目的と結果をとり違える

 NHKの朝ドラ、ご覧になっていましたか?ええ、『ばけばけ』です。小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの妻、小泉セツを中心に据えたドラマでした。神戸や焼津を舞台にしたシーンがなかったのが残念ですが、毎回15分で週5日、25週の全125回ですから、まあ仕方ないですね。あっという間に終わってしまった感があるのは、それだけ面白かったということでしょう。

 高校に入ったばかりの頃、英語の勉強にと読んだのがハーンの “Kwaidan” でした。「耳なし芳一」はもちろん、「狢」、「雪女」、どれもけっこう怖かったですね。後に平川祐弘の『小泉八雲 西洋脱出の夢』を読み、ますますハーンが好きになりました。訳書ではありましたが、彼の作品を片っ端から読んだものです。日本語訳は何種類かありますが、私には平川祐弘のものがいちばんしっくりきました。訳によって印象がかなり変わること、翻訳の難しさを学ぶことにもなりました。特にお気に入りの作品は、先にあげた「怪談」はもちろん、「メキシコ人の感謝」「日本海の浜辺にて」「君子」といったところでしょうか。原題はそれぞれ‘A Mexican’s Gratitude’ ‘By the Japanese Sea’ ‘Kimiko’です。

 なぜここで『ばけばけ』を採り上げたのか。第18週《マツエ、スバラシ》でハッとしたことがあるからです。ドラマ中の話ですから、登場人物名で話を進めましょう。

 ヒロインのトキとヘブンさん夫婦は松江の有名人でしたが、ある日突然、トキは町の人たちからひどい言葉を投げかけられ、さらには石をぶつけられて額にケガをする羽目に…。トキの実家である松野家は膨大な借金を抱えていましたが、お雇い外国人ヘブンの高給のおかげでそれを完済。めでたしめでたしのはずなのですが、そのことを針小棒大に書き立てた新聞記事のせいで、松野は借金返済のために娘を西洋人に売った一家、トキは異人のラシャメン(外国人の妾になった日本女性への蔑称)というレッテル貼りをされ、トキとその家族は人目を避けるような生活に…。

 トキがヘブンと結婚したのは松野家の借金を返すためではありません。借金を返したことは単なる結果です。結果だけを見て、あたかもそれが当初の目的であったと思い込んでしまう。事情を知らなければ誤解というものですが、知っていながらそう捉えるのは曲解というものです。恵まれた境遇にある者に対する羨望は誰もが抱きがちですが、度を超えた妬みや嫉みには悪意が潜んでいることが多いものです。こういうことがあって、ヘブンさんは松江を離れる決心をし、最終的に東京に居を移すことになります。

 このストーリー展開が事実にもとづくものなのかは知りませんが、小泉セツの『思ひ出の記』や曾孫である小泉凡の『セツと八雲』を読むと、後年セツは「ラシャメンと後ろ指をさされることが本当につらかった」と明かしています。ハーン自身は東京の騒がしさが好きではなかったようですが、大都会では隣人を気にする人が少なく、セツに心安らかに過ごすことができる環境を与えたいという思いがあったことも垣間見えてきます。

 ところで、なぜ人はある行為の結果を当初の目的と取り違えるのでしょうか。誤解でしょうか。誤解は事実を知ることでとけるものです。とけないのは、それが誤解ではなく曲解だからに他なりません。こうした曲解は、実はかなり多いのではないか。『ばけばけ』の中では、シンデレラ・ストーリーのヒロインがいて、その境遇を羨むと同時に、対照的に恵まれない自分自身、事がうまく運ばないことへの僻みが原因ですが、もうひとつ、自分もしくは自分が属する集団による、常識的または人道的には正しいとはいえない行為の正当化、免罪を求め、あるいは開き直りのパターンがあるのではないでしょうか。

 たとえばアジア太平洋戦争の責任問題について、日本は良いこともした。そう主張する人がいます。朝鮮半島を植民地化する中で、学校を建て朝鮮人に教育を施した、鉄道を敷設したなどです。なるほど、教育によって識字率が上がりましたし、鉄道が日本の敗戦後に朝鮮半島の復興に役立ったのは事実でしょう。しかし教育は、朝鮮人が読み書きできるようになった方が支配しやすくなるという日本側の都合です。鉄道建設も、なにも朝鮮人の往来を便利にすることを企図したわけではなく、日本軍の移動の手段であり、米など朝鮮半島の農産物を内地に運ぶのが目的でした。どちらも支配と収奪の手段です。教育や交通網の整備が目的なら、なにも植民地にする必要などないでしょう。今日、途上国で教育をおこなうNGO、紛争地で医療活動を展開する国際機関、復興ボランティアが活動していますが、支配を意図したものではありません。

 こうしたことは、なにも日本だけのことではありません。原爆投下によって戦争が早期終結し、結果的に米兵だけでなく日本人の犠牲をも減らすことができたなどという、いいわけにもならない言説がまかり通っています。私は「結果良ければ全て良し」とか「結果オーライ」というような物言いが好きではありません。良い結果は、良い過程の積み重ねでしか生まれないものです。

 結果を都合よく解釈するだけにとどまらず、今日では真の目的を隠蔽し乱暴な手段を正当化するために、初めから虚偽の目的をでっちあげて喧伝することが当たり前のように行われています。たとえば、抑圧体制から民衆を解放するといいながら、その実は資源調達と市場確保を目的とした自国に都合の良い傀儡政権の樹立を目論んでいるなど、破廉恥ここに極まれりといった様相です。実際、誤ったプロセスが悪しき結果を生み出していることは、今日の世界情勢を見れば明らかでしょう。誤った過程は、決して良き実りをもたらさないものです。

 ものごとの表層だけで判断するのではなく、本質を捉えることの重要性がますます高まっています。

(しみずたけと) 2026.3.29

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