしょうか。そんな難題に対案を出しながら、批判した報道は当時見られませんでした。

『神奈川県は何をしているんだ。ゾーンを分けるべき。船内で感染が広がる』と叱られました。ただ、船内は航行中に乗員乗客が動き回っていましたから、当初ゾーンをはっきり分けることは無意味でした。感染者と非感染者とに分け、消毒を徹底し、ゾーニンクしても、無症状の潜伏期の患者がいたら、もうすでに感染性を有していますから、まさにイタチごっことなり、非常に困難な作業を迫られていました。

その後、相模原市にもさまざまな問題が起こりました。相模原の病院(編注:新型コロナウイルスによる国内初の死亡者が一時入院。その後看護師の感染も判明していた)に、差別の言動が寄せられたのです。そこに勤める女性看護師は、子どもが『バイ菌』扱いされたり、子どもの保育園から『登園しないで』と言われたり、家族が会社から『出勤するな』と言われたりしました。病院への問い合わせでは電話口で叱咤され、涙を流す事務職員もいるほどでした。病院の前のバス停に『バスを停めるな』と乗客から言われました。

医療従事者からの苦労の報告を聞くたびに、私たちもつらい思いを募らせていったのです。県医師会には相模原の先生方もたくさんおり、地域医療を支えています。今後、軽症者は病院からホテルや自宅に移ることになります。ホテルに健康管理に出動する医療スタッフも、それを支える従業員の方々も同じような思いをされる可能性があります。何とかならないかと思いました。それが、発信を始めた理由の1つです。」

「もう1つは、新型コロナウイルスの報道、特にテレビのワイドショーの論調があまりにも一方的だったためです。児玉源太郎の『諸君は昨日の専門家だったかもしれん。しかし、明日の専門家ではない』という言葉があります。この新しい未知のウイルスに、本当の専門家はいないのかもしれません。すべてのことは本当に誰もわからないのかもしれません。過去の類似のウイルスの経験で対応するしかないのは当然ですが、それのみですべてを語ろうとするのは危ういことです。それなのに、その後間違っていたとわかった事柄も訂正せずに、別の話をし続けるようなことがありました。そして専門家でもないコメンテーターが、まるでエンターテインメントのように、同じような感情的に主張を繰り返していたのです。

実際に、コメントの内容が現場状況と異なっていることが往々にしてありました。コメンテーターの方々は実際の現場に足を運んでお話をしているのかと疑問を持ちました。レポーターの画面受けする取材をもとに、ただ遠くから見て、野次馬と同じように発言しているだけのようでした。

医療現場で本当に起きていることを誰かが伝えないと、医療者も患者も多くの人々も、戸惑ってしまうのではないかと懸念しました。画面で伝えられたことに私たちも一般の視聴者のように過敏に反応し、現場に戻って視聴者と同じような反応していた自分たちを、他の医療者にたしなめられるという事態に気が付き、反省したことがきっかけの一つでした。

ですから、県医師会の皆様に『今の状況を教えてくれないか』と呼びかけ、情報を集め、県医師会の『コロナ通信』が始まりました。情報が間違いないことを確認し、まとめなければならないために、時間がかかってしまいました。私たちも発信し始めるのが遅かったと反省しています。もう1か月ほど早ければ良かったと思っています。

そのうちメディア側で情報発信の方向性を修正してくれるのではないかと願ってもいました。ずいぶん現場の声を取り上げてくれましたが、一部では同じことが続きました。これでは医療崩壊と同時に、医療者の精神的な医療崩壊が始まってしまうかもしれないと懸念しました。」

「窓ガラス越しに子どもと手を合わせただけで、また現場に戻っていく」

県内各地の医師会員に協力を仰ぎ、現場のヒアリングを丁寧に進め、情報を集約し、「お願い」を公開した。集まった現場の声はあまりにも切実だった。

「どの医療従事者にも家族もいますし恋人もいます。現場で医療行為をした後、どんなに体を清潔にして、感染しないように心がけても、一抹の不安は残ります。今でも聞きます。『家に帰っても自分の子どもが感染しないか心配です』と。だから、窓ガラス越しに子どもと手を合わせただけで、そしておどけた姿を見せて子供が笑ってくれた喜び、また現場に戻っていく。『スマホでは子供のなまの反応を確かめられない』と医療者は語りました。もちろん家族に会って、子供の顔を見て、一緒に温かい物を食べる医療者もいます。それでも『ぎゅっと抱きしめることはできなかった』という声が寄せられます。そういう医療従事者が実際にいるのです。本当に切実です。

