暮れゆく一年に…


 今年も足早に一年が過ぎていった。楽しいことがなかったわけではないが、つらい話を耳にすることの方が多かったような気がする。今年に限らないことだが…。

 暮れゆく一年に思いを馳せながら聴く音楽は…と。そうだ、《四季》にしよう。バロック音楽の巨匠アントニオ・ヴィヴァルディ(1678~1741年)のヴァイオリン協奏曲ではない。ピョートル・チャイコフスキー(1840~93年)のピアノ曲である。

 ロシアの詩人による一月から十二月の風物を描いた12の詩をもとにして書かれた作品。詩に曲がつけられているわけではなく、あくまでも曲想を得るために、詩をモチーフにしただけ。映画などでも使われたりしている。十二曲中、八曲が長調、四曲が短調。明るくカラフルなヴィヴァルディの《四季》とは対照的だ。いかにも陽光降り注ぐ南欧的なヴィヴァルディに対し、こちらは木々や草の緑も淡く、冬はモノトーンといった趣で、寒い国の静けさが漂う。各月の表題と元になった詩の作者を記しておく。

1月 炉辺にて(アレクサンドル・プーシキン)
2月 謝肉祭週(ピョートル・ヴィャゼムスキー)
3月 ひばりの歌(アポロン・マイコフ)
4月 松雪草(アポロン・マイコフ)
5月 白夜(アファナシ・フェート)
6月 舟唄(アレクセイ・プレシチェーエフ)
7月 草刈人の歌(アレクセイ・コリツェフ)
8月 収穫(アレクセイ・コリツェフ)
9月 狩り(アレクサンドル・プーシキン)
10月 秋の歌(アレクセイ・コンスタンチノヴィッチ・トルストイ)
11月 トロイカ(ニコライ・ネクラーソフ)
12月 クリスマス(ヴァシリ・ジューコフスキー)

 各月の表題を見てもらえばわかると思うが、《四季》という題になにか違和感を感ずる。四季という言葉から、私たち日本人は春夏秋冬の四つの季節、たとえば若葉が萌え出る春、夏の暑さ、紅葉の秋、雪に閉ざされる冬を思いうかべたりするが、副題である「十二の性格的小品」から、この曲が十二ヵ月のそれぞれの性格を音で描いたものであることがわかる。

 気候変動のせいか、ただ暑いだけの単調な夏が続くかと思えば、いきなり夏から冬になったりと、季節感は薄れるばかりの今日この頃である。それにともなって、昔からの行事などの風物詩も、私たちの日常生活とは一致しなくなっているのではなかろうか。この曲を聴きながら、懐古趣味的に「むかしは良かったなー」などと嘆息するのではなく、「このままで本当に良いのか」と自問自答したいものだ。


::: C D :::

1)アシュケナージ盤

 よく知られた曲だし、録音もそれなりにある。演奏会の曲目としてはどうなのだろうか。ここではウラディーミル・アシュケナージ(1937年〜)の演奏を聴いてもらおう。抜群の技巧を誇る人だが、それをひけらかすこともなく、過度の感情移入も避け、淡々と聴かせてくれる。とはいえ、BGMとして聴き流すのではあまりにももったいない。現在は指揮者としても活躍しているが、主要なピアノ曲はすべて録音しているのではないかと思うくらい、20世紀を代表するピアニストの一人である。

収録曲
1.18の小品 作品72から第5曲「瞑想曲」

2.6つの小品 作品51から第2曲「踊るポルカ」
3.情熱的な告白
4.18の小品 作品72から第3曲「やさしい非難」
5.18の小品 作品72から第2曲「子守歌」

6.四季 作品37

演奏:ウラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)
録音:1998年


2)スヴェトラーノフ盤

 こちらはアレクサンドル・ガウク(1893〜1963年)によって管弦楽のために編曲されたものだ。元のピアノ版よりもさらに録音が少ない。ガウクの編曲は、ツボにはまっているというか、まるでチャイコフスキー自身が作曲したかのような見事さだ。重厚な曲が得意なエフゲニー・スヴェトラーノフ(1928〜2002年)だが、ここでは軽やかで小気味の良い音作りをしている。そういえば、スヴェトラーノフの指揮法の先生はガウクであった

