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《天上の音楽》でブルックナーをとりあげた。アントン・ブルックナー(1824~96年)は、今でこそ交響曲作曲の巨人と言われたりもするが、半世紀前の日本ではそれほど話題になる作曲家ではなかったように思う。演奏会の曲目としても、またレコード店の棚に並ぶLPレコードも、ベートーヴェンやブラームスの後塵を拝していた。一部のクラシック通が聴く音楽、それがブルックナーの位置付けだったのではなかろうか。
過ぎし日々を振り返ってみる。クラシック音楽を熱心に聴くようになった頃、既に海外のオーケストラの来日公演など珍しいものではなくなっていた。プログラムの前半はやや短めの序曲とか前奏曲。その次に組曲とかソリストをまじえた協奏曲。休憩をはさんでの後半は交響曲というのがお決まりのスタイル。前菜と主菜を組み合わせてコース料理の完成…、そんなところだろうか。国内オーケストラの演奏会も同様で、それは今もほとんど変わっていないように思う。
メインディッシュの定番は、先にあげたベートーヴェンやブラームス。来日公演であれば、だいたいがAプロ、Bプロ、Cプロなど、複数の演奏曲目を用意していたから、独墺系の楽団でなくても、たいていどこかに入れられていた。指揮者やオーケストラの国籍によって、たとえばフランスならベルリオーズ、ロシアならチャイコフスキーとかショスタコーヴィチ、チェコならドヴォルザーク、北欧系ならシベリウスと、郷土料理のメニューも用意されたりするのだが、それでもベートーヴェンやブラームスはスタンダード的な地位を築いていたように思う。
時代が下り、やがてマーラーが定番メニューに加わってくるのだが、ブルックナーはさらに後になる。ブラームスと同じ時代を生き、同じように交響曲を残したブルックナー。ブラームスの四曲に対し、ブルックナーは未完の第9番まで作曲しているのだが…。彼は忘れられた存在だったのであろうか。避けられる理由でもあったのか。
ブルックナーの交響曲は長い、繰り返しが多く退屈、難しいと言われたりする。LPレコードの時代には、一枚に収まらない、二枚組にすると値段が倍になる、埋め草も必要だ。買うのは一部のクラシック音楽通だから、レコード業界にとっては商品化しにくい、そんな事情があったのかもしれない。しかし、本当に演奏時間が長いのは第8番くらいだ。マーラーの交響曲はもっと長い。難しいというのは何だろうか。演奏上の技術的な難しさなのか、それとも聴いてわかりにくいということなのか。
マーラーの交響曲の派手な終わり方は、確かに大衆受けしそうだ。一方、敬虔なカトリック教徒で天上の世界を見ていたブルックナーの音楽は、カトリックからは遠い、あるいは無宗教に近い私たち日本人には理解しにくいのかもしれない。だが待てよ。ブルックナーの交響曲の難しさは、そういった理由ではなく、演奏が様々だからかもしれない。いや、指揮者やオーケストラが違えば、演奏も音も違って当然である。そんなのは当たり前だ。そうではなく、楽譜が違うからなのではないのか。楽譜が違うということは、すなわち曲が違うということ。“稿”と“版”の問題である。
稿と版、ブルックナー好きならピンとくるだろう。稿とは、ある作品を作曲者自身が完成と見なしたときの楽譜の状態である。最初に完成した状態を初稿とか第一稿と呼ぶ。後に修正を加えると、それが順に第二稿、第三稿となっていく。完成した年を用いて○○年稿とする場合もある。それに対し、印刷された楽譜を版と呼ぶ。初めて出版されたものが初版、複数の出版社がある場合は出版社の名前を付したりもする。
ブルックナーという人、お人好しだったのか、精神的にあまりタフでなかったせいか、できあがった作品をいじくり回してしまう癖があった。弟子が「先生、これじゃ聴衆受けしませんよ。ここはこうした方がいいですよ」と言えば、「あぁ、そうかもしれんな」となり、「こんなのは演奏できませんよ。難しすぎます」と指揮者や演奏家が注文をつければ、「ん、そんなもんか」と直してしまったりする。だから稿がいくつもあるのだ。しかも、最初の稿に直接書き込んだりしているため、どの部分が修正された箇所なのかが判然としない。別の写譜を用意するとか、修正は別の色のインキで、などとしてくれたら実にありがたかったのだが…。中には、こんなに長くては演奏してもらえないだろうと、弟子が(善意だろうけれど)勝手にカットし、それが出版されてしまったり…。
ブルックナーの元々の意図はどこにあったのか、なにをどう考えて修正したのか、様々な資料を調べ上げて研究者が整理したのが“校訂版”である。国際ブルックナー協会の音頭取りで原典版の校訂作業が始まり、オーストリアの音楽学者ローベルト・ハース(1886~1960年)が着手したのだが、彼は戦後、ナチスとの関係が問題視されて職を追われ、やはりオーストリアの音楽学者レオポルト・ノヴァーク(1904~91年)に引き継がれた。しかし、二人の校訂方針にはかなりの差異があり、日記や手紙なども参照しながら手を入れたハース版、純粋に残された楽譜をもとに作業を進めたノヴァーク版、両方ができてしまった。他に弟子たちによる改変版もあれば、その後の研究によって新たに編纂された版も現れている。