JMATでクルーズ船に入った人が、防護服などで完全防備した状態で動くと、1日動き続けることは難しかったと振り返る。装備で息がしづらく、半日で苦しくなります。クリーンな所に行ってやっとマスクを緩められます。それでもまた現場に帰っていきます。実際に脱落しそうになった医師もいます。そんな時、同僚に『ごめんなさい』と謝るんです。一瞬の気の緩みで間違いを起こすかもしれないというギリギリの緊張感の中で対応していました。

医療従事者は『3密(密閉・密集・密接)』を避けられません。通常の日常診療では、患者さんと日々接し、聴診器で胸の音を聞き、腹痛があれば触診します。こまめに消毒したり、マスクをきつめに締めたり、できる限りの感染対策は当然尽くします。ですが、そのための医療物資も本当に足りません。マスクが足りません。アルコールも足りません。そして緊急時に使用する防護服(服とフェイスシールド)もありません。

そういう情報が集まってきました。本当のことを皆さん知ってもらわないといけないと思いました。もし医療従事者が戦線離脱してしまったら、医療のパワーが落ちます。現場の実情を伝えられれば、読んでくださった皆さんと医療者、みんなの連帯感が出てくるのではないかと思いました。そのことで、新型コロナウイルスと闘っていくことができるのではないかと思いました。」

一部の報道は「不安をあおって終わります」

新規で未知の新型コロナウイルスには「本当の専門家」がいない。「医療現場では、SARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)など類似するウイルスの経験をもとに闘って、そして目の前の新しい発見に軌道修正して、また闘いを挑んでいます」と話す宮川氏。これまでの報道について「メディアでは、そんなウイルスについての情報発信も徐々に変化しています。最近はさまざまなことが新型コロナウイルスのことが判明し、専門家として以前より冷静な語り口になり、少しずつ軌道修正がなされてきました」と振り返り、こう語る。

「もちろん現場の医療者の対応を批評してもらって構いません。人間というものは完全ではなく、間違ったこともするからです。ですが、常に検証してほしいのです。毎日同じことを主張するのではなく、先日の発言は、改めて確認したところ間違いがありましたとか、そんなことがあれば現場の医療者は戸惑わなくて済みます。

医療現場では、こうじゃないか、分かったそう考えてみよう、いや違った申し訳ない、じゃあこうしてみないかと、試行錯誤の毎日です。誰も知らないウイルスです。現場はそうやって動いています。それでないと確実に前に進むことができません。それを知ってほしい。メディアの方々も言いっぱなしで終わらないでいてくれたらありがたいと思います。」

報道が「不安をあおる」。これはネット上でも度々議論の的になる。人々が不安をあおられた結果、社会や医療の場で何が起きるのか。神奈川県医師会も戸惑いと動揺している医療現場を心配する。

「『微熱が続いています。新型コロナにかかっていませんか?』。そう言って受診される患者さんが何人もいます。『大丈夫です。落ち着いてお薬を飲んで、また気になることがあったら来てください』となだめて、やっと気を取り戻します。それでも『検査できないんですか?』と泣いて帰る患者さんもいます。不安で不安で仕方がなくなっているのです。

一部の報道は『危険なウイルスですね』『感染がどんどん広がっています』『あなたの近くにも感染者がいるかもしれない』と不安をあおって終わります。『もう少し落ち着きましょう。不安に思うかもしれませんが冷静に考えてください。どうすればいいか一歩立ち止まって考えましょう。報道する私たちも一緒に考えます』という言葉もほしかったと思います。

現場に対してもそうです。『なぜさっさと検査しないんだ』『全然対応が追いついていない』。クタクタになっている医療現場の人間を後ろから叩くようなことを言ってどうするのでしょうか。どの現場も大きな荷物を背負っています。報道がさらに荷物を背負わせるようなことをしたらどうなるのでしょうか。社会全体が大変な思いをすることの無いように、現場が背負っている荷物を、少しでも軽くする言動が増えてほしいと思うのです。できない原因があります。現場の人間だけでは解決できないことがあるので、その壁を一緒に壊してほしいのです。物資の壁。制度の壁。縦割り行政の壁。医療者だけでは社会の壁を打ち破れないのです。それは報道の人はすでに知っているはずです。」