指揮:エフゲニー・スヴェトラーノフ
演奏:ソビエト国立交響楽団

録音:1975年


(しみずたけと) 2023.12.22

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オスプレイと米軍基地


 米空軍のオスプレイが屋久島沖に墜落したのは11月29日だったから、もう二週間以上が過ぎたことになる。搭乗の八人全員が死亡したことになっているが、うち一人はまだ行方がわからない。生存の可能性がゼロだから全員死亡とされているのだろう。

別に驚くようなことではない。オスプレイの危険性は以前から指摘されてきた。ある意味、想定内ともいえよう。横田基地に所属する機体だから、何度もこの八王子上空を行き来していたはずで、私たちが目にしていたうちの一機だったわけである。


 屋久島沖だったことが墜落原因ではない。単に墜ちた場所が屋久島沖だったというだけである。これまで八王子市内に墜ちなかったのは偶然だし、墜ちても、それもまた偶然に過ぎない。ひとつ言えるのは、他の機体より墜落しやすい、墜ちる確率(可能性と言い換えても良い)の高い物体がこの上空を飛んでいたということである。

 今回の事故を目撃した人の証言によれば、裏返しになって燃えながら墜落したらしい。上翼タイプで、翼にエンジンを装着した飛行機がバランスを失えば、重たいエンジンが下になるのは物理の法則どおりである。この姿勢では、搭乗員が脱出することなど不可能だろう。気の毒な話である。

 オスプレイが構造的な無理を抱えていることは、以前にも書いた。ありていに言えば「欠陥機」である。欠陥車とか欠陥住宅など、欠陥のある製品はいろいろある。製造上のミス、工作精度や施工の不良、材料の質の問題を頭に思い浮かべるかもしれないが、設計段階における無理も欠陥につながる。たとえば、10メートル四方の土地に50階建ての高層ビルを建て、それが地震で倒壊したら、材質とか施工以前の問題であることは、誰が考えてもわかるに違いない。

 そんなオスプレイに乗るパイロットはどう思っているのだろうか。欠陥機であることを知らないのだろうか。軍隊とは真実を隠蔽するのが得意だから、そういうこともあるかもしれない。それとも命令だから従わざるを得ないのか。まるで戦争末期、生きて帰ることのできない飛行機に乗せられ、笑って飛び立ったことにされた特攻隊員と同じではないか。そういえば、ベニヤ板の特攻艇「震洋」、同じくベニヤ板で作られた戦闘機「剣」などというものもあった。洋の東西が違えど、時代が変わろうと、軍隊という組織は人間など部品としか考えていないことがわかる。

 オスプレイが墜落するにしても、それは東京ではないだろうし、東京だとしても、八王子以外だろうし、仮に八王子だとしても、ここ別所ではないだろうし、少なくとも私の家ではないだろう…。そういう思いなのだろうか。

 オスプレイが墜落しやすい危険な飛行機だとしても、それで生じる犠牲など微々たるものだ。中国が、北朝鮮が、ロシアが攻めてきたら、とても数人などという被害ではすむまい。オスプレイの危険など必要経費みたいなものだ…。そう考えているのだろうか

 この飛行機は、ローターをティルトしたときに、とりわけ事故が多い。だから基地上空以外ではティルトしないことになっていたはずだが、横田基地から約15キロ離れたこの上空を飛ぶオスプレイは、そのほとんどがティルトした姿勢で飛行している

 1955年9月19日、横田基地を離陸したF-80戦闘機が上空で爆発し、現在の八王子市大楽寺町に墜落した。民家六棟が焼け、パイロットと住民五人、合わせて六人が死亡している。57年12月12日には、横田基地に着陸するC-46輸送機が、犬目町に墜落炎上し、乗員五人は全員死亡。当時このあたりは山だったが、今は住宅地になっている。

 戦後、中国軍や北朝鮮軍、ロシア軍に殺された人はいない。しかし、事故とはいえ、米軍によって命を奪われた人は数え切れない。強盗やレイプも、報道されたものだけでもかなりの数にのぼる。横田基地に近い八王子に住む私たちはどう受け止めるべきなのか。


(しみずたけと) 2023.12.14

以前の記事はこちらです。2020.4.13 オスプレイ

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グレツキの《嘆きの歌の交響曲》


 この曲は、ポーランドの作曲家ヘンリク・グレツキ(1933〜2010年)によって作られた。1976年の作品だから、現代音楽の範疇にあるといえるだろう。現代音楽と聞くと、なにやら難しい、斬新すぎてわかりづらいものを思い浮かべがちだが、この曲はそういった類ではない。

