パルチザンの歌

Le chant des partisans


抵抗の歌の中で、CD“Les Chants de la Liberte”を紹介したことがある。その中にある「パルチザンの歌」について、少しだけ補足しておきたい。

第二次大戦中のフランス。レノー内閣の国防次官兼陸軍次官に任命されたシャルル・ド・ゴール(1890~1970年)は、1940年、ドイツによるフランスへの軍事侵攻に対するイギリスの協力を得るために渡英。チャーチル戦時内閣と交渉する中、6月15日に首都パリが陥落してしまう。ド・ゴールはそのまま亡命し、ロンドンに亡命政府「自由フランス」を設立、フランス国民に対独レジスタンスと、ドイツの傀儡であるヴィシー政権への抵抗を呼びかけた。この「パルチザンの歌」は、当時の抵抗歌のひとつである。

多数ある自由フランスの歌の中で、「パルチザンの歌」は最も普及し、広く歌われた。今では「ラ・マルセイエーズ」に次ぐ第二国歌のように扱われている。初めは、なんとロシア語の歌だったのだが、それは作者のアンナ・マルリー(1917~2006年)がロシア亡命貴族の娘だったからである。彼女はロンドンで自由フランスに参加し、1941年にこの歌を作った。

やはりロンドンに逃れ、自由フランスに加わったジョゼフ・ケッセル(1898~1979年)と彼の甥のモーリス・ドリュオン(1918~2009年)がこの歌を聴き、フランス語の歌詞に置き換えたのが、今日まで伝わる「パルチザンの歌」である。かなり手が加えられており、ロシア語の歌詞とはだいぶ違う。訳詞と呼ぶのには躊躇いがあるのだが、原詞を書いたアンナ・マルリーをはじめ、多くの歌手によって歌い継がれてきた。

フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」の歌詞ほど血なまぐさくはないが、かなり過激な内容ではある。しかし、当時のせっぱ詰まった状況を背景に、有無をいわさず抵抗に立ち上がらざるを得なかった民衆の心情を反映し、仲間を鼓舞するためだったと思えば、現代に生きる私たちが批判するのは筋違いだろう。とはいえ、この種の歌を歌うのがふさわしいかどうかは、いつでも熟慮が必要だ。帝国主義国となったフランスが、植民地で「ラ・マルセイエーズ」を歌うなど、三色旗を掲げるのと同様、本来の趣旨からはまったく乖離している。

「ラ・マルセイエーズ」を引き合いに出したので、こちらについても・・・

あまりにも戦闘的かつナショナリスティックな歌詞であるがゆえに、今日、「ラ・マルセイエーズ」は、むしろ反動的な保守派が好むものとなっている。たとえば、ルペン親子が率いる極右勢力の国民戦線は、盛んに歌いながら移民排斥を訴えてきた。一方、ワールドカップ・サッカーで、フランスチームの主将ジネディーヌ・ジダンは、キックオフ前の国歌斉唱の場面で歌うことをしなかった。アルジェリア出身で、アルジェリア独立戦争を記憶している人間として、同歌が歪んだ形で使われてきたことを知っているからだろう。

フランスでも「ラ・マルセイエーズ」の歌詞を見なおそうという動きが起きている。しかし、これほど同国の民主主義を象徴している歌もまたないだろう。フランスは、歴史的に革命や戦争を通して、言い換えれば「血を流す」ことによって、ひとりひとりの自由と尊厳を獲得してきた国なのだから。ただし、今のフランスは「ラ・マルセイエーズ」によって鼓舞しなければならないような国家的存亡の危機にあるとはいえない。

「ラ・マルセイエーズ」も「パルチザンの歌」も、ただ格好良いなどと、軽い気持ちで歌ってほしくないと思うのは、決して私だけではあるまい。


パルチザンの歌
LE CHANT DES PARTISAN

Ami, entends-tu le vol noir des corbeaux sur nos plaines?
Ami, entends-tu les cris sourds du pays qu’on enchaîne?
Ohé! partisans, ouvriers et paysans, c’est l’alarme!
Ce soir l’ennemi connaîtra le prix du sang et des larmes!



友よ、見える? 飛び交うカラスの黒々した群が
友よ、聞こえる? 国民(くにたみ)の声なき叫びが
おゝ、パルチザン、労働者、農夫たち お告げよ!
今宵、敵は知ることになるわ 血と涙の代償を!

Montez de la mine, descendez des collines, camarades!
Sortez de la paille les fusils, la mitraille, les grenades.
Ohé, les tueurs à la balle ou au couteau, tuez vite!
Ohé! saboteur, attention à ton fardeau: dynamite!



坑道を上がるのよ、丘を降りるのよ 仲間たち!
藁から取り出すのよ 銃を、散弾を、手榴弾を
おゝ、銃やナイフを手にした殺し屋ども 殺(や)るのよ!
おゝ、破壊工作班 ダイナマイトに気をつけて!

C’est nous qui brisons les barreaux des prisons pour nos frères,
La haine à nos trousses et la faim qui nous pousse, la misère.
Il y a des pays ou les gens au creux de lits Font des rêves;
Ici, nous, vois-tu, nous on marche et nous on tue, nous on crève.



私たちよ 兄弟たちのため、監獄の鉄格子を破るのは
私たちにつきまとう憎しみ、飢え、貧困
寝床で夢を見ていられる国だってあるのに
ここでは踏みつけられ、殺されかねないわ

Ici chacun sait ce qu’il veut, ce qui’il fait quand il passe.
Ami, si tu tombes un ami sort de l’ombre a ta place.
Demain du sang noir séchera au grand soleil sur les routes.
Sifflez, compagnons, dans la nuit la Liberté nous écoute.



ここでは誰もがわかっているわ やるべきことを
友よ、あんたが倒れても 誰かが引き継ぐわ
路上の血だまりも 明日の太陽が乾かすのよ
口笛を吹きなさい 今宵、自由は私たちの声を聞くはずよ

Ami, entends-tu le vol noir des corbeaux sur nos plaines?
Ami, entends-tu les cris sourds du pays qu’on enchaîne?
Oh oh oh oh oh oh oh oh oh oh oh oh oh oh oh oh…


友よ、見える? 飛び交うカラスの黒々した群が
友よ、聞こえる? 国民(くにたみ)の声なき叫びが
オーオーオー…


日本語訳に「女ことば」を使ったのは、原作者のアンナ・マルリーが女性だからである。しかし、フランス語には「女ことば」とか「男ことば」というものはないから、なんとなく違和感も感じられよう。別の言語に置き換えるというのは、異なる文化に無理やりはめ込む行為にほかならない。

日本語において、性による言葉遣いの違いが、いつ、どうして始まったのかには諸説ある。明治以後は、「女らしさ」「男らしさ」という言葉に代表されるように、性による役割分担や倫理・政治的価値をともなった言語的イデオロギーとも呼ぶべき文化体系があらわれ、多様性を否定する社会へと導いていった。これが富国強兵、膨張主義を推進する国家権力にとって好都合だったからこそ、ジェンダーをプロパガンダに取り込み始める。「銃後」や「靖国の母」など、まさしくそれである。

戦後の新憲法のもと、男女は平等とされたはずであるが、その実現には道半ばである。昨今の政治家の発言など、そう思わざるをえない。これからどうなるのかわからないが、21世紀前半における言葉の文化を映すものとして、この訳の「女ことば」を捉えてほしい。

【ロシア語】パルチザンの歌
Песнь партизан
Anna Marly


LE CHANT DES PARTISANS
Anna Marly


(しみずたけと) 2021.6.7