「対応の仕方を伝える提案型の報道が望まれるのでは」

外出自粛要請を受け、現在は「家にいよう」と呼びかける動きも広がっている。だが、今度はこんな報道が見られるようになった。「多くの場所で人が減りましたが、こちらの商店街はこの人だかりです」「駅では今も、こんなに多くの人が仕事に向かっています」。こうした伝え方に神奈川県医師会も疑問を呈す。

「日用品や食料品は皆さん買いに出ます。会社の事情でテレワークできない社員は仕方なく出社しないといけない。生活のために自粛したくても仕事を休めない人もいます。ソーシャル・ディスタンシングが叫ばれても、それができない仕事もあります。保健所、役所、警察や消防、コンビニやスーパー、クリニックや病院、電気やガスや水道、宅配便など、他にも私たちの生活を守るために、それぞれの『現場』で働いている人たちが大勢います。多くは『不要不急』でない人が、不安を抱えながら動かざるを得ないのでしょう。

商店街の様子を報じるなら、『人だかりがある』ことを強調するのでなく、『食べ物がなくなるわけではないから2~3日分買えばいい。家族全員で買い物に出る必要もない。落ち着いて』と、人々が冷静になれるように語ってほしいのです。『老夫婦が手をつなぎ歩いている』のを見て、一緒に外に出なくてもいいだろうと非難できません。認知症をみる老々介護はそれを許さないのです。

加えて、『外出時は最低限どうリスク管理すればいいか』が重要です。『3密は避けて』だけでなく、どうすれば避けられるか。避けられないなら、どうすれば少しでも減らせるか。コメンテーターが提言していけばいい。ただダメではなく、非難するのではなく、対案を明示しなければなりません。もし明らかに対策がないのであれば、本気になって一緒に嘆くしかないのではないでしょう。

テレビの事情も分かります。視聴率を上げるため、あえて危険そうな場所を取り上げるのだと思います。ただ危機感をあおるような報道内容でいいのかどうか。社会貢献を詠うスポンサーの企業イメージが心配です。

危険性を強調すれば不安が募りますが、『軽症であれば大丈夫』と逆に居直る人もいます。両極端です。その際どさが視聴者受けが良いからでしょうか。1人が何かを言ったら『それは言い過ぎかもしれませんよ』とか、『その点はもう少し強調してもいいですね』と、建設的な議論を積み上げていけば、もっと良い世の中になると思うのです。発生した現象を取り上げるだけではなく、『この場合どうすればいいか』と、対応の仕方を伝える提案型の報道が望まれるのではないでしょうか。」

「ウォークイン方式の検査を試し始めています」

医療の場では、情報を日々アップデートしながら新たな対応の手を打っている。PCR検査については、神奈川県医師会では課題を検証し、検査体制の構築を進めているという。

「私たちも、できることならPCR検査をもっとやりたい。本当に検査が必要な患者さんはたくさんいます。私も保健所に電話して、なかなか受け付けてもらえなかったことがあります。しかし保健所も本当に人数が少ない。その中でフル稼働して働いてくれています。でも、出来ない現状は打ち破りたいと思っています。

ドライブスルー方式にしても、防護服など物資の問題、1日あたりの処理能力の問題や、精度を維持できるかという問題もあります。検査技師の人数だって必要です。こう考えると、ただ『ドライブスルー検査を導入します』と言っても、何百人という人数を毎日検査し続けることは難しいのです。どこかに壁があることを把握しながら、検査体制をつくらないといけません。各地で行われるようになってきたドライブスルー方式のPCR検査は、諸外国のように来た人を全員検査するわけではなく、正確で慎重な検査体制の中で行われています。そして、実際には事前の問診の上に必要な人が判定されて、検査が行われます。『検査を受けて安心したい』『陰性の証明書が欲しい』という病原体の非存在証明を求める要望にすべて叶えるようにはなっていません。

そして、ウォークイン方式の検査を試し始めています。検査の手技をする人は、PPE(個人用防護具)を装着しなくてもよいのです。シールドボックスを作り、壁を隔て、マスクをして、手袋をして採取の手技を行い、手袋は破棄交換します。これであれば、スピートが上がります。そして、検査を実施している衛生研究所だけでなく、民間の力も借りることで、実施数を増やすことができるようになります。