 グレツキはポーランド南部、オーデル川に近いチェルニツァに生まれた。かつてドイツ領だった頃はシレジアと呼ばれていた地域に属する。

 初期のグレツキは、不協和音を多用するなど、音によるアナーキズムとでも呼べそうな、非常に前衛的な音楽に傾倒していた。交響曲第1番などはその典型であろう。しかし、音楽に宗教性を打ち出すようになってからは、調性的側面を重視し、現代音楽としてはわかりやすいものへと変貌していった。この交響曲第3番は、そうした彼の変革期の到達点ともいえる作品である。

 とはいってみたものの、オーケストラとソプラノ独唱によるこの交響曲は、交響曲のセオリーからはかなり逸脱している。三楽章構成であり、すべての楽章がレント、非常にゆっくりしたもので、楽章間に緩急がないことなどが特徴である。しかし、古典から現代に至る様々な様式、三和音やオクターブ、私たち日本人には馴染み深いペンタトニックなどが散りばめられ、そのことが「聴きやすさ」を生み出しているのだと思う。

 第1楽章で歌われるのは、15世紀に書かれた、ポーランド南部の町オポーレの民謡。「我が愛しの、選ばれし息子よ、汝の傷をこの母と分かち合いたまえ…」。我が子イエスをなくした聖母マリアの嘆きを歌う哀歌である。

 第2楽章は、今やリゾート地として知られるポーランド南部のザコパネにあったゲシュタポ収容所の独房の壁に少女が走り書きした、「お母さま、どうか泣かないでください。汚れなき聖母様、いつも私をお守りくださいませ…」で始まる。すべての壁という壁には何かしら書かれていた。「出せ〜!」「オレは無実だ!」「死刑執行人のヤロー!」等々、みな大人たちの言葉である。それにくらべ、この少女の祈りはどうだ。泣いたり絶望したりすることなく、さりとて復讐を求めているのでもない。


 第3楽章の歌詞は、第一次大戦後のシレジア蜂起で、ドイツ軍に息子を殺された母親の嘆きである。「わたしの愛しい息子は何処に?」と歌う、シレジア民謡からとられたものだという。つまり、第1と第3楽章は子を亡くした親の、第2楽章は親と離ればなれになった子の立場から歌われた、子への母性、親への思慕、そして苦悩である。

 グレツキはこの曲を妻のヤドヴィガ・ルランスカに捧げた。歴史的な出来事や政治への応答とするつもりがなかったのなら、この曲の内包するメッセージは何だろうか。親子、特に母親と子どもの絆かもしれない。1960年代、ホロコーストにかかわる音楽を依頼され、彼自身もアウシュヴィッツをテーマにした作品を作ろうとしたようだが、完成させたものはひとつもない。彼は次のように語っている。

 私の家族の多くは強制収容所で亡くなりました。祖父はダッハウで、叔母はアウシュヴィッツで。ポーランド人とドイツ人の関係はご存知だと思います。しかし、バッハもシューベルトもシュトラウスもドイツ人でした。誰もがこの小さな地球上で、それぞれの立場を持っています。そのことが背後にありました。この曲のテーマは戦争ではありません。「怒り」ではなく、ありきたりの悲しみを歌った交響曲なのです。

 初演では否定的な反応が多く、決して芳しいものではなかった。ひっぱり出された古い民謡を延々と一時間弱も引きずっているだけというのである。本当かどうかわからないが、終わり近くでイ長調和音が21回くり返されるのを聴いたピエール・ブーレーズ(1925〜2016年)が「バカバカしい!」と叫んだと伝えられている。


 その一方、名優ジェラール・ドパルデュー(1948年〜)とソフィー・マルソー(1966年〜)が共演したモーリス・ピアラ(1925〜2003年)による1985年のフランス映画『ポリス』の中で、本作の第3楽章の一部が使われている。なぜか日本では上映されなかったようだが、サウンドトラックの売れ行きが好調だったというから、本国ではそれなりの人気があったのだと推測される。

 また、英国ではグダニスクの造船所で始まったポーランドの《連帯》を支援する人たちが、この曲をコンサートや映像作品の中で使ったということだ。耳目を集めるようになったのは、現実の政治とは一線を画すという作曲家の思いから離れて、かなり政治的な背景があったといえそうである。しかし、グレツキ自身が《連帯》を支持していたこともまた事実である。

