徴用工問題に端を発する日韓関係の悪化?

政府間でくり広げられている今回の不毛な罵り合いは、戦時中の徴用工使役に端を発するものだ。2018年10月30日、韓国大法院(日本の最高裁にあたる)は戦争中に朝鮮人を徴用した新日鐵住金に対して賠償の支払いを命じた。ここでは日本政府の反応を検証してみたい。

大法院判決に対する河野太郎外務大臣の談話(詳細は外務省HP )の要旨は次の四点。

1) 1965年締結の日韓基本条約及び関連協定により、両国とその国民の財産、権利及び利益ならびに請求権に関する問題は「完全かつ最終的に解決」されており、いかなる主張もできない。

2) 大法院は新日鐵住金に対する損害賠償支払いを認めたが、これは日韓請求権協定第2条に違反する。

3) 韓国には国際法違反の状態の是正を含め、適切な措置を講ずることを求める。

4) 直ちに適切な措置が講じられない場合、国際裁判も含め、あらゆる選択肢を視野に入れ、毅然とした対応を講ずる。

何が問題なのかを考えてみよう。まず、韓国大法院という司法機関が日本企業に対して下した判決について強く非難している。次に、韓国政府に対して「適切な措置」を講ずるよう求め、講じない場合はあらゆる選択肢を行使すると表明している。「適切な措置」とは、日本企業が不利益を負わずにすむ、たとえば新日鐵住金が損害賠償支払いを免れることを意味しているのは明らかであろう。単刀直入にいえば、大法院判決は日韓請求権協定第2条に違反し、日本企業に不利益をもたらすものだから、韓国政府は何とかしろ、そうでなければこちらにも考えがあるぞと、ヤクザまがいの脅しをかけたわけだ。

日韓基本条約が締結された1965年、世界は米ソ冷戦体制下であり、日韓両国は複雑な国際関係の支配下にあった。それゆえ、本条約の成立過程を再検討し、内容についても一定の留保をすべきだと思うが、ここではそのこと自体には触れないでおく。ただ、日韓請求権協定においてさえ、個人の請求権まで否定されているわけではないことを頭にとどめておくべきであろう。韓国の司法機関たる大法院は、徴用工であった個人が、自分を使役していた日本企業を訴えた民事訴訟に対し、韓国国内法に基づいて判断を下したのである。日本政府とはまったく関係がないことは明白であろう。

訴訟の当事者でない政府が、自国の企業に不利だからという理由で、他国の司法機関が下した判決を受け入れられないなどと言えるものなのか。新日鐵住金は当時の国策のもとで徴用工を使役していたのだから、日本政府は本質的に当事者であり、賠償義務を負う立場にあるが、そうとは言い出せないジレンマに陥っていることもわかる。このように、日本政府が韓国大法院判決にケチをつけることは露骨な内政干渉でしかない。

韓国政府に対して「適切な措置」を求めたというのは、行政府の力で司法府の決定を覆せということなのだろう。三権分立を理解していないからこそ、こうした物言いができるのだ。そもそも日本には三権分立など存在していないのだから、大臣が知らないのも無理ないのかもしれない。言うことを聞かなければあらゆる手段をとるぞという恫喝が、ホワイト国除外という経済報復の形ですでに実行に移されたのはご存じの通りである。

日韓基本条約をもとにした日本政府の主張は、条約を締結した1965年当時は通用していたかもしれないが、国連憲章の人権関連条項や世界人権宣言、国際人権規約などの国際人道法が世界的に受け入れられるようになった現在、もはや法的正当性を失っている。徴用工の問題は、慰安婦問題と同様、国家間の約束事ではなく、時効のない人権問題になったのである。先進国、民主主義国と呼ばれる国々はみな、過去に遡及して過ちを認め、補償し、繰りかえさないという誓いを、教育や記念碑の建立という形で表してきた。それに気づかない日本政府にこそ問題がある。 この外務大臣談話の致命的欠陥は、国際法のみならず、三権分立の概念とか外交の基本スタンス、人道主義という、近代国家が有すべき最低限の要素を理解していないところにある。私たち日本国民は、このような政府しか持つことができていない我が身を問い直すことから始めなければならないように思う。

(しみずたけと)