TOKYO だっしゅーつ!

コロナ感染が「けた違い」な増加をしている。西村康稔経済再生担当相の弁である。そのようなことは、マトモな専門家が以前から警告していたし、シロウトのわれわれでさえそう思っていた。だから五輪開催に反対していたわけである。今になってそのようなことをいい出すとは、自ら「けた違い」の愚か者だと宣言しているのに等しい。

外出するな、集まるな、ステイ・ホームだというが、祭り囃子や太鼓の音が聞こえてくれば、出かけたくなるのが人情。そもそも、その祭りをやっているのが国なのだから、どうにもならない。東京には来るなというなら、さて、どうしよう。ステイ・ホームなんて、冗談はやめてほしい。うっかりテレビでもつけようものなら、番組は五輪ばかり。新聞だって、前日の競技・試合の結果でウンザリさせられてしまう。

山登りに行くか。ドライブでもするか。というわけで、上信国境の黒斑山(くろふやま)に出かけてきた。登山口の車坂峠まで約200kmのドライブ。標高1973mの駐車場は風が心地いい。カンカン照りでなく、薄曇りなのもありがたかった。黒斑山(2404m)の山頂まで約1時間40分。流れる雲が切れると、浅間山がすぐ目の前に。ランチを楽しみ、1時間25分の下りで登山口へ戻る。高峰高原ホテルの温泉で汗を流し、ラウンジでコーヒーとケーキを口にすると、東京で開かれている「祭り」がいっそうバカバカしく思えてくるのだった。

そもそも、なぜ外出がいけないのか?少し前まで《GoToトラベル》とか《GoToイート》をやっていたではないか。政府が旅行や外食を奨励していたのである。それによって感染が拡大したとか、政策として失敗だったという公式発表はなされていない。旅行や飲食と感染拡大が無関係であるなら、ステイ・ホームの必要などないではないか。菅首相は「人流は減っている」という。人流と感染が相関関係にないなら、なおさらである。

ちょうどこの日、自転車ロードレース(男子)がおこなわれた。沿道は大勢の観客で密状態だったと聞く。そりゃそうだろう。競技場や体育館には入れないのだから、テレビやネット中継でなく、直接見たいなら、こういう場所に集まるに決まっている。コースになった近所の多摩ニュータウン通りも「観戦・感染」の場になったのだろう。翌日、山道具の掃除をしていたら、ヘリコプターがいつになく低空飛行していた。自転車ロードレース(女子)の中継である。おっと、日帰り登山でなく、一泊してくるんだった!

世界初の「途中打ち切り五輪」も悪くないと思うのだが、最後までやり切るつもりなのか。しかしパラ五輪は中止かもしれない。世論を受け入れたフリをしながら、実は障がい者なんてどうでもいいと思っている連中の考えそうなことだ。いずれにせよ、閉会式なる「シメ」が待っている。再び東京脱出か、それともあいつらをどうやって「シメ」るか、それが課題だ。

(しみずたけと)

軍事費・コロナ・人権

  1. 持続可能な社会を構築するためには、軍事費を減らす必要がある。このことは明白です。じっさい21年度の各国の国家予算をみると、軍事費を減らして国民生活を守ろうとする国がおおいのです。

    他方、そんななかで軍事費を増やそうとしている国(案を含む)もあります。日本、アメリカ、ブラジル、中国です。いかにもできすぎのリストですが、ほんとうのことです。

    ご存じでしょう、日本のばあい、軍事費は毎年増加しています。20年度当初予算では過去最高の5兆3133億円となりました。21年度予算はきっとそれを更新するでしょう。対GDP比で1%ぎりぎりですが、経済の落ち込み方しだいでは、1%をこえるかもしれません。こういった財政の軍事化は「立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする (憲法13条)」人権保障に必要となる財源を、確実に奪っているのです。

    国民から強制的に税金をあつめ、それを財源にして国民の生活をまもることが、国家を創設することの目的のはずです。新型コロナウイルスがまんえんすることに対処するためには、必要な医療検査をおこなうこと。病床を確保すること。医療労働者の労働条件を改善すること。移動を制限することで生じる経済的損失を補填すること。いま必要なことははっきりしています。もし政府がそのような責務をはたそうとしないなら、そのような政府を即刻かえなければなりません。

  2. 国民の生活より軍事を優先することのひとつのあらわれが、自民党政府の追求する「敵基地攻撃」能力です。自民党は「敵基地攻撃」というと響きがブッソウなので「相手領域内攻撃」という言葉に言い換えています。でもかんがえてみると、「相手領域内攻撃」は敵国と想定した相手国内なら、市民が暮らす場所も攻撃対象に含めるということですから、敵基地攻撃よりももっと攻撃的な概念です。市民の居住地を攻撃することを禁じた国際法にも違反するものです。

    この敵基地攻撃論は、人権を否定するものです。換言すれば、人権保障のためにも敵基地攻撃論は許されない。このことをあらためてうったえる必要がありますね。

    第一に、敵基地攻撃は 攻撃対象となった国・場所に暮らすひとびとの「恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利 」(憲法前文)、すなわち平和的生存権を侵害するものです。

    第二に、敵基地攻撃は、報復対象となる基地の周辺で暮らすひとびとを、相手国からの攻撃にまきこむことになります。だからおなじように日本国内で暮らすひとびとの平和的生存権を侵害するおそれも強いのです。このような報復を回避しようとすれば、相手国の国土を壊滅するほどの敵基地攻撃を選択しなければならない。そしてそのことは……。敵基地攻撃にふみだすことによって、わたしたちはこのような負のスパイラルにとらわれてしまいます。

  3. いまわたしたちが政治に求めているのは、敵基地攻撃能力をもつことではありません。また挫折した「安倍改憲」を生き返らせるための、憲法改正国民投票法や憲法改定でもありません。わたしたちが求めるのは、新自由主義政治がもたらした貧困や、新型コロナウイルス感染の拡大から、人々の生活と命を守る政治なのです。

    永山茂樹