 そうした状況の中でミリオンセラーとなったのが、このジンマン盤なのだ。米国の著名な音楽評論家マイケル・スタインバーグ(1928〜2009年)は、1998年、次のように問いを投げかけている。「みんな本当にこの交響曲を聴いているのかね?この曲のCDを買っている人の中で、理解できない言語で歌われる54分間の非常にスローな音楽が、自分の期待を上回る代物であると、本気でそう思う人がいったいどれだけいるのだろうか?」と。彼はノーベル賞作家ボリス・パステルナーク(1890〜1960年)―ソ連当局の圧力で受賞を辞退しているが―の小説『ドクトル・ジバゴ』を引き合いにして、「みな競うようにしてこの本を買ったものの、読むことができた人はほとんどいなかった。それと似ている」というのだ。

 なるほどども思う。ポーランド語の歌詞がわかる人は少ない。私の場合も、ポーランド人の友人―来日した映画監督のアンジェイ・ワイダ(1926〜2016年)や民主化運動を牽引したレフ・ワレサ(1943年〜)の通訳を務めた人物である―の助けがあるからこそ、どうにか意味をとれるだけだ。緩急も盛り上がりもない音楽は、確かにBGM的ではある。ベートーヴェンの交響曲のように、コンサート会場で襟を正して聴く音楽とは少し違うかもしれない。しかし、歴史を俯瞰し、政治を複眼的に見ることで社会のあり方を考えてきた者として、心に響くというか、突き刺ささるというか、訴えるようなメッセージが静かに伝わってくるのだ。作曲家本人の意思が、先に書いたとおりであるとするなら、それとは相容れないことかもしれないが。

 なお、スタインバーグの出自を、ひとつだけ書いておこう。彼はワイマール共和制時代のドイツ、ブレスラウの町に生まれた。第二次大戦後、ここはポーランド領となり、現在はヴロツワフと呼ばれている。グレツキとスタインバーグ、二人の出身地がシレジアなのは全くの偶然だろうが、なにか因縁めいたものを感ずるのは私だけだろうか。


 いま、ガザから、ウクライナから、ミャンマーから、アフリカの各地から、世界のいたるところから、子どもを奪われた母親たち、親を探す子どもたちの嘆きが聞こえてくる。私たちは何をなすべきなのか。次は自分たちに起こることかもしれない。そんなことを思う。


::: C D :::

交響曲第3番『嘆きの歌の交響曲』

指揮:デイヴィッド・ジンマン
演奏:ロンドン・シンフォニエッタ
独唱:ドーン・アップショウ

録音:1991年


(しみずたけと) 2023.12.7

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クリスマスがやってくる…


 感謝祭がすぎ、クリスマスが近づいてきた。そろそろ飾り付けを始める家もあるだろう。お歳暮やら正月のおせち料理だとか、何かとせわしない時期ではあるが、子どもたちにとってはワクワクする季節でもある。和洋中華、料理だけでなく宗教的行事まで世界中から取り入れてしまう、この国ならではの忙しさと楽しさの同居といったところか。

 そうはいっても、やはりクリスマスはキリスト教文化である。誰もが知るように、中東の砂漠に生まれたこの宗教はユダヤ教の中から生まれた。イスラム教とも関係が深い。同じ場所に根を持つ三者は、いずれも一神教である。

 砂漠という過酷な地に生きる人たちは、信仰も他者への対応も苛烈になるものなのか。しかし、ユダヤ教の厳しい戒律に対し、「人はもっと寛容になるべきだ」というアンチテーゼから生まれたのがキリスト教だったのではなかろうか。聖書を読む限り、原始キリスト教はそうであったはずだ。迫害者であったローマ帝国の国教となり、権力と結びつく以前のキリスト教は…。

 そう思うと、たとえ信仰とは関係のない年中行事や単なるイベントとなっても、あるいは歳末商戦に見られるビジネスに堕したとしても、権力に利用され、踊らされ、人を傷つけるような攻撃的なものよりはずっとマシだ。信仰は論理的な説明や整合性を必要としない性質を有する。権力にとって、これほど利用しやすく、かつ大きな影響力を持つ道具はない。クリスマスの音楽も、やや引き気味に聴くくらいがちょうど良いのかもしれない。