ブルックナーの生きた時代、それは国民国家が成立していく時代でもあった。国家が成立するとき、自国と他国の間に国境線が引かれる。その地域の事情とは無関係に、そこから遠く離れた政治の中枢がその“線”を決める。同じもの同士が分断され、違うもの同士が統合される。当然、そこに軋轢が生ずる。ある意味、国家建設とは、民衆に負担と犠牲を強いる側面を併せ持つ。国ができること、その一員になることを喜んでばかりはいられないのである。
リンツという田舎町に生まれ育ったブルックナーは、音楽文化の中心であるウィーンにやってくるのだが、そこは政治の中枢でもあった。天上の世界を見上げ、孤高を保とうとしても、周囲の現実と向き合わないわけにはいかない。彼の迷いは、期待と不安の入り混じった変わりゆく社会と、どうにか折り合いをつけようとする苦悩だったのではあるまいか。
指揮者が誰で、どのオーケストラかだけでなく、どの稿、どの版を聴くかを悩まなければいけないとしたら、これは相当に面倒なことである。同じ曲なのに、聴いた人同士の会話が成り立たないことだってあるだろう。私は音楽学者ではないので、どの稿が良くてどの稿は物足りない、どの版が正しくてどの版は間違いなどと言うつもりはない。ただ、作曲したブルックナーの“揺れ動く心”を感じ取ることができれば、それもまた興味深いと思うのだ。ここでは交響曲第3番の第1稿と第3稿のCDを聴いてもらおうと思う。どちらもノヴァークによる校訂版である。
ブルックナー:交響曲第3番ニ短調
ブルックナーがリヒャルト・ワーグナー(1813~83年)を敬愛していたことは前に書いた。この交響曲第3番は、ブルックナーがワーグナーに献呈したことから『ワーグナー』の題が付けられている。版は六つかそれ以上あり、第1稿が完成したのが1873年で第2稿が1877年。1888年、大幅な改訂に着手し、翌年に第3稿として完成をみた。この間、16年。交響曲第8番を改訂した時期と重なっている。
第3稿は、第1稿、第2稿に比べて短縮され、無駄を省いて洗練された結果、より効果的な音楽となっている。第1稿にあったワーグナーの楽劇からの引用も減らされた。そのおかげかどうかはわからないが、第1稿の初演がかんばしくなかったのに対し、第3稿による初演は大成功だったという。反面、荒々しいまでの幻想性の噴出、豪快さが渦巻くブルックナーらしさが影を潜めてしまっていることも否めない。ワーグナーに対する思いが薄れでもしたのであろうか。
敬虔なカトリック信徒で、教会のオルガニストでもあったブルックナーは、常に天上の世界を見ていた。彼の作品は、宗教曲はもちろんのこと、交響曲も世俗とは一線を画し、神への祈り、神への感謝に充ち満ちている。ワーグナーを尊敬はしていたが、ある意味、世俗的な名声を求めたワーグナーとは正反対の立ち位置にある孤高の人だった。それゆえ、苦悩も多かったのではあるまいか。作曲者本人がこの第3稿を決定稿とした事実は尊重すべきだが、彼の人生をあれこれ想像しながら聴く交響曲第3番というのも、いろいろな意味で興味深いものだ。
::: C D :::
1)セル盤(1889年 第3稿 ノヴァーク版)

まずは昔から演奏されることの多い第3稿から。ハンガリーに生まれ、ウィーン音楽院でピアノ、指揮、作曲を学んだジョージ・セル(1897~1970年)にとって、ブルックナーは身近な作曲家であったはずだ。その端正な音作りは、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスなど、独墺系の正統とされる一方、コダーイ、ドヴォルザークといった中欧の音楽の土臭さを上手に料理し、洗練された一品として、またムソルグスキーやチャイコフスキーなどのロシア系音楽をダイナミックに聴かせてくれる。古典的で清潔な音作りをする人という印象を抱かれがちだが、ワーグナーやブルックナーになると、ゆったりしたテンポの中に豊かで多彩な音を、しかも鋭い切れ味で響かせる。
この交響曲第3番でも、自身が全米一のオーケストラに育て上げたクリーブランド管弦楽団の能力を最高に引き出し、遅めのテンポを保ちながら、オルガンのような壮麗で深みのある音を聴かせてくれる。決して新しい録音ではないが、素晴らしい音響のセヴェランス・ホールのおかげで、今日なお少しも古びていない。
指揮:ジョージ・セル
演奏:クリーブランド管弦楽団
録音:1966年
2)インバル盤(1873年 第1稿 ノヴァーク版)

このエリアフ・インバル(1936年~)による演奏がクラシック界に与えた衝撃は、第3稿による演奏がスタンダードだった中で、あえて第1稿をとりあげ、第3番へのワーグナーの第3番への影響を目の当たりにしてくれるものだったからだ。第1楽章には『トリスタンとイゾルデ』から「愛の死」が引用されているし、これを思わせる響きが第2楽章にも現れる。さらに、第3稿にはない第2楽章の弦楽器群によるオブリガードの音型は、まさに『タンホイザー』序曲であり、それが複雑なシンコペーションの連鎖になっていくところには誰もが驚かされるに違いない。そうした箇所を探すつもりで聴くのも面白いだろう。
なんとなくではあるが、マーラーが得意な指揮者とブルックナーが得意な指揮者は別な感じがするのだが、インバルはどちらの演奏にも抜群の手腕を発揮する人である。東京都交響楽団の桂冠指揮者という地位にあり、このコンビによる演奏会を聴く機会に恵まれた人は幸運だ。今後ライブを聴く機会があったら、絶対に逃したくないものである。
指揮:エリアフ・インバル
演奏:フランクフルト放送交響楽団
録音:1983年
(しみずたけと) 2025.6.12
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