しかしながら、現状に甘んじている訳ではありません。課題を検証し、新しい検査体制を早急に進めています。」

「怖くさせているのは、人間です

医療現場に身を置き、医療現場の声を聞き続けるうちにわかったことは、新型コロナウイルスの「怖さ」についてであり、それは「『得体が知れないウイルスである』という当たり前のことなのです」と宮川氏は話す。

新型コロナウイルス感染症は、感染者の80%は軽症か無症状だが、20%は重症化し、数%の人は死に至ってしまう。高齢者や基礎疾患をもつ人、免疫の低下した人の死亡率は高くなる。こうした特徴のため、軽症者が重症化リスクのある人に感染を広めてしまうおそれがある。「感染から発症までは5~14日ほどかかります。その間に他の人に感染させているかもしれず、私たちを『意識なき加害者』にしてしまうのです」と、その「怖さ」を語る。

「若いから大丈夫という甘い考えを打ち砕く現実が迫っています。新型コロナウイルス感染症の、約7割が50代以下なのですが、死者の8割超が70代以上だったことが危機感を薄めてしまっています。若い人とて決して無敵ではありません。若い人でも何週間も入院させられたり、なかには重症になったり亡くなったりする人もいます。乳幼児も3%発症し、そのうち10%は重症化し、人工呼吸器を装着しなければなりません。しかも乳児に多いのです。得体が知れないウイルスは、あらゆる可能性を秘めた将来のある若い人の人生を奪うのです。」

加えて宮川氏が指摘した「怖さ」は、人間がもたらす混乱だ。

「今の日本は諸外国に比べ、死者数を大きく増やしてはいません。これは、医療者が現場で日々戦っているからです。専門家会議メンバーはじめ多くの専門家が、日本に適した対策を考え、進めているからです。死者増加をどうにか食い止めているからこそ、みんなでもう少し頑張らなければいけません。

もちろん、この方法が最適なのかということは後になって厳しい目で検証しなければなりませんが、現在の状況は、そのようなことに時間をとっていいわけではないでしょう。それなのに、色々な立場の人がこぞって自分の思い付きを競うように連呼しています。まるで人気取りのように。現実にすぐできないことをアピールして、それがいかに現場を混乱させているのかを理解していただけるとありがたいのです。もっと、現場の声に真撃に耳を傾けてください。お願いします。そのようなことをメディアも含めてしている最中でも医療現場では、少しでも多くの人を救おうと働き続ける医療者がいるのです。なるべく時間を浪費しないでください。一緒に集中して取り組んでください。

新型コロナウイルスは、感染症を引き起こし、人間を死に至らしめます。そのことはとても恐ろしいことです。しかしながら、デマも、買い占めも、差別も、誹謗中傷も、不安をあおることも、人間の恐怖心が生み出していることです。怖いことは感染の恐怖から、不安や不満が蓄積し、不当な差別や、不毛な対立が生まれてしまうことです。最も怖いのはコロナではなく、人間のこころです。」

どう行動すべきか。考えるきっかけになれば

最後に宮川氏は、県医師会の「コロナ通信」について、医療崩壊を防ぎ、この苦難を乗り越える一助になるかもしれないと、願っている。

「色々な言葉に恐怖や不安を覚えた方も多いと思います。『医療崩壊』はその1つです。新型コロナウイルス感染症の患者さんを1人でも多く助けるため我々は尽力していますが、一部の外国のように患者さんが病院の廊下に溢れかえる状態になってしまえば、年齢や持病の有無などで高度医療の提供を断念する『命の選択』を行わなければならなくなります。

今まで当たり前に行われていた地域での医療提供が受けられなくなります。交通事故にあった時、心筋梗塞や脳梗塞を起こした時、心不全が悪化した時、ガンが悪化した時、医療が崩壊していると救命できなくなります。お子さんを授かったときでも、安心できる医療環境で出産を迎えられることも危ぶまれるかもしれません。

新型コロナウイルスの感染者が増えれば増えるほど、感染症で命を落とす患者さんが増えるだけでなく、いつもなら助かるはずだった患者さんも命を落とすことになるのです。医療崩壊を防ぐためには、とにかく感染者を増やさないことに尽きます。

そのために、どう行動すべきか。私たちの発信が、少しでもそれを考えるきっかけになれればいいと思います。

これからは、もっといろいろな立場の方々から意見を募ることで、お互いのことをより尊重しあえると思います。そうして助け合えればいい。さまざまな情報を地道に収集し、編集していったら、良い『ガイド』ができるのではないかと思います。医学の専門的なガイドではありません。大事なのは『私たちはどう生きていけばいいのか』です。日々を暮らすための術を、みんなで積み上げていければいいなと思っています。」

https://news.livedoor.com/article/detail/18140976/ より転載

「緊急事態」に安倍政権はいったい何をしているのか(ニュースより)