 2021年は、1000年以上前のクリスマスを祝う歌、クラシック、少し前のポップスなど、10種類ものクリスマス・アルバムをとりあげた。昨年はウクライナ戦争で心が乱れたこともあって、チャイコフスキーのバレエ音楽『くるみ割り人形』、全曲版と管弦楽組曲の二種類を紹介するだけでお茶を濁してしまったが…。

 今回とりあげた四つのアルバムは、特に目新しさを引くものではない。英国にいたときに手に入れたものと、楽器をブンチャカ鳴らしていた若い時分を思い起こさせるものだ。


::: C D :::

《 Music for a TUDOR CHRISTMAS 》

 まずは英国テューダー朝時代のクリスマス音楽。15世紀後半の薔薇戦争で、ウェールズにルーツを持つランカスター家がヨーク家を倒し、イングランドとアイルランドを統治した時代である。この頃、まだスコットランドは別の王国であった。後半に登場することになるヘンリー8世、エリザベス1世と、大英帝国への上り階段を駆け上がろうという時代。ローマ・カトリックと袂を別ち、英国国教会が成立し、宗教と政治ないし国家の関係が大きく変わろうとする時期でもあった。

 国教会の儀式や典礼は、カトリックのそれとほとんど変わらない。だから音楽も、中世から続く聖歌の伝統をそのまま引き継いでいる。しかしながら、民衆の間の音楽や歌が浸透し始めていることがわかる。キリスト教が、聖職者の間だけでなく、再び民間に降りてきたといって良いだろうか。

1.Quid petis, o fili? (Richard Pygott)
2.Nowell: Dieu wous garde (Richard Smert)
3.Videte miraculum (Thomas Tallis)
.Lully, lulla, thow littel tyne child (anonymous) ‘The Coventry Carol’
5.Gloria from Missa Puer natus est nobis (Thomas Tallis)
6.Lullaby, my sweet little baby (William Byrd)
7.Swete was the song the Virgine soong (anonymous)
8.This day Christ was born (William Byrd)
9. Jesu mercy, how may this be (John? Browne)
10. Verbum caro (John Sheppard)

合唱:Cambridge Taverner Choir
指揮:Owen Rees
録音:1993年


《 CHRISTMAS MUSIC from Medieval and Renaissance Europe 》

 こちらは中世の英国と大陸のクリスマス音楽。作曲者を見てわかるのは、英国の方は作者不詳、伝承歌謡が多いこと。テューダー朝のクリスマス音楽のCDとも共通する。ザ・シックスティーンは、その名の通り、16人のメンバーによって1977年に結成された、古楽と宗教曲を得意とする英国の合唱団である。YouTubeで探すと、このCDに収録された曲を含め、いろいろ見つけられるだろう。

from England…

1.Puer natus est nobis (plainsong)
2.Nowell, nowell: in Bethlem (anonymous 15c)
3.Gaudete (traditional)
4.Nesciens Mater (Walter Lambe)
5.The Song of the Nuns of Chester (traditional)
6.Coventry Carol (traditional)
7.The Boar’s Head Carol (traditional)
8.Videte miraculum (Thomas Tallis)

from The Continent…

9.Quem pastores laudavere (traditional)
10.Pueri, concinite (Jacob Handl)
11.O magnum mysterium (Jacob Handl)
12.Resonet in laudibus (Jacob Handl)
13.In dulci jubilo (traditional)
14.Riu, riu chiu (traditional)
15.Nesciens Mater (Jean Mouton)
16.Omnes de Saba (Orlandus Lassus)

合唱:The Sixteen
指揮:Harry Christophers
録音:1987年


《 Adeste fideles:Christmas Music from Westminster Cathedral 》

 ロンドンにあるウェストミンスター大聖堂の聖歌隊によるクリスマス音楽。ダイアナ妃や先日のエリザベス2世女王の葬儀で有名なウェストミンスター寺院と混同されがちだが、あちらは国教会の修道院、こちらはカトリックの大聖堂である。今日よく歌われる聖歌が選ばれているので、どちらかといえばキリスト教文化とは縁遠い私たちにとっても、なんとはなしになじみ深いものが多い。

1.O come all ye faithful
2.Gabriel’s Message
3.O come, o come, Emmanuel
4.Once in royal David’s city
5.Ding Dong merrily on high
6.A maiden most gentle
7.I wonder as I wander
8.O little town of Bethlehem
9.In the bleak mid-winter
10.In dulci jublio
11.The Three Kings
12.Of the Father’s love begotten
13.Away in a manger
14.Bethlehem Down
15.The holly and the ivy
16.I sing of a maiden
17.Silent Night
18.Sing Lullaby
19.The Lamb
20.Welcome, Yule!
21.Hark, the herald angels sing

