考えることしかできない、でも、それは必要、それは意味がある

う~ん、う~ん、頭の中をぐるぐると歩き回ってばかりいる。もう何日も。ロシアーウクライナ戦争、なぜこうなった? どうしたら終結する? ロシアが侵攻したのはダメ、絶対ダメ! でも、それ以上は何をどう考えたら良いのか、乏しい情報源から得たいくばくかの情報をかき集めてはまたもや、う~ん、う~ん、うなる。

あまりにたくさんの切れ切れのニュースや論考が行き交い、頭の周りを飛び回っているから、どこから考え始めたらよいものやら、それすらわからない。けれども、たくさんの切れ端をつなげながら、整理して行くしかない。

ウクライナのゼレンスキー大統領は今、徹底抗戦のために西側諸国に戦争への協力を求めている。各国からの義勇兵も募集している。(これは国連憲章違反だと。)デンマークは送り出しを認めるとの声明。けれど、義勇兵が死のうと各国政府に責任はない、義勇だからと。アメリカとヨーロッパの国々はウクライナの運命が自国に及ぶのを恐れて、ミサイル、戦車、弾薬、お金を送る。大規模の経済制裁に乗り出す。NATOに加盟せず中立国であるスウェーデン、フィンランド、スイスまでもがそれぞれの協力をし始める。ドイツは大幅な協力へと方針を変えた。国連ではロシアは国連憲章違反とロシア非難決議を141ヵ国の賛成で採択した。反対と棄権の国は少数。日本の国会でも、れいわ新選組のわずかな反対を物ともせず、ロシア非難決議が行われた。

ちょっと待てよ、わたしにはここが気持ち悪い。世界の紛争を調停する国連が国連憲章違反だと非難決議を行ったのはわかるし、日本の衆参両院の国会が国としての態度を決めようというのも理解できる。でも、それでいいのか。ロシアが悪い、プーチンが悪いと叫んでいれば戦争を終わらせることができる? たとえ、終わらせることができたとしても、その後の互いの関係は最大限のギクシャク、互いの信頼構築はほぼ永遠に不可能となるだろう。わたしたちが「戦争反対!ロシアの侵攻反対!」と、ウクライナの人、ロシアの人、世界各国の人と連帯するのはとても大事だと思う。けれども、政府レベルでファナティックに叫ぶのは恐ろしい。(国会決議のあとに、「れいわ」が主張するように具体策が続けばそれも意味があるけれど、議員にドヤ顔をさせるだけではどうしようもない。)

ウクライナの情勢には歴史がある。親西欧派の大統領が選ばれ、親露派の大統領が選ばれ追放され、ロシア語母語住民の多い南東部のドネツク州/ルハンシク州とEU各国寄りの西部に位置する地域との対立(これは、2014年、ウクライナ政府と西欧が不承不承ながらもミンスク合意で一応の決着を見た)、アゾフ連隊に見られるような好戦的なネオナチ一派が中央政府の支持を得て勢力を拡大したり(この主張は陰謀論という声も聞く)、アメリカが自国有利のためにあれこれと手を伸ばし、ロシアが介入したり、この緩衝地帯の役割を果たしてきた国は常に振り回されてきた。

事情はある、事情は理解できる。しかしだ、「ウクライナに栄えあれ!」「祖国を守れ!」という叫びは人々を死に追いやり、傷つける。ナイフを振りかざして向かってくる者があれば、抵抗する、銃口を向けてくる者があって自分が銃を持っていれば撃つ、そういうことにはなる。けれども、政府が人々を鼓舞して戦わせるのはそれとはわけが違う。国民を戦わせて死んでしまったら、誰がそののちの国を立て直せるのか。武器やお金を送ることは死ぬ人を増やすこと。日本は防弾チョッキくらいなら良いだろうと送る。それとて、立派な軍事装備品だ。誰もそれについて吟味しない。

ソ連が崩壊したのち、ロシアとかつての連邦国は国を保っていくのに困難を抱えて来た。経済状態は良くなかったにもかかわらず、米西欧はロシアを敵国視してきただけだった。追い詰められた独裁者は作るべきではなかった。

中国、ロシアと隣り合っている日本、その日本はアメリカの同盟国で、米軍基地を数多く有している。このままアメリカの掌で踊らされている限りはわたしたちの未来は明るくない。日本は覇権国家ではない。緩衝地帯の役割が果たせるかもしれないのに。

以上、自分で書いて整理したいことの十分の一も書けていない。これからまだまだ頭の中でぐるぐると回り続ける。砂漠の砂粒のひとつであろうとも、十分な判断材料を集めることができなくとも、考えることは必要、考えることは意味があると信じる。砂粒の集合体が世界の思潮となることもあり得る。この「たより」が配られる頃には戦争が終結していることを願うばかり。ウクライナの人、ロシアの人に連帯を!



(Ak.)