国民に広がる困惑、現金給付巡ってドタバタも 2020/4/17 07:00 (JST)

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政府は、いったい何をしているのか。

 こうした声が、憤りや不安を表現するものとして、日々発せられている。また同時に、このフレーズが文字通りの疑問として口にされることも少なくない。政府がいったい何をしているのか理解ができず、そのことに対する不満や困惑が広がっているのである。(上智大学教授=中野晃一)

だらだら感

都府県を対象に緊急事態宣言が4月7日に発令されて1週間余りがたとうとしているが、こうした疑問と不安が払拭されていないどころか深まっている。「緊急事態」と言いながら、政府の対応があまりにスピード感を欠いていることから、肝心の緊急性がまったく感じられない。危機感を募らせた自治体が独自に宣言を発令する動きも相次ぎ、政府が対象地域を全国に拡大する方針を決めたのは16日になってからだった

▽危機でも平時と変わらぬ業界団体への配慮

 そもそも第1段階となった7日の緊急事態宣言では、発令に先だって臆測や前触れがだらだらと1週間以上も続いた。さらに発令後も、医療崩壊が目前に迫る東京都での具体的な休業要請の対象が発表されるまで3日間、安倍政権と小池百合子都知事との間で、居酒屋や理髪店など諸外国の事例で見てもおよそ「不要不急の外出」と見なされることがない業種をどうするかの駆け引きが行われたのだ。

 その間、新型コロナウイルス対策を担う西村康稔経済再生担当相は、まずは外出自粛要請の効果を見るために休業要請を2週間程度先送りしてはどうかと対象7都府県の知事に打診したとさえ報じられた。

 不可解なのは、西村氏の打診のタイミングだ。安倍晋三首相は、緊急事態宣言発令に際して行った記者会見で「2週間後に感染者の増加をピークアウトさせる」と述べた。西村氏の発言はその翌日に出た。緊急事態と言いながら2週間まずは様子を見て、しかし2週間後のピークアウトを目指しているというのは何事なのか。

 実はこうしたエピソードが、安倍政権の新型コロナウイルス対策の根本的な問題を表しており、政府はいったい何をしているのか、と多くの人が感じる理由でもある。それは、政府の決める対策の根拠とその決定過程の双方がともに透明性を欠いていて、その結果、政府の打ち出した対策の合理性や効果を含めた方向性が見えてこないのである。つまり何を根拠に何をどうすればどうなると誰がどこで決めているのかが分からないのだ。

 しかも安倍首相は、記者会見の質疑応答で、「例えば最悪の事態になった場合、私が責任を取ればいいというわけではありません」と述べている。

 ここに来て、野党がかねてから主張していた国民への10万円一律給付だ。首相は4月16日、公明党に押し切られる形で、審議入り目前の補正予算案を組み替えて対応する方針へと転換した。こうした混乱ぶりを見せられては、リーダーシップどころか、為政者としての当事者意識すら欠如しているのではないかと疑ってしまう。

▽危機でも平時と変わらぬ業界団体への配慮

安倍首相以下、政府が市民の安全を守る責任主体としての当事者性と説得力を示せずにいる一方で、首相や政府与党関係者、そしてマスコミが盛んに喧伝するのは、日本の特措法が定める緊急事態では政府が外出や営業を禁止する強制力を持たないので、欧米など諸外国で行われているような「ロックダウンはできない」という言説である。

 ことさらにこの点を言い立てて、だから緊急事態条項を憲法に盛り込む改正が必要だという、それこそ何の緊急性も必要性もない教条主義的な主張も散見される。

 しかし、いわゆるロックダウンのような徹底的な休業・外出禁止措置に積極的な姿勢を見せた小池都知事とのさやあての中で明らかになったのは、安倍政権は「ロックダウンしたくない」という事実であった。そしてそれは、これまで再三、立憲主義や法の支配の原則をないがしろにしてきた政権が、ここにきて急に一般市民の私権の制限に慎重になったからではない。

 その証拠に、7都府県の夜の繁華街などで外出自粛強化を要請する、つまり外出自粛をお願いするためなのに、さっそく警察がものものしくパトロールし始めていることを武田良太国家公安委員長が明らかにしている。