合唱:Westminster Cathedral Choir
指揮:James O’Donnell


《 そりすべり 》

 よく知られたクリスマス賛美歌をメドレーにした「クリスマス・フェスティバル」から始まるライトなクラシック。ルロイ・アンダーソン(1908~75年)は、「ラッパ吹きの休日」「シンコペーテッド・クロック」「タイプライター」など、吹奏楽をやっていた者なら誰もが知っている作曲家。他にも、クリスマスにまつわるクラシックからポピュラー名曲まで、この季節のBGMとしてうってつけの一枚だろう。

 演奏するボストン・ポップス・オーケストラは、米国の名門ボストン交響楽団がシーズン期間外に、音楽の普及を目的としたポピュラー・コンサートで演奏するときの名称である。アーサー・フィードラー(1894~1979年)が1930年から1979年の長きにわたり率い、その名を世界的なものにした。1980年から93年は、「スター・ウォーズ」や「インディ・ジョーンズ」の音楽で知られるジョン・ウィリアムズ(1932年~)が首席指揮者を務めていた。

1.クリスマス・フェスティバル:もろびとこぞりて~ひいらぎかざろう~世の人忘るな~ウェンセスラスはよい王様~天には栄ええ~牧人ひつじを~きよしこの夜~ジングル・ベル~神の御子は今宵しも(ルロイ・アンダーソン
2.ハレルヤ(ヘンデル『メサイア』より)
3.主よ、人の望みの喜びよ(バッハ)
4.パストラーレ(バッハ『クリスマス・オラトリオ』より)
5.無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番よりアダージョ(バッハ)
6.羊は安らかに草を食み(バッハ)
7.ドリーム・パントマイム(フンパーディンク『ヘンゼルとグレーテル』より)

8.金平糖の精の踊り(チャイコフスキー『くるみ割り人形』よリ)
9.葦笛の踊り(同上)
10.花のワルツ(同上)
11.橇すべりの音楽(レオポルト・モーツァルト)
12.そりすべり(ルロイ・アンダーソン)
13.サンタが街にやってくる(フレッド・クーツ)
14.赤鼻のトナカイ(ジョニー・マークス)
15.ホワイト・クリスマス(アーヴィング・バーリン

指揮:アーサー・フィドラー
演奏:ボストン・ポップス・オーケストラ

録音:1970~76年


(しみずたけと) 2023.11.25

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くるみ割り人形


 クリスマスの季節のクラシック音楽と言えば、おそらく『くるみ割り人形』が一番人気だろう。ドイツのエルンスト・ホフマン(1776~1822年)によるメルヘン『くるみ割り人形とねずみの王様』をもとに、ピョートル・チャイコフスキー(1840~93年)が死の前年に完成させたバレエ音楽だ。『白鳥の湖』『眠れる森の美女』とあわせ、チャイコフスキーの三大バレエと呼ばれている。

 この作品は、全2幕3場のバレエ音楽として、1891年から92年にかけて作曲された。クリスマス・イヴに、くるみ割り人形をプレゼントされた少女クララ(原作ではマリーとなっている)が、人形と夢の世界を旅するストーリーである。舞台は、まさにクリスマスの晩。この季節の人気演目なのも当然だろう。だいたいのストーリーがわかるよう、作品を構成する15曲の題を記しておく。

小序曲

第1幕/第1場
 1. 情景 クリスマスツリー
 2. 行進曲

 3. 子どたちのギャロップと両親の登場
 4. 踊りの情景、祖父の登場と贈り物
 5. 情景 祖父の踊り
 6. 情景 クララとくるみ割り人形
 7. 情景 くるみ割り人形とねずみの王様の戦い、くるみ割り人形の勝利、そして、人形は王子に変わる

第1幕/第2場
 8. 情景 冬の松林
 9. 雪片のワルツ

第2幕/第1場
 10. 情景 お菓子の国の魔法の城
 11. 情景 クララとくるみ割り人形王子

 12. 嬉遊曲
  チョコレート(スペインの踊り)
  コーヒー (アラビアの踊り)
  お茶(中国の踊り)
  トレパック(ロシアの踊り)
  葦笛の踊り
  生姜と道化たちの踊り
 13. 花のワルツ
 14. パ・ド・ドゥ
  導入(金平糖の精とアーモンド王子)
  変奏Ⅰ(タランテラ)
  変奏Ⅱ(金平糖の精の踊り)
  終結
 15. 終幕のワルツと大団円

 92年3月、チャイコフスキーは演奏会用の新曲を依頼されるのだが、新たに構想するだけの時間がなく、つくりかけの『くるみ割り人形』から自身で八曲を抜き出し、演奏会用の組曲とした。全曲版と組曲版の作曲時期がほとんど同じなのは、そのためである。演奏効果を考慮して、全曲版とは曲順を変えているが、有名な曲のほとんどが含まれていることもあり、クリスマスの季節以外にもしばしば演奏される。多くの人が知っているのは、おそらくこちらの方だろう。

第1曲 小序曲
第2曲 行進曲
第3曲 金平糖の精の踊り
第4曲 ロシアの踊り(トレパック)
第5曲 アラビアの踊り
第6曲 中国の踊り
第7曲 葦笛の踊り
第8曲 花のワルツ


::: CD :::

バレエ『くるみ割り人形』全曲 作品71

 アンタル・ドラティ(1906~88年)というハンガリー出身の指揮者は、日本では過小評価されていないだろうか。カラヤンとかバーンスタインのようなスター指揮者ではなく、特定の作曲家だけに秀でたスペシャリストでもない。しかし、レパートリーは広く、彼はどんな曲でもこなした。だからといって器用貧乏というのとも少し違う。大物指揮者に隠れた、いなくなって気づかされた別のタイプの大物指揮者とでも言えば良いだろうか。

 しばしば“オーケストラ・ビルダー”と呼ばれるドラティ。ダラス交響楽団を築き上げ、財政破綻や労働争議で崩壊しかけたワシントン・ナショナル交響楽団を危機から救い上げ、凋落したデトロイト交響楽団に世界水準の名声を取り戻させるなど、彼の奮闘でよみがえったオーケストラはいくつもある。いわば、オーケストラ建設と再生のプロだ。それが独裁者の強権的な手法でなく、人望と信頼にもとづくものであったところは、まさにドラティの人間性によるところが大きいのだろう。

 ドラティは、決してオーケストラの建て直しばかりやっていたのではない。残された録音を聴くと、どれも水準が高く、この『くるみ割り人形』全曲などは、全曲録音の中でも最高の部類に入るものである。名門コンセルトヘボウを指揮し、夾雑物のない弦セクション、いぶし銀のような金管楽器群を軸に、重厚で安定感のあるハーモニーを見事に引き出している。

指揮:アンタル・ドラティ
演奏:アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
合唱:ハールレム聖バーフ大聖堂少年合唱団
録音:1975年



『くるみ割り人形』組曲 作品71a

 全曲を聴いてこそ…。その通りではあるが、バレエ鑑賞ではなく、管弦楽作品としての『くるみ割り人形』を楽しみたい、有名なメロディを聴きたいと言うことであれば、組曲版を選ぶのも間違いではなかろう。なにしろ、チャイコフスキー自らが編んだものだ。否定する理由などない。

 ネヴィル・マリナー(1924~2016年)は、あくまでも管弦楽作品としてのテンポを設定している。バレエ劇の伴奏なら、もう少しテンポを落とすところだろうが、このきびきび感、軽やかさ、小気味よさが聴いていて気持ちよい。小澤征爾と水戸室内管弦楽団によるベートーヴェンの『第九』のところでも書いたのだが、アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズという比較的小編成な楽団ゆえのクリアな音色が、この曲に実にマッチしている。録音も優秀だ。

 カップリングされている『弦楽セレナード』の方は、その重厚かつ壮麗な響きに驚かされる。同じオーケストラを、このように使い分け、まるで違う響きを引き出すとは、マリナーの手腕に脱帽。《クリスマスのうた》で、このコンビによるクリスマス曲集を紹介しているので、そちらもどうぞ。

指揮:ネヴィル・マリナー
演奏:アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ
録音:1982年

上の動画では8曲(小序曲、行進曲、金平糖の精の踊り、ロシアの踊り(トレパック)、アラビアの踊り、中国の踊り、葦笛の踊り、花のワルツ)が連続再生されます。


(しみずたけと) 2022.12.15

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