 それではなぜ、政府は実効性をともなう徹底した外出制限策を取ろうとしないのか。その理由は、実は単純である。一般に、新型コロナウイルス対策というと「感染拡大阻止対策」のことを指すが、安倍政権はそのように捉えていないからである。

 この政府にとって、新型コロナウイルス対策は第一義的に、新型コロナウイルスと感染防止策によって引き起こされている経済損失を軽減するための、とりわけアベノミクスや自民党を支えてきた業界や業種に目配りした施策や予算措置、つまり平時と変わらぬお得意の「経済・景気対策」なのである。

 そもそも、新型コロナウイルス対策の担当者として、安倍首相が任命したのは、通産官僚出身の西村経済再生担当相である。

 世界各国が必死になって感染封じ込めに取り組んでいるのを意に介せず、日本の政府与党が「お肉券」だ、「Go To Travel」「Go To Eat」クーポンだとはしゃぎ、あるいは、航空便の大幅減少にあえぐ航空会社を救済する意味もあるのだろうか、客室乗務員に不足している防護服の縫製支援を依頼したいなどと言うさまざまに問題のある珍妙な案が出てくる。

 陳情や批判に小出しで応じて、民意に応えているかのような演出も毎度のことである。

▽国民に押しつける負担

 ならばなぜ、首相はここまで感染拡大阻止に楽観的もしくは無関心でいられるのだろうか。これは難問であり、また解は一つではないだろう。初動の遅れの際に対策本部をおろそかにして、連日会食を重ねて批判を浴びたことが記憶に新しいが、国民の健康や安全に心底関心がないことは、過去の災害対応でも明らかだった。

 東京五輪の開催やアベノミクスの破綻を防ぐこと、そして憲法改正へと少しでも近づくことなどのほうが、首相の中では優先順位が高いこともありそうだ。また五輪を1年延期するだけで開催できると判断した際にも伝えられたことだが、どうやら首相は、ワクチンや治療薬を日本の科学や技術の力で早期に開発できると思い込んでいる節も見られる。

 しかし決定的なのは、首相が感染拡大阻止対策を専門家会議や厚生労働省にほぼ丸投げしておけばいいと考え、時折、相談も脈絡もなしに全国学校一斉休校や各戸への布マスク2枚郵送などを打ち上げることで「やってる感」を演出できるものと勘違いしていることである。突如受け入れた10万円一律給付も、この延長線にあるのだろう。

 首相が感染防止対策でのリーダーシップを放棄する一方で、厚生行政や専門家会議が、検査や医療体制の限界を首相官邸や財務当局などに強く訴え、医療資源の緊急拡充を求める努力を怠ってきたのもまた事実である。

検査数を抑え、いわゆる「自粛」によって感染拡大を遅らせることを主としたことは、結果として、市民の側に負担ばかりを求め、国の側が視野の狭い「経済・景気対策」にいそしむ慢心を許してしまった。

 専門家会議の主導してきたクラスター感染対策の限界が明らかになった「緊急事態」の今、最も恐ろしいのは、安倍政権が感染拡大阻止対策とそのコストをいよいよ市民に丸投げしてきていることである。十分な補償もインセンティブも、それどころか客観的で信頼できる情報やデータさえ満足に得られぬままで、一方政府は熱心に「自粛」要請を繰り返す。

 感染が阻止できなかった場合は、その責任を市民の「自粛」が足りなかったことに押し付ける流れがすでに垣間見える。星野源に便乗して投稿した動画に見られた安倍首相の「人ごと」ムードである。到底、人々が外に出ないで済むように万策講じる責任を負っていることを自覚しているようには見えず、強い反発を招いた。

しかしこのまま感染が広がってしまい、医療崩壊によって多くの方が亡くなった、というような事態になれば、強制力のある外出禁止が日本ではできず、国民の「自粛」すなわち努力が足りなかったことがいけないのであって、憲法改正を含めた法整備によって政府がより自由に強権を発動できるような体制を整えなくてはならないというキャンペーンが展開されるだろう。

 無責任な政府に今よりもいっそうノーチェックとなるような権力を与えても市民の健康と安全は保障されない。誰もが安全な場所にいられるよう休業補償などを行い、国としての責任を果たさせることが、今こそ欠かせない。


以上、47NEWSより  https://this.kiji.is/623340263453295713
Yahoo!ニュースなど、他ニュースサイトに